畿内麻生高校戦車道部。飽く迄、部活動だ。選択科目として学科に取り入れられている大手や強豪校は決定的に扱いが違う。部活動で有るが故に顧問を担当する教諭は存在するが、名目だけで部活動内容に口出しをする事は殆ど無い。予算会議や試合の為に戦車を乗降させる案件の時だけサインを貰う程度だ。
部活動程度の戦車道部が、大洗女子が全国大会で優勝した事によってその熱に中てられ、戦車道を始めた例が多数報告されている。俄かが淘汰される世界なのは何処も同じだったが、その一方で淘汰されてしまった多数の残滓連中が【タンカスロン】で一旗を揚げようと躍起になっているのも事実だった。
畿内麻生高校戦車道部は復活して1年と少ししか経過していない若輩同然のクラブだった。
その戦車道部が先日の【タンカスロン】での奮闘振りが校内で人気の種となっている。一時の流行だと、誰もが思う暇潰しのような良く有る現象の一つだった。それに目を付けた飛酉は部員集めに必死になっていたが、そもそも戦車に興味が有ったり腕に覚えの有る生徒が居るのならば、入学した時点で戦車道部に入部しているはずだ。故に、人材不足は今も現状維持。
「…………」
九二式重装甲車が整然と並ぶガレージ――格納庫と言うほど大きな造りではない。小型のクレーンが有る程度――の隅で、先日、参戦したバトルロイヤル形式の試合の動画を見ていた。何処かの誰かが許可無しで勝手にアップロードした動画がわんさかとヒットする。お陰で戦術や作戦を構築する資料には困らない。
――――悪くは無い。だけど、良く無い
動画を梯子しながら奈鹿はドラム缶の上に置かれたノートPCのモニターを睨む。間抜けに見えたCV33の吶喊も伏兵以外の4輌を用いた壮大な陽動で最初から各個撃破しか狙っていない作戦だと言うのも判明した。あの無謀だと思った吶喊に釣られたのは実は奈鹿達だったのだ。結果として横槍の数が多過ぎて成功しなかった作戦だった。それでも釣られた。それでも見抜けなかった。それは改めなければならない。
「ねぇ、ちょっとは休憩したら?」
制服であるブレザー姿の共衛がコンビニ袋を左手に提げて奈鹿の背後から声を掛ける。
「そりゃあ、悔しいのは解るけど。私も悔しいよ。でも、奈鹿が心配。負けた時はいつもよりずっと奈鹿が心配なんだよ」
名御々共衛が眉を八の字に下げて微笑しながら言う。
思えば共衛が入部してくれたからこそ戦車道部は軌道に乗ったと断言できる。彼女の携帯電話は部活の予算や作戦や権利と同じくらいに重要なアドレスが詰まっている。彼女自身が機関砲を扱わせたら右に出る者が居ない名手だ。
多鴫だってそうだ。彼女のドライビングテクニックは向こう見ずな荒業だらけだが、それが即ち、九二式重装甲車の大きな武器となっている。多鴫の操縦が無ければ成功しなかった作戦は枚挙に暇が無い。彼女に教えを請う各車の操縦手も彼女に習って、倣って、見習って、無理と無茶と無謀が同居し、無為で無駄ではない蛮勇を発揮している。
奈鹿にいつも付き従っている飛酉も重要だ。彼女のサポートが無ければ成立しなかった作戦も多数。整備の腕も口で言うだけ有って繊細で確実な仕事を見せてくれる。尤も、奈鹿からすれば飛酉が「この部品は駄目です」と言う台詞を聞かされる度に残念な思いをする。彼女が駄目だと言った部品は必ず近日中に破損するのだ。それだけ彼女は優秀だ。
1年後に入部した1年生の王基美園も絶対に手放したくない人材だ。試合では何かと苦労を押し付ける。それに全力で応えようとする美園。何故、あのようなモチベーションの塊がこの学園艦に存在しているのか不思議になる事が有る。過去にも殲滅戦で奈鹿車が先に撃破された時、躊躇も淀みも見せずに指揮を受け取り、見事に采配を振るって勝利した実績も有る。
たった17人の部員で構成される戦車道部。この灯火は絶やしてはいけないと願うからこそ奈鹿は一層奮起して自分の経験をデータとして記録し、自分だけの谷川流を興す基礎としたいのだ。嘗て『あの人』はこう言ったらしい。「戦車は火砕流の中も走る」と。それに奈鹿なりに付け加えるのなら、「だが、車長一人では駄目だ」だ。
――――人は礎だな……
そう思いながら、奈鹿は共衛が手渡したブラックの缶コーヒーを開ける。
