モンスターハンター Re:ストーリーズ【完結】   作:皇我リキ

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波と微睡みの中で

 海の匂いは好きだ。

 物心着く前から海に囲まれた場所で生きていたから。

 

 沢山の命が芽吹く孤島で育って、アランと出会って村を出て。

 大切な思い出と時間。それを思い出させてくれる。

 

 

 私の始まり。

 いつかアランは、全ての命は海から生まれたって言っていた。

 

 難しい話で意味はよく分からなかったけれど、本能的になのか海が近いと安心する。

 

 

 

 だから、不安はなかった。

 

 

 

「追いかけてきたか……」

 左肩を抑えながら、怒隻慧から降りたお父さんはそんな言葉を漏らす。

 

 遺跡平原から少し離れた海岸で、お父さんと怒隻慧は海を背中に私達に視線を向けた。

 唸り声を上げながら血反吐を吐く怒隻慧と、肩から血を流すお父さん。

 

 私達の体力も限界だけど、お父さん達もそれは同じ筈。逃す訳にはいかない。

 

 

 

 終わらせる。

 

 

 

「お父さん。もう、終わりだよ」

「……終わっちゃいない。まだ、なにも終わっちゃいない!」

 肩を抑えながら、お父さんは私達を睨んで声を上げた。

 

 

「グォゥァァァァアアアアアアッ!!!」

 怒隻慧はそれに答えるように、血反吐を大量に吐きながらも咆哮を上げる。

 

 

 まだそんな力が余っていたのかと驚いたけれど、地面を濡らす血潮は怒隻慧に余裕がないことを物語っていた。

 それでも、全身から赤と黒を漏らしながら竜は吠える。その身体のどこにそんな余裕が───

 

 

「ブレス……っ?!」

 唇を噛んで、私達は姿勢を低くして構えた。

 

 確かに怒隻慧にも余裕はないかもしれない。でもそれは私達も同じで、私達だってその攻撃をどうこうする余裕がない。

 その時の行動は数秒先の自分に任せる事しか出来ないような状態で、ただ身構える。

 

 

 しかし彼は不敵に笑って、瞳を閉じた。

 

 

「───ミカヅキ!!!」

 唐突に、()はそう叫ぶ。

 

 すると突然、ブレスを放とうとした怒隻慧に上空から青い閃光が襲い掛かった。

 片翼が異様に大きく成長した蒼い炎の竜。

 

 

「ヴォゥァァァァァアアアアッ!!!」

 ───リオレウス亜種。

 

 

「何?!」

 地面に倒れた怒隻慧と、それを襲うリオレウス亜種を見てお父さんは目を見開いて固まる。

 どうしてこんな場所にリオレウス亜種(ミカヅキ)が居るのか。アランはそれが分かっていたように見えたけど。

 

 

 

「アレは、アランちゃんのオトモン……」

「どうして……?」

「理由は分からないが、昨日の夜から居た事だけは知ってる」

 アランは冷静にそう言って、私のお守りを突っついた。

 

「昨日の夜、ソレが光ってただろ。あの時から、近くにいるのだけは感じていたんだが。……助けてくれるとはな」

 少し寂しそうな表情で、アランは怒隻慧を襲うリオレウス亜種(ミカヅキ)に視線を送る。

 

 

 これがライダーとオトモンの絆、なのかな。

 アランが少し寂しそうな表情をしているのは、狩人と乗人の間で揺れているからだと思った。

 

 

「終わりだな」

 横目でお父さんと怒隻慧を見ながら、アランは静かにそう言う。

 

 

 

「アランのオトモンだと……。どうしてだ、お前はライダーじゃない。ハンターだろう。アイツを止めろ!」

 怒隻慧は確かに強い。でも、ミカヅキだってとても強いモンスターだ。

 

 弱っている怒隻慧に対して、ミカヅキは一方的に攻撃して血と悲鳴が辺りを包み込む。

 

 

「俺はライダーじゃないからな。……リオレウス亜種(・・・・・・・)をどうこうする力なんてない」

 アランは冷たくそう言って、悲鳴すら小さくなる怒隻慧に視線を向けた。

 

 

