あなたに、わらってほしくって   作:カリフォルニア饅頭

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【注意】web版のネタバレや独自解釈、独自設定などを含みます。苦手な方はご注意ください。また、ストーリー展開上、レム好きの方には少ししんどい部分があります。ご注意ください。リゼロ本編が大丈夫ならば大丈夫な程度の残酷な表現があります。

カサネル√のスバルくんに心の底から笑って欲しかったから書きました。前編中編後編の前編です。3夜連続投稿します。


前編

 

 全て、失ってしまった。誰よりも大切なエミリアの心も、何よりも助けたいレムの魂も、傷つけてしまったガーフィールの誇りも、損なってしまったラインハルトの願いも、示すことができなかったベアトリスの明日も、ロズワールの忠誠のみに生きるラムの想いも、誰も、何も……

「おねがい……すばる」

 自分にすがる、迷って惑って弱弱しい声。だが、もはやその声に何かを返す気力もない。

「おしえて。……これから私、何をしたら良い?」

 これから。そんなものに意味があるのだろうか。エミリアを王に出来ず、レムをも救えない自分に。誰をも救えない、愚かな自分に。

 目覚めは、いつもどおり悪かった。いつの間にかソファでの就寝にも慣れている自分に苦笑しながら立ち上がる。さて、今日の日付を確認がてら魔女と最後の打ち合わせを――なにせ今日は王戦の結果発表の日である――といつものように首もとの黒いペンダントに手を伸ばそうとして。

 ペンダントがないことに気がついた。

 あわてて机の下やソファの隙間を探したけれど、ペンダントの行方は杳として知れない。盗難かもしれないが、他の手回り品などが一切盗まれていないことや、自分が肌身離さず持っていたことも考えれば、その可能性も低い。

「一体どうなっているんだ?」

 突然訪れた、契約の証の消失。それに嫌な予感を感じつつも、魔女にも何か考えがあるのだろうと一旦納得する。それに、今日は王選の結果発表がある日だ、発表までもうあまり時間もない。一旦ペンダントの捜索をあきらめてエミリアが眠っている部屋に向かう。

 

 嫌な予感は現実になった。

「龍歴石が示す次期ルグニカ国王は、プリシラ・バーリエル様。あなたです」

「当然じゃな。この世の全ては、妾に都合の良いようになっておる」

 王国の重要人物と、王選関係者が一堂に会した舞台。賢人会によって発表された事実は、自分の理解を超えたものだった。龍は、エミリアではなくプリシラを王に選んだ。……なら、レムはどうなるというのか。これまでのエミリアの努力は一体何になるのか。

 そんなことは許されない。セーブポイントが更新される前に一刻も早く死に戻らなければ。しかし、エルザは所用で今王都を離れている。……どうする、どうすれば死ねる。そこまで考えて、もう一人自分を殺してくれそうな人物を閃く。ロズワールなら、あるいは。一度気付けば、無我夢中だった。

「――俺を殺せ、ロズワール!」

 思ったよりも大きな声が出たが、そんなことには構っていられない。ロズワールの方を見て、早く、と目で訴える。自分を殺せという宣言に、さしものロズワールも驚いたようではあったが、一瞬で意図を把握したようだ。流石、頭の回転が速い。

「なるほど、それがあなた様の能力なのですね。では、失礼を」

 その声が聞こえるか否かのところで、自分の体が燃えていることに気付く。炎は、一瞬のうちに体の殆どを焼き尽くしてゆく。――熱い。さまざまな死に方をしてきたが、焼死は苦しさで言えば相当苦しいほうだ。

(あの野郎、苦しい殺し方をしやがって)

最後にスバルの頭をよぎったのは、そんな考えだった。

 だが、運命は何時だってスバルに残酷だった。

「龍歴石が示す次期ルグニカ国王は、プリシラ・バーリエル様。あなたです」

「当然じゃな。この世の全ては、妾に都合の良いようになっておる」

 つい今しがた見聞きした光景。それを変えるために、過去に飛んだはずなのに。幾度となく自分を救い、また幾度となく自分を苦しめたセーブポイントの強制更新が、たった今行われたのだ。

 膝から崩れ落ちた。

 目を覚ますと、そこは見知らぬ天井  ではないようだったが、どこなのかはわからない。

「あ、スバル。目が覚めた? 急に倒れて、すごーく心配したんだから!」

 周りを怪訝げに確認していたスバルを見て、ここは王城の休憩所よ、昔、決闘の後に運び込まれたところ、覚えてない? と問うエミリア。それで合点がいった。確かに一度訪れたことがある場所だが、だからといって体感時間ではどれ程昔なのかもわからなくなるほど過去のことだ。はっきりとどこなのかなど忘れていて当然だろう。

