幽鬼の中の愚連隊   作:かんづ始

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第5話

 今から1年以上前。畿内麻生高校戦車道部が【タンカスロン】の初陣を飾ろうとしていた頃。

 試合会場である丘に戦車を降ろして、束の間の港町探索で羽を伸ばしていた。学園艦と言う狭い世界に押し込められた十代の若者が箱庭のような町で満足できるはずも無く、陸地に足をつけると多少の羽目を外すのは目に見えている。

 その街中で出会った二人。『出会った』と言う表現は穏便に過ぎるかもしれない。奈鹿に肩がぶつかっておきながら一向に介さず行き過ぎようとしたした一団が有った。それがレボー学園『有志』戦車道部の連中だった。モラルもマナーも無視をする雰囲気は自分達と同類だった。臭いで解る。暴力にしか敬意が払えない次元の低い連中だと。そして、奈鹿もそれと同じ次元の人間だった。

「おう。おめーら……肩をぶつけといて謝りも無しか? ちょっと面貸せや」

 明らかに奈鹿が一方的に喧嘩を吹っかけていた。普通の次元で物が喋られる人間ならばこの瞬間のリアクションで判断できる。この刃物のような眼光の少女相手に怯むか否かを。

 だが、その一団はお互いの顔を見回すなりへらへらと笑いながら奈鹿を取り囲んだ。一対多数。互いはそれぞれの学園の制服を着ていたがその制服と学園の名前に泥を塗るのに慣れた人間ばかりだった。

 険悪な空気。昼日中の出来事。相手は5人。【タンカスロン】で試合をする為に丘に降りただけなのに、一人でこんな『美味しい』状況を独り占めできる悦びに内心、悶える。解り易い、暴力だけの解決方法は大好きだ。道すがらの喧嘩の売買ともなれば大好物だ。このところ戦車ばかりでまともにストレスを発散する機会が無かったので、自然と唇の端が吊り上る。

 お互い、因縁のぶつけ合いは成立した。後は如何に、誰を、どのように、何処から殴り飛ばしてやろうかとガンを飛ばしながら思案する。奈鹿の左拳は先制には使えない。小指が無いので力強い握り拳を作れないのだ。

 右手を軽く握り込んで、呼吸を整える。咄嗟に丹田で気を練ると言う方法は使えないしそんな上品な方法も知らないが、呼吸を整えれば何故か、拳の命中精度と威力が上がると経験で知っていた。

 第一目標、目前1mの少女。腰まで有る茶髪で雀斑の、ガムを噛んでる奴だ。1m。勢いをつけて一歩踏み出せば十分に届く。

 さあ、今だ。一層強く拳を握る。喧嘩は先制した時点で趨勢が決まる。

 軸足ががっちりと地面を掴む。重心移動を開始。相手には此方の動きは見切られていない。

 刹那、奈鹿の右拳が小さなモーションから解き放たれようとした。

「左ステップ! 右拳を往なし、左拳を打たせろ!」

 そんな声。邪魔な声。だが、的確なアドバイス。そのアドバイスは奈鹿ではなく、目前に居る少女に対して投げかけられた物だった。だが、既に遅い。奈鹿の右拳は放たれる。真っ直ぐに少女の顔面を捉える……筈だった。

「!」

 突然相手は左ステップ。奈鹿の渾身の一撃が躱される。虚しく空を切る右拳。万が一の押さえに用意しておいた陰からの左拳を即座に軸足をスイッチして繰り出す。だが、その左拳は少女に簡単にガードされてしまう。

 全てが刹那の時間の出来事。奈鹿の軸足移動から全てを読み取った奴が背後に居る。即座に振り返るのもこのままの態勢を維持するのも危険だ。前後からの挟撃。奈鹿は直ぐに判断する。

「……負けだよ」

 奈鹿はダラリと両手を下げて敗北を宣言した。

「重畳。ウチの者が失礼をした」

 声の主は奈鹿の背中から声を掛けて奈鹿の脇を通り過ぎようとした時、奈鹿と背後の少女がすれ違う瞬間、奈鹿は片足を突き出して見えぬ、背後から登場した少女の足を縺れさせて盛大に地面にスッ転ばせた。

「!」

 少し癖毛。ショートカットの少女の顔が地面にぶつかる瞬間にその頭部目掛けて、奈鹿は左側頭部に爪先の鋭い蹴りを叩き込む。

「!」

 今度は奈鹿が意表を衝かれた番だった。金髪の少女は小さく地面で右手だけで受身を取りながら左腕を折り左側頭部をガードして、そのまま前転を続けて目前の少女達の前に立つ。喧嘩慣れと言うより、武術の遣い手のような身のこなしだ。

「悪いけど、ここで『誰も脱落させる訳にはいかないの』。どう? 痛み分けと言うことでこの場は収めてくれないかしら? 私達、これでも大事な体で、瑕を負う訳にはいきませんので」