「これがお前の最期か」

 どこか寂しそうな表情でアランがそう言うと、お父さんは意を決した表情で怒隻慧の元に向かおうとする。

 モンスター同士の戦いに人間が割って入ったって、出来る事なんて何もない。

 

 それでもお父さんは必死にミカヅキを止めようとして、そんなお父さんを鉛玉が貫いた。

 

 

 

 ボウガンの発砲音のような音が響く。

 同時にお父さんはお腹を抑えながら倒れて、音のした方に視線を向けるとアキラさんが構えた銃から煙が上がっていた。

 

 

「お父さ───」

「急所には当たっていないわ。でも、きちんとした場所で治療しなきゃあなたの命はないわよ。リーゲルさん。もう終わりにしましょう」

 失った左肩を抑えて表情を曇らせながら、アキラさんは私に「悪いわね」と漏らす。

 

 苦しそうに蹲るお父さんは、それでも身体を引きずって怒隻慧の元に向かおうと地面を這いずって進もうとした。

 

 

「お父さん……」

 どうして。

 

 

「リーゲルさん。……もう、終わったのよ」

「終わっちゃ……いない。まだ……まだ、生きて……いる」

 うわ言のように漏らして、お父さんはミカヅキに襲われる怒隻慧に手を伸ばす。

 

 

 怒隻慧はもう抵抗する力も残っていなくて、ただされるがまま血肉を食い千切られ、地面に血流を流していた。

 だけど、その身体は激しく上下に動いていて。まだ息をしている。生きている。

 

 

「やめろ……やめて……く……れ……。ミズキ……そいつを、止め……ろ!! コイツらを止めろ!! 違うだろう……こんなのは、違う。ミズキ……お前なら、分かる筈だ!! お前なら分かる。コイツは、ただ───」

 銃声が響いた。

 

 弾丸がどこに当たったのかすら分からない。ただ、お父さんが目の前で悲鳴を上げる。

 

 

「お父さん……っ!!」

 無意識に言葉が漏れて、手を伸ばした。

 足が動きそうになったけど、アキラさんに肩を持たれて私は止まる。

 

 

「惑わされちゃダメよ。あなたは、ハンターでしょ」

「私は……」

 そうだ。私は狩人だから。

 

 

 怒隻慧は倒さなきゃならない。でも、このまま終わるのはなんだか違う気がする。

 

 

 

「終わりよ、リーゲルさん。これ以上足掻くなら、次はない。娘の為にも諦めて」

 アキラさんはそう言いながら銃を構えて、アランはそんな彼から目を背けた。

 

 

 

「アラン……」

「使えるものはなんでも使って、最後にモンスターを倒す。それが、ハンターだ」

 そうだけど。

 

「でもな……」

 アランはそう言って、アキラさんの手を掴んで銃を下ろさせる。

 

 

「アランちゃん……?」

「リオレウス亜種に手柄を奪われるのは狩人として問題だ。俺はライダーじゃない」

「アラン……」

 きっとその言葉は間違ってるのかもしれない。だけど、私達は怒隻慧のいのちと向き合いたいんだ。

 

 

 決着は自分達でつけないといけない。

 

 

「こういう事だろ」

「……うん!」

 ありがとう、アラン。

 

 

「あなた達ね……。しょうが───」

 突然、地面が揺れる。

 

 

 立っていられない程の衝撃。モンスターの起こした地鳴りとは違う。本物の地震。

 空気が揺れて、森が鳴いた。海は盛り上がって、まるで身体が浮いているかのような感覚に襲われる。

 

 

 お父さん達がただなんの目的もなしに海岸に逃げる訳がない。

 

 

 そこから脱出する手があるからこそ、お父さん達は決着の場所をここに選んだ。

 

 

 

 視線を海に向ければ、お父さんは倒れたまま右手を挙げていて。その右手は、まるで周りを包み込むように光る。

 

 

 

「……っ、何をしたの! 辞めなさい!」

 慌てて銃を向けるアキラさんだけど、お父さんは不敵に笑って虚空に手を伸ばした。

 

 

「俺はもう終わりでも良い。だが、アイツは違う。まだ、生きなきゃならない。俺は、その手助けをしたかった……ただ、それだけなんだ……」

 うわ言のようにそう言って、お父さんは海に視線を向ける。

 

 盛り上がった海面が陸に向かってくるのが見えた。

 