「みんな心配してたわ、後で、お礼参りしないといけないわね」

「お礼参りて、それだと別の意味になると思うんだけどエミリアたん」

「そ、そうなの?」

 美しいエミリアの顔に、さっと赤みがかかる。

「それはともかく、ずっと見ていてくれたんだよな? ありがとう」

 既に日は傾いていて、オレンジ色の光が部屋に差し込んでいる。王選の結果発表は昼前だったから、かなりの時間が過ぎている。

「スバルのためだもん、そんなこと、当たり前よ」

「それでも、ありがとうエミリアたん。その、それで――王選は?」

 とたんに、エミリアの美しい顔が歪む。

「ごめんなさい、私がスバルの言いつけをきちんと守れなかったから」

「結局、次の王はプリシラに決まったんだよな?」

「……そうなの。ごめんなさい、スバル」

「いや、いいんだエミリア。これは俺のせいでもある」

「そんなこと言わないで、スバル。そんなことより、その……私、これからどうしたら良いかな?」

 自分に全てを委ねたエミリア。その結末がこれだ。己の未来を選ぶことも出来なくなってしまった。だからといって、彼女を見捨てるわけにもいかない。いつもの笑みを浮かべて、これからの話を語る。

 結局のところ、エミリアを王にすることはかなわなかった。だが、せめてレムを。彼女の魂を解放することはできる。――龍の血を以てすれば。

「……龍の血を手に入れよう。プリシラからどうやったら手に入れられるのかは分からないけれど、考えてみるよ」

「わかりました、スバル。それじゃあ、また私のすることを教えてね」

 今日はゆっくり休みましょう、とスバルを気遣うエミリアをよそに、スバルの思考は進み続ける。

 あの気まぐれな女に、そんな交渉が可能なのだろうか。 それに、エキドナはなぜ消えたのか。嫌な予感が胸から離れてくれない。それでも、レムのために。彼女を助けるために。

「ナツキ・スバルさま。少し、お耳に入れたいことが」

 今後について話し合うために、一度ロズワールの新邸に戻ったスバルたちに声をかけたのは、何処か動揺した様子のフレデリカだった。

「出迎えお疲れ様。どうした、フレデリカ?」

「……その、弟が、ガーフィールがこんなものを残して何処かへ行ってしまったのです」

 渡されたのは、小さなメモ。いやに汚い文字でただ『姉貴、すまねえ』とだけ書かれていた。こんな汚い文字を書けるのは、ガーフィールだけだ。間違いなく本人が書いたのだろう。

 ――解ってはいた。ガーフィールがエミリア陣営に残っていたのは、ひとえに姉のフレデリカと、想いを寄せるラムから説得を受けたからだ。エミリアを王にするために助力しろと。その大目的が無くなった以上、彼が出奔しても何らおかしくはない。おかしくはないが。

 それでも、ガーフィールの心を救うことができなかった自分の無力さを、突きつけられるような気分だった。結果、何処か突き放した物言いになってしまう。

「……そうか。報告ありがとう、フレデリカ。下がっていいぞ」

 その言葉に、一瞬だけフレデリカは何かを言おうとして、その言葉を呑み込んだようだった。

「……承知いたしました。それでは失礼します、ナツキ・スバル様」

 ロズワール新邸の図書室。数えることも億劫になるほどの本にあふれた暗い部屋の隅で、小さな少女が膝を抱えてちょこんと座っている。その少女はもともととても小さかった、しかし、今の彼女はかつてにもまして、一回り小さくなったように思える。

「――よお、ベア子! 元気してたか!」

「――――」

「ほれ、これが王都土産、カララギ名物まんじゅうだ。この餡子が甘くてむちゃくちゃ美味しいんだぜ! お前、甘いもの好きだったろ? ここに置いておくから、好きなときにいくらでも食べろよ!」

「――――」

 ベアトリスが、スバルに対して反応すらもしなくなってから、もう久しい時間がたった。彼女は、この暗い部屋の中を、身じろぎすらせずにただ座り込む。その様子を見るたびに、スバルの心は苦しみで満たされる。

 かつての彼女は意地っ張りでスバルをぞんざいに扱ったけれど、確かな自らの誇りというのを持っていて、そしてなによりも、とても優しい少女だった。  それを救えなかったのは、スバルだ。

「それじゃあな、ベア子! また来るぜ!」

「――――」

 その姿を見るのが苦しくて、足早に退散する。誰も救えない、無能な自分を呪いながら。後に残るのは、部屋の隅にちょこんと座り込むだけの少女と、積み上げられたまま埃をかぶった土産の山。