 その少女。金髪の少女は涼しい目で奈鹿を見ながら言う。台詞は穏便だが、眼に篭る力は殺意のみで形成されている。背中を見せれば刺し殺されかねない剣呑さを帯びていた。

「…………てめぇら、ドコの学校よ?」

 その言葉を呻くように捻り出す奈鹿。

「あらあら。次に合う約束も無い方に名乗る軽い名前は持ち合わせておりません」

「……」

 相手の神経を逆撫でするのに十分な台詞が返ってくる。口と実力が伴う不良に多いタイプだ。

 人形のように整った精悍な顔。そこに鏤められたパーツの全てが計算されたかのように配置されてこの界隈で絶対に出会えないであろう美少女の風貌を溢れ出んばかりに湛えている。

――――気に入らねぇ……

 小癪。それでいて腕が立つ。先ほど、この金髪の少女をスッ転ばしてやったが、それは実は彼女が実力の違いを見せ付ける為に態と足を取られた演技をしたのではないかと疑い始めた。相手の出方に合わせて自分から飛び込んで見事に華麗に鮮やかに何事も無い顔で窮地をやり過ごす……配下の前で見せるパフォーマンスとしては十分過ぎる演出だ。

 心が、戦く。

 是非ともブチのめしたい。

 奈鹿の顔が引き攣るように震えて段々と翳りを帯びた笑顔に変わっていく。

 今度は全力で、行く。

 全力で叩きのめす。

 今度とは、今だ。

 奈鹿の全身のバネが蓄えられる。彼我の距離2m。全力の一撃で打ち倒せる距離。周りに取り巻きが居るが、目前の金髪女と比べれば雑魚同然だ。

 距離、角度、自身のスペック、一撃後の対処……全てが冷たい脳味噌の中で計算されていく。

 左軸足がジリッと重くなる。右脛の筋肉繊維が軋む。右手に握り拳を作れと脳味噌が命令する。

「んー。乱交の趣味が有ったなんて意外だなぁ。私も混ぜてよ」

 不意に背後で共衛の声。

「……いい暇潰しを見つけたな」

 多鴫の声も続く。

「あ、あの! み、皆さん、落ち着いてください! 今はそれどころじゃ有りません!」

 慌てふためく飛酉の声も後を追う。

「おや、お仲間の登場ですよ? どうします? 泣いて助けを乞う事をお勧めしますけど」

 言葉の端々が癪に触る言い方。嫌味臭く、言外に「喧嘩を買ってやるからかかって来い」と常に上から目線。精神的に敗北を知らないタイプ。否、実際に敗北を喫することの悔しさを知らない人間なのだろう。肝の据わり方が今まで殴り合ってきたゴロツキ連中とは明らかにレベルが違う。

 涼しい顔の彼女は鼻をフフンと鳴らし、腕を組んで胸を張る。奈鹿はその態度が心の底から気に喰わないので歯軋りをしながら顔を歪めて睨む。これでは傍から見れば完全に奈鹿の方が小物のようだ。

「おい……お前ら!」

 ずいと共衛と奈鹿が前に出る。

「御免ねー。ウチの大将を『取る』前に私達と遊んでよ。ね?」

 共衛はそう言うなり右半身の体勢に構えるなり半歩開いて右手の指先を相手に向けて左手の軽く握った拳を後ろ腰まで大きく引く。

「『構えないと技が出せないレベルだけど、偶には街中で敗北を知りたいわ』」

 共衛の顔から半分笑顔をが消える。口元が笑っていない。

「…………!」

 奈鹿は多鴫が何処からか拾ってきたビール瓶が『片手の握力だけで破砕されるのを見た』。

「……技は無い……力は有る」

 両陣営の間に張り詰めた空気が流れる。

 誰が、いつ、殴りに掛かってもおかしくない雰囲気。

 そんな時に彼女が……飛酉が、奈鹿の前に出て奈鹿に振り向く。

「まあまあ、そんな憤りを試合でぶつければ問題無いんじゃないですか? ここで問題を起こしたら生徒会も揉み消してくれませんよ……ね? ここでの蟠りは試合相手にぶつけましょうよ。悔しいと言う意味のハングリー精神も試合には必要ですよ? ね?」

 飛酉の声は笑っていた。だが、顔は笑っていない。奈鹿に殴り飛ばされる恐怖を押し殺しているのだ。

「……あーあ」

 飛酉の顔を見ているとゴム風船が萎むように悋気が収まっていく。こんな戦車バカのノッポの顔に絆されて毒気を抜かれるとはヤキが回ったものだと奈鹿は苦笑い。

「はいはいはい。解ったよ……なー、ねえちゃん。この場はこのノッポの顔を立てる意味で引き下がってやる。このノッポはウチの中じゃ、ちょいと一目置かれたヤツなんだ。この場は私らが唾を飲んでやるよ」

 完全に血圧が下がった奈鹿は踵を返して今から行こうとしている場所へ赴くべく歩みを進める。

「お前に名前を言わなくて正解だったよ。もう遭わないだろうしな。誰も何も噛み付いていないんだからこれで手打ちだ。じゃあな」

 奈鹿は飛酉が出てきた途端に戦闘体勢を解いた共衛と多鴫を連れて歩き出した。

「…………」

 その後姿を何と無しに見送っていた少女は、あれほど荒立てずに引き際を見て仲間の顔を立てて去る傑物なら名前くらい名乗るべきだったと後悔し、名前くらい聞いておくべきだったと惜しい想いをした。

