もしも、カルナさんが家族に恵まれていたら   作:半月

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 ……なんだこれ。

 

 呆然としたまま、立ち尽くす俺の眼前で突き刺さった白い矢を基点として赤い筋が左右に広がっていく。

 最初はか細い一条の線だったそれは、みるみるうちに幅を太くし、幾筋にも別れて滴り落ち、そして――――()()()、と何か重量のあるものが高い場所から落ちていった。

 

 一拍おいて、それから――――

 

 ぶしゃぁぁぁぁああああ! と間欠泉の様に、勢いよく鉄臭い何かが周囲へと撒き散らされた。

 

「――……は?」

 

 ピシャリ、と生暖かいものが頰に付着する。

 やけにドロドロとしたそれを指先で掬い取り、松明の篝火の元に確かめれば――俺の指先は、真っ赤に染まっていた。

 

「……なんだ、これ」

「サ、サヴィトリ!」

 

 近くで羽根(パクシャ)が騒いでいる様だったが、その声も耳に入ってこない。

 呆然としたまま、指先を伝う真っ赤な液体――否、先ほどまで確かに言葉を交わしていた筈の一座の男の血を見つめ、それから、彼が立っていた場所へとゆるりと視線を移す。

 

 篝火の元、橙色に染まった白亜の宮殿の一角が赤く染まっていた。

 

 触れればやけに粘着する赤色の池の真ん中に仰向けに倒れ込んでいるのは、首を失った男の遺骸。

 そこから少し離れた場所には、驚愕に目を見開いたままの首が転がり、そのすぐ近くに、真っ白な矢羽のついた一本の矢が斜めに大理石の床に突き刺さっていた。

 

「――ボサッとするな! 逃げるぞ!! お前たちもだ! 走れ! この場から離脱するぞ!!」

「!!」

 

 茫然自失状態に陥っていた俺を正気に戻したのは、同じく王宮内に潜入していた一座の(かしら)の声だった。

 人相を隠すために覆面を被っている彼は、油断なく周囲へと視線を走らせながら、切迫した声で同じく潜入中の他の面々へと指示を飛ばしていた。

 

「――羽根(パクシャ)、走るぞ!! サヴィトリの手を離すなよ!」

 

 その言葉に、我に帰る。

 羽根(パクシャ)の小さな手を離さない様に握りしめ、(かしら)の言葉に従って脱出を目指して駆け出した。

 

 この場にいるのは、俺と羽根(パクシャ)を除けば、男女を交えた十名の腕利きの潜入捜査員だ。

 それぞれ、人外との間の子らしくそれなりの力を持っているが、どちらかといえば、情報収集や索敵、影に潜んでの暗躍が得意としている。

 

 であれば、この面子だけで、姿なき敵対者に立ち向かうよりも、その特技を生かして他の面々と合流した方が生き残る確率は高いだろう、と走りながら考えた。

 

 真っ青な顔をしている羽根(パクシャ)の手をひっぱり、なるべく松明のない、影になっている場所を目指して走る。

 

 姿を見せぬ敵対者が放ったのは矢だった。であれば、手にしているのは弓――相手は弓兵だ。だとすれば、少しでも見通しの悪い、狙いの定まりにくい場所へと姿を隠しながら、脱出を目指すのが最適だろう。

 

 同じ判断を下したらしい(かしら)と目と目で頷きあって、皆に合図を出す。

 建物の構造上、どうしても松明の下を通らなければならない場所は、出来るだけ死角が生まれないように円陣を組みながら、通り過ぎようと、し、て――――

 

 ――ドン……っ!!

 

「あれ? どう、して……?」

「い、いやぁああああ!! お前さまぁ!!」

 

 また一人、今度は心臓を貫かれた状態で呆然とした表情を浮かんべていた。

 風切り音で振り返った先で、よろめきながらその場に崩れ落ちた男を見て、その隣で走っていた女が悲鳴をあげる。

 

 周囲の面々が慌てて彼女を止めようと手を伸ばすよりも先に、倒れ伏した男の元へと駆け寄った女――恐らく、天女と羅刹との間の子――が涙を零しながら、相手を起き上がらせようとその繊手を差し伸べた。

 

「――! 止せ、その場から離れろ!!」

 

