もしも、カルナさんが家族に恵まれていたら   作:半月

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――さしたる覚悟もないままに、人の子の営みに手を出した。オマエに罪があるとしたら、それでしょうね

 

 陽の光も、月の輝きも、星々の瞬きも、何もかも届かぬ深淵にて。

 尊き光の化身にして、まばゆき炎熱の写身、人の想像する美の定義を凌駕した――()()()()()()()

 

 朽ちかけた純白の大樹の幹にその身を横たえ、組み合わせた腕の合間から覗く麗しの尊顔。

 煌めく火花で刺繍が施された純白の炎で編んだ衣。仄かな燐光を帯びた肌を飾る黄金と紅の装身具。

 溶かした黄金色の頭髪の毛先は燃える炎と化し、前髪で隠された額に宿るのは炎を灯した神眼。

 

 あらゆる光と輝きを奪われたこの深淵において、彼/彼女の姿態だけが光源。

 優雅な猫の様に朽ちた幹の上に寝そべり、飴細工を連想させる繊細な睫毛の下から覗くのは――鳩の血の様に緋い、二つの目。

 

……愛子(いとしご)も、悪徳の王も、あの半魔たちでさえ、己が意思で己が道を定めました

 

 ――すい、と差し伸べられた人差し指には赤石を嵌め込んだ護指。

 僅かに擡げられた胸元には太陽を中心とする九曜の首飾り。その身を飾る無数の輝石、数多の紅玉髄の数珠玉が重なり合っては響かせる、耳に心地よい涼やかな音色。 

 

それなのに、オマエだけが未だに定まらぬ――逃避もまた、許されぬ罪だというのに

 

 深淵を震わすのは、凍てつく万年雪の冷たさと神々しさを宿した凛然たる声音。

 こちらを睥睨する神の眼は清水よりも透き通り、紅の差し色を施した目元と相まって背筋を凍らせるような美しさ。

 

所詮、オマエはワタシが愛子を庇護する為に創り出した陽炎の様なもの――けれども

 

 ……ふ、と。

 こちらを見やる神の顔に憐憫の情が宿り、酷薄なまでに冷え切った声音に幽かな感情が灯る。

 そうした表情を浮かべると、()()()()()()()()()()()()()()()()

 

――儚き人形に過ぎぬ身にも、譲れぬ矜持があるのだと嘯くのであれば

 

 朽ちた大木に身を預ける超常の化身との間の距離がどんどん遠ざかっていく。

 ぐるぐると光差さぬ漆黒の世界が渦を巻き、玲瓏たる神の福音がゆっくりと掠れていく。

 

……せめて、其れだけでも貫いてみるとよろしいでしょう――――

 

 ――待って、と手を伸ばす。

 覚悟とは、どういう意味だ。俺の罪とは、何のことだ。

 

 其れより、何より! 俺に言葉を届かせた御身は、ひょっとして――――!!

 

 

「――――サヴィトリ!!」

 

 ――溌剌とした少年の呼び声が、俺の意識を現実へと引き戻した。

 クラリ、と揺れた視界を正常なものへと戻す為に、鈍い痛みを発する額を指先で抑える。

 何だろう、この痛みは。まるで、本来ならば合わさるべきではないものを無理矢理重ね合わせることで生じた歪みのようなものが俺の内側で木霊している。

 

「……サヴィトリ、大丈夫? ずっと、走りっぱなしだったものね」

「あ、嗚呼……。羽根(パクシャ)、か……。ごめん、少し、ぼうっとしていた」

 

 いくつもの商店の並ぶ表通り、ではなく、其の裏側。

 店内を飾るための雑貨、掃除に使われるような道具、新店舗の改築のために用いられる石材が立ち並ぶ物陰に、俺たちは身を隠していた。

 

 ……そうだった。

 ここにいるのは、今後の方針をどうするのかという話し合いと暫しの休息を得るための小休止のためであった。

 

