魔法少女リリカルなのは―流水の魔導師―   作:竜華零

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六課時代にまで逆行しています、ご注意ください。
では、どうぞ。


P.S.5:「バレンタイン・デイ」

 

 その日、ヴィータは珍しく朝早くに目が覚めた。

 自室のベッドの上、ダボダボのシャツの寝巻き姿で大きな欠伸をして目尻に涙を浮かべる。

 そしてグシグシと目を擦って時計を見て、出勤までまだかなりの時間があることに気付く。

 

 

(……そういや、昨日は珍しく早かったんだっけ……)

 

 

 早く寝た分、いつもより早い時間に起きたらしいと結論付ける。

 そっ……と細い足をベッドの外に出し、半分飛び出すように床に下りる。

 スプリングが軋む音を背景に、廊下へと出た。

 そこに広がっているのは、朝の冷たい空気に覆われるミッドチルダの八神家だ。

 

 

 どことなく海鳴市で暮らしていた頃の風情を感じさせるその家が、ヴィータは気に入っていた。

 やや古いが、家族全員で過ごせる広さ。

 シャマルが見つけたのだが、なかなかに良い物件だった。

 珍しく、貯金以外に使い道の無かったお金を使うことも出来たし。

 ……10年も最前線で働いていれば、危険手当だけでも相当なものである。

 

 

「ん……?」

 

 

 階段の下についた時、ヴィータは寝癖で跳ねた髪を気にしつつも鼻先をヒクヒクと動かした。

 何だか、甘い匂いがする。

 甘ったるくすらあるその匂いの元を追っていけば、そこはキッチンだ。

 扉の隙間から、そっと中を覗いて見る。

 

 

(……はやて……?)

 

 

 キッチンのテーブルの上には、茶色に汚れたまな板やベラ、かき混ぜ機のような物が見える。

 その他、紙袋やココアパウダーの瓶などが見える……しかし視覚的な情報よりも、やはり甘い特有の香りが鼻につく、それがヴィータに嫌でもその情報を与えてくるのだ。

 

 

 そして、こちらに背中を向けているはやての後ろ姿だ。

 ヒヨコさんの描かれている、昔から使っているエプロンの紐が見える背中。

 手元で何やらゴソゴソしているらしいが、直接的には見えない。

 

 

「…………」

 

 

 そっと目を閉じて、音を立てずにヴィータは扉を閉めた。

 それから、何かを思うように溜息を吐いた。

 これが、今日という日の始まり。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 その日、いろいろな話し合いのために機動六課隊舎を訪問したイオスは、いつもと違う隊舎の様子……というか、「匂い」に眉を曲げた。

 何と言うか、空気が妙に甘ったるい。

 しかも、これはイオスにも覚えのある香りのような気がした。

 

 

「何だぁ……?」

 

 

 首を傾げつつ周囲を見渡せば、職員間で小さな箱やら紙袋やらを渡し合っている光景がそこかしこに見える。

 女性職員が多いため、自然と女性の間での交換が多いような気もする。

 きゃっきゃっうふふと、他の部隊ではあり得ないような緩い光景が広がっていた。

 

 

 まぁ、もうすぐ解散で『レリック』関連の事件も急減していると言うこともあるのだろう。

 実際、出動の機会はめっきり減り――事件を引き起こしていたジェイル・スカリエッティと戦闘機人の捕縛が原因だ――極端な話、管理局予算の食い潰しというか、予備兵力と言うか、そう言う扱いになっている部署だ。

 

 

「ま、最初から1年想定の実験部隊扱いだからな……っと」

 

 

 ラウンジに出た時、イオスはそこで知り合いを見つけた。

 金糸の髪と栗色の髪の女性、まぁ要するになのはとフェイトである。

 知り合いを見つけたので、顔に笑みを浮かべてイオスは手を上げた。

 後は声をかけるだけである、ところがイオスが声をかける直前に。

 

 

 なのはがフェイトに、桜色の小さな包みを渡していた。

 

 