今日は戦術についての研究会だ。今頃、飛酉が借り切った会議室で部員を集めてプロジェクターを用いて古今東西の戦略と有用性について講義している最中だ。奈鹿はサボっている訳ではない。都合の良い部長特権を用いて先日のバトルロイヤルでの敗因を研究する為にガレージで引き篭もっているのだ。ちなみに共衛は完全なサボりだ。多鴫も会議室で居るはずだが居眠りをしている姿しか思い浮かばない。
学園艦の中でジワジワと人気が出た戦車道部だが、一過性の人気だ。直ぐに廃れるに決まっている。その証拠に入部希望者は集まらない。そして、その人気は学園艦の外に広まることも無く、対戦申し込みのチームも現れていない。所詮、草レースの【タンカスロン】で名を馳せているだけの戦車道部。奈鹿が目指す所とは本来の目的が少し違うので、余り気にしない。奈鹿は飽く迄も谷川流戦車道を興す事しか考えていない。卒業する頃には九二式重装甲車も持っていく。その後の戦車道部に手配する戦車も決まっている。新しく九二式重装甲車4輌を部費で購入し、配備させる手筈だ。
予算に関して苦労した事は無い。これが一番大きな計算違いだった。
共衛が……目の前でコーラを飲んでる軽佻浮薄が服を着たような少女の力だ。厳密に言うと、彼女の魅力が成せる技だと言えた。彼女が入部する前から予算に関して既に手を打っていた。矢鱈と携帯電話で『姉さん』と言う人物と話をしていた。それが、まさに打ち出の小槌だった。
名御々共衛。同性愛至上主義を説くが、人当たりが良く社交家で交渉の場では性別を加味しない話術を披露する曲者だ。その彼女の多数居る『姉さん』の一人が当時の生徒会副会長……現在の生徒会長だった。初めて九二式重装甲車を駆って演習場に赴いた時も、荒れたまま放置されていると思っていた演習場が片付いていた。そもそも戦車道部再興を果たした翌日には何故かガレージは大方片付いており、直ぐに部活が始められる状態だった。更には予算会議で当時同好会扱いだった戦車道部の予算申請が驚くほど簡単に通過した。
その影には共衛が居たのだ。入学する前から学園の権力者と懇ろになっておいた方が良いと判断して生徒会の役員と性的な関係を持ち、共衛に精神的拠り所を作らせて『共衛依存症患者』を作り、都合の良い時だけ甘えた声で「姉さん」と声を掛けて裏側を掌握する。それが共衛と言う少女だ。
汚いやり口だとは思わない。この学園艦では珍しくない光景だ。何処の誰がどのようにして強力なコネや人材を持っているかで生活レベルも違ってくる。
何かと中枢は女が掌握している学園艦だ。共学の畿内麻生高校でも生徒会は全員女性で構成されている。共衛は生徒会の誰をどのようにして篭絡させたのかは喋らないが、共衛に背後から抱きつかれてその手を振り解く勇気の有る生徒会関係者は少ないと思われる。
そんなダーティな遣り口を行使する為、水面下で生徒会の根回しが利いているので予算には困らない。順当に進めば黒森峰やプラウダと言った強豪のように重戦車を並べる事も可能だが、そればかりは、その事に関しては、畿内麻生高校戦車道部の『戦車道の在り方』に関しては、絶対に共衛の協力やそれに纏わる庇護は受けないと誓っている。奈鹿の信念に反するからだ。たった4輌の九二式重装甲車そのものが……『勝てない戦車』で勝つ事に重点を置いた『無名の弱小校』だからこそ値打ちの有るシンボルなのだ。
勝てば良いと言うものではない。勝つ事のその向こうにどんな価値を見つけるのかが重要なのだ。生徒会のヒモだと嗤われても悔しくは無いが、九二式重装甲車を捨ててまで得られる勝利に対しては奈鹿が心底嗤う。
自分達の意思や信念や信条、主義、主張が介在しない勝利など、戦車など、何の価値も無い。奈鹿はたった4輌の九二式重装甲車で自分の道を拓くと誓ったのだ。それに真っ先に感銘を受けて賛同したのは……共衛本人だった。そのお陰で予算と演習場の確保と【タンカスロン】の試合の為に寄港し、戦車を乗降させてくれる資格と権利を有り難くいただいた。
ハングリー精神に欠けると嗤う連中は居ない。この仕組みを、生徒会と共衛と言う部員の蜜月を知らぬ者が殆どなのだから嗤いようが無い。人間は嗤いの種が無ければ嗤えないのだ。
実にダーティでアンダーグラウンド。この学園艦では裏社会へ通じるルートが魚屋の軒先で並べられているほどに混沌としている。映画やドラマで見るほど裏社会は文字通りに日常の表裏には無い。日常の風景の中に裏社会は存在する。奈鹿自身も裏社会に染まった部分を持つ。故に共衛を非難する事は無い。丘に有る多鴫の実家の土建屋でさえ、ちょいと叩けば幾らでも埃が出てくる怪しい素性の家系なのだ。
