THE IDOLM@STER  二つの星   作:IMBEL

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総合評価が遂に一万の大台へと行ってしまい、震えまくるIMBELです。

プレッシャーが半端ないですが、皆様のご声援に応えられるように頑張っていきますので、今後もよろしくお願いします。


第31話 危機は怒涛の如く押し寄せて

「私服でステージって…」

「正気ですか!?」

そんな悲鳴じみた声が教室内に響き渡った。

朱里と雪歩が倉庫で顔を真っ赤にしてから程なく、控え室にあてがわれた教室に全員が緊急集合する羽目になった。

休憩という雰囲気ではなさそうで何事かと思いきや、とんでもない爆弾が放り込まれてしまった。

「まさか衣装を間違えて持ってくるなんて…」

「だって、赤いのって言ってたから…」

「衣装ケース、同じ色の奴もあるのよ。…中身、ちゃんと来る前に確認するべきだったわ」

「………本当に、すまない」

亜美は自分が置いた衣装ケースが、間違ったものだったことにショックを受けていたが、律子があんたは悪くないわとフォローを入れていた。

――――本番に使うはずの衣装を間違えて持ってきてしまう。

そんな前代未聞のミスを犯してしまったプロデューサーは自分がやってしまったミスのせいで目も当てられない顔をしており、まるで猫の礫死体を目撃したかのような雰囲気だった。

そもそも今回のステージでは故郷村の牧歌的な雰囲気などから『スノーストロベリーNEO』『パステルマリン』などのアクが強くない無難な衣装で本番に励むはずだったのだが、よりにもよって持ってきてしまったのが黒と赤を基調とし、天使の羽を背中に飾った、ロックバンドが着込むような衣装『パンキッシュゴシック』と、正反対のものだったのだ。

「こんな牧歌的な村でこんな衣装、使える訳ないわ」

と律子が断言する。

「もう何もかもが駄目ね…」

千早が全員の意見を代弁するかのような独り言を漏らす。それが余計に現実を突きつけられる気がし、どんよりとした空気が流れる。

朱里は思わず天を仰ぎたくなった。この事務所には悪霊か何かが憑りついているのではなかろうか? 初めてのステージなのに色々なことが起こりすぎだ。故郷村に来てから、まるで図ったかのように様々な問題が起こりすぎている。

だが、どんな状況であれ、それを言い訳にしてステージを中止にする訳にはいかない。

ここが田舎だろうが都会だろうが、衣装があろうがなかろうが、今日、舞台を見に来る人には関係はない。どんな時であろうと結果を自分の体一つで生み出さなければならない。それがプロであり、アイドルなのだから。

「…とりあえず、春香さんの忠告に従って、動きやすい恰好で来たのは正解でしたね」

そっと朱里はジーンズと薄着の長袖姿の自分の身体を擦る。靴も今日は動きやすさを優先し、靴箱に仕舞っていた男物のスニーカーを履いており、女の子らしさはありつつもアドバイス通りのラフな格好となっていた。このままの恰好で踊れ、と言われても問題はない。

もしここで宣材撮影の時に使ったロングブーツやスカートで来ていたら目にも当てられない惨事になっていただろう。先輩のアドバイスに素直に従ってよかった。美希にも同じような格好を無理矢理させて家を出てきたのは正解だった。本人はブーブー不服そうだったが…。

だが、そんな朱里のような恰好で来ていない面子だって当然いる。スカートを穿いたり、ヒールの高いブーツだったり…。

「…とにかく、もう私服で上がってもらうしかないわ」

「律子、正気!?」

「正気よ、だってこれ以上に良い策ある?」

もうすぐリハが始まり、日が落ちれば本番が始まる。もう数時間の猶予しかないのだ。

時間は待ってくれない、数十キロ離れた事務所にある衣装のことを考えるより、今この場で何らかの対策を考えた方が遥かに有意義だ。

「朱里に美希、真と響と千早、春香に雪歩にやよいに亜美と真美…殆どの子が動きやすい恰好で来ているから、ここはそのままでも問題ないとして。動きづらいスカートで来ちゃったあずささんと貴音は…動きをアレンジしてステージに立ってもらうしかないですね。幸いにもダンスが激しくない曲ですから、それほど問題はありません」