 ちょっぴり頬など染めて恥ずかしそうに、リボンを結んだ可愛らしいそれを渡していた。

 この時点で、イオスは固まってしまった。

 こう、フリーズした端末のように固まってしまった。

 

 

(……い、いやいや、他の奴と同じだろ。大した問題じゃない)

 

 

 そう思い直して、再び声をかけようとするイオス。

 すると今度は、フェイトがなのはに黒い小さな長方形の箱を手渡した。

 こちらも少しばかり恥ずかしそうに頬を染めて、緑のリボンで彩られたそれを大切そうに渡す。

 そしてなのはは、それを受け取って大事そうに胸に抱くのである。

 

 

 極めつけは、くすっ、とお互いに笑ったかと思えば――――抱き合った。

 こう、なのはがフェイトの胸に顔を埋める形で。

 しかもフェイトは抱き返すばかりでなく、包みを持っていない方の手でなのはの髪を梳いていたりするのである。

 美しい光景ではある、実に、しかし、しかしである。

 

 

「……………………お、おぅ?」

 

 

 その場に固まったまま、イオスはダラダラと汗をかいていた。

 心なし身体が震えているのは、何と言うか、考えたくない可能性にちて考えていると言うか。

 ……ど、どうすれば良いのだろうか、彼は。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 2月14日、いわゆるバレンタイン・デイである。

 ミッドチルダではあまり知られていないイベントだが、機動六課のトップスリーは第97管理外世界出身者である、そうしたレクリエーションを考え付いても不思議は無かった。

 まぁ、今日六課の各所でチョコレートの交換が行われているのはそのためである。

 

 

「いや……なんつーか、なんつーかさぁ」

 

 

 部隊長室のソファに座り、備え付けのテーブルに両肘を置いて、組んだ両手に鼻を押し当てるような体勢で、イオスは汗をダラダラかきながら真っ直ぐに前を見つめていた。

 その様子は、何と言うか、世界で定説とされている学説を今から行う己のポスタープレゼンでひっくり返そうとしている、若い学者のようにも見えた。

 

 

「いや、前々からちょっとどうかとは思ってたんだよ、具体的にはフェイトが中学に上がった頃から。でもほら、女子ならあれくらいは普通なのかなって、思っちゃってさぁ……一緒のベッドで寝たりとか、2人で出かけたりとか、まぁいろいろ」

「そうなんですかぁ」

「でも、流石に20歳になろうって女がそのままって、どうなんだ? 女ならあれくらい普通なのか? 良くわからん、いや普通なら良いんだけど……う~~ん……」

「なるほど、大変ですねぇ」

 

 

 ぷっ、と、自分のデスクに座るはやては噴き出してしまった。

 物凄く深刻そうな表情で話すイオスの前で、リインがニコニコ笑顔で適当な相槌を打っている。

 それが面白くて、笑ってしまったのであった。

 

 

 彼女自身、小学校の後半、中学、高校となのはやフェイトと学校を同じくしてきた中で「そんな」光景をいくらでも見てきた女性である。

 正直ガチかと思うこともあったが、あの2人はお互いに天然なのであれがデフォルトだと思っている。

 まぁ、ヴィヴィオの存在が鎹になっている可能性もあるが。

 

 

「いや、高町さんは良く知らないが、実際フェイトにそんな浮いた話は皆無なわけで。いやあっても俺とクロノで潰して、そしてそんな俺達をエイミィが潰したりしてたんだが……」

 

 

 そんなことをしていたのかと、はやては頬杖をつきながらそんなことを思う。

 それにしても、イオスは相当に真剣な様子である、そんなにアレな光景だったのだろうか。

 だったのだろうなぁ、などとはやてが呑気に考えていると。

 

 

「イオスさんっ、リインからのバレンタインチョコですぅ!」

「へ? お、おお……ありがとうな」

 

 