 王都へ向かう竜車が、ロズワール邸の門の前に横付けされている。――近衛騎士団に復帰命令の出たラインハルトが、王都へ旅立つための。当然といえば当然の話である。ラインハルトは、他国に出入りすることが禁止されるほどの出鱈目な力の持ち主であり、様々な脅威に満ちたこの世界において、その存在を遊ばせておくほど王国内に余裕があるわけでもない。ラインハルトも、王国全体のために、などと言われれば断れまい。彼は、正しくしか在れないのだから。

 ゆえに、王選の終わった段階でラインハルトとの別離は決定的だった。後は、それが何時なのか、それだけが問題だった。それがこんなに早いとは思っていなかったが。

「やあ、スバル。見送りに来てくれたのかい?」

「――ああ。なんたって、俺はお前の親友だからな!」

 エミリアを不安にさせないように身に着けた笑顔の技術は、こんなところでも役に立つ。

「ありがとう、スバル。王都に来た時は、いつでも声をかけてくれ。僕にできることなら、力になるから」

「いえいえ、どーいたしまして。お前にそういってもらえると、百人力だ」

 その言葉に笑みを見せるラインハルト。それじゃあスバル、息災で――そう言って、彼は竜者に乗り込む。そこで、手を振って見送るスバルの耳に、消え入りそうな呟きが聞こえる。

「……願わくば、エミリア様を主と仰ぎ、今度こそずっとお仕えしたかった」

 殴られたような衝撃を感じた。突きつけられた、自分の罪。かつて、フェルトと言葉を交わすラインハルトは、今から思えば何処か楽しげだったようにも思える。それを、自分の都合で壊したのはスバルだ。一度は、王を目指すことを選んだ少女の決意を、それを全霊を以て支えようとした騎士の想いを踏みにじったのは――スバルだ。

 確かに、その決断を覆したのはフェルト自身だ。だが、そんなのは詭弁に過ぎない。そのように唆して、意見を変えるまで繰り返したのは自分なのだ。本当にそれは正しかったのか。今となってはもう何も解らない。他の方法があったのではないか、誰も傷つけず、皆を救う方法が。

 そのまま、何事もなく竜者は出発して、あっという間に見えなくなった。

 ガーフィールも、ラインハルトも居なくなった。ベアトリスも戻ってこない。守りたかったものが、みんな手のひらから零れ落ちていく。だからといって、止まることなどできない。――すべては、ただレムのために。龍の血で彼女の魂を解き放つために。そのためなら、どんな手段だって使ってみせる。

 人一人が通れそうなほど大きな窓から、さんさんと日の光が差し込んでいる。まるで、自分とレムの再会を祝福しているかのように。ここは、王都でのロズワール家御用達の宿。その部屋の一室に、自分とラムと――レムがいる。

「ナツキ・スバル様、私の妹のために、ありがとうございました」

「気にすんな。……これは、俺のためでもあったんだ」

 桃髪の給仕の、どこか上っ面な言葉。当然だ、彼女にはレムが妹であった記憶も実感もないのだから。だが、そんなことはどうでもよかった。――龍の血が手に入った。これでレムを救えるのだ!

 予想通り、プリシラから龍の血を得ることは困難を極めた。あるときは王選で作り上げたコネクションを総動員して働きかけ、あるときは陣営の弱みを探り、あるときは政権内部の有力者を調略しようとし、あるときは実力で奪うことを試み、あるときは王国のためになると嘯き、あるときは情に訴え、あるときは泣き落としを試みて、ついには龍の血を使わざるを得ないような災いを引き起こしまでして、そうして何度も失敗し、数えるのも億劫なほどに屍を重ねて――

 ――そうして、最後にはプリシラの気まぐれによって龍の血を使うことを許された。これまでのすべては無駄だった。全て、移り気な女王が、たまたま特別に機嫌のよいときに謁見できた。それだけのこと。

 だが、そんなことはもうどうでも良い。レムに会えるのだ! こんなに嬉しいことがあるだろうか。自分を英雄だといってくれた少女、自分を英雄にしてくれた少女。また、彼女と会える、彼女と話せる。ただそれだけのことが、無上の喜びに感じられて。

 だから、スバルの中の何処かから発せられる警告は、無視される。竜の血を使ったら、具体的にレムはどうなるのか? 意識を取り戻して、自分から語りかけてくれるのか? ラムやエミリアの、レムに関する記憶が戻ることはないにしても、レム自身の記憶は残っているのか? そんな問いかけは、省みられることもなく。

「それじゃあ、レム。失礼するぜ」

 心の中でごめんと謝りながら、レムの小さな唇を分けて、顎を動かして口を無理やりに開ける。開いた空間に、龍の血を、たった一滴でやせた大地を豊穣の地に変える秘薬を、震える手で流し込む。

