モンスターハンター Re:ストーリーズ【完結】   作:皇我リキ

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走る赤と戦禍の先に

 浮遊感。

 

 

 ベルナ村からクエストに向かう時は大体こんな感じだったから、この感覚には慣れてきたとは思っていたけれど。

 この船の下の事を考えるとまた話は別だと思う。

 

 

「……妙な事したらやりますからね」

 半目でリーゲルさんを睨むウェインさんに、睨まれた本人は「ふっはは」と快活に笑った。

 

「そんな事したら俺も死んじまう」

「……そりゃ、そうですけどね。はぁ……アランさんから聞いてはいたりしたけど、本物のモンスターライダーって言われてもですよ、真下にディノバルド(モンスター)が居るって言われたら落ち着きませんよね」

 悪態を吐きながら座り込むウェインさんは船の外を見ながら溜息を吐く。

 

 

 私達はリーゲルさんの船でタンジアから渓流に向かっていた。

 

 以前は違ったのだけど、リーゲルさんの船は改造されて空も飛べるようになったらしいです。

 これで海の上も砂の上も空も動けるとか、なんだか凄いなって思った。

 

 

 

 そんな訳で、タンジアから出発した船は空を飛んでいます。

 

 

 もう慣れたと思っていたけれど、やっぱり改めて空から世界を見るとこの世界は広いなって思うんだ。

 私達は本当にちっぽけで、だけど人もモンスターも───どんな生き物も必死に生きている。

 

 そんなこの世界が、私は大好きだった。

 

 

「おぅ、なにを見てる」

「えーと、なんだろう」

 リーゲルさん───お父さんの質問に私はどう答えようと首を横に傾ける。

 昨日の話でまだ実感が湧かないけれど、この人が私の本当のお父さんなんだって思うとやっぱり少し嬉しかった。

 

「世界?」

「ハッハッ、視野が広いな。でもな、世界を見るならもっと視野を広くしなくちゃいけねぇ。俺達の知ってる景色なんて、この世界のほんの一部に過ぎないからな」

 どういう事だろう。私が首を横に傾けると、お父さんは隣に立って空に手を伸ばした。

 

 

「例えば今俺達が見てるこの空はな、別の場所で見る空とは別物らしい」

「え、そうなの?」

 言われて空を見上げると、綺麗な夜空が視界いっぱいに広がっている。

 

 こことは違う場所から見たら、ここで見ている空とは別の空が見えるんだ。そんな事を言われても、実感が湧かない。

 

 

「そうだな。今俺達は夜空を見てるだろ? でも別の場所ではな、お天道様が見られる───なんて話を聞いたな」

「嘘ぉ?!」

 私達のいる場所は夜で、他の場所だとお昼だなんてそんな事があるんだとリーゲルさんはそう言う。

 

 信じられないって気持ちの方が大きかったけれど、もしかしたらそんな事もあるのかもしれないって───そう思った。

 

 

 私が知ってる事なんて、この世界のほんの一部でしかないのだから。

 

 

「……本当に行くのか?」

 少しだけ間を置いて、リーゲルさんは不安そうに問いかけてくる。

 自分の子供が危険な狩場に出向くってどんな感覚なんだろうか。私にはまだその気持ちは分からない。

 

 

 ただ───

 

 

「お父さんが導いてくれた道だから……」

 色々な事があった。

 

 偶然が沢山重なって、私は今ここにいる。

 

 

 何かを違えていたら私は今ここに居ないだろうし。

 もしかしたら生きていないかもしれない。そういう世界なんだ。

 

 

 ───ただ、だからこそ。

 

 

 

「私が歩いて来た道が間違っていたって、思いたくないから。お父さんやアランに貰った道は間違ってないって思いたいから。……私ね、お父さん。怒隻慧との戦いが終わったらアランと一緒にモガの村に住もうと思ってるの」

「……ほぅ」

 私がそう言うと、リーゲルさんは横目でアランを見る。

 

 アランは息を吐き出して視線をそらすけれど、その先にはウェインさんとシノアさんが居て何やら問い質されていた。

 えーと、なんか……ごめんね!

