THE IDOLM@STER  二つの星   作:IMBEL

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お気に入り5000件を突破してしまい、ありがとうございますという胸が張り裂けそうな思いと共に、毎度のことながらガクブルしております。
今回は細かい所ですが、独自設定有りです。


第32話 湧きだす勇気、全ては小さな一歩から

「だから美希にはあれほどアドリブで喋るなって…!」

「ま、まあ確かにそうかもしれないけれどだな…」

プロデューサーが雪歩の様子に気付いたのは、ほとんど偶然に近かった。

ステージで美希のアドリブとそれに振り回される朱里のことを律子と話している最中だった。ふと、プロデューサーは雪歩を見てみると、小刻みに震え、目線の先の何かが気になって仕方ない姿に気付いたのだ。また男か…? 彼はそう真っ先に予想を立てたが、どうやら違う様子だった。

(…犬?)

目線を追うと、丁度ユニットのセンターが立つ辺りの位置、その真正面の最前列にちょこんと座っていた。動物に詳しくない為種類までは分からないがそこそこの大きさで、一般的に認知されているような典型的な『犬』というカテゴリーに属する生き物がそこにはいた。

真っ黒く濡れた目はステージ上の2人を見ており、時折パタパタと尻尾を振っている。鎖に繋がれてはおらず、綺麗な赤い革の首輪をしていた。見た限りでは人懐っこい様子の犬だった。

だが、雪歩はそんな犬の一挙手一投足に敏感な反応を見せていた。息が口から洩れ、呼吸をするたびに上下に揺れるだけでプルプルと怯えていた。そして、遂に耐えきれなくなったのか、急にお腹を擦りながら「トイレに行ってくる」と春香と真に伝え、外へと飛び出して行ってしまった。

(犬が怖い…のか)

確証こそなかったがプロデューサーは雪歩が怯えていた理由に合点がいったこと、雪歩に男以外にも苦手なものがあったこと、この本番直前でそれが発覚してしまう間の悪さやせっかく調子を戻していたはずのコンディションへの心配など…様々な感情が渦を巻くが同時に、犬が苦手ということに共感を覚えてしまう自分もいた。

橋の手すりの上を立って歩いたり、どれだけ高い木に登れるか…子供たちの間ではそういう一種の度胸試しが度々行われる。いつの時代も男がやる事に変わりはないのか、プロデューサーがまだ子供の時にもそういう度胸試しは行われていた。

学校近辺の通学路途中にある家で飼われている怖い犬にタッチして戻ってこい―――よくある度胸試しだった。

同級生数人で向かい、周りの皆は危なっかしくもクリアしていき、彼一人だけが残った。やるのは嫌だったが、仲間外れにされるのも嫌で仕方なく参加することにした。

恐る恐る犬の身体に触れ、後は逃げるだけ。だが足がすくんでしまい、逃げるのが遅れた。完全に逃げ遅れた。犬は目を開け、機嫌がすこぶる悪いのか大声で吠えると、そのままプロデューサーの手目がけて飛び出して―――ガブリと噛まれた。

自業自得と云えばそこまでだが、噛まれた傷が消えて何年も経つがあの怖さを忘れることは出来ない。おかげで今でも犬が苦手だ。雪歩まで怯えなくても、犬と対峙していると思わず後ずさりしてしまうくらいには。

…気付いたのはプロデューサーだけだった。犬が苦手だからこそ、雪歩の繊細な変化に自分だけが気付けたのだろう。

「…律子、俺もちょっとトイレに行ってくる」

「はぁ!?」

「い、いや昼に食べ損ねたおにぎりを食べたら、なんか腹の調子が、な。傷んでいたかもしれん」

痛くも何ともない腹を擦りながら、わざとそんな演技をする。変に畏まって出ていくより、こうした方が良いと思ったからだ。大事になってしまえば、繊細な雪歩はみんなに迷惑をかけたとまた傷ついてしまうだろう。今、場が良い感じで纏まっている以上、余計な騒ぎで崩したくないという思いもあった。

