割と、そんな風に宇津木優季は思っている。あの居心地は好きだし、戦車道のあり方だって
好きだ。練習をして、強敵を倒すことも好きだ。
重戦車を次々と撃破していって、大洗を救って、ますます戦車道のことが好きになった。友達とプロを目指すのもありかな、と考えるようになった。
けれど――
優季は、恋愛という試合に負けた。不戦敗だったといっても良い。恋愛感情を抱いていた
「友人」は、実は他に好きな人がいて――
いいもん。
恋愛に対してふてくされてはいるが、結局は六月開催の大洗学園文化祭へ足を運んでしまう。
目的はもちろん、出会いを求めてだ。
もちろん男だらけだし、中にはイケメンだって居た。後は目を合わせて、声をかけるだけで
全てが始まる。
が、
優季は決して猪突猛進ではないから、呼吸をするようにナンパなんて出来ない。何の後ろ盾も
無く男に声をかけるなんて、重戦車を倒す事と比べれば無謀にも等しい。
怖がりだなあ、と思う。これが普通だよね、とも思う。
中学の頃は共学だったから、男と普通に接する機会もあったし、気が合えば友達にもなった。
そう、恋人ではなく友達として――
腹から音が鳴る。
屋台を歩き回っていると、何だか腹が減ってきた。何か食べれば落ち着くだろうということで、何かいいものはないかなと首を動かし、
1年C組のクレープ屋が、目に入る。ウサギさんチームのシンボルマークである、包丁を持ったウサギのぬいぐるみがちょこんと突っ立っていた。
「あのー、すいませーん」
多少間延びした印象のある、女性の声が桃生の耳にすらりと入る。
はてなんだろうと、絶賛加熱中の鉄板から目を上げ、
「このぬいぐるみ、どこで売ってたんですかぁ?」
小柄な身長、整ったショートヘア、のんびりとした印象がある目つき、太めの眉、心を
離さない声。服はシンプルなフェミニンスタイル。
桃生は、本来女性の顔をじろじろ見るタイプではない。ぬいぐるみや小動物、可愛い小物なら
しょっちゅう注目するのだが、女性の場合は「可愛かったな」とか「綺麗だったな」の感想で
締めることが多い。
どうして、ここまで関心を抱いたんだっけ。どこかで会ったっけ。
「あ、こ、これ! これは……お、俺が作ったんだ」
あははと笑ったのは、苦し紛れだ。恥ずかしくて、こうでもしていないとキツかったからだ。
おかしい。さっきから気持ちがぎこちない。
「え――え、ええー? これ、あなたが作ったんですか? ど、どうして?」
ああ、と桃生は頷き、
「前にさ、大洗学園艦が廃艦にされそうになった時、戦車道履修者のみんなが助けて
くれたよね?」
うんうんと、女性が二度頷く。
「それで、ウチの戦車道チームってどんな感じだったかなって、学校のサイトを見てみたんだ――そうしたら、可愛い動物のシンボルマークが描いてあるじゃない」
「あ」と女性が口を丸くする。作られる表情にまったく裏表が感じられない。
――今、「学校のサイトで見た」と喋ったが、そこで強い引っかかりを覚える。そういえば、
戦車道関連ページには、戦車に乗員する生徒の顔写真もあったような。
「それでね、その……そのマークのぬいぐるみを作りたくなったんだ。あと、大洗を助けてくれたお礼も兼ねてね」
屋台を彩るように、あんこう、アヒル、カバ、カメ、カモ、ライオン、アリクイ、ウサギの
ぬいぐるみが所々に鎮座している。友人からは「よう作るなあ」と笑われたものだ。
戦車道にはけして明るくはないが、あの試合内容は間違いなく真剣そのものだった。女子高生が学園艦の命運を背負い、戦車という難しい乗り物に乗って戦うなんて、尊敬するしかなかった。
だからこそ、その敬意を払う為に、お礼をする為に、そして可愛いものを作りたいという欲求を満たす為に、こうしてそれぞれのぬいぐるみを作ったわけだ。
「これ……とても可愛いと思います」
女性が、ウサギのぬいぐるみを指さす。ぬいぐるみのことを可愛いと言われ、「ありがとう」と頭を下げたことは何度もある。
――恥ずかしいと思ったのは、今が初めてだった。
「ありがとう。このウサギって、コミカルで可愛いよね。あぶなっかしいけど愛くるしいって
いうか」
デフォルメされた体系であるが、目つきは悪いし包丁は持っているし。
だからこそ、作っていて一番楽しかったという面もある。
「あはは、そう思います? ……ええっとですねぇ、このウサギさんのマークがついた戦車に
