「ウッタラー姫! このような場末においでしたか!?」
「おう、姫さま! あれだけ申しましたのに、護衛を撒くのはおやめくださいまし! 心の臓が止まるかと思いましたわ!!」
ぞろぞろと輝く甲冑を纏った兵士に、上質な衣類をまとった女官たちを引き連れて、ウッタラーと名乗った自称王女さまが戻ってくる。
いや、周囲の面々の言動から、彼女は正真正銘のお姫様だったらしい。いまにも泣きそうな顔をしている女官たちや心労で頰をこけさせている兵士たちの言葉をふてくされた顔で聞き流しながら、軽やかな足取りで歩を進めている。
「姫さま、この者たちは一体……?」
「まあ! 何処の馬の骨ともわからぬ浮浪者ではありませんか! このように薄汚れた者たちに近づいてはなりませぬよ!」
かなり失礼なことを言われたが、それもしょうがない。
何せ、どこぞから荒野にまで吹っ飛ばされた挙句、そこから不眠不休で歩いてやってきた俺たちだ。当然、砂塵を交えた荒野の乾いた風によって髪や肌も薄汚れているし、纏った衣服も上等なものとは思い難い。
「あなたたち!! この方々は旅人なのよ! それも、この都に着いたばかりの!! それならば、旅の汚れで衣が汚れていて当然でしょう! ましてや、はるばる遠方より来られた方々に対して、無礼であろう!! 口を慎みなさい!」
ヒソヒソと好き勝手囁くお付きの者たちを一喝したのは、ウッタラーだった。
憤然と胸を張り、腰に手を当てて、真摯な怒りで満ちた瑠璃色の双眸が烱々と輝く。王女の凛然とした叱責に、俺たちのことを蔑みの目で見ていた者たちが慌てて背筋を正した。
「偉大なるバラモンさま、家臣の者たちの無礼を寛大なお心で持ってお許しください。今度、わたくしの見ている前で同じことを口にした場合、その性根に改善の余地なしということで首を斬り落とますゆえ」
俺は思った。小鳥の囀りのような可憐な声で、こんな物騒なこと言われたくないわ、と。
さらりと家臣たちの生殺与奪権を示して見せた彼女は間違いなく、生まれながらの支配者階級だ。王女の宣言に、男女問わずにウッタラーを迎えにきた者たちが平服して、次々と謝罪の言葉を並べる――うん、これは間違いなく王女さまだわ。
「……よかろう。爾のその言葉に偽りなしとして、此度は見逃すこととしよう」
「ありがたきお言葉」
深々とこうべを垂れて感謝の意を示したウッタラーにこちらとしてはパラシュに向けたものとはまた違う、引きつった微笑みを浮かべるしかない。
なんだか、俺の大事な“あの子”たちによく似た色彩、よく似た性格の彼女がそんなことを口にしていると、彼らが口にしているようで、一々吃驚せずにはいられない……というか、心臓に悪い。
「それで、その……。姫様、このバラモン様をお招きするのですか?」
「いいえ。わたくしが連れて行くのはこの者です」
白魚のような指先が俺のを指差せば、お付きのものが驚いたように目を見張る。
そうして、先ほどとはまた違った意味で訝しそうな表情を浮かべた。
「……姫様。確かにこの者は薄汚れていてもわかるほどに、美しい顔立ちをしておりますが……ただそれだけの理由で姫様の客としてお招きするには、すこぉしばかり支障が……」
「恐れながら……小姓として雇うにせよ、いささか薹が立っておりますし……」
「あなたたち! 邪推も程々にいたしなさい!」
恐る恐ると言わんばかりの進言に、ウッタラーが顔を真っ赤にする。
うん、これは彼女も怒っていい。ついでに言うなら、俺も怒って良いだろう。言うに事欠いて、小姓ってなんだ、小姓って。俺の外見年齢はそんなに幼くないはずなのだが。
「わたくしがサヴィトリを招くには理由が二つあります! 一つは、そこなバラモン様にサヴィトリのことを頼まれたこと!! 次に、この者が類稀なる歌声の持ち主であるからです!!」
「――バラモン様に!? なんと!」
「さ、左様でございましたか……。申し訳有りません。せんなきことを申しました」
恐縮する女官たちには悪いが、置いてけぼり感が半端ない。
誰か、俺に彼女たちの持っている情報を公開してはくれないだろうか。
……それから、顔を背けてパラシュは含み笑いが漏れていることを自覚してくれ。
なんせ、こちらから見えるむき出しの肩が思っ切り震えているぞ。
「それから! サヴィトリのことを小姓と揶揄するのはおやめなさい!