 

 

「なんというかなぁ……。大きくなった」

 どこか遠い所を見ながら、リーゲルさんは私の頭を撫でてそう言う。

 大きな左手。義手の右手は視線の向こうに伸ばされて、空気を掴んだ。

 

 

「ユクモ村に着いたら一旦船を下ろして準備を整える。……少し休め」

「うん。ありがとう、お父さん!」

 背を向けると「お父さん、か」と小さな声が聞こえる。

 

 

 確かに私はモガの村で彼と関わらずに育った。

 

 

 でも、お父さんがモガの村に私を住まわせてくれたから私はアランに会えたんだよ。

 お父さんが内緒で船に乗せてくれたから、私は今ここに居られる。

 

 

 だから、あなたは私の大切なお父さんなんだ。

 

 

   ◇ ◇ ◇

 

 船がユクモ村に着いて、諸々の準備を整えている間に太陽は登って朝になる。

 

 

 どこか別の場所では今、夜空を見ている人が居るのかな?

 なんだか実感が湧かないや。

 

 

「ディノバルド大きくなってたねー」

「モンスターは成長が早いからな。さて、そろそろ着くぞ」

 ユクモ村から再び船に乗るときに、船の中にいるディノバルドと会ってきたんだけど。

 二年前砂漠で出会った時よりも大きくなっていて少しビックリした。

 

 

 渓流の上を進む船は特定の高度を維持して私達を下せそうな場所を探す。

 今回はもしもの時に直ぐにリーゲルさんが行動を取れるように、船は狩りをしている私達の上空を旋回させるらしい。

 

 それにしては高い高度を維持している事を不思議に思ったウェインさんが理由を聞くと、お父さんは「これ以上下げたらアイツのブレスが届く」と答えた。

 

 

「へぇ……よくご存知で」

「アイツの事は誰より知ってるつもりだ」

 アランや私の故郷が襲われた時からだから、アランが怒隻慧を追い始めるより前からお父さんは怒隻慧と関わってるんだもんね。

 

 

 真剣な表情でそう言うリーゲルさんの視線の先で、赤い光が木々の間から漏れる。

 

 

 かなり遠くだけど、あそこに居るんだ。

 

 

 

「見えたか?」

「見えたわ。この位置から降りた方が賢明ね。降下時を狙われたらたまったものじゃないもの。この距離なら大丈夫でしょ」

 お父さんの言葉にアキラさんがそう答えて、パラシュートの準備を始める。

 

 

「行ってこい。バックアップは任せろ」

 私とアランとシノアさんも続いてパラシュートの準備をして、真下に開いた空間があるのを確認してから船から飛び降りた。

 始めにアキラさんが、その後にアランが続く。次は私だ。

 

 

「ミズキ」

「お父さん……?」

「行ってこい」

「うん、行ってきます!」

 ムツキと親指を立てあってから、私も船を飛び降りる。

 

 

 上位ハンターになってパラシュートで狩場に降りるのも少しは慣れたけど、やっぱり怖い事には変わりはない。

 勢い良く近付いてくる地面。このまま地面に叩きつけられたり、空中に居る間にモンスターに襲われたらどうしようだとか、そんな事を考えてしまうから。

 

 そんな心配は杞憂に終わって、私は下で待っていてくれたアランに抱き抱えられるように地面に降りられた。

 

 

 次はシノアさんが降りてくる番で、空を見上げると───

 

 

「シノアさん避けて!!!」

 ───ウェインさんの怒号と共に、シノアさんを赤黒い光が包み込む。

 

 パラシュートは原型も分からなくなるほど跡形もなくなって、シノアさんの姿も視界から消えた。

 

 

 

「……嘘」

 なんで。

 

 

 え、だって、怒隻慧は凄く遠くにいた筈なのに。

 

 

 そんな……。

 

 

「シノアさん……っ!」

「私なら無事!!」

 鈍い音と一緒に、怒号が聞こえる。

 

 振り向くと、ギルドナイトスーツが所々傷付いているけれど、ちゃんと手も足も付いているシノアさんが真剣な表情で地面に転がっていた。

 背中にはパラシュート用のバッグをつけているけど、そこから伸びる紐は何かに斬られているように存在していない。

 