黄金ならぬドブ色の3人が畿内麻生高校で出会ったのは運命だったのか必然だったのか……それは、今は論議する時間ではない。
「奈鹿、根の詰め過ぎは良くない。ちょっとは休憩しないと……」
再びモニターに視線を落としていた奈鹿の耳元で共衛が湿度の高い声で少し低く囁く。するりと共衛の左手が奈鹿の左腰に廻されて、僅かな力が加わり、右手側に立つ共衛の体に密着させられる。共衛の右手は奈鹿のマウスを握る手の上にそっと置かれて優しく握る。背中に共衛の膨らみを感じる。
接した部分から二人の体温が交換される。共衛の熱っぽい呼吸が奈鹿の耳朶を擽る。
「奈鹿……貴女を護る権利を私にください……私は、見つめているだけのつまらない女では無い事を証明したいのです……」
共衛の左爪先が奈鹿の踵の間からそっと差し込まれ、奈鹿の尻に共衛の膝上が軽く当たる。
囁くばかりだった共衛の唇が大きく開き、奈鹿の耳朶を甘噛みしようとした正にその時……。
「ウボッ!」
と言う新種の獣みたいな呻き声を挙げて共衛がその場に鳩尾を抱えて蹲る。奈鹿の右肘鉄が見事に鳩尾に入ったのだ。
「部内恋愛は禁止していないが、相手を選べ。このクソレズが。どんなに正体を無くしてもお前に食い散らかされる私じゃない……前にも同じ事を言ったよな? その前にも、更にその前にも。懲りない奴だ。さっさと会議室に行って桂田の講義を聴いて来い」
背中を見せればいつもこれだ。困った奴だ。と、奈鹿は蔑みを含まない冷い声で言う。
「いや、その……未来の谷川流開祖……とお近付きになったら……いつかは何かの役に立てる……かなーって……」
苦悶の声を絞り出す共衛。
「いつかじゃなくて今直ぐ私の役に立て、この馬鹿」
本当にどうしようもない同性愛至上主義者で悦楽主義者だが、共衛がその性愛の本領を発揮するのは、標的が心の隙間を見せた時だ。今までに何人も共衛の毒牙に掛かって都合の良いATMに堕ちた例を知っている。生徒会も会長を筆頭に殆どがこんな具合に共衛の傀儡に近い存在になっている。今から考えれば、真っ先に共衛が出来立てほやほやの戦車道部に顔を出してくれたのは幸運だった。この篭絡する手段を先に他のクラブに取られていたらその時点で戦車道部の再興は悪夢のような無理難題を抱えていただろう。
肘鉄が非常に良い塩梅で決まったのか、床に先ほど飲んだばかりのコーラを吐き戻している。炭酸飲料とは吐き戻すと漫画のようにはっきりとゲロゲロと嘔吐が聞こえるのだなと奈鹿は軽く驚いた。共衛に対して今は何の興味も持っていなかった。
左手首のダイバーズウォッチを見る。夕方の4時半。陽が傾く。今日はジャージから制服に着替えないから楽で良い。そう言えばそろそろジャージ以外に、試合用のユニフォームが必要だなと思った。タンカーヘルメットくらいは人数分揃えたい。
予算は心配しなくていいから何か小粋なデザインのユニフォームが欲しいな……と、ドラム缶に凭れ掛かって考えあぐねる傍らに蹲って嘔吐する少女を侍らせている風景が其処に有るのだから、傍から見れば中々シュールな絵だ。
「隊長! 桂田先輩が次回の講義は何時なのか訊いています。会議室の予約を早く申請して欲しいって生徒会の庶務から言われたそうです」
美園がガレージにひょこっと顔を出してそう伝える。蹲る共衛を見ても美園は表情を変えない。いつもの風景を見た、無感想な表情。美園は何度も、共衛が「本気で惚れた女は奈鹿だけ。だから必ず幸せにしてみせる」と真顔で言っているのを知っているので特に思うところは無い。誰が誰を好きになっても、共衛は共衛だし、奈鹿は奈鹿だと思っている。尊敬する先輩に違いない。失礼だと思っていても、色恋沙汰で様子や態度が変わるような女の子らしい反応を幹部級の先輩方が見せるとは思えない。隊長からして、話すより殴った方が早いと包み隠さず言う。そんな訳で青い顔で嘔吐の後片付けをする為にホースで水を撒いている共衛を見ても「まあ、お大事に」以上の台詞が思いつかない。……美園も美園で1年生の割には結構逞しくなったものである。
「?」