 

 

「なんだ……アレは。まさか、本当に……」

 驚いた表情でアランがそう言葉を漏らす。

 

 私の予想が確かなら、あそこに居るのは───

 

 

 

「そんな……バカな。なんの冗談よ、コレは……っ!!」

 大きなツノが見えた。

 

 それだけで、竜一匹と大差ない。大きな角。

 

 

 

 その()は海底で角を岩盤にぶつけて、大きくなり過ぎた角を削るという生態を持っていると言われている。

 それだけで近隣に地震を起こす程の巨体と力。この世界の理そのもの()

 

 

 

「───ナバルデウス」

 音にもならないような、空気の振動が世界に響いた。

 

「モガの森に堆黒尾がやってきた時、密猟者達の船が破壊されている理由が正直俺には分からなかった。……いくらイビルジョーでも船を木っ端微塵にするなんて事、出来る訳がないからな」

「……それじゃ、まさか」

「密猟者達だって馬鹿じゃない。あの事件、堆黒尾がモガの森に現れたのは……コイツが船を───」

 海面から頭を出したその龍は、二本の角と金色の身体を捻って海面を持ち上げる。

 

 

 

「……そうだ。あの時から、俺はあの場所に───」

 海が立った。

 

 

 

 

「津波?!」

「な……。に、逃げろ!! ミカヅキ!!」

 押し寄せる海水。まるで水の壁が迫ってくるような、そんな感覚。

 

「お父さん!!」

「お別れだ」

 巻き込まれたら命の保証は出来ない。でも、逃げる手段が分からない。

 

 

 ここにはお父さんも、怒隻慧も、ミカヅキも、アキラさんも、アランも居る。

 その全てが、私も含めて考える間も無く飲み込まれた。

 

 

 必死にアランの手を掴んで、激流に飲み込まれながら視界が暗転する。

 何が起きたのかすら分からない。

 

 

 

 

 ただ暗くて、でも不思議と冷たくない。

 

 

 

「……あ、アレ?」

 身体の感覚はなくて。どこか懐かしい感じの、浮遊感。

 海に飲み込まれて、それからどうしたんだっけ。もしかしてそのまま死んでしまったのかとも思ったけど、意識はハッキリとしていた。

 

 それに、どうしてか暖かい。怖くない。

 

 

 

「……なら、ここは?」

 微睡みのような感覚の中で、視界にフワッと光る何かが映る。

 それで、ここが何処なのか分かった。

 

 

「……お父さん」

「よう、ミズキ」

 フワッとした光は、ハッキリとお父さんの姿に変わっていく。

 話したい事が沢山あった。今がその時間なんだと思う。

 

 

「……あのね、お父さん。……私、ディノバルドを殺した」

 倒したと言わずに、私はしっかりと前を向いてそう言った。

 

 お父さんは俯いて「そうか」と小さく返す。

 

 

「その時にね、やっと分かったんだ。いのちと向き合うのがどういう事なのか。ディノバルドが───命を奪う相手が何を考えているのか、いたのか。それをしっかり受け止める事が、いのちと向き合う事なんだって。……そう思った」

「そうだな」

 また小さく返して、お父さんは目を逸らした。

 

 

「どうして、ディノバルドを置いていったの?」

 こうなってしまうって、お父さんなら分かる筈。お父さんなら、あのディノバルドを救えたのに。

 

 それなのに、どうして。

 

 

「アイツを拾ったのは、アイツがまだお前よりも小さかった時だ。……まだ幼体のアイツがジャギィ達に襲われていた所を見つけてな。だがそれで俺が干渉するのはおかしいだろう? だから、見守った」

 どこか遠い所を見ながら、お父さんは静かにそう答える。

 こころなしか寂しそうなお父さんは、目を瞑ってこう続けた。

 

「アイツは、ディノバルドは必死に生きた。小さな身体でジャギィを追い払って、生き残った。俺はただ……そんなアイツに居場所を与えたに過ぎない」

「場所?」

「あぁ、生きる為の場所だ。アイツは生きた。だが、その為の場所がなかった。……人間は調整者じゃない。自然の生き物に手を貸し過ぎるのは良くないだろう?」

 人間は調整者じゃない。お父さんが良くいう言葉。

 