 あの一瞬でパラシュートを切り離して、ブレスを避けて飛び降りたって事だと思う。

 どう考えても真似出来ない超人の技で、流石シノアさんって言いたかったけれど多分そんな暇はない。

 

 

「補足された、もう来る!!」

 姿勢を整えながらそう言うシノアさんの視線の先から、木々が薙ぎ倒される鈍い音が聞こえてきた。

 

 

 

 あの距離から私達を確認して、追ってきたという事なんだろう。

 何度戦っても怒隻慧の力には驚かされるけど、態々向かう手間が省けたのだから都合は良かった。

 

 

「クックククククク───」

 不気味な鳴き声。同時に、目の前の木が吹き飛んで私達の脇を掠める。

 

 

「───グォゥラァァァァアアアアアア!!!」

 怒号。

 

 半身を赤黒い光で包んだ悪魔のような姿。

 暗緑色の身体には無数の傷跡が残っていて、太い脚は地面を踏み抜いて振動を起こした。

 

 

 鋭い牙の見える大顎から血の混じった涎を垂らすその竜は、私達四人を違う色の両目で睨む。

 

 

 少しだけ静かな時間が流れて。

 涎が地面に垂れたのが合図になって、一人の狩人が怒号を挙げた。

 

 

「……この時を、この瞬間を待っていたのよ!!」

 背中に担いだ狩猟笛を振り回しながらアキラさんは怒隻慧に肉薄していく。

 私もそれに続いて、ボウガンを構えるアランとアイコンタクトで位置取りを確認した。

 

 

 パーティメンバーは狩猟笛に双剣に大剣にライトボウガン。

 基本は機動力の高い私やアランが前に立って、シノアさんやアキラさんが火力を出す。

 

 

 そんな作戦だけど、怒隻慧相手に思うように戦えるとは限らない。臨機応変に、その時にしなければならない事をするんだ。

 

 

「うぉぉらぁぁあああ!!」

 怒号を挙げながら狩猟笛を振り回すアキラさん。

 怒隻慧はそれを受け止めるように、身体を横にして衝撃を逸らす。

 

 巨大なモンスターからすれば私達人間の攻撃の一つ一つは大した問題ではない。それでも、その一つ一つを積み重ねていく事が狩りでは大切だ。

 

 そんな事を分かっているかのように、怒隻慧はダメージを最小限に抑える。

 

 

 そして、一撃必殺の攻撃を何度でも繰り返して来るのがモンスターだ。

 与えるダメージが減って狩りの時間が長引けば長引く程私達は不利になる。

 

 どうしてこうも機転が利くのか。狩人と戦い慣れているだけでは説明がつかないと思った。

 

 

「アキラさん下がって!」

 狩猟笛を受け止めた怒隻慧は、その大口を開いて上からアキラさんに振りかざす。

 後ろに飛んだアキラさんと入れ替わるように、私は大顎をすり抜けて怒隻慧の懐に潜り込んだ。

 

 そのまま太い脚を踏み付けて、横腹に回転しながら両手の剣を叩き付ける。

 

 

 身体が浮いた。

 人は空を飛べない。

 

 だから、怒隻慧がその隙を逃す理由はない。

 

 

「そこ……ぉ!!」

 一瞬でも私に意識を向けた怒隻慧は、背後から回り込んできたシノアさんに気が付けなかったのだろう。

 

 間合いに入るのを許して、決定的な隙を晒した。

 

 

「───だぁらぁぁ!!」

 身の丈程の大剣が怒隻慧の左脚を捉える。鈍い音と共に血飛沫が待って、明らかに目に見えるダメージが入った。

 

 

「グォゥァ?!」

 悲鳴を上げ、バランスを崩す怒隻慧の正面に着地する。

 

 

 あなたの中に私が居た。私の中にあなたが居る。

 

 

 その理由を知った。だけど、だからこそ私はあなたと戦わないと行けない。そのいのちと向き合う為に。

 

 

「無理をするな!」

「信じてるから!」

 アランと入れ替わって、一旦息を整える。

 

 正直物凄く怖かったけれど、仲間を信じていたしもしもの時どうしたら良いかも沢山考えて行動した。

 この戦いが終わったらモガの村に帰って、それから沢山アランと色んな場所で生きていく。

 