無事に連れ戻せるかどうかは自分次第だが、後はもう腹を括るしかない、と覚悟した。

律子は情けない姿のプロデューサーに呆れつつも意図を汲み取ったのか「すぐに戻って来てくださいね」と少しだけ心配そうにし、この場を離れる許可を貰った。

 

 

 

 

 

 

ステージと校舎の間の道―――辺りは暗がりでステージや屋台に吊るされた照明の灯りで何とか見えるような道の中、雪歩は巣穴に潜り込む小動物のように縮こまった。

これは昔からの雪歩の癖だ。嫌なことがあったり、それから逃れるために穴を掘ったり、膝を抱えて蹲ってしまうのは。

「雪歩、どうしたんだ? やっぱり腹が痛むのか?」

「プロデューサー…」

ジャリっと砂を踏む音に振り返ると、暗がりの中でプロデューサーが立っていた。

「ち、違うんです。観客席の…最前列に犬が居たんです。わ、私…犬がどうしても苦手で…」

雪歩の言葉からやっぱりそうだったか、と確信を得た。やはり雪歩は犬が苦手だったのだ。

「皆に迷惑かけて、朱里ちゃんと約束して、リハーサルも上手くいって……」

でも、と雪歩はか細い声を発した。

「私の犬が怖いってせいで全部が台無しになっちゃうって…またダメダメな自分に戻っちゃうって思うと…怖くなっちゃって…」

雪歩はギュッと膝を抱える力を強くした。センターポジションで今日歌う雪歩は嫌でもあの犬の前に立たなければならない。

人だったら意思疎通は可能かもしれない、追い払えるかもしれない。でも、人間以外の動物ではそれは無理だった。言葉も通じず、意思疎通ができない存在で、大声で吠えて人を噛むこともある動物。だから、雪歩は犬が苦手なのだ。響は多数の動物を飼っており、時々飼い犬を事務所に連れてくることがあるが未だに近づくことも出来ないでいる。

「カッコ悪いですよね、私って。いざ本番っていう時に臆病風に吹かれてまた逃げ出して…犬で逃げ出すなんて…」

「分かるさ。俺だって犬苦手だから。子供の頃、悪戯して噛まれたからな」

おかげで今でも犬が苦手だよ、とプロデューサーは言った。

「俺だって失敗ばかりで嫌になったよ。何回皆に迷惑かけたんだろうって…今日ここから消えたいって何回思ったか、動きたくないって、逃げたいって…」

後悔と懺悔から下を俯き、今にも泣きだしそうだった雪歩に、プロデューサーは何ともないようにそう語った。

名前を間違えられるし、子供に舐められるし、衣装を忘れて私服姿でアイドルをステージに上がらせたり…今日ここに来てからの失態はどれもこれも嫌なことばかりだ。

「でも、ここで逃げたら、多分、いや、絶対何も変わらないって思ったからさ、逃げなかった」

「…!」

「伊織には睨まれたし、千早には何もかもが駄目なんて言われて、律子にも何度ため息をつかれたか分からないけど…俺が初めて取ってきた仕事だっただからさ、やっぱり逃げたくはなかったんだよ。失敗ばかりしてカッコ悪いかもしれないけど、自分で選んだ仕事だから最後までやらなきゃな」

もしかしたらまた失敗して恥をかくかもしれない。失敗して怒られるかもしれない。けれど、プロデューサーは逃げださなかった。自分で誓った決意なんて簡単に覆せてしまうが、ここで逃げたら底なしに自分が嫌いになると分かっていたからだ。

男の意地もあるのだろうが、情けないままの自分で終わるのがプロデューサーは嫌だったのだ。

「それにさ、俺はどんな姿でも雪歩が立つステージを見たいって思っている。雪歩のステージを生で見るのなんて初めてだから。俺のせいでちゃんとした衣装もないし、恥をかくかもしれないけれどさ、それでも俺は見てみたい」