「だから……」

「俺はアイツと絆で結ばれてはいるかもしれないが、アイツの命を預かっていた訳じゃない。俺という居場所がなくなったのなら、アイツは次の居場所を探さなきゃならないだろう。そして渓流はアイツの居場所じゃないと……人間がそう決めつけて、アイツは殺された。アイツを置いていったのは自然の摂理だ。だがアイツが死んだのは、人間の自惚れだ。自らを調整者だと思い込んでいる、人間のな」

 強くそう言って、お父さんはこう続ける。

 

 

「どうして置いていったか、だったか? 単純だ。俺達には時間がなかった」

「時間……?」

 俺達というのは多分、ディノバルドの事じゃなくてお父さんと怒隻慧の事だと思った。

 だけど、時間がないという言葉の意味は分からない。

 

 

 

「もう一度、俺が言っていた事を思い出してみろ」

「……怒隻慧の、居場所を探していた」

「そうだ」

 私がそう答えると、今度はお父さんは強く頷く。

 今ならその言葉の意味がしっかりと頭の中に入ってくる気がした。

 

 

 居場所。ディノバルドにとっては、お父さんのオトモンという場所。

 怒隻慧にとっての居場所。お父さんは、怒隻慧が生きていく為の場所を探していたんだと思う。

 

 そしてそれは、お父さんのオトモンではないという事。

 

 

「俺は嫁と───お前の母親と一緒になる前、ライダーだった。オトモンはコイツ、イビルジョーだ」

 お父さんがそう言うと、その背後に怒隻慧が現れた。少し驚いたけど、この場所ならおかしい事じゃない。

 

 

 お父さんは怒隻慧を撫でながらこう続ける。

 

 

「嫁と家族になって、お前を授かった。だが、俺はお前がもう産まれるという直前までコイツの事を嫁どころか住んでいた村の連中にも教えていなかった」

 住んでいた村というのは、アランの生まれ故郷───怒隻慧が始めて現れた場所。

 

 

 

「……どうして?」

「あの村はライダーの存在を知らなかったからな。それに、コイツはイビルジョーだ。常に獲物を求め、何もかもを食らうと言われているモンスターだ。俺は村のすぐ近くの森にコイツを隠していたが、それがバレたらどうなると思う?」

 お父さんの質問に私は少しだけ考え込んだ。

 

 

 どれだけ考えても答えは一つだけだったから。それが少し嫌で、認めたくないなかったんだと思う。

 

 

「……皆、怖がると思う」

「その通りだ。そして……嫁も───お前の母親もコイツを怖がったよ」

 突然視界が開けた。

 

 和な森の景色の中。

 金髪の、お腹が大きな女性が立っている。

 

 

 そんな女性の前にお父さんが立って、近くの木陰から一匹のモンスターが現れた。

 

 

 

 全身を赤黒い光に包み込まれた竜。

 太い脚に、大きな顎。そして鋭い牙。

 

 

 

 女性は恐怖で倒れ込んで、震える足を引きずって大声を上げる。

 助けて。嫌だ。殺される。

 

 その場所は村のすぐ近くだったからか、偶々すぐ近くに人がいたからか。イビルジョーが何かした訳でもないのにどんどん武器を持った人が集まってきた。

 

 

 

「これは……」

「これが、人間だ。コイツは確かにイビルジョーだ。見れば分かる通り、飢餓状態のな」

 飢餓状態。俗にいう怒り食らうイビルジョー。

 

 イビルジョーは高い代謝を維持する為に捕食をひたすら繰り返す。

 そしてその生態から他の大型モンスターとの闘争も多く、種として平均的に短命らしい。

 

 それこそ、いつか見たみたいにイビルジョー同士でも争う事があるからだ。

 

 

 だけど、稀に長生きをしたイビルジョーは、自身の食欲を制御するリミッターが壊れてしまう。

 そうして捕食本能が強くなり過ぎて、力の制御も出来ずに全身から龍属性が漏れだし、暴走状態に陥った個体。それが、怒り食らうイビルジョー。

 

 

 

 視界の中で人々に囲まれるイビルジョーは、この怒り食らうイビルジョーだ。

 同時にこの竜は怒隻慧なんだと直感的に分かる。

 

 だけど、この竜と怒隻慧は少しだけ姿が違った。

 怒隻慧も確かに身体から龍属性が漏れて、赤黒い光に包まれている。だけど、怒隻慧は身体の右半身だけ。

 

 

 この竜は全身を赤黒い光に包み込まれていた。どうして? 

