連休最後の日は、雲一つない快晴であった。もう桜のシーズンも終わりが近く、道端には桜の花びらが散らばっていた。
本当なら季節の変わり目を目に焼き付けながら、ゆっくりと歩きたいのだが、残念ながら今の自分たちにはそんな余裕はなかった。
(…最悪だぁぁ!!)
朱里と美希は全速力で街中を走っていた。…朝っぱらから全速力で走るなんていつ以来だろう。
「あふぅ…とっても眠いの」
「寝るな、姉さん!遅刻するぞ!!」
眠い目をしながら大きいあくびをする美希を一喝する。
が、朱里もそれにつられそうになり、慌ててあくびをかみ殺す。よりによってゴールデンウィーク最終日の今日に寝坊してしまうなんて。
この連休中に行ったレッスンと自主練で知らないうちに疲労が溜まっていたらしく、今朝は自分が無意識の内に目覚ましを止めてしまったらしい。美希も同じように、連休中の長い睡眠時間の感覚が元に戻らなかったらしく、二度寝をしてしまったらしい。
そのため菜緒が2人を起こしてくれなければ危うく二度寝してしまうところだった。
…朦朧とする意識の中で、「そういえば今日は午前午後とレッスンが入っていたなぁ」ということをぼんやりと思い出した瞬間、朱里の眠気が吹っ飛んだ。
時間が切迫している状態で慌ただしく準備をし、2人そろって家を飛び出した時には、既にギリギリの時刻になっていた。
そして今にいたる。連休最終日とあってか人通りは多く、思ったように進めない。二人は人々の合間を縫って、レッスンスタジオまで走っていく。
本当なら事務所に寄ってからスタジオに行きたかったのだが、それをしてしまえば本当に間に合わなくなってしまう。…事務所にいるであろうアイツに渡したいものがあるんだけどな。
スタジオのすぐ近くにある郵便ポストの横を過ぎ、習慣で腕時計に目をやる。
(…ヤバい!!)
その途端、背中に嫌な汗が出る感覚がした。既にレッスン開始まで2分を切っている。私服からジャージに着替える時間を考えると、もう一秒の余裕もない。
レッスンスタジオの窓を見ると、見知った何人かの姿が見えた。
亜美真美はこちらに気付いたのか、2人そろって「時間がない」といわんばかりに腕時計を指差す仕草をする。春香は、「急いで」とグルグルと腕を回す。雪歩は手を組んで祈っている姿が見える。
(言われなくても急ぐよ!!)
2人は正面玄関に入り、一気に階段を駆け上がって、スタジオ内に飛び込んだ。
「…セーフ?」
朱里は息を切らしながら、スタジオ内にいるメンバーに尋ねた。
「アウトよ、2人とも。30秒オーバー」
そんな僅かな希望は冷たい一言で無残に砕け散った。
…目の前には、ジャージ姿で腕を組み、仁王立ちで立っている律子の姿があった。心なしか、彼女のこめかみには青筋が浮かんでいる気がする。
「…り、律子」
まるで死刑執行直前の絶望しきった囚人のような顔で美希は呟いた。…顔にはだしていないが朱里もそんな気分だった。
「さんをつけなさい、美希。しっかし、美希だけならともかく、朱里も揃って遅刻なんてね…」
「…ごめんなさいなの」
「ごめんなさい」
…ごめん一つで済む問題じゃないんだけどな。頭を下げながら朱里は自分の迂闊さを呪いたくなった。事故や怪我で遅れるならともかく、寝坊で遅刻なんて一番やっちゃいけないミスなのに…。
「…と、いうわけで連休最後の今日は今まで以上にビシビシしごくからね!特に!遅刻してきた2人は覚悟しておきなさいよ」
律子は鋭い視線を朱里と美希に向けた。…まるで獲物を見つけた狩人のような視線に思わず身震いがする。
ゴールデンウィーク最終日のレッスンは、こうしてスタートした。…ちなみにこの練習で美希と朱里が徹底的にしごかれたのは言うまでもない。
※
「「あかりっちのバカ!!」」
「…本当にすまん」
朱里はファミレスの椅子に座りながらしょぼくれていた。まさか一回りも年下の中学生に説教される日が来るとは。
午前のダンスレッスンが終わった後、朱里と亜美真美は近くのファミレスで昼食を取ることにした。ハードなレッスンで食欲は無いに等しかったが、午後からはボイトレが控えている為、何か腹に入れておかないと体力が持たない。
朱里は憂鬱な気分で注文したパスタを頬張った。…半分くらいしか喉を通らないかもしれないけど、とりあえず食べなければ。
ちなみに美希は春香と雪歩と一緒にコンビニで昼食を買いに行った為、ここにはいない。先にあっちに行って食べるそうだ。
「律ちゃんを怒らせるとマズイって分かっているはずじゃん!おかげで巻き添えになっちゃったし…」
「おかげで今日の律ちゃん、超機嫌悪かったし!それもこれもみーんなあかりっちとミキミキのせいだからね!」