プロデューサーはスッと小指を前に差出し、指切りげんまんの構えを取った。

「大丈夫さ、約束する! 犬なんて俺が絶対に近づけさせない、吠えさせもしない! 春香達とステージに立つんだろ? 朱里とも約束したんだろ? それをやるんだったら、何だってするさ! たとえ、噛みつかれても、近づけはさせない!! 噛まれるのだって初めてじゃないしな!!」

犬に噛まれた経験があるプロデューサーのその言葉は有無を言わせない説得力があった。雪歩は自然と腕を伸ばしてしまう。

「…や、約束」

「ああ、約束だ! 雪歩はステージのことだけ考えていてくれ!」

雪歩は少し考えた後、顔を上げて同じように小指を差出し、そのままプロデューサーと指切りげんまんを交わした。

しばらく指を交わし解いた後、雪歩は決心したかのような真剣な顔をする。今すぐやらなければならない、そんな様子でプロデューサーに懇願した。

「あの、プロデューサー! 必ず戻りますから!私に少しだけ時間をくれませんか…!?」

 

 

 

 

 

 

大急ぎで控え室に戻った雪歩は、鏡の前に座り、数十分前まで美希が使っていたメイク道具を手に取った。

そして自分が着ていた白いシャツを破り、鏡を見ながらルージュで自分の頬に綺麗な星形のペインティングマークを作る。

普段なら絶対にしないような行動を取っているなぁ、と自分でも思う。こんなロックバンドじみたメイク、今までやったことすらなかった。

昔、父に聞いたことがあった。

武将は戦に出る際、負けて殺される時に死に恥をさらさないように、甲冑の中に香を焚き込めたり、髪や顔に化粧をしていたという話を。それは戦化粧、と呼ばれている行為だった。

初めて聞いた時は武将にも見栄っ張りな部分があるものだとしか思わなかったが、今の雪歩なら何となくそれが分かる気がする。

短い髪をくるりと束ね、サイドテールにする。髪には春香が普段しているような派手なリボンを一つ付ける。

きっと、彼らは自分を奮い立たせるために行っていたのではないだろうか。弱い自分を周りに悟られないように、味方に強い自分について来いと云うために。そして何よりも弱い自分に負けて押しつぶされないようにするために…。

「メイクはこれで良し…後は…!」

手早くメイクを終えた雪歩は、控え室の隅っこに置かれていた赤色の衣装ケースを勢いよく開いた。中には赤と黒色のあの衣装『パンキッシュゴシック』が顔を覗かせる。

(プロデューサーが間違えて持ってきたこの衣装…)

間違えてこの衣装を持ってきたことはただの偶然だったのかもしれないが、今の雪歩にとってはまるで運命のようだとすら感じられた。

雪歩の中では男の人も犬も苦手で、怖くて、大きな存在だ。

でも、失敗に怯え、心の中でブレーキをかけていた自分が何よりも大きく、いつも自分に立ちはだかる最大の障害物だった。

『イメージできる最高の姿や最良の場面が訪れなかったら? 何かの拍子で崩れてしまったら?』

そんな『もしも』を考えてしまう自分、それを吹き飛ばす。自分が抱える、なりたくない自分を蹴っ飛ばす。弱い自分をアイドルになりたい努力を重ねた自分を、信じてくれる自分を脅かすような存在を吹き飛ばす為に、自分を奮い立たせる為に、このような強烈な黒い衣装が今ここにあるのだと。

