モンスターハンター Re:ストーリーズ【完結】   作:皇我リキ

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走る赤と戦禍の先で

 鮮血。

 ただ赤が飛び散って、私の頭は真っ白になった。

 

 

「ア……キラ、さん……っ!!!」

 でも、止まってはいけない。頭の中は真っ白でも、本能的に身体は動く。

 

 まだアキラさんが死んだって決まった訳じゃない。

 

 

「ミズキ!!」

 言われるまでもなく、私は地面を蹴って怒隻慧に肉薄した。

 眼前で閉じる顎は閉じ切ってはいなくて、それでもその顎を閉じようと力を入れているように見える。

 

 その中で───その大顎に噛み砕かれまいとアキラさんは狩猟笛をつっかえ棒にして耐え抜いていた。

 背中に牙が刺さっているのにもかかわらず、身体を噛みちぎられないように腕力だけで怒隻慧の顎を押し返している。

 

 直ぐに助けないと。

 

 

 アキラさんを噛み砕こうとしている怒隻慧の頭を踏んで跳躍。自由落下の勢いを足して剣を頭部に叩きつけた。

 同時にアランとシノアさんが左右から怒隻慧の脚を踏んで跳躍し、横腹に斬撃と銃弾を至近距離から叩き付ける。

 

 流石にアキラさんだけに構っていられなくなったのか、怒隻慧は悲鳴を上げながら仰け反ってアキラさんからその牙を離した。

 ドス黒い液体が彼の身体中から地面に流れ落ちて、アキラさんは狩猟笛を支えにしようとするけどその場に崩れ落ちる。

 

 

 そんな隙を逃す訳もなく、頭を捻りながら口から赤黒い光を漏らす怒隻慧。

 

「ブレス?!」

「任せて!!」

 瞬時に動いたのはシノアさんだった。

 

 吐き出されたブレスに対して真っ直ぐに直進し、身体を捻ってブレスを避けたかと思えば抜刀した大剣を引きずりながら、怒隻慧の頭の下に潜り込むシノアさん。

 そのまま大剣を振り上げ、怒隻慧の頭を打ち上げる。ブレスは私やアキラさんに届く前に上に向けられて、最終的には空を飛んでいた飛行船ギリギリまで届いて消えた。

 

 本当にギリギリの距離だったみたいでビックリしたけれど、そんな事を考えている場合じゃない。

 

 

「時間を稼ぐ!」

 アランはそう言って、頭部を打ち上げられてバランスを崩した怒隻慧の脚を踏んで跳躍する。

 真下に銃弾を撃って身体を浮かせた彼は、再び怒隻慧の背中に乗り移って剥ぎ取りナイフをその身体に突き刺した。

 

 悲鳴を上げて暴れまわる怒隻慧。

 アランの援護もしたいけれど、今はアキラさんの事が大切だから。

 

 

「アキラさん……ごめんなさい、私……っ」

 私のミスでアキラさんに大怪我をさせてしまったという事実は消えない。

 だけど、そんな後悔を引きずっている暇もないから。私は謝りながらアキラさんを安全な場所に運ぼうと辺りを見渡す。

 

 

 もしもの時はお父さんが降りて来て治療や避難をさせる手筈だから、とりあえずアキラさんを安全な場所に運んでお父さんが降りて来られるように時間を稼がないといけない。

 

 

「アレは……わ、たしのミスよ。……まだ、行ける」

 しかしアキラさんは血反吐を吐きながらも立ち上がろうと、震える手で狩猟笛を掴んで怒隻慧を睨んだ。

 身体は限界の筈なのに、その瞳は闘志を失っていない。

 

 

「む、無理ですよアキラさん!」

 私に気を使ってそう言ってくれてるんだと思うけれど、動けるような状態じゃない事は私でも分かる。

 

「無理じゃない、やるのよ……。決意を固めてるのはあんた達だけじゃないわ」

 全身から血を吹き出しながら、アキラさんは立ち上がって武器を構えた。

 

 息遣いは荒い。全身もボロボロでとてもじゃないけど動ける状態には見えない。

 

 