「…本当にごめん」
律子はレッスン指導の時、指の角度やしぐさなどかなり細かいところまで指導をいれる。その軍隊並みの厳しさから、彼女を「鬼軍曹」と呼び、恐れるメンバーは決して少なくない。
朱里もレッスン初日にその片鱗を見ていたから覚悟はしていたものの、今日のレッスンはレッスン初日の内容がお遊びに見えるほどきつかった。…自分たちが遅刻してしまった影響が響いているんだろうな。
「ごめんですんだらニューヨーク・ポリス・デパートメントはいらないんだよ!!」
「…ここ、日本だろ?」
真美の理不尽なツッコミに呆れつつも、弱弱しくしか返せない。
(今回は全部自分たちが悪いからな。反論する余地がない…)
今回ばかりは10対0で完全に自分が悪い。朱里はすっかり縮こまって、2人の愚痴を聞くしかなかった。その姿は、数日前、2人に説教した時の凛々しい態度が微塵も感じられない。
「普段なら絶対にしないんだけどよ…本当にごめん」
…なんとも情けない言い訳だ。一回りも年下の中学生にこんなことを言う日がくるなんて。自分で言ってて何だが、恥ずかしくなる。
「言い訳はいいよ→!我々はあかりっちに損害賠償をよ→きゅうする!!」
「あー、どこかに真美たちにデザートを奢ってくれる優しい優しい女の子はいないかなー?」
2人は春香が困ったときに良くする仕草の一つである、こめかみにひとさし指を差し、両目を右上に向けて「のヮの」といった顔をする。
(…その眼はあれか?デザートを奢れと言っているんだな? )
…数分後、朱里は折れた。というか折れざるを得なかった。何故なら2人は「奢るまではここから動かないぞ」といった態度でいたからだ。…このままの硬直状態では埒が明かない。
「…分かったよ。デザートくらいなら一つ奢ってやる。それで機嫌を直してくれ」
「「やった→!!」」
朱里の言葉を聞いた二人は呼び鈴をならし、ウェイトレスに注文する。
(…あいつら、一番高いデザート頼みやがったな)
数分後、ウェイトレスが運んできた大きなパフェを見ながら、恨めしそうに二人を見る。自分が頼んだ品とパフェ2つ分の値段は、痛い出費だった。財布に入っている所持金の半分が吹っ飛んでしまうという現実を、苦々しく受け止める。この出費は自分への罰だ、そう考えよう。
「あーおいしい!やっぱりレッスン後に食べるパフェは最高だね!」
「うんうん!タダより高いものは無いって言うしね!!」
「「ぬっふふふ~!」」
2人の見事にシンクロした笑い声を聞きながら、朱里はもの凄く腹が立ったが、何とか堪えた。…あの笑いには、この間の説教の仕返しの意味も含まれているんだろうな。そう感じながら、パフェを美味しそうに食べている2人を眺めた。
「「…あげないよ!」」
「いらないよ」
再びシンクロした双子の声にツッコミを入れた。…まるで保護者になった気分だった。実際、それくらいの年齢差があるのだけれども。
※
今日のボーカルレッスンは、いつものように全体練習は控えめに、個別指導が重点に行われていた。
「春香ちゃん?今の部分、声が張り上がっているから気を付けて」
「…う、分かりました」
ボイストレーナーは優しくも厳しさが含まれた声で、春香を指導する。
(…優しそうだけど怖いんだよな、この人)
765プロの歌唱関係を担当するボイストレーナーは幼稚園の先生のような穏やかな雰囲気を持っていたが、その大らかな外見からは考えられないほどの厳しい指導をすることで有名だった。その厳しさは『鬼軍曹』と呼ばれている律子に匹敵するんじゃないかと思うくらいだ。
(自分も随分しごかれたもんな…)
目の前でしごかれている春香の姿を見ながら、ぼんやりとそう思った。朱里がトレーナーを苦手とするところは、優しい口調の中に厳しさが混じっていることだった。中途半端に混じっている優しい声色で厳しく指摘されると、普通に怒られるよりも心に突き刺さる。いっそ怒鳴ってくれたほうが気が楽になるのではないか、と最近思う。
「じゃあ次は朱里さん。前に来て」
お、春香の練習が終わったのか。
朱里は小走りで前まで移動する。
「それじゃあ、この前のおさらいから始めましょうか」
「はい」
(背筋を曲げずに姿勢はまっすぐ…と)
2日目の自主練で得た知識を思い出しながら、姿勢をしっかりとしたものにする。…うん、準備完了だ。
「じゃあまずは…この音を出して」
ポーンとピアノを鳴らす。この音は少し高めだから…こうだな。
「あ~」
「じゃあ、この音は?」
「あ~」
「じゃあこれは?」
「あ~」
朱里は、自分の出した声に聞き耳を立てる。…心なしか、連休前より上手く出せている気がするのは自分の気のせいだろうか?