 突然の大声にびっくりした顔になるイオスだが、それでもリインが小さな身体で頭の上に持ち上げていた板チョコらしき包みを見ると笑顔を浮かべた。

 実はイオス、結構バレンタインのイベントでは恵まれている方だ。

 特に海鳴にいたころは、母チョコ(リンディ)、義姉チョコ(エイミィ)、義妹チョコ(フェイト)に加えて、なのはやその周辺からもチョコレートを贈られている。

 

 

 まぁ、クロノも同時に受け取っているわけだが。

 そしてクロノと違って本命チョコが無い(少なくとも、イオス本人はそう思っている)のはある意味では哀しいのかもしれないが、それでもバレンタイン的には、男性の中でも上位に入る存在だろう。

 つまり、毎年のことであるわけだが……緊張が、無いでもない。

 

 

(リインが渡した直後って言うのが、チャンスではあるんやけど……)

 

 

 今年は、ちょっとばかり違う。

 そのためだろうか、机の下に隠したそれを持っている手が、やや汗ばんできている。

 机の上では笑顔だが、その裏では大変なことになっていた。

 

 

(……何か、ちょっと恥ずかしい……かな)

 

 

 しかし、そう言っていても始まらない。

 だからはやては顔を上げて、リインにじゃれつかれているイオスの方を見た。

 そして、声をかけようとして息を吸ったその瞬間。

 

 

「はやて、ごめん。ちょっと話があるんだけど……」

 

 

 部隊長室の扉が開いて、ヴィータがやってきた。

 そのせいでも無いだろうが、自分がいては話にくいとでも思ったのだろう、リインを伴ってイオスが席を立った。

 いても良かったと思うのだが、部隊の中の話だと思われては引き止めることも出来ず。

 内心で、はやてはガクリと項垂れたのだった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 扉を閉めて通路に出た所で、ヴィータは扉の横で腕を組んで立っているシグナムに出くわした。

 それに気付いたヴィータは、心無しバツの悪そうな顔をしていた。

 シグナムは、先の戦いで切られて以降下ろしている髪をさらりと流しながら。

 

 

「ヴィータ」

「う、わ、悪かったよ……」

 

 

 嗜めるような声と視線に、ヴィータは珍しく弱気に答えた。

 おさげの赤髪も、心なしかいつもよりも垂れているように見える。

 

 

「いや、でもさぁ……」

「でもも何もあるまい、我らはすでに主から自立した存在だ。いつまでも依存していて良いわけでは無いだろう?」

「わかってはいるんだけど……何というか、悔しいじゃん?」

 

 

 子供のように頬を膨らませるヴィータに、シグナムは苦笑のような表情を浮かべる。

 彼女自身、寂しさを覚えてはいるものの――いつかは「主」と呼ぶのもやめなければ――同時に、嬉しい気持ちもあったのだ。

 身体の造りはまだ人間とは違うかもしれないが、存在としては限りなく近い。

 

 

 それは、大きな変化だった。

 自分の身一つで世界に挑み、我を通す。

 止まっていた昨日に別れを告げて、変わり続ける明日へと進む。

 その象徴のように、思えてならないのだった。

 

 

「あ、いたいた。2人共、こんな所にいたの?」

「おう、シャマルにザフィーラじゃねぇか」

 

 

 その時、シャマルと狼形態のザフィーラがやってきた。

 通路の向こうから歩いてくる仲間の姿に表情を緩めるヴィータ、しかしその顔が急に怪訝なものに変わった。

 というのも、こちらへとやってくるシャマルの手に大きな白い箱があったからだ。

 こう、土産物のお饅頭でも入ってそうな箱だ。

 

 

「……何だ、それ?」

「あ、これ? うふふ、実は皆の分のチョコレートを作ってきたの」

「……はぁん」

 

 

 はやてを除けば、八神家で料理をするのはシャマルだけである。

 それはつまり、必然的に八神家で料理が2番目に上手いと言うことになるのだが。

 まぁ、10年も料理をやっていればチョコレートを作ることも出来るようになる。

 

 

「んじゃま、お茶にでもするか。何と言うか、最近は本当に平和だよな」

「まぁ、良いじゃないか。次の任地が決まるまでだろう」

「そうそう、たまには……ね」

「……ふ」

 