「音源を用意していないから、他の曲ではいけないしな…」

プロデューサーと律子はセトリ…今日のステージの一覧が書き示しているセットリストと睨めっこし、全員を交えての緊急会議が始まる。自然と律子を中心とした円が作られながら、指示や意見が飛び交い始めた。

「じゃあ私はどうするの? あずさと貴音はあんまり動かない曲だからいいかもしれないけど、私がやよいに亜美と真美と一緒よ? 結構動くし、靴は踵が高いし」

「伊織には悪いけど、リハーサル用に持ってきたジャージと靴で立ってもらうしか…」

「そんなの嫌よ! せっかくのステージなのに!」

「それが嫌だったらもう裸で出てもらうしかないわよ…」

伊織は「あんたが衣装間違えさえしなければ」とプロデューサーを睨めつけながら憤慨するも、裸で出るという最終手段に踏み切る訳がなく、納得はいかないものの折れるしかなかった。

「…あの、倉庫でのアレ、使えませんか?」

と、雪歩が「久しぶりのステージがジャージ姿なんて」とブツブツ呟く伊織を横目に、恐る恐る手を上げた。

「あれって?」

と律子が小首をかしげる。含みのある言い方をされて、他の皆も頭に?を浮かべるが、朱里だけは雪歩の言っていることが理解できた。

「―――まさか、あの法被を? でもアレ、結構サイズ大きくありませんでした?」

確かに祭りならば法被姿でも不自然ではない。それを衣装としてしまうのもそれはそれであり…と思いきや、あれは倉庫に長い間置かれていたものだし埃が酷く、最悪カビだって生えている可能性だってある。そのまま使えるかどうかは微妙だ。

「洗って、上から着込めば何とかいけるかな…?」

「でも着込んだって伊織の身長じゃ」

「…何? そんな良いものがあるの!?」

伊織は2人の会話に割って入ってくる。

「で、でも伊織ちゃんに似合うか分からないし…」

「その前に使っていいものなのかも分からない物だし…」

「何とかしなさいよ! この伊織ちゃんがジャージ姿で出てもいいって言うの!?」

冷や水を刺した2人を睨みつける伊織の姿は必死だったが、そもそもそれを決める権限は朱里達には無い。

「どうする律子?」

「とりあえず、使えるのならジャージでそのまま出るよりは遥かにマシです。サイズは実物を見てみないと何とも」

「…私、倉庫に行ってきますね!」

「じゃあ私は、法被使っていいか聞いてきます!」

「あっ、待ちなさいよ!」

律子のその言葉に弾かれたように、雪歩と朱里は教室を飛び出した。ギシギシ鳴る廊下も構わず走りだし、一瞬遅れて伊織はそれを追いかける。

「とりあえずこの件は分かるまで保留。次は…」

問題はまだまだ山積みであり、律子は息をつく間もなく次の問題へと取りかかった。

 

 

 

 

 

 

そしてリハーサルが始まった。やはり時間がかかるのは急遽動きを変えなければならない組だった。

「…はい、一旦曲を止めて! あずささん、今の動きでどうですか!?」

「は、はい…何とか大丈夫ですが、やっぱり動きづらいですね…。それに普段の動きと違うから違和感も…」

「正直言って、付け焼刃のアレンジですからね。でも、今日のステージだけで良いのでお願いします。迷惑をかけますが…」

「あ、あら~頑張りますね」

「…こういう風にして、本番の動きを調節するんだってさ。今日みたいに何があるか分からないから」

「なるほど、リハーサルって凄い大事なの」

朱里は先日春香に教えられたことをこそっと耳打ちし、美希は心底納得してように返答した。

メンバーが突如欠員してしまった、怪我で動けなくなった、会場のトラブルで機材が動かない…当日に何が起こるかは分からない。今日のように緊急事態が起こることだってあり得なくはないのだから。