乗ってるんですよ、私」
へえー。
すごいなあと桃生は感心し、
「え、え!? ……あ、そういえば、君……!」
女性が、少し驚きながら「は、はい」と答える。
思い出した。あの時の試合はきっちり見ていたくせに、どうして搭乗員の事を忘れていたの
だろう。――たぶん、せわしなく動き回る戦車に、全てを託していたからだ。
それほどまで、必死だった。だからこそ、がんばった動物達のことを作りたくて作りたくて
しょうがなかった。
「す、すごい……いやあ、光栄だなあ。乗っている本人から、ぬいぐるみを評価してくれる
なんて」
「い、いえ! このぬいぐるみもよく出来ていて、その、すごいですよ!」
桃生も女性もあたふたと口を動かし、平常心がカケラも無い表情をさらけ出している。
ウサギの戦車に乗っている本人から、心に来る可愛さを秘めた女性から、ぬいぐるみのことを「可愛い」「すごい」と評価してくれたのだ。
まるで自分自身が褒められたように、ばかみたく盛り上がった。阿呆なくらい緊張した。可愛いものを見ればすぐテンションが上がるが、それで心臓が苦しくなったりはしない。
「いやー……凄く嬉しいなあ。こんな、可愛い子に褒められるなんて」
可愛い、とあえて言ったのはアピールのつもりだ。
この子のことをもっと知りたい、関心を抱いて欲しい。なぜだろう。
「か、かわいい……あ、ありがとうございます」
のんびりとした、それでいて緊張感丸出しの声とともに、女性は頭を下げた。
――ウサギさんのぬいぐるみに、ちらりと視線を向ける。
「あ、あの……」
「なんですかぁ?」
女性が、首を少しかしげる。
この人ともう一度会いたい。
抱いた感情の名前はよく分からない――ただ、心惹かれた。
だから、「繋がり」を作りたかった。
「ええっと、そのぬいぐるみ、」
「あ、ユウキー!」
勢いのある声につられるがまま、桃生は首を横に振る。私服姿の女の子が、五人、このクレープ屋に近づいてくる。
もっと正確に言えば、「ユウキ」と呼ばれた少女めがけ、寄ってくる。
「ここにいたんだね。いやあ、朝っぱらから文化祭ライフとは健康的だね」
セミショートの女性が、「ユウキ」に対して気軽に接している。たぶん友人関係なのだろう、「ユウキ」も「えへへ」と笑っている。
「おや……これ、ウチらのマークのぬいぐるみじゃん?」
あ。
そうか、この五人もウサギさんチームの一員なのか――何だかこっ恥ずかしい気持ちになる。「よりにもよって」という気持ちもあったし、何だかその手のプロに評価されているような
気がする。
眼鏡をかけた女性が、実に興味深くぬいぐるみを拝見している。口では「試合中に見てね、その時に可愛いと思ったんだ」と接客するが、心の中では「ユウキ」の表情ばかりが絶賛ピックアップ中だ。
「うーんッ! こうして見てみると、私たちのうさぎって怖いねーほんと」
ショートヘアの女性が、けらけら笑いながらうさぎのぬいぐるみを指さしている。無闇に
触ったりしていないあたり、「さすがユウキさんのお友達だ」と思う。
「とても可愛らしいと思います。ぬいぐるみ作りが得意なんですか?」
「そうなのかな? あはは。まあ、好きなんですよぬいぐるみ」
「ユウキ」の友人は五人、そのうち四人は「すごいなー」とぬいぐるみを鑑賞している。一人は、他の屋台でギターを鳴らしている奏者を、ぼんやりと見つめていた。
「ああ、いいですね。私も作ってみようかなー、ムリか」
「いやいや、慣れたら簡単だよ、うん」
ロングヘアーの女性が、興味深そうにぬいぐるみをあちこち覗っている。
ちらりと、「ユウキ」に視線を移す。
「ユウキ」と、その他の友人は、ぬいぐるみを見ては「そういえばレオポンさんチームは凄かったねー」と話している。たぶん試合内容についてだろう。桃生も、「ユウキ」についていく為に「うんうん」と頷いている。
他にも、「カメさんチームといえば」とか「あんこうチームがいなかったらやばかったねー」と話し合っている。そのたびに「ユウキ」はころころと表情を変え、決して暗い顔はしない。それだけ戦車道に思い入れがあり、戦車道のことが好きなのだろう。
いい娘だ、と思う。
もっと見ていたい、と思う。
「ユウキ」の友人たちは全員可愛いが、どうしても「ユウキ」が一番だった。こんなボンクラな自分でも、理想の女性像というものがあったらしい。
「あ、長居しすぎてごめんなさい」