閉じようとしていたノートPCがメール着信を報せる。【タンカスロン】の対戦相手募集を呼び掛ける掲示板に飛酉が畿内麻生高校戦車道部を宣伝も兼ねて登録したのでその返信が届いたのかもしれない。この掲示板の運営の姿が見えない、アンダーグラウンドなサイトだが、対戦相手を募集しているチームは聞いた事が有る有名校や草チームとしては誰もが知っているチームが名前を連ねている。勿論、その名を騙った詐欺も多い。
「…………ほう」
受信ボックスを開く。
「ほうほうほう! 久し振りだな!」
「? ……何がです?」
憚らずに喜色を浮かべる奈鹿。思わず小首を傾げる美園。
「レボー学園……アイツかぁ。久し振りだなー……そうかそうか! 独立したか!」
「レボー学園って……BC自由学園の……」
レボー学園。美園も名前だけなら知っている。反りの合わない二つの学園艦を統合した為に常に内紛しているBC自由学園の旧BC高校派の系列に収まる学園でBC高校と自由学園が統合した折に飛び火を警戒して独立した小さな学園艦だ。他にもBC自由学園の内紛に巻き込まれまいとどさくさに紛れて独立を果たした系列の学園も多いと聞く。
その中のレボー学園と隊長はどんな因縁が有るのだろうか。美園は非常に興味を持った。奈鹿の横からモニターを覗かせてもらう。
「え、対戦申し込みじゃないですね。これ……」
そのメールの文面は時候の挨拶から始まり、礼節を重んじた流麗な文章で書き記されていた。内容はただの近況報告。差出人はレボー学園『有志』戦車道部の《メルロー》と云う人物。
「おい、共衛! レボー学園のアイツ、メルローの名前を貰ったってよ!」
「……へ、へえ」
青い顔だった共衛の顔にも喜色が差す。
「BC自由学園の戦車道チームが『あの、赤いサムライ』にブチのめされてから心入れ替えて戦車道やり始めてからレボー学園の戦車道もそれに感化されて倣って再建してるってよ! はははっ、アイツ、こんな事ならBC自由学園と離れなきゃ良かったのにって、親の代からの怨恨に文句を言ってるぞ!」
永く音信の無かった恋人から手紙でも貰ったかのような喜びようで奈鹿の声が踊る。
「あ、あの……その方と隊長はどういった関係で?」
美園が恐る恐る訊いてみる。
「あ、ああ。コイツはな、ウチの最初の対戦相手だったんだ」
「え!」
「なんだぁ、その驚き方。ウチだって初陣が有ったんだ。そりゃあ、酷い試合だったぞ」
奈鹿は酷い試合をさも愉しそうに話す。共衛も「ああそうだったねー」と肯定。
「当時、此方はまだ1号車の面子と飛酉しか居なかったんだ。たった1輌から参加できるって【タンカスロン】の良い所だ! ……戦車道部を再興して1ヶ月……否、2ヶ月は経ってたかな? 連携が何とか取れるようになってから腕試しに草チームを探していたら、レボー学園の有志だけで作られた戦車道部と対戦する事になって……そりゃあ、もう酷い酷い」
懐かしむ奈鹿。何がどう酷いのか具体的に触れない。『酷い』と云う件に差し掛かると必ず、奈鹿も共衛もケラケラと笑うのだ。最初期の結成当時のメンバーにしか伝わらない何かが有るのだろう。奈鹿の顔色を見ていると勝敗は二の次で試合や人間関係に何か有りそうだったが、奈鹿と共衛が「あの時は多鴫が足元を取られて」「なんであの時にその腕前を発揮しなかった」と笑顔を絶やす事無く昔話を始めた。詳しい成り行きや結果は知らないけど、何かと殺伐としている谷川隊長が今までに見た事も無い、花が咲いたような大きな笑顔を作れるのを知っただけでも戦果は大きかった。
「よし! 多鴫と飛酉にも教えよう!」
奈鹿がノートPCを畳んで足早に会議室に向かう。やや千鳥足の共衛も後を付いて行く。
「…………」
ぽつんと残されてしまった美園。先輩達にも自分達と同じ若草の時代が有ったと解ると、彼女の眦も下がって思わずクスッと笑ってしまう。何かと喧嘩っ早い隊長だけでなく、人を寄せ付けない雰囲気の藤多鴫先輩までもが共通して話題にするメルローと呼ばれた人物に興味を持った。……まあ、名御々先輩は相手が可愛い女性なら誰でも取り合えずナンパしてしまう雑食家だから今更、何も驚かないけど……。
「……メルローさん……かあ」
――――どんな人だろう?
丁寧な文面のメールだった。きっと筆まめで几帳面な人なんだろうなあ。見た目からして多分、ヤンキー気質な先輩方とは全然違う雰囲気の礼儀正しい人に違いない。あんなに丁寧に文章を纏められる人だもん。教養の有るちょっと気の強そうな文系の人なのかも?