 よし、上手くいった。ここまで来て失敗など、目も当てられない。

 それから、少し変化を見守る。効果は劇的だった。龍の血を与えた直後に、レムの指はぴくりと動いて、そしてそれから、ゆっくりゆっくりと椅子から立ち上がる。

「レム、レム、レム、レむ、れむ、……れむぅ」

 彼女が動いた。やはり、龍の血で彼女は蘇ったのだ。話したいことが沢山あって、語りたいことが山のようにあって、聞きたいことが色々あって、でも、それはきっととてつもなく幸せな時間で。それを再び手に入れるためだけに、自分はここまで来たのだ。

 やがて、ゆっくりと、彼女の瞳が開いてゆく。そうだ、彼女の瞳は、とても綺麗な青色をしていた。それが開ききって、いよいよその口が何かの言葉を紡ぐのかと、スバルは期待に胸を膨らませて。

「――――バルス!」

 突然、押し出される自分の体。部屋の窓へ向って、強烈な力で吹っ飛ばされる。そのまま、見事に窓にダイブ。幸運にも鍵の開いていた外開きの窓は、スバルの体によって無理やりに開かれ、そのままスバルは無様に窓の外に落下していく。

 一体、何が起こったのか。せめてそれだけでも確かめようと、精一杯首をひねる。飛び込んできた光景は――鉄球によって蹂躙されるラムの姿だった。

「――――」

 息を呑む。一体何が起こって……と考えるうちに、体全体に強い衝撃を感じて、そのまま意識は闇に落ちていった。

 ふと、目が覚めた。何故だか、嫌に騒がしい周り。一体、自分は何をしていたのか、起動した頭が回転し始める。

 レムに、龍の血を与えて。それで、彼女は立ち上がって。でも、ラムに突き落とされて。そして、最後に見たのは、ラムが傷つけられる姿。

「どうなってるんだ……?」

 何が起こったのか、全くわからない。なぜ、ラムは自分を突き落としたのか、誰がラムを傷つけたのか。

 ――それにしても、周りがすごくうるさい。怒号が飛び交い、悲鳴が交錯する。それに加えて、バチバチと、何かが燃え上がるような音も。日は既に沈み暗い空をところどころオレンジの光が照らしていて、夜だというのにとても熱い。火災が発生しているのだろうか。それらは全て、表通りの方から聞こえてくる。

「――くっそ」

 悪態をつきながら、先ほどまで自分が居た、すぐそばの宿に向かう。

「おい、誰か……」

 玄関の壊された宿に入る。途端に目に入るのは、目もくらむ破壊の跡。そこかしこに無造作に転がる、欠損した死体。ぶちまけられた朱。なじみの女将が、隣の客が、動くことなく転がっている。日が暮れて暗い中でも、はっきりとわかる濃密な死の香り。一体、何があったというのか。

 ラムは、無事なのだろうか。儚い望みだと思いつつも、自分の部屋へと急いだ。

 先ほどまで、明るい光が差し込んでいた部屋で、ラムは死んでいた。開いたままの窓から、止むことなく生暖かい風が舞い込む。

 ――ラムは、死んでいた。片腕は失われ、胴体は歪み、体の何箇所からも血を流して。

「ごめん、ごめんな、ラム……」

 また、救えなかった。死なせてしまった。失った。

 だが、それだけを嘆いているわけにはいかない。部屋に入って感じる、もう一つの異常。……レムが、いない。自分の前で、立ち上がって動いたはずなのに。部屋の何処にもいない。あるいは、襲撃者から逃げたのかもしれない。だとしたら、探さなければ。

 まずは、情報収集だ。大通りに向おう。何が起こっているのかを、確かめるために。

 表通りは、悲惨な有様だった。燃え盛る建物、逃げ惑う人々。どこからも怒号と罵声と慟哭が聞こえてくる。そして、それを誘導する、白と黒の騎士服――近衛騎士団の団員。駆け寄って、状況説明を求める。

「すまない! 元王選候補者エミリアの騎士、ナツキ・スバルだ。一体何が起こっている?」

「これは、ナツキさま。……それが、どうやら鬼族と思しき女が王都で暴れているのです」

「なんだと!? ……いや、取り乱してすまない。近衛騎士団が交戦中なのか?」

 鬼族の女。不穏な単語が聞こえる。もともと少なかった鬼族は十年前に隠れ里の一つが焼け落ちて、ほぼ滅びたという話だった。だとしたら、まさか、そんなこと。スバルの不安をよそに、騎士は続ける。

