猛龍過江 WAY OF THE DRAGON   作:宝蔵院 胤舜

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猛龍過江   WAY OF THE DRAGON

◆猛龍過江   WAY OF THE DRAGON

       [1]

 

少女が息を切らせて走っている。着ている服も、手や足、顔も随分汚れている。背中に小さなリュックを背負い、胸にミッキーマウスのぬいぐるみを抱いて、背後を気にしつつ走って行く。

その少し後ろを、三人の若い男達が追っていた。二人は白人、もう一人は中国系で、三人とも後頭部、うなじの生え際を長く伸ばしている。

男達は急ぐでもなく少女を追う。子供の足ではそう逃げられまい、と踏んでいるのだろう。

息が続かなくなった少女は、角を曲がったところで足をもつれさせた。

息が苦しくて悲鳴も出なかった。しかし、アスファルトの地面に倒れ込む直前、男性のしっかりした腕に支えられた。その腕の中で最初に目に入って来たのは、大きなダルメシアンだった。珍しそうに少女の顔を覗き込む。

「どうしたんだい、お嬢さん。大丈夫かい?」

 若々しく優しい声に、ゆっくりと顔を上げると、そこにはイメージ通りの優しい表情があった。

 少女の緊張の糸が切れて、瞳から涙があふれた。むせながら泣きじゃくる。

「おっとっとっ、どうしたんだ一体…?」

 そう呟いた男は、足音に気付いて顔を上げた。少女の頭を軽くなでてから、膝を起こす。

 男の前に、先刻の三人が立ち止まった。男は少女を自分の後ろへ庇う。ダルメシアンが、その少女を守るように寄り添った。

「やあ、兄さん達、こんにちは」

 青いスタジャンを着たその若い男は、金髪をかき上げながら目の前の三人に声を掛けた。その場にそぐわない、優しい声だった。

「よぉ、兄ちゃん。悪い事は言わねぇ、その娘を渡しな」

 一人が、ガムをクチャクチャさせながら言った。三人とも、歳は二十歳そこそこだろう。それが、目を細めて恐く見せようとイキがっている。それを見て男は思わず笑ってしまった。

「何がおかしい」

「ああ、失礼。『ガキがイキがるとケガするぜ』っと思ってね」

 男はそう言いながら右足前の自然な構え(スタンス)を取った。

「だまれ、こら」

 ガムの男が、無造作にパンチを出した。ボクシングをかじっているのだろう。きれいなジャブだった。男はそれを素早くかわす。

 ガムの男はそれに腹を立て、いきなり右ストレートを放って来た。

 男は左掌で受けつつ、右縦拳を見舞った。男のパンチは見事にガム男の鼻を折った。白目をむいてくず折れる。

「今のはタンサオ・ジクチュンチョイ。基本技だ」

 あまりの早業に、残された二人は呆然となる。男はそんな二人に素早く近づくと、一人を右フック、もう一人を右サイドキックで眠らせた。三人を倒すのに、一分と掛からなかった。

「さて…と、お嬢さん。もう大丈夫だよ」

 男の声も表情も相変わらず優しかった。少女もようやく落ち着いて来た。

「ありがとう…。私、ティナ。ティナ=エステファン。あなたは?」

「俺かい?俺はジャッキー。ジャッキー=ブライアント」

 ジャッキーは屈託の無い笑顔を見せた。

 

       [2]

 

「あー、しんどい。金、ケチらなきゃ良かった」

 イエローキャブに揺られながら、結城晶は首を回した。小気味良く骨が鳴る。

 彼はたった今、香港から到着したところである。

 

 

 

 香港では、晶が初めて大陸に渡って滄州に行った時、同じ汽車、同じ宿に居合わせたのがきっかけで、かれこれ十年以上の付き合いになる、上海の黄志強と行動を共にしていた。

 黄は滄州で秘宗拳の陳老師に師事しており、晶とは良く八極との技術交流をした仲である。

 そんな黄の「自分より年下だが、凄い老師についたから、紹介したいので、すぐ来てくれ」という一方的な手紙に、ヒマな晶はすぐに飛行機に飛び乗った。

 香港の空港で出迎えてくれた黄は、さっそく自分の経営する武館へと連れて来た。

「まだ設立したばかりだから、門下生は少ないが、なに、陳老師を顧問にすれば、嫌でも人は集まるだろうさ」

 そう言って黄が紹介してくれた老師を見て、晶は思わず吹き出してしまった。

「何だ、誰かと思えば、パイ・チェンじゃないか」

「あら、やっぱりアキラだったんだ。黄が『日本人で八極門人』だって言うから、もしかしたら、とは思ってはいたのよ」

 パイが華やかに笑う。スターの資質とはこういうものか?と晶はパイを見る度にいつも思う。

 それにしても、相も変わらず高飛車である。

 

 

 

 それから一週間、晶は黄のアパートに泊まり込んで、武館の手伝いや、買い物に精を出した。晶の買い物は主に武術関係の本や雑誌、或いは武器等の買い付けであった。

「最近は、伝統武術は肩身が狭くてな」

 黄は晶に付き合って出て来た書店で、小さくため息をつきながら言った。

「最近、美国(アメリカ)なんかでは、ヴァーリ・トゥードなんてのが流行りらしいな。あれで、『中国武術は使えない』という説が確定してしまってな。伝統武術はすっかり人気を失ってしまったよ。大陸では、まだまだ武術は根強い人気があるんだが、いかんせん香港は情報量が多い。タイソンvsホリフィールド戦は、俺も手に汗を握って観たからな」

「大陸でも最近は散打が流行ってるんだろう?」

 晶が買い物カゴに本を次々と投げ込みながら、尋ねた。

「そうなんだよ。何でも実戦、実戦でな。拳闘(ボクシング)や泰式(ムエタイ)に興味が行っている。武術にしても、意拳や截拳道(ジークンドー)、それに日本の極真空手やテコンドーなど、組手を中心とするものが、もてはやされているよ」

「八極(パーチー)や秘宗(ミーゾン)、蟷螂(タンラン)なんかはすぐに実戦に応用しやすいと思うんだがなぁ」

「大陸の老師達は頭がカタいのさ」

 黄はそう言って肩をすくめた。

 

 

 

そんなある日、黄の武館に道場破りがやって来た。ぼさぼさの蓬髪を後ろで束ね、不精ヒゲを生やし、くたびれた拳法着を身に纏っている。いかにも、な面構えである。

道場破りは、威勢良く套路を演じ出した。

洪家拳の虎鶴双形拳である。

その豪快な気合に、門下生達は縮み上がる。

「貴様が道場主だな。さあ、勝負してもらおう。貴様の武術の実戦性を見せてもらおう!」

 男は言うなりアップライトに構えた。ボクシングスタイルであり、それはストリートファイト経験の豊富さを雄弁に物語っていた。

 睨み付けられた黄は、平静を装ってはいるが、内心はかなりすくんでいた。

 当然だ。

 こういう場面では、経験が最も物を言う。

 黄にはちょっと荷が重いか。

 晶は呟くと、前へ出ようとする黄を制して、一歩進み出た。

「老師は、お前の様な雑魚は相手にされない。師範代の俺で十分だ」

「大きく出たな。良かろう。先に貴様をのしてやる。来い!」

 男はおめいた。

晶は顔の前で小さく構えたまま、動かない。

「どうした!打って来い!」

 またも男がおめいた。

「俺から攻める義理は無い」

晶は澄ましたものだ。

「うらあっ!」

 何とも形容しがたい叫びを上げながら、男が突っ込んで来た。

 ボクシングのワンツーと、降龍という中国式のアッパーを織り交ぜて攻めて来る。晶はそれを全て避け、かわすと、最後の直蹴りをさばいて上歩衝靠で吹っ飛ばした。

 ウエイトは晶の方が重い。男は二メートルほど飛んで、尻餅をついた。顔をしかめながら、それでもすぐに立ち上がる。

「もうやめておけ。怪我をするぞ」

「どうりゃあっ!」

 晶の言葉には耳も貸さず、男は突っ込んで来た。技も何もないスキだらけの大振りのパンチを放って来る。それを左で受け流しつつ、一歩踏み込んで至近距離からの掌を腹に突き込んだ。八極の上歩掌は押す力が強い。男は、うむと唸って吹っ飛んだ。今度はうつ伏せに倒れる。