美園は未だ見ぬメルローなる人物に様々な想像を馳せた。
翌日。学園艦の西第2演習場で部活中。飛酉が奈鹿とノートPCを見ながら話し込んでいる。基本的に部活は学校指定のジャージだ。遠くでは4輌の九二式重装甲車がペイント弾を用いてバトルロイヤル形式で練習試合をしている。
「ああ……矢張りな。そう出たか……」
「はい。今後の事も考えると早めに手を打っておいた方が良いと思います。レギュレーションを公式戦車道の定める所で合せるのなら全車輌を本格的にオーバーホールする必要が有るかと」
「…………予算は問題無い。ただ、モノが都合良く市場に出ているかどうかだ。金は有っても物が無いとは皮肉だな」
「九二式重装甲車は大量生産された車輌ではないので流通経路を持っている業者を確保するだけで精一杯かと」
奈鹿は前々から九二式重装甲車の全ての部品を新品と交換する案を提唱していた。【タンカスロン】向けのレギュレーション無視を謳った部品なら幾らでも手に入る。それでは駄目なのだ。飽く迄、公式戦車道でも戦える公正な新品の部品が欲しい。
飛酉が手に持って展開するノートPCを背伸びして見ながら奈鹿は神妙な面持ちになる。
「1輌ずつでも全て新品の部品に置き換えたい。予算は考えなくていい。すまんが試算をもう一回弾いてくれないか? それと公式部品を扱っている業者で九二式重装甲車を手掛けている所も探して欲しい」
「解りました。明日までに1輌当たりの……1号車から4号車までの値段を計算します」
「頼む……」
戦車道に興味が無い生徒会の実行力より飛酉の計算の方が速い。
先日のバトルロイヤル形式の【タンカスロン】で各車の部品の限界を感じていたのだ。希少な部品が手に入らないから騙し騙し使っていたが、そろそろ腹を括って新車を購入する必要性も出てきた。
それに抵抗を感じるのは単純な感情論だ。愛着が湧いている車輌を倉庫に放り込んで新品の車輌に移りたくないだけだ。だが、それもそろそろ子供の駄々と同じで、現実として磨耗と劣化には勝てなかった。
時間と『人の手』を使えば簡単に解決する問題。人海戦術で業者を当たり、時間を掛けてじっくりと部品の総入れ替えや新車を探し出して購入すれば解決する問題。手元の、先代戦車道部が遺していた業者のリストでは不十分だった。武装や装甲なら今直ぐ何とかなるが、心臓部のエンジンや要の履帯や転輪、駆動系全般ともなると、愛着云々を捨てて注文して新品を拵えてもらった方が断然早い。使い古した部品と完全な新品の部品を組み合わせて使っていると磨耗の度合いの違いから予想外の部分で挽回不能の問題を発生させる原因になりかねない。それを危惧している。それを邪魔しているのが奈鹿自身の幼稚な感情だ。
飛酉は何とか奈鹿の難題に応えようと毎日必死で思案している。飛酉は奈鹿の想いを単なる屁理屈の感情論で済ませられない意思を知っている。奈鹿にとって九二式重装甲車は引き継いでからの付き合いだ。家族のように大事な4輌だ。新谷川流戦車道を興すと誓ってからは一層手放したくない相棒となったのであろう。
戦車に対する想いだけで寂しい時間を過ごしてきた飛酉には痛いほど解る。
ペイント弾で黄色く染まった九二式重装甲車は演習場の片隅に有る水道の蛇口からホースで水を浴びせて大雑把にデッキブラシでペイントを洗い流すと、直ぐに練習試合に戻る。今日の練習メニューは只管、これの繰り返しだ。バトルロイヤルで実戦。被弾してもペイントを直ぐに洗い落として直ぐに戦線復帰。簡素でも決して単調にはならない練習。戦線復帰した九二式重装甲車が何処からスタートして乱戦に紛れるか想像が付かないのだ。1号車の車長は美園に任せている。最終的に撃破率と被撃破率を算出して反省会を開く。
撃破した回数と撃破された回数を数えるのが車長の主な仕事だ。何回撃破されてもペイントを洗い落とせば何度でも練習試合が続行される。だからと言って手抜きは許さない。乗員3人の呼吸を合せる訓練であるのと同じレベルで、この練習は読めない相手の動きを先読みさせる要素も含んでいる。主砲である13mm機関砲だけでなく、旋回砲塔の6.5mm軽機関銃もペイント弾だ。小さな弾頭1発でも被弾すれば即退場してペイントを洗い流す。素早く、無駄な動きをせずに、体を動かし、到る部分の筋肉を自然に耕す。戦車乗りといえど最終的には体力勝負でカタが付く部分が多い。精神がタフでも体が追い付かなければ意味が無い。知的策謀を巡らせても体力不足で、戦車に揺られているだけで知能が低下する場合も往々にしてある。何と言っても、戦車から降りて洗浄して乗り込むだけと言うのは想像以上に体力を使う。この形式の練習をした後、皆は疲労困憊で足腰が悲鳴を挙げているのだ。