「じゃあ次は春香達! ステージに上がって! まずは『GO MY WAY!!』からリハ入るわよ」

「はーい! …じゃあ、行こっか」

「うん!」

ステージを降りて、直前で変わったダンスの振り付けをもう一度復習するあずさを横目に5人がステージへと上がり、各々の位置へと立つ。

今回踊る『GO MY WAY!!』はセンターが春香、その後ろに雪歩と真、さらに後ろに朱里と美希…と云ったポジションだ。朱里は雪歩を、美希は真の背中を視界に入れながら踊るようになっている。残念ながら美希とは離れ離れになってしまったが…まあ、あっちは何の心配もないだろう。

問題は…やはり雪歩の方だ。体育館脇の倉庫で話をし、少しだけマシな心境になれたかもしれないが、それがどうパフォーマンスに響くかは未知数だ。リハーサルで調子が戻れば良いのだが。

「ステージの大きさも殆ど変わらないからそのままで…美希、前に出過ぎてる。少し後ろに立ってくれる?」

「はーい、律子」

「さんをつけなさいって言ってるでしょ! そうそう、もう少し…」

美希が律子とあれこれ話している間、朱里はこそっと雪歩に近づいた。

「雪歩さん、大丈夫ですか?」

「うん…さっきよりは大丈夫だけど…ちょっと不安、かな」

「もし雪歩さんを襲おうと男が飛び出してきたら、私が蹴りを入れてあげますから」

こうやって…と、男の股下にぶら下がっているアレを蹴り飛ばすような仕草をすると、雪歩はひぃと悲痛そうな声を出した。どうやら意味合いが分かってくれたようだ。

「男はこれにはどうやっても耐えられませんからね。本当に…」

実体験を語るように話す朱里に、雪歩はコクコクと無言で頷くしかなかった。

股下は人体で鍛えることが出来ない箇所であり、そこにぶらさがっているアレはどんな男でも急所となる最大の弱点。ここを蹴られればどんな男でもひとたまりもない。

「こら雪歩と朱里!? 聞いているの!?」

と、律子の説教が聞こえ、慌てて会話を中断させる。

「す、すいません…とりあえず、今はリハに」

「そうですね…集中しましょう」

鬼軍曹モードに入ろうとした律子に素直に謝る2人。

「じゃあ今から曲を流すからね」

そう律子が言った後、『GO MY WAY!!』のイントロが流れ始める。やはり音響があるからか、練習時とは全く違う印象を感じてしまう。やっぱり音が違うと聞き慣れた曲でも別物みたいな気がしてしまう。

指を前へと向け、足を大きく広げ…同じタイミングで5人が右手の力こぶを作るように左手を添え―――『GO MY WAY!!』が始まった。

(よし、しっかり踊れているな…!)

自主練の甲斐があったと朱里は内心喜びをかみしめていた。

サビを歌いながら朱里はチラリと雪歩の後姿を眺める。自分もそうだが、雪歩も今のところは怪しい動きは見られなかった。調子が良い時の雪歩の動きで踊っており、少しだけ安堵する。

後は右手の後に左手を広げ、それの自分の腰に当てながら首をほんのちょっと右に傾ける。後は短めのイントロの間にジャンプすれば、ラストのサビに入って―――。

「すみませーん、765プロさーん」

「「「「「!?」」」」」

頭に叩き込んだ動きを身体に伝達させ、ジャンプした瞬間、突然現れたランニング姿の兄ちゃんの声に全員が動揺した。

幸いにも他の4人はつられなかったものの、雪歩のステップが一瞬遅れたのを朱里は見逃さなかった。男性の声に動揺して、ジャンプを高く飛び過ぎたせいで、着地が遅れてしまったのだ。プロデューサーがランニングの兄ちゃんの対応に入ったおかげで曲は止まらずにリハはそのまま続行となるが…。

(雪歩さん、大丈夫なのか…?)