衣装に袖を通し、黒色のブーツを履きながら、そんな錯覚に陥りそうだった。

思い出すのは倉庫で泣いていた自分に言ってくれた言葉だった。

『そんな時は…雪歩さんが私たちを助けてくれますか? 私のことを見ていてくれた時のように』

―――いつもだったら崩れていたかもしれない。悲鳴をあげて蹲るように縮まっていただろう。

リハーサルの最中に聞こえてきた男性の声と姿に悲鳴を上げそうになったが―――朱里に言われたあの言葉を、触れられた手を思い出していた。

それに気付いた瞬間、倒れる訳にはいかないという、そんな思いが自分を踏んばらさせ、足を止めさせなかった。

皆に支えられるだけじゃない、自分も皆を支えたい、そう思ったのだ。その気持ちがあの時、無意識の内に身体を動かしていた。

…もしかしたら余計なお世話かもしれない。ひんそーでちんちくりんで一度は逃げ出し、指切りやメイク、衣装で己を鼓舞しなければ、勇気を出せずに苦手な物を振り切れない今の自分が支えられることなど、何もないかもしれない。

でも、そうだったとしても。

初めてユニットでステージに上がる朱里と美希の背中を押してあげるような、そんなアイドルでありたい。誰かを支えられるような強いアイドルになりたい。自分のことを見たいと言ってくれた人の期待に応えられるようなアイドルでありたい。

―――そんな私に、そんな萩原雪歩に、自分はなりたいのだから。

「よしっ!!」

鏡の前でぎゅっと握りこぶしを一つ入れて、立ち上がった。泣くだけ泣いた、弱音も吐いて自分を奮い立たせた。後はステージに出て、歌うだけ。

控え室を出て、黒色のブーツで軽やかに砂利道を蹴りながら、雪歩はステージ裏入口のロープを飛び越える。

「ええっ!?」

「ゆ、雪歩その恰好は!?」

僅か数分の間に変貌した自分に驚愕するプロデューサーと律子を振り切るように駆け出し、そのままの勢いで一気にステージに飛び出して中央まで着地した。

「ゆきっ…!?」

「ほ!?」

「さん!?」

「なの!?」

先にステージに上がってトークを長引かせ、雪歩が来るまでの時間を稼いでいた他の4人は派手な登場をした雪歩を見るなりギョッとしたが、雪歩はすうっと息を吸い込み…。

「お、お待たせいたしましたぁぁぁぁぁぁ!!!」

勢いよく叫んだ。音響の効果もあるが、今まで出したことのないような音量で出した声はマイクのハウリング音と共に、会場中へと響き渡る。

「「……」」

数瞬の間、呆然とする観客とアイドルで沈黙が辺りを満たすが、いち早く朱里と美希はチラリと互いの顔を見合わせ、にやりと笑った。

「…さあ、お待たせしたの! ちょっと遅刻しちゃったけど、今からステージの始まりなの!」

美希の口上に続き、朱里もマイクを握る。

そう、役者が全員揃った。お膳立ては十分やった上にぶっ飛んだ登場で、会場の目線は今や一気に雪歩へと注がれている。事情は読めないが、今は送り出すしかないと、2人は場の空気で察したのだ。

「普段は引っ込み思案で大人しく、だけどいざという時は大胆不敵!」

その言葉に反応するように、照明担当の亜美と真美が雪歩にスポットライトを当ててくれる粋な計らいをしてくれる。

「765プロが誇るダークホースアイドル、萩原雪歩をセンターに!」

朱里たちもMCの経験なんて全然ないのに、つらつらと言葉が出てくる。それは多分、この事務所に来てから2人が感じていたのをそのまま言葉にするようなものだからだ。

「髪のリボンが目印のアイドル、天海春香さんと!」

朱里が春香を見る。

「男の子みたいな女の子、菊地真君の3人で送るのはこの曲なの!」

美希が真を見て、そしてすぅ…と息を吸い、美希と朱里の声が重なった。

「「『ALRIGHT*』!!」」

 

 

 

 

 

 

無茶苦茶だけど、カッコいい。MCを終え、一度引っ込んでステージの上での雪歩を見た第一印象がまさにそれだ。プロデューサーから「少しだけ時間を稼いでくれ」とサインが飛び、春香と真だけがステージに上がってきた時は雪歩のことが心配で仕方なかったのだが、まさかあんなサプライズを用意していたとは。