 

 主から自立し、弱体化しつつも己の道を行く。

 それが、彼女達の流儀。

 彼女達もまた、まだ道半ばである……。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

「はいっ、ティア! 私からのチョコレート!」

「ん、ありがと」

「……何か、ドライの反応だなぁ」

 

 

 ならば他にどんな反応を返せと言うのか、ティアナは心の底からそう思った。

 食堂から出たタイミング、デザートにでもと言うのだろうか。

 まぁ、甘い物は嫌いでは無いが……しかし、部隊内の流行に乗ると言うのも彼女としては癪だった。

 

 

 それでもどこか不満げな表情を見せるスバルに苦笑しつつチョコの箱を受け取れば……その指に、絆創膏が何枚も巻かれていることに気付いてしまって。

 微妙な沈黙が、ティアナの精神内部に起こってしまった。

 

 

「…………~~~~っ、ありがと! 嬉しい!」

「えへへ、うん」

 

 

 にへら、と表情を崩すスバルから逃げるように顔を背けるティアナ。

 そうして2人は連れ立って行ってしまうわけだが、その後ろ姿をたまたま見かけたイオスは呆然としていた。

 こう、己の価値観について本気で再考を求められているような心地だった。

 

 

「やっぱ、これで普通なのか……?」

 

 

 女子同士の友情と言うのは、男とは毛色が異なるのだろうか。

 こればかりは女にならないとわからないことなので、イオスには判断がつかなかった。

 軽く首を振り、その場を後にしようとした。

 と、その時、通路の向こうの角に知った背中を見つけた。

 

 

 陸士制服を着た小さな背丈の、桃色の髪の女の子だ。

 何やら、角の向こう側を見ている様子なのだが……何を見ているのだろうか。

 何となく気になったので、イオスは音も無く姪的存在の方へと近付いていった。

 

 

「よう、何やってんだー?」

「わひゃぁうっ!?」

 

 

 声をかけた瞬間、凄まじい反応が返って来た。

 周囲の職員が何事かと勘繰る視線を向けてくる程であって、イオスは頭を掻きつつペコペコと頭を下げるのだった。

 その横では、キャロが赤い顔で同じようにペコペコしていた。

 

 

「す、すみません……」

「いや、いきなり声をかけた俺が悪かったんだし……って、それ」

「あ、はい……チョコレート、です」

 

 

 どこか恥ずかしそうにはにかんで、キャロは手に持っている包みを軽く持ち上げてみせた。

 包装というよりは紙袋の大きさのそれは、誰のための物だろう。

 考えるだけ野暮と言うもので、イオスはそっと角に顔をやってキャロが見ていた先を見た。

 通路に設置されたベンチに座った赤髪の少年が、誰かを待っているのか、一緒にいる小竜と遊びながら時間を潰すようにして待っている。

 

 

「おお……」

 

 

 何となく、イオスは感動した。

 女性同士の組み合わせしか見ていなかったので、この組み合わせはほっとすると同時に微笑ましい気持ちになった。

 何と言うか、安心する。

 

 

「何か、待ってるっぽいぞ」

「あ、はい。フリードに呼んできてもらって……」

 

 

 もじもじしながら教えてくれるキャロには、見る者を和ませる何かがあった。

 こう、頬を薔薇色に染めながら、ほうっ……と溜息のような小さな吐息を漏らす様など特に。

 フェイトが見ていたら大変だったろう、いろいろな意味で。

 まぁ、フィイト自身の成長過程ではついに見られなかった態度ではあるが。

 

 

「でも、あの……き、急に、恥ずかしく……なっちゃって」

 

 

 しかし、恋人が出来たことが無いイオスにはハードルが高かった。

 特に義理ではなく本命らしいこの状況、むしろエリオがチョコレートの意味を理解しているのかどうかを心配する。

 ……まぁ、例え意味を理解していなくても大丈夫そうな気がするが。

 

 