「……そうです。ですが、状況は芳しくありません」

 声を潜めて、問いに答える騎士。当然だ、交戦中の近衛騎士団がよくない戦況と知れば、民衆の混乱はさらに拡大するだろう。

「……主だった騎士団のメンバーは、団長を含め概ね戦闘不能になりました。今は、ユリウス様が持久戦を仕掛けているはずです。くそっ、ラインハルト様がいらっしゃってくれれば」

「……相手は、そんなに強いのか?」

「確かに強いですが、抑えるだけであればユリウス様など名の有る騎士であればなんとか。……問題は、再生能力です。奴は、腕を切りおとしても次の瞬間にはまた腕が生えていて、火で焼いても、やけどなどたちどころに治してしまうのです。それを知らなかった団長が不意打ちで倒されて、近衛騎士団はズタズタに……」

「……そうか、解った。説明ありがとう。交戦しているのは、向こうの区画なのか?」

「そうです、向われるのですか?」

「そうだ。放って置けねえからな」 

「……ご武運を」

 一応、自分は白鯨や大兎を倒した功労者だと思われている。実際には、ただの無力で無能な男なのに。それが何処か可笑しかったが、そんな考えを振り切って、交戦地区に向かう。

 胸によぎる不安を、否定するために。でも、本当は、わかっていたのかもしれない。何が起こったかなんて。

 そこでは、激しい攻防が行われていた。一方の主役は、白と黒の服を着た騎士。紫の髪に、戦闘中だというのに優美な動きを崩さない男、ユリウス・ユークリウス。危なげなく、敵の体術を、飛んでくる氷をいなしてかわして、お返しとばかりに反撃を放つ。そしてもう一方の主役は。

 片時だって忘れはしなかった、青色の髪と愛らしい容姿の少女。彼女が動くことをどれほど望んだのか、彼女と言葉を交わすことをどれほど欲したのか。――だが、その姿は記憶とはあまりにも違っていた。

 すすでくすんだ髪の毛の青。ところどころ破れて、燃えた跡の残るぼろぼろのメイド服。固まった返り血で汚れた、かわいらしい顔。そして、彼女の額に屹立する、鬼の角。だが、そんなものよりも何よりも。

「――あはははははははハハハハハハハハハハハハハハハハハははははははははははははははははははハはハはハはハはハはハはハはハはハはハはハはハはハはハはハはハハハハハハハハハハハハハハハハハハはははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは」

 彼女には不釣合いの、狂ったような表情とおぞましい叫び声。まるで、壊すことに喜びを感じるかのような歪んだ在り方。そんなものは、あの少女とは決定的に異なっている。

 誰が彼女をこうしたのだ。あの優しい彼女を狂わせたのは誰だ、彼女に龍の血を使えと嘯いた奴は誰だ誰だ誰だ誰だ誰だ誰だ誰だ誰だ誰だ誰だ誰だ誰だ誰だ! 

「エキドナァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!!」

 こんな筈ではなかった。こんなことのために、自分は龍の血を求めたのではなかった。あの魔女の言葉を信じていた自分が愚かだったのだ。

 その声に、戦っていた二人もスバルに気付いたようだ。ユリウスはこちらを見て、驚愕している。だが、レムはそんなことにはお構いなしのようだ。

「おい、ユリウス!」

 声をかけて、戦いに戻るように促す。だが、動揺からかほんの一瞬、隙ができる。そして、その隙に付け込まないほど、レムであったものは慈悲深く無かった。

「  あハハはははハハはハハハハハハハハハハハハハハハハはハハハハハハハハハハはははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははハはハはハはハはハはハはハはハはハはハはハはハはハはハはハはハはハはハはハはハはハははハはハはハはハはハはハはハはハはハはハはハはハはハはハはははははははははは」

 体術によって弾き飛ばされる剣。危険を感じたユリウスが距離をとろうとして後ろに下がったところで、彼は地面から生えてきた氷柱によって貫かれた。彼は一瞬だけ、こちらを見て、そして、――力尽きた。

 聞こえるのは、レムが発したなどとは思えないおぞましい声。嫌悪しか催さないそれが、レムと同じ声帯から発せられたものだとどうして信じられようか。――そこまで考えて、愕然とした。レムの声は、どんなだった?

 『諦め―の―簡単――。でも。――――――くん――似――ない』

 『――――だって、―――くんは、レムの――――です』

 『――――レムは、―――くんを愛し―――す』

 彼女の声は、どんなだっただろうか。彼女のくれた言葉もノイズが入って、断片的にしか思い出せない。これの全部、ただの情けない少年を英雄にするほどに力のある言葉なのに。大切な呪いの言葉なのに。――思い出せない。

「ははっ。俺って……馬鹿だな」

 だから、スバルは嗤う――自分自身を。

 目的のためには、どんな手段だって使ってみせる。だけど、その目的自身がそもそも間違っていたのだとしたら?