穏やかな曲であるはずの『ALRIGHT*』と相反する衣装『パンキッシュゴシック』を身に着けて歌う雪歩は何とも珍妙な印象を受けるが―――雪歩の堂々とした態度は、その珍妙さを吹き飛ばしてしまう程のパワーがあった。

春香も真も、そんなエネルギッシュな雪歩に引っ張られるように、グングンとパフォーマンスを上げていっている。雪歩もそれに負けじとさらにギアを上げていっている。見たこともないようなレベルまで3人が到達しているような、そんな錯覚を覚えてしまう。

会場は予想以上の盛り上がりで、来て早々雪歩を怯えさせてしまったランニング姿のあの兄ちゃん達も嬉しそうに笑っていた。

きっと、あんなに怯えていたあの子がステージではあんなに…というギャップに驚きながらも喜んでいるのだろう。そんな光景に何だか朱里自身も嬉しくなってしまった。

美希もあはっと笑いながら、雪歩を指さしていた。

「雪歩キラキラしてるの!」

「まあ、ね。自信に満ち溢れているっていうのか、開き直っているっていうのか」

「全然違うの。雪歩、リハの時より動けているんじゃないかな?」

うん、と頷きながら思う。今の雪歩は吹っ切れている。

動きのキレは真以上にも見えるし、春香以上の元気なパフォーマンスでビジュアルの点でも抜群だった。雪歩が持つ綺麗な声色も自信に満ち溢れている今はそれがより大きな声で会場へと響いている。

『パンキッシュゴシック』の黒を基調とした派手さと普段は白色の服装の雪歩とは違ったギャップもあってか、普段以上に大人びて、そして活発に見えるのもあるのだろう。黒は女を美しく見せる、なんて至言があるくらいだのだから。

「雪歩、あんなに派手な格好することはなかったから、美希も驚いちゃったけど…でも、堂々とした今の雪歩には似合っているの!」

「衣装も似合っているけどそれだけじゃない…歌っている『ALRIGHT*』の歌詞も今の雪歩さんの姿にあっているんだよ」

―――もし今日泣いてしまっても、明日はきっと強くなれる。もし今日笑えたのなら、明日はその笑顔できっと幸せになれる。

『ALRIGHT*』は前に進めないような人を応援するかのような歌詞や言い回しが多い。

泣いたっていいのだ、その涙の分だけ立ち上がれたのなら強くなれる。

もしその中で笑えたのならば、その笑顔は自分だけでなく他の誰かだってきっと幸せに出来るのだから。

そうなれたのなら、たとえ涙を流してしまっても結果オーライ、だから今一歩を踏み出して出発しよう。

まるで誂えたかのように今日の雪歩の状況にシンクロしている。会場の空気、衣装、曲…全てが味方をしているかのような独壇場だ。だからこそ、歌詞に乗せられる気持ちも思いも普段とは比べ物にならないんじゃないだろうか。

朱里が初めてのオーディションで「自分」から「私」へと、今の自分を受け入れるという心の変化を、女としての始まりを歌えたあの時の『READY!!』のように。

―――きっと、怖いはずだ。足が震えて、動悸が激しくなってしまう。一歩を踏み出すのは怖気づいてしまう。

でも、震えながらも雪歩は勇気を持って踏み出し、黒色の衣装と共にステージへと立った。

それは他人から見れば小さな一歩だったかもしれないが、雪歩自身にとってはとても大きな一歩だったはずだ。

その一歩を踏み出せたからこそ、今、堂々とステージで踊れている雪歩の姿があるのだから。

(……やっぱり、先輩は凄いなぁ)

その雪歩にも負けない勢いの春香と真にも、朱里はうっとりと見入ってしまう。

春香は765プロには上下関係は関係ないと言ってくれたが、こういう姿を見せてくれるから、私は先輩として敬ってしまうんだよなぁと苦笑してしまう。見て知って触れ合って、そのたびに分かる底の知れなさと成長具合。たった数ヶ月で自分を大きく変え、多大な影響を与えてくれたアイドル達に驚かされるばかりだ。

