もしも、カルナさんが家族に恵まれていたら   作:半月

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 ――――そうして、その結果がこれである。

 

「嗚呼、糞ったれ! 一体どうして、俺が! こんな目に!!」

「嘆きたいのはこちらの方ですわ! それより、悪態をつく暇がありましたら、足をもっと早く動かして!!」

 

 ――ガチャン! バタン!

 何か薄っぺらいものが粉々に割れたような音が、さほど離れていない距離から聞こえる。

 抱きかかえた女体から香る、甘い甘い睡蓮の匂い。触れた指先が沈み込む、手触りの良い艶かしい肌。

 ――並みの男であれば、それだけで陶然とした心地になるだろうが、文字どおり命がかかっている現状において、そんな気には全くなれそうにない。

 

「――それでっ!? あの男から距離は取れた!?」

「まだですわ! ああもう、なんてしつこい殿方なのでしょう!!」

 

 ガチャン、ガチャン、と断続的に音が響く。

 それだけではない、ガチャガチャと金属同士が忙しなく擦れ合うような不快な響きも徐々に近づいてきている。

 流石にまずいぞ。このままじゃ、頭に血が昇った暴力男に彼女共々嬲り殺しだ……!

 

「なんてことっ!! もうあんなところに!」

 

 俺の肩越しに背後を警戒していた美女が悲鳴を上げる。

 

 ――不味いな。初手が不意打ちだったからそれなりの距離は稼げたものの、相手は生粋の武人。

 

 おまけに、地形の理はあちらさんにあるときた。捕まったら、確実に殺されること間違いなしだ。――嗚呼、もう! 内心で舌打ちする。

 

 それに、俺以外の何人かも屋敷内に潜り込んでいるとはいえ、任務中の他の面子を将軍の前に出す訳にはいけない。下手すれば、一座全員が一網打尽の上に縛り首だ。

 

 ――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!!

 

 布で包んだ美女の肢体に爪など立てないようにして片手で慎重に抱え直し、一時的に空けた方の手で精密な細工のなされた欄干をきつく握りしめる。

 

「ちょっと揺れるから、舌噛まないように! ――踏ん張ってね!」

「わかりましたわ! ――きゃあ!」

 

 片手を支えにして、欄干を握る手のひらに力を込め、その腕を支えにして――――そうして、そのまま、()()()()()()()()()!!

 

「き、きゃああああ――――っ!!」

「い、――っつ!!」

 

 びゅうびゅうと夜風が荒れ狂い、夜の冷気が肌を突き刺す。

 轟轟と唸る大気に怯え、抱え込んだ女が悲鳴を上げるのも致し方ないことだ。離れた場所にある地上を眺めて、惨憺たる未来を想像したのか、肩に置かれていた女の爪が、ぎゅっと柔肉に食い込む。

 綺麗に鑢で磨かれた爪が食い込んで地味に痛いのだが、唇を噛み締めるだけで我慢した。

 

 侵入者よけのために高くそびえ立つ壁も兼ねている高層階から飛び降りたのだ。

 ここまですれば、さしもの将軍も二の足を踏むだろう。そんで持って、これで少しは距離と時間を稼げたはず……!!

 

 ――ぐい、と抱え込んだ女の体を自分の胸へと押し付ける。

 なるべく丸く抱え込むようにして、相手の体を痛めるような摩擦が少ないようにして、それから……!

 

「しっかりと捕まってろよーー!!」

「――〜〜っ!」

 

 蛇のように体を捻って、風切り音の下、着地に相応しい姿勢を取る。

 もしも、ここで女が暴れ出したら、それこそ蛙のように潰れた男女の死体ができただろうが、俺のやろうとしていることを察してくれたようで、その心配はなかったので一安心である。

 

 ――――ドスン!!