「だーいじょぶだって、ほら、行って来い」

「ひゃっ…………あぅあぅ」

 

 

 イオスに背中を叩かれて、たたらを踏むように角の向こうへと飛び出るキャロ。

 するとまずフリードが主人に気付き、次いでエリオも気付く。

 言いつけを守ったことを褒めて貰いに来たのだろうフリードの頭を撫でつつ、キャロはエリオに見つかったことにテンパっている様子だった。

 

 

 しかしそんなキャロも、一度エリオの前に出てしまえば意を決したようだった。

 チョコレートの詰まった紙袋を両手で抱え直して、キャロはゆっくりとエリオへと歩み寄って行った。 その後の展開は……語る必要は無いだろう。

 

 

「ふぅ、もしかして俺の人生で3組目なんじゃね?」

 

 

 他人のことは良いから自分のことをどうにかしろと言う突っ込みの電波を受信した気もするが、それは気のせいとして無視した。

 まぁ、とにかくもエリオ達の邪魔をする気も無い。

 そう思い、イオスはエリオ達に背を向けて……。

 

 

「……うん? ギンガさん?」

 

 

 そのタイミングで、イオスはプライベート通信を受けたのだった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

『で、では……次の休暇に』

「ああ、わかった」

 

 

 5分ほど話した後に、通信を切る。

 内容は、今度の休暇に食事でもどうかと言う話であった。

 何でもデザートが有名らしいが、まぁ半分仕事の打ち合わせのようなものである。

 

 

 そう言うわけで今週の予定を頭の中で組み立てつつ、イオスは歩き出した。

 周囲の甘ったるい喧騒も一段落した様子で、だんだんといつもの職場の雰囲気に戻りつつあった。

 まぁ、まさか一日中バレンタインの雰囲気を出して仕事をするわけにもいかないだろう。

 そのあたりは、ある意味では普通ではある。

 

 

「あ、おじちゃんだー!」

 

 

 通路に響く大声に、イオスは再び石のように固まった。

 するとそこには、ウサギの形をした可愛らしいポシェットを下げた小さな女の子がいた。

 とととっ、と、転びそうな勢いで走っている。

 跳ねる金髪に、元気の塊を詰めたような紅玉と翡翠の瞳。

 ヴィヴィオである、入院中のはずが何故かそこにいた。

 

 

「えへへ、きょうね、なのはママのところにおとまりする日なんだよ?」

「ほ、ほぅ、そうなのか」

「えっと、えっとねー。はいっ、おじちゃんにも、これあげる!」

 

 

 イオス最大の宿敵、その名はヴィヴィオ。

 彼女はニコニコと笑いながら、ポシェットの中から小さな一口チョコを握り締めてイオスへと差し出している。

 子供の体温でやや形が崩れているそれを、イオスは努めて笑顔で受け取る。

 

 

「ヴィヴィオね、みんなにあげてるんだよ。えらい? えらい?」

「あ、ああ、ヴィヴィオは偉いな……うん」

「ほんとー?」

 

 

 えへーと笑うヴィヴィオに、イオスも笑みを返す。

 子供は別に嫌いではない、いろいろと手を焼くのは――エリオやキャロはそうでも無いが――面倒ではあるが、幼い子供と言うのはそう言うものだろう。

 打算も飾りも無い、無垢な我侭で大人を振り回すのが子供だ。

 

 

 イオスだって、誰だって最初はそうだ。

 年を重ねるごとに我慢と加減を覚えて、自分で出来ることが少しずつ増えて行って。

 周囲の大人に僅かの寂しさを与えながら、少しずつ成長していくのが子供だ。

 だからまぁ、少々のことは仕方が無……。

 

 

「じゃあ、イオスおじちゃん! ばいばーいっ!」

 

 

 ……仕方が、無いのである。

 と言うか、ここでわざわざ「おじちゃんじゃない、お兄ちゃんだ」などと嗜めれば男としての器が疑われるような気がしてならない。

 それこそティアナあたりがここぞとばかりに攻撃してくるだろう、あとヴィータも。

 最近はそこにウェンディやノーヴェが加わってきそうで怖い……。

 