 軽くかぶりを振って、先ほどまでの出来事を一旦捨ておこうと気持ちを改める。

 

 程よく人通りがあり、大通りに面した店舗の背後に当たるこの裏道であれば、弓兵の射撃を防ぐために丁度良い遮蔽物が存在している。

 無論、鋼の硬さを宿した羅刹の肌を軽々と引き裂くような一矢を放つ姿を見せぬ襲撃者であれば、そうした有象無象を一切合切焼却して俺たちを討ち亡ぼすことも可能だろう。だが、たかが一匹の魔物を殺すために無辜の民を犠牲にするような非道は犯すまい。

 

 ……。

 …………、いや、しない……よね?

 

 なぜだか無性に不安になったのだが、ここは正義を名乗る相手の肩書を信じたいと思う。

 まあ、推測でしかないが、外れてはいないはず。これまでに行われた射撃が俺たち以外の面子が揃っている時に行われなかったことも考慮するに、相手の方も無闇矢鱈と正体を明かすような振る舞いを慎みたいのだろう。

 

 まあ、交わされた約束が約束だったし……。

 約束の十三年目が過ぎるまで、決して自分たちの正体をバラしはしない、したら放浪期間をさらに延長というのは、当時はどうかと思ったが、こうやって襲撃される側になると酷くありがたい。ドゥリーヨダナの性悪具合は弁護のしようがないのだが。

 

「――こほん!」

 

 熟考しかけた俺の思考を、態とらしくかしこまった咳音が引きとどめる。

 口元に拳を当てて、じっとりとした三白眼でこちらを見やる少年の姿に、しまった……と姿勢を正した。

 

「――ねぇ、サヴィトリ。真面目に考えて、僕ら二人だけであいつらに勝てると思う?」

絶対無理

 

 即答した俺に対して、だよねぇ……、と光を失った目で少年ががっくりと肩を落とす。

 俺の神霊としての格は高い方だが、闘えるかと問われたら答えは否しかない。戦闘力とか武芸の才能とかは全てカルナに全振りされていると思ってくれと続けると、少年の小さな体ますます縮こまる。

 

「つまり、僕たちにできるのは、ただ逃げて逃げて逃げ続けることかぁ……」

「哀しいことにな」

 

 絶望的としか言えない現状に、心身にねっとりとした汚泥が絡みつくような疲弊感を感じずにはいられない。

 死んだ魚の眼になった羽根(パクシャ)を励ますように、その肩を軽く叩いてやれば、疲れ切った老人のような溜息が少年の口から零れ落ちた。

 

 ムムム、これはまずい。

 なので、消沈した少年を鼓舞するべく、口を開いた。

 

「だけど、俺たちにだって勝ち目がないわけじゃない」

「――……どういうこと?」

「まず、地の利は俺たちにある。ここは、人間の都だ――数千の人間たちがこの地で営みを繰り返している」

 

 ハースティナプラやインドラプラスタには及ばないものの、この王都の規模だってなかなかのものだ。

 真夜中だというのに、大通りには明かりを灯している酒場や賭場、商店が軒を並べているし、そういった店目当てで通りを闊歩する人々の姿がある。

 

「――いいか? 彼らはその立場上、必然的に身を潜めなければならない」

「それは僕たちも同じじゃない?」

「まあな。――だけど、俺たちは逃げたいだけだ。追っ手であるあいつらと戦う気は無い」

 

 ああ、と少年が合点のいった声をあげる。

 人混みに紛れることが可能な俺たちとは違って、人の世界に紛れ込んだ魔物を討伐したい彼らはその目的を果たすために武器を携帯する必要が――そして、その武器を振るう必要がある。

 

 その行為を人前で行うことは、できれば彼らも控えたいことだろう――と相手の思考を考察する。

 であれば、彼らの目指すところは人混みから離れたところでの短期決着だ。そして何より、マツヤ王国の宮中で仕官している身の上であれば、朝日が登るまでには今の居候先に戻りたいはず。