 だけどその瞳だけはしっかりと前を見て、冷静に現状を見定めている。

 アランが背中に乗っているけれど、今は極限化状態だから殆どの攻撃が通らない。

 

 だからなのか、これだけ戦う事に粘着しているアキラさんだけど後先考えずに前に出る事はしなかった。

 

 

 狩猟笛の旋律が奏でられる。

 

 

 今私がするべき事はなんだろうか。

 怒隻慧は極限化していて、それをなんとか出来るのは私だけだ。

 

 アキラさんはそれを分かってて自分に構うなって言ってくれたんだと思う。

 

 

 

 なら、私がするべき事は───

 

 

 

「───堕ちろ!!」

 ナイフで傷付けた背中に、ライトボウガンの銃口を直接突き付けて引き金を引くアラン。

 放たれた銃弾は怒隻慧の背中を抉り、血飛沫が舞った。あまりの激痛にか、怒隻慧は抉られた背中を自分から放り投げるように地面に転がる。

 

「ミズキ!!」

 そんな怒隻慧から飛び降りて、銃弾を装填しながら声を上げるアラン。

 言われる前に息を止めて走っていた私は、倒れ込んだ怒隻慧の頭に双剣を叩きつけた。

 

 

 ───この隙に沢山攻撃を叩き込んで、極限化を解除させる。

 

 

「───っだぁぁっ!!」

 左右の剣を交互に。身体を回転させて、斬撃が弾かれても無理矢理剣を振り切った。

 

 

 極限化モンスターの身体の硬化箇所は、その個体によって様々である。

 怒隻慧の場合、それは左半身に集中していた。

 

 半身を赤黒い光に、もう半身を極限化による硬質化と狂竜ウイルスに包まれた竜。

 

 

 背中に乗っていただけでダメージを受けていたアランが回復薬を飲み捨てる。

 半身の悪魔とも呼ばれる由来である、身体の半分から漏れる赤黒い光───龍属性は触れるだけでも私達には有害でダメージを貰ってしまうんだ。

 それに加えて極限化で硬質化されたら、私達の攻め手はかなり減ってしまう。だから、ここで私が極限化の解除を出来なければこれ以降の狩りはただ危険が増えるだけだ。

 

 

 身体に鞭を打って、少しくらい無理をしてでも剣を振る。

 

 

「───っぁぁ!!」

 怒隻慧が起き上がる寸前。これまで弾かれ続けていた斬撃が怒隻慧の頭部を切り裂いて血飛沫を挙げた。

 

 怒隻慧を包み込んでいた黒い靄が薄くなる。

 

 

 ───通った!! 

 

 

「……っ」

「下がりなさい小娘!!」

 息切れで倒れそうになる私を押しのける様に、アキラさんが怒号を上げながら前に出てくる。

 

「良くやった休め」

 動けない私の前に出てそう言ってくれるアランに甘えて、私は息を整える事にした。

 

 

 眼前で起き上がった怒隻慧は唸り声を上げながら姿勢を落とす。多分、タックルだ。

 身体を引き上げる力を利用して、助走も付けずに風圧が少し離れた私の所まで届くような威力のタックルを放つ怒隻慧。

 

 その巨体が自分に届く前に、アキラさんは地面を蹴って跳躍した。

 そして向かってくる怒隻慧の横腹を踏んで、更に身体を浮かす。

 

 

「エリアルスタイル?!」

「俺の師匠の師匠だからな、あの人は」

 それはつまり、私の師匠の師匠の師匠という事になる訳で。だめだ、訳が分からなくなりそうだ。

 

 ただ、アランが自分の事の様に自慢げに話す理由が分かるほど、彼の動きは洗礼されている。

 無駄のない動きで怒隻慧の攻撃へカウンターとして跳躍。そこから振り下ろされた狩猟笛は見事に怒隻慧の頭を地面に叩きつけた。

 

 

 そしてアキラさんは噛まれたダメージなんてなかったかのように、ダウンした怒隻慧の頭に狩猟笛を連続で叩き付ける。

 これがギルドナイトの力。アランを教えた人を教えた人の力。

 

 

 凄い。ただ、そう思った。

 

 