そして最後は3人一緒に左手を高く上げると共に曲が終わり、歓声と同時に大きな拍手が沸き起こった。勿論、朱里や美希もその拍手に加わっている一員だ。

「すっごいのー雪歩!」

「カッコいいですよ3人ともー!!」

ピーピーという口笛まで聞こえ、拍手に包まれるステージ。だが、3人がステージから降りない様子から「もしかしてアンコール?」「おお、まだやんのか、いいぞー」という声が観客から沸き起こる。

―――そうだった。すっかり観客モードに入ってしまっていた2人は我に返った。

今のステージに見とれてしまっていたが、まだ続いている。この盛り上がりが最高潮の中、2人はあの中に加わってステージに立たなければいけない。

「朱里、いける?」

「いつでも、いける! ここまでお膳立てされちゃあ、ビビる訳にもいかないって!」

姉さんこそ大丈夫? と意地悪そうに聞き返すと、美希も同じような顔で笑った。

「美希も同じ気分! 早く、あそこへ行きたくてうずうずしてるの!」

やっぱり一緒に姉妹でアイドルをやっているからか、こういう所も影響されてしまったのかなって、思ってしまう。怖気づくよりも先にワクワクが勝っちゃう所とか、負けず嫌いな所とか。

そして、これは朱里個人の感情だが、自分の姉…美希と一緒に、先輩たちが盛り上げた舞台で踊れるということに、ワクワクしていた。

この今日一番の盛り上がりを見せているこの場面での自分たちの出番―――ナイスな展開ではないか。

「えへへ…皆さんのご声援に応えまして、さっきいた美希と朱里ちゃんの2人を加えて、もう1曲だけ歌っちゃいます!」

「5人で立つ初めてのステージで、僕たちが歌う曲は…!」

春香と真の言葉に続くように、雪歩が力強く言い放つ。

「『GO MY WAY!!』!!」

その声と共に、美希と朱里は地面を蹴り、一斉にステージへとダイブした。

 

 

 

 

 

 

リハと同じステップを繰り出すだけで、ゴリゴリと体力が削られていくような感覚。まるで嵐の中にいるような気分だ。

歓声と照明を浴びながら踊る朱里は今の状況をそう例えた。気を抜いたら吹っ飛ばされそうな苦しさ、熱気と騒動、まるで降りしきる雨のように滴り落ちる自分の汗。

その渦の中心に今、朱里たちは立っている。風に吹かれるように、追い風に背中を押されるように、疲れているはずの自分の身体が引っ張られるように動くこの感覚。ダンサブルでない曲であるはずの『GO MY WAY!!』が、何か違う曲であるような錯覚に陥りそうになる。

(これがユニット、これが複数人で歌う本番の空気…!)

レッスンやリハーサルの時とは全然違う。やっぱり本番という空気は、アイドルが生み出すパフォーマンスも勿論だが、観客たちの熱気と共に作り出されている。誰かが屋台のくじで当てた光るペンやらをサイリウム代わりにして応援してくれる子供もいた。

前方を見ていると、色んな人がいることに気付く。自分を指さしながら笑っている人、歌に聞き入っている人、ペンライトを振る事だけに熱中している人、終いには音響に驚いてワンワン吠える犬を宥める人までいた。

お祭りなんだから楽しんだもの勝ちだな、と朱里は思う。自分たちが裏で何があったか、今このパフォーマンスにどれだけの体力と気力を注ぎ込んでいるかなど、きっとこの状況では理解してもらえないだろう。

ここに立つ苦しさと高揚感は自分たちにしか分からない。

でも、この場所にいる楽しさを分け合う事は出来る。連なる熱と歓声を一緒に感じ、味わうことは出来る。

複数人で踊り、周りの熱気に身体を当てられることにより、普段では辿りつけないような境地にまで至れるこの感覚。怖さと興奮が半分混ざり合った寒気に朱里は思わずぶるりと身体を震わせた。

―――やっぱり、アイドルって楽しい!!

