オリジナル小説。
不器用な女の子と一生懸命な男の子のお話。

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オレンジ色の距離

オレンジ色の夕焼け空と海を、少女と少年が眺めている。二人の間には、三〇センチメートル程の微妙な距離が空いている。その間には、繋がることなく投げ出された二人の手があった。

少年は、視線だけをそっと左に向けた。真っ直ぐに前を見つめる少女の目元は、微かに夕陽とは違う赤で染まっていた。少年は何も言わず、空と海の溶け合う水平線へ視線を戻した。オレンジ色の波音が、二人の沈黙を優しく包む。

少しずつ姿を消していく夕陽から目を背け、少女は一度躊躇ってから、沈黙を破った。

「何も、言わないんだね」

少年は答える代わりに、少女の頭にそっと手を置いた。ぎこちなく、けれど優しく労うように、その小さな頭を撫でる。そして優しく微笑んだ。

 

少年はちゃんと分かっていた。彼女が今、何かを言いたいわけでも、言われたいわけでもないことを。そして、それでも側には居て欲しいことも。だから下手に慰めたり、励ましたりはしない。

彼は、言葉にしていないのに自分の望むことをしてくれる。そして、黙って側に居てくれる。言葉のない優しさに甘えるように、少女は目を閉じた。

 

少女は目を閉じるのが怖かった。目を閉じると、嫌なことばかりが浮かんでしまう。

自分の陰口を聞いてしまった学校の廊下、上手く馴染めない新しい父親の顔、今は亡き、本当の父の顔。頭の中を絶え間なくぐるぐる回る。喉に何かが詰まるような、息苦しい感覚に襲われる。上手く息ができなくなってしまうのだ。

けれど今は、それは浮かばなかった。少しだけオレンジ色の残る、瞼の裏側。そこに浮かぶのは、さっきまで見ていた夕焼け色の空と海、そして隣に座る少年の微笑みだった。胸の真ん中がじわりと温かくなる。無意識に止めてしまっていた息を吐き出す。頭には、相変わらず少年の温もりが添えられている。

不意に、その手が止まった。同時に「あっ」という何かを思い出したような少年の声がし、少女は目を開けた。右隣を見ると、少年がスクールバッグを漁っていた。無言のまま、少女は首を傾げてその様子を眺める。目当てのものが見つかったらしい少年は、悪戯っぽい笑みを浮かべ、少女を振り返った。そのまま、握った右手を少女に突き出す。一つ瞬きをして、少女はその下へ両手を差しのべた。

「はい、あげる」

そう言って、少年が手を開く。空と同じ色の小さな飴玉がコロンと落とされた。僅かに驚いた様子の少女に、疲れた時は甘いものが良いんだよ、と笑った。

……ああそうか、私、疲れていたんだ。

絡まった糸の結び目が、一つ解けたような気がする。

「ありがとう」

小さな声で少女が呟くと、少年が穏やかに笑いながら頷く。それを横目に見て、少女は、透明なセロファンを剥がして飴玉を口に放り込んだ。口の中に広がったのは、優しいオレンジの甘さだった。

 

 

彼女が寂しそうな顔をする度、胸の奥をギュッと握り締められるような気がした。僕には彼女が何故そんな顔をするのか分からなかった。

明るくて、優しくて、よく笑う子。それが皆の持つ彼女の印象だった。

口下手で、不器用で、強がりで、甘えることが苦手な子。それは、幼馴染の僕だけが知っている本当の彼女だった。彼女は何があっても独りで抱え込み、独りで涙を流す。そして、何かあった時こそ、頑なにそれを隠して無理矢理笑う。それがいつの間にか彼女に染み付いてしまった、寂しい癖だった。

小さい頃からずっと、彼女の笑顔は太陽みたいだと思っていた。オレンジ色の、優しくて温かいものだった。

いつからだろう。そこに何か暗いものが混ざっているのに気が付いた。それと同時に、自分が何も出来ないことに気が付いた。僕には、彼女が何をしたいのか、何をして欲しいのか、そして僕自身がどうするべきなのか、分からなかった。けれど、彼女の笑顔の中で揺れている瞳が必死に助けを求めているような気がして、どうしても放っておけなかった。