「行けるか?」

「うん!」

 私のスタミナも回復して、アキラさんと入れ替わる為に前に出る。

 驚いている場合じゃない。このまま行けばきっと怒隻慧にも勝てるんだ。

 

 

 きっと───

 

 

「アキラさん!」

「ぬぅぉぅらぁぁあああ!!」

 タイミングを合わせてアキラさんと立ち位置を変わろうとしたんだけど、起き上がる怒隻慧に追撃を入れる彼の勢いが良過ぎて入り込む隙がない。

 なんでそんなにスタミナが持つのだろうと思って一旦下がろうとするけれど、アキラさんの背中から大量の血が吹き出ているのを見て不安が過る。

 

 

 素人目で見ても重症なのは明らかで、無理しているのは目に見えていた。

 

 それはシノアさんも感じているみたいだけど、私と同じようにアキラさんの迫力に気圧されて近付けない。

 

 

 

 何が彼をこうしているのか。

 私には分からない。

 

 

 

 いつかモガの森で仲良くなったダイミョウザザミがリオレウスに襲われた時、私はそのリオレウスの事を殺したい程憎んだ事を思い出す。

 あの時のぐちゃぐちゃになりそうな気持ち。自分の過ちも見えなくなる程、相手を憎んだあの時の気持ち。

 

 それに近いものなのかもしれない。

 

 

 だけど、その状態は危険だって、私は知ってるから。

 

 

 

「ダメだよアキラさん!!」

「止まれない……だろうな」

 アランは私を追い越しながらそう言った。

 

 

「俺も剣を握れたら、今すぐにアイツの頭の前に立ちたい気分だからな……」

 銃口を向けて引き金を引きながらアランはそう言う。銃弾は怒隻慧の額を抉り、さらにアキラさんに顎下を殴られて頭は打ち上げられた。

 

 

 悲鳴をあげる怒隻慧。

 

 きっと、このままなら倒せると思う。

 

 

 

 これがいのちと向き合うという事。

 

 

 

 これが復讐(いのち)と向き合うという事。

 

 

 

 これが───

 

 

 

「───グォゥァァァアアアアッ!!」

 突然、怒隻慧は地面が揺れるような咆哮を上げた。

 

 その身体の血管と筋肉が膨れ上がり、沢山の古傷から血飛沫が漏れる。

 膨れ上がった筋肉が浮き出て、さらに身体中から出血した怒隻慧の身体は赤黒く染まり不気味な姿に変貌した。

 

 

 身体中の古傷から狂竜ウイルスを漏らし、身体の半身を赤黒い光に包み込んだその竜は紅く染まった身体を持ち上げて吠える。

 

 

 身体が固まった。

 

 

 怖い。それ以外の事が考えられない。

 見た目だけじゃなくて、内から漏れる意思のような物。明確な殺意。

 

 

 

 多分、私達はここに来て初めて見たんだと思う。

 

 

 

「……怒り状態、なのか?」

 ───怒隻慧が怒ったところを。

 

 

「これは……まずいかも。一択引こう、アキラさん!」

「……っ。ここに来てまだ何か持って───」

 シノアさんがアキラさんの肩を叩きながら話しかけて、アキラさんが舌を鳴らした直後。

 

 怒隻慧はその脚で地面を踏み抜き、岩盤を抉り上げた。

 まるで地震が起きたかのように地面が揺れる。私達と怒隻慧の間に壁が出来上がって、その姿が殆ど隠れてしまった。

 

 

 この攻撃は───

 

 

「なんだか知らないけど今のうちに逃げて体制を───」

 そう言ってシノアさんは振り向いて、皆に後退するよう促す。

 

 それと同時に怒隻慧と私達を隔てていた壁を赤黒い光が貫いた。

 怒隻慧のブレス。それが、持ち上げられた岩盤を巻き込んで私達に迫って来る。

 

 

「伏せなさい小娘!!」

「───っ、嘘?!」

 怒隻慧に背中を向けてしまったシノアさんはその光景が見えていなくて、反応が遅れてしまった。

 

 辛うじて大剣の腹を盾にするように構えるけれど、姿勢を保てずに吹き飛ばされて地面を転がる。

 