 

 

 

 

「…………」

「…………」

 険悪再び。

 両陣営が退治。午後3時。【タンカスロン】試合会場。試合会場の空気に慣れ親しむ間も無く……この祭り騒ぎに近い歓声の渦の中、両者は数時間ぶりに邂逅した。

「今度はブッ殺す」

「泥の味をご存知?」

 試合相手を選ぶ形式は籤引き。今回は数箇所で数試合が行われる。少数の車輌で参加するチームだけを集めた前座だった。その対戦相手が、数時間前に路上であわや殴り合いか、と衝突した連中同士だったのだから抜いた刀が収まるはずが無い。

 狭い山岳地帯。冬にはスキー場にもなるらしい。今は岩肌が剥き出しの部分が幾つか見える。なだらかとは言い難いロケーション。山間部にぽっかり空いた知る人ぞ知るスキーの穴場と言ったところだろう。その麓で苦い顔をしながら睨み合う奈鹿と……金髪の少女。

「あ……まさか……」

 飛酉の顔色がみるみる青褪める。奈鹿が今にも喧嘩を始めるような空気を作っているのもそうだが、それ以上に、対戦相手の戦車の砲塔に描かれた学園のマークが選りにも選って……。

「レボー学園……」

 思わず、口から出る。

「先ほどの続きと行きましょうか……」

 あの金髪の少女が奈鹿と同質の笑顔で話しかける。奈鹿も金髪の少女と同じ類の笑顔で返す。

「今度は……今度こそブッ殺す」

 九二式重装甲車の前で立つ4人。R35とAMR35の前で立つ4人。この試合はフラッグ戦だ。九二式重装甲車を1輌しか投入できない畿内麻生高校戦車道部。それに対してレボー学園は2輌。フラッグ車はAMR35。1輌で2輌を相手にしなければならない。だが、望む所。ここでこの鼻っ柱の高い金髪女を仕留めれば全ての溜飲が下がる。腹に据えかねていた遣り場の無い怒りが本来の怒りの矛先に向けて突き刺す事が出来るので願ったり叶ったりだ。

 奈鹿と少女は自己紹介もせずに互いの戦車を一瞥してフンッと鼻を鳴らすと自分達の仲間と車輌の元へ踵を返す。

「奈鹿さん! 奈鹿さん! 相手はレボー学園『有志』戦車道部ですよ!」

「あ? なんだそれ?」

「知らないんですか! 【タンカスロン】に限って連戦連勝を続けている強豪です!」

 小首を傾げる奈鹿。

「ん? 【タンカスロン】に限って? どう言う事だ?」

 飛酉は複雑な表情で言う。

「公式戦車道のルールでは豆戦車や軽戦車しか保有していないのでいつも苦戦を強いられていますが、基本的に何でも有りの【タンカスロン】では負け知らずです。奇を衒った策を弄すると言うタイプでは有りませんが、恐ろしい連携の高さで撹乱させた後に確実に各個撃破するのが特徴です……今回は2輌しか投入していないようなので、チームを幾つかに分けてこの試合会場のいずれかの試合に分散させて参加させているのでしょう」

「…………相手にとって不足無し。そうでなくては困る。今回は腕試しだ。機関砲の標的にしてやるさ。なあ、共衛」

「ういーす」

「多鴫、好きなだけ走り回れ!」

「…………」

 多鴫は相槌を打つ代わりに、右手に持ったスキットルを軽く掲げた。

「飛酉。試合中のサポートを頼む」

「了解しました!」

 まさか戦車道部復活の初陣を飾る相手が路上の喧嘩相手とは……世の中は面白く廻っている。復活以来、この2ヶ月で鍛えた腕前を披露するには持って来いの相手だ。自分達のレベルを知る為の初陣だからとどこか心が緩んでいた部分が有ったが、あのクソ生意気な金髪の顔を見るとそんな弛みは吹き飛んで殺意が湧く。敵愾心ではない。殺意だ。だが試合だ。戦争でも戦闘でもない。試合だ。それでも認識としては喧嘩の延長線上だった。そうとしか思えないドス黒い感情が腹の底でマーブル模様を描く。

 今回の試合に参加できた事、初めての対戦相手が連中だった事をあらゆる神様に感謝だ。

 両陣営は東西へ向いて戦車を走らせる。畿内麻生高校戦車道部は東へ。レボー学園は西へ。1時間後に試合開始だ。戦車は走っているだけで壊れていくデリケートな乗り物だと飛酉に聞かされた。その飛酉はギャラリーに混じって敵陣営の偵察や地形のナビを任せている。観客も自己責任で試合会場に侵入しても問題は無いのが融通が利く。此方がスパイもどきを放っていると言う事は連中も同じ事をしているに違いない。連中の強みは恐ろしい連携だと飛酉は言っていた。恐らく、ギャラリーに多数のスパイを紛れ込ませて事細かに敵の動向を報告して先読みさせているのだろう。