 

 

 そんな疑問を前に、竜は人々に武器を向けられる。

 ハンター用の武器や、獣を狩る為の小さな武器。様々な武器と共に、嫌な感情が、殺意が、竜を突き刺した。

 

 

 

「お前の思っている通り、コイツは怒隻慧だ。コイツが怒隻慧と呼ばれる前のな」

「どういう……事?」

「まぁ、見てろ」

 お父さんはそう言って、視界に映る森に視線を移す。

 

 

 人々は竜に武器を向けて、その刃を突き刺した。

 だけど竜は抵抗せずに刃で身体を切り刻まれていく。

 

 

「どうして……」

「反撃しないか? コイツはな、人間が大好きだったんだよ。俺のオトモンになって、この世界に生まれてから。人間と共に生きてきた。ライダーの村を出ても、それが出来ると疑わなかった」

 感情的な声でお父さんはそう言った。怒隻慧は尚も、人々に刃を向けられる。

 

 

「歳をとって、食欲の箍が外れてもなお。コイツは俺のオトモンで居てくれた。いつかライダーの村でなくても、人間達と暮らせると思っていたからだ! コイツは俺達の事を好きで居てくれたんだ! だが、これを見てみろ!!」

 怒隻慧を襲う人々ひ手を向けて、お父さんは悲痛の声を上げた。

 

 

 人々は皆同じ表情で武器を構える。

 恐怖とか、殺意とか、嫌な感情ばかりが流れてきた。

 

 

「人間共は、そんなイビルジョーの気持ちを考える事もなく。ただ恐怖に駆られてコイツを殺そうとした。それでもな、コイツは手を出さなかったんだよ」

 森の中で、遂にイビルジョーは倒れてしまう。

 人々はトドメを刺そうと竜の周りを囲んだ。

 

 

 そしてイビルジョーを守ろうと、お父さんがその前に立って声を上げる。

 やめろ、やめてくれ。ついさっき私達に言ったように、お父さんは怒隻慧を庇うように手を広げた。

 

 

 そんなお父さんの右手に槍が突き刺さる。

 血飛沫が舞って、悲鳴が漏れた。

 

 

 モンスターの味方をするなんて、お前はモンスターなのか。

 そんな意味の分からない言葉が誰かから漏れる。

 

 お父さんの背後でイビルジョーが立ち上がった理由が、私には分かった気がした。

 

 

 

 外れかけていた箍が外れる。

 竜は吠えて、人々を食らった。

 

 残ったのはお父さんと、金髪の女性。

 女性は怯えた表情で逃げようとする。そんな女性を、イビルジョーは上から覆い被さるように飲み込んだ。

 

 

 森にはお父さんが一人。竜が一匹。

 

 

 

 

「俺の事も食べるか? この時そんな事を聞いた。だがな、コイツはうんともすんとも言わずに村の方に向かったんだよ」

 そうして起きたのが、最初の悲劇。

 

「どうしてかな。コイツを追いかけて村に着くと、コイツを包み込んでいた龍属性の光は半分になっていた」

 アランの生まれ故郷を襲ったイビルジョー。怒隻慧が始めて目撃された場所。

 

 

 

 村で生き残ったのはアランだけ。近くのライダーの村のライダーがアランを助けて、怒隻慧を退ける。

 これがアランと怒隻慧の出会い。

 

 

 

 そして気になるのはそれからの怒隻慧の事だった。

 

 

 

 私はあの金髪の女性と一緒に怒隻慧のお腹の中。

 お父さんはそんな怒隻慧に近付いて、崩れ落ちる。

 

 

 

「人と竜は相容れない」

 いつか何処かで聞いた言葉。

 泣き崩れるお父さんは、ただひたすら怒隻慧に謝り続けた。

 

 

 きっと怒隻慧は人間の事が大好きだったんだと思う。だけど、私達人間は違った。

 あまつさえ怒隻慧を拒絶して、その命はおろか怒隻慧の大切な人を傷付けて。

 

 