(…やっぱり自主練で声出すコツを掴んだのが大きいな)
練習の成果がしっかりと出ていると嬉しい。特にボイトレは苦手な分野だったから、喜びもなお大きい。
(…考えれば、ひと月前は楽譜すら読めない状況から始まったんだよな)
楽器なんてリコーダーくらいしか触れたことがなかった朱里は、ちゃんとした音楽の楽譜になんて触った経験もなかった。その為、音階や簡単な記号すら読めないという素人以前の状況からのスタートだった。…あの時のトレーナーの反応がもの凄く酷かったのを忘れられない。悪目立ちという意味で、派手な挨拶をかましてしまったしな。
そのため、朱里が使っている楽譜には細かいメモやマーカーで引いた線がかなり入っている。…ここまで楽譜に書き込んで、汚くしているのは、事務所の中でも自分だけだろうな。
「…うん、基礎の部分はしっかりと出来ているわね。この前とは見違えているほど上手くなっているわよ?」
トレーナーは嬉しそうに言った。…どうやらその反応から、かなりいい線までいっているらしい。
「…まあ、コツを少し掴みましたからね。バッチリですよ」
上手くいった高揚感からか、朱里は少し調子に乗った発言をしてしまった。…その発言をトレーナーは聞き逃さなかった。
「…あら、そこまで言うのなら、難しいレベルに行っても大丈夫よね?」
…余計なこと言わなきゃよかった。朱里は数秒前の自分の発言に後悔した。
※
「…で、2人の様子はどうでしたか?」
律子は事務所での業務を終えた後、その足でボイストレーナーを訪ねた。…その理由は歌唱力での美希と朱里の実力を聞きたかったのだ。
「ええ。美希ちゃんも朱里ちゃんも伸び方が凄いですね。ひと月前まで素人なのが嘘みたいです」
朱里は素人が故に余計な先入観がない。その為、かなりのペースで技術を得ているのだ。更に本人の真面目に取り組む姿勢がそれに拍車をかけている。
美希も妹の朱里がいるおかげか、真面目な姿勢でレッスンに取り組んでいる。
「ダンスの方はどうなんですか?今日は律子さんが指導していたんですよね」
「…私のメニューについてこられるだけで驚きですよ。最後の方なんて、とても候補生にやらせるレベルじゃありませんでしたしね」
午前のレッスンのラスト30分。遅刻してきた2人にお灸を加えるという意味でメニューの質を高めたのだが、朱里は最後まで食らいついてきた。美希も倒れそうな様子だったが、姉の意地があったのかもしれない、倒れずに何とかついて来た。
その光景を見た律子は顔にこそ出さなかったが、内心では驚きの感情でいっぱいだった。…まさか食らいついてくるとは思わなかったのだ。
(…とんでもないのが入ってきちゃったわね、本当に)
…もう彼女たちは候補生のレベルにいる必要もないかもしれない。そろそろ上のレベルに行ってもいい時期に入っている。
「…2人の初オーディションの日も近いかもしれませんよ」
律子は嬉しそうに笑った。
(…二人とも合格させた社長の英断は間違いじゃなかったのかもしれないわね)
そう思いながら、律子は窓の外を見た。5月、新たな若葉が芽生える時期…か。…まるで美希と朱里みたいだ。
(さあて、私もあの子たちを見習って頑張んないとね)
律子は体を伸ばし、気合を入れる。
…こうしてゴールデンウィーク最終日は終わりを迎え、新たな始まりを迎えようとしていた。
本当なら伊織の誕生日関連のエピソードをこの回に入れたかったのですが、どうしても筆が進まなく、泣く泣くカットせざるをえませんでした。…伊織ファンの皆様、大変申し訳ない!
さて、長かったゴールデンウィーク編が終わり、次回からはいよいよオーディションに向けた物語が始まります。…アニマスのエピソードに戻れるのはいつになるんだろう?