 

「シノアさん!!」

 瓦礫の破片やブレスに巻き込まれて倒れたシノアさんに駆け寄ろうとするけれど、姿勢を落とす怒隻慧の姿が視界に入って身体を捻った。

 同時に、怒隻慧は地面を蹴って跳び上がる。着地したのは私の眼前。もし、このまま進んでいたら私は今頃その巨体に踏まれて肉塊になっていたかもしれない。

 

 

「……っ、分断された?!」

 だけど、それで私達とシノアさんが分断された事に変わりはなかった。

 

 動かないシノアさんを見て舌を鳴らす。

 彼女の無事の確認すら出来ない。今ここから一歩でも動けば殺されるんじゃないかって殺気に、私の足は固まってしまって動けなくなってしまっていた。

 

 

「……グァゥ」

 ゆっくりと、怒隻慧がシノアさんの方を向く。

 

「させるか……っ!」

 そのまま見ている訳には行かなくて、怒隻慧が私達から視線を逸らした隙にアランが踏み込んだ。

 しかし、赤黒い光を漏らす瞳が一瞬彼に向けられる。

 

 違う、これ───罠?! 

 

 

「アラン!!」

「……っ?!」

 気が付いた時には遅くて、アランは突然振り回された尻尾に巻き込まれて吹き飛ばされた。

 そんなアランにも、シノアさんにも構う事なく。

 

 

 怒隻慧はその眼光を私とアキラさんに向け、口からは血反吐の混ざった涎を垂らして地面を溶かした。

 

 

 

 怖い。

 

 

 

 身体が震えて、息が出来なくなる。

 

 

 

「……ミ、ズキ! 逃げろ……っ!!」

 意識はあるけれど、動けないアランの必死な声が聞こえた。

 それでも、私の身体は動かない。身体中の穴から嫌な水分が漏れて、遂に立てなくなってその場に座り込む。

 

 

 理解していると思っていた。

 

 今度こそ怒隻慧のいのちと向き合うんだって。きちんと戦って、そのいのちと向き合うんだって。

 だけど、多分私は分かっていなかったんだと思う。

 

 本気の殺意。

 それがお互いにぶつかって、沢山の黒い感情が流れ込んできて。

 

 

 なんでかな。

 

 あなたの気持ちが分かる気がするんだ。

 

 

 

「殺してやる……?」

 震える手でお守りを握る。

 

 無意識に溢れたその言葉。私の言葉じゃない、きっと怒隻慧の声。

 

 

 純粋で正直で真っ直ぐな殺意。

 それを分かっていたつもりだった。

 

 でも、分かっていなかったから。今こんなに怖くて、悲しい気分になっている。

 

 

 

 私は何も分かっていなかった。

 

 

 

「何をしてるの小娘!!」

 そんな私の前にアキラさんが立って、血だらけの身体で狩猟笛を構える。

 

「ア、キラ……さん?」

 視線を上げると怒隻慧はもう殆ど目の前だった。

 

 私達二人と怒隻慧の距離は大剣一本分程。怒隻慧が一歩踏み込めば届く距離で、私は座り込んでいる。

 その事実が怖くてまた動けなくなった。

 

 それでもアキラさんは、いつでも動けるように私の前で姿勢を落とす。

 

 

「立ちなさい!!」

 立てない。

 

 

 立たないといけないなんて事は分かっているし、立とうとはしているんだ。

 こんな所で死ねない。アランと約束したし、私のせいで誰かが傷付くなんて絶対に嫌だから。

 

 

 それなのに、身体は言う事を聞いてくれなくて。震える手から剣が落ちる。

 

 

「立て!!」

 真剣な声で、アキラさんはそう言った。

 

 

「これ以上失ったら、今度はアランが立てなくなるぞ!」

 いつもとは違う口調で。だけど、アキラさんの声で。

 

 きっと、とても真剣な表情をしているんだと思う。

 怒隻慧もその気迫に押されて、様子を見るように一歩だけ後ずさった。

 

 

「アランが……?」

 そうだ、もし今私が死んだら───アランはどう思うだろう。

 

 それを考えると怖くなった。

 怒隻慧なんかより、遥かに怖い。

 