「丘の公園にさ、夕焼けを見に行こうよ」

それはぽろっと溢れた提案だった。今にも壊れてしまいそうな彼女を見て、何かしたいと思ったのだ。いきなりの僕の提案に驚いた様子だったけれど、彼女は頷いてくれた。

その日の夕焼けがどんな景色だったのか、正直なところ覚えていない。覚えているのは、僕も彼女も何も言わなかったこと……というより、僕は何も言えなかった。「彼女を傷付けたくない」という言い訳を盾に、弱虫な僕は自分が傷付くことを怖がって逃げた。過ぎ去ったことだけれど、臆病な自分に嫌気がさす。でも、そんな僕に、彼女は穏やかに笑いかけてくれた。

「ありがとう……そろそろ帰ろっか」

それは、夕焼けを見る前の儚い笑顔とは違う眩しいオレンジ色の笑顔で、何故だか息が詰まって、僕は返事を出来なかった。首を縦に振るのが精一杯だった。

 

それから僕達は、ちょくちょく夕焼けを見に行くようになった。何度か二人で過ごすうちに、なんとなく彼女の気持ちを察せるようになってきた。

困ったように眉をハの字にして笑うのは「話を聞いて」のサイン。

長い睫毛を伏せ、俯いて唇を噛むのは「何か話していて」のサイン。

そして、真っ直ぐに前を向いて黙っているのは「何も言わないで」のサイン。

おそらく彼女自身は気付いていない無意識のそのサインが、彼女の心を物語り、僕に何をすべきかを教えてくれた。どのサインの時も、彼女の瞳は必死に何かを訴えていた。だから僕は、精一杯そのサインに応える。彼女の笑顔が消えてしまわないように、僕が守ると心に決めたのだ。

 

夜の帳が下り、墨を落としたように空が黒く染まった。住宅から溢れる光が、雲に隠れてしまった星に代わって街にイルミネーションを施している。月すらも覆い、全てを吸い込んでしまいそうな闇が、それを引き立てていた。

部屋でくつろいでいた僕は、何故かそれが不気味に思えて、カーテンを閉めた。少しだけ寒気がする。一瞬身体がぶるっと震え、本を読んでいた手を止め、マグカップを手に取った。温かい紅茶が身体の強張りをほぐし、小さく息を吐いた。なんとなく落ち着いて、再び本に目を向けた。

どれくらい経っただろうか。本を読みながら手に取ったマグカップが空になっていることに気が付いた。机の上のデジタル時計が20時26分を示している。なんとも微妙な時間だ。とりあえず風呂にでも入ろうかと腰を上げると、同時に携帯電話の着信音が響いた。画面に出たのは彼女の名前だった。電話してくるなんて珍しい、と思いつつ電話に出る。僕の耳に飛び込んできたのは、聞いたことのない、嗚咽交じりの彼女の鳴き声だった。

「ど……どうしたの、何があった?」

僕の声が届いているかも分からない。押し殺すような泣き声と堪えきれなかった嗚咽が聞こえる。その小さな声の隙間に名前を呼ばれていることに気付いた僕は、どうしようもなく胸が締め付けられた。できるだけ優しい声で、そっと彼女の名前を呼ぶ。泣きじゃくってはいるけれど、僕の声は聞こえているようだ。

「今、どこにいる?そっちに行くから教えて」

小さな震える声が『いつもの丘』と答えた。

「うん、分かった。待ってて、すぐに行くから」

通話を切った携帯電話を握り締め、財布を上着のポケットに突っ込んで、部屋を飛び出す。玄関では、彼女のお母さん、が今にも泣きそうな顔で僕の母と話していた。僕に気が付くと、彼女のお母さんはいよいよ泣き出して、彼女が家を飛び出して帰って来ない、連絡もつかないのだと話してくれた。

「おばさん、大丈夫。僕が迎えに行ってくるから。少し遅くなるかもしれないけど、待ってて」

僕はそう言い残し、夜の街を駆け出した。冷たい夜風が頬を打ち、街灯とカーテン越しの住宅の明かりが夜道を淡く照らす。公園までの道のりは暗く、彼女を飲み込んだ夜が僕を嗤っているような気がした。

彼女は大丈夫だろうか。夜の冷え込みに震えているかもしれない。暗闇に独りで心細く膝を抱えているかもしれない。

一度心の中に生まれてしまったモヤモヤが、時間とともにどんどん大きく黒く膨れ上がっていく。それを振り切るように首を振る。僕がしっかりしなければ、と頷く。彼女が人前で泣くことなど、余程のことがない限りありえないのだ。それを電話越しとはいえ、人に曝け出すなど尚更。