 お父さんは暴れまわる怒隻慧に右手を伸ばす。

 怒隻慧はその腕を食い千切って、血飛沫が漏れた。

 

 

 俺を食べないのか。

 右手を失ったお父さんはそう言って、視線を持ち上げる。

 

 怒隻慧はそんなお父さんと視線を合わせて、赤黒く光る眼で真っ直ぐにお父さんの眼を見た。

 

 

 

 きっと箍が外れても、お父さんの事を忘れていなかったんだと思う。

 

 

 

 そして怒隻慧はゆっくりと身体を横に振って、口の中から何かを吐き出した。

 

 それは何とも言えない血と肉の塊。

 まるで怒隻慧を包み込んでいた光の半分がそこに集まっているかのように、その血肉は赤黒い光に包まれている。

 

 

「もしかして……これが、私?」

「あぁ、そうだ。俺も最初は驚いたし、どうしたもんかと頭を抱えたがな」

 お母さんのお腹の中にいた筈の私だけが、こうして怒隻慧の中から吐き出された。

 

 どうしてそんな事になったのか。どうして私が赤黒い光に包み込まれているのか。

 

 

 

「分からないか?」

「うん……」

「俺も、分からん」

 視線を逸らしてそう言うお父さん。お父さんが分からないのに、私が分かる訳がない。

 文句を言おうとしたけれど、お父さんはこう続ける。

 

 

「俺を許してくれたのか、それとも人質のつもりだったのか。……ただ、この時から怒隻慧から感じる事は一つだけになった。あるいは、この時のお前と怒隻慧が同じ気持ちだったのかもなぁ。だから、コイツの半分はお前が持っているのかもしれない」

 お父さんは淡々とそう言って、再び視界は真っ暗になった。

 

 

 そこから先は私の知っている通り。

 私はモガの村に引き渡されて、アランはライダーの村で育って再び怒隻慧に村を襲われる。

 怒隻慧はアランから大切な人を沢山奪って、アランは私と出会って、私達は遺跡平原で怒隻慧と出会った。

 

 

「この時の私と怒隻慧が同じ気持ち……?」

「まだ分からないか。老いて食欲に支配されて、それでも信じていた人間に裏切られた竜が、今もなお思っている事だ。生き物が平等に、思っている事だ」

 お父さんの言葉を聞いて私はハッと頭を持ち上げる。

 

 

 

 

 

 

 そうか……。

 

 

 そんな単純な事だったんだ。

 

 

 

 

 

 

「あなたは、ただ───」

 手を怒隻慧に伸ばす。

 

 なんでこんな単純な事が分からなかったのか。

 まるでこれまでの時間が流れていくように、沢山のモンスターとの出来事が頭の中で弾けた。

 

 

 

 これが、いのちと向き合うという事。

 

 

 

「……分かったのなら、お前に言う事はもうない」

 お父さんは唐突に、そう言って瞳を閉じる。

 

 

 

 視界に泡が映った。

 

 

 

「コイツにはもう時間がない」

 それは、きっと怒隻慧の寿命の事なんだと思う。

 

 私が生まれた時、十九年も前から怒隻慧は飢餓状態だった。

 お父さんが探していたのは、そんな怒隻慧が生きていく為の場所。骨を埋める場所。

 

 そんな場所をずっと探し続けていたんだと思う。

 

 

「ディノバルドには悪い事をした。だが、お前がアイツを殺した事を咎めるつもりはない。お前がディノバルドを殺して辿り着いた答えは誇れる物だと……俺には分からないが、お前はそれを貫き通せ。お前にはお前の、俺には俺の答えがある」

 視界を泡が覆った。ここがどこなのか思い出す。

 

 

 お父さんの背後で、怒隻慧はその大顎を開いていた。

 

 

 

「あの時、お前には俺が死んだと思わせて……ハンターを辞めさせるつもりだったんだ。だから足まで犠牲にしたのに、お前はしっかりと前に進みやがって」

「ま、待ってお父さん……私はまだ!!」

 あの時、怒隻慧に食べられたフリをして私達の前から居なくなった理由。

 

 

「これまで俺は色んな人間を見て来た。それで、俺の答えは見つかったよ。お前とは違う答えが。俺もそれを貫き通す、お前と同じようにな」

 そんなやり方は狡いよ。私はまだお父さんと話したい事が沢山ある。

 楽しかった事も、苦しかった事も、これからの事も、怒隻慧の事だって。

 