 

 すると、どこからかクスクスと言う笑い声が聞こえてきた。

 どこからかと言うか、すぐ傍にいたその人物はイオスの肩を叩いてきた。

 振り向けば、清々しいまでのニヤニヤ顔と言う矛盾しているような顔と鉢合わせた。

 

 

「モテモテやね、おじちゃん?」

「泣かすぞお前」

「あはは、ごめんってー」

 

 

 相変わらずの悪戯好きそうな笑みを浮かべる後輩(はやて)がそこにいて、イオスは溜息を吐いた後に苦笑した。

 はやての腕の中に、大事そうに抱えられた箱を見たからである。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 人目があると言うことなので、この時間はほとんど人がいないと言う隊舎の屋上に出た。

 ヘリポートのある位置からは一段下がった小さな敷地で、海側は見えない造りになった。

 手すりに並んで立って遠くを見れば、見えるのは管理局の敷地だけだ。

 遠目に、施設から忙しそうに出入りしている職員の姿を見ることが出来る。

 

 

「――――はいっ、私からのチョコレートです」

「おお……」

 

 

 ひょいっ、と何故か勢い良く横から突き出されたそれを、反射的に受け取る。

 実は昨年も郵送と言う形で受け取ってはいるのだが、手渡しと言うのは新鮮な感覚だった。

 ただ、今年は何と言うか。

 

 

「ありがとな……しかし、何と言うか、気合い入ってんなぁ」

「は、箱だけやよ。中身は普通の四角いチョコやから」

「はは、わかってるって」

 

 

 ――――わかってないなぁ、と、思う。

 手すりに肘を置いて、ハートの形をしたチョコレート(言葉の通り、箱だけだが)をしげしげと眺めるイオスを見やる。

 何と言うか、女の子の微妙なサインをわかってくれない先輩である。

 

 

 はやてはザフィーラやクロノ、ユーノにもチョコレートを作ってはいる。

 ちなみにグリフィスやヴァイスは除外されている、ルキノやアルトの手前遠慮しているためだ。

 その理屈で行くとユーノに対するのもそうだが、彼は付き合いの長さと深さでカバーしている。

 ……ともかく。

 はやてが手渡しをするのは、家族のザフィーラを除けばイオスだけである。

 

 

(……年の違いのせいなんかなぁ)

 

 

 年齢差、実に5年。

 ……そこまで言うほど差があるとは思えないが、なまじ義妹のフェイトと仲良くしていたのが不味かったのかもしれない。

 容姿もスタイルもそれなりに自信はあるつもりだが、シグナム程メリハリがあるわけでは無い。

 日本人として、平均的……だと、思う。

 

 

(イオスさん、無駄に美人慣れしとるからなぁ……女性慣れしてへんのがヘタレっぷりを強調しとるけど)

 

 

 何しろ、かつて同居していたのがリンディにエイミィにフェイトである。

 家庭に美人が多いと女性に淡白になると聞くが、どうなのだろうか。

 

 

「どうなんです?」

「は?」

 

 

 聞いてみたが、反応が薄かった。

 まぁ、主語をざっくり省いてしまったから仕方が無い。

 うんうんと頷くはやてを、不思議そうな顔で見つめるイオス。

 

 

 そしてその視線が、はやての顔から胸元へと下りる。

 別にセクハラでは無く、はやての胸元で揺れる金の剣十字を見ているだけである。

 スタートであり、原点だ。

 はやてのとって、そして……イオスを含めた、誰にとっても。

 それからイオスは視線を元の位置に戻して、隊舎から見える光景に目を細める。

 

 

「……平和だな」

「はい?」

「いや、何となく。ただ平和だなって思ってさ」

 

 

 目の前に広がるのは、ミッドチルダの治安を担う管理局の地上部隊の施設だ。

 忙しそうではあるが、出動の慌しさはない。

 スカリエッティの事件が終息してからと言うものの、ミッドチルダにおける地上部隊の出動率は僅かずつ下がっている。

 