こんなにも美しい
「え?」
「ハァ?」
「――――ゑ?」
「もう耐えきれん――ぶっはァ! 」
こちらの困惑に気づかず、尚も滔々と王女は義憤を帯びた声を発する。
待て、待て待て……。
今、さらりと流されたけど、なんかすっごく可笑しなこと言ってなかったか?
「陽光を紡いだように華やかな金の髪! 蕩けるように甘やかな蜂蜜色の肌!
ほっそりとした柳腰にすらりと伸びた肢体! 繊手としか表しようのない細い指先!
これのどこが男だというのです! サヴィトリは女性ですわよ!!」
あ、イェエエエ!?
な、なに言ってるんだ、この子!? い、今の俺は確実に男性体の筈だぞ!? それなのに、なんだってば、そんなこと素面で言えるんだ!?
愕然としている俺を置いてけぼりに、背後で大爆笑しているパラシュの笑い声が止まらない。
王女の爆弾発言にいち早く正気に戻ったのは張本人たる俺ではなく、ウッタラーを迎えにきた女官たちの方であった。
「そ、そうですわよね。我々としたことが、大変な思い違いをしておりました。王女殿下直々に目をかけられた歌い手ですもの――女性に決まっておりますわよね? ねぇ、皆さん」
「も、勿論ですとも! いささか女性にしては背が高いようですけど、世の中には長身の女というものも存在しております。であれば、少々肩幅が広かったり、体に多少柔らかみが欠けている女がいたとしても問題ありますまい」
次々と俺=女性説を説き始める女官たちに、兵士たちの方が困惑している。ついでに俺の方も困惑している。頼むからどなたか説明してはくれないだろうか。
何度も彼女たちと俺とを見比べ、考え込むようにしていた兵士の一人が、恐る恐ると言った様子で口を開いた。
「あの……自分の目には、あの旅人は確かに自分と同じ男にしか見えぬのですが……」
「それはそなたの目が節穴なだけです。――ねぇ、お前たち?」
「そうですとも! 殿下の言葉に間違いなどありません!」
「し、しかしですな……。ウッタラー姫のお側に年頃の異性がいるというのは、あまりにも外聞が……――ひぐっ!」
う、うわ!
女官の一人が髪の毛をまとめていた簪の一本を引き抜いたかと思うと、そのまま流れるような仕草で兵士の鎧の隙間へと射し込んだ――その途端、糸の切れた人形のように進言したガタイのいい兵士が倒れたぞ!?
「ごめんなさいねぇ。ちょっとよく聞こえなかったわ。なんて言ったのかしら、お前たち? それとも、お前たちは我々の殿下の目が節穴だと言いたいの?」
「め、滅相もありません、王女殿下!!」
背筋を伸ばして揃って踵を打ち鳴らした兵士たちが、一糸乱れることなく唱和する。
それに満足げに聞き入れて、鼻を鳴らした王女に不安が隠せない――なんだか、とんでもない相手の庇護下に置かれることになってね?
「な、なぁ、パラシュ。俺って、間違いなく、男性形態をとっているよな?」
「安心せよ。いささかどころか、かなり貧相ではあるが、今の爾の姿はまぎれもない男だぞ?」
何かを女官たちに指示している王女の姿を視界の端に留めながら、ようやく笑い終えたパラシュへとヒソヒソと尋ねかける。肯定の言葉をもらいながらも、釈然としない気持ちである。
「なぁ、あの王女様の目がイかれているってことはないよな?」
「それはない。あの
「じゃあ、なんであんな可笑しなことを……」
ウッタラーの命令で兵士たちの一部があちこちに散らばっていく。
また、主人の命を受けた女官たちの目がぎらりと不穏に輝くのを目撃して、背筋に悪寒が走った。
「――では、偉大なるバラモンよ。わたくし、これよりサヴィトリをわたくしの宮へ連れて行こうと思うのですけど、よろしくて?」
「構わんよ。それよりも、来たるべき時が来るまで、この大戯けのことをよろしく頼むぞ」
「勿論ですわ! それで、あなたのことはお招きしなくてもよろしいのですよね?」
「……爾も、王宮を鮮血で染め上げるのはごめんであろう?」
「それもそうですわね!」
うっかり手が滑って、この国に住まう戦士全員を血祭りにあげてしまうかもしれんし。
なんでもないことのようにさらりと述べられた言葉にちっとも笑えない。何が怖いって、パラシュであれば、それこそ片手間にしでかすことができると確信しているからだ。
流石は、女子供を除けば、二十一回に渡って、この世の王族たちを絶滅させた経歴の持ち主である。さらりと呟かれる言葉の重みが本当に半端ない。
あと、それを笑って流せるウッタラーの胆力も半端ないけど!