前方にいる雪歩を見てみると、その後ろ姿はブレておらず、凛としている。春香も真も同じだ。

『ALRIGHT*』の時の熱気を引きずっているのもあるのだろうが、さっきと同じように『GO MY WAY!!』の歌詞にも勇気を貰っているのかもしれない。

―――どんな困難な未来があってもくじけずに自分の道を進みたい、自分が思い描く一番の自分になりたい、そして挑戦し続けることへの素晴らしさをずっと持っていて欲しい。

まるで頑張っている人の背中を押すような歌詞ばかりが『GO MY WAY!!』には多い。今の状況にこの曲はバッチリ合っていて、歌詞に込める力も自然と強くなれる。

もしかしたら、セトリを組んだ時点でこうなることを予想していたんじゃないだろうか、という気持ちにもなってしまう。そうだとしたら、律子とプロデューサーは本当に良い仕事をしてくれた。

(それに、なりたい私を目指しているのは―――雪歩さんだけ、じゃないから!)

タンタンっと心地良いリズムでステップを繰り出し、ニッコリと笑顔を見せる。苦しいはずなのに、吹き飛ばされそうな熱気の中でも笑えていた。

『GO MY WAY!!』の歌詞にも勇気を貰っているのは朱里もだった。なりたい私、目指したい私。そう、美希に追いつきたい、美希と一緒に並びたい自分…あの日の前座からそれは思っていた願い。

そう、春香達3人を介してはいるものの、美希と同じステージに今、立てているのだから。

春ごろまで自分の姉の存在はもの凄く邪魔でおせっかいな存在だったはずなのに、数か月経った今では、何よりも自分が超えたいと思っている人物となっていた。

そんな美希と一緒に本番に挑めているこの時間。それがとても楽しくて、嬉しくて…その想いが朱里のギアを一段加速させる。

目線だけを美希に向けると、美希もまた前を見ながらニッコリ笑っていた。ジャンプでふわりと揺れる金髪が照明で輝き、汗が飛沫のように飛び散っている。

また自分が知らない所で実力を上げたなと、一目見ただけで理解した。動きも声も進化している。自分と同じようにこの空気に当てられ、数段上の境地へと踏み込んでいる。美希が使う言葉を借りると、いつも以上に「キラキラ」しているのだから。

でも、まだ上があるはずだ。今日雪歩が吹っ切れたように、自分がこの熱気に当てられたように、まだまだ美希は上へと行けるはず。だってあの美希だ、何でもかんでも影響されて、すぐにそれを吸収してしまう天才の姉なのだから。

美しいと思う。その純粋さ、そのひたむきさが。それが羨ましくて、葛藤した時もあったが―――それに追いつかずにはいられない。憧れずにはいられなかった。

私だって負けられない、いつか必ず追いついて、もっと多くの時間を美希と立っていたい。1曲だけじゃない、何曲でも…もっとたくさんの時間を姉と一緒に歌っていたい。

そして、いつかは…美希と二人だけで、大きなステージに立ってみたい。二人で肩を並べられるようになりたい。憧れであり、目標である美希に誇れる女でありたい。

―――そんな私に、星井朱里はなりたいのだから。

嵐のように感じる数分間はあっという間に過ぎ去り、エンディングに向かって曲が終わりつつあった。

両手で願いを込めるように左右を見渡し、最後のトリをかざるようにセンターの春香は右手を上げてポーズを決め、他の4人も笑顔でポーズを決めた。

…そして、またしても大きな拍手が沸き起こった。「男前!」だの「天晴!」だの歓声が聞こえ、ふと校庭脇の金網に目を向けると、子供たちの集団が拍手しているのに気付いた。来た時に「知らねー!」と高らかに叫んでいた子供も一緒になって交じっている。