 だが、それでも、問題は無い。飛酉の諜報能力の高さに期待すると同時に自分達の練度と連携が確かめられる。それも殺す心算の本気の勝負で。

 折角の初陣だというのに清々しく爽やかな若者らしい新鮮な感動を味わう事が無かった。実戦に臨む九二式重装甲車の震動やエンジン音、車内の『空気』、車長席から見える風景……そんな物は殆ど記憶に無い。早く金髪のクソアマの鼻を明かしてやりたかった。

「奈鹿。少し爪先の力、抜いてー」

「あ、すまん」

 共衛の肩に早くも指示の為の爪先を乗せていたがそれに余計な力が入っていた。共衛に命令を下すと言うことは13mm機関砲が吼えると言うことだ。即ち、敵を葬る。共衛への命令が肝だと無意識に力んでいたらしい。

「……ハンドルを握る時は……肩の力を抜くんだ。握力に無意識に神経を注いでいると爪先がアクセルとクラッチを巧く操作できない。曲がれるカーブでもガードレールにぶつかるんだ……」

 多鴫が昔話を思い出すようにボソボソと喋る。彼女なりにリラックスを奈鹿に促しているのだろう。

 やがて始まる試合。試合開始を報せる信号弾が上がる。

「戦車、前進」

 奈鹿の静かな声と共に九二式重装甲車の履帯が軽いノックの後に進み出す。

――――連中の足はばらつきが大きい

――――AMR35とR35では機動力も走破性も違う

――――連中の隊列を乱す事を念頭に置いて先制を仕掛けるか……

 奈鹿は頭の中で作戦を練る。1輌でできる作戦はタカが知れている。精々、場を撹乱させて足並みが乱れたところで畳み掛けるくらいしか作戦は無い。問題はいつ、その撹乱を仕掛けるかだ。

 あの金髪女が乗り込んだのはAMR35だと確認している。最大時速60kmの速足のZT1型だ。武装も此方と同じホチキス13.2mm重機関銃。このホチキスをベースに九二式重装甲車に搭載されている機関砲は設計されている。性能も似たような物だ。最大装甲は13mm。13.2mm重機関銃が旋回砲塔に乗っかっていると言うのは大きな脅威だ。此方は車体前面にしか弾幕を張れない。

 AMR35と並んでいたR35はAMR35の先輩にあたる軽戦車だが、対戦車兵装は搭載していない。短砲身ながら37mm砲を搭載しているが寧ろ、弾幕が張れる同軸機銃の方が脅威だ。37mm砲は約1000mで15mmの貫通能力しか持っていない。当たれば脅威だが、軽戦車や豆戦車の旋回砲塔に搭載された37mmクラスの弱点は洗い済みだ……再装填に時間が掛かる。AMR35もR35も車長兼砲手兼装填手はハンモックのように掛け渡されたベルト状の椅子に腰を下ろしているだけなので車内では非常に不安定だ。

 何より、R35の機動力が最大時速21kmという鈍足だ。AMR35と切り離せば付け入る隙も見える。

 クリップボードの地図を見ながら会敵予想地点を幾つか脳内に投影させる。

「車長殿、作戦は?」

 共衛が退屈そうに訊く。

「撹乱。連中の車輌を分断させて足の遅いR35から仕留める……会敵するまでは何かしらの隊列を組んで移動するだろうな。フラッグ戦だ……あのAMR35を先に仕留めれば問題無い」

「車体の前に相手を引き摺りだしてくれたら仕事をするよー」

「ああ。期待している……聞いたな? 『酔っ払い』。足の遅いヤツから喰っていく。この辺りは飛び出た岩のお陰で遮蔽が多い。ぶつかるなよ」

「…………ああ」

 試合開始20分。

「…………」

――――妙だ

――――遭遇するはずのポイントを廻ったが……

――――影も形も見えない

――――こんな狭い会場で擦れ違う訳が無い

 車長ハッチから身を乗り出して双眼鏡で全周を隈なく索敵する。挟撃するにしても連中の機動力は速度が揃っていない。必ずAMR35と真っ先に会敵してドンパチをしている最中に背後からR35が止めを刺しに来ると思っていただけに妙な胸騒ぎがする。

 木立などの遮蔽を利用して此方の背後を取る心算だろうか。確かに九二式重装甲車の13mm機関砲は車体前方しか攻撃できない。だからと言って連中の動きは慎重すぎる。たった1輌を撹乱させて弄ぶ雰囲気でもない。たった1発で仕留める心算なのか?