「――さて、そろそろ予も行くとするか」
「え! ま、待ってくれ、パラシュ!」
ゆっくりと立ち上がった相手に慌てて声をかける。
鷹揚な仕草で振り向いてくれた奇妙な同行者に、この数日間、温め続けてきた疑問を投げかけた。
「なぁ! 俺は覚えてなかったけど、パラシュは俺が忘れた俺のことも識っているんだろ!? なら、当然、“あの子”のことだって、それが誰なのかわかっているはずだ!」
「…………」
「頼む! 教えられない理由も教えたくない理由もあるんだろうけど、それでも! そうであったとしても、俺は“あの子”のことを思い出したい! だから――――っ!」
淡白な表情を浮かべていたパラシュの唇が小さく動く。
どうやら、俺の必死さに彼の心が動かされたようだ――と喜色を浮かべかけ、そして――
「――――だが断る!!」
「ぎゃふん!」
ごいんっ!! と音が響いて、目の前で星が飛び散った。
固く握られた拳で頭部を強打されたのだ、と理解した。ぐわんぐわんと鐘の音が頭の中で鳴り響いているかのように世界が揺れる。
前後不覚に陥りかけた意識を必死に繋ぎ止め、頼りにならない視覚を放棄して、聴覚を研ぎ澄ます。
「――された時も思ったことだが、愛情深いというのも時には考えものだな。……大戯けめが」
なんか物凄い貶されたのだが、怒る気にはならなかった。
だって、俺のことを罵倒するパラシュの声があまりにも優しく、あまりにも切ない響きを宿していたのに、気づいてしまったから。
だって、遠い昔に彼が失ってしまった、手放してしまった尊いものを懐かしんでいるようにも、慈しんでいるようにも聞こえるような――あまりにも哀しすぎる声、だったから。
お前の問いには答えることはできない――と天にも届く技芸を極めた武闘者は囁く。
じゃり、と砂つぶが固い皮膚に覆われた素足に踏みにじられる音がする。
答えはもらえない。自分で、大切なあの子の名前を思い出すしかない――だけど、それはいつになるんだろう。
そう思うと目頭がじっと熱くなり、やり切れない気分に陥る――だからなのか、思わず恨み言が意図せずして零れ落ちた。
「――なら……どうして、俺のことを助けてくれたんだ?」
この奇妙な同行者が振り向くことなく立ち去っていくのだと直感し、途方にくれた俺の耳に幽かな囁き声が届いた。
「――……短い間とはいえ、己が弟子として目をかけた男の肉親だ――そう、無下にすることなどできまいよ」
「――え?」
「あの莫迦弟子と無事に再会できたら、次はないとだけ伝えておけ。――では、さらばだ」
乾いた風が砂埃を巻き上げる。
思わず目を瞑ってしまった青年の前から、赤瑪瑙の双眸を持つ武芸者の姿はかき消えていた。
こうして、荒野から始まった俺と奇妙な同行者との旅路は、あまりにもあっけなく終わりを告げたのであった。
*
*
*
「――わたくしはね、殿方が嫌いなの」
パラシュに立ち去られて、失意のあまり茫然自失状態だった俺を、ウッタラーは有無を言わせずに王宮へと連れて帰った。
その道中に色々とあったのだが、張本人である俺自身が呆けていたのと、彼女の持つ押しの強さとにやられたのか、俺は特に咎め立てされることなく、あっさりと宮中への立ち入りを許可された。
あれよあれよと言う間に女官たちに手によって旅の汚れが落とされ、砂埃に塗れていた衣服は脱がされ、髪の一筋、指のつま先に至るまで磨かれた俺の意識がようやく戻ってきた瞬間、見計らったようにウッタラーはなかなかに衝撃的な台詞を呟いたのであった。
「……ええと、俺も一応は男……だよ?」
「いいえ。わたくしの元にいる限り、
なんと答えたら良いのか分からなかったので、とりあえず無難そうな言葉を選んで返答する。
手触りの良い布の貼られた肘置きに身をもたれ掛けさせ、しどけなく敷布の上に座り込んだウッタラーは俺のどっちつかずの返答を聞いて、悠然と微笑んだ。
しかし、よく分からない。男ではない、とは一体どう言うことだろうか?