 意識は、飛んできた氷柱によって闇に落とされた。

 事ここに到って、遅まきながらようやく確信した。エキドナは、エミリアが王になれなかったのを何処からか知って、契約と反すると詰られるのを厭って逃げたのだと。自分のついた嘘で糾弾されることを避けるために、自分から契約を切って、そして姿をくらましたのだと。魔女を信じた自分が、愚かだったのだと。

「……おねがい、すばる」

 エミリアの声が聞こえる。その整った美貌を、そんなに不安げに歪めるために、自分は数多の死を重ねて来たわけではないのに。

 レムを、助けなければならない。助けたい。なのに、どうしたらいいのかわからない。どうしたら、彼女に届くのか。そもそも、本当に助けることは出来るのだろうか。もう、何もわからない。自分は、これから何をしたらいいのだろう。 

「おしえて。……これから私、何をしたら良い?」

 ここではない何処かで、白と黒の魔女が嗤っているような気がした。

「龍の血について正確に説明しなかったことで、君はボクを呪っているかもしれない。でも、待ってほしい。ほんの少しでいいからボクの話を聞いてほしいんだ。確かに、ボクは君に一切の説明を行うことなく君と連絡が取れないようにした。でも、ボク達はそれまで気の遠くなるほどの時間を共に過ごしてきた仲じゃないか。ボクの行動にはキチンとした理由があって、なにも君を見捨てたわけではないんだ。当然だろう?ボクは君の事を好ましく思っている。それは、もちろん君の死に戻りという能力がボクの知りたいという欲求を満たしてくれるからという理由もある。だけどそれ以上に、ボクは君を一人の男性として好いているんだ。君は時々ボクの想像を絶するような突飛な発想をする。ボクがこれまで生きてきて、そういった意外性を君以上に感じた人はいないんだ。ボクは知ってのとおり強欲の魔女だ。この世の全てのことを知りたい。そういうボクにとっては、意外なことをしてくれる君は好意の対象でしか有り得ない。だから、ボクは君という存在にこれまでに出会ったどんな人間よりも強い好意を感じているんだ。そんなボクが、好意を持つ君にとって不利になることをすると思うかい?どうか信じてほしい、そして聞いてほしい。ボクは君が最善の未来を手に入れるために行動しただけなんだ。賢者の塔に賢者はいないし、暴食と会い見えることが出来ない以上、眠り姫を目覚めさせられると思うかい?だからといって、君にそれを伝えればどうなる?あの少女を救うために、君はこれほどまでに前に進もうとするのだろう?もし彼女を救うことが出来ないとなれば、本当の意味で君は心が折れてしまうかもしれない。だからボクは、君が前へ進み続けるためにあえて事実の一部を言わなかっただけなんだ。もちろん、龍の血を使用した結果について、君とボクとに悲しい認識の齟齬があったことは事実だ。その齟齬について、ボクが認識していたことも間違いではない。でも、そのことは最初から折を見て話すつもりだったし、もし君からそのことを問われたら、君に正確な情報を伝えるつもりだったんだ。たしかに、君と死に戻りを重ねるうちにその折を見失ってしまっていたというのは否定できない事実だけど、それはますます厳しさを増す君の戦いに余計な水を指したくなかっただけなんだよ。もしも途中でそれが明らかになったら、君は戦いをやめてしまうかもしれない。それは、君が救った命とこれから救うであろう命に対する冒涜でしかないし、ボクの意思に反してボクの知識欲を満たすということを止めてしまうということだ。だから、ボクはあえて君にそのことを伝えなかったんだ。ボクは君のことをこんなにも考えているということを、どうかわかってほしい。当然じゃないか、ボクだって、恋する年頃の乙女なんだ。自分が好意を抱いている人に対しては好意的に接するし、その人の力になりたい。あまつさえ、その恋愛を成就させたいと思っていさえするんだ。そうでなければ、強欲の魔女たるボクが、自ら契約を持ち出したことに説明がつくかな?ボクは年頃の乙女ではあるけど、それ以前に強欲の名を冠する魔女でもある。その仰々しい名前にふさわしいだけの知識、経験、能力、そしてミーティアを持っているつもりだ。その魔女が、自分から君に一対一での契約を持ちかけたんだ。これがどれだけ有難いことなのか、君にわかるかい?400年前に遡れば、数多くの人々がボクの知識を求めて訪ねてくる、ボクはそういう存在だったんだ。君の場合のように、ボクが直接契約を結ぼうと持ちかけることが、どれだけ珍しいことなのか、その決断をするためにどれだけの葛藤があったのか、君には到底考え及ぶまい。ボクは、それでも君の力になりたいという健気な乙女心から、君に契約を申し込むことを選んだんだ。