 安心とも感心とも驚きともつかない沈黙が、武館を覆った。

その沈黙をすぐに破ったのは、晶だった。

「誰か、早くたらいでも持って来てくれ。こいつ、吐くぞ」

 

 

その翌日にパイがやって来た。何でも映画の撮影中らしいが、台湾ロケの準備の為に休みが取れたらしい。

パイを教練として、秘宗拳の套路や用法を練習する。

緩急自在、上下に目まぐるしく変化するその動きは正に芸術の域である。

「やっぱり凄いな、パイ」

 晶は素直に感心した。

「俺には秘宗拳はとても出来そうに無いよ」

「貴方、体重重いもんね」

「確かに。俺は跳躍技をするには筋肉が太すぎるからな」

 パイには悪気は無い(らしい)。晶も全く堪えない。この二人の友好関係は、晶の鈍感さの上に成り立っているのか、と黄は首をひねった。

「―――あ、そうそう。昨日撮影中にスタッフの一人が言ってたんだけど、ジャッキー、また事故ったみたいよ」

「またか?」

「ええ。そのスタッフはカーレースを観るのが好きで、F1からカートレースまで何でも観るようなヒトなんだけどね、一昨日の夜にやっていたインディ500で、ジャッキー=ブライアントが大クラッシュして、とりあえずは無事だったらしいんだけど、精密検査を受ける為に、二回ほどレースを休む、なんて言っていたらしいわよ」

「そうか。あいつも大変だなぁ。一歩間違えば死んでしまうような仕事をしてるんだなぁ」

「人それぞれに仕事は大変なのよ」

「俺は大変だと思った事は無いけどなぁ」

 晶は首をかしげた。

「貴方の場合は遊んでいるのと一緒じゃない」

「まあ、そうかもな」

 やっぱり晶は鈍いのか。

 黄は笑いをかみ殺しながら胸の内で呟いた。

 その翌日、晶は、黄と彼の門下生達に見送られながら香港を発った。

 別に何か目的があって香港に来ていた訳では無かったので、気が変わるのも早かった。

 ジャッキーの見舞いにでも行ってやるか。

 その程度の考えである。

 待ち時間が短く尚且つ料金も安かったので、何も考えずに大韓航空のチケットを取った。ところが、成田での乗り換えに六時間も時間を食い、しかも韓国で三時間のトランジット、更にハワイでのトランジットと、免税店での買い物などに興味の無い晶にとって、待ち時間をつぶすのが最も骨の折れる作業であった。

 結局香港から三十時間あまりかけて、サンフランシスコへ到着した。しかも、十六時間の時差の為、香港を出たのと同じ日付である。

「あー、しんどい。金、ケチらなきゃ良かった」

 それで、晶は首を鳴らしながら呟いたのである。

 空港から一時間近くかけて、キャブはブライアント家所有の広大な敷地の一角へやって来た。運転手のネイティブアメリカのクオーターはおしゃべり好きで、この一時間というもの、ほとんど一人で話し続けていた。ただ、話題が豊富だったので、晶も全く退屈する事無く時間をつぶせたのである。

「俺は、ウルフ=ホークフィールドのファンでね。あいつは、俺達インディアンの誇りなんでさぁ」

 運転手は朗らかに言った。

「そうか、ウルフも元気でやってるんだな」

 懐かしい知人の名を耳にして、晶は思わず呟いた。

「えっ、だんな、ウルフを知ってるんですかい?」

「ん、ああ。ちょっとした知り合いだけどね」

「だんなー、それならちょいと、お願いがあるんですが・・・。ウルフのサイン、もらって来ちゃあくれませんか?」

 その言葉には、晶もちょっと困った。

「いや、しかし、俺も滅多にウルフには会わないからな」

「今度会った時でいいんすよ。俺、気長に待ってますから」

 運転手はそう言うと、体をひねって晶に顔を向けつつ、右手を差し伸べた。

 仕方なしに、晶はその手を握ってやる。

「判った。期待しないで待っててくれ。それと、ちゃんと前を見て運転してくれ」

 運転手は自分のアドレスを書いた紙を晶に手渡すと、運賃を受け取らずに走り去ってしまった。

 晶はそんなキャブを、頭をかきながらしばらく見送っていたが、やがて背後に向き直った。

 そこにはブライアント財閥のいかめしい門がそびえていた。

「やぁ、守衛さん。こんにちは」

 晶はガードマンに気楽に声を掛けた。

 ガードマンは、太い筋肉を持ったTシャツ・ジーンズ姿の東洋人に、多少の不信感を持ったようだ。

「誰だ、お前は。こんな所に何の用だ?」

「俺は結城晶。ジャッキーに会いに来たんだ。取り次いでくれないか?」

「アポイントを取っていない者は通せないんだ。悪いが、帰っていただこう」

「まあ、そう言うなよ。取り次いでくれれば判るって。友人なんだ」

「だめだ、あきらめろ。」

 晶とガードマンが押し問答を始めた時、門が開いて一台のカマロが出て来た。出て来たところで慌てて停まると、運転席から一人降りて来る。

「アキラ、アキラじゃない。どうしたの、こんな所で」

 サラであった。

 髪もくくらず、長い丈のスカートをはいているので、振り返ってサラの姿を見た晶の理解が一瞬遅れる。

「あー…、何だ、サラか。どうしたんだ、スカートなんかはいて」

「悪かったわね」

 サラは苦笑いする。

「私だって普段はスカートもはくし、ショッピングもするわ。―――で、アキラは何でこんな所にいるの?

「ああ、ちょっと見舞いにね」

 晶はそうサラに答えると、もう一度ガードマンに振り返る。

「な、本当だっただろ?」

 ガードマンは何も言わずに下がる。

「見舞い?誰の?」

「ジャッキーのさ。何でもレースで事故って暫くレースを休む、なんて言ってるんだろ。それで、ヒマだったから様子でも見てやろうか、と思ってね」

「私、あなたのそういう所が好きだわ」

 サラは笑いながら言った。

「久し振りに会いに来て『ヒマだから来た』なんて、言えないわよ、普通」

「そうか?―――で、ジャッキーは?大丈夫なのか、怪我の方は」

「大丈夫も何も。TVにはあんな事を発表してるけど、実はどこも怪我なんてしてないのよ。ただ、休みたいだけ」

「そうなのか。まあ、それならそれでいいんだけどな。前にも2年ほどレースに復帰出来ないほどの大事故をしたっていうじゃないか。それでな、ちょっとだけ心配したんだよ」

「本当に『ちょっとだけ』みたいね」

 晶のお気楽な表情を見ながら、サラは言った。

「でも残念だけど、兄さん、ここにはいないわよ」

「いない?どこ行ったんだ?」

「知らない。兄さん、何でも勝手に行動する人だから。誰にも何も告げずに、一人でどこかへ行っちゃったわ」

「そうか―――。来た甲斐がなかったなぁ」

「バカねぇ。電話でもしてくれたら良かったじゃない」

「電話は嫌いでね。―――ジャッキーの行きそうな所に、心当たりはないか?」

「―――実はね、あるの」

 サラはこそっと言った。

「多分、人目を避けてサボりたい時には、あそこへ行くと思うの。あそこは、兄さんと私の隠れ家みたいなものだから、あなたが行ったらきっと驚くわよ」

 

       [3]

 

 高級住宅地として知られる、クイーン・アン地区のウェスト・ハリソン通に面した簡素だがいかにも高級そうな家の前に、カリフォルニア州ナンバーのダッチ・バイパーが停まった。