 

「……どのみち俺も、限界だ。だったら、最期は本当に怒隻慧に食われるのも……悪くはない。結局最後まで、俺にもコイツの全ては分からなかった。けどな、コイツはただ───」

「それでも私は……っ!」

「ミズキ……」

 諭すような目で、お父さんは私の眼をしっかりと見た。

 

 

「怒隻慧の怒りを、半分でも抑えたのはお前だ。お前の心だ。死ぬ筈だったお前の命を救ったのは怒隻慧だ。なぁ、ミズキ───」

 大口が開く。牙がその肉を捉えて、視界は血と泡でいっぱいになった。

 

 

「ミズキ、人と竜は相容れないか? お前の答えを、しっかりとその胸に刻め。そして、忘れないでやってくれ。お前も、コイツも……ただ───」

「お父さん……っ!!」

 口から空気が漏れる。

 

 

 

 ここは海の中。ナバルデウスが起こした津波の中だ。

 

 

 水は赤く染まって、赤黒い光が私を捉える。

 怒隻慧イビルジョー。

 

 手を伸ばした。

 あなたは私を───

 

 

 

 息が漏れる。

 意識が段々と離れていった。

 

 ただ手を伸ばして、だけどその手は届かない。

 沈んでいく。

 

 

「小娘……っ!!」

「お父……さん……」

 どこからかそんな声が聞こえて、私の意識は波の中に消えた。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 薄っすらとする意識の中で、アキラさんの声が耳元に聞こえてくる。

 

 

「大丈夫よアランちゃん。もう……誰も死なせないわ」

 俺は自分の置かれた状態も分からずに、一瞬だったのか数時間だったのか意識を手放した。

 

 ハッとして起き上がる。

 周りには何もない。潮の匂いが強いのが気になって、何が起きたのかやっと思い出した。

 

 

「……そうだ、ナバルデウスが起こした津波に飲み込まれて───ミズキ?! ミズキ!! アキラさん!! ミカヅキ!! どこだ!!」

 突然起きた津波に反応出来ずに、俺は巻き込まれたが海には飲み込まれなかったらしい。

 

 いや、アキラさんが助けてくれたのか。

 だがそのアキラさんはどこに居る。ミズキやミカヅキはどうなった。

 

 

 ふと風が吹いて、視界が暗くなる。

 頭上から蒼い竜が降ってきたが、特に驚く事もなく俺はその竜と視線を合わせた。

 

 

「ミカヅキ、ミズキ達は!!」

 俺の言葉にその竜───ミカヅキは視線を海に逸らす。

 

 その視線の先の海水が盛り上がったかと思えば、見えたのは紺色の髪の毛の大柄な男とその男が背負う金髪の少女の姿だった。

 

 

 

「アキラさん!!」

 俺は直ぐに立ち上がって、彼女達の元に向かう。アキラさんは陸に上がって直ぐに倒れてしまった。

 

 

「……心配……しな……く……て、大丈夫、よ。小娘……は、無事」

 風の音にかき消されそうな声でアキラさんはそう言う。彼のいう通り、ミズキは気絶している様子だが呼吸もしっかりしていた。

 

 それよりもアキラさんの方が重体に見える。

 呼吸は荒く、意識も朦朧としていた。腕を食い千切られて血が流れる筈なのに全くその様子もなく、血の気もなくなっている。

 

 

 身体は冷たいし、ミズキを下ろして仰向けになるが瞳孔は揺れていて何処を見ているのか分からない。

 

 

「しっかりしてくれ!」

 リーゲルさんや怒隻慧やナバルデウスがどうなったとか、そんな事はどうでも良い。

 

 今はミズキやアキラさんの無事が第一だ。

 そうしてシノアやアザミ、ムツキ達も無事ならそれでいい。そこからまたやり直せば良い。

 

 

 もうこれ以上、俺から大切な人を奪わないでくれ。

 

 

「アランちゃん……」

「無理に話さないでくれ。直ぐにバルバレに返って治療を……っ。歩いてじゃ間に合わない……ミカヅ───」

 俺がミズキの絆石に手を伸ばしながら声を上げると、アキラさんはその手を止める。

 