 

 

「……っ」

「グォゥァ!!」

 唇を噛み切る気持ちで噛んで、力入れて立ち上がる。私はこんな所で止まれない。

 

 

「それで良いのよ、小───」

 しかし突然横に薙ぎ払われた怒隻慧の頭に打たれて、アキラさんは地面を血で濡らしながら吹き飛ばされた。

 

「アキラさん!!」

「……ぐ、ぅ」

 倒れたアキラさんは、起き上がろうとしてもこれまでのダメージが大きくて再び倒れ込んでしまう。

 

 

 動けるのは私一人。

 

 

 立ち上がって武器を構えた。

 

 

 アランが逃げろって言っている。

 

 

 私だって逃げたい。だけど、それは出来ないから。

 

 

「私があなたを───っ?!」

 だから、戦おうとした。

 

 だけど怒隻慧は私を一瞬見てから視線を反らす。

 その先に居たのは───アキラさんだった。

 

 

「───ま、待って!!」

「……クックククククク」

 不気味な鳴き声。

 

 私の声が届く訳もなくて、怒隻慧は倒れたアキラさんの元に歩いていく。

 守らなきゃ。でもどうやって? 考える暇はない。とにかく動いて。それから? 

 

 

 頭の中がぐちゃぐちゃになった。

 

 

 さっきアランがされたように、もしかしたら罠かもしれない。

 だけどもしそうじゃなかったら、動けないアキラさんが殺されてしまう。

 

 そんなのはダメだ。

 だけど、どうしたら良い? 

 

 

 とにかく走って、怒隻慧の前に出る。

 

 

 アキラさんの前に立って、武器を構えた。

 

 

 

 赤い。

 地面も、視界も、防具も、武器も、怒隻慧も。全部赤い。

 

 

 いつも見える線は見えなくて。

 

 

 どうしたら良いか分からなくて。

 

 

 

「逃げなさい……っ、小娘!! ……逃げろ!!」

「ミズキ!!」

 二人の声が遠くなる。

 

 

 怒隻慧は真っ直ぐに、ゆっくりと私達の元に歩いてきた。

 

「止まってよ……。お願い、止まってよ……」

 怒隻慧はまるで仕留めた獲物を食べるかのように、ゆっくりとその大顎を開ける。

 

 

 

 私はなんで───

 

 

 

「───ライドオン!! ディノバルド!!」

 突然、声が聞こえた。

 

 その声は空から降ってきて、大きく地面を揺らす。

 

 

 

 蒼い炎のような色の甲殻。イビルジョーと同じ獣竜種特有の体格と、まるで(つるぎ)のような特徴的な尻尾。

 

 ───ディノバルド。

 

 

「お父さん?!」

 斬竜の名で知られているその竜は、本来この渓流には生息していない。

 

 どうしてここにディノバルドが居るのか。

 それは()の背中に乗っている人物と竜が絆を結んで、共に生きているからだ。

 

 

 オトモン。

 モンスターライダーと絆を結んだ竜の総称である。

 

 

 突然空から降ってきたそのディノバルドこそ、お父さん───リーゲル・フェリオンのオトモンだった。

 

 

 

「ブレスだ!」

「グァァッ!!」

 背中に乗っているお父さんの指示で、ディノバルドは怒隻慧に炎の塊を吐き出す。

 それは地面で爆発して、流石の怒隻慧も一歩引かざるおえなかった。

 

 

 空を見てみれば、飛行船がかなり低い所を飛びながらベースキャンプの方角へと向かっている。

 

 

 きっと逃げる時間を稼ぐために、お父さんが危険を承知で降りてきてくれたんだ。

 

 

 

「ミズキ! 逃げる準備をしろ。出来るだけ時間を稼ぐ!!」

 ディノバルドの背中の上でそう言ってから、お父さんは怒隻慧を睨み付ける。

 同時に怒隻慧はディノバルドの首元に覆いかぶさるように噛み付いた。

 

 なんとかそれを振り払うディノバルドだけど、食い千切られた首筋から大量の血が流れ落ちる。

 

 