今まで雪歩は男が目の前にいただけで取り乱していたと聞いている。今も視界の端には2人の姿がはっきりとあった。もし、ここで崩れてしまったら、せっかく戻りかけていた雪歩の調子がまた逆戻りになる可能性もある。だとしたら本番へのモチベーションも繋がって…。

―――だが、雪歩はグッと踏ん張った。背中だけしか見えなかったが、動揺しつつもそれを堪えるような動きをしていた。

雪歩は一瞬のステップの遅れを取り戻す為に、サビ時の大股なステップを少しだけ小さくした。無理矢理であったが大きく動くステップの幅を縮めたことで次の動作に行くスピードを早めたのだ。

(遅れていた動きを無理矢理戻した…?)

ステップ幅を縮めるという力技ではあったが、何とかズレを修正し、皆の動きに追いついた。一瞬の早技であったが、朱里は見逃さなかった。

無論、これは雪歩が踊り慣れている曲だったこと、そもそも『GO MY WAY!!』自体がダンサブルな曲ではなく、動きのズレを直せるような大股な動きが多いことだから出来た代物ではあったものの、さりげなく雪歩がやった技術に朱里は驚いた。

―――調子良い時のこの人はやっぱり凄い。

最後の動きである、指を天高く向ける仕草をしながら、朱里は雪歩の持っているポテンシャルをまじまじと見せつけられたのだった。

 

 

 

 

 

 

『では、この村一番の良い男を決めるシブメンコンテストも後半戦になります。次のエントリーは…』

「はい、嬢ちゃん! ビールお願いね!」

音響から聞こえてきた声に耳を傾ける暇もなく、プラスチックのコップになみなみと注がれたビールが目の前に置かれた。

「…はい、ビールで待っていたおじさん、お待たせしました! こぼさないように気を付けてください! ラムネのボクはちょっと待っててね…あっ、焼きそばですか? おばさん、焼きそば一つ追加で!」

「はーい、ちょっと待っててー!」

隣の屋台で鉄板の上で焼きそばを作っているおばちゃんに大声でオーダーを飛ばし、すぐ接客へと戻る。

「すぐ作りますから、ちょっとだけ待っていて下さいね」

目の前の浴衣姿の女性に断りを入れて、朱里は裏のクーラーボックスから冷えたラムネビンを持ってくるために引っ込んだ。

日も暮れ、遂に本番が始まっても、舞台裏の慌ただしさは終わらない。

律子とプロデューサーが携帯でやり取りをかわしつつ指示を飛ばし、出番がまだ、もしくは終わったアイドルは照明係やら音響やら…終いには祭りのヘルプなどにも駆り出され、ホッと息つく暇がない。

出番がまだの朱里もエプロン姿で屋台の接客や対応に追われていた。この手の対応は苦ではないが、過疎地域と云えど集まればそれなりに人は多く、人波は途切れる事がない。

やはりお祭りの宿命というのか飲食物系の屋台は人が集まりやすく、特にジュース類はこの村には自動販売機がないなどの影響もあってか飛ぶように売れている。

「はい、ラムネ一つ、どうぞ。ここで開けてく?」

「ううん、あっちで開けるからいい!」

「はい気を付けてね、人多いからビンを割っちゃダメだよ!」

キンキンに冷えたビンを笑顔で受け取った子供が駆けだしながら去っていき、続いてパックされた焼きそばが出来上がった。

「はい焼きそばでお待ちのお客様、お待たせしました! 1つで400円、はい、はい…ちょうど、受け取りました!」

「…あら? もしかして……今日来てくれたアイドルの人ですか?」

貰った小銭を手提げタイプの金庫に入れ、ポリ袋に詰めた焼きそばを受け取った女性が見慣れない朱里に気付き、そう反応してくれる。無名とはいえ、こういう反応をしてくれるとこちらも嬉しくなってしまう。

「はい、今日は屋台でも少しお手伝いさせてもらっています。私の出番、もうすぐですので、よかったらステージまで足を運んでください。今も私たちの同僚がステージに立っていますので」