 ドアが開くと最初に大きなダルメシアンが飛び降りた。

「さあどうぞ、お嬢さん。何もない家だけど、とりあえず一息つけると思うよ」

 ジャッキーの差し伸べた手を取り、ティナは恐る恐る車から降りた。

 あたりをキョロキョロと見まわす。

「この辺りは、さっきの連中みたいなのは滅多にいないから、安心していいよ」

 ジャッキーは笑いながら言うと、ティナをうながして家の中へ入った。

「坊ちゃん、お帰りなさい」

 ハウスキーパーをしているリンダが出迎えた。彼女は出稼ぎの為に入国したが、滞在期間が過ぎてしまってもロクな収入がなく、途方に暮れていたところを、ジャッキーがこの家のハウスキーパーとして住み込みで雇っている、不法滞在者である。

「ただいま、リンダ。何か変わった事は無かったかい?」

「いえ、別に。ペイTVのレシートが来てたぐらいですね」

 リンダはそこまで言って、ジャッキーの背後で小さくなっている少女に気付いた。

「あれ、坊ちゃん。どこでこんな素敵なレディと知り合ったんで?」

「1stアベニューで、悪い奴らに絡まれてた所に偶然通りかかってね」

「まあ、かわいそうに。こんなかわいいのに」

 リンダはとろけんばかりの笑顔で言った。

「でも良かったねぇ。坊ちゃんはお強いから、悪い奴らなんか、パッと追い払っちゃったでしょ。まぁまぁ、こんなに汚れて。可哀そうに。シャワーでも使って、綺麗になさいな。着替えも用意したげるからね」

 彼女はしゃべるだけしゃべると、有無を言わさずティナをバスルームへと引っ立てる。

 ティナは、不安そうな表情をジャッキーに向けたが、彼が微笑みながらうなづくのを見て、意を決してリンダについて行った。

 一人残されたジャッキーはソファーに座り込むと、テーブルの上のタバコに手を伸ばした。普段はあんまり喫わないが、考え事をする時はつい、口にくわえてしまう。

 車の中で、ティナが断片的に話してくれた内容を整理すると、ティナの父親は行方が判らない。そして、先刻の妙な三人は、父親の持っていた何かを探して、ティナを追い回している、という事になる。

 あの男達は、生え際の毛を伸ばし、同じ黒いTシャツを着ていた。

 そのようなルックスは、ハイティーンを中心とするストリート・ギャングの共通のファッションである。

 L.A.やシスコほどの勢力ではないが、この街でもストリート・ギャングが幅を利かせており、数個のチームが互いに覇を競っている。

 ティナの父親は、どうやらそんなストリート・ギャング間の抗争に首を突っ込んでしまっていたらしい。

 ジャッキーはのろのろとライターを取り上げ、タバコに火を着けると、窓の外に目をやった。

 裏庭の向こう、建物や木々の上に、スペースニードルと呼ばれる塔がそびえている。

 ここシアトルは、アメリカ北西部、カナダと国境を接するワシントン州にある、自然の豊かな平和な街である。こんな平和な地方都市にあっても、ギャングだ抗争だ、とキナ臭い話しは尽きない。

 ジャッキーは一つ肩をすくめると、大きく煙を吐き出した。とりあえずはティナに事情を聞いてみなければ、今後の予定も立たない。

 ジャッキーが三本目のタバコにゆっくりと火を着けたところに、ニコニコ顔のリンダがティナを連れて帰って来た。

「どうです、坊ちゃん、かわいいでしょう?」

 リンダは郷(メキシコ)へ帰ると、のんだくれの夫と五人の子供がいる。

 一番下の子は、ティナぐらいの齢である。彼女にとってティナの面倒を見るのは殊の外楽しいのだろう。

 ティナは綺麗に洗い上げられ、髪にも櫛が通っている。

 明るいブラウンの髪と、髪に合わせたような瞳からは、先程には感じられなかった快活さが滲み出ている。

 ジャッキーは、思わずサラの小さい頃を思い出した。

「それにしても、リンダ、別に俺の服を貸してあげても良かったんじゃないか?」

 言わずもがな、と思いつつもジャッキーは言わずにはいられなかった。

 ティナの着ていたパーカーもキュロットも、リンダに有無を言わさず取り上げられて洗濯されてしまったので、彼女はリンダのブラウスとショートパンツを借りて、それを着ていた。というよりくるまれている、と言った方が良いかも知れない。ティナの華奢な体には、リンダのブラウスは腰丈のワンピース、ショートパンツはキュロットスカートに化けていた。

「何を言うんですか坊ちゃん。殿方の服をレディにお貸しするなどとは」

「殿方って……。まぁいいか。それよりリンダ、服も体も綺麗になった。次は……」

「判ってますよ。『お腹』の方ですよね」

 リンダはウィンクをしながら言うと、いそいそとキッチンへと消えて行った。

 

 

 

 リンダの作って来た日本風のスープヌードルをあっという間に平らげて、ティナはようやく人心地ついたようだった。

 食後のオレンジジュースを楽しんでいるティナに、ジャッキーが尋ねた。

「さて、ティナ。落ち着いた所で、君が何故あんな悪党に追われていたか、話してくれるかい?」

「うん……」

 ティナはジュースのコップの口を見つめて、重たく口を開いた。

「……何から話したら良い?」

「そうだなぁ」

 ジャッキーは天井を見上げた。

「君のお父さんの事をもう少し詳しく話してくれないか?何の仕事をしてたんだい?」

「ペンキ屋さん。大工さんも時々やってた。サン・ノゼにいた時には、郵便屋さんしてたんだけど、上司とケンカしてやめちゃったんだって」

「サン・ノゼか。俺の家はシスコなんだ。お隣さんだったんだね」

「そうなんだ。いいなぁ、シスコにも行きたかったな。お隣さんだったけど、行った事なかったもん。

 でね、郵便屋さんクビになっちゃってから、ぱぱったらお酒ばっかり飲んでて、ママがそれを見て呆れちゃって。家を出てっちゃったの。ママは一緒に来るかって言ってくれたけど、わたし、パパが一人になったらかわいそうだったから、残る事にしたの。

 パパ、ちょっといい加減なところがあるけど、わたしには優しかった。いっつもわたしの事ばっかり心配して、何かあるとわたしに『今はこんな生活だが、今にもっと良くしてやるからな。それまでガマンしてくれ』って言うのが口ぐせだった。

 で、ママが出て行っちゃってから半年くらいして、シアトルに越して来たの」

「それはいつ頃の事なんだい?」

「わたしが小学校二年に時。いま四年だから二年くらい前ね」

「そうか、で、シアトルに来てからはどうだったんだい?」

「あのね」

 ティナは幾分眠そうに目を瞬かせた。

「安いアパートを借りて、そこに住んだんだけど、わたしが三年の夏くらいから、パパが色んなものを買ってくれるようになったの。服とか、靴とか。お人形も。このミッキーもその時買ってくれたんだ」

 ティナは服を全部洗濯されても、それだけは後生大事に持っていたミッキーマウスのぬいぐるみを誇らしげに見せた。

「そうか。ティナの宝物だな」

「うん。でもね、急に色んなものを買ってくれるようになったから、何だか逆に怖くなっちゃったの。ほら、だって、今まではご飯だってなるべく切り詰める生活をしてたんだもん。

 でね、わたしパパに聞いてみたの。どうして最近色んなものを買ってくれるようになったの、そのお金はどこで貰ってくるのって。そしたらパパは『今にもっと色んな物が買えるようになるぞ。待ってろよ』なんて言うの。わたし、パパが悪い事してるんじゃないかって心配になってきちゃった」

 話を聞きながらジャッキーは内心舌を巻いた。十歳にしてこの落ち着きと洞察力。早くから母の居ない生活をしていたせいか、分析が客観的で、社会的な基準を自己診断に当てはめる事の出来る聡明さを持っている。

 ただ、逆から見ると無邪気さを無くした可哀相な子である、とも言える。

「そしたらね、一週間ぐらい前に、パパが急に何か荷造りを始めたの」

 ティナは話を続けたが、そこで一つ大きなあくびをした。

「―――ごめんなさい。

 でね、急に慌てて荷造りするもんだから、パパに尋ねたの。そしたら、パパ『奴ら勘付きやがった。ティナ、俺は少しの間隠れているから、お前はこれでしばらく頑張ってくれ』って言って、分厚い封筒をくれたわ。中は二十ドル札の束だった。そして、ミッキーを大事にしろよって言って、家を出てっちゃったの」