セミショートの女性が、申し訳なさそうに頭を下げる。桃生は手で焦りながら、
「いやいやいいんだよ、別に」
「そんな……あ、クレープ買います」
「ユウキ」と、その友人たちが、それぞれ二百円を差し出す。六人分はちょっと大変だったが、手を動かすことは好きだったし、
「こうしてみると、うちのウサギさんマークって可愛いんだね~」
手と手を合わせ、にっこりと微笑む「ユウキ」の為にクレープが作れるなんて、めちゃくちゃ嬉しかった。
話してまだ数分だというのに、会ってたったの数分でしかないというのに、「ユウキ」の顔をたった数回しか見ていないというのに、
「はい、お待ちどうさまでした」
出来上がった分だけクレープを手渡していく。「ユウキ」の友人たちは「ありがとー!」とそれぞれが礼を言い、最後に、
「はい、どうぞ。あ、みんなのクレープの量は増やしておいたから、ヒミツにしてね」
やったあと、一同の表情が明るくなる――もちろん、無償の奉仕などではない。大洗学園艦を救ってくれた恩返しもあるし、
「おいしいな~、幸せだなぁ」
「ユウキ」に、いい格好をしたかったから。
「じゃあ、そろそろ他のとこ行こうか」
セミショートの女性の一声に、そだねと、一同が頷く。桃生も上機嫌で「いってらっしゃい」と言葉で見送る。
ウサギさんチームの面々がクレープ屋から立ち去っていく中、「ユウキ」がちらりと振り向き、
「私たちを応援してくれて、ありがとう」
にこりと微笑み、小さく手を振る。後は、ギターの音を聴いていた友人の手をとって立ち去っていった。
「ユウキ」の背を見届ける、見えなくなるまでじっと見つめている。
ぬいぐるみはともかく、人間一人に対し、ここまでひどい執着心を持ったことはない。今日という日に限って、こんな脈絡の無い心情の展開があるなんて、そんな馬鹿な、
「ただいまー、いやーお疲れ。お前、自由にしてていい、ぞ?」
たぶん、友人が帰ってきたのだと思う。
けれど、友人の顔なんて後回しにして、桃生はただただ「ユウキ」を目で追っていく。来客に
紛れて、「ユウキ」は当たり前のように消えた。
「なあ、お前、」
「……何?」
気持ちに一区切りがついた。
何でもなかったかのように、友人に目を合わせる。
「なんで、そんな嬉しそうなツラしてんの? 誰か、有名人と会ったの?」
何でもなくなかった。
そうか。
脈絡なんて理屈は二の次で、今日この日に目覚めたとしても何ら不思議ではなくて、可愛いもの好きな自分が可愛い人に惹かれるのは当たり前のことで、
桃生は、恋に落ちた。
その後のことはといえば、あまりにも普通なので特に書くことはない。普通にクレープを作り、普通に見て回って、普通に終了して、普通に打ち上げをした。
「ユウキ」とまた会いたい。そんなことばかりを考えていれば、そりゃあ何事も無くイベントは過ぎ去っていく。
―――
桃生の居場所といえば、大洗学園に、自宅に、本土の公民館に、大洗学園艦のファンシー
ショップと、だいたい四つに定まっている。
まず、帰宅はいつでも出来る。夜遅くまで学校に居残る趣味はないし、公民館は週末限定だ。
よって、放課後ついでにファンシーショップへ寄るのは必然ともいえる。
小学何年生の頃かは忘れたが、昔はファンシーショップへ寄るのが恥ずかしかった。小学生と
いうのは「男らしさ」を最も意識する時期であるから、桃生とてタダではファンシーショップで
買い物は出来なかったのだ。
が、今は平気な顔をして自動ドアをくぐることが出来る。どう足掻いても可愛いものは
好きだし、これからもそうだろう。何度もこうして買い物をするうちに、「まあいいよね」と
済ますようになった。
中にはからかいをかけてくる同級生もいたが、そういう時は自作のぬいぐるみを見せてやると、意外にもウケが良かったりした。
こうして、桃生のフィールドが完成したというわけである。
今日も幸せ気分になりながら、程よい広さのカラフルなファンシーショップを物色し、何がいいかなこれがいいかな新作は無いかなとうろつき、
「お、これいいな」
棚に置いてある、ウサギのぬいぐるみに手を伸ばす。
棚に置いてある、ウサギのぬいぐるみへ手が伸びる。
反射神経がそれほど優れていない桃生は、「わっ」と間抜けな声を出してしまった。手と手が
触れ合い、一瞬だけ熱じみた体温を感じる。
「ご、ごめんなさいっ。失礼し、」
「いえいえっ、こっちこそぼんやりしてすみませ、」