1週間も無為に練習を繰り返すより、1回でも実戦に即した練習を経験した方が早く身に付く。それに、誰と組んでも一定以上の練度発揮する実力の底上げと平均化も目論んでいる。
畿内麻生高校戦車道部がこの先に大発展して、履修カリキュラムとして学科に組み込まれるのはささやかな夢として奈鹿は胸に仕舞っている。黒森峰の機甲科のような独立した学科をこの学校が保有するともなれば夢のまた夢なだけに次代のその先に希望が持てる。生徒会が戦車道に興味が無く、知識が疎いと言う大きな問題が有るのが痛いところだ。一般的に報じられる、大洗女子の奇跡的な優勝や、その後に勃発した大学選抜チームとの試合で廃艦の危機を救ったと噛み砕いて説明しても、自分の身に降り掛かった火の粉ではないので興味無しだ。共衛の傀儡同然の生徒会だが、共衛の思想に心酔している訳ではないので、権力を掌握している政治機関以上の働きを見せてくれていない。従って共衛の、引いては奈鹿の言葉は聞くが、その言葉の価値を全く理解していない。
「よーし、全車帰投準備。15分以内でカタを付けろ」
奈鹿がスロートマイクで本日のメニューの終了を報せる。早い撤収の準備と言う訓練も日頃から鍛えさせる為に時間を計測して全車の帰投準備が整う平均値を割り出す。……漸く今日の練習が終わる。
今となっては部室棟に有る戦車道部の部室はただの資料置き場となった。戦車道関連の書籍や雑誌のバックナンバーが過去二十年分ほど揃っているがそれは飛酉の個人的コレクションの一部を放出して寄贈した物だ。部員用のロッカーは全てスチールの本棚に置き換えられ、部員は女子更衣室で着替える。着替えた荷物のみ『隣の部室』に置かせてもらう。共衛が生徒会に根回しして部室の割り当てを増やしてもらった成果だ。シャワーが設えられた体育会系クラブの部室棟も幾つか存在するが、喫煙や性交渉の場として多用され、風紀委員の取り締まり対象そのものとなり、使用許可が全ての生徒に下りない。それでも隠れて不純な行いをする事に興味を持つ連中しか居ない学校である。ドアの鍵がいつの間にか開錠されて侵入されてしまい、度々、煙草の吸殻や使用済みのゴムが見つかっている二昔前は注射のシリンジや合成麻薬のパケが見つかった事も有るそうだ。
偏差値も低いが社会通念も低い。畿内麻生高校はそんな学校だった。
そのような学校で【タンカスロン】で一旗揚げようと戦車道部が興ったと有ってはアンダーグラウンドの世界では話題にならない筈が無かった。戦車道や【タンカスロン】を博打の対象にする専門の賭場も存在する世の中だ。今は未だ草チームでしかない畿内麻生高校が早くに注目されるのは当然と言えば当然だった。マイナーな草チームだけを応援するファンもそれなりの割合で存在する。お嬢様だけの……良妻賢母育成の一環として始まった戦車道の一端に乙女淑女から程遠い連中が名前を連ねているのだ。マニアにとっては格好のアイドルだった。それが例え【タンカスロン】であってもだ。『女の子が戦車で縦横無尽に駆けている』。それだけで性的産業のタネとして大きく成長する。丘には戦車道関連のブルセラショップが幾つも確認されている。汗と体臭が染み込んだタンカースジャケットと顔写真を添えれば、高値で売れる。草チームの中には『【タンカスロン】をしている』と言う箔を自分に付けて春を販ぎ、タンカースジャケットを売って小遣い稼ぎをする者もかなりの割合で居る。戦車の道に清潔だけを求めるのは苦しく酷な時代だ。
道を間違えればそうなっていたかもしれない戦車道部の一つが畿内麻生高校戦車道部だ。奈鹿は共衛と云う、頼れる仲間が加わるまでは……戦車道部復活の第一歩として体を売ってでも金を稼ぐ心算だった。
奈鹿の荒んだ……戦車道に不向きな性分かと思われがちな彼女が、それでも戦車道部の復活に甘んじる事が無く、本来の目的の通りに『勝てない戦車で勝つ方法』を真っ直ぐに、愚直なまでに真っ直ぐに見つめる事が出来るのは、人生で初めての【タンカスロン】への参戦が大きかった。
あの頃はたったの4人しか居なかった。
未だ1年生だった。共衛、多鴫、飛酉そして奈鹿。たった4人。九二式重装甲車を1輌だけ動かせる人数。飛酉は当時から裏方だった。
曇天だった。夕暮れが近かった。誰でも良いから対戦相手が欲しかった。自分達の腕がどの程度のレベルなのかを推し量る指標が欲しかった。習熟に時間を費やした心算でも熟練と言うには及ばない。だからこそ、早く目標になる道標を見付けたかった。
その頃に対戦相手に名乗りを挙げたのが……。
「レボー学園、かあ……」
演習場から学校に戻って、暫しの休憩。その間に、スポーツ飲料を片手に美園は携帯電話でレボー学園の戦車道部を調べる。