「何だよ、ひどい父親だなぁ。ティナを置いてきぼりか」

「そして昨日、パパから電話があったの。『三日後、レイクビュー墓地においで。ちゃんとミッキーも連れて来るんだよ』って。そしたらそのすぐ後に、あの変な三人がやって来て、わたしをさらおうとしたの。だから、わたし必死に逃げて、逃げて……」

 ここまでは頑張って話を続けたが、これで限界だった。懸命に開いて来たまぶたが、重力に逆らい切れずに閉じてしまうと、後は早かった。

 昨日からの緊張の糸が切れて、一気に睡魔にとらわれたティナは、ばったりとソファの上に倒れ込んだ。

 既に寝息を立てている。

 ジャッキーは静かに微笑むと、右手を挙げて人差し指をチョイチョイと動かした。

 すると、話が始まってからはすぐに気を使って座をはずしていたリンダが、ブランケットを持ってやって来ると、ティナにそれを掛けた。

 ジャッキーが目で礼をすると、リンダも目で応えてまた奥へと下がって行った。

 徐々に暗くなって行く室内で、ジャッキーは電気も点けずにソファに座っていた。

 安らかな寝息を立てるティナを見ながら、彼女の行く末を考えるとも無しに考えた。

 ティナの父親は、どう考えても犯罪に手を染めている。しかも、ストリート・ギャングを相手に、何か危ない橋を渡っているらしい。

 しかも、かなり大きな金が動いている。

 ジャッキーはぐっすり眠っているティナの腕から、そっと『ミッキー』を抜き取った。しげしげとそれを眺める。どこにでも売っている普通のミッキーマウスのぬいぐるみだ。

 人形本体と服とは別布で仕上げてある。

 ジャッキーはふと思いついて、ぬいぐるみの服の背中部分をめくってみた。

 そこには、六針の手術の跡が残っていた。

「『ちゃんとミッキーも連れて来るんだよ』か……」

 ジャッキーは声に出さずに呟くと、ナイフを取り出してその糸を切った。

その穴に指を突っ込むと、指先に紙切れの感触があった。指でそれを挟んで、ゆっくりと抜き出す。

開いてみると、サンフランシスコのニューチャイナタウンの住所と、テリー=ウォンという名、そして電話番号が書かれていた。

そういう事か。

ジャッキーは胸の中で呟くと、もう一度指をぬいぐるみの中に突っ込んだ。

やがて、彼の手にお目当てのものが触れた。

思わずジャッキーは肩をすくめた。

 

 

 

ショッピングを終えて、シャワーを浴びたサラが髪を乾かしている時に、電話が鳴った。

暫くはドライヤーの音で電話のベルに気付かなかったが、本体のランプが点滅しているのが見えたので、慌てて電話を取った。

「もしもし?」

「やあ、サラかい?俺だ」

「〝俺〟って誰よ?」

「何だよ冷たいな。ジャッキーだよ。兄さんの声を忘れたかい?」

「何よ、また一人で何も言わずにどっかへ行って。父さんを振り切るの、大変だったんだから」

 サラの言葉にくぐもった笑いが受話器の向こうから聞こえて来た。

「で、大声で笑うのをこらえなきゃいけないような彼女(・・)の部屋から、何の用なの?」

「何だよ、そんなに怒るなよ。ちょっと頼みたい事があるんだ。

 ニューチャイナタウンの華僑、テリー=ウォンって男を調べて欲しいんだ」

「なに、それ」

 サラはため息をついた。

「そんな事、兄さんが自分ですればいい事では?」

「それをしちまうと、俺の別荘まで足がついてしまうだろ?だから君に頼んでいるんだ」

 受話器の向こうの懇願するジャッキーの顔を思い浮かべて、サラはひとつ大きなため息をついた。

「はいはい、判りました。どうせ、急ぐんでしょ?」

「頼む」

「―――あ、それとね、兄さん」サラが悪戯っぽく言葉を続けた。「私からちょっとしたプレゼントがあるの。もしかしたら、テリー=ウォンのデータより早く届くかも知れないけど、期待して待っててね」

 サラはそう言うなり、ジャッキーの返事も聞かずに電話を切った。

 そして受話器に小さく舌を突き出してから、今度は内線のボタンを押す。

「あ、もしもし、クドー。テリー=ウォンっていう華僑について調べて欲しいの。データは私の端末に入れといてね」

 

       [4]

 

 一晩サンフランシスコのダウンタウンで泊まった晶は、翌日、サラの手配してくれた便で、SEA(シアトル・タコマ空港)へ降り立った。

 そこからメトロ・バスに乗り、ユニバーシティ・ストリート駅で下車すると、そこはもうシアトルのダウンタウンの真ん中である。

「ウェスト・ハリソン通りって、どこだ?」

 サードアベニューとユニバーシティ・ストリートとの交差点に立って、晶は呟いた。SEAで貰って来たダウンタウンの地図を覗き込むが、縮尺が小さくて、大まかな通りの名前しか判らない。それでもクィーン・アン地区の場所だけは判った。

「とりあえずファーストアベニューを北へ向かえば、何とかなるだろ」

 晶はそう呟くと、お気楽にもスタスタと歩き始めた。

 

 

 ファーストアベニューとレノラ・ストリートとの交差点にある屋台でホットドッグとコーヒーを買った三人組の男達が、地図を片手にキョロキョロとあたりを見回しているごつめの東洋人(=晶)に目を付けた。

 二人は白人、もう一人は東洋系で、白人の一人は鼻に大きなガーゼを当てている。もう一人の白人はアゴの左側に大きく腫れたアザがある。

「よう、兄弟」ガーゼ男が、ホットドッグを頬張りながら仲間二人に言った。「昨日はニヤケた野郎に散々な目にあったからよ、今日はあのジャップでもぶちのめしてやろうぜ」

「全くだ」アザの男が続ける。「ジャップのおのぼりさんたぁ、おあつらえ向きのカモだな。やられた分以上にやってやろうぜ」

「しかしよぉ、あいつ、やけにガタイがでかくないか?」

 東洋系だけが慎重に言う。

 彼はこの三人の中で最も背が低い。

「気にすんな。あんなの、一発ガツンとやっちまえば大人しくなるってもんよ」

 ガーゼ男はそれ以上東洋系には付き合わず、残りのホットドッグを口の中に詰め込むと、晶に向かって歩み寄った。

「よう、兄ちゃん。何か探してんのかい?」

「やあ、こんにちは。ウェスト・ハリソン通りってのを探してるんだが」

 バカ正直に晶は問い掛ける。

「『やあ、こんにちは。ウェスト・ハリソン通りを探してるんだ』だとよ」

 ガーゼ男はニヤニヤと笑いながら、目だけは凄んで見せた。

「兄ちゃん、何なら俺が道を教えてやってもいいぜ」

「そうか、それは有り難い」

 あくまでも晶はバカ正直である。

 ガーゼ男はたたらを踏む思いであった。

「おいこらバカ」

 アザの男がじれて来て、吐き捨てるように言った。

「俺達はな、お前みたいなバカに付き合うほどヒマじゃねぇんだよ。お前の有り金寄越せ。そしたら

ブン殴るだけでガマンしといてやる」

「いやだ、と言ったら?」

「ブン殴る」

「一緒じゃないか」晶は肩をすくめた。「だったら金を渡さない方が得じゃないか」

「何だと?」

「どっちみち金を返してもらう事になるからな」

 晶はぬけぬけと言う。

 その言葉に、アザの男はキレた。

「なめんなコラァッ!」

 わめくなり、アザ男は晶の金的を蹴り上げた。晶は体を右に開いて蹴りを避け、その動きに合わせて右の冲天衝(揚炮)で相手のアゴを突き上げた。

 アザ男の体は宙に浮き、後頭部から地面に落ちた。

「あ、す、すまん。いきなり来たから、手加減が出来なかったんだ」

 晶が本当にすまなそうに言う。

「くそうっ!」

 ガーゼ男は咄嗟にバタフライナイフを出した。

 その音を聞いた晶は、素早く左手の地図でナイフを持つ手を払い、更にその手を右の斧刃脚で蹴り飛ばし、蹴り足を下ろす勢いで右劈掌でしたたかにガーゼ男の首筋を打った。

 ガーゼ男は前につんのめりながらも、何とか踏みとどまった。

 晶はさらに返しの掛掌で、ガーゼ男の顔面を打ち上げた。

 ガーゼ男も後頭部を地面にしたたかに打ち付けた。

「武器はいかんよ。危ないだろ」

 晶はそう言いつつ、残った東洋系に目を向けた。

 両手と首を大きく振るその男に、晶は鋭い口調で言った。

「ウェスト・ハリソン通りってどこだ?」

 

