…ちなみに前回のタイトルとトラウマの一致は全くの偶然です。…ザンボットぉ、そこまでやるかい普通?
…自分は今、周りにどう見えているのだろう? ステージの上で歌いながら踊る朱里は自分の様子が詳しく分からなかった。
多分、調子はすこぶるいいと思う。サビの部分が終わり、間奏部分をリズムよく踊りながら朱里はぼんやりと思った。
今まで歌も踊りも練習の通りにしっかりと出来ている。歌詞を忘れたり、ステップを失敗するなどのミスも起こしてはいないはずだ。現に今の自分は最高に乗っている。ダンスもリズムに乗って、踊れている。歌も同じだ、しっかりと出来ている。…ただ、ビジュアルだけが分からない。自分が今、どう見えているのか分からないからそこだけが不安だ。
(…大丈夫さ。自分は歌えている、そのままでいいんだ)
朱里はそう逡巡し、笑みがこぼれた。
朱里の現在の唯一の持ち歌である『READY!!』。
この曲は『準備』や『始まり』をテーマにしている。アイドルとしてデビューしようとする自分にとって、これほど望ましい物はないだろう。
…そしてもう一つ、朱里自身がこの曲から感じたこと。それは『2周目の人生の始まり』『星井朱里の始まり』ということだった。
この世界の戸籍に記載されている名前「星井朱里」は、自分の本当の名前とは似ても似つかないものだ。この世界では当たり前だが、1周目の自分の名前を誰かから呼ばれることはなかった。誰もが女の子『星井朱里』として呼び、『星井朱里』として接する。…それが当たり前のことなのだが、朱里にとってそれは、とても寂しくてつらいことだった。
望んでもいないのに2周目を始められたこと、本当のことを家族にも打ち明けられない孤独、そしてなによりも性別が変わってしまったという絶望感。…それら全てが朱里を苦しめていた。周りの人たちに勉強や作法など褒められても、ちっとも嬉しくもなかった。そうじゃない、と叫びたかった。
…だって、自分はただ周りの子よりも長く時間をかけているだけなんだ。特別なことなんてやってない。それよりも望んでもいないのに無理矢理2周目の人生を始めさせられた気持ちがあんたらに分かるのか?
(…でも、ここからなんだ)
でも、ここからだ。この1月半。短すぎる時間だが、その密度は今まで過ごしてきたどの月日よりも濃密で楽しかった。
(…そう、姿が変わっても、自分が過ごした経験や記憶がなくなった訳じゃない。自分は自分。星井朱里なんだ)
…だからここから始めよう。『自分』から『私』を始めよう。その始まりを歌おう。
アイドルになって、新しい自分を始めること。それをこの『シンデレラガールズ』から始めよう…。
※
そして、朱里のアピールは終わった。
息切れを起こしながら、朱里は天井を仰ぎ見る。喘ぐようにして空気をむさぼり、気持ちを落ち着かせようとした。
(…とりあえずは終わったんだよな?)
辺りに曲が流れていないので、終わったのだろう。それにより、朱里の思考が緩やかに戻っていく。それまで抱えていた緊張が解けていくのを感じながら、朱里は息をゆっくりと吐いた。…うん、大丈夫だ。もう終わったんだ。もう何も怖くはない。
グルリと辺りを見渡すと、晴れやかな内心とは打って変わり、会場内は水を打ったようにしんと静まり返っていた。…どうかしたのか?
やがてその中の数人が、唖然とした表情のまま、ヒソヒソと囁く。
「…ねえ、あの子誰?」
「765プロって言っていたけど…どこの事務所よ? 聞いたことないわよ?」
…周りの皆さんの反応が思っていた以上に変な空気だ。耳をすませば、ステージ脇に控えている子までヒソヒソしているみたいだ。
(…どうしたらいいんだろう?)
もはや朱里の行動の一挙手一投足に注目するほど、衆目が集まってしまっている。おかげで朱里は迂闊に動けないくらいに追い詰められている状況だ。この状況に審査員も反応してくれない。…本当にどうしたらいいのだろうか?
「…ほ、星井朱里さん。あなたの出番は終わりました。早くステージから降りてください」
「…あ、はい。ありがとうございました」
朱里は審査員に向けてぺこりと頭を下げた。色々あったが、退出する際は挨拶を忘れてはならない。これも常識だ。
「は、早くしなさい」
審査員に急かされるように言われ、朱里はステージを降りた。そしてそのまま朱里は居た堪れない空気から逃げるように早歩きでその場から離れた。
※
「…」
あの後、すぐに朱里は更衣室へと逃げ込み、ジャージから私服へと着替えた。短時間しか着ていないのにも関わらず、ジャージは汗でびしょびしょだった為、このままの状態でいるのが気持ち悪くて仕方なかったのだ。…緊張したから、変な汗でもかいてしまったのか?