 女のすすり泣きに混じって、聞こえたのは弦が張りつめる音。

 かつて、カルナがドローナの武術教室に通っていた折に何度も聞いたそれを俺の聴覚が捉え、慌てて警告を発する。()()()()()()()()()()()()()()()

 

「――――え?」

 

 ――ヒュン

 

 呆然と涙に濡れた面を女が持ち上げた瞬間、小さな頭が俺たちの目の前で宙を舞った。

 僅かに遅れて、霧雨のように細かな血の雨が周囲を赤く染めあげる。先に倒れた男の骸の上に、折り重なるようにして女の細い体が力を失って倒れこみ、コロコロと独楽のように転がりながら女の頭蓋が足元で動きを止めた。

 

「う、うわあぁぁあ! あ、姉様――――むぐ!!」

 

 女の被っていた覆面が外れてしまったせいで、虚無を映す硝子玉の双眸と目を合わせてしまった羽根(パクシャ)が絶叫する。

 慕っていた一座の姉貴分の無残な死にざまに狂乱する少年の口元を抑え、己の胸元へと抱え込んだ。

 

羽根(パクシャ)、大人しく――、っ!?」

 

 瞬間、再度弓を振り絞る音を捉える。

 慌ててその場から飛び退けば、次の刹那には大理石の床を砕く様にして一本の矢が先ほどまで俺の足の甲があった場所を刺し貫いていた。

 

「畜生! 何が、どうなってるんだ!!」

「バカ、戻ってこい!!」

 

 姿なき敵対者に追い詰められたことで、ヤケになった男が一人、矢が放たれた方へと突進していく。己を引き止める声に耳を貸さず、猛牛の様に突進していく男の体が次第に膨張し、羅刹としての本性を現していく。

 鉄器を弾く人外のそれへと変貌した男の影が王宮の色濃い闇の奥へと吸い込まれる様にして消えていった後、遠くで白刃が煌めいた。

 

「――――! この、匂い……!!」

 

 いつの間にか、頭髪が動物の毛並みに変わった一人が、えずく様に口元を抑える。

 遅れて、俺もまた気づく。先ほどまでの血の匂いが一段と濃くなったことに。それが、先ほど、闇夜に消えていった男のものだと理解し、また姿なき敵対者の餌食になったのだと、皆を包む空気が一層重いものへと変わる。

 

「……皆、よく聞け」

 

 ――(かしら)が重苦しい声を出す。

 全員が弾かれた様に頭の方をみやり、静かに次の言葉を待った。

 

 幸い、王宮の曲がり角に身を潜めているため、しばらくの間は襲撃から身を守ることができるだろう。それを理解しているからこそ、皆が一応は落ち着いた態度で、次の行動を取るために指示を待つことができたのだろう。

 

「自分たちの目的は一つ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()――皆、わかっているな」

 

 俺の見ている前で、六人に減った潜入員たちが無言で首肯する。

 抱きしめたままの羽根(パクシャ)でさえ、涙で俺の胸もとを濡らしながらも、必死に頭を縦に振っていた。

 覆面のせいで目元しか明らかではなない頭が、羽根(パクシャ)の幼い仕草にふと目を細めるが、それも一瞬のことだった。

 

「自分たちは所詮、どこにも行けないはぐれ者だ。怪物にもなりきれず、かといって人にもなれない、そんな中途半端な化け物だった。そんな自分たちに居場所を与えてくれたのは、ドゥリーヨダナ様だけだった――わかっているな?」

「ええ」

「もちろんです」

 

 こんな状況だというのに、全員が苦笑した様だった。

 覆面を脱ぎ、ほぼ人外のそれへと変容している姿を晒しながら、それでも彼らはなんでもないことの様に笑っていた。

 

 そうして、口々に、歌う様に言葉を紡いでいく。

 

「私たちは、本当はどうでもいい」

「誰が王になっても、誰が滅びようと――所詮、人ならざる我らにとっては、対岸の火事にすぎませんものね」

「所詮、どこにも行けず、腐りきって世の中を呪うだけ――だけど、あの人はそんなボクたちを見出してくれた」

 

 覆面を脱ぎ捨てた彼らの姿は酷いものだった。

 ある者には角が生え、ある者の口元には牙が生えていた。一般的な民衆と同じ褐色の肌は朱色や青色に染まり、隆隆と隆起する節くれだった腕や鉄の様に固くなった肌、鱗の生えた鉤爪は、彼等が異形である証明であった。