 

 絶対に死ねないし、死なせない。

 

 

 誰一人として。

 

 

 

 アランが銃弾を放って怒隻慧の意識を逸らして、一旦シノアさんは離脱した。

 それと入れ替わるようにアキラさんが怒隻慧の眼前に立って構える。勿論怒隻慧の意識はアキラさんに向いた。

 

 痛みを紛らわせるように振り上げられる左脚。血飛沫を上げながら、その脚をアキラさんを踏み潰すように振り下ろす。

 岩盤が抉れた。冷や汗を飛ばしながら地面を転がるアキラさんに向けて、怒隻慧は尻尾を振り回す。

 

 尻尾自体が届く距離ではなかった。だけど抉れた岩盤が巻き込まれて、粉々になった破片がアキラさん向けて飛んでいく。

 

 

「舐めるんじゃないわよ!」

 狩猟笛を前に突き出してそれをガードしたアキラさんは、直ぐさま前に転がった。

 その頭上を、地面を蹴って跳んだ怒隻慧が通り過ぎる。

 

 今さっきまでアキラさんが居た場所を巨体が踏み抜いた。もしアキラさんがただガードをしただけだったら、今頃あの太い脚の下敷きになっていただろう。

 

 

 流石アキラさんだ。

 

 

 それ以上に、そこまでの連携を考えて攻撃してくる怒隻慧も怖いけれど。

 それは怒隻慧が本気だという証拠だと思う。だから私達も出し惜しみはしない。

 

 

 目を閉じる。

 私の中にいるあなたは今、どんな目で私を見ているのかな。

 

 

 それを見る為に瞳を開けた。

 

 

 視界から色が消える。

 白と黒だけの世界。そこに赤い線が入った。

 

 

「ブレスが来る!」

 振り向きざま。大口を開いた怒隻慧の口から漏れる何か。

 

 それは、怒隻慧が振り向くと同時に吐き出されて周囲を薙ぎ払う。

 

 

 シノアさんは大剣でガードして、私達は出来るだけ後ろに飛んでなんとかそれを交わした。

 その隙を突くように、怒隻慧は踏み込んで巨体を前に進める。突進。動けるのは───

 

 

「シノアさん!」

「分かってる!」

 ───彼女だけ。

 

 

 怒隻慧の正面に立って、シノアさんは大剣を眼前に構えた。

 

 

 息遣いがここまで聞こえてくる。

 集中。きっと、一瞬の判断ミスが命取りになるから。

 

 

 怒隻慧の身体がシノアさんと重なる瞬間。

 構えた大剣でガードする訳ではなく、彼女はそれを背中に背負いながらその腹で怒隻慧の攻撃を受け流す。

 

 イナシ。

 相手の攻撃を受け流して、直ぐに攻撃に転ずる技術だ。

 

 

 攻撃を交わされてその場で体を捻る怒隻慧向けて、シノアさんは背負った大剣を滑らせるように構えて地面を引きずって走る。

 重量で地面を削りながら振り上げられたソレは、怒隻慧の腹を打ち付けて再び地面に叩きつけられた。

 

 

「……ま、だぁ!!」

 それを無理矢理引っ張って、岩盤ごと大剣を振り上げる。

 砕けて持ち上げられた岩盤の破片は、さっき怒隻慧がしたように飛び散ってその身体に無数の傷跡を残した。

 

 

 シノアさんの連撃で怒隻慧が怯んだ隙に、私達は態勢を整える。

 

 

 私とアランがシノアさんと入れ替わる脇でアキラさんは狩猟笛───毒奏ファンガサクスから音色を奏でた。

 耳に心地の良い音が聞こえる。音色によっては人やモンスターに何か効果を与えるのが狩猟笛の特徴だ。

 

 この演奏は確か───

 

 

「下がれ!」

「ありがと!」

 アランに言われて一旦下がるシノアさん。

 

 私達は尻尾で周りを振り払う怒隻慧の左右に分かれて獲物を構える。アランとアイコンタクト。先に仕掛けるのは私。

 

 一歩踏み込んで、左手の盾を持ち上げた。

 

 