早く側に行かなくちゃ。

その思いが、僕の背中を強く押す。公園の入り口を駆け抜け、林を潜って、丘への坂道を駆け上る。

小さな影が、海の方を向いて膝を抱えていた。その背中が震え、堪えきれない嗚咽交じりの小さな泣き声が、夜空に吸い込まれていく。優しくその名前を呼ぶと、こちらを振り向いた。

涙でぐちゃぐちゃの顔と赤く腫れた目。

息が詰まった。さっき振り切ったはずのモヤモヤが、僕の心臓を握り潰そうとしている。

そっと彼女の隣に座り、その小さな頭を撫でた。それに安心したのだろうか。彼女はついに、大声を上げて泣き出した。

 

私、お父さんのこと傷付けた。お父さんは私を心配してくれただけだったのに。今日ね、本当のお父さんの命日なの。それで、お父さんは心配して私に声をかけてくれたの。なのに……自分でもなんであんなこと言っちゃったのか分からないけど、私ね、「お父さんのふりしないで」って言っちゃったの。お父さん、凄く悲しい顔してた。当たり前だよね、私お父さんが一番言われたくないこと言った。一番怖がってることやっちゃった。お父さんの顔を見て、あぁ、私がこうさせたんだって思って、気が付いたら家を飛び出してここに来てた。

あのね、今はこうして「お父さん」って呼んでるけど、面と向かってそうやって言えたことないんだ。まだお父さんとどう接していいか分からないっていうのもあるよ。でもそれだけじゃなくて、本当のお父さんが消えちゃいそうな気がして、どうしても言えないんだ。きっとお父さんはずっと不安だったと思う。それでも、私のこと本当の娘みたいに可愛がってくれる。私が家を飛び出してから、何回も電話してくれた。そんな優しい人をひどいきずつけかたしてあんな顔させた自分が凄く嫌になった。一回泣き出したら、もう止まらなくなっちゃって。急にあんな電話してごめんね。来てくれてありがとう。

 

少し涙が落ち着いた頃、彼女はそう話した。涙と一緒に溜め込んでいたものを吐き出せたのだろうか、話し終えた彼女は、すっきりした顔をしていた。

話してくれてありがとう、と彼女に言い、少し待っていてと伝える。公園の入り口の自動販売機で彼女の好きな温かいココアを買い、ついでに近くの水道でハンカチを濡らし、丘へ戻る。海を眺める彼女の背中は、もう震えてはいなかった。

「はい、どうぞ」

ココアとハンカチを一緒に手渡す。彼女はふわりと笑って言った。

「ありがとう。私、疲れてたのかな」

「たぶんね。目、冷やし終わったら一緒に帰ろっか」

彼女が頷き、缶のプルタブを開ける。ココアを飲む彼女を横目に見ながら、僕は口を開いた。

「君はさ、不器用で強がりなだけで、自分が思ってるような嫌な奴でも酷い奴でもないよ。お父さんのことで悩んでるのは、お父さんと仲良くなりたいと思ってるからだよね。それで努力して、今回は上手くいかなかったけど、でも『お父さんを傷付けた』って自分を責めることができる」

彼女はココアを飲みながら、小さく頷いた。

「僕らの年頃なんてさ、反抗期と思春期真っ盛りだから、何かしら親に八つ当たりする子の方が多いんだよ。お父さんのために悩んで涙を流せる君を、僕は立派だと思う」

彼女は首を横に振り、ココアに口をつける。その横顔は、少しだけ夕焼け色に染まっているような気がした。

 

彼女の家の前には、彼女の両親が並んで立っていた。彼女の姿を見るなり、お母さんは彼女に駆け寄って抱きしめ、お父さんは僕に「ありがとう」と頭を下げてきた。

初めてよく見たお父さんの瞳には、優しく誠実な光が宿っていた。同じ光を宿した彼女とは、きっともうすぐ打ち解けられるだろう。

その僕の予感は、すぐに的中した。

「心配かけてごめんなさい……えっと……お父さん」

最後の方は消え入りそうな小さい声だったけれど、しっかりとお父さんの目を見て、彼女はそう言った。お父さんは一瞬目を見開き、くしゃっと笑った。その瞳は幸せそうに潤んでいて、気が付いた彼女は照れ臭そうに笑った。太陽のような笑顔だった。