――ここはファンシーショップだというのに、ぬいぐるみのことなど二の次になった。
桃生の頭の中は、桃生の目ん玉は、桃生のこれからの予定は、全て眼前の人物に託された。
「き、君は……ええっと、文化祭で……」
「う、うん。あなたは、ウサギさんのぬいぐるみを作ってくれた……」
たぶん、露骨なまでに嬉しそうな顔をしていたと思う。ここで幸いだったのが、目の前の女性が共に微笑んでくれた点に尽きる。
「また、会えましたねぇ」
「うん、また会えて嬉しいよ」
顔は絶対に忘れもしない。頭の中にある最優先ファイルめがけしっかり保存済みだ。
大洗女子学園の制服も着こんでいる――間違いない。あの出会いは決して夢などではなくて、
二度と届かないようなファンタジーなんかじゃなくて、この大洗学園艦のみに存在するただの
偶然だった。
「あなたは、いつもここに?」
「うん、ヒマがあればね――あ、俺は桃生、大洗学園一年。よろしくね」
ここぞとばかりに自己紹介をする。覚えて欲しいが為の勢い任せだった。
「あ、私は宇津木優季っていいます。大洗女子学園一年です」
うん、と桃生が頷く。
「わかった。俺のことは好きに呼んでもいいからね」
「じゃあ、桃生君で。私のことも好きに呼んでいいですからねぇ」
先ほどまでの、瞬間的な緊張はどこにもない。互いの身分を証明出来たというのもあるし、
文化祭という隔たりもここには無い。本当の意味で、普通に出会えた。
「じゃあ、優季さん、でいいかな?」
「はい、構いませんよ」
にこりと笑ってくれた。
「じゃあそれで――優季さんも、この店にはよく寄るの?」
「うん。昔からファンシーグッズを集めるのが好きで、時間があったらここへ行くかな」
ということは、自分とまるで同じだ。
心の中で、「やった」と喜ぶ。
「ということは、ここで何度か会ってたかもしれませんねぇ」
「そうだね」
うん、と小さく頷く。
「今日はぬいぐるみを買いに?」
「ああいや、特には決めてないかな。で、たまたまそのぬいぐるみが目について」
ウサギのぬいぐるみに対し、これね、と指さす。棚にはあと一個しか現存していないが、
取るべき選択肢など昔っから決まっている。
「なるほどー。私もだいたい、思いつきでものを買いますね」
「それが楽しいんだよね」
間。
「あ、えっと、ウサギのぬいぐるみ、買うんですよね? ど、どうぞぉ」
「いやいや」
ウサギのぬいぐるみを手に取り、優季に「はい」と手渡す。
「そ、そんな、だめですだめですーっ。それはあなたのものです」
「いや、優季さんの方が合うよ。ウサギさんチームだからね」
何を言ってるんだと思ったが、自分の中では成立した理屈だ。
「まあまあ。それに俺は、いざとなったらぬいぐるみを自作するっていう手もあるし」
そこで、優季がぱちくりとまばたきする。
「……凄いですよねぇ。ぬいぐるみを作れる、なんて」
「そんなことはないよ。興味があれば、できるできる」
実際そういうものだから、嘘偽りなく桃生は頷く。
「ぬいぐるみ作り、か……自分もやってみたいですねー」
聞き逃さない。ノロマな桃生からすれば、見事なくらいの反射神経で口元が歪む。
「優季さん」
「はい?」
「……作って、みない?」
優季が、「えっ」と目を丸くする。
「俺はさ、週末になると本土へ行って公民館に立ち寄るんだ。そこではぬいぐるみサークルって
いうのがあって、ぬいぐるみについて語り合ったり、ぬいぐるみを作ったりするんだ。
勿論初心者大歓迎、メンバーはおじさんおばさんばかりだから喜んで教えてくれるよ――子供も
一人いるかな、学年を飛び級したっていう凄い子だけど」
反応は――良い。優季の目は、湖のように輝いている。
「本当、ですか?」
「うんうん」
桃生らしくなく、力強く頷く。
「なるほどー……」
優季が、納得したように言葉を漏らし、
「じゃあ、そのぬいぐるみはあなたのものにしてください」
「え、どうして」
「作りますから」
優季の口元が、緩む。
はい、とぬいぐるみを手渡される。
「ぬいぐるみ、作ってみます」
心から嬉しそうに、これから何が起こるんだろうとワクワクするように、優季はにこりと
笑った。
それは間違いなく、桃生に向けての感情だった。
「よろしくお願いしますね、先生」
おどけるように敬礼する。
あ、これは、
やっぱり、自分も、きっかけがあれば難なく恋に溺れる男らしい。