 そうして波の音にかき消されそうな声でこう続けた。

 

 

「……アランちゃん、いや……アラン。今、お前にはとって大切なのは……誰だ?」

 口調を変えて、彼はそんな事を聞いてくる。

 

 そんなの、決まっているだろ。

 

 

「ミズキが無事なんだから、あなたに決まってる。あなたは俺の───」

「そうじゃない。そうじゃないだろう……。お前にとって、小娘は……ミズキは、何よりも大切な人の筈だ。この子が水の中で見たものを……お前はちゃんと受け止めなきゃいけないんだ」

 何を言っているのか分からなかった。

 

「そんな事は後でも出来る!! 今はあんたが死ぬか死なないかって状態なんだぞ。……大体、そんな身体で俺もミズキも助けるなんて、アンタはバカか!!」

「……ガキが、言うようになりやがって。でもな……俺は……もう……良い」

 何処を見ているのか分からない。焦点が合わずに揺れる瞳には、いつのまにか日が沈んで星々が光り出した夜空が映っている。

 

 

「水の中で……この子が持っている絆石の光が、漏れていた。俺も、この子が……見ていた物を、少しだけ見た。怒隻慧の事が……少しだけ、分かった」

「怒隻慧の事が……?」

 俺は怒隻慧を倒して、怒隻慧を理解するんだと。それがミズキとの約束だった。

 

 ミズキは怒隻慧の事を理解したのか? 

 水の中で、何を見たというのか。

 

 

 

「俺の……復讐は、間違って……いたのか。なぁ……アラン、俺は……」

「もう良い、喋らないでくれ。直ぐにバルバレに行こう。アンタはまだ死ぬべきじゃないだろう!! 一緒に怒隻慧を殺すんだろ!! なぁ!! アキラさん!!!」

 俺の怒号が森に響く。

 

 その音に混じって、何かの足音が聞こえてきた。

 それも複数。小型のモンスターの足音か。こんな時に。

 

 

 舌を鳴らしながら、近くに落ちていた武器を拾って構える。

 

 

 

 森の中から頭を出したのは、ドスジャギィだった。

 

 

 

「……っ。シノア達は」

「無事だニャ!」

「ちょっと! ストップストップ!!」

 しかし、ドスジャギィの後ろからムツキとアザミが飛び出してくる。一体どういう事だ。

 

 

「……な、なんだ」

「なんかよく分からないけど、突然戦意喪失したというか。……付いて来い、みたいな顔で私達から離れていく物だから付いてきたのよ」

 困った様子でそう言うアザミの左右にはジャギィ達も居る。

 

 おかしな光景だが、ミズキと交流のあったドスジャギィが絡んでいるなら理解出来ない光景ではない。

 リーゲルさんが津波に飲み込まれて、彼の絆石の効力から解き放たれたのなら当然の結果か。

 

 

「み、ミズキ! 大丈夫かニャ!」

「嘘……アキラ、さん?」

 ムツキと、遅れてやってきたシノアが倒れている二人に駆け寄ってきた。

 

 そうだ、こんな事をしている場合じゃない。

 

 

「シノア、アキラさんを直ぐにバルバレに運ぶ! アザミはドスジャギィに頼んでゆっくりで良いからミズキを頼む」

「ハァ?! ドスジャギィに頼むってどうやれってのよ!!」

「眼を見て適当に頼めばなんとかなる!」

「む、無茶苦茶よ……。あー、もう。はいはい分かったわよ!」

 ミズキをアザミとムツキに任せて、俺はミカヅキの背中にアキラさんを乗せる。

 

 ライダーなんて辞めた筈なのに。俺は何をしているんだろうか。

 

 

 

「頼む、ミカヅキ! シノア、しっかりとアキラさんを支えてろ!」

「う、うん……っ。……ぇ、アキラさん? 今、なんて?」

 翼を羽ばたかせて、ミカヅキは一気にバルバレへと向かった。

 

 

 潮の匂いが一瞬で遠ざかる。

 

 

 怒隻慧の行方も、リーゲルさんの行方も分からない。

 ただ、目の前の事に必死になって。

 

 

 

 俺はアキラさんの言葉から耳を逸らしていた。


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