「あら、それじゃ席に座って見てみますね」

「はい、ありがとうございます!」

思わず笑顔で対応し、浴衣姿の女性は去っていった。

―――なるほどね、こういう効果も狙って、屋台での接客やらせているのか。単なる人不足のヘルプだけでなく、宣伝効果もあるのならばこちらもやりがいがある。

「へぇ、結構さまになってるじゃない」

と、屋台裏から伊織がひょこと顔を出して覗き込んでいた。どうやらさっきの一部始終を見ていたらしく、ニヤニヤしながら屋台の中に入って来る。

「そっちこそ、結構法被姿似合ってたじゃん。伊織に向けた声援、結構多かったみたいだし」

「それ嫌味?」

まあ、結構ウケが良かったからいいんだけどね、とぼやく今の伊織の姿―――髪を束ね、法被を上から羽織っている姿はまるでお祭りを全力で楽しんでいる子供みたいで微笑ましい。法被と帯の間に団扇を挟み込んであるのもチャームポイントだ。

心配していた法被の件だったが…運営サイドから「どうぞ好きに使ってください」と二つ返事で許可を貰えたのは良かったものの、やはり心配していた通り、サイズが大きすぎる、埃やカビが多すぎて、そもそも着るのに適さない物が殆どであった。だが、奇跡的に1着だけ小さめのサイズの物が無事であり、大急ぎで洗濯を終えた法被を伊織は何とか着ることが出来たのだった。

トイレに行く度に帯を外さなければならないのがつらそうだったが、そこはもう我慢してもらうしかない。本番前、一度トイレに行った後、伊織は「次からはちゃんとした着替えを持ってくることにするわ」と言っていたし。

「で、どうかした?また何かトラブル?」

「違うわよ、もうすぐ時間よ。美希も春香達のメイクが終わり次第向かうって。ここは私が代わるから、早くステージに向かいなさい」

伊織がブランド物の腕時計を見せてくると、もう朱里の出番まで20分を切っていた。

「うわっ、もうそんな時間か」

「結構盛り上がっちゃってね。予定してた時間より伸びそうだけど、早めに行った方がいいわ。今日は何があるか分かんないから」

「分かった」

朱里は羽織っていたエプロンを手早く外すと、伊織へ渡し、屋台のおばさんに「ありがとうございました」と頭を下げる。おばさんの「頑張るんだよ」という声援に「はい!」と答えてから、屋台を離れた。

ここに来てから散々なことが多く、一時は全員のテンションが下がりまくってはいたが…リハを得て本番を迎え、意外にも皆のやる気は戻っていた。

『どんな時でも全力でやり切るプロ根性』というのも勿論あるが、『ここまで悪いのだから、これ以上は悪くなりようがない』というある種の崖っぷち故の開き直りでいい感じで皆が吹っ切れているというのもあったのだが。

私服姿でステージに立つアイドルに怪訝そうな反応も最初は少なくはなかったが、逆にそれが良い意味で距離感を作らず、親近感をもたらしていた。特に年配者が多い故郷村では勝手が分かっていないのか「こういうのが普通みたい」といった空気で受け入れられており、結果オーライ的な感じでまとまっていたのはこちらとしても都合が良かった。

ステージ裏入口に立っていた運営スタッフは、朱里を見るや立ち入り禁止のロープを緩めてくれた。ありがとうございます、と言ってロープを跨ぎ、中へと入る。

「あっ朱里!」

中では既に美希が待っていた。

「姉さん、お待たせ。屋台は伊織に代わってもらった。春香さんたちのメイクは終わった?」

「うん、バッチリなの。今日は春香たちと一緒に踊るから、特に気合入れてやっちゃった」

えへへと笑う美希。メイク係として動いていた美希は今日、ステージに上がるメンバー全員の化粧を担当していた。「こんなにいっぱいのメイクは初めてなの」と苦言を漏らしつつも、テキパキと進めてしまうのは流石元読モ経験者だ。

「…ねえ、私のメイク、崩れていないかな? 屋台、結構煙や熱気があって心配でさ」

「うーん、1回確認してみよっか?」

美希はあの面接当日の早朝みたいに朱里を椅子に座らされては、どこからか持ってきた鏡を見ながらあれこれ見てくる。

「うーん、ファンデーション崩れもないし…大丈夫じゃない? それ程激しく動いていないんでしょ?」

「まあ、屋台を行き来してたくらいだし…心配していた程崩れていないか。化粧水でしっかり下地を作ってくれたおかげかな。この様子じゃ問題なさそう…やっぱり外の気温、下がっていたから汗をかかなかったっていうのも大きいかも」