 朝食を済ませたジャッキーとティナは、どんとソファーに座り込んで、テレビニュースを見ていた。

 強盗、殺人、銃、麻薬、幼児虐待など、ニュースには、病めるアメリカの縮図があった。

 やがてニュースも終わり、『フルハウス』の再放送が始まった。

「あ、あたし、この番組好きなんだ」

 ティナは言うと、食い入るように画面を見つめ、笑う。

 彼女も、〝病めるアメリカ〟の現象の一つだ。

 そんな彼女が、ブラウン管の向こうの幸せそうな家庭のドラマに夢中になるのも判る気がする。

 ジャッキーがしんみりとそんな事を考えている時、蒼い顔をしたリンダがリビングにやって来た。

「坊ちゃん、変な東洋人が来ました」

「なんだって!」

 昨日の今日、しかもティナの父親の秘密を垣間見た後だけに、ジャッキーは緊張する。

「どんな奴だった?」

「体のごっつい奴で、この辺を何か探してるみたいでしたよ」

 リンダも昨日の事を聞いているだけに、不安なのだ。

 ジャッキーは、窓のカーテンの陰から外を窺う。が、それらしい者の姿は見えない。

「あれ、さっき表通りを歩いてたんだけどね」

 リンダが首をひねる。

 つまりは、姿を見られないように場所を変えた、という事か。

 思わずしがみついて来るティナの背中を優しく叩くと、リンダに彼女を預け、奥へ行くように指で示す。

 リンダはうなづくと、ティナを連れてダイニングへ消えた。

 昨日のギャングか。どうやって俺の家を嗅ぎ付けたんだ?

 ジャッキーは疑問を感じつつも、気配の近づいて来たドアへ近寄る。

 と、いきなりドアが叩かれた。呼び鈴も鳴らさず、かなり強くドンドンと叩いて来る。

「誰だ?」

 ジャッキーは誰何した。

 相手は自分で叩くドアの音で、ジャッキーの声を聞き逃したのか、しつこくドアを叩き続ける。

「誰だ!?」

 再度ジャッキーは誰何した。何時でも打って出られるように拳を握り締める。

 やや間があって、ドアノブがガチャガチャと鳴った。

 鍵は掛けていなかったので、ドアは勢い良く開いた。

「やあ……」

 何事かを言いかけながら入って来ようとした東洋人に、ジャッキーは有無を言わさずストレートを叩き込んだ。

 パンチはまともに顔面に入り、男はのけ反った。鼻っ柱を痛打されたので、目が開かない。

 しかしその瞬間、ジャッキーはその訪問者の正体に気が付いた。

「ア……アキラ!」

 しかし不意をつかれた晶は、まだ相手が判らない。咄嗟に伸び切ったジャッキーの腕を掴んで引き込みつつ、強烈な頭突き(心意把)を返した。ジャッキーはたまらず吹っ飛ぶ。

 そこでようやく、晶も相手が誰なのかが判った。

「何だよジャッキー、ひでぇじゃねーかっ、いきなり」

 晶は思わず日本語でわめく。

「な、何でアキラがここに居るんだよ?」

 むせながらジャッキーもわめく。

「俺はお前を心配してだなぁ…」

「心配なら何でこそこそと家に近づいたんだ?」

「おどかそうとしただけだ」

「今はそんなジョークが通るような場合じゃないんだ」

「そんな事知るか」

「大体何で、アキラがここを知ってるんだ」

「サラから聞いたんだ」

「何だってサラが…。そうか、“プレゼント”とか言ってたのはこの事か…。

 ちょっと待て。サラとはどこで逢った?おい、アキラ、お前、サラとどこで逢ってたんだ?」

「何勘ぐってんだよ、お前は。お前の家の前まで行った時に逢って、ここの住所を聞いただけだ」

「何だってサラはここの住所を教えたりしたんだ?このややこしい時に」

「そんな事俺が知るか!第一、“このややこしい時”ってのは何なんだよ」

 ジャッキーと晶とのやり取りが延々と続くのを、リンダとティナは唖然として聞いていた。

 

「なるほど。“このややこしい時”ってのは、そういう事だったのか」

 ソファにどっしりと沈み込んで、晶がうなづいた。赤くなった鼻の頭をさする。

「すまなかったな、アキラ。てっきり、昨日のチンピラ連中がお礼参りに来たのかと思ってな。だいたい、何でコソコソと近寄って来るようなマネをしたんだ?」

「いやサラがな…」

「またサラか?」

「『ジャッキーは、まさかこの別荘に知人が来るとは思ってもいないだろうから、こっそり近付いて驚かせてやれ』なんて言うもんだから、あ、そりゃいいやってなもんで」

「てなもんでってお前…」

 全然悪びれない晶に、ジャッキーは肩をすくめる。だいたい、晶は今回の騒動には全く関係が無い。茶目っ気を出した晶を責める事は出来ないのだ。

「しかし、アキラ」ジャッキーはまだ痛むアゴをさすりながら言った。「心意把、効いたぞ」

「そうか。そりゃ悪かったな」

 晶はしれっと答える。やられたからやり返した。晶の主張は一貫している。

「ところで、おばさん」晶は二杯目のコーヒーを持って来たリンダに尋ねた。「おれ、そんなに悪人面に見えたかな?」

「ごめんね、お兄ちゃん」リンダも悪びれない。「だって、坊ちゃんからあんな話を聞いてたもんだから、てっきり仕返しに来たもんだと……。でも、良く見たらいい男だねぇ」

「ありがとう。そう言ってくれるのは、おばさんくらいだよ」

「あらあら、ご謙遜」

「あー、もしもしお二人さん、ちょっと良いかな?」

 晶とリンダがのどかな談笑に入りそうになったので、ジャッキーは慌てて二人を引き戻した。

「とりあえず、ティナの事だ。ティナ、申し訳なかったけど、君が寝ている間に、ミッキーを調べさせてもらったんだ」

「うん。テリー=ウォンって人の住所のメモが入ってたでしょ?」

「知ってたのか?」

「うん。黙っててごめんね」ティナは肩をすくめながら言った。「本当はね、パパが出て行っちゃった時に、ミッキーの背中の傷に気付いて中を調べたの。そしたら、メモと変な粉の袋が入ってたから、私、また元に戻して、ちゃんと縫っといたの」

 ジャッキーは、何故、とは訊かなかった。ティナはそれが自分と父親とをつなぐ最後の拠り所だと解っていたいたのだろう。

 いじらしい子であった。

「で、ジャッキー」晶が三杯目のコーヒーのおかわりを頼みつつ言った。「これからどう動くのか、予定はあるのか?」

「ああ、それなんだが、テリー=ウォンについて、サラに調べてもらってるんだ。じきにEメールが送られて来ると思うんだ……」

 ジャッキーはそう言いつつ、ノートパソコンを取り出すと、携帯電話のモバイルを差し込んで、インターネットを立ち上げる。

「お、なんだ。今時はケータイからインターネットが出来るのか?」

 晶が驚いた声を出した。

「なんだ、アキラ、お前もインターネットをやるのか?」

「妹がな」

 ジャッキーは会話しながらも手は休めずに、次々と操作をこなして行く。

 確かにジャッキーのアドレスに、サラからのデータが送信されていた。しかし、画面に呼び出した文章は、記号がランダムに並ぶマシン言語でしかなかった。

「なんだこりゃ、バグか?」

「違う。プロテクタが掛かってるんだ」

 ジャッキーは言いつつ、プロテクタの解凍プログラムを起こす。一般回線を使ってデータをやり取りする場合、ブライアント家では独特のプロテクタを使ってデータを暗号化するシステムが出来上がっている。元CIAのエンジニアに作らせたそれは、国防総省をも手こずらせる一級品である。

