もしも、カルナさんが家族に恵まれていたら   作:半月

99 / 103
没ルート 記憶喪失編・5

「…………納得がいかない」

「全くもう! それで何度目なの? 教える気がないのであれば、わたくしとしてもお前に師事をこう必要性を感じなくなってしまうのだけど!」

 

 中庭を囲む、よく磨かれた石造りの階に腰を下ろし、膝の上に頬杖をつく。

 舞を極めた者としてはあるまじきことに背筋を猫のように丸めて、ぶすくれていた俺の視線の先をみやり、真珠のように可憐な姫君は呆れ返った声を出した。

 

「そんなにブリハンナラのことが気になるの? 珍しいわね。お父様の寵愛する妾を始めに、どんな美姫を目にしても顔色ひとつ変えなかったお前が、あの者にこうも固執するだなんて」

 

 俺がこんな調子だからか、舞の伝授を望んでやってきたウッタラーもやる気をなくしてしまったらしい。

 ちょこんと小鳥のように丸まって、俺の隣に腰を下ろそうとしてくる彼女の服が汚れないようにと炎で編んだ敷布を広げてやれば、桃色の唇が綻ぶ。

 

「あら。気がきくのね。苦しゅうないわ」

「はいはい、お姫様。光栄の至りですよ、っと」

 

 お姫様らしく傲然と胸を張りながら嘯く彼女に小さく苦笑する。

 こちらを見つめて居た瑠璃色の双眸がすい、と空を泳いで、彼方を――正確には、ここから少し離れた中庭に居る人物を捉える。

 

「――ねぇ、サヴィトリ。お前があの者のことを熱心に気にするのはどういうことなのかしら?  それはやっぱり、わたくし、色々と考えたのだけど……ひょっとして……」

 

 恥じらうように口ごもった姫君に、無言で続きを促す。

 上目遣いにこちらを見上げてくる稚い姫君は、何を一体連想したのやら?

 

「お前は建前として宦官扱いではあるけれど、本当は男なのだから……その……」

「…………?」

 

 真珠色の肌をうっすらと色づかせ、銀色の砂塵を散りばめた瑠璃色の瞳が濡れる。

 どことなく怪しい気配を漂わせながらも、初心な娘はとんでもない爆弾を突き落とした。

 

「お前、ブリハンナラを娶りたいの……?」

「――――眼科医のところに連れて行こうか?」

 

 一切の表情が抜け落ちると真顔になるんだね。初めて知ったわ。

 なんだろう、この虚無感。

 

 俺があの謎の女を気にしているのは、この王女様の頭の中で繰り広げられているだろう桃色的な空想に基づく意味ではないから!

 

 わざと――それこそ、これ見よがしに、大きな溜息を吐く。

 そうすれば、真珠のような姫君は、それを聞いて心底ホッとしたような表情を浮かべて見せた。

 

「……お前がそういうのであれば、それでいいわ。だって、わたくし、まだまだお前には教わりたいことが山ほどあるのですもの。それを伝授せずしてわたくしの元から離れては駄目よ?」

「初顔合わせの時に男嫌いを公言しておいて、随分と性別が男の俺に懐いたね」

 

 姫君が俺を見つめる目がやや熱っぽままであることは気になったものの、どうでもいいやと切り捨てる。いかに姫君に気に入られていようと、そんなことは些細なことだ。

 

 だって――俺の頭を常に占めるのは “あの子” のことだけなのだから。

 

 未だに名前は思い出せないが、器の修復とともに徐々に “あの子” にまつわる記憶の欠片が浮かび上がってくるようになってきた。

 断片でしかないそれらは俺と “あの子” の紡いだ日常生活の切れ端でしかなかったが、それだけでも、随分とこの空虚になった心を暖かい物で満たしてくれた。

 

「だって、あなたはわたくしの知るどの殿方とも違ったのですもの。わたくしの傲慢を良しとして受け入れる者なんて、生まれて初めてでしたのよ? であれば、心許しても致し方ありませんわ」

 

