もしも、カルナさんが家族に恵まれていたら   作:半月

84 / 103
7

 ――ふわり、と鼻を擽ったのは、耽美な麝香の香り。

 するり、と優雅に翻ったのは複雑な文様の施された薄い衣。

 

 密林に住まう蛇の様に褐色の腕が掴んでいた俺の指先を摺り抜け、光のない闇夜を切り取った双眸は瞬き一つしなかった。

 その光景を、ただ呆然と見つめていたのに気づき、慌てて取り繕う。

 

「……旅のお方、私がどうかいたしましたか?」

 

 低く、掠れた、傲慢さを宿した甘やかな声に――ぎくり、と肩が揺れた。

 

「あ、嗚呼……、いや、その……知り合いに似ていたもので、つい……」

 

 面紗で隠された相手の唇が、怪しく釣り上がっているように感じたのは、気のせいか。

 無様にも伸ばしたままだった指先をそろり、と自分の方へと引っ込めながら、しどろもどろに返事を返す。

 

「そう……、ですか。貴方の、知り合いに……」

「でも、気のせいでした、ね……。その、無礼な真似をしてしまいました」

 

 宝石のついた指輪で飾られた指先が、考え込むように頰に添えられる光景を目の端に捉えて、居た堪れない。

 だが……何よりも怖いのは、俺へと向けられている眼差しが()()()()()()()()()()()と言うことだ。

 

 ゆらり、と目の前の相手の首が揺れる。

 一挙手一投足を見逃すまいと身構えているのは俺だというのに、どうしてだか見られている感覚が拭えない。

 

「どのような、知り合いでしたか?」

「……嗚呼、ええと……弟子でしたね! でも、人違いでした! ――では!」

 

 ジリジリと背筋を焼き焦がされるような緊迫感に、バクバクと脈打つ霊核(しんぞう)の鼓動。

 ぎこちない動作で背後へと退く俺を愉快そうに見つめている相手とできるだけ視線を合わさないようにして、そのまま――遁走した。

 

 やばい、やばい! 滅茶苦茶、この状況はやばい!

 あんまりにもあんまりな姿だったもので、()()()()()()()()()()()! 嗚呼、もう! 俺の馬鹿!

 

 自分自身と脳内に住んでいる空想のドゥリーヨダナに罵倒されながら、必死になって足を動かす。

 

 あんまりにも必死だったので、俺に後ろなど振り返る遑はなかった。

 だからこそ、篝火に彩られた広間とは反対側、星の光も届かぬ裏庭へと置いてけぼりにされた相手がどんな表情を浮かべていただなんて、その唇がいかなる言葉を紡いだかなんて、知りようが無かったのである。

 

 

「どこに行っていたのですか、サヴィトリ! 宴はもうお終いですよ!! ――って、どうしたのですか? そんなにも汗だくで……」

「なあ、(パクシャ)! 俺、パーンダヴァの王子を発見した!!」

「――ええええ!?」

 

 息を荒げながら発した一言に、少年の軽い体が驚愕で浮き上がる。

 文字通り飛び跳ねて驚いた少年――(パクシャ)に向かって、真剣そのものの表情で重々しく頷いて見せれば、少年が上ずった声で問いかけてくる。

 

「こ、今宵の宴で、ですか!? なんてこと、みんなに報告しないと!!」

「ただ、ちょっと問題があって……」

「――問題?」

 

 そう、問題があったのだ。とてつもなく深刻で、とてつもなく馬鹿馬鹿しい、そんな問題が。

 こちらを真剣な眼差しで見上げてくる少年に答えるため、俺もまた膝を曲げて少年と視線を合わせた。

 

()()()()()()()()

「…………は?」

「俺の直感は間違いなくあの人物がパーンダヴァの王子だと告げている――だけど」

 

 宴の席、王女の近くに淑やかに佇みながら、真意の見えない微笑みを浮かべていた麗人の姿を思い起こす。

 そう、あまりの衝撃の大きさに、人の美醜と外観には興味がないはずだったこの俺もまじまじと観察せざるを得なかった――あの、()()()姿()()

 

「もう一回、言うよ? ――()()()()()()()()()()

 

 柳のようにすらりとした長身、豊かな渦を巻きながらこぼれ落ちる黒髪。

 全身を艶やかに彩る金銀の装飾に、絢爛たる宝玉の数々、匂い立つような仕草。

 その人物を構成する全ての部位、全ての挙動が――その人物の性別をこれでもかと誇示していた。

 

 息を呑んでいる少年にことの重大さを伝えようと、自然と俺の表情も険しく深刻なものへと変わる。

 必然、唇から溢れる声の質も低く、掠れたものへと変化していた。

 

「今晩、紹介を受けただろう? 王女の踊りの師範たる()()()()()()――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 これ以上なく真面目な表情で言い切った俺に対して、(パクシャ)がゴクリと音を立てて唾を嚥下する。