 ジャッキーはブラインドタッチでどんどん作業を進めていく。

「ジャッキーお前、凄いな。パソコンを軽々と扱って」

 晶が感心して言った。

「そりゃ当然だろ。俺を誰だと思ってるんだ?」

「ボンボンのレーサー」

「格闘家ってのも忘れないでくれ」

「その実態はパソコンおたくか?」

「うるさいな。今時パソコンが出来ないと、何かと不便なんだよ」

「俺は困った事は無いぞ」

「いる、いらないは人それぞれさ。俺は欲しいのさ」

 ジャッキーはそう言うと、最後に実行ボタンを押した。

 マシン言語の羅列だった画面が、ちゃんとした文章に変換される。

「おお、出た出た。どれどれ、テリー=ウォン、1952年サン・フランシスコ生まれ。――逮捕歴三度、そのうち二度は証拠不十分、一度は保釈、か。全部麻薬がらみだな」

「ブローカーって奴だな」

「ティナの親父さんは、こいつらからブツを仕入れて、シアトルのチンピラ相手に商売をしてたって訳か……。あぁ、ごめんな、ティナ」

 ジャッキーは頭をかきながら、ティナに言った。

 しかし、ティナは気丈にも表情を変えなかった。

「ううん、大丈夫。うすうす判ってた事だもん。でも……」

「こんな事は早くやめて、帰って来て欲しいよな」

 ジャッキーは優しく言うと、ティナの肩にそっと手を置いた。ティナはしがみつくようにその手を握って、唇を噛みしめた。

 そんなティナの鼻先に、ダルメシアンがのっそりと近づいて、濡れた鼻を押し付けた。遠慮がちに彼女の顔をなめる。

「まあ、ザナルディ、慰めてくれるの?」

 ティナはダルメシアンの首筋に抱きつくと、頬をすり寄せた。ダルメシアンも、細い尻尾を千切れんばかりに振りながら体を寄せる。

 ジャッキーはそんなティナに微笑みかけると、おもむろに立ち上がった。

「さて、と。すまんがアキラ、ティナと一緒に留守番していてくれないか?」

「別に構わんけど、どこへ行くんだ?」

「ああ、ちょっと知り合いの所へな。大事な用なんだ」

「ああ、そうか」晶はそれ以上尋ねなかった。「まぁ、気を付けてな」

「アキラこそ、ティナのボディガード頼んだぜ」

「任せとけって。俺を誰だと思ってるんだ?」

「プータローの格闘バカ」

「バカは余計だ」

 晶は笑いながら、ジャッキーの掌をパチンと叩いた。

 

       [5]

 

 夜が明けて、ティナがパパと会う約束の日になった。

 レイク・ビュー墓地の入口にバイパーを停めると、ジャッキー、晶、ティナの三人は、黙ったまま墓地内の道を歩き出した。

 ティナは父の姿を求めて首を左右にめぐらせている。

 晶は並んで歩くジャッキーとティナから三歩ほど下がって、周りを警戒している。

 結局、「大事な用」で出掛けたジャッキーが家に帰って来たのは、夜八時を過ぎてからだった。目を充血させて帰って来たジャッキーは、

「目が疲れた」

とだけ言い残して、ソファーに倒れ込んで寝てしまったので、彼が一人で何をして来たのか、晶には判らずじまいだった。

「ま、なるようになるだろう」これが、晶の結論だった。

 深まりゆく秋に、木々の葉が様々な色に色づいている。

 さすがの晶もTシャツ一枚では寒いので、ジャッキーのスタジャンを借りて羽織っている。スレンダーなジャッキーには余裕のあるサイズだが、晶が着ると前のファスナーが閉じられない。無理に閉じても窮屈なので、少し寒いが我慢してジャンパーが風にはためくのに任せている。

 三人はやがて、道を外れて芝生の上を歩いていた。

 数々の墓の間を通り抜ける。

その墓の中に、黄色い大理石の墓石がジャッキーと晶の目に留まった。

「ああ、そうか。ここにあったのか」

 晶はそう言うと、その墓の正面に回り込んだ。

 墓碑銘は、

『BRUCE LEE 李振藩 Nov.1940‐July.1973

 FOUNDER OF JEET KUNE DO』

と刻まれている。

「そう。截拳道(ジークンドー)の始祖、ブルース=リーの墓だ」ジャッキーが静かに言う。「俺もたまにここへ来て、物を考える事があるよ。ここに刻まれている『無法を以て有法とする。無限を以て有限とする』という文を読むたびに、何かこう、考えさせられるものがあるんだ」

大の男二人が、場違いな感傷にふけっている間も、そんなものに全く興味の無いティナは、懸命に父親の姿を探していた。

やがて、木立の向こうから、疲れた様子で歩み出て来る男の姿がティナの目に映った。

「あ、パパっ!」

 ティナは男の姿を見るなり、ひと声叫んで走り出した。そして体ごとぶつかって行くような勢いで、男に飛びついた。

「パパ、パパ、会いたかったよ」

 耐えに耐えて来た少女は一気に感情を爆発させた。父親にしがみついて声を上げて泣き出した。

「すまない、ティナ。大丈夫だったかい?」

 男が優しく尋ねる。

「大丈夫じゃなかったんだよ。マイク=エステファンさん」

 ゆっくりと近づいて来たジャッキーの言葉に、男は顔を上げた。

「誰だ、お前は。何で俺を知ってる?」

「別に、大して知ってるって訳じゃあ無いんだけどな。

 俺はジャッキー=ブライアント。あんたに置いてきぼりにされた可哀相なティナを、行きがかり上助けてあげたんだが……。

 あんた、親として恥ずかしくないのか?こんなかわいい娘を……」

「若造が知ったような口を利くな。俺がどれだけティナの事を考えていたか、どれだけティナの事を心配したか、お前には解るまい」

「生憎、自分の感情に任せて行動して定職も持たず、手っ取り早く悪の道に踏み込んだような奴の考えてる事なんか、俺には解らんね」

 ジャッキーはきっぱりと言い捨てた。

 マイクの額に青筋が立つ。

「なんだとこの餓鬼、いきがってんじゃねぇぞコラ」

 マイクはティナを自分の背後に庇いつつ立ち上がった。

「うるさい。偉そうに父親面するなら、ティナに土下座して懺悔しろ。許すか許さないかは、ティナ次第だ。少なくとも俺は許さん」

「ふざけるな!」

 泣き止んだティナが止める間も無しに、マイクはジャッキーに殴り掛かった。

 ジャッキーは余裕でかわす。

「エステファン、あんたが出来ないなら、俺が代わりに懺悔してやるよ」

 ジャッキーはマイクとの間を少し空けて言った。

「あんたはシスコのテリー=ウォンから麻薬を手に入れ、ストリート・ギャングのエンファスのチームに売った。しかし、それだけでは満足出来ずに、エンファスに売る分をピンハネして、その分を対抗チームのカートランドの所へ持ち込んだ。

 ところが最近になって、エンファスとカートランドの仲が良くなって来て、あんたのピンハネがばれてしまった。それでエンファスの連中に追われて、あんたは逃げ回る事になった……。違うか?」

「黙れっ!」

 マイクはさらに手を振り上げた。

 ジャッキーはそのパンチを獵手(ラプサオ)で引き込んだ。

 マイクは地面に引き倒されたが、その勢いで前回り受け身をして立ち上がった。

「で、さらにあんたはテリーの連絡先を、事もあろうにティナのお気に入りのミッキーの中に入れ、ほとぼりが冷めた頃にまた同じコネを使い、別のチームなり何なりを相手にもう一儲けをしようともくろんだ。そうだろ?