 

「――〜〜っ! いだぁ……!! 地味に痛い、――っつあ!!」

「だ、大丈夫、ですの……?」

 

 将軍の野心を示すように莫迦みたいに高く聳え立つ、あの壁の上から飛び降りたのだ。

 当然のことながら、大地に降り立つというよりも、大地と激突する勢いで触れ合った二本の足裏からビリビリとした痛みが全身を駆け抜ける。

 

 うわぁ……、マジで痛いわぁ……。

 

 ――でも、ここで痛みに悶えてばかりではいられない。

 悲鳴を上げる両足を黙殺して、美女の体を両手でしっかりと抱え直し、そのまま地を蹴った。

 

 宮廷内に設けられた将軍のためのお屋敷から、王の妻たちの住む後宮へと走る。

 確か、この自称・サイランドリーさんは王妃の侍女だったから、王妃の元へと走ればいいよね? ――と、走り出そうとしたところを勢いよく引き止められる。

 

「お待ちなさいっ! このまま、どこへ行こうと言うの!?」

「どこって、王妃のところだよ! 君の雇い主なら、君のこと庇護してくれるだろう!?」

 

 抱え込んだ女の表情は見えないが、触れ合った女の肌が俺の一言で大きく震える。

 それを訝しく思いながらも、彼女の身を危険に晒した故の後ろめたさもあって、一刻も早く安全なところへと女の身柄を運ばねば――――と焦る。

 

(わたくし)を、あの狼藉者の元へと送ったのは、王妃なのです……!」

「――あ。じゃあ、王妃のところに戻っても匿ってはもらえないな――どうする?」

 

 震える声で告げられた内容に、どうしたものかと足を止める。

 あまりにもあっさり足を止めたのは、ちょっと人間ぽくなかったかも。抱えたままの女の体が今一度震え、自らを抱え込んでいる人物が氏素性の知れぬ不審な人物であると今更ながらに察したようだった。

 

 ()()()()

 

 今の対応は不味かったなぁ……。けど、このまま彼女のことを放置しておくのも目覚めが悪いし……どうすべきか。

 

「貴方、貴方は何者なの……? 咄嗟のことで動転して、付いて来てしまったけど、貴方は一体……?」

「あー、えーと、そうだなぁ……」

 

 不審そうに揺れる声を、それでも毅然と張らせて問いただす女に、どうしたものかと溜息をつく。

 にしても、抱え込んだままというのは、ちょっとばかし都合が悪いな――よいしょっと!

 

「とりあえず、下ろしとくね」

「きゃっ!」

 

 少々乱雑な仕草で、抱えたままの女を地面へと下ろす。

 将軍に引き裂かれた胸元を隠すようにして両手を組んで身構える女に、小さく肩をすくめた。

 

「別に? 女性が意に沿わぬ相手に乱暴されるのを見過ごすのも目覚めが悪いから、ちょっと助けただけの通りすがりだよ。――まあ、そんな俺が信用ならんというなら、ここで別れることにする?」

「――なっ!」

 

 そう言って半眼で見つめれば、向かい合った美女が怒りのあまり頰を赤く染める。

 それにしても、見れば見るほど美しい顔立ちをしている娘だな。下手すれば、彼女の横顔だけで恋に落ちる男もいるだろうなぁ……とか勝手な感想を抱いた。

 

 ――ちら、と美女を見やる。

 妖艶な美貌は屈辱と羞恥、それから忿怒で真っ赤に染まっていた。……よし、もう一押しってところか。

 

「――で、どうする? そんなにも信用ができんというのであれば、もう勝手にすればいいんじゃないか?」

「あ、貴方……! (わたくし)が将軍に横恋慕され、窮地に陥っていると知っておいて、その言い草ですか!」

 

 やる気のなさすぎる俺の返答に対して、夜の帳を切り裂くような甲高い声が上がった。

 蓮華を思わせる切れ長の眼差しを吊り上げ、憤懣やるかたないと言わんばかりに女が吠える。

 

 ――まあ、これだけの美貌の持ち主だ。

 何もしていなくても、彼女の微笑む顔を見たさに男どもは必死になってご機嫌とりに励むだろうし、困った仕草ひとつで男たちを意のままに動かすことができる技量の持ち主であることは間違いない。

 それなのに、仮にも男の姿をしている何処の馬の骨ともしれぬ奴らにぞんざいに扱われたら、ヒマラヤにも匹敵しそうな彼女の誇りはズタズタだろう。

 

 まあ、こればかりは相手が悪かった――と、内心で同情する。

 だって、基本的に俺はカルナ以外はどうなろうが知ったことのない、薄情な神の一柱である。気に入った相手と必要な時に加護は与えはするけど、それ以外は傍観主義なただの人でなしでしかないし。