 そのように伝えれば、絶望しきった少年の目に希望の輝きが宿る。

 

「それなら、急いで大通りに向かおう。いつまでもここにいられないだろうし……」

 

 不安そうに周囲を見渡しながらの羽根(パクシャ)の言葉に、小さく頷く。

 絶好の隠れ場所とは言え、長居は危険だ。この場所に逃げ込むまでに背後は確認しておいたが、それでも見つからないままという保証なんてないのだから。

 

 身を潜めていた角材の隙間から抜け出た俺は、周囲に誰もいないことを確かめてから羽根(パクシャ)へと手を伸ばす。

 指先に触れる少年の手の暖かさに我知らず安堵の溜息を零しながら、色々なガラクタが転がっている足元に注意しながら、人々の声が聞こえてくる方へと進もう――とした、()()

 

 ――――ヒュンッ……!!

 

 鋭い風切り音と共に俺の足の甲のすぐ隣に、白い矢羽のついた矢が突き刺さった。

 

「なぁ――――っ!?」

「サヴィトリ、前……っ!」

 

 一瞬遅れて状況を理解し、文字通り背筋が凍った俺の耳に切羽詰まった羽根(パクシャ)の声が届く。

 少年の軽い体を抱きかかえて大通りへと走り出そうとした俺の進路を遮るようにして、無数の稲妻が夜空に何条にも渡る線を描きつつ、逃げ惑う俺たちの前へと降り注いだ。

 

 ――ズガガガガガガガガガガッッ……!!

 

 十、百、いや――それよりも遥かな量の矢が雨あられと降り注いだ先には、信じられない光景が広がっていた。

 大地だけではない、積み重ねられた木箱や放られたままの石材、埃を被った木材の山に至るまで。眼についたありとあらゆるものに突き立てられた無数の、矢、矢、矢、矢、矢の嵐……!

 

 先ほどまでに何も遮るもののなかった空間が、矢で出来た壁によって、行き止まりへと変わる。

 

「――っ! つまり、大通りへは行かせてはやらない、という訳か!」

 

 これはただの示威行為だと直感する。

 その気になれば、これほどの妙技を行える射手として、俺たちを含んだここら一帯を大量の矢で埋め尽くすこともできただろうに、進路を封鎖するだけで留めた――ということは、だ。

 

「――伏せろ、羽根(パクシャ)!!」

「はわっ!」

「――――あれ?」

 

 隣にいた少年を乱暴に突き飛ばせば、先ほどまで羽根(パクシャ)の細い首があった位置を閃光が切り裂く。 

 超人的な脚力で民家の屋根を飛び越え、目標めがけて容赦無く刃を振るった青年が驚いたように目を見張る。朝焼けの瞳に、同じ色をした癖のある頭髪、カルナと良く似ているようで決定的にどこか違う神秘の気配――あの天幕にいた双子の片割れだ、と悟る。

 

「参ったなぁ……、完璧に気配を封じ切れたと思ってたんだけど……」

 

 心底困った、と言わんばかりの表情を浮かべつつ、ぽりぽりと米神を掻く青年。

 どことなく軽薄な雰囲気を醸し出している青年だが、油断は禁物だ。彼もまた尋常ならざる武器の使い手であることはあの天幕での惨状が証明している。

 

 ――それにしても、この状況はマズイ。

 先ほど突き放したおかげで羽根(パクシャ)は無事だが、それぞれ道の反対側に立っている俺と羽根(パクシャ)との、ちょうど間になる位置に朝焼けの色を宿した青年が佇んでいる。

 

「まあ、いいか。幼い子供の見目をしていることは些か気が滅入るけど、仕方がない」

「……っ! やめてくれ!」

 

 くるり、と踵を返して、羽根(パクシャ)の方へと振り返った青年の後ろ姿に声をあげる。

 