君には、自分が魔女に選ばれたということの幸運を、どうか解ってほしい。しかも、その契約内容は、『ボクが君を最善の未来へと連れて行く手助けをする』というものだ。全面的に君の有利になる契約じゃないか。ボク自身の利益については、契約の内容に明記されていない。つまりボクは、この契約によって得をするかどうか確定しているわけでもないというのに君とこの契約を結んだんだ。通例、契約というものはお互いの利益がきちんと示された後にそれをきちんと明文化して結ばれるものだ。それにもかかわらず、しかも強欲たるボクが、君への恋心を優先して自分の利益がもらえるかどうかわからない契約を結んだ。さらに言っておけば、君が救おうとする人の中には、あのおぞましい精神構造の汚らわしき半魔と鬼族の少女という、君が想いを寄せる相手も入っている。ボクの恋愛の成就だけを考えれば、彼女らを助けることはボクにとって不利になることじゃないか。そういう風に言えば、この取引はボクにとって得が確定しているわけではない上に、さらに損が確定しているというものだ。これほどまでに損な取引を、ボクは未だかつて結んだことはないし、これ以降も結ぶことは無いだろう。ボクはボク自身の叶う可能性のとても低い恋心のために、こんなにボクにとって不利な契約を結ぶ決意をしたんだ。この約束を結べたことがどれだけ恵まれたことなのか、君に想像がつくかな?いかに君が恵まれた立場なのか、どうかわかってほしい。それに、君は龍の血についてボクの説明不足をなじるだけで、そもそも龍の血で魂を開放された少女の行く末について、君は一度でも突っ込んでボクに聞いたことがあったかな?龍の血なんて得体の知れないものを使うんだ、もう少し詳細について聞いてみるくらいの慎重さがあってしかるべきじゃないだろうか。それは、それだけボクのことを信頼していてくれたという意味では素直に嬉しいけれど、裏返せば君自身が軽率だったともいえるじゃないか。龍の血というものは、一滴でやせた土地に恵みをもたらすほどに強力だというのは、君だって知っているだろう。なら、こういったことになりかねないということも、想像がつきそうじゃないか。だから、このことについて事実の一部しか言わなかったボクだけを責めて、君自身の軽率さを省みないのは、筋違いという他ないじゃないか。また、突然契約を破棄したように見えることも君はいぶかしんで恨んでいるかもしれない。だが、これも全て君のためのことなんだ。ボクがペンダントを消した時点で既に龍歴石は彼女を、プリシラを王に据えるようにというメッセージを刻んでいたんだ。その時点で、ボクにはもうその事実を動かすことが出来なかった。さりとて、君にそんな残酷な事実を伝えればどうなる?君のこれまでの努力は、少なくともあの青髪の少女――レムと、あの男に媚びるしか能の無い忌々しく唾棄すべき売女――エミリアを王にするために君が払った犠牲は、全て意味の無いものになってしまう。そんな恐ろしいことを君に告げて、ボクの目の前で君に傷つかれることに、ボクが耐えられると思うかい?ボクだって、恋に生きる純情な乙女なんだ。それはもちろん、他の年頃の乙女よりも幾分知識があって頭も回るとは自負しているけれど、それでも精神構造がそこまで違っていると思うかい?年頃の乙女が、思い人にとって残酷な真実をためらい無く突きつけることが出来るわけなんて無いじゃないか。それは、ボクにとっても同じだと思わないかい?実を言えば、ボクもそれを知ったとき無力感を感じたんだ。そして、考えたわけだ、どうすることが一番君のためになるのか。この強欲たるボクが、これほど悩んだことも本当に久々だった。君は強欲の魔女を悩ませた存在として誇ってもいいくらいに。それはともかく、その時点から既に龍の決断を変えさせることはできないのだから、今のボクにできるのはそうではない手段での君への寄与だった。そう考えたときにボクに浮かんできた考えは、自分でもなかなかに健気なものだった。それが、君の元を離れることで、君の心を守ろうというものだったんだ。もし、君があの薄汚い売女を王に出来なかったと聞いたら、君の心は壊れてしまいかねない。そこで、君の心を完全に壊さないためには、何か別の目標のようなものが必要だった。だから、せめて君の元を離れることで、君がボクを憎む対象として見てくれれば、君にとってはわかりやすい憎むべき敵ができるから、君の精神はいくらか安定につながる。ボクは君の精神のささやかな安定のためにこんなにも想っている君の元を離れる決意を固めたんだ。