「あなたのおかげね。本当にありがとう」

そう言った彼女のお母さんに笑って頷き、僕は家路についた。

いつの間にか顔を出していた月が、夜の住宅街を優しい光で照らしていた。

 

 

彼女の家出事件から二週間が過ぎたある日、珍しく彼女から「放課後、丘へ行こう」と誘いがかかった。珍しいと思うと同時に、胸がざわついた。彼女に何かあったのだろうか。彼女は笑っていたけれど、その笑顔はどちらの笑顔だっただろう。眩しかったかもしれない、寂しそうだったかもしれない。一度そう思うと、嫌なイメージだけが頭をぐるぐると回り、あの儚い笑顔が僕の頭から離れなくなった。前の方の席につく彼女の表情は、こちらから窺うことはできない。前を向いて座る彼女の背中が、いつもより小さく見えたような気がした。

 

 最後の授業の終わりを告げるチャイムが鳴る。いつも長いと思う授業が、今日は一段と長く感じられた。教科書とノートを乱雑にスクールバッグに詰め込み、彼女の支度が整うのを待つ。帰り支度をしながら隣の席の女子と笑顔で話す彼女に、少しだけ安心した。支度を終えたらしい彼女は、友人に手を振り、ぱたぱたとこちらへ走ってきた。

「ごめん、お待たせ!」

にっこり笑う彼女が眩しい。どうやら、僕の考えすぎだったようだ。心の中でほっと安堵の息を吐く。

「ううん。行こっか」

彼女が笑顔で頷く。それにつられて、僕も笑顔になる。

 公園への道の途中、笑顔で話す彼女を見てふと思った。最近、彼女の笑顔はいつも眩しい気がする。彼女がつらい思いをしていないのなら、それは嬉しい。ただ、もう頼ってもらえない気がして、少しだけ寂しく思った。突然黙り込んだ僕を不思議に思ったのか、彼女が怪訝そうな顔で覗き込んできた。

「……どうかした?具合悪い?」

「そんなことないよ。ごめん」

「ううん。大丈夫?」

うん、と頷いた僕は、上手く笑えていただろうか。彼女の顔には、少し心配そうな表情が浮かんでいた。

 彼女の話を聞くために丘に行くのに、僕が心配させてどうするんだ。しっかりしろ、僕。

そんなことをぼんやり考えているうちに、だいぶ歩いていたらしい。気付けば、丘のある公園の入り口まで来ていた。彼女は少し心配そうな顔をしているものの、その目元は穏やかだった。ふう、と息を吐いて空を仰ぐ。赤みを帯びてきた青空が、僕達を包み込んでいた。空がオレンジ色になるまで、あと2、3分だろう。少しだけペースを上げて、丘へと急ぐ。

「ねえ」

突然、彼女が立ち止まって口を開いた。

「なに?」

彼女を振り向くと、何か言いたそうに見えた。たぶん、それは間違ってはいないと思う。言葉にするのを躊躇っているのか、言葉が見つからないのか、彼女は困ったような顔で俯いてしまった。学校や先程までの様子から察するに、伝えたいことは悪いことではないはずだ。しかし、悪くないことで、彼女がここまで言いづらそうにすることとは何なのだろう?考えてみたものの、僕には何も思い浮かばなくて、彼女につられて下を向いた。どうしよう、何か言わないと。言葉を探していると、さっきより長くなった影が目に留まった。

「……とりあえず、丘まで行かない?夕焼け、見れなくなっちゃうよ」

「……うん」

俯いたままで、彼女は頷いた。声のトーンがいつもより低い。機嫌を損ねてしまったのかと、そっと彼女の様子を窺った。目元は前髪に隠されて見えないが、口元だけはなんとか見ることができた。僕に見えたのは、僅かに尖った小さな口と、少しだけ膨らんだ頬。

これはもしかして、拗ねているのではないだろうか。気付いた僕は、思わず頬が緩むのを感じた。

「あ、何笑ってんの!?」

彼女もこちらの様子を窺っていたらしい。目が合うと、大きな目が僕を下から睨んだ。そんな赤い顔で睨まれても怖くはないのだけれど、それを言うと今度こそ本気で拗ねそうなので黙っておく。