「…………」

 レボー学園の陣営がスタートした辺りまで近付く。気持ち程度に張られた黄色と黒のストライプのテープが見える。それが一応のギャラリーの観戦場所だ。

「奈鹿……」

 共衛が少し緊張気味な声で車長を呼ぶ。

「飛酉ちゃんに連絡して連中の位置を聞いた方が……」

「私もそう思った。けどな……『それが奴らの狙い』なんじゃないかとも思ってる」

「え? どういう意味?」

「スパイの報告を利用する……」

 多鴫が口を挟む。

「ああ。そうだな。何処かにデコイを置いて其処に私達を誘き寄せて一気に止めを指すのだろうな……1輌失っても最終的に勝てばいいのなら、私ならそうする。特に相手が1輌しか居ないカモだと踏んでいるのなら、な……」

 奈鹿は苦い声で言う。

「多鴫、正面のギャラリーの中を突っ切れ。この人込みの向こうを迂回して山頂付近まで移動して下る。そのコースは作戦には無いが、未だ索敵していないコースでもある」

「…………」

 多鴫は迷わず操縦桿を操り、アクセルを踏み込む。真正面に十重二十重に横隊を成すギャラリーに向かって突入する。多数の罵声が九二式重装甲車に浴びせられる。蜘蛛の子を散らすように逃げ惑うギャラリー。今にも20人ばかり轢きそうだ。そんな光景を無視してギャラリーの群れを突き破り、9時方向に向きを変えて山頂へと向かう。木立や潅木を傷つけたり押し潰したりと無茶な走破を試みる。なんだか飛酉の悲鳴が聞こえてきそうだ。

 山頂へ向かう。ギャラリーが居並ぶ道を走りながら。罵声しか聞こえない。途中、歩道に乗って走る。この道はまともに舗装された道路なので速度も安定する。

「!」

 奈鹿は抱いていた違和感の正体が解った。

――――履帯の跡が無い!

 試合会場であるはずの山岳地帯で草原や砂利が混じる様に広がる箇所を幾つか索敵してきたが連中の履帯を見かけなかった。

――――アイツら……

――――最初からこの道を通りやがったな!

「多鴫、もう少し速度を上げろ。共衛、遭遇戦が予想される。砲弾装填」

「りょーかい」

「…………おう」

 九二式重装甲車の速度が上がる。共衛が13mm機関砲の肩当を軽く肩に乗せる。奈鹿は車長ハッチから身を乗り出したまま双眼鏡で山の斜面を追う。

――――私なら……

――――私なら、裏を掻かせて『裏を掻く』!

――――そうしないと気持ち良く勝てない!

――――相手を小馬鹿にした勝ち方が出来ない!

――――アイツら……まだ何か隠しているはずだ

 山頂付近に近付くと低速で道路から外れて一時停車。

「……何か見えるかい?」

 共衛が訊ねる。

「履帯だ……」

「履帯……ああ、そう言えばアイツらの履帯って見なかったね。で、私達は後ろを取ったの?」

「普通なら後ろだろう。履帯の跡を追う限りではな」

「………………履帯の数は?」

 多鴫が口を挟む。

「いい質問だ。アイツらは団子状態だ。横隊で進軍。履帯の跡から見ると、速度は低速。2輌分の履帯跡しか見えない……が」

「………………それは『餌』だ」

「そうだ。『餌』だ。作戦が小癪で人を馬鹿にしているのが目に見える。解り易い挑発だ。いかにも今から2輌纏めてアンタの相手をしますよ、と言っているような見せ方だ」

 奈鹿は眉根に皺を寄せて小癪な作戦を展開する連中の動向を読もうと思考を巡らせる。

――――このまま履帯跡を辿れば連中の背後を取れる

――――だけど、それが連中の狙いだ

――――さっきの道路を使わせてここに私達を誘き出すまでは連中の思い通りか……

 クリップボードの地図を捲りながら要点にマーカーで印を書き込む。時折、定規を当てて、計算機で距離や速度を算出する。

「ふん……連中はこの斜面を私達が一気に駆け下りてくるのを待っているな」

「私もそう思う。さっきの道路を引き返す?」

「いや、今度はギャラリーの波の行方で此方の出方が知られてしまう」

「………………『餌』に食いつかない獲物を喰う為に狙撃手が潜んでいる可能性も」

 多鴫がぼそぼそと所見を述べる。

「それも考えている。で、どっちを向いてもブラフや『餌』だらけにみえる。これこそが連中の罠じゃないかと思っているんだ」

「ああ、そういう考え方も有ったかー」

 奈鹿は裏を掻く為の情報が多い事に疑問を持っていた。それを一気に解決する名案が浮かばない。停車したままでも試合にならない。ネガティブファイトで理不尽な負け判定を下されるかもしれない。

「…………だが…………それでは連中の……」

「ふむ。そう思うか、多鴫。そうだ。自爆して吶喊して無様に負かすのが連中の目的だろう。こんなに屈辱的な負け方はないからな」

 少し考え込んで多鴫に命令を出す。

「低速前進。斜面を降りる。罠に飛び込んでやる。連中は履帯を見付けて一気に駆け下りる私達を想像しているはずだ。少しタイムテーブルを狂わせてやろう」

 多鴫は黙って九二式重装甲車を前進させる。スキー場にも使われる斜面だ。砂利を踏む時は注意を払わねば履帯を取られて思わぬ滑り方で車体が傾きかねない。

 レボー学園の履帯跡を辿る。履帯跡を双眼鏡で追うとその先は2輌分の履帯が重なって2時方向へ折れていく。自分達の裏を掻いた……絶妙なタイミングで擦れ違った事を報せていた。勿論、計算された擦れ違いだ。あの2時へと曲がる辺りに妙な余裕を感じる。履帯跡が速度を速めた痕跡を残していない。ジリジリと九二式重装甲車がこのルートを追跡するのも読まれているかのようだ。

「……嫌な胸騒ぎがする。あの2時へ折れる辺りが……」

 奈鹿は独りごちる。双眼鏡を走らせて左右を広く警戒。

――――あの場所で2時方向?