 ――ピタリ、と。

 ギラギラと月の光りを浴びて禍々しく輝く曲刀を振りかぶり、足を震わせながらも毅然と青年を睨みつけている少年を一息に絶命させんとしていた動きが止まる。

 

 刃を振りかぶった姿勢のまま、青年がこちらを流し見る。複雑そうな思いを宿した朝焼け色の瞳が微かに揺らぎ、心底わからないと言わんばかりの感情を帯びた声が静かな闇夜に静かに溶けていく。

 

「……なんで?」

「…………」

「なんで、止めるの? だって、()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 人を食べたことが有る、と断定する青年の言葉に神霊としての本能が騒ぎ出す。

 思わず動きを止めてしまった俺の姿を哀れみつつ、青年は静かに、それでいて確固とした決意を宿した口調で淡々と事実を述べる。

 

「人の味を覚えた魔性は、厄介だ。人間だって、そうだろ? 一度、口にしたことのある最高のご馳走を前に、()()()()()()()()()()()

 

 青年の指摘に羽根(パクシャ)の顔色がみるみるうちに青ざめていく。

 己の身を守るように胸元で交差していた拳がブルブルと震えだし、毅然としていた少年の気配が弱々しいものへと変わる。

 

「ち、違う……。僕は、人間の肉なんて……」

「――嘘をつくなよ、魔性。これでも鼻は効く方なんだ。お前の身からは微かだけど、人の血肉の匂いがする」

 

 少年の抗弁を絶対零度の声で封殺し、朝焼けの瞳に処刑者の気配を宿した青年が羽根(パクシャ)の首先に刃を添える。

 見る見るうちに少年の眦に涙が溜まっていき、少年の口から言葉にならない呻きが溢れていく。

 

 嗚呼、本当なんだ……。

 その光景を目にした俺は青年の言葉が真実であると理解せざるを得なかった。

 見て見ぬ振りをしていた行動のツケがまた回ってきた。一度目は、あの羅刹女が目の前で切り刻まれた時の後悔。そして、今度はあの酒場で交わされていた他愛ない会話を聞き流したがための報いだった。

 

 羽根(パクシャ)の首に切っ先を押し当てたまま、青年が俺の方へと振り返り、小さな声で問いかけた。

 その問いかけに、歯をくいしばって、呻くような声を上げるしかなかった。

 

「――ねぇ、それでも貴方はコレを見逃せというの?」

「それ、は……」

「違う、違うよ! 僕は、僕らは、もう人なんて食べてないよ……っ! だって、二度とそうしなくてもいいように、ドゥリーヨダナ様が僕たちのことを助けてくださったんだもの!!」

 

 冷酷だが、絶対的な真実を突きつける青年の言葉を遮ったのは、俺ではなく羽根(パクシャ)の絶叫だった。

 けれども、少年の必死の叫びは青年の琴線に触れたらしい。それまで、揺らぐことのなかった青年の纏う気配が突如として険しいものへと変わる。

 

「――()()()()()()()()()()()()()?」

「っ、ヒィ!」

 

 ギギギ、と錆び付いた音がしそうなまでにぎこちない動きで青年の首が回る。

 一体どんな表情を浮かべているのだろう。青年の顔を見上げた羽根(パクシャ)の顔色が青を通り越して、土気色になっていく。

 

「あいつ……、半神(僕ら)のことは拒絶しておいて、その癖、魔物(お前ら)と手を組んだっていうの……!」

 

 激昂する青年を中心に、空気が不自然に熱を帯びていく。

 あの次男坊の時も思ったが、彼らとドゥリーヨダナの間には決して浅からぬ因縁が溝となって横たわっているらしい。

 

 ――だけど、そんなこと俺の知ったことか……!

 

「――逃げろ、羽根(パクシャ)っ!!」

「――――っ!」 

 

 確かに俺は非力だけど、だからと言って何もできないわけではないんです!!

