もしも、カルナさんが家族に恵まれていたら   作:半月

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「さあて、兄上殿。旧交を温めるのもこの辺にして――本題に入ろうか」

 

 非力ながらも俺が拳を握ったのを察知したわけでもなかろうに、ドゥリヨーダナの纏う雰囲気がガラリと変わる。

 

「戦を回避する方法はあるのでは、と問うたな? 厳密に言えば、無い訳ではない」

「へぇ?」

「先ほどの約定を思い出せ。

 ()()()()()()()()()()()()――この一年の間に、草の根を掻き分けてでもパーンダヴァを見つけ出す。さすれば、奴らは取り決めに従って、二度と表舞台に出てくることもあるまいよ」

 

 果たして、そうだろうか?

 悪知恵の働くドゥリーヨダナの言い分としては、論拠がやや弱いように感じる。

 つい先ほど、どのような手段を講じてでも汚名を晴らさなければならないパーンダヴァの窮状を語ったばかりだというのに、そんな彼らが大人しく過去に交わされた約束事を守るとでも思っているのだろうか?

 

「――守らざるを得ないだろうさ。所詮、奴らは()()()だ」

 

 吐き捨てるように言い放ったドゥリーヨダナの台詞に首を傾げざるを得ない。

 ――確かに、神々にとって約定は絶対だ。何せ、契約の一切を司るミトラ神というものがいるくらいなのだから。如何に神々であろうと、否、神であらばこそ、ミトラの名の下に定められた制約は絶対に守られなけれならない――だが。

 

「インドラ神の神話を忘れたの? 何も、正面きっての戦いだけが神々の戦いではない」

「そうだな。相手が純正の神であればわたしも警戒したことだろう。

 だが、()()()()()()()()()――そこに、わたしのつけこむ隙がある」

「――?」

 

 ――ふ、とドゥリーヨダナの横顔に影が差す。

 彫りの深い顔にかかる影が陰影を色濃くし、きらきらと輝いていた黒水晶の双眸に闇が宿る。

 

「“破滅の子であれ” ――と望まれたわたしとはまた別の意味で、奴らもまた人々の期待(のろい)を背負っているということだ」

 

 ――その瞬間、なぜだか、脳裏にパーンダヴァの第三王子の姿がよぎった。

 人々の語る誉れ高き王子としての “アルジュナ” をまるで自分から切り離したものとして己を語っていた、あの青年の空虚な表情を。

 

「――“模範たれ” “理想たれ” “英雄たれ”。言語化するのであれば、さしずめそんなところか。

 そのような期待を背負っている(押し付けられている)以上、奴らは人々の理性の象徴にして正義の体現者としての自分たちのあり方を損なうような真似はできまいよ」

「…………実際の神は、そんなに素晴らしい存在ではないのだけどね」

「違いない!」

 

 よほどツボにはまったのか呵々大笑するドゥリーヨダナ。

 だが、ドゥリヨーダナらしくない楽観的な言葉にはやはり首を傾げざるを得ない。怪訝そうな表情を隠しもしない俺にドゥリヨーダナはニンマリと口の端を吊り上げた。

 

「別に、約束事が守られないならばそれはそれで構わないのさ。清廉潔白を謳う奴らのすまし顔を歪ませてやるのも一興だしな」

「お前……、本当に性格悪いなぁ……」

「生まれた時から周囲すべてに呪詛されまくったら、誰だってわたしの様になるさ」

 

 ――その言葉に、カルナの姿を思い浮かべる。

 

 母に捨てられても、恨むことはなく。

 御者の子と蔑まれても、恥じることはなく。

 父の威光を与えられながらも、育ちゆえに、目の前のこの男を除けば正当な評価をされること自体が稀だったあの子。

 

 生後すぐに突き落とされた境遇は、目の前の国王陛下とあまり変わらない。

 ――それでも、どこに出しても恥ずかしくない、高潔で立派な人間に育ったのだが。

 

「あれは別格だ。わたしと比べてくれるな。

 カルナを尊敬はできるが、ああなりたいと思ったことはない――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 俺の表情を読み取ったのだろう。顔をしかめたドゥリヨーダナが嫌そうな声を出す。

 彼の言い分はひどく理解できる――ただ、一点を除けば、の話だったが。

 

「ドゥリヨーダナ、それは違う。カルナは、あの子は、人として人の中で生きることを決めて――嗚呼、なったのだ」

 