――――何か仕込んでるな……

――――! まさか!

 双眼鏡を10時方向へ振るなり、多鴫の肩を爪先で突付いて指示を出し、更に体を車長席に収めて身を屈めて砲主席の共衛の肩を引っ掴んで叫ぶ。

「10時回頭! 停止! ってー!」

 多鴫は履帯を砂利に取られる危険性を無視して車体の向きを10時方向に向けて、共衛は車体のブレが一瞬だけ慣性で大きく引っ張られる瞬間に引き金を引いた。目標は……10時方向の険しい木立だ。

 初めて実戦で13mm機関砲が砲撃を始める。1発1発の間隔を指切りで制御できそうな遅いサイクルレート。その発射間隔が実にもどかしい。蔀窓の銃眼から見える曳光弾が実に遅くてBB弾のように心許無い。本当にこんなもので遮蔽を、装甲を、戦車を撃ち抜けるのか? ……それほどに奈鹿のアドレナリンは沸騰していた。

 歯軋りしたくなる。木立への咄嗟的な砲撃。無闇矢鱈とも思える、根拠の無い砲撃。自分の勘だけに恃んだ無為とも思える砲撃。

「…………ビンゴ」

 多鴫が呟く。木立の間のやや背の高い潅木に吸い込まれた機関砲弾は明らかに立ち木ではない音響を挙げた後、ボフッと吹き上がるような爆発音を立ててオレンジ色の炎を巻き上げる。濃厚な灰色の煙も空に舞う。

「やったか!」

 木立の間から2人のレボー学園の連中が降りて、消火器で火を消し止めている。延焼を防ぐ為に偽装していた迷彩シートを剥がす。白旗が揚がった戦車が全貌を現す。

「あんな物を持っていやがったか!」

 木立に潜ませていた伏兵。AMR35ZT3。AMR35のバリエーションの1つで25mm対戦車砲を車体右側前方に埋め込んだ背の低い戦車だ。25mmと謂えど対戦車砲。若しも2時方向に折れた履帯を追いかけていれば背中からその25mm対戦車砲で撃たれていた。これが隠し玉だった。道理で連中は何の砲撃も加えず、アグレッシブな行動にも出なかった。下手に九二式重装甲車を刺激して作戦のルート外に飛び出られてしまうとここに潜ませたAMR35ZT3の役目が全く無くなってしまう。その低い車高や小さな体躯からして待ち伏せでの運用が理想的だったのだろう。そしてその主砲は九二式重装甲車を屠るには十分だ。

「は、はは……」

 思わず、小さな笑いが零れる。初撃破。アドレナリンが沸いた絶頂の中での撃破だ。感情の起伏が激しくなっても仕方が無い。

「よっしゃー!」

 共衛もガッツポーズ。共衛が居なければ誰も引き金を引けないのだ。撃破したのは共衛のお陰。そしてその方向へ的確に車体を向けて震動によるブレを最小限に抑えたのは多鴫のお陰だ。

 共衛は握り拳を突き出してその先端を奈鹿と多鴫とぶつける。こうして畿内麻生高校戦車道部は『童貞』を捨てた。

 1輌の犠牲も出さずにスマートにスムーズに勝って高笑いしたがっていたアイツの悔しそうな顔が脳裏に浮かぶ。

「よし! 次だ次!」

「ういっす」

「……了解」

 一気に翳りが消える車内。緊張が解れる。初撃破に浮かれている場合ではないのは解っている。あの金髪女を叩きのめさないと本当の勝利ではないのは無いのは重々に承知だ。それでも顔は自然と綻んでしまう。

 思い返せば何故、あの時、10時方向にいきなりのアバウトな砲撃命令を出したのか思い出せない奈鹿だった。

 定めるべき目標も無いのに。自分主観の方向だったのに。よく共衛と多鴫はこの時の奈鹿の脳内を感じ取れたものだ。この初撃破のタイミングは後年になっても理解不能で再現不能だった。

「連中の本隊にはZT3の撃破が知れ渡っている。これで大番狂わせの出来上がりだ。今度はこっちがアイツらの鼻を明かしてやろう。ずっとずっと記憶に残るような、どうしようもない敗北を味わあせてやろう」