 少年の小さな手が、俺の着込んでいる上着の襟を握りしめ、いく筋もの皺を作った……そうして――――

 

「……お医者様を呼びましょう、大至急です」

 

 憐憫を湛えた眼差しで、少年はきっぱりと俺の目を見てそう言い放ったのであった。

 

 

 ――結論から言おう。

 誰からも信じてもらえなかった、以上である。

 

「いや、だから! 気持ちはわかるけど、嘘じゃないんだって!」

「う、うう〜ん」

「そうは言われましても、ねぇ……」

 

 哀れなものを見る眼差しに囲まれ、四面楚歌状態に陥った俺に対して味方してくれるものは一人もいなかった。

 

 まあ、普通に考えてもそうだろう。

 パーンダヴァの王子たちといえば、誰もが知る武芸の達人にして、戦士の中の戦士である。

 彼らは誉高き神々の愛息にして、現人神たる代行者の寵愛を一身に受ける者――そんな五兄弟の中で、最も優れたる者として評判高い第三王子が、華やかな女の衣を纏い、嫋やかな女人として辺境の王国の王女に仕えているだなんて――正直、あり得て欲しくないというのが本音である。

 

 古来、地位を追われた王族が身分をやつす話しは腐る程あるが、それでも古今東西比類なき勇士として知られた王族の男が女に身をやつしたという話は前例がないし。

 まあ、その年が幼かったら、女児の服装をさせることで敵の目を欺くとかはあり得るけども!

 

 彼らが否定するのも理解できない訳ではないが、それでも俺は俺の意見を伝えるしかない。

 誰がなんと言おうが、あのブリハンナラはパーンダヴァの第三王子・アルジュナであると! ……いや、こうやって口に出してみると、同行する皆が信じられなくても致し方ないな……。自分でも口に出して、本当に正しいのか不安になってきたし……。

 

 でもなぁ〜、嘘じゃないんだよねえ。

 確かに、俺はカルナの様に相対した相手の真実を見抜く見識の持ち主ではないが、その代わりに幻術のようなもので己の素性を隠している相手には滅法鋭いのである。

 

 これは、眷属神たるスーリヤの持つ、地上を監視する審判神という逸話に基づく能力である。この目があるために、俺はドゥリヨーダナ配下の混血児たちの正体にも一瞥で気づけたし――まあ、最初はドゥリヨーダナ しか目に入っていなかったせいで見逃しちゃったのだけど――すっかり変化してしまった第三王子の変装にも察知できたという訳だ。

 

 したがって、どんなに信じ難くとも、あのブリハンナラさんがパーンダヴァの一味であることは間違いようがない。

 

 彼らもそれは理解しているのだろう。

 俺が嘘をつくはずがなく、俺の目が幻術の類を見破る能力を持つ物である、と。――しかし、それだけでは心もとない。言ってしまえば、確証がないのである。

 

「そういえば、ブリハンナラと名乗る女とほぼ同時期に、マツヤ王に雇われた者たちがいたはずだ」

「……確か、賭博師に料理人、馬飼と牛飼い……それと、王妃に仕える美貌の侍女・サイランドリー、だったな……」

「追放されたのは、パーンダヴァの五兄弟と……その妻であるドラウパティー王妃で六人。性別こそ合っていませんが……ちょうど、数が一致しますね……」

 

 ヒソヒソと話し合う一座の面々。

 俺の報告はにわかには信じがたい話はあるけれど、不確実なものとして切り捨てるには惜しいと判断してのことだろう。

 

「そういえば、キーチャカ将軍はその新入りの侍女に懸想しているとか……」

「彼女を思慕する者は将軍だけに留まりませんわ。ただ、侍女の方は半神の夫が五人いる身であるとかで、どなたからのお誘いも断っているそうですけど……」

「ますます怪しいな……。しかし、あの誉れ高きアルジュナ王子が女性に変装するかあ?」

「信じられない可能性だとしても、考慮すべきでは?」

 

 暫しの話し合いを経て、次のような結論が下された。

 

「とりあえず、何らかの確証がなければドゥリーヨダナ陛下に報告することもできない」

「彼らが真にパーンダヴァ一味であるならば、その弱点となるのはドラウパティー王妃だ。そこで、キーチャカ将軍を動かして、サイランドリーと名乗る女を刺激させてみよう」

「サイランドリーがドラウパティー王妃であり、他の五人の雇われ人がパーンダヴァの兄弟であれば、己らの妻相手に手を出そうとする不届きものに対してなんらかの反応を返すはず。彼らの真偽については、それを見定めてからでも遅くはあるまいよ」

 

 人妻に手を出そうとする不埒者はその夫に殺されても仕方ない、というのが法だからね。

 とはいえ、本当に人違いで、嫌がっているサイランドリーが無理矢理キーチャカ将軍に手籠めにされるのは流石に目覚めが悪いとなったので、俺を含めた何人かが見張りにつくことになったのである。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。