そして更衣室のロッカーに放り込んでいたバッグを抱え、朱里は受付を行ったロビーにあるベンチに腰かけて、物思いに耽っていた。
(…何か変な気分だな)
朱里は凝った首筋をグルリと回して、辺りを見渡した。…まるで、タイムスリップしたような感覚だ。受付をしてからまだ2時間ちょっとしか経っていないはずなのに、あれから丸一日以上の長い時間が経過したような妙な感覚を味わっていた。もの凄く長い時間が経過したような気がするのに、この場は相変わらず、同じ時間が続いていた。
朱里はチラリと廊下の方へと意識を向けた。…あの廊下の向こうには数分前、自分がいた会場がある。誰かの歌う声が聞こえるので、きっとまだオーディションはやっているはずだ。
自分が終わった時点での残り人数は後12人。それが終わると合格発表が行われる。…誰かが一人だけ受かり、それ以外の全員が落ちるのだ。
「…」
朱里はごくりと唾を飲み込んだ。
完璧は期したつもりだった。出せるものは全部出しきったと思うし、それを審査員に伝えることは出来たと思う。だが本当に、何も手抜かりはなかっただろうか。本当にプロの目から見て、自分の実力は合格ラインに達しているのだろうか…?
あれこれ考えても結果は変わらないのだが、やはり終わってしまうと別の不安が出てきてしまう。
「…ここにいたのか」
聞き覚えのある声に顔を上げると、目の前にはプロデューサーが立っていた。そこでようやく朱里はプロデューサーを置いて勝手に移動してしまったことを思い出した。
「…すみません。勝手に出ちゃって」
「いや…俺もどうしたらいいか分からなかったからしょうがないよ。あのままあそこに居たって嫌だもんな」
そう言うと、プロデューサーは「とりあえずはお疲れ様」という言葉と共に隣に座った。朱里も「お疲れ様です」と言って、ベンチの上で姿勢を変えた。
「…その、私の歌、どうでしたか?」
聞くのが怖い質問だったが、あえて朱里はプロデューサーに尋ねてみた。
「…うん、その…すごく良かったよ」
プロデューサーは微笑みながら、頷いてくれた。プロデューサーのその反応から、自分のパフォーマンスは結構良かったみたいだな。
何だか照れてきたのか、朱里は「ありがとうございます」と言って、微笑む。誰かに自分の実力が認めて貰えたのが、たまらなく嬉しかったのだ。
それから二人の間には会話はなく、ただ時間だけが流れていった。朱里もオーディションの結果が気になったし、プロデューサーもプロデューサーで何か思うことがあるらしい。
会話が再開されたのは、それから数分経った頃だった。
「何か飲み物でも買ってくるよ。何がいい?」
プロデューサーは何でもないように朱里に質問した。朱里はプロデューサーに奢らせるみたいなのが嫌だったので、返答に迷ったが、プロデューサーの気持ちに甘えて答えておいた。
「…そうですね。じゃあ、コーヒーで」
「分かった」
数分後、プロデューサーは缶コーヒーを買ってきてくれた。味は普段から好んで飲むブラックではなく、飲みなれない微糖であったが、疲れを感じている今はこの味の方がありがたい。偶然か故意かは分からないが、プロデューサーの選択に感謝したくなった。
プルタブを起こして、缶の封を切り、中身を一口で呷った。コーヒーが食道を流れ落ちていく感触を味わいながら、ゴクゴクと飲み続ける。
…そして飲み終わると、自然に吐息が漏れた。頭の芯が疲労しきって、色々な物事がごっちゃになって渦巻いている気分だからか、この少し甘い微糖の味が体に染みる。
(…後もう少しで結果が分かるのか)
空になった缶を弄りながら、朱里はそう思った。コーヒーを飲んだのにも関わらず気分が落ち着かない。むしろ逆に気持ちが高ぶっている気がする。
…どうしてなんだろう?