 奈鹿の顔が凄惨に歪んだ笑顔を作る。共衛は弾倉を交換しながらその容貌の変化を見ていた。その顔に軽い寒気を覚えた。

「多鴫、急回頭。3時方向に折れろ。連中が胡坐を掻いている付近が予想できるポイントがその先に幾つか有る。このまま前進して2時方向に折れてもZT3を撃破したので其処にアイツらが居座る理由は無い。連中の頭を押さえる。この斜面の取り合いになると思われる。共衛、機関砲の射角にアイツらを捉えたら任意で砲撃。砲撃する時は恐らく連中より高所を押さえている時だ。連中より下方で私達が居た場合は後退。迂回して更に高所を目指す……頼むぞ。お前ら」

「作戦通りだといいんですけどねー」

「…………半か丁かしか出ない勝負は嫌いじゃない」

 レボー学園本隊の姿は未だ見えない。当初の予定通りの撹乱作戦は使えそうに無い。レボー学園の伏兵を真っ先に倒してしまったので全ての計画が狂っている。此方も狂っている。予期せぬ、良い方向に計算違いが生じている。長丁場に発展する可能性が低い。今度邂逅すれば確実に1輌撃破できる自身が有った。その場での乱戦になれば……格闘戦に持ち込める距離まで接敵できれば敗北か勝利か、直ぐに結果が出る可能性も高い。此方が撃破されるのなら、既に連中に動きが有る。隠し玉だけで此方が倒せるとタカを括っていた驕りが裏目に出たようだ。

 九二式重装甲車は斜面を駆け上がる。奈鹿はハッチから頭を出して双眼鏡で9時方向を重点的に警戒する。自分の左手側に大きなジャンプ台のような突出した剥き出しの岩が見える。その岩場の下方の陰に迷彩シートで覆われた車体を発見する。

「!」

「……奈鹿」

 多鴫が奈鹿を呼ぶ。

「解ってる。解ってるさ……アレはブラフだ。元から用意してやがったな」

 双眼鏡を覗きこんで奈鹿はニヤリと嗤う。車体を被せた迷彩シート。よく出来ている。デコイだ。車体本体の金属の肌は全く露出していない。

 潅木や岩を中心にしてそれらしく……立方体っぽく見せかけるだけの囮だ。あの囮を撃たせる気で居たのだろう。飽く迄、此方に先に撃たせて位置を特定してから仕留める心算らしい。

「だが、あの場所は……」

 双眼鏡で対になる位置に向けて双眼鏡を振る。

「居た。10時400。2輌確認できる……多鴫、後退、後に180度回頭。全速で奴らのケツに回り込む。このまま前進していては拙い」

「え、でもアイツらの頭を取るのが目的じゃ……」

 共衛が首を傾げる。

「連中がデコイを作らなければな。デコイを作ったとなると其処を見渡せる遮蔽が多い場所に陣取るのが心理だ」

「先住民族の狩猟みたいだね」

 多鴫は黙って九二式重装甲車を後退させる。そして奈鹿の合図で回頭し、前進。そのまま大きく斜面の下方に下がり、レボー学園の戦車が潜んでいる木立の背後から近付く。距離350m。奈鹿は双眼鏡で覗き込みながら多鴫に停止させて、共衛に声を掛けた。

「射角にフラッグ車は捉えたか?」

「いや……R35だけだね。木が邪魔で機関砲を左右に振っても木が邪魔して打撃不足で白旗は取れない。R35なら、今なら仕留められる」

 言いつつ、共衛は照準器を覗き込みながら仰角を微調整する。

「共衛、R35を喰え。多鴫、共衛が仕留めたら吶喊だ。体当たりする心算で横っ腹に突っ込め……共衛、照準急げ」

「りょーかい」

 共衛は言うなり引き金を引いた。13mm機関砲弾は数発の指きり連射を繰り返して砲撃する。曳光弾がR35のエンジンルーム付近の表面で弾ける。いかにも装甲で弾かれて防がれている印象だが、脆い曳光弾が弾けているだけだ。本命の徹甲弾は的確に車体後部を貫通し黒っぽい灰色の煙を上げる。機関砲の薬室が空を告げる。空かさず再装填。

「再装填完了!」

 共衛が叫ぶと同時にR35の砲塔から白旗が揚がる。その右隣で停止していたAMR35のエンジンが唸り遁走を試みるべく走り出す。

 R35を撃破した時には既に九二式重装甲車は走り出しており、距離を縮めていた。速度に差が有っても、相手の足回りが優秀でも機関砲の弾頭より早く逃げる事は出来ない。車体の前方にAMR35を捕らえれば必ず共衛が仕留めてくれる。必ず多鴫がベストポジションに九二式重装甲車を導いてくれる。

 尻が矢鱈と痛いと思ったら岩肌を走っていた。

「駄目だ! 照準が定まらない!」

「多鴫、追いつけるか?」

「…………ちょっと無理するぞ」

「無理?」

「後で飛酉に怒られれるかもしれん…………」

「勝てるか?」

 その台詞は共衛と多鴫に放たれた言葉だった。

「勝てる」

 即座に二人は口を揃えた。

「…………奈鹿、今から軽くドリフトする。しっかり掴まれ」

「何?」

 多鴫が唐突に言うと全速で走り出し、態と砂利を履帯で踏みしめて片方の履帯に急停止をかける。慣性で車体が大きく予想以上のスピードで前進……否、前方へ滑り、大きく孤を描くように車体の向きが180度反転する。

 前方のAMR35のハッチから上半身を乗り出していたあの憎たらしい金髪女が慌てて車中に身を潜ませるのが見えた。その顔だ。その顔がもっと見たい!