「アキラさん!」

「私よりまず気絶してるシノアよ!」

「は、はい……っ」

 言われて、私は戦い始めた二匹の脇を通ってシノアさんの元まで駆け付けた。

 大きな外傷はなくて、肩を揺らすとシノアさんは瞳を見開いて苦虫を噛んだような表情で起き上がる。

 

「ごめん、やらかした。立てるから、彼の所に……」

「うん! 一人で歩けるなら、ベースキャンプまで撤退で!」

「ごめんね……」

 舌を鳴らしながら下がるシノアさんを尻目に、私はアランの元に走った。

 

 

 ディノバルドはその特徴的な尻尾を怒隻慧に向けて振り回すけれど、その()は強靭な顎に噛み砕かれて止められてしまう。

 お父さんとディノバルドでもそんなには時間を稼ぐ事が出来ない。早くしないとお父さん達だって危なかった。

 

 

「アラン……っ!」

「だ、大丈夫だ。俺よりアキラさんを……」

「アランだって一人で立てないじゃん……っ! とりあえず安全な所まで、運ぶ……から!」

 肩を貸して、なんとかアランをここから遠ざける。

 

 怒隻慧が入ってこれないような小さな獣道にアランを連れて来て、私は直ぐに踵を返した。

 

 

「待て、ミズキ……」

「な、何……?」

「お前、どうして───いや、なんでもない」

「アラン……?」

 どうしたんだろう。

 

「行け。今回は俺達の負けだ。また、作戦を練り直して戦おう」

「う、うん」

 そうだよね。

 

 

 でも、どうしてなのか。私にも分からなかった。

 

 

 

 どうして私は怒隻慧に攻撃できなかったんだろう。

 怖かった。確かにそうだけど、それ以上に戦う理由が分からなくなってしまったんだと思う。

 

 

 

 

 だって、あんな姿になる程に怒隻慧は怒っていた。

 

 

 

 

 その憎しみが、想いが伝わってくるようで。

 

 

 何か、声が聞こえた気がする。

 

 

 そしたら、動けなくなって───

 

 

 

「いや、考えるのは後……っ!」

 どうしてなのかは、後で考えれば良い。

 

 

 どうして動けなくなってしまったのか。

 

 

 ───私はどうして戦わないといけないのか。その理由を。

 

 

 

 今は、皆で無事に帰る事を考えるんだ。

 

 

 

「お父さん!!」

 元の場所まで走ると、怒隻慧とディノバルドがお互いに噛み付き合って取っ組み合う姿が視界に入る。

 

「ディノバルド、もう少しだけ踏ん張れよ……っ!」

 そんな状態でもお父さんはディノバルドの背中に乗っていて、振り落とされそうになりながらも指示を出していた。

 そのディノバルドの真後ろ。尻尾の真下辺りにアキラさんが居て、もしディノバルドがバランスを崩して倒れればその巨体に潰されてしまう。

 

 

「ミズキ!! アキラを!!」

 だから、まずはアキラさんを助ける必要があった。その為にお父さんが時間を稼いでくれている。

 

「アキラさん……っ!!」

 私は滑り込むようにディノバルドの真下に潜り込んで、アキラさんの様子を確認した。

 意識はあるけれど、重傷で一人じゃ動けそうにない。そんな彼をなんとか持ち上げようとするけれど、私の力が足りなくて一緒に倒れ込んでしまう。

 

 

「……っ」

「俺の事は良いから逃げろ、小娘!」

「そうやって真面目な時の話し方、アランに似てるの……なんか、格好良い……ですよね……っ!」

「そんな事言ってる場合か!」

 それでも。

 

 

「……っぁぁ!」

 それでも、誰かが居なくなるなんて嫌だ。

 

 

「小娘……」

 絶対に死なせない。

 

 

「私は……ハンターだか、ら……っ!」

 体格差もある。私は大剣とかを持てる程力持ちじゃないし、戦いの間の体力の消耗だって無視は出来なかった。

 

 それでも。

 アキラさんの身体を引き摺る形になってでも背負って持ち上げる。

 負けたって良い。倒せなくても、また戦えば良い。

 

 そうやって何度も挑んで、最後に生きていた方が勝ちなんだから。

 