 

 完璧に人間の殻を脱ぎ捨てた彼らを目撃して、己の芯とも言える場所が震える。

 神としての習性で、彼らを抹殺せよ、と吠える本能を胸元を抑えることで御しているのに気づいていないわけではなかろうに、それでも彼らは仕方のないことだと気にせずに笑っていた。

 

「こんなことをワシらが口にする日が来るなんてなぁ……」

「ああ、全くだ。本当に、俺たちは厄介な相手に惚れ込んじまった」

 

 細くなった瞳孔に、二股に分かれた舌。

 蛇族との間の子が毒を帯びた息吹を吹き出し、羅刹との間の子が背負っていた大剣を引き抜いて、闇の奥底に潜む相手へと対峙する姿勢をとる。

 

「サヴィトリ――否、アディティナンダ様。どうか、あとはお任せしました」

「まさか、神様にこんなことをお願いする日が来るなんてね」

「待て、お前たち――!」

 

 戦闘は苦手だ、といっていた面子が次々と闇の奥底へと飛び込んでいく。

 それを呆然と見送っていた俺の腕にしなやかな指先が絡みつく。細い指先に似合わぬ力強い力に引っ張られ、視線を持ち上げた俺の前で微笑んでいた女――俺ならぬ俺(ワタシ)が焼き殺そうとした羅刹女――と視線が合わさった。

 

「この中で、最も生き残る可能性が高いのは貴方です。どうか、止まらないで」

「だが、それではお前たちは――」

 

 引っ張るというよりも、ほとんど引きずられる様な勢いで、人一人いない廊下を走る。

 後ろ首を引かれ振り返った先には、鋭い嘴を生やした(かしら)が佇み、目元を細める様にして――俺の腕に抱えられたままの羽根(パクシャ)を優しい目で見つめていた。

 

 それを目にしたであろう羽根(パクシャ)が目元を涙で濡らしながら、見えなくなる頭に向かって「父さん」と呟く。

 嗚呼、彼らは家族だったのか、と脳裏のどこかでそんなことを考えた。

 

 俺の驚愕も羽根(パクシャ)の涙も、全てを置き去りにして、見る見るうちに距離が引き離されていく。

 遠くで金属がかち合う様な音や放たれた矢が風を切る音が断続的に響き、決して小さくなはない戦闘が発生していることを俺に知らせてくれる。

 

 ――だが、それも距離が離れるたびに、徐々に聞こえなくなって来る。

 

「王宮の外には、まだ仲間たちが残っています。アディティナンダ様は彼らと合流して、すぐさま、この国を脱出してください」

 

 走りながら、羅刹女が口早に語る。

 走る速度が上がると同時に、彼女のカモシカの様だった足が太くなり、その形相が徐々に荒々しいものへと変じていく。

 

 外見だけなら、()()()()()()()()()()()()()

 人を殺し、人を食い、人に仇なす――怪物としての役割を与えられた化け物であった。

 それなのに、どんどんと太く険しくなった声とは裏腹に、その裂けた唇から紡がれる言の葉は、なんとも優しい響きを宿していた。

 

「変ですよねぇ? わたしって、怪物なんですよ? なのに、どうしてこんなにも人間の王のために必死になっているんでしょうね?」

 

 王宮を走る怪物を見とがめた兵士たちが武器を持って突進して来る。

 それを丸太の様になった腕でなぎ払いながら、彼女は淡々と心底不思議そうに独り言ちる。

 

 俺は彼女の名を呼ぼうとして、呼ぶべき名称を知らないことに気づいて、唇を噛み締めた。

 所詮、一時の旅の同行者であり、敵対し合う神と魔という立場上、互いに距離をとったままだったことが災いして、俺は羽根(パクシャ)以外の面々を呼ぶべき名すら知らないままだったのだ。

 

 俺の表情を読み取った彼女が、くぐもった笑声をこぼす。

 

「いいんですよ、わたしの名前なんて(そんなこと)。ただ、歴史の陰にわたしたちの様なはぐれ者がいたことを、そして、そんな者たちをすくい上げてくれた奇矯な王様がいたことだけ、覚えておいてくださいな」

 

 その途端、がくりと彼女の体が均衡を崩す。

 