 AMR35の車体の後方から大きく側面へ回り込み、今こそ必殺の距離で13mm機関砲弾を砲撃できると言うタイミングでAMR35は後退した。更にそれを追って車体の側面同士をぶつけながら走行する両車。九二式重装甲車は前進してAMR35は後退している。擦り付けあう装甲から火花が散る。

 明らかに九二式重装甲車が不利。何しろ、決定打の13mm機関砲が全く明後日の方向を向いている。

「!」

 AMR35の旋回砲塔が此方を向く。

「!」

 肝を冷やされる。13.2mm重機関銃の銃身が此方に近付く。

 ……だが、コンと言う間抜けな金属音が響く。銃身が九二式重装甲車の旋回砲塔に当たってしまいそれ以上旋回できないのだ。更に13.2mm重機関銃はそれよりも俯角を取る事が出来ずに九二式重装甲車の車体に弾頭を叩き込む事もできない。

 弾かれたような反応で奈鹿は旋回砲塔を回転させて6.5mm軽機関銃をAMR35の旋回砲塔に向けて発砲する。殆ど接射の距離だ。45発弾倉を次から次に差し換えて砲塔の前面より僅かに右にずれた位置を銃弾で叩き続ける。

「多鴫! このまま維持!」

「…………履帯も装甲もやばい…………向こうの方が上だ」

 車内をコーティングする特殊カーボンが嫌な音を立てる。

 打ち殻入れが空薬莢で溢れそうになる。

――――チッ……銃身がもたねぇ!

 軽機関銃のグリップにまで薬室の熱が伝わってくる。引き金に掛けた指先は火傷しそうに熱い。

「好い加減にしやがれ!」

 軽機関銃のボルトが軽い音を立てる。弾倉は空だ。早く次の弾倉を……。

「奈鹿!」

 多鴫が叫ぶ。

「!」

 砲塔に蜂の巣のような弾痕を拵えたAMR35が九二式重装甲車から離れ、13.2mm重機関銃を定めようと銃口を向ける。

 全てが此処で終わった。

 息を呑んだ。誰しもそうだった。

 数秒もの時間が流れた。AMR35の、6.5mm機銃弾の嵐による接射の弾痕は貫通を判定し、白旗が揚がった。敵フラッグ車から白旗を掲げるのを確認した。

 同時に九二式重装甲車の履帯の一箇所が弾けて左側にガクッと小さく傾く。車体を擦り合わせている最中に履帯も擦り合わせていたらしくダメージも想像以上だったのだ。

 試合終了。

 畿内麻生高校の勝利。

 こうして初陣を華やかな勝利で飾る事が出来た。車内は水を打ったように静かだった。誰も口を開かなかった。多鴫もスキットルを呷るのを忘れているようだった。

 呆然とした顔のまま九二式重装甲車から降り立つ。自分達の学校の制服が鉄と油の臭いが染み込んでいるのも気付かなかった。そんな紙一重の勝利に対してどんな顔をしていいのか解らない奈鹿。共衛は九二式重装甲車に凭れ掛かり、空を仰いで掌で顔を隠す。口元は大笑いを堪えているようだ。多鴫は震える指先で無表情のままスキットルを大きく呷って地面にペタンと胡坐で座り込む。

 僅差の勝利が信じられない、呆けた奈鹿を目覚めさせたのは、20数m向こうのAMR35から飛び降りて、此方に走ってくるあの金髪の少女だった。その少女が形振り構わず握り拳を振り翳して奈鹿の顔面を殴り飛ばした。奈鹿は首の骨が折れんばかりに吹っ飛ばされる。

「中々やるじゃない! 何処の誰か名前くらい訊いてあげるわ!」

 忌々しそうな顔半分笑顔半分の金髪の少女は倒れた奈鹿の首根を掴んで怒鳴った。

「……」

 奈鹿は自分に起きた全ての事柄を理解して大声で怒鳴り返した。

「畿内麻生高校戦車道部隊長の谷川奈鹿だコノヤロー! 覚えておけ!」

 金髪の少女は奈鹿を大きく胸に抱いてくしゃくしゃの笑顔でこう言った。

「覚えたわよ! 今度は絶対に勝つわ!」

「来やがれ……いつでも来きやがれ……」

 奈鹿はその少女を優しく抱いて互いの健闘を称えた。

「奈鹿……覚えておきなさい。私の名前は――――」

 奈鹿の体からレボー学園の制服を着た彼女は離れて消えぬ闘志の眼で名前を告げた。

 

 

 その光景をデジタル媒体に収めていた飛酉の顔も大きく大きく、綻んでいた。

 

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