 その言葉に、ひどくドゥリヨーダナは寂しそうな表情を浮かべる。

 そうして、一つ、溜息を零し、どことなく呆れたような――それでいて、ひどく優しげな言葉を零した。

 

「……そうだったな……。カルナもまた、わたしと同じ……人だった、な」

「そうだよ」

 

 あの子は俺のような “人でなし” ではない。

 嬉しかったら、微笑むことができる。誰かの幸福な姿に、共感を覚えることができる。

 悲しければ涙を流すことも、親しい人を侮辱されれば怒ることのできる……人の子なのだから。

 

 まあ、あの生き方と性格のせいで、余人がそう思えなくてもそれは仕方ない。

 だけど、カルナの友であるドゥリヨーダナにだけは、カルナがドゥリヨーダナと同じ心を持つ人間であることを忘れてほしくはなかった。

 

 ……だから、釘を刺さずにはいられなかった。

 

「せめて、お前だけはそれを忘れないでおいて。

 自分に従順な、使い勝手のいい兵器として、カルナのことを扱わないで。

 お前が、あの子の友を名乗るのであれば、なおのこと。――お前だけは、それを忘れないでおいて。天上の神々に匹敵するほどの力を持ちつつ、それでもカルナは()()()()()()()()()を幼い時分に選び取ったということを」

 

 言いたいことを言い切ってしまえば、しんみりとした空気が室内に充満する。

 先ほどまであんなにも陽気な雰囲気が嘘のようだ。それこそ、葬式の参列者が醸し出すような陰鬱さに満ちた空気のせいで、惰性で酒を喉に流し込んでも、ちっとも美味しさを感じない。

 

「…………」

「…………」

 

 気まずさを誤魔化すように、ドゥリヨーダナも黙々と酒を飲んでいる。

 その酒杯が空になったのに気がついて、お代わりを注ごうとするも――出ない。酒が切れてしまったことに気づいたドゥリヨーダナが嘆息し、俺もまたなんと言っていいのかわからないせいで、押し黙るしかない。

 

「…………」

「…………」

 

 あー、誰かこの空気をなんとかしてはくれないだろうか。

 ドゥリヨーダナのことを弟を破滅の道に引きずり込む匹夫としてみていた時ならばいざ知らず、今となってはカルナには及ばないながらも大事に思っていることには変わりはない。

 できれば、この単純そうでいて複雑な彼の、目には見えない心の傷を無意識に引っ掻き回すようなひどい真似はしたくないと心から願っている。

 

 けれども、基本的には俺は人非人だからなぁ……。

 ――良かれと思って行動した結果、周囲の被害を甚大にするのが神というものの特性だし……。

 

 悶々としていると、くすくすと羽で擽るような笑い声が耳朶をくすぐった。

 あれ、この声は……。

 

「――ごめんあそばせ。新しいお酒をお持ちしましたが、宜しかったでしょうか?」

 

 背後を振り返ると、奥間の仕切代わりの垂れ幕を持ち上げるような形で、店員のお姉さんが佇んでいた。

 ドゥリヨーダナも陰鬱な気配を終了させてくれた彼女に気づいてか、ホッとした表情を浮かべている。

 

 している話が話だし、あんまり第三者を室内に行き来させるのもどうか。

 先導したのがドゥリーヨダナで、立場的にも安全な場所に座らせていたせいで、店員さんとドゥリーヨダナとの間にはそれなりに距離がある。

 

 仕方ない、ここは俺がお酒を受け取ることにしようか――――あれ?

 

 接客用の完璧な笑顔で、新しいお酒を入れた容器を差し出している彼女。

 酒場の店員らしく、目にも艶やかな色合いの扇情的な女性服(サリー)を体に巻きつけ、纏め上げた髪の毛をわざと垂らし、後れ毛を残すようにして結い上げている彼女の姿を凝視する。

 

「あの……、お客様?」

「――――お前……」

 

 一見すると黒真珠のような店員の双眸に、チロチロと熾火のような朱色の輝きが走るのに気づく。

 装飾品の類でうまく隠しているが、彼女の耳は人にしてはやけに尖っている。怪訝そうにこちらを見やる彼女の八重歯はやけに鋭い、紅に染められた爪先は幾ら何でも――()()()()()()()()()()

 

 そして、何より、彼女が纏う――()()()()()()()()()

 

 気づいた瞬間、室内に炎の渦が荒れ狂った。

 