 

 それが何に起因するものなのか、イオスにはわからない。

 ただ言えることは、管理局の部隊が平和であると言うことの意味だ。

 管理局が必要とされていない時、それに守られる市民の生活圏が平和であることを意味する。

 管理局は犯罪を抑止するための存在だが、犯罪が無ければ存在価値が無い。

 そう言うジレンマを、目の前の平穏な光景を如実に現しているように見えた。

 

 

「――――皆が、頑張ってくれたからやね」

「査察官的には、ダウトな所だらけなんだが」

「あはは、まぁそこは責任者(わたし)が頑張るってことで」

 

 

 そう言いつつ、はやては思う。

 少なくとも、はやて個人の平和を守ってくれたのは……もちろん、皆が助けてくれたおかげだ。

 しかし同時に、こうも思う。

 イオスが、自分を助けようと……頑張ってくれたからである。

 

 

 しかしその件について、はやてはイオスに直接何かを言うことはしない。

 何故ならイオスがそれを望まないし、言った所で何かがどうにかなるわけではない。

 目の前の現実を動かすのは、また別の要素だと思うから。

 

 

(――――イオスさん)

 

 

 ぼんやりと彼方を眺めるイオスの横顔に視線を向けながら、はやては目を細める。

 正直な所、はやてにも定かでは無いのだ。

 自分の胸に宿るこの気持ちが、はたしてどのような感情に起因しているのか。

 

 

 ただ、自分を助けてくれた人だからなのか。

 それとも、『夜天の書』の運命を背負っているからなのか。

 負い目なのか、好意なのか、同情なのか、慕情なのか、それとも他の何かなのか。

 必要としていることはわかっている、が、何のために必要なのかはわからない。

 ただ一つだけ、わかっていることがあるとすれば。

 

 

(伝わって、いますか?)

 

 

 自分が、八神はやてがイオス・ティティアという男性にどれだけ感謝しているか。

 守りたいと想い、傷付けたくないと願い、幸福になって欲しいと思っているのか。

 クロノでもユーノでも無く、彼に対してそう思っている理由を。

 

 

 彼は、知っているのだろうか――――伝わって、いるだろうか?

 もし伝わっていないのだとしても、それはそれで構わなかった。

 何故なら、結局の所……。

 

 

「ん? どうかしたのか、八神さん?」

「……ううん、何でも無い」

 

 

 視線に気付かれて、はやては柔らかく微笑する。

 イオスはそんなはやてに軽く首を傾げつつも、笑んで、チョコを食べても良いか聞いてきた。

 はやては「もちろん」と頷いて、自分が作ったチョコレートを食べるイオスを見続けていた。

 

 

 ――――そう、結局の所。

 はやてにとっての現実は、ここにあるのだ。

 イオス・ティティアの隣に。

 

 

(……私に、居場所をくれた人)

 

 

 どんな形であれ、八神はやては、イオス・ティティアの近くに在るのだ。

 はやてのそんな想いに反応するように、胸元の剣十字が金色に輝いた。

 ――――夜天の十字星が、2人を結びつけるかのように輝いていた……。

 

 





これにて完結になります、竜華零です。
今まで数ヶ月に渡るご愛読、誠にありがとうございます。
読者の皆様のご支援・ご声援あればこその完結であって、感謝に堪えません。
少しでも読者の皆様に何かを与えられるような作品であれば、私にとっては幸いです。

この作品で出会った方も、また以前の作品からご愛読頂いている方も、次回作投稿時にまたお会いできれば嬉しく思います。
それでは、最後にイオスの名前の由来など。

ファミリーネームはローマ神話の正義の女神「ユースティティア」からですが、名前に関してはクロノとの関連です。
クロノの名前をギリシア神話における時間の神「クロノス」に対応させた上で、もう1柱の時間(時刻)の神「カイロス」の読み方を省略・崩して「イオス」です。

それでは、またどこかでお会いしましょう。

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