 そのケチ臭い了見が、ティナに危険を呼び込む事になると、気が付かなかったとでも言うのか?それとも自分の手元にさえコネのルートを示すものが無ければ、自分の身の上だけは安全だと、虫の良い事を考えて、ティナの事は眼中に無かったとでも言うのか?」

「もうよせ、ジャッキー」

「パパ、もうやめてっ!」

 晶が二人の間に割って入るのと、ティナが叫びながらマイクの足に取りすがるのは、ほぼ同時だった。

「止めるな、アキラ。俺はこいつみたいな、安易な道を選んでおきながら、いざ何か事が起こったら『誰々の為にやったんだ』とか言って逃げを打つ様な奴は大っ嫌いなんだ」

「そりゃお前は怒りをぶちまけて気が晴れるかも知れんが、ちょっとはティナの気持ちも考えてやれ」

 晶は言いつつ、ティナの顔を見た。

 ティナはそんな晶に悲しそうな顔で微笑んだ。

「ありがとう、アキラさん。でもいいの。悪いのはパパだもん」

「―――すまない、ティナ」ジャッキーが、多少落ち着いて言った。「俺一人で怒ってみても、どうしようもない事なんだよな。でも、どうしても許せなかったんだ。

 ―――いや、一番許せないのは、君自身だよな」

「ううん、そんな事ないよ」

 ティナの笑顔は、むしろ晴れ晴れとしていた。

「だって、パパの事大好きだもん。もう悪い事はやめて、ママと三人で仲良く出来たら、それが一番だもん」

「そうだよな。家族みんなで仲良く暮らせるのが一番だよな」

 晶の能天気さは、この場面では大いに役に立った。

「きっと、パパも判ってくれるさ」

「うん」

 晶の明るさにつられて、ティナも元気にうなずいた。

「ところで、エステファン」

 ジャッキーが、すっかり意気消沈しているマイクに尋ねた。

「今日ここにティナを呼び出したのは、どう言う訳なんだ?」

「―――考えたんだ」ややあって、マイクは重い口を開いた。「俺は、小さい頃から貧しさの中にいた。俺の母はメキシカンで、俺はダンス・ホールでコンパニオンをしているうちに、常連の白人との間に出来た私生児だった。俺が生まれるまでは、それでも金の工面もしてくれていた男だったが、生まれた赤ん坊を見た途端、どこかへバックレしやがった。本当に赤ん坊を見て、世話をするのが怖くなったんだろうよ。

 おれは、そんな母に育てられた。だから、ティナには金が無い事でみじめな思いをさせたくなかったんだ。

 だがまともに働いても、小学校しか出ていない俺は、大した稼ぎも無い。一攫千金を狙うには、バカなストリートギャングどもから巻き上げるのが一番だと思ったんだ」

「しかし、違うと気付いた訳だな?」

 晶が合いの手を打った。

「ああ。金があったって、俺がコソコソ隠れていたんじゃ、ティナは幸せにはなれん。やはり、まっとうに暮らしてこその幸せだという事に、やっと気付いたんだ。それで、今までの事を清算する為に、ヤクのルートを全てエンファスにくれてやる事にしたんだ」

「その取引をここでするって訳か」

 ジャッキーが鋭い目をしながら言った。

「そうだ」

「自分の間違いに気付いたのは褒めてやるが、取引の場にティナを連れて来たのはまずかったな」

 ジャッキーの目は、墓地の道路を走って来る三台のオンボロキャデラックを見ていた。晶もそれに気付いた。

「十二か、十五か?」

 晶がジャッキーに尋ねる。

 表情が心なしか明るい。荒事は基本的に嫌いでは無いのだ。

「多ければ、十八だ」

 ジャッキーも表情が明るい。マイクに対する怒りを転嫁させるには、丁度良い相手だ。

 車はジャッキー達の近くに停まると、ドカドカと人を吐き出した。

 白人、黒人、東洋人、取り混ぜて十六人いた。

「間を取って十六か」

 ジャッキーがボソッと呟いた。が、次の瞬間、晶と同時に叫んでいた。

「あー。お前らか!」

 十六人の中に、ジャッキー、晶の双方にぶちのめされた三人組が混ざっていた。そのうち白人二人は、晶にやられたお蔭で、首にギプスをはめている。

 彼らは一瞬ひるんだが、すぐ立ち直った。

「ヤイ、エステファン、てめぇ用心棒なんか雇いやがって。とことんナメた野郎だな!」

 鼻にガーゼ、首にギプスをはめた男が叫んだ。とりあえず、彼がこの集団の切り込み隊長とでも言ったところか。見た目のお蔭で、迫力は半減だ。

「別に俺はあんたらと争う気は無い」マイクは力無く言った。「ヤクに関しての情報は、全部あんたらに渡す。そして、俺は手を引かせてもらう。それでいいか?」

「なめんな、おっさん」

 キプス男は言うなり、バタフライナイフを取り出した。

「俺達を散々コケにしといて、ヤバくなったらトンズラか?そりゃ許されねぇだろ」

 そのナイフを制するように、一人の男が一歩進み出て来た。

 まだ二十歳前ぐらいで、この集団の中でも若い方に入るくらいだが、その雰囲気は他を圧倒していた。

「エステファン。あんたはただのバイヤーを気取って、上手く立ち回ったつもりだろうが、やっぱり取引は取引だ。ガキの使いじゃねぇんだ。それなりの制裁は受けてもらわなくちゃな」

「エンファス、後生だ、見逃してくれ」

「そうは行かない。東洋の諺に『因果応報』ってのがあるだろ?自分の行動には責任を持たないとな」

「お前らが言うなよ」

 思わず晶は突っ込んでしまった。

「因果応報を知ってるなら、最初に報いを受けるのは自分自身だって事、勿論判ってるよな」

「何だ、お前は?」

「結城晶。お前の子分に世話になった者さ」

「じゃあ、エステファンとの事とは無関係だろ?引っこんでろよ」

 エンファスはギロリと晶をねめつけた。なかなかの迫力である。

「そうでもないさ。お前らティナに手を出したろ。それで関係は十分にあるね」ジャッキーはエンファスに鼻で笑って見せた。「だいたいお前ら、エステファンから買ったヤクを、さらに高値で売りさばいてたんだろ?因果応報を言うなら、そこで話しは終わりだ。

 エステファンが足を洗うって言うんだ。黙って情報だけ持って、どっかへ失せちまえよ」

 ジャッキーのふてぶてしい態度に、落ち着き払って見えたエンファスは、ごくあっさりと切れた。

「ふざけんな、てめぇ!お前ら、このこうるせぇ奴らをぶっ殺してワシントン湖に沈めちまえ!」

 最初から暴力に訴えるつもりはあったのだろう。ギャング共はすぐさま臨戦態勢に入った。

「ま、そういう事さ。エステファン、ティナと一緒に下がってろよ」

 ジャッキーは言いつつ構えを取った。

 晶もスタジャンを脱ぎ捨てて構える。

 ジャッキーに五人、晶に六人ついた。

 一人は戦いの場を大きく回り込んで、マイクに近づこうとしている。

 エンファス、黒人、背の高い東洋人、ガタイのいい白人はその場から動かなかった。

 ジャッキーは五人を見まわした。

 二人は首にギプスをはめた、以前にぶちのめした奴らだ。一人はバタフライナイフ、もう一人は伸縮式の警棒を持っている。

 あとの三人は、それぞれ長さ一メートルほどのジョースタッフ(杖)を持った、並の体型の白人少年だ。全員の平均年齢はいいとこ十九歳くらいだろう。

「お前ら、本当に懲りない奴らだな。何をやったか知らないが、アキラにもどつかれたみたいだな」

 ジャッキーが、ギプスも痛々しい二人に向けて言った。

「うるせえ。今度こそは泣かしてやるぜ」

 ガーゼ・ギプス男はそう言うと、ナイフを動かして合図をした。

 スタッフを持った二人が、左右から袈裟掛けに打ち降ろして来た。別に何の訓練をした訳でも無い、力任せの一撃だった。しかも息が合わず、二人バラバラに打って来る。

 ジャッキーは余裕でそれをかわすと、素早くバックステップして間を取った。

「お前ら、もう後戻りは出来ないぜ」

 ジャッキーはそう言いながら右手を背中に回すと、ベルトに挟んでおいたヌンチャクを取り出した。

「あ、てめぇ汚ねぇぞっ。武器なんか出しやがって!」

 ガーゼ・ギプス男がわめいた。

 ジャッキーはその言葉に突っ込みを入れる代わりに、猛烈な勢いでヌンチャクを振り回した。最後に脇の下に挟んで決めをつくる。

「言っとくが、手加減はしないぞ」

 ヌンチャクさばきを見せられた後のその一言は、少年達には十分すぎるほどの説得力があった。

 しかし、五対一、数の上では負けてはいない、それだけが彼らの闘争心を支えていた。

 最初に打ち掛かって来た二人が、再度仕掛けて来た。間合いが広い、という理由だけでこの武器を選んだのだろう、全く扱い切れていない。二人の攻撃は、ジャッキーにはほとんど止まって見えた。