※
場所は変わって765プロ。いつもならソファで寝息を立てているか、皆とあれこれ話しているかのどちらかの行動をする美希だが、この日は違った。
まるで迷子になった子供のようにあっちこっちをウロウロし、しきりに携帯を見つめている。表情も明るくなったり暗くなったりとコロコロ変わり、落ち着きが感じられない。
「…落ち着きなさい、美希」
とうとう美希の行動に耐えきれなくなったのか、ソファに座っていた千早はイヤホンを耳から外し、苛立ち混じりの声で発言をする。
「…ごめんなさいなの、千早さん」
一応美希は謝るが、3分も経たない内に、またあちこちをウロウロし始める。
「美希! 落ち着いて!!」
今度は明らかに怒気を含んだ声色で美希に注意する。
「まあまあ千早ちゃん」
千早の怒号に、慌てて千早の傍にいた春香が手で制した。
「美希が心配なのは私だって分かるよ。美希にとって朱里ちゃんは仲間である以前に家族なんだから。それに初めてのオーディションなんだもん、気になっちゃうのは仕方ないよ」
「それは…」
「千早ちゃんだって朱里ちゃんの結果、気にならない?」
春香は笑みを浮かべながら、千早の隣に座った。そして上目遣いで千早をジッと見つめる。
「…気に、なるけど」
「ね? だからあんまり怒らないであげようよ」
春香はそう言うと立ち上がり、美希の傍に駆け寄った。
「でも、そこまで心配なの? 朱里ちゃんなら全然余裕で合格できると思うんだけど」
「それでも心配なの! 朱里は美希の…たった一人の妹なんだもん」
美希は春香の問いにそう答え、携帯を開いたり閉じたりを繰り返す。どうやら朱里からの連絡がないか気になるらしい。
「本当は美希も行きたかったのにな…。プロデューサーも律子もケチなの。一緒に付いて行っちゃダメなんて…」
「ふーん、誰がケチだって?」
「そんなのプロデューサーと律子に決まっているの!」
…あれ? ここで美希はようやく違和感に気付いた。さっきまでいなかったはずの声の存在と、目の前にいる春香が「もうやめておけ」と、必死に身振り手振りで忠告をよこしているのを。そしてこの恐ろしい声を自分はつい最近、聞いた気がするのを。
「…」
ギギギ…と首を動かして美希は後ろを見た。
「悪かったわね…ケチで」
そこには氷のように無表情で立っている鬼軍曹、秋月律子の姿があった。その声も底冷えがするほど冷たく、恐ろしい。
「あ…」
「私がいない間に随分好き勝手言ってくれたじゃない?」
「な、何で律子がここに…?」
「偶々仕事が早く終わったから帰ってみれば…大声で私の悪口を言ってくれて…」
ぶつぶつと呟く律子にヤバいと感じたのか、美希は目で助けを呼ぶが、誰も助けてはくれない。…流石に怒った律子を敵に回すほど、765プロの面子は愚かな行動を取るほど頭は悪くはないらしい。
「こんの…バカ美希ー!!!」
「ご、ごめんなさいなのー!!」
この日、765プロに大きな雷と怒鳴り声が落ちた。その声は事務所どころか、ビル全体に聞こえるほどの大声だったという…。
※
さて、姉が大変な目にあっている事など知ることもない朱里は、プロデューサーと共にオーディションの結果発表を聞きに、ステージに戻っていた。
「大丈夫さ、朱里は合格している」
待ち時間中、プロデューサーは自信満々にそう言ってくれたが、やっぱり怖い物は怖い。
…だからさっさと結果を言ってくれ、審査員。変に待たせるな。心の中で朱里は文句を垂れた。
…そして、ようやくその時が来た。マイクを持った審査員の一人が、ステージに上ったのだ。その手には審査の結果が書かれているであろうメモがあり、それをうやうやしく開く。
その動きで、いよいよ結果発表の時が来たのだと、集まったものたちは悟った。彼女たちの表情は期待と不安を宿したものであった。
「…では、本日行われた『シンデレラガールズ』の合格者を発表します」
…来た。朱里は両手で拳を作って、審査員から言われるであろう番号と名前を聞き逃さないように聞き耳を立てた。
「本日、参加人数36人の中、栄えある合格者は…」
…もったいぶらずにさっさと言ってくれ、焦らされるのは嫌いなんだ。
「エントリーナンバー24番、星井朱里さん! おめでとうございます」
空耳だと思った。自分は聞き間違えたのではと一瞬、思った。
だが、隣にいたプロデューサーの声を上げて両手を空にあげている光景を見て、これが間違いではないのだと認識する。
「合格した朱里さんはこの場に残ってください。それ以外の人は帰ってかまいません」
結果発表はあっさりと終わり、審査員はステージを降りていった。
(…受かった、んだ)
そして、プロデューサーが朱里の手を握り、微笑む。
「朱里! おめでとう!!」
「…勝ったんですよね、私」
「ああ! これで朱里もアイドルデビューだ!!」
「…はい!!」
そして朱里はその瞬間、これまでに味わったことがない気分の真っただ中にいることをはっきりと感じた。
目もくらむような安堵、努力が報われた達成感。そして輝かしい勝利の感覚。それら全てが混ざり合った感情の大波に全身を揺さぶられている気分だった。
星井朱里。前世はただの一般男性で、今は13歳の少女で765プロのアイドル候補生。
そしてこの日、朱里はアイドルとしての一歩を踏み出したのだった。…紛れもない自分の意志で。
はい、というわけで朱里は勝っちゃいました。
当初の予定では美希だけが受かり、朱里は落ちてしまうという予定だったのですが、さすがに可哀想だったので変更になりました。…やっぱり最初は圧勝しないとね。
…ただ、ずっと勝ちっぱなしというわけではありません。本編中に必ず一つは負けイベントは入れる予定です。時期は何時かは分からないけれども、相手は…恐らくは奴らかな?