レボー学園。旧BC高校の血統を色濃く継いでいるが、戦車道に廻せる予算が無くて一時廃部。近年に有志が戦車道部を復活させるも目立った戦績は無し。練習試合でも親善試合でも連戦連敗。少ない予算から戦車道に必要な燃料や弾薬、整備を遣り繰りして辛うじて現在でも存続している。勝敗の戦績だけ見ると全く良い所が見当たらない。生徒会から予算の配分を少しでも多く勝ち取る為に闇雲に試合を申し込んでいる嫌いすら有る。試合に勝てば生徒会が戦車道部に振り向いてくれるとでも思っているのだろう。
「! ……え?」
レボー学園の戦績表をスクロールして眺めていると目を疑う結果が目に入る。
「【タンカスロン】での勝率……92%!」
レボー学園戦車道部が部活外で行っている試合に【タンカスロン】が有った。その非公式な【タンカスロン】での勝率が92%を超えてるのだ。再び画面をスクロールさせて公式に公開されている戦車の名前を見る。主にR35、AMR35とそのバリエーション等。10t以下のクラスでは恐ろしいまでの勝率を誇ってる理由が解った様な気がした。この戦車では中戦車以上を揃える『真っ当な戦車道』では勝率は低い。公式試合で勝てそうな戦車が皆無だった。
公式試合の資料を探すのは簡単だったが、野良試合の【タンカスロン】の戦績や対戦相手を調べるのは難しかった。勝敗の数字以外、誰も何も公式に留めていないからだ。
「……ちょっと……これ……先輩達、本当に戦ったの?」
益々、畿内麻生高校戦車道部がレボー学園『有志』戦車道部と対戦した結果が知りたくなった。
――――確か……1年前以上前だから未だ九二式が1輌しか動かせていない時期だったよね……
更に別サイトを漁って、レボー学園の当時の戦績を洗い出そうと携帯電話に噛り付くが、休憩の時間が終わりそうなので、慌ててスポーツ飲料を飲み干して体育館に備え付けのシャワールームに向かう。様々な部活の女子生徒が混雑して入り乱れるシャワールームのブースの取り合いに押し合い圧し合いされてレボー学園と我が戦車道部との戦績の件は一時、忘却の彼方へ押しやられてしまった。
「アイツ、相変わらずだなぁ……」
「だろ?」
奈鹿が言う。ノートPCのモニターを見ながら、多鴫がぽつり。その多鴫の顔の端にさえ笑顔が浮かんでいる。
「レボー学園かぁ……また改めて対戦したいな。アイツらも相変わらずだろうから一つ揉んでやろうか」
「ああ。そうだな」
部室の中で、会議室で広げていた資料をファイルに片付けながら共衛が言う。それを手伝う飛酉も何も言わないが笑顔だ。
「……時間だ。会議室に戻るぞ。各員、後でコイツに心からの嫌がらせメールを送信してやれ」
奈鹿が悪戯っぽい『悪い笑顔』で部室に居た3人の顔を見ながら言う。
「でも、レボー学園の皆様と対戦させていただいたからウチの戦車道部もちょっとだけ知名度が上がりましたよね」
「確かにそうだな。あの頃はどっちを見ても戦車道に理解の無い連中ばかりで困ってたよ。試合そのものが私達にとって価値が有った」
奈鹿が懐かしむように言う。席を立った奈鹿に続くように戦車道部の初期メンバーで幹部級の面子は部室を出て帰宅準備を整えた部員達が待っている会議室に向かう。会議室では飛酉の後輩で1年生のマネージャーが本日の部内練習試合を纏めた資料を作成して配布し終えている頃だろう。
バトルロイヤル形式の練習試合の総合評価を元に本日の反省会をして今日の部活は終わる。
※ ※ ※
「!」
奈鹿は驚きと虚を衝かれた顔で九二式重装甲車が収まるガレージの前で立ち尽くしていた。その背後に居る共衛と奈鹿と飛酉も同じ顔つきだ。
「?」
その幹部達の顔つきとガレージの前で立つ少女……可憐で同性であっても庇護欲や母性本能が擽られるロリータフェイスの、風に良く靡く襟足の長い金髪のショートカットが印象的な少女が其処に居た。
それは翌日の戦車部の部活が終わって、九二式重装甲車をガレージに格納しようと低速前進していた時だった。部外者と思しき人影が見えたので、先頭を走っていた奈鹿が降車し、ガレージの前で佇む少女の前に進み出た。其処で奈鹿が時間が停止したように固まったのを不審に思った共衛、多鴫、飛酉も駆け寄ったのだ……。
「随分と立派になったじゃないの。『あの時』は4輌も有ったなんて聞いてなかったわよ」
その少女は居並ぶ幹部級を前にそう言い放った。
畿内麻生高校の制服じゃない。同じブレザーのデザインだが、此方は上下とも明るい紺色で緑の斜め縞模様のリボンが首元に巻かれていた。
「?」
先頭車に後続していた美園は車長席から身を乗り出して双眼鏡で眺めていた。
――――誰だろ?