 誰とも知らぬ相手に釈明しながら、手にしていた角材を青年の背中めがけて振り下ろす。完全に意識の外にいた相手からの横槍に、青年は咄嗟に反応するものの、手にしていた曲刀を羽根(パクシャ)からこちらに向けざるを得ない。

 

 こちらとしては、青年の隙をついて羽根(パクシャ)が逃げる機会を作ってやるだけでよかった。

 なので、手にしていた角材から手を離し、他にも色々なもの――それこそ、矢が突き刺さったままの壺や木箱を力任せにいくつか青年の方へと投げつけて足止めしておく。

 

「――こっち!」

 

 ほとんど前のめりになって夜道を疾走する羽根(パクシャ)の背後で並走しながら、周囲の気配を探る。

 先ほどの青年よろしく、民家の屋根を跳躍しながら逃げられたらいいけれど、そうなったら間違いなく弓兵の格好の的になってしまう。

 

 脳裏を過る漆黒の双眸の持ち主の面影。

 それを振り払いながら、出来るだけ羽根(パクシャ)の小さな体が俺の体躯の影からはみ出ないように気をつけて、走る。

 

「…………」

 

 思った通りだ、射撃は行われない。

 水堀に突き落とされた後といい、天幕でのやり取りと言い、先ほどの威嚇射撃と言い、いずれも俺の身を損ねるような出来事は一貫して行われていない。

 

 ――つまり、彼らは神霊で有る俺を害することはできない、ということになる。

 

 あれほどの膂力の持ち主であれば、放った矢で俺の身を貫通させ、羽根(パクシャ)を射殺することとて可能だろう。

 だが、そうした攻撃は行われていない。それは、偏に彼らが俺を傷つけることを、あるいは巻き込むことを控えているという事情があるためだ。

 

 人混みに紛れて、夜明けまで逃げ切ろうという作戦はおそらく適うまい。

 どこかで監視している弓兵が俺たちの姿を見失うということはほぼ零に等しい可能性だ。彼は俺が羽根(パクシャ)を庇うようにしている限り、直接傷つけるような攻撃をすることは控えるだろうが、その進路を塞ぐくらいの芸当は片手間にしてのけるだろう。

 

「――次はこっち! ――わわっ!」

 

 カカカカカッッッッッ!!

 

 ……ほら、やっぱり。

 人のいる方へと羽根(パクシャ)が移動しかけた途端、大通りへと繋がっている小道に白い矢羽をつけた矢が連続して突き刺さる。

 

 たたらを踏んだ羽根(パクシャ)の小さな体を小脇に抱え、裏技を使って適当な民家の中へと飛び込んだ。

 幸い、というか、物音一つ聞こえなかったから当然とも言えるが、そこは住民が引越しする前の住まいだった。新品の綺麗な家具は配置こそされているが、人の気配は全く感じられない。

 

 ――――流石に建物の中に入ってしまえば、弓兵の目も届くまい。

 

 小脇に羽根(パクシャ)を抱えたまま、大股に室内を闊歩する。

 家の中を観察してわかったのだが、これはどうやら店舗と一体化した造りの家屋らしい。裏通りに近い方は住居空間となっているが、表通りに面した方はいくつもの棚や大きな品物を並べて置くための間取りが拵えられていた。

 

 ……ふむ。どうやら、この家屋をつきっ切るようにすれば、表通りに出られるっぽい。

 この新築屋敷の主人には悪いが、勝手知ったる我が家とばかりに家の中を物色させてもらう。そうして、羽根(パクシャ)を一旦、床の上に降ろした後、壁にかけられたままの店員用の制服と思しき衣装を見て――――()()()

 

「わ、わわっ! サヴィトリ、何をしているの!?」

「持ってて」

 

 腕に嵌めている金環を一つ、羽根(パクシャ)の方へと放れば、焦ったような声が背後から聞こえてくる。

 落下音は聞こえなかったから、無事に羽根(パクシャ)が受け止めてくれたのだろう。

 羽根(パクシャ)には悪いが、特に反応も返すことなく、己の肉体を包んでいる衣を片手で引き裂いた。血を被ったり、堀に落ちたり、泥にまみれたりと随分と汚れてしまったので、廃棄するしかない服だ。放棄することに、特に未練もない。