 

 それにしてもどうしよう。

 ここらで見捨てておいたら、あとあと羽根(パクシャ)に怒られちゃうかしら? う〜ん、悩ましい。

 まあ、嫌がる女性を力づくでものにしようとする下衆男は見ていて胸糞悪くなるからつい助けだしちゃった訳だし……。とはいえ、そもそも彼女が窮地に陥る羽目になったのは俺たちのせいだけど……ここらで放り出しても――まあ、いいか。

 

 最大の窮地からは逃してやれた訳だし、余程運が悪くない限りは無事に朝を迎えることができるだろうよ。

 

 そう決めて、彼女の返事を待つことなく踵を返そうとした――矢先。

 

「そう……そのように仰るのですね……わかりました……」

 

 最高級の楽器のように麗しい声でありながら、地を這うようにおどろおどろしい声がそう告げた。

 

「――ならば、貴方。(わたくし)の供をなさい」

「へ?」

「好きにすると良いのでしょう? では、そうさせて頂きます」

 

 ――キッ、と怒りで潤んだ双眸で俺を睨めつけながら、女は傲然と言い放った。

 蓮の茎のように華奢でありながら、こちらを圧倒する鬼気をビシビシと放つ彼女に、内心気圧されながらも頑張って相対する。

 

(わたくし)はこれからヴィラータ王の元へと参ります。夫を持つ女を無理矢理手籠めとしようとした将軍の暴虐を訴え、あの外道男が地位を縦にしでかそうとした無頼を公衆の前で弾劾します――()()()()()()()()()()()()()()()!!」

「――……へぇ」

 

 これは面白いことになった。

 このまま、黙って泣き寝入りをするのではなく、己の尊厳を己自身の手で守るために立ち向かうことにするのか。

 この展開はさしもの将軍も意表を突かれることだろう。国王が政治の第一線を退いた今、この国は将軍の思いのままだ。そんな彼に対して、手弱女でしかない彼女が立ち上がってその無法ぶりを弾糾するというのだから――何と痛快なことだろう!!

 

「――いいよ、気に入った!」

 

 ばさり、と彼女の肩に魔力で編んだ布を巻きつけ、大仰にお辞儀する。

 下ろした首を斜めに持ち上げ、こちらを険しい目で見つめる彼女に向かって、にっこりと悪どい微笑みを浮かべみせる。

 

「――それでは、侍女殿。こちらへどうぞ。非力な身ではありますが、将軍が貴方に傷一つ与えることのないよう、道中の盾代わりを勤めましょう!」

「当然のことです。では、国王陛下の御許へと案内しなさい!」

 

 彼女が王宮に仕えると知った時、マツヤ王妃が難色を示したとのことだが、それも納得である。

 胸を張り、肩で風を切りながら堂々たる足取りで進み行く彼女の姿はさながら女王が如し。生半可な女では到底太刀打ちできないであろうし、男が相手であったとしてもそれは同様だ。ましてや、今の彼女の発する、壮絶なまでの怒りの気配を前に立ちはだかることが出来る者が一体どれだけいることだろう。そういう意味ではあの将軍は己に釣り合う女を見る目がなかったとも言える。

 

 

 国王のお膝元へと向かうのだから、当然、衛兵や兵士たちの誰何の対象となった。

 大概のものは彼女が怒りで燃える眼差しで一瞥するだけで気圧され、詰問の声を上げることも忘れ惚けたが、時たま気概がある輩がいたので、そういう者たちは俺の魔声でお休みいただいた。

 

 将軍配下らしき兵士達の気配も少しばかり混じっていたが、そこまで気にすることもなく。

 そのまま、特に大きな邪魔もないままに順調に進んで行ったのだが、そいつは少しばかり早かったようだ。

 

 集会場へと足を踏み入れかけた、その矢先。

 

「――よくも、儂を愚弄してくれたなぁ……っ!! この淫売めがぁ!!」

 

 物陰から飛び出してきた大男――つまり、彼女のことを襲ったキーチャカ将軍なのだが――が、思わず顔をしかめたくなる罵声とともにその太い足を蹴り上げる。

 

「――受け身をとっ――うぐ……っ!」

「――――っ!!」

 