 

 だから、今は考えない。ただ、ここから逃げて───

 

 

 

「グォゥァァァアアアアッ!!」

 轟音。

 

 地面が揺れて、私はまたアキラさんと一緒に地面に転がった。

 何が起きたか分からなくて首を持ち上げると、ディノバルドの姿が視界に入らない。

 

 驚いて周りを見渡すとディノバルドは怒隻慧の脇に倒れていて、その大顎に首を噛まれて動かなくなってしまう。

 

 

 嘘……。

 

 

「お父さん……?!」

 音からして、ディノバルドは怒隻慧に首を噛まれて持ち上げられ地面に叩きつけられた。

 それじゃ、お父さんはどうなったの? 

 

 

 頭の中が真っ白になる。

 

 

 なんで。どうして。

 

 

 

「小娘……っ!」

「クッククククククク……グォゥァァァッ!!」

 私達の前で涎を垂らす怒隻慧。

 

 その距離片手剣一本分。手を目一杯伸ばせば届く距離で、地面に垂れた唾液は草を溶かして煙を立てた。

 

 

 

「───ヒッ」

 やっぱり、怖い。

 

 恐怖が直接頭の中に流れ込んでくるよう。

 

 

 お父さんの事は心配だけど、今は自分とアキラさんを守らないといけない。

 私は唇を噛み千切って、両手の剣を構えて怒隻慧を睨んだ。

 

 

 

「グォゥァァアアアッ!!」

 正直、どうしたら良いのか分からない。

 

「逃げろ、小娘!! 逃げろぉ!!」

 何をしたら生き残れるのか、どうしたら助けられるのか。

 

 

 いつもなら見える赤い線はどこにもなくて。

 

 

 

「───ミズキ」

「ぇ」

 突然視界に映る蒼色の瞳。

 

 大きな背中。

 

 

 怒隻慧の牙。

 

 

 

「お父……さん?」

 なんで私の目の前にお父さんが居るんだろう。

 

 なんで目の前で怒隻慧がお父さんに牙を向けているんだろう。

 

 

 

 なんでお父さんはそんなに優しい表情をしてるんだろう。

 

 

 

 何も分からなかった。

 

 

 

「待って───」

 違う。

 

 違うよ。そんなのダメだよ。

 

 

 なんで。お父さんはハンターじゃないでしょ。モンスターと戦うのは私達の仕事なんだ。

 なんで。なんでお父さんがそこに居るの。ダメだよ。危ないよ。早く逃げて。

 

 

 なんで私は怒隻慧を攻撃出来なくなったの。

 

 

 いのちと向き合うって決めたのに。倒すんだって決めたのに。

 

 

 

 なんで私の手は───届かない。

 

 

 

「お父さん……っ!!」

 武器を投げ捨てて手を伸ばす。

 

「お前は、優しいな。その優しさを、失くすなよ」

 何を言っているのか分からない。

 

 優しさって何。大切な人を守らないで、モンスターを殺せない事? 

 私は自分の道を見付けたのに。優しさって何だ。

 

 

 私はアランやカルラさんやお父さんみたいに竜と絆は結べない。

 だからいのちと向き合うんだって、そう決めたのに。

 

 

 それが出来ないなら、私はハンターになれない。この先に進めない。

 

 

 

「もっとお前の道の先を、見たかった」

「待って……待ってよ。私、ちゃんと倒せるから……っ! 待って……っ。待って……っ!!」

 手を伸ばす。

 

 

 同時に怒隻慧(悪魔)の口が降ってきた。

 

 

「お前は、お前の道を───」

「嫌ぁぁぁああああ!!!」

 やっと進めたのに。

 

 

 

 初めはモンスターを殺すのも嫌だったよ。

 

 剣で斬るのもかわいそうだって思っていたし。

 

 

 だけど、お父さんがあの村に私を置いてくれたから。

 ムツキとも村の皆とも会えて、アランと会えて、今私はここに居る。

 

 

 お父さんがくれた道なんだ。

 

 

 これが終わったら幸せになる。ちゃんとお父さんにも話して、目一杯の感謝の言葉を伝えようと思っていた。

 お父さんのおかげで私は幸せになれたよって。

 