 双剣として作られているけれど、どうみてもこの左手の剣は盾だと思う。先端の尖った甲殻で切ったりも出来るけれど。

 だから私はこの双剣を片手剣としても双剣としても使っていた。四年前からずっとこう。

 

 

 この四年間を怒隻慧にぶつけるんだ。

 だから、使えるものはなんでも使う。

 

 

 持ち上げられて、振り下ろされる怒隻慧の大顎。棘の付いた顎はその牙に噛み付かれなくても、その顎に掠っただけで大怪我だ。

 

 大顎が持ち上げた盾に触れた瞬間、私は片足を軸に回転して大顎を受け流す。

 その回転と同時に右手の剣を捻って、受け流されて地面を突いた顎を切り裂いた。

 

 

 血飛沫が飛ぶ。

 後ろに飛んで、息を吐いた。視界に色が戻る。

 

 

 同時に赤黒い瞳を私に向けた怒隻慧は、大きく身体を捻って姿勢を落とした。

 タックルをしようとしたんだと思う。だけど、怒隻慧にとってそれが裏目に出た。

 

 姿勢を落としたから、足を踏んで跳躍すればその背中に攻撃が届く。

 

 

 アランは怒隻慧の背後からその身体を踏んで跳躍して、ライトボウガンを下に向け銃弾を叩きつけて更に高く飛び上がる。

 そして背中に取り付いて、アランは剥ぎ取りナイフを怒隻慧の背筋に突き刺した。

 

 

「グォゥァ?!」

 怒隻慧は背中の違和感に唸り声を上げる。

 その場で暴れてみるも、アランはしっかりと背中に捕まって振り払う事は出来なかった。

 

 その脇で私は刃に砥石を当てる。怒隻慧の背後からはシノアさんが左脚に大剣を叩きつけた。

 さっきも攻撃の通った左脚。怒隻慧は悲鳴を上げながら、崩れ落ちそうになるバランスをなんとか保って近くの巨木の元に向かう。

 

 

「アラン!」

 これでも倒れない事に驚きつつも、必死に怒隻慧の背中にしがみついているアランに注意を促した。

 

 あの怒隻慧がこのまま素直にダウンを取らせてくれるとは思えない。

 

 

 全身を捻って、怒隻慧は巨木に自分の身体を叩き付ける。流石の衝撃にアランも耐える事が出来ずに振り落とされた。

 タダでは落ちまいと空中で引き金を引き、その横腹に銃弾を叩き付ける。しかし怒隻慧はすぐさま姿勢を戻してアランの着地を取るように大顎を開いた。

 

 

「させるかぁ!!」

 怒号を飛ばしながら、振り下ろされた大顎を狩猟笛で殴り飛ばしたのはアキラさん。

 こころなしか、アキラさんの足が早かった気がする。狩猟笛の旋律の効果だ。

 

「助かる!」

「次来るわよ!」

 一声交わして、アランは一旦下がる。次弾の装填もあるし、暴れまわる怒隻慧にしがみついていた分体力の消耗も大きい筈だ。

 

 

「アラン、下がって」

「頼む」

 息を整えながらアランは後ろに跳んで、私は武器を持ち上げて息を止める。

 

 力が入って、身体は軽くなった。

 獣宿しとは違うけれど、簡単な自己強化みたいな物。

 

 

 右手の剣を逆手に持って姿勢を低くする。

 アキラさんと左右に分かれて、振り下ろされる大顎を交わした。

 

 まるでウラガンキンのように顎を地面に叩き付けるものだから明らかに隙が生まれる。

 

 

 私は右に、アキラさんは左に周り込んで自分の得物を左右の足に叩き付けた。

 右手を捻って切り上げて、左手の剣で突いて出来た傷に逆手に持った剣を思いっきり突き刺す。

 

 丁度シノアさんが集中攻撃をしていた場所だからか、シノアさんが与えた傷からも鮮血が吹き出した。

 バランスが崩れて怒隻慧は悲鳴を上げる。順調過ぎて怖いくらいだ。でも、そのくらい警戒しておくのが丁度良いのだと思う。

 

 

 だから私は一度距離を取った。

 

 