――――可愛い人だなぁ。人形みたい
――――先輩達の知り合いかな?
同性愛を主張する共衛でなくとも思わず口元が綻んでしまう清楚可憐な雰囲気の利発そうな少女は、見た事が有る……非常に身近で見た事が有る凄惨な笑顔を突然、浮かべる。先ほどまでの絵本から飛び出たような可愛らしい面影は欠片も無い。
彼女の笑顔を知っている。否、見た事が有る。非常に近い人物が浮かべる類の邪悪な笑顔だ。
「!」
美園は呼吸が止まった。心臓が停止したかと思った。
少女は一歩、奈鹿に踏み出すなり、右手を大きく腰溜めにして駆け出し、下から抉るようなパンチを奈鹿に向かって放ったのだ!
少女の悪い笑顔。
そうだ。敬愛する隊長と同質の笑顔だ。全く同じニュアンスの笑顔だ。
敬愛する隊長も同じモーションで少女に向かって駆け出すと、全く同時に全力の拳を打つ。
――――同類だー!
見た目は兎も角、可愛い少女の中身は隊長と張り合えるかそれ以上の凶悪で獰猛な性分だと理解した。話すより殴って会話するタイプだ!
両者が放った拳は互いの体にめり込む直前に互いが左掌で受け止めて胴体へのヒットを防ぎ、そのまま睨みあったまま膠着するかと思った矢先に両者とも右足を軸に左足で後ろ回し蹴りを相手の頭部目掛けて繰り出す。少女はスカートが大きく捲れてパステルカラーの水色のショーツが見てもお構い無しだった。
再び両者は同じ動作で防御。左側頭部に命中するはずの蹴りを、右手を折り曲げて側頭部で防御。靴の蹴りと肉の防御が衝突する生々しい音が聞こえる。
両者反動でやや退く。1歩以上の間合いが開く。
これは流石に拙いと、美園は車長ハッチから飛び出て奈鹿と見慣れぬ制服の少女の間に入ろうと駆け寄る。
「……え?」
共衛や多鴫は兎も角、一番の常識人だと思っていた桂田飛酉先輩までもが、ニコニコしながらその邂逅を見守っていた。まるで飼い猫が戯れているのを眺める老婆のような穏やかな笑顔だった。共衛もニコニコとニヤニヤが混じったを笑顔を浮かべ。多鴫もニヒルに、どこかシニカルに微笑みながらスキットルを呷っている。
――――な、何なの……先輩達!
――――桂田先輩まで一緒になって!
奈鹿と少女が全く同じモーション、同じ呼吸で左軸足を中心に右足を半歩退いて、停止する。
「随分と急だな。定期便と一緒に来たのか? 『あのメール』は読んだよ」
「私は急が好きなの。私はてっきり理解してくれているかと思ったけど?」
奈鹿と少女は戦闘態勢を解いて、笑顔で互いを無言で称える。笑顔の裏には、隙を見て必ず喰い殺してやると言わんばかりの殺気を感じる。
「あ、あの!」
美園は思わず声に出して二人に割って入る。何も状況が読めていないので何も事が進んでいないと判断したのだ。ここで他校生と喧嘩をしでかしたら幾ら生徒会でも黙っていないと危機を覚える。
「は?」
奈鹿と少女は不意に握り拳裏を軽くトンとぶつけ合って漸く挨拶をした。
「奈鹿……元気そう。嬉しい。ブチのめし甲斐が有るわ」
「今は……メルローって名乗ってるんだな。襲名おめでとう。直ぐに泥塗れしてやるからな」
奈鹿の聞いた事が無い穏やかな声。
そして驚愕に打ち拉がれる美園。この少女こそがレボー学園『有志』戦車道部の隊長メルローその人だった。送信されてきた丁寧なメールからは想像も出来ないほどに獰猛で邪悪で凄惨で凶暴。美園の心の中で描いていた想像のメルロー像がガタガタと崩れ落ちる。
そして、共衛が漸く口を挟んだ。
「まあ、立ち話もなんだし、部室でお茶でも飲もうよ」