勿論、美希がファンデーションが崩れないよう上手に塗ってくれ、崩れを防ぐ下地をきちんと作ってくれたという要因も大きいのだが、とりあえずメイクし直す手間が省けてホッとした。

それなりに化粧の知識も身についてきた朱里は美希と一緒にあれこれ言えるくらいにはなっていた。メイクの腕も美希程ではないが、普段外に出かける時に困らない程度にはなっているが、美希に言わせてみれば「まだまだ」らしい。確かにメイクにかかる手間も時間も技術も、まだまだ皆には及ばない。こういう事態に備えて、今後は自分一人でも出来るようにメイクの練習もしていかなければならないだろう。

「準備は良い?」

「オッケー。姉さんこそ、トークの内容大丈夫? この前みたいに危ない内容は話さないでね」

「大丈夫なの! いざとなったら朱里の昔話でも話すの!」

「…全然大丈夫じゃないよそれ。身内のトークはあまりこういう場所じゃウケないって律子さん言ってたじゃん…そもそも何を話す気でいるの?」

「小っちゃい頃、朱里があちこちに悪戯電話してた時の話とかするの。後は切手とかベタベタ貼りまくってたやつとか」

十年位昔の妹の奇行を本番の舞台で話そうとする姉に頭を抱えたくなる。それは本当にやめてほしい。

―――右も左もわからない2周目生活で、どうにか自分という存在をどこかに伝えたくて親の目を盗んで電話をかけまくっていたのを思い出す。知人、友人問わず1周目で関わっていた人たちほぼ全てに自分は電話をかけまくっていた。

最初は家の固定電話や子機を使って、それを没収された時は両親の目を盗んで携帯電話を使用していた。それがばれて、しかもその翌月の電話料金が凄い事になったことから、朱里は母の明子にもの凄く怒られたのだから。あの時代は携帯電話の料金も馬鹿にはならなかったみたいだし、大きな迷惑をかけてしまった。

―――あれは朱里自身、あまり思い出したくない記憶だ。怒られたこともつらい記憶も色んな意味で、だが…。

そんなことを本番のステージで話してみろ。そしたら、美希が寝ている時に身体から出た温かい液体で盛大な地図を布団に作って、朱里が隠避工作を手伝ったエピソードを話してやろうと朱里は密かにたくらんだ。

「…とにかく、せっかく皆が会場を暖めてくれたんだから、それを崩して台無しになるようなことは避けなきゃ」

トップバッターで先陣を切ったのは765プロ内で歌唱力に長けている2人…千早と貴音という手堅い布陣で歌う、アイドルソングらしからぬ一曲の『風花』のウケが良く、パラパラと拍手を貰ったのをきっかけに、徐々に流れを掴んでいっていた。

次のやよい、伊織、双海姉妹の『キラメキラリ』は一生懸命な姿でセンターに立つやよいたちの姿が孫娘のようだとおばあちゃん達に好評であった。やはり765プロ年少組のステージだとお遊戯会を見に来た祖母的な心境になってしまうのか、先発の千早と貴音の時のしっとりとした空気はどこ言ったのやら、声援を受けながらにステージとなった。

特に法被を着ていた伊織には多くの声援がかけられ、彼女らがステージを去る時には「がんばってねぇ」と手を振られながらの退場となったのだった。

朱里が見れたのはそこまでで、後は屋台の手伝いに行っていたから分からないが…ひょいと舞台脇から見てみれば、どういう脈絡でそうなったか、ステージ上で響が牛相手に華麗なロデオを決めていた。サーカスじみた動きにおおっとどよめきが客席から聞こえてくる。

…今、ステージはいい感じだ。やはり自分達も設営に関わっていたこともあり、その思いはひとしおだ。当初予定されていたものとは違ったが、皆が少しでも良いステージにしようと頑張っている。