内心で首を傾げるが、思い当たる節がない。居心地の悪さを誤魔化すために、差し出された薔薇水で唇を潤した。
「未婚の娘が肉親でもない異性を身辺に置くわけにはいかないわ、でも、わたくしはあのバラモン様のお言葉がなくても、お前のことが欲しかったの」
「お、おおう。なかなかに直裁なお言葉ですね」
柔らかな女体を蛇のようにくねらせ、気だるげに髪を梳く王女の言葉はその雰囲気と言葉尻だけで読み取れば、まるで愛の言葉を囁かれているようだ。
とはいえ、俺のことを見つめている瑠璃色の双眸には、愛欲の気配など微塵も感じ取られない。
宝玉のように輝く瑠璃色の双眸は先ほどから逸らされることなく俺の姿を凝視し、今にも切りかかってきそうな威圧感すら錯覚してしまいかねない。
「わたくしはお前のことが気に入ったの。そう、口にしたのを覚えている?」
「――はい。けれど、それはどういう意味で? 殿下が俺のことを愛玩する目的で招かれたわけではないことは百も承知です。あなたの目は、色欲に耽る享楽者の目ではない。――もっと、猛々しい目をしている」
……にこり、と可憐な唇が綻ぶ。
ウッタラーが持たれかけていた体を引き起こし、ピンと背筋を正す。それだけで、それまでの彼女がまとっていた気だるげな気配が霧散した。
「ええ、そうよ。わたくしは、お前の技量に惚れたの。そして、是非ともお前の持つ芸事の真髄を学びたいと思ったのよ。そのためには、お前に男でいられたら困るのよ」
「――それは、誰のため?」
この王女の一挙手一投足が高貴さと典雅さに満ちており、軽やかな彼女の足取りや立ち振る舞いから推測するに、歌舞楽曲を嗜んでいるのだろう。
そして、その技能の水準は決して低いものではないはずだ――にも関わらず、どうして?
「そんなの決まっているじゃない、わたくし自身のためよ」
さらり、と王女は肯定する。
肯定されてもなお釈然としない表情の俺へと、彼女は少し恥じらいながら、言葉を紡いだ。
「わたくしは、王女でしょう? 王子である兄上とは別のやり方で、わたくしは国を守らなければならないわ――そのために、わたくしはわたくしの価値を高める必要がある」
この王女様の言いたいことは、わかるようで……よくわからない。
戦い、勝利することを誉れとするのが戦士の一族に生まれた男の務めとして尊ばれるのに対し、戦士の一族に生まれた娘に求められることは、国を栄えさせるために優れた戦士となる子を産むこと――その一点に集約される。
俺の混乱を読み取ったのだろう。銀の砂を散らしたような瑠璃色の瞳が、ふと陰る。
そうすると、彼女の纏う明るい色彩と朗らかな雰囲気が一転して、まるで萎れてしまった花のようだ。
「……本音を語れば、わたくしは、殿方が嫌いよ。粗野で乱暴で、権力を笠にきて弱い者を踏みつけにし、己の意のままにならぬ女を暴力で押さえつけて、それを誇りとするような男は――唾棄するほどに嫌いだわ」
吐き捨てるように呟かれた言葉に呼応し、彼女の双眸に灯るのは不穏に揺らめく青白い炎。
なんというか……かなり根が深そうな怨恨の情だな。
だが、彼女のそれは不特定多数の相手に向けられた憎悪というよりも、特定の誰かから端を発した憎しみのように思える。
いやはや、この一見したところ明朗可憐なお姫様が心の奥底でそんなことを思っているだなんて、人は見かけによらぬものとはよく言ったものだ――――あれ?
普段は陽気で闊達で、大胆不敵が似合うようでいて……それでいて心の奥底で■■に対して憎しみを隠し持っていた誰かが、俺の側にいたような……いなかったような……?
「だからわたくしは、王女の務めとして子を産まなければならないとしても――そのような男とだけは御免蒙るわ。そのように愚劣な相手が伴侶では、わたくしの愛する王国も乱れるに決まっている――そのようは愚挙だけは犯せない」
俺が内心で首を傾げている合間にも、王女の話は滔々と続く。
瞳に宿った青白い炎はその間も燃え盛り、彼女の表には出されない激情の激しさを物語る。
「――であれば!! わたくしが娶るべきは叶う限り条件を満たした最高の殿方! 国を治める者である以上、そう簡単に死なれては困るから武芸百般に通じた最強格の戦士!