「落ちろぉ!!」

 ただ、アキラさんは踏み込んで狩猟笛を何度も叩き付ける。

 自分の周りを左右に振り回すように、何度も何度も怒隻慧の脚に攻撃を叩き込んだ。

 

 私が声を掛けるよりも、手を伸ばすよりも先に───

 

 

「グォゥァ───」

「皆離れて!!」

 シノアさんの怒号と共に視界から色が消える。

 

 それは感覚的な事ではなくて、視覚的───物理的にと言った方がいいか。

 怒隻慧の口から放たれた黒い何かがこの空間を包み込んだ。

 

 

 私はそれを吸わないように必死に後ろに跳んで目を開ける。

 

 視界に入るのは真っ暗な空間。何もかもを黒く蝕んでしまうような、ドス黒い霧。それに包まれた怒隻慧とアキラさん。

 

 

「アキラさん!!」

 怒隻慧は身体を捻って、周りの霧を振り払いながらアキラさんを尻尾で突き飛ばした。

 

 

 鈍い音を立てて地面を転がるアキラさん。受け身をとってそんなにダメージはなさそうだけど、唾と一緒に血を吐き出す彼の表情はなんだか覚束ない。

 

 

「狂竜ウイルスか……っ!」

 モンスターに感染するとその身体を蝕み苦しめ、死に至らしめるウイルス。

 

 本来はゴア・マガラ───その成体であるシャガルマガラの鱗粉に含まれる物質で、感染したモンスターが自由に扱えるものではない筈である。

 そもそも狂竜ウイルスに感染した竜は自らの身体を際限なく酷使して、最終的には死んでしまうんだ。

 

 ただ稀に、その死───ウイルスによる身体の暴走を制御出来る個体が現れる事がある。

 

 

 

 極限化モンスター。

 ギルドではそう名付けられた、一種の特異個体。怒隻慧もその内の一匹だった。

 

 

 

 周りを包み込む禍々しい黒い霧。

 

 

 半身を赤黒い光に、もう半身が黒い霧に包み込まれた怒隻慧は大口を開き地鳴りがするような咆哮を上げる。

 空気が揺れて、ピリピリとした感覚が全身を襲った。ここからが本番だと言われているかのように、全身が強張って冷や汗が流れる。

 

 

 

「……っぅ」

 遠くで立ち上がったアキラさんの表情が引き攣った気がした。

 

 狂竜ウイルスが人に与える影響は竜よりも弱いのだけど、悪影響な事には変わりがない。

 無意識に酷使される身体は傷の回復が遅くなって、その分動きも鈍くなる。

 

 多分アキラさんはその状態に陥っているんだ。

 

 

「アキラさん一旦下がって下さい!」

「問題ないわ!」

 唇を噛みながら私の声を無視して怒隻慧に肉薄するアキラさん。

 焦る私の心配とは裏腹に、彼は振り回された尻尾を避けて懐に潜り込む。

 

 心配し過ぎなのか。

 確かに怒隻慧は多小の無理をしないと倒す事は出来ないかもしれない。

 

 

「ぬぅぉぁぁああ!!」

 怒号と共に振り回された狩猟笛が怒隻慧の左脚を打ち付けた。

 だけどその攻撃は傷も付けられずに弾かれる。

 

 極限化モンスター最大の特徴は身体の一部の硬質化だ。本来身体の機能を暴走させる───つまり異常に強化させる性質がその結果を生んでいる。

 

 

「まだまだぁぁ!!」

 しかし、アキラさんは弾かれた狩猟笛を引き戻してそれを無理矢理押し込んだ。

 ダメージが通らないのは関係がない。硬化した身体に叩きつけた鈍器は普段以上の衝撃を生み、怒隻慧の巨体を横倒しにする。

 

 

「凄……っ」

 流石アキラさんだけど、流石に無理が───

 

 

「小娘! 抗竜石!」

 私が唖然としている間にアキラさんは怒号を上げながら私と入れ替わった。

 

 抗竜石。

 刃に馴染ませて狂竜化したモンスターに与える事で、狂竜ウイルスを鎮静化させる性質があるアイテムである。

 

 

 怒隻慧が極限化する事は分かっていたから初めから用意していて、そしてこれは前線に出る私の役目だった。

 