 姫君の性格上、異性相手に己の本心を打ち明けたことはなくても、同性相手なら暴露したことはあったのかもしれない――そして、その度に己と思想を同じくしてくれる相手を見いだすことができずに心折れる思いをしたのかもしれない、なぁ。

 

「そっか、それは……そうなのかもね」

 

 それにしても、あの女……。

 

 俺の眼差しの先にいる同じく王女に仕える侍女たちと取り留めのないことを話しながら、完璧な微笑みを浮かべている。初対面時のあの隙のなさからして、俺に観察されていることも理解しているだろうに、柳に風と受け流すその豪胆さは感服に値する。

 

「……ねぇ、サヴィトリ。ブリハンナラのことを恋うてはいないのであれば、お前は彼女の何が気になっているの?」

「なんというのかなぁ……違和感、とでもいうのかなぁ……?」

 

 うーむ。この感覚は俺本人としてもきちんと理解できているわけではないから、他者に説明するのが本当に難しい。強いて言語化するのであれば、違和感という単語が一番しっくりくるのだが。

 

「なんというか、本当に俺の目に映っている彼女の姿は真実の姿なのか? って」

「え?」

「彼、女……。うん、彼女を見る度に、その姿が被膜のようなもので包まれているように見えるし、感じる。――だから、すごくモヤモヤするし、気になってしょうがない」

「そう、そうなの……」

 

 しゅん、と落ち込んだ様子を漂わせる王女に内心首を傾げながらも、ふとそれに気づく。

 俺と同じくらい、あるいはそれ以上の熱量で持ってブリハンナラと名乗った女を見つめている誰かの存在を看破する。

 

「……あれは……」

「あら、お母様じゃない。それに……そう、あれが噂のサイランドリー……」

 

 しずしずと大勢の侍女たちを引き連れて歩み寄ってくる王妃の姿を見つけ、そして、その背後にいる一際目立つ容姿の侍女を見咎め、ウッタラーが不穏な声を漏らす。

 

 王女の背中に隠されている位置から、そっと彼女たちの姿を伺う。

 そうして、噂の渦中となっている侍女の姿を見つけ、なるほどと合点がいった。

 

 なんというか、王妃よりも王妃らしい――威厳と気品に満ちた女性である。

 なんだってば、サイランドリー(侍女)と名乗っているのかは分からない。だが、その身にはいかなる装身具も帯びていないというのに関わらず、身に纏う衣も簡素極まりない侍女装束であるというのにも関わらず、蓮華の花のよう匂い立つ美しい婦人であった。

 

 通り過ぎる王妃に対して、それまで談笑していた姫君付きの次女たちが恭しく一礼する。

 王妃は慣れているのか一瞥することもなく通り過ぎ、その側仕えの年配の侍女たちも同様に傲岸と頭をあげた状態で通り過ぎていったが、サイランドリーだけは違った。

 

 ――ちらり、と熱を帯びた眼差しが、あの女へと注がれる。

 女が女へと向けるにはその一瞥は蕩けるような情欲がふんだんに塗されたそれは、同性であっても顔を染め上げんばかりの色香に満ちていた。

 

 しかし、それも一瞬のこと。

 能面のような無表情になったサイランドリーは貞淑な妻のごとく、先に進む王妃の後に従い、足早に立ち去っていった。

 

 なんだったんだろう、今のは。

 内心で首を傾げながら、一人呟く。サイランドリーの懇願するような眼差しに、あれだけの熱量を帯びた視線にブリハンナラが気づかなかった訳はないのに、素知らぬ顔で済ましているその姿に違和感を感じずにいられない。

 

 嗚呼、でも。もうそろそろ稽古を始めなければいけない時間だ。

 養ってもらっている以上、その責任を果たさなくては……と、重い腰を持ち上げた瞬間。

 

「――――うわ。嫌な顔を見てしまったわ」

「ウッタラー姫?」

 

 白百合のような顔を顰め、苦虫を数十匹単位で噛み潰してしまった表情を浮かべている王女。

 腰掛けたばかりだとはいえ、さっさと立ち上がろうとする彼女の態度に従って、自分もまた立ち上がろうとすれば、それよりも早く誰かが鷹揚な足取りで歩み寄ってくる音が耳に届いた。