「――よくもまあ、このワタシの前に穢らわしい姿を晒せましたね。羅刹女風情が――――!!」

「きゃあぁぁぁぁ――っ!」

 

 上手く擬態しておりますが、ワタシの目を誤魔化せるまでとはいきません。

 何故か躊躇った表層意識(アディティナンダ)から器の主導権を奪い去り、目の前にいる化生の首を鷲掴みました。触れた瞬間、羅刹女の纏っていた幻術(マーヤー)が灰のように崩れ、美しい女の姿が人外のそれへと――変容していきます。

 

 滑らかな黒い肌が醜く引き連れ、人のものではない色――血で染め上げたような真紅へと変化していきます。

 押さえつけている体が一回り大きくなり、紅を差していた唇が大きく引き裂かれ、鮫のように尖った歯が覗きます。

 救いを求めるように彷徨う手の爪先がますます伸び、鋼のような硬さと鋭さを持った刃物へと変じました。

 

「――あ、熱い! 熱い、熱い!! やめ、やめて……っ」

「黙りなさい。――何故、人の子の都にオマエのような人を食う化け物がいるのです?」

 

 喉を押さえつけられた挙句、直に業火の炎に身を焼かれているのは苦痛極まりないことでしょう。

 何せ、この身は生みの親である大女神でさえ、耐えきれぬとばかりに放り出した灼熱の塊。ラーヴァナのような大物でもない、単なる羅刹にしか過ぎぬ魔性風情が抗えるようなものではありません。

 

「ひゅー、ふー、うあ、アァ……」

 

 苛烈にすぎる炎に身を焼かれた羅刹女の口から鞴のような音がこぼれます。

 

 苦痛に喘ぐ彼女の目尻から零れ落ちる前に涙は蒸発し、開閉する口の中はとうに干からびてしまったのでしょう。

 幻術が解けた時とはまた別の意味で、目の前の羅刹女の肌が乾き、そのまま全身から命の源となる水を奪われて、悍ましく引き攣れていきます。

 

 ここが街中でさえなく、側にドゥリーヨダナがいなければ、ワタシが触れただけで目の前の魔性は溶解させられるのですが。

 

 ――致し方ありません。

 やや時間はかかりますが、それとて、刹那が秒数に変化するだけのこと。

 下手に苦痛を長引かせるのも哀れですし、ここはもう少し出力を上げましょうか。

 

 そうして、目の前の羅刹女を楽にして上げるのが最善でしょう――――

 

「――話を聞け、兄上殿! 否、アディティナンダ!!」

「――――!」

 

 押し寄せる波濤のような声が、深層意識に飲み込まれていた()の意識を呼び起こす。

 

 ついで、何か癖のある水……のようなものが頭に降りかかる。

 最も、俺の全身が濡れるよりも先に、身に抱えた灼熱の炎によって、すぐさま蒸発してしまったのだが。

 

「――いまだ! 早く、身柄を奪え!!」

「はっ!!」

 

 一面が白い霧で覆われ、一瞬だけ不意をつかれた体の動きが止まる。

 その隙を突かれ、抑え込んでいた羅刹女の身柄が勢いよく強奪され、その反動で軽くその場から吹っ飛んだ――が。

 

 ――ふわり、と飛ばされたはずの身が静止する。

 地に足をつけることなく、宙空にて漂いながら、深層意識(ワタシ)は心底不思議そうに、その場にいる唯一の人間へと問いかけました。

 

「何をしているのです、ドゥリーヨダナ。世界に仇なす魔性を滅ぼすのはワタシたちの務め、責務です。

 それを、何故、只人であるアナタがそれを妨げるのです? いかなる権利があると言うのです?」

「ああ、確かにその通りかもな。だが、兄上殿――いやさ、()()()()()()()()! それでも、わたしはこう言うぞ! ここにいる者たちに誅罰を下すのは待ってほしい! と」

 

 緊張のあまり溢れる汗を瞬時に焼き尽くされながらも、羅刹女を庇うように前に飛び出したドゥリヨーダナ。

 その背後には店内にいた他の店員たちや、客であったはずの兵士たちも控えております。どれもこれも肌を青ざめさせながら、恐怖に震えておりますが……逃げようとする様子は見せませんでした。

 

「ワタシが審判神としての権能を有するスーリヤの眷属であると知っても? 分を弁えず、人の世を闊歩する魔性は滅ぼすべきです。ましてや、今はまだ我が現し身たる日輪が天に輝く時間――神の眷属であるワタシがそれを躊躇するとでも?」