 共に走るうちに、いつの間にか抱え込まれていた身を引き起こして慌てて彼女の体を確認すれば、その背に矢が突き刺さっていた。

 ()()()()()()()()()。突き刺さっている矢は、先ほど、彼女が吹っ飛ばした兵士たちの仲間が放ったものだと、それであれば、彼女を致死には追いやられないと理解して、一息をつきかけて――――

 

 ――ぶぉんっ

 

 豪速で放たれた矢に彼女の足が切り落とされ、羅刹女が体勢を崩す。

 それでも、俺たちを守ろうとして体を丸めた彼女の巨躯が、周囲の柱や襲いかかろうとしてた兵士たちを跳ね飛ばしながら、耳障りな音を立てながらゴロゴロと廊下を滑っていく。

 

 崩壊する建物の音や聞こえてくる兵士たちの野太い叫び声に耳を塞ぎ、溢れそうになる悲鳴を咬み殺す。暫くすると、耳障りな摩擦音が途絶えた。

 それに気づいて、撹乱された脳みそで、独楽の様に振り回されていた動きが止まったのだと理解した。

 

「ああ……、良かった。ここまできたら、外はすぐそこです……」

 

 瓦礫や粉塵、彼女自身の零した血に塗れながらも、心底安堵した様に彼女が呟く。

 俺たちの盾になる様にと全身を使って覆い被さりながら、残った二本の腕と片足を使って、必死に彼女は前へと進む。

 

 抱え込んだ羽根(パクシャ)の震える体を慰める様に叩きながら、彼女の巨躯の陰から周囲の様子を伺えば、どうやら城壁の上へと辿り着いていた様だった。

 

「アディティナンダ様」

「――何?」

 

 無数の矢に貫かれ、足を一本切り飛ばされたと言うのに、彼女の口調はとても穏やかだった。

 

「ありがとうございます。彼の方と、共に居る事を許してくださって」

 

 儚い声音で紡がれた言の葉に、息を飲む。

 

 嗚呼、確かに――幻術を使用した彼女の容姿は、本当に美しいものだった。

 

 それなのに、だ。

 

 本当に不思議なことに、俺はそう言って微笑んだ彼女の異形の容貌の方が、より一層美しいものとして認識しまっていたのだ。

 

「殿下に、伝えてください。口ではなんだかんだと強がっているけども、本当のところは……弱い方、ですから……。わたしたちのことでこれ以上傷つかない様に、どうか――お願いします」

 

 俺たちを城壁の橋へと移動させ、王宮側に背中を向けたままの彼女の背中に、何本もの矢が突き刺さっていく。

 

 その度に、彼女は衝撃で体を揺らしながらも、決して崩れ落ちることはなかった。

 ただ、身を以て庇っている俺たちに被害が及ばない様にとその豪腕で瓦礫の山を放り、兵士たちを足止めしていた。

 

 堅牢な砦の様に、あるいは巌の様に聳える彼女の姿を言葉もなく見つめる。

 雨の様に降り注いでいた矢は既に途絶えていた。彼女が当てずっぽうに飛ばしていた瓦礫の礫に押しつぶされたのか、それとも構わぬと味方を求めて逃げ出したのか、それは定かではない。

 

 だが、そのお陰で静けさを取り戻した月光の元、羅刹女は苦笑しながら脱力していく。

 慌てて駆け寄った俺を視線で制し、ズルズルと力が抜けて行く身を気力だけで支えながら、なおも彼女は彼女の主君に伝えて欲しいと、か細い声で感謝の言葉を綴った。

 

「貴方のおかげで、いい夢が見れました。本当に、幸せな夢でした、と、殿下、に――伝、え――」

 

 長く伸びた爪先が、そっと俺の肩へと伸ばされる。

 その光景を声もなく見つめ、されるがままだった俺の耳元に、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「――では、そのまま永遠の眠りにつくといいでしょう」

 

 凍てついた月の様に冷たく、怜悧な声が闇夜に木霊する。

 閃光と化した白刃が凍った空気を切り裂き、巌の様に堅牢だった筈の彼女の肢体が千々に切り刻まれた。

 

 ――とん、とやけに軽い音で、羽根(パクシャ)を抱えたままの俺の体が、城壁の外へと突き飛ばされる。

 

 霧雨の様に降り注ぐ彼女の血で編まれた帳の向こうに、紫電を帯びた白刃を手にした人影が見えた。

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