「お、おおう」
気のせいではなく、王女の瞳の奥でメラメラと炎が燃え盛っている。
先ほどまでウッタラーを包んでいた憂鬱な雰囲気は薄れ、瞳の奥だけではなく、彼女の背後にも目には見えないが轟々と炎が燃え盛っているようだ。
「この条件を満たすには、そんじょそこらの相手には嫁げないわ! それに、それだけの条件の殿方を伴侶として迎えるためにはわたくし自身がその方と釣り合うような最高の女でなければならないわ! であれば、父上からそろそろ身を固めるようにと言われたわたくしのなすべきことは一つ! ――そう! わたくし自身の価値を高めること!!」
「そ、そうなんだ……」
「――そのために!!」
ぐわし! と、勢いよく俺の両手が掴まれる。
ぐい、と近づいて来た白面に柄にもなく固まってしまい、かなりの至近距離で王女の瑠璃色の瞳と向き合うこととなった。
「そのために、お前をわたくしの師として迎え入れたの! 城下でお前の歌声を聴いて確信したわ! お前のその技量の一端でも習得することが叶えば、わたくしの王女としての価値はますます高まると!」
野心と野望で満たされた、輝く瞳。
男を厭っているという彼女の言葉のどこまでが真実なのかはわからない。男の所有物でしかない女の身でありながら、己の目的を果たすために社会的強者である男を利用してやると嘯く彼女の傲慢さは、下手すれば世の識者たちが挙って眉間の皺を潜めかねない問題発言ではある。
それを、彼女自身も理解しているのだろう。
仮にもこの世の摂理を定めた神々の眷属である俺に対して、瞳の奥底には恐れを抱きつつも、なおも彼女は挑戦的にうそぶいて見せた。
「――ねぇ、お前自身はどう思うの? 女でしかないわたくしが、このようなことを男であるお前に対して宣言することは非道徳かしら? 神々の定めた法に背く、不届き者としてわたくしを裁く?」
――だが。
この瞳の輝きは、その言葉の力強さは――俺にとってひどく好ましいものとして映った。
嗚呼、本当に彼女は――――に、似ている。
「――……いいよ、ウッタラー姫。俺の記憶が戻るまで、という条件付きでよければ、俺の知っている俺の全てを君に伝授しよう」
「!! ――約束よ! 絶対よ! 嫌と言っても、もう聞かないんだから!」
――本当に、この娘は誰かに似ている。
男性優位のこの社会において、女として生まれ落ちた者は男に従順であるように、と躾られる。
子供のうちは娘として父に従うように、娘のうちは妻として夫に従うように、女のうちは母として子供たちを庇護し、彼らが成長してからは長子の言葉に従うように――と。
彼女たちを囲む社会の常識は、価値観は非常に堅固である。
男にとっての最大の財産が妻である、と明言されるこの世の中において、父親の言葉に娘が逆らうこと、夫の命令に妻が背くことは悪逆でしかない。
……それはある意味、■と人間の関係性を示唆しているようでもある。
絶対者である
――俺は今、何を連想したのだろう?
泡沫のように浮かび上がって来た思念に首をかしげる。視線は目の前で欣喜雀躍している王女に向いているものの、思考はどこか遠くへと彷徨ってしまう。
「――トリ! サヴィトリ!! お前、わたくしの言葉を聞いているの!?」
「あ、嗚呼……。ちょっと意識が飛んでた」
そう告げれば、ぷくりと王女の頬が膨らむ。
けれどもそれも数瞬のこと、己の要望が聞き遂げられたことで上機嫌の彼女は不快さを捨て去って、溌剌とした笑顔を浮かべた。
「でも、わたくしは仮にも王女。結婚適齢期の娘の側に婚約者でもない男がいたら困るから、お前のことは宦官として父上には伝えているわ。それを良いことに、わたくしの侍女たちに手を出したりしたら、王宮に使えるバラモンたちに頼んで本物の宦官にしてやるから――よろしくて?」
しっかりと釘を刺されつつ、俺ことサヴィトリは暫しの間、ウッタラー王女の庇護のもと、マツヤ王国で日々を過ごすことになった。
王女に俺の知っている歌舞の極意を伝授する見返りに、何物に脅かされることのない安穏とした日々。
“あの子”のことを思い出すことができないことさえ除けば、個性的な王女と彼女を慕う者たちとの日々は、実に心休まるものであった。
――……そう。
娘を溺愛する老王ヴィラータが、王女のもう一人の師として、あの女を雇い入れるまでは。