 

 先ほどは表層意識(アディティナンダ)の揺さぶりゆえに不覚をとりましたが、次はありません。

 

 それに、よく見れば、この場にいる純正の人間はドゥリヨーダナただ一人。

 先ほどの羅刹以外には、夜叉の類や水棲の魔物、邪婬の性を有する蛇の眷属の姿もあります。どれもが、うまく人間に擬態しているようですが、今のワタシの目にはその者たちの真の姿は明白でした。

 

 それ故に、そんな魔性のものたちを守るように向き合うドゥリヨーダナの姿は不可解としか言いようがありません。

 

 この場にいる全員を焼き焦がすほどの熱を全身から発揮し、不遜にも目の前に羅刹女を庇うべく立ちふさがっているドゥリーヨダナを威圧すべく、剥き出しの神威を叩きつけます。

 

 ――ぐらり、とその体躯が揺らぎましたが、ドゥリヨーダナは踏みとどまりました。

 

「とぅ、当然だ! 何せ、この者たちは……!」

 

 焼け焦げた灼熱の大気を吸い込み、乾燥のあまり引き攣れた喉から、引き絞るようにして――ドゥリヨーダナは朗々と宣言しました。

 

「カウラヴァの長子にして、クルの王たる余の……()()()()()()()!!」

 

 ……。

 …………。

 ………………は?

 

 パチパチと目を瞬かせ、必死に言われた言葉を咀嚼しようと、考えを巡らせます。

 

 家臣、家臣と言いましたか、この王は。

 あれ……家臣です、か? 人に仇なし、神々の敵対者として名を知らしめる羅刹や夜叉たちが……ただの人間に過ぎないドゥリヨーダナの家臣? どういうことです?

 

 わかりません。全くもって理解不能です。

 何故、人を食い、神々に逆らい、世を跋扈する魔性たちと――ドゥリヨーダナが仲間になるのでしょう?

 地上を離れる際に、ドゥリーヨダナの精神が魔性のものたちの餌食にならぬようにと加護を与えておきましたが、それが無効化されてしまったのでしょうか?

 

 魔物に心を操られ、血も涙も無い暴君として謗られる彼の姿が見たくなかったがために与えた祝福でしたが……余計なお世話だったのかもしれません。

 

 ……はっ、まさか! そもそも、それ自体がドゥリーヨダナの癪に触ったのかもしれません。

 ワタシが表層意識(アディティナンダ)越しに彼の姿を認知していたとはいえ、彼からして見ればワタシのことなど知りもしないのです。

 

 であれば、ひょっとでの神なんぞに祝福されるなど、彼にとっては噴飯ものだったのでは?

 

 そう考えれば、与えた祝福も余計なお世話だと感じ、それに反するような行いをしたところで可笑しくありません。

 となれば、今のドゥリヨーダナがワタシや表層意識(アディティナンダ)の知らぬところで魔性のものたちと交友を深めてしまったのは、それに対する当てつけなのかもしれません?

 

 ……。

 …………!

 

 だ、だとしたら、どうしましょう、ワタシ!

 カルナは、ワタシの愛しいヴァイカルタナは、幼い頃から手のかからぬ良い子でしたから無縁の言葉でしたが、まさか、まさかこれこそが……

 

 ――愕然とした表情を人間味の薄くなった容貌に浮かべ、麗しき炎熱の化身たる人外はドゥリヨーダナを見やる。

 

「ま、まさか……これが噂に聞きます反抗期……!? ――――んなわけあるかーーい!!」

 

 同じ口から放たれた言葉だと言うのに、霊峰の頂に積もる万年雪のように冷たい、人間離れした声音の質がガラリと変化する。

 それこそ、空を舞う木の葉がひらりと裏表を反転させるような軽やかさで、真性の神霊から人間もどきへと転化し、敵対者たちを焼け付くさんばかりだった熱気が収まった。

 

 ――ぎろり、と真紅から紺碧に変じた紺碧の双眸がドゥリヨーダナを睨みつける。

 

「おい、こら、そこの性悪国王! 今度こそ、俺の納得のいく説明をしてもらおうじゃないか!」

 

 お前がここにいる理由とか、この場所が一体なんなのかとか、人間ではないお前の部下たちの存在とか!

 洗いざらい吐いてもらおうじゃないか、とにこやかに凄む俺の姿に、さしものドゥリヨーダナも顔を引きつらせながらコクコクと首を上下させたのであった。

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