 

「――やあやあ、我が愛しい姪御よ。今日も今日とてご機嫌麗しゅう」

 

 一目見ての感想は、なかなかの男ぶりの美丈夫、といったところか。

 脂の乗り切った男盛りの極地のような全身を絢爛たる鎧で飾り、縮れた頭髪と色黒の顎髭が一層その男ぶりを高めている。

 幾つもの黄金の装飾品をつけられた子供の胴体ほどに太い豪腕が大仰に空を切ると、美丈夫はいささか芝居がかった様子で恭しく一礼した。

 

 それに対しての、ウッタラーの返事といえば。

 

「こんにちは、キーチャカ叔父様。そして御機嫌よう。わたくし、これからこのサヴィトリと共に歌のお稽古ですの。申し訳ありませんが、ここらでお暇させていただきますわ」

 

 すごいなぁ。こんなに心の篭っていない(申し訳なさそうではない)辞去の挨拶は初めて聞いたぞ。

 小麦色の肌に太い首と広い肩幅を誇る、筋骨隆々たる美丈夫に一瞥すらもくれることなく暇乞いを言い出す王女の肝の太さに一周回って感嘆すら覚える。

 

「そうツレないことを言うてくれるな、我が姪よ。白玉のように清純極まりない容姿を讃えられておきながら、年長者に対してなんと言うぞんざいな振る舞いだ。さぞ、姉上もお前の無礼な振る舞いには呆れられることだろう」

「あら? お耳が遠いのでなくて、叔父様。わたくしの母上は、近頃一層高まりましたわたくしの評判にご満悦ですもの。今頃、父上とわたくしの嫁ぎ先のことでご相談でも行なっているのではないかしら?」

 

 ――つん、と澄ましながらの台詞に、美丈夫が不快そうに顔を顰める。

 いくら男嫌いだと言っても、仮にも王の娘が国の要たる将軍であり、叔父でもある相手に失礼すぎる態度ではなかろうか? ――一体、どうしたのだろう?

 

「それより、キーチャカ叔父様。このようなところで油など売っていないで、職務にお戻りになられてはいかがかしら?」

 

 美しい花には棘があると聞くが、ウッタラー姫もその例外ではないらしい。

 普段よりも三割り増し皮肉げな態度で応対する姿に、らしくないなとひとりごちる。

 おかしいなぁ……。あいつほどではないにせよ、ウッタラー姫も自身の内心を押し殺して、心にもない言葉を紡げる人種だと思っていたのだが、勘が外れたか? ……ん? あいつって誰だろう? そんな知り合いが俺にはいたのか??

 

「……相変わらず、可愛げのない姫君だ。前から思っていたが、義兄殿は貴様に甘すぎるのではないか? ただの小娘の分際で、国の守りを一手に担うこのキーチャカに対して敬うどころか、そのような無礼な物言いを許すなど」

 

 内心で小首を傾げていれば、相手の堪忍袋の尾がそろそろ切れそうだ。

 それまでの慇懃な態度をかなぐり捨てると、美丈夫は酷薄な表情を浮かべて、侮蔑の眼差しでウッタラーを睨みつける。

 

「……父上が老齢であることをいいことに、王妃の弟であると言う身分を盾にして、好き勝手振る舞う不埒者。そんな相手に一体いかなる礼儀を尽くせと言うのかしら? そちらこそ、わたくしの物言いを咎める前に、己の限度を知らぬ悪癖を改められてはいかが?」

 

 ピクリ、と大男――どうやら、ウッタラー姫の叔父にあたる将軍・キーチャカであるらしい――の顳顬が引きつる。まあ、確かに子供と同じぐらいの年頃の小娘相手に増長を咎められたら腹がたっても致し方ないだろう。

 

 ……どう見ても、仲の良さそうな親戚関係には思えないし。

 

「本当に無礼な娘だ。今から貴様の伴侶になる相手が気の毒で仕方がない。白百合や真珠のように清純な見目をしておいて、その本性は男に対しての敬意を抱かぬ毒婦ではないか。貴様を妻とする男はさぞ辟易するだろうよ!」