 

 すぐさま抗竜石を刃に滑らせる。

 

 

「二分稼ぎなさい!!」

 背後から私の援護に来てくれたアランとシノアさんの後ろから、アキラさんのそんな怒号が聞こえた。

 

 一時はどうなるかと思ったけど、アキラさんは冷静だったみたいで。心配は杞憂だったかもしれない。

 むしろ私がここでしくじらないかの方が問題だろう。もう一度目を閉じて、集中。

 

 

 再び視界から色が消えた。

 私は赤く伸びる線に沿って走る。

 

 怒隻慧が起き上がる前に出来るだけ刃をその頭部に叩き付けた。

 ここで狂竜化を解除させておきたい。それが出来ると出来ないとではこれ以降の狩りの難易度が桁違いになってくる。

 

 

「───っぅ!!」

 必死に刃を叩き付けたけれど、怒隻慧の狂竜化が解除される事はなかった。

 唇を噛みながら後ろに跳ぶと同時に、怒隻慧は身体を振り回して周りを薙ぎ払う。

 

 

「焦るな、ゆっくりやれば良い!」

「うん!」

 一旦息を吐いて、視界に色が戻った。

 

 ゆっくりと立ち上がる怒隻慧は赤黒く光る瞳で辺りを見渡す。

 全身から禍々しい光と靄を漏らす竜は纏わりつく私達にイラついたのか一度大きな咆哮を上げた。

 

 

 同時に耳に残る不思議な音。竜の鳴き声ではなくて、心地の良い笛の音色。

 こころなしか身体が軽くなったというか、辺りを包み込んでいた少量の狂竜ウイルスのせいで息苦しかった感覚が和らいでいく。

 

 これは狩猟笛の旋律の効果かな?

 アキラさんが時間を稼げといった理由がなんとなく分かった。

 

 

「これで狂竜ウイルスの事は気にしなくて良いわ! ここからよ!」

 前に出て来たアキラさんがそう言う。

 

 極限化で少しだけ崩れたけど、私達はまだ戦える状態だ。大丈夫。

 ふと視界を上に向けると飛行船が見える。お父さんやムツキも見てるから、心配もさせたくない。

 

 

 冷や汗が地面に垂れた。

 慎重に、それでも着実に前に進もう。

 

 

 アランが前に出て、シノアさんが続いてくれた。

 ここからは私が何とか攻撃を当てて、怒隻慧の極限化を解く必要がある。二人に注意を引いてもらって、私が仕掛ける形だ。

 

 アキラさんが私のサポートに入ってくれる。心強い。

 

 

 タンジアからここに来るまで何度も何度も捻った作戦を頭の中に思い浮かべながら、私も姿勢を落としていつでも動けるように構えた。

 アキラさんも同様に───

 

「……っ」

 鈍い音がする。

 

 何かが地面を突いたような、そんな音。

 

 

 振り向くと、狩猟笛を支えにしてやっと立っているアキラさんの姿が視界に映った。

 

 

「アキラ……さん?」

「何を余所見してるのよ小娘!!」

「ミズキ!!」

 不安。誰にも死んで欲しくなかったから、人の不調に敏感になり過ぎていたんだと思う。

 多分、きっと、アキラさんはまだ全然戦えた。少し休憩していただけなのに。

 

 それを私が勘違いして、明らかな隙を作ってしまう。

 

 

 それを見逃す怒隻慧じゃないなんて事は分かっていたのに。

 

 

 

「グォゥラァァァァアアアア!!」

 信じられないような脚力で地面を蹴った巨体が空を跳んだ。

 真っ直ぐに私の元に落ちてくる勢いに気圧されて、私の反応はさらに遅れる。

 

 大顎が向けられた。

 

 

 私はあの中に居て、そしてまた───

 

 

「小娘!!!」

 ドッと、鈍痛と共に身体が浮く。

 

 

 視界に入るのは狩猟笛を振り回したアキラさんだった。

 

 

 

「───嘘」

 鮮血。

 

 

 

 アキラさんの上半身に覆いかぶさるようにして、怒隻慧の大顎が閉じる。

 

 

「ア……キラ、さん……っ!!!」

 視界は赤で染まった。


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