 全部終わったらそう伝えよう。

 

 

 だから───なのに、伸ばした手がお父さんの手を掴んだ瞬間。

 

 

 

 

 

 

 

 その手の先を大顎が食い千切った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 飛び散る鮮血。

 

 

 支えを失ったお父さんの右手(義手)が、私の手から滑り落ちる。

 バラバラになったその義手は音を立てて真っ赤になった地面に沈んだ。

 

 

「……ははっ」

 何してるんだろう。

 

 

 

 私は何をしてたんだろう。

 

 

 

「あはは、あは……あははは……あっはははは───っぁぁぁぁああああ!!!!」

 地面を踏んで、投げ捨てた剣を一本持ち上げて目の前を睨んだ。

 

 

 頭を持ち上げた怒隻慧はその大顎を上に向けて、何かをその喉元に押し込む。

 

 

 

「返して!! 返せぇ……っ!! 返せぇぇえええ!!」

 そんな怒隻慧に肉薄して、私は何度も剣を叩きつけた。

 

 

 嫌い。自分の甘さが嫌い。いつかこうなるって、そんな事は分かっていたのに。

 

 

 

 いのちと向き合うだとか、そんな事を言って結局はどこかで逃げる言い訳が欲しかっただけなんだろう。

 自分の甘さの言い訳だ。それがやっと分かった。私はモンスターと関わっちゃいけないんだ。

 

 いのちと向き合う権利なんて初めからなかったんだ。

 

 

 きっとそれに怒ってたんだよね。分かったよ。ごめんなさい。分かったから、分かったから!! 

 

 

 

「お願いだから……返してよぉ!!!」

 どうしてか。怒隻慧は私の攻撃を無視して、赤黒く光るその眼で私を見ながらその場から立ち去るように歩き出す。

 追いかけようとした。でも、私は何かに躓いて地面を転がる。

 

 

「お願いだから……やめて、返して……。お願い、行かないで。嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ……っ!! うあぁぁあああああああ!!!」

 伸ばした手は届かなかった。

 

 

 

「リーゲルさん……そんな───な、何?! アレ。誰?! そこに居るのは……誰だ!!」

 森林に消えて行こうとする怒隻慧の足元に人影のような物が見える。

 

 イビルジョーの体色や特徴を写したような防具。フルフェイスの、ガッチリとした防具を着た人がそこには立っていた。

 

 

 ハンターなら何かしらの行動をする筈。だけど、そのフルフェイスの装備の人は何もせずにただ立っている。

 怒隻慧はそんな人物に何かをする訳でもなく、一瞬視線を合わせるような動作をしてから木々の奥へと足を踏み入れた。

 

 そしてその人物は、怒隻慧の足と重なるようにしてふと視界から消える。

 

 

 

「今のは───」

 どうだっていい。

 

 

「───っ、ち、違う。今はそうじゃない。小娘! 大丈夫か?!」

 頭を横に振って、アキラさんは私の身体を抱いてそう聞いてきた。

 

 全部、どうだっていい。

 

 

「……。……大丈夫に、見えますか?」

「ぁ、あ……。……っ」

 私の言葉を聞いて、顔を見て、アキラさんは目を伏せて黙り込んでしまう。

 ごめんなさい。でも、今は何も考えられない。

 

 

 ふと視線を落とすと、私が怒隻慧を追いかけようとした時に躓いた何かが視界に入った。

 

 

 

 赤と、白と、ただそれだけの───肉の塊。

 

 

 簡単に言うと、人の足。

 義手と一緒に食い千切られた、お父さんの右足。

 

 

「あ、あははは……あははっ。ふへ、へへっ、ひっ、へへ……っはは───」

 這って、その足に抱き着く。

 

 

 ねぇ、お父さん。

 

 

「───っ、ぁ、ぁあ、ぁぁ……ぁぁぁ、ぅぁぁぁあああっ!!!」

 なんで。なんでなの。

 

 

 分からないよ。お父さん。

 

 

 

 伸ばした手の先には何もなくて、私の道はただ暗く、何も───見えなくなった。


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