その光景に5人は顔を見合いながら笑って、誰からともなく両手を繋ぐと、高々と上げる。

「…ありがとうございました!」

挨拶と共にしばらく頭を下げ、それが終わると胸を張って退場していく朱里たち。声援を背に受け、汗まみれで笑う5人のその顔に、何かの始まりを告げるような鮮やかな月明かりが煌めいていた。

 

 

 

 

 

 

「はーい、反省会は後日やるから、今日はさっさと帰る事!!」

「「えー!」」

「えーじゃないわよ! さっさと帰らないと電車に乗り遅れるわよ!! 寄り道せずにさっさと帰った!!」

遠路はるばる事務所に帰ってきて、興奮が収まらないアイドルをさっさと事務所の外に放り出す律子と文句を言うアイドルたちでごった返す事務所。

そんな姿を見ながら、朱里は給湯室で慣れた手つきでコーヒーを淹れていた。同じように「朱里も早く帰りなさい」と急かされるが、「これ淹れたら帰りますから」とだけ言っておく。

「だってこれから泊まり込みで仕事するんですよね? 眠気覚ましの強烈な一杯だけでも淹れますよ」

普段は砂糖を入れて甘くするが、今夜は苦さだけを残したブラックコーヒーをマグカップに淹れると、はいと律子に渡し、最後は窓の外を見ているプロデューサーへと渡した。

「プロデューサー、はい、これ」

「ああ、ありがとう」

「どうしたんですか、ため息なんかついちゃって」

「…自分の甘さや未熟さを痛感したからな、今日は」

結果オーライで終わったとはいえ、自分のミスでいらぬトラブルも巻き起こしてしまった彼の心中は、色々思うところがあるのだろう。グッと顔が強張り、マグカップを持つ手にも力が入っていた。

「…それを飲み終わったら、顔を洗って鏡で見てみてください」

「えっ?」

「目も覚めてスッキリしますよ。今、凄い顔になっていますから」

くるくると自分のほっぺを指で円を描く朱里。

プロデューサーは気づいていないが、右のほっぺには今日の雪歩と同じようなペインティングマークが書かれている。帰りの車の中でパーキングエリアで彼がうたた寝した瞬間、亜美真美に落書きされたのだ。さっき話している時もグッと強張る顔と共に見えた落書きに吹き出しそうになってしまったのは秘密だ。

2人からは「落書きのことは言っちゃダメだよ!」と言われたが、自分は顔を洗う話しかしていないので、約束は破っていない。問題はないだろう。これで気付いてくれるとうれしいのだが。

「後はパソコンのデスクも見てみてください。ステキなプレゼント、用意されてますから」

それだけを言うと、お疲れ様でしたと朱里も事務所を出ていった。

―――まだ気づいていないかもしれないが、プロデューサーの専用デスクには小さな包みと一緒に一通のメッセージカードが挟んであった。トイレ休憩でパーキングエリアに止まった時に、雪歩が売店で買ったのだ。

一つはびわ漬け。柑橘類系の保存食で、その甘酸っぱさで病み付きになる人も多いお土産だそうだ。柑橘類は疲労回復にも良いそうで、泊まり込みで仕事をするプロデューサー達にはピッタリなお土産だろう。

もう一枚のメッセージカードには…何が書いてあるかは分からない。何やら車内でコソコソとペンを動かしながら書いているのは見ていたが、暗い上に疲れて意識も朦朧としていた為、全容は読めなかった。きっと色々と言葉では伝えられないことを文字にして書いていたのだろう。

ただ、書き終った手紙を畳む最中に、最後の一文だけちらりと読むことは出来た。そこにはこう書いてあった気がした。

まだ完全に克服したわけじゃないし、本当の犬は怖いけど、これからも頑張りますから、よろしくお願いしますね!―――と。




アニマス3話、終了しました。
とりあえずしばらくは、番外編やらサイドエピソードをしばらく挟みつつ、またアニメ本編へと戻る予定です。

では次回もお楽しみに!

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