「ごめん、何でもないよ」

「口緩んでるんだけど!」

噛みついてくる彼女に、胸が温かくなるのを感じた。やっぱり彼女は太陽みたいだと、改めて思う。一緒にいるだけで、こんなにもぽかぽかするのだから。

 

 オレンジ色の夕焼け空と海と僕達。相変わらず僕達の間には30センチメートルの距離が空いている。いつもと同じ、二人だけの世界。ただひとつ違うのは、彼女が何もサインを出さないこと。彼女は、優しく微笑んで海を見ている。彼女が何も言わないので、僕も何も言わない。

 不意に風が吹いて、彼女のサラサラした髪が煽られた。同時に、潮風の中にふわりと心地よくシャンプーの香りがして、僕は彼女を見た。オレンジ色に染まる彼女の横顔は、とても綺麗だった。しばらくして、その口が開かれた。

「最近ね、毎日楽しいの。お父さんと仲良くなってきたし、クラスでも仲良い子増えたし」

「最近よく笑うもんね。良かった」

「……ありがとう。あの日、ここに連れてきてくれて。家でも学校でも弱音吐けなくて、ここだけが我慢しなくていい場所で……。なんか、いっぱい心配かけちゃってごめん。何も言わないで隣に居てくれて、いっぱい甘えさせてくれて、本当にありがとう」

「ううん。大したことできなくて、ごめん」

 それは、僕が心から思っていることだった。結局、僕は彼女に何もしてあげられていない。黙って側にいるだけなら、僕じゃなくても誰にでもできた。本当は何かしてあげたかった。幼馴染の僕にしかできないような、彼女を安心させてあげられる、支えてあげられる、そんな何かを。彼女が僕しか頼れないのならば尚更だ。そう思いながら何もしてあげられずに、今日まできてしまった。口下手で不器用なのは僕の方だ。申し訳ないやら情けないやらで、僕は小さく溜息を吐いた。

 でも、僕の言葉に、彼女は首を横に振った。

「私が頑張れたのは、側にいて支えてくれたのがあなただったからだよ。他の誰かじゃなくて。だから、ありがとう」

そう言った彼女は、初めて夕焼けを見に行ったあの時と同じ、優しいオレンジ色の笑顔を僕に向けていた。

 ……あぁ、まただ。また僕は、その笑顔に頷くのが精一杯で。

 彼女はそんなことには気付く様子もなく、僕が頷くのを見ていた。そして、穏やかに笑ったまま、再び口を開いた。

「たぶんね、もう平気。……平気、なんだけど」

そこまで言って、彼女は僕の目を見た。真剣で、だけどどこか少し不安そうな顔で、彼女は続けた。

「……またここで、一緒に夕焼け見てほしいな」

胸が、締め付けられたような気がした。じわっと胸の真ん中が熱くなる。目を伏せて恥ずかしそうにはにかむ彼女を、愛おしい、と思った。それと同時に気が付いた。初めて夕焼けを見に行った日、詰まった息。彼女の寂しそうな顔や、涙を見る度締め付けられた胸。彼女の見せる笑顔に温かくなる心臓。彼女のこととなると不安になりがちな心。支えたいと思う理由。やっと全部が繋がった。

僕は、彼女が好きなんだ。

自覚すると一気に身体が熱くなった。今、僕の顔は夕焼けとは違う赤に染まっているのだろう。顔を上げると、彼女の頬も微かに違う赤で染まっていた。

 きっと、僕らを染めているのはお揃いの赤だ。僕は小さく笑って、そっと彼女の右手を握った。ぴくっと動いた彼女の手が、優しく握り返してくる。それと同時に小さくぽつりと聞こえた、「遅い」という言葉。何が、と聞こうとして、ふと僕は思った。彼女が、もし、公園の入口でのことを言っているのだとしたら。あの時拗ねていたのが、そういうことなのだとしたら。なんて可愛いサインだろう。

 頬が緩むのが、自分でも分かる。彼女の呟きに小さく謝り、彼女と繋がる左手にちょっとだけ力を込めて、僕は彼女に微笑んだ。

「もちろん。また一緒に見よう」

 

 夕日が、丘の上の少年と少女の影を長く伸ばす。二人の距離、約25センチメートル。静かな波音があたりを包み込む優しいオレンジ色の世界の中で、少年は思った。

 ゆっくりでいい。……今はまだ、この距離で。

 


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