自分達のトークの後は雪歩がセンターの『ALRIGHT*』を挟んでからの『GO MY WAY!!』が待っている。先輩たちのステージを前に自分達が会場を盛り上げて、しっかりとバトンを渡さなければ。

―――そう、思っていたのだが。

「でねー、美希、この村に来てなーんにも無くてびっくりしちゃったの!」

「本当にそうですよ。こんなに何もない所、生まれて初めてで」

笑顔でトークしつつも、朱里の内心は冷や汗がぼたぼたと流れていた。

いざ、本番となった瞬間、打ち合わせで話していた事前のトークを美希は一切喋らず、のっけからアドリブ全開で話しまくるものだから、ついていくだけでこちらとしては必死だ。

しかしそれが功を為してか、自然体で話す美希の姿が故郷村の皆にウケているのか、まるで年の離れた孫娘と世間話をしているかのようなノリでトークは進む。

「そんとおりだぁお嬢ちゃんたち! ウチの村にゃあ、なーんもねぇ! 俺の息子も出ていっちゃったしなぁ!」

「あんのは山と田んぼと病気だけってか?」

「豚に牛も犬もいるよ!」

「それだけしかねぇじゃあねぇかよ!」

「うわぁ、本当に何もないの!!」

美希が口を塞ぎながら心底驚いた顔をすると、ドッと笑いが起きる。先発組が会場を暖めてくれたことでギャラリーも盛り上がってくれており、そろそろ酒も回ってきているのか笑い上戸になっている人も多かった。

「あはは…すみませんうちの姉が…でも、私は逆に『何もない』所が良いって気がしますけどね。こう、日本に残された古き良き時代みたいな。物が多い都会から離れてみて、こういう何もない所が却って良いみたいな」

朱里も美希の振った会話から足かがりを掴みながら、いい感じでのアシストをしていく。

「そうは言ってもねぇ」

「店も少ないし、交通は不便だし、土地の跡取りもいねぇしなぁ」

「農業の継ぎ手もいねぇし」

「時代だけじゃあ飯は食ってけねぇのよ嬢ちゃん?」

「どうせなら、お嬢ちゃんみたいなべっぴんさんが来てくれりゃあなぁ。どうだい、向かいのジジイんとこの息子さんといっぺん見合いなんか?」

「お、お見合い…?」

前方の一人のおじさんがとんでもないことを口走り始めた。

そんなに酔いが回って…と思いきや、よく目を凝らして見てみればその手にあるのは炭酸飲料。楽しい時はノンアルコールでも酔えるらしい。いいことなのかもしれないが…。

「え、えーと私、まだ未成年ですから流石にそれは…」

「あー駄目なの! 朱里はまだお嫁に渡さないの!」

美希は『お見合い』という単語に過敏に反応して、ギュムと腕に抱き着いて渡さないアピールをしてくる。

朱里には自分の結婚する姿が想像できないのか、そんな光景を遠い目をしてしまう。

「姉さん、気が早い気が早い。私は法律という壁に守られているからまだ結婚は出来ない」

「気持ちの問題なの! 朱里のウェディング姿はまだ早すぎるの!」

ノリの良いおじさんが「うちの家では代々嫁さんにドレスじゃなくて白無垢を着せるんだが」という話にも美希は「白無垢も駄目!!」と怒り心頭でマイクを握り絞めたのだった。

「姉さん、私はまだ結婚なんて考えていないんだけど…」

呆れ顔でそう言っても、白熱した美希もあっはっはと笑うギャラリーも全く聞いてはくれない。最初の段取りがめちゃくちゃだ。

でも、この空気はいい感じだ。予定とは違ってしまったが、場は盛り上がっている。もうこうなったら……腹を括るしかない。

「…でも、着物は七五三の時以来、来たことないから、少しは興味あるかな? ほら、これからの季節、色々あるじゃないですか? 浴衣美人とかこういうお祭りでのロマンスとか」