「…………」

「何せ、女の身でありながら学問を好み、国政に口を挟もうとしてきた身の程知らずだ。女として生まれた以上、その見目を生かして口を噤んだまま愛でられておればよいというのに。あれだけ嫌がっていた花嫁修行に没頭しだしたと聞いて姫としての責務に目覚めたかと思うたが、どうやら気のせいだったようだな」

 

 大仰に溜息をつく美丈夫。

 側から見れば、御転婆な姪を窘めている親戚の叔父さま、といったところだが、その内情はそのように微笑ましいものではない。男の口から漏れる言の葉はあまりにも悪意に満ちていた。

 

「同じ女でもどうしてここまで差がつくというのか。姉上はあのように老齢の国王陛下にも心を込めて尽くす貴婦人であらせられるというのに、貴様という奴は……全く……。一度、姉上の侍女たちを見習えばよかろうよ。……そういや、一人、とても美しい女がい――」

 

 

「――――失礼! もうそろそろ、国王陛下に姫君の練習の成果を見てもらう時間でございますゆえ、ここらで失礼させていただきますね」

 

 もういい加減、ウッタラーの皮肉交じりの台詞を聞かされるのも、この美丈夫の悪意に満ちた言葉を聞かされ続けるのも御免だったので、この辺で無理矢理打ち切らせてもらうことにした。

 

「それでは参りましょう、姫さま! 時間でございますよ! では将軍、御機嫌よう!!」

 

 身分の低い宦官もどき風情に話を遮られるとは思ってもいなかったのだろう。

 一瞬、虚を突かれた将軍へと完璧な笑顔を浮かべ、怒涛の勢いで話すことで反論を封殺して、黙りこくったウッタラーを促してその場をさっさと離れる。

 

 そうして、俺が先導する形で特に目的地を定めることなく歩みを進めていると、中庭の喧騒から少し離れたあたりでようやくウッタラーが口を開いた。

 

「……情けない姿を見せたわね、サヴィトリ」

「まぁ……それは仕方ないと思うよ? 人間である以上、苦手な相手や嫌いな奴は存在するだろうし」

 

 嫌いな奴、と口に出した途端、脳裏に濃厚な睡蓮の香りを漂わせる人影が浮かび上がる。が、すぐさま陽炎のような面影は、泡沫のように弾けて消えた。

 

 その面影も、その名前すらも定かではないが、どうやら失われた記憶の中に存在するそいつは俺の天敵に該当するっぽいな。

 顔もロクに思い出せない癖に、どうしてだか、その澄ました顔面を殴りつけてやりたい――と熱望する程度には、過去の俺はそいつのことを嫌っているようだったし。ムカムカとした嫌悪感を押し殺しながら頷けば、ウッタラーは「そうなの!」と言わんばかりの勢いで深々と頷いた。

 

「わたくし、わたくし、叔父様が大嫌い。わたくしやお母様の侍女に手を出すし、その癖して女を己の快楽のための道具としか見ていない!! 父上の戦車の御者を任されているのに、その信頼を裏切って、己が王であるかのように振舞って好き放題! 父上が老齢で、母上がお優しいのを盾に威張りくさっているし、このままだと、父上を廃嫡して、己が王だと名乗り出すのではないかしら!!」

「……滅多なことを言うものではないよ、ウッタラー姫。誰が聞いているのかわからないんだ」

 

 ふつふつと溶岩のように煮えたぎる怒りが抑えきれないのか、王女の語気がどんどん熱を帯びていく。

 きっと、あの一場面だけでは計り知れないような面倒臭い過去がウッタラーとあの叔父さんの間にはあったのだろう。この国に滞在したのはそう長い期間ではないから、なんとも言いようがないのだが。

 

 ――下手に擁護するのも宥めるのも面倒だったので、話を聞き流すことに徹した。

 けれども、この後に密やかに囁かれた王女の憂慮を聞き流したのは失策であったのだろう。

 

「それにしても、母上の侍女のことを引き合いに出すだなんて……誰ぞ、気に入った者でもいたのかしら?」

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。