 まずい。これは、完全に頭に血が上っている。

 相手が非力な女であること、己が国王の義理の弟であることすらも脳からは消え去って、ただただ己を侮辱した女相手に鬱憤を晴らそうとしかしていない――と、瞬時に判断して。

 

「きゃあ!!」

 

 彼女の肩を強く押して、将軍から距離を取らせ、その間に飛び込んだ。

 集会場の出入り口となっていた垂れ幕がうまい具合に彼女を受け止めてくれたから、傷自体は負っていないはずだ。まあ、咄嗟のことすぎて意表を突かれた彼女が悲鳴を上げる自体にはなってしまったけど、こればかりは大目に見てもらいたい。

 

 ドン! と壁に叩きつけられる。

 

 ――かは、と掠れた咳をこぼす。

 嗚呼、もう……。本当に酷いことをしてくれるなぁ……。蹴り飛ばされた脇腹を軽く摩りながら、彼女を追って集会場へと飛び込んでいった将軍の後ろ姿を殺意と共に睨みつける。

 

 まあ、人間を模して形作られたこの俺の器だからこそ、負傷とも言えない手傷で済んだけど、この威力の蹴りをご婦人相手に打ち込もうとしたわけ? ケダモノのような男だなぁ、全く!

 

「――――!」

「――――!! ――?」

 

 約束どおり、彼女のことは無事に集会場に送り届けられたみたいだ。

 

 引きちぎられた垂れ幕越しに、最高級の楽器を思わせる彼女の美声と合わせて、頭に血が上りきった将軍の聞くに耐えないダミ声が聞こえてくる。それ以外にも、信頼する義弟の横暴に狼狽しきった国王の声、将軍の不始末にさざめく群臣たちの囁き声もしている。

 

 どうやら、全体的に人妻に手を出そうとした将軍を責め立てる声の方が大きいようだ、と判断して――

 

「――嗚呼、よかった」

 

 掠れた声でホッと一息ついて、壁を支えにして、ゆっくりと起き上がる。

 ちょっと打ち所が悪かったせいで、初めこそ蛞蝓のような鈍重さであったが、身につけている腕輪のおかげで破損されていた箇所が修復されていく。数秒後には常の体調の俺へと戻り、安堵の溜息をついた。

 

「――ん! これで、一応、終わったよ! 出ておいで」

「サヴィトリ! もう、心配したんですよ!!」

 

 物陰に潜んでいる気配へと微笑みながら手招きすれば、暗闇と同化していた(パクシャ)がまろぶ様にして駆け寄ってくる。

 心配そうに表情を曇らせて、琥珀の瞳を涙で濡らし、悲壮な声を上げる少年を安心させる様に頭を撫でてやれば、へにょりと眉根が情けなく下がった。

 

「ごめん、ごめん。でも、これではっきりしたよ」

「――――! それでは、サヴィトリ!」

 

 あれだけ近くに寄れて、顔と表情を観察できたんだ。それに何より、あの王族然とした気品と佇まい。あれを見せつけられて、彼女を一介の侍女だと勘違いする様な愚か者はそうそういないだろう。

 

「……嗚呼。上手く幻術で擬態していた様だけど、俺の目は騙せない。

 ――――侍女・サイランドリーは正真正銘、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 未だ闇に潜んだままの一座の潜入員たちにも聞こえる様に、はっきりとした声で断言する。

 目には見えずとも、闇と同化したままの面々がさざ波の様に同意を返したのを確認して、ホッと肩を下ろす。

 

 それにしても、ドゥリーヨダナの数多いる間者集団の中で俺のいるところが当たりを引くなんてなぁ……。

 ついているのか、いないのか……。まあ、どちらでも同じ様なものだけど、一刻も早くこの場からずらかって、ドゥリーヨダナに報告してやらねば。

 

 するり、と物陰から姿を現した一座の一員――彼は夜叉の混血児であった――が真剣な表情で、俺たちへと声をかける。

 

「彼女がドラウパティー王妃である以上、そう遠くないうちになんらかの騒動がこの国で起こることだろう。

 早く戻って、ドゥリーヨダナ陛下に報告しなければ――――っつ!」

「え……?」

 

 ――――ぶすり

 

 ――次の瞬間。

 俺の目の前で、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

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