「あ、朱里!?」

「今日はおしどり夫婦やカップルの人達なんかも来てくれているみたいですしね。私だってそういうのにも憧れがない訳じゃあ…」

抱き着いていた妹のまさかの反撃に面食らう美希。まさか愛する妹に男が!?と驚愕しているが、残念ながらそれは演技。まあ、色恋には全く興味がないといったら嘘になるが…。

「あっ、でも流石に結婚はまだ早いですよ! まだ私達中学生なんですから!!」

でもこれは本音だ。女であることをようやく受け入れ始めているのに、結婚なんかはハードルを何十段も上げ過ぎだ。いずれ、考えなきゃならないことだが…今はまだいいだろう。

客席から「茶髪の姉ちゃんも中々のるねぇ!」という声に笑顔で答えながら、トークコーナーは進んでいくのだった。

 

 

 

 

 

 

「美希はあれでウケちゃうのがずるいよ。あれ全部アドリブでしょ?」

「ついていく朱里ちゃんも大変そうだけど…即興で合わせられるのはやっぱり姉妹だからなのかな」

脇では春香と真が美希と朱里の2人を眺めていた。少し後ろでは雪歩が盛り上がる観客の方を見つめている。

最初こそつらつらと話す美希とそれについて行こうとする朱里だったが、時間が経つにつれて徐々にそのズレが縮まっていき、今度は逆に朱里がリードして話をしていっている。

「ああ~、また美希は勝手にアドリブで話しちゃうんだから~!」

「ま、まあ律子。ウケているんだし、な?」

「そういう問題じゃないんです! 今回は朱里も対応できたからいいですけど、本来あの子はそういったアドリブが苦手な子なんですよ!? だから美希にはあれほどアドリブで喋るなって…!」

「ま、まあ確かにそうかもしれないけれどだな…」

後ろでは頭を痛そうにしている律子となだめるプロデューサーが話しており、春香と真は顔を見合わせ、笑った。少しずつだけど、マシになっている。そんな気がしたのだ。

最初こそ、人生最悪の日だと思っていた。久しぶりの仕事なのに、私服で本番を迎えるなんて古株の2人ですら未体験の領域だったのだから。

でも、いざ始まってみると危なっかしくも本番は進んでいった。

個人のファインプレーや急場しのぎの付け焼刃、完璧とは言えない立ち回りなのに、不思議と自分達も観客も笑顔になれている。

―――その根底にはやはり、このステージを本気で成功させたいという熱意があるからだろう。

この事務所にいるアイドルは夢や目標はそれぞれ違う。真だったら『可愛くなりたい』だし、伊織なら『父や兄に自分を認めさせたい』だし。

でも『今日、全員で立つこのステージを絶対に成功させたい』という思いは全員一緒だ。

落ち込みこそしたが、始まる前に勝負を投げるようなアイドルは765プロには居ない。皆が一丸となって向かっている…そう実感できたのが、春香はとても嬉しかった。

緊張していないと云えば嘘になる。心臓がうるさい程跳ね上げてくる。けれどそれ以上に自分もあそこに立ちたい、ステージに立って、歌いたいという思いが湧き出てくる。

最大の心配点だった雪歩もリハーサルの時は上手く動けていた。途中、男性が割り込んで来るというトラブルもあったが、雪歩は動揺こそすれど取り乱すことはなかった。

これだったらきっといける…という期待が春香の中にあった。真もそう思っているようだった。

「…あ、真ちゃん。ちょっと私、トイレに行ってくるね」

「雪歩?」

「ちょっとお水飲みすぎちゃって…すぐ戻ってくるから、ね?」

雪歩は少しお腹を擦りながら、トイレに行ってくる仕草をした。

「ああ、うん…」

「もうすぐ本番始まるから、急いでね!」

たたっ…と離れていった雪歩を心配そうに見る春香と真だったが、2人は気づくことが出来なかった。

雪歩の顔色が優れていないこと、観客席最前列に―――雪歩が大の苦手とする犬が座っていたのを。




次回くらいでアニマス3話を終わらせたいです。
他のアイドルちゃんも一杯書きたいので…。

では次回もお楽しみに!

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