君はそれでも不満かもしれないけれど、こんなにも好ましく思っている男性を想うがために、その男性自身の元を離れる覚悟を決めたボク自身が、いかに身の切られるような思いでこの選択をしたかということを、少しは慮ってくれると嬉しいな。こんなにも想っている相手の元を、しかも憎まれるために離れるというのは、年頃の乙女としてはなかなか酷な決断だとは思わないかい?ボクは、そんなに厳しい決断を下してまで、君の心を守ろうとしたんだぜ?それに何か感謝の念があってこそ然りで、恨みの念なんてものは筋違いだとすら思うんだよ。そもそも、ボクと君が交わした契約というのは、『ボクが君を最善の未来へと連れて行く手助けをする』というものだ。最善の未来とは、何時の時点でのどのようなものであるかについてボクたちの間に同意があったわけではないし、それゆえその理解の相違について、ボクが責められる謂れはない。さらに言えば、今回のことはそのような曖昧でいかようにも取れる契約を交わしてしまった、君自身の落ち度でもある。だから、君がボクを恨むのは本来的には筋違いなんだ。さらに付け足しておくと、君はボクが契約を破棄して逃げたと思っているかもしれないけれど、それはとんでもない間違いだ。ボクがそんなひどいことをするわけが無いじゃないか。君がボクと幾星霜の時を共に過ごしたのか、もう忘れてしまったのかい?その間中ずっと、ボクは君の最善の未来のために力を貸し続けた。それが並大抵の恋心に成せることだと本当に思っているのかい?それをなせるだけの想いをボクは君に抱いているのであって、そんなボクが一方的に君の元を離れるなんてありえないじゃないか。正しくは、君がボクの茶会にアクセスするための権利を一時的に停止させているだけなんだ。ペンダントの消失はそのことを示しているだけであって、それ以上でもそれ以下でもない。すなわち、ボクと君の契約はいまだ結ばれていて、一時的に君のほうからボクに接触できない状況になっているだけなんだ。それでも君は、君の持つ権利が不当に侵害されたのだとボクを詰るのかもしれない。だけど待ってほしい。もし君が、死に戻りだけではどうしようもないような困難に突き当たったら、君はどうするつもりなんだい?ボクは、これだけ君から嫌われても、まだ君のために在りたいと思っているんだ。契約を破棄していないというのもそういうことだ。もし将来、君が死に戻りだけではどうしようもないような敵と出会ってしまったら、ボクは君の前に姿を現して、君をボクの知識や力で助けるつもりなんだ。だから、ボクは君との契約を破棄していないし、君の動向を逐一見続けて、君に危険が迫りやしないかと冷や冷やしているんだ。強欲たるボクにこんなにも想われているのは、幸せなことだと想わないかな? もっとも、君がボクに接触できないようにしたことに関しては、ボク自身の事情もあることも一概には否定できない。だってそうだろう?ボクだって、恋する乙女なんだ。想いを寄せる君から憎悪を向けられたら、なんて考えると、恐くて恐くて仕方が無い。だってそうだろう?誰だって傷つきたくはない。だから、自ら進んで傷つくことを厭わずに、他者を救おうとする君のような人を英雄と呼ぶんじゃないか。その英雄様に、ボクの一生のお願いだ。どうか説明無く君の権利を侵害したボクを許してほしい。これは全部君のためにとボクが考えてしたことだから。もっとも、これだけ君の事を考えての決断だといっても、君はボクを責めるかもしれないね。でも、ボクはどれほど筋違いなことで君に責められても、それで君を恨んだりしない。ボクは君に絶大な好意を抱いているから、どれだけ恨まれても君の支えであり続けたいんだ。もしそれも許されないというのなら、ただ、せめてボクが君の行く末を見続けることを許してほしい。それがボクが君に望む唯一つのことだ。強欲という大罪を冠して、全てを知りたいという欲望にかられているボクにしてみれば、この願いがどれだけささやかなものなのか、君にもわかるだろう?だから、この報われない恋心に免じて、どうか君の未来をボクに見届けさせてほしい。ボクが君に好意を抱いていることは事実だし、君の行く末に無限大の興味を感じていることも動かすことの出来ない事実なのだから、せめてもうこの叶う事のない恋慕を、君の行く末を見守ることで昇華させてほしい。それぐらいのことは、ボクと君の長い付き合いと、ボクのもう叶わない恋心に免じて許されてもいいんじゃないかと思うのだけど、君はどう思うかな?」

 暗い、昏い世界。黒しかない世界の中。ただ一人黒と白の二色を持つ女性が、語る。誰が聞いているわけでもないというのに。ただ漆黒のみが支配する世界の中で、魔女は嗤った。

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