 慌てふためく羽根(パクシャ)の姿を横目に、軽く目を閉じて、自分の輪郭を一瞬だけ世界に溶かし――……

 

「――――っ、あ!」

「!?」

 

 ――――そして、再構築する。

 若干、低くなった目線。柔らかさと丸みを帯びた肉体、やや頼りないとも言える華奢な手のひら。軽く首を振れば、量を増した長い金髪がふぁさり、と翼のように広がった。

 

「サ、サ、サヴィトリ……? なんだか、背が小さくなったような、気がするんだけど……」

「あー、そりゃあ、体を変えたからな」

 

 透明な鈴を転がしたような、何時もよりも高めの甘い女の声。

 それに若干の違和感を覚えながらも、壁から引き摺り落とした女物の制服を――恐らく、酒場での酌婦用の服を壁から引きずり落とす。派手な刺繍に鮮やかな色合いの衣は、こんな時でなければあまり袖を通したいとは思えない格好だが、この際、致し方あるまい。

 

「――嗚呼、くそ。時間があれば、もうちょい本格的な酌婦に化けられるんだが……」

「サ、サヴィトリ!? 本当は女の人だったの!?」

「まあ、ちょっと昔、ヘマして呪われてな……あまり聞かないでくれ」

 

 死んだ魚の眼になっていることを自覚しつつ、祭壇に飾られていた赤い粉を小指の先ですくい取って、唇に載せる。

 それに合わせて、夜の女らしく見せるために上瞼の縁をなぞるように朱色の線を描けば、どっからどう見ても夜の蝶である。

 

 ――――これならば、パーンダヴァの兄弟達も気付くまい。

 

「かつては忌々しく思った呪いだが、こうなれば使えるものは全て使ってやるさ」

「……なんだか、サヴィトリってドゥリーヨダナ様みたいなこと言ってるね」

 

  ちょっと前まで、うっとりした表情で見上げていた羽根(パクシャ)がくすくすと笑う。

 少し元気を取り戻したらしい少年の羽毛を交えた頭髪を隠すために、勝手にそれっぽい布を拝借して、巻きつける。

 

 うん。そこまで背も高くなく、声変わりも済ませてないお陰で少女にも見えなくはない。

 適当に長い髪をくくり、街で見かけたことのある酌婦の姿を思い出しながら、首筋を晒す感じに髪の毛を纏め上げる。確か、後れ毛を少しばかり垂らすようにすれば、より色っぽく見えるって姉さんたちが言ってたっけ?

 

「行くぞ、羽根(パクシャ)。扉を開けた瞬間、何がいたって変な声をあげるんじゃないぞ?」

「見た目はものすごい美人さんなのにね……、サヴィトリって本当に残念」

 

 やれやれと肩をすくめた羽根(パクシャ)の頭を軽く小突いて、二人揃って表口へと向かう。

 裏口から侵入して、物色に使用した時間はほんの数秒、そこから着替えと軽い化粧を済ませただけなので、時間としては数分にも満たぬまい。けれど、相手は武勇に優れた半神の戦士たちだ。

 

 下手すれば、扉を開けた瞬間、剣でざっくりとか洒落にならない。あと、背後からブスリも。

 なので、よくよく耳をすませ、室内に俺たち以外に誰も潜んでいないことを確認して、勢い良く扉を開ける――!!

 

 親しみを帯びた朗らかな声、眼に焼きつく華やかな夕焼け色の頭髪。

 よく焼けた小麦色の肌に、しなやかに鍛え上げられた戦士の瑞々しい姿態。

 

 ――そして、最後に。

 大きく見開かれた黄昏色の双眸が、俺の目に飛び込んだのであった。

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