 右の打ち込みを体を開いてワンパクサオ(外受け流し)で払いつつ、左からの打ち込みを一歩踏み込む事によってかわすと、その動きを利用して体を回転させ、勢いをつけたヌンチャクを左の少年の顔面に叩き込んだ。

 羅通掃北という技である。

 打たれた少年は、鼻血を噴き出して倒れる。

 一瞬ガラ空きになった胴に、三人目のスタッフが横なぎに打ち込まれた。ジャッキーは咄嗟に上体を倒しながら左のジャクテック(横蹴り)でスタッフを握っている手を狙った。

 蹴りは手には当たらなかったが、スタッフを蹴り上げる結果となり、スタッフはジャッキーの頭のかなり上で空振りした。

 今度はそこへ一人目が上段から打ち降ろして来た。

 ジャッキーはヌンチャクを両手で持ち、水平に伸ばしてそれを受けた。ヌンチャクの両端をつなぐひもの部分で受けると、そのままスタッフをからめ捕り、少年の手から奪い取った。

 武器を奪われて一瞬棒立ちになった少年の顔面をヌンチャクで左右に打ち抜き、とどめに後ろ回し蹴りで地面になぎ倒したジャッキーは、ヌンチャクを右肩に担ぐような姿勢で構えを取った。

 残ったスタッフを持つ少年を睨み付けると、バンッと強く地面を踏み込んだ。

 内心すくんでいた少年は音に驚いて、思わずスタッフを振り降ろす。

 それを間合いで見切ってかわすと、蘇秦背剣という技で、頭を上から打ち抜いた。

 少年は白目をむいて倒れた。

「後はお前らだ。悪びれた生活をしてた事を悔やめ」

 ジャッキーはそう言いながら、伸縮式警棒を持ったギプス少年の顔面に水平に打ち込んだ。

 少年は咄嗟に警棒で受けたが、ジャッキーの手元の方を受けたので、つなぎ目から先が巻き込むように後頭部に当たった。思わず前のめりになる少年に、ジャッキーは返す刀でヌンチャクを袈裟斬りに打ち降ろした。少年は糸の切れた人形のようにくずおれる。

 雪花盖頂という技である。

 ヌンチャクを振り降ろしたスキを突こうと、鼻ガーゼはナイフで突きに来た。

 ジャッキーはヌンチャクを下から跳ね上げた。鼻ガーゼは何とか体をのけ反らせてかわす。

 今度はジャッキーがそのスキを突いてグワテック(膝先の回し蹴り)で鼻ガーゼのナイフを蹴り飛ばし、ガラ空きの顔面をヌンチャクで張り飛ばすと、左ピンチョイ(横拳)、ジュンソーテック(後ろ回し蹴り)のコンビネーションを叩き込んだ。

 鼻ガーゼは大の字になって倒れた。

 

 晶についた六人は、グルリと周りを取り囲んだ。

 五人が警棒、一人だけグルカナイフを持っている。

 警棒はまともに喰らいさえしなければ、怖くない。しかし、ナイフで出血させられると、スタミナがガタリと落ちてしまう。

「グルカナイフは要注意だな」

 晶は日本語で呟いた。

 そこへ警棒の少年が、わめきながら打ち込んで来た。

 晶は鷂子穿林でそれをかわすと、大鵬展翅という技で足払いをしつつ背中を叩いた。

 少年がつんのめったところを、素早く捕まえて手から警棒を奪うと、

「とりゃっ!」

と間の抜けた掛け声と共にそれを投げた。

 警棒は狙いあやまたず、マイクとティナに近づこうとしていた少年の頭に、鈍い音を立てて当たった。少年は人形の様にくずおれた。

「抜け駆けは、いかんぞ」

 晶は言いつつ、六人に向かって構え直した。

 先刻の一撃で、だいたい少年達のレベルが見えた。

 あっさりと囲みを抜けられた少年達は、てんでバラバラに攻撃を仕掛けて来た。

 一人目の警棒をダッキングしてかわしつつ、翻胯で崩し、そこへ衝拳。

 二人目の打ち込みを、間合いを切ってかわして斧刃脚から衝拳と向捶のコンビネーション。

 三人目には晶が自分から仕掛けた。慌てて打ち込んで来るのを、内側から腕を押さえて制しつつ、降龍。

 四人目は大上段から頭めがけて打ち込んで来た。晶は半歩で懐に踏み込んで左肘を腋下に打ち込み、相手がよろけたところへ打開。

 四人までが、一、二発づつでやられたのを見て、グルカナイフを持った少年は、ナイフを左右に振り回しながら突っ込んで来た。

 晶は一度引いて間を取ると、相手がじれてナイフで突いて来たその手首を外に払いつつつかみ取ると、獅子小張口を用いて、肘の逆を取って地面に引き倒した。跪膝で顔面を殴ってとどめを刺すと、取り上げたグルカナイフを遠くまで放り投げた。

 残った一人は丸腰のまま、それでも気丈に晶に殴り掛かって来た。

 晶はそのワンツーをさばくと、斜胯で吹っ飛ばした。少年は、倒れてそのまま動かなくなった。

 十一人が、二人に瞬く間にやられたのを見て、エンファスは小さく舌打ちをすると、顎をしゃくって見せた。

 黒人がのっそりと動き、ジャッキーの前に立った。

「なかなかやるな、あんた」

 黒人はニヤニヤと笑いながら言った。

「一丁、俺と勝負してもらおうか。で、お前の次は、お前だ」

 黒人はそう言って、晶を指した。

 晶はそれに肩をすくめて答えただけだった。

「手っ取り早く頼むぜ」

 ジャッキーはそう言うと、ヌンチャクを捨てて構えを取った。

 黒人はいきなりアプチャギ(前蹴り)を放って来た。

 ジャッキーはそれをスウェーで難無くかわすと反撃をしようと動きかけた。

 と、黒人の蹴り足が宙に浮いたままヨプチャギ(横蹴り)に変化した。

 ジャッキーは慌ててワンパクサオで外へ払う。と、今度はその足が外からのトルリョチャギ(回し蹴り)に変化した。

何とかそれをビルサオで受けたが、今度はさらにそれがヨプフリギ(カケ蹴り)に変化した。流石にさわし切れずに蹴りを喰らい、ジャッキーは吹っ飛んだ。ただ、咄嗟に蹴りの方向に飛んで力を逃がしたので、ダメージは軽減した。地面を転がって素早く立ち上がる。

「跆拳道か。なかなか厄介だな」

 ジャッキーは呟きながら、親指で唇の端に流れ出た血をふき取り、ペロリと舐めた。

「ここまでかわした奴は珍しいぜ」

 黒人はニヤニヤしつつ言った。右・左と構えをスイッチしながら、蹴りの間合いをキープしている。

 ジャッキーは大きく鼻息を吹くと、リズミカルにステップを踏み出した。

 黒人は大きく踏み込むとトルリョチャギを放って来た。ジャッキーはバックステップでかわす。

 それをティッチャギ(後ろ蹴り)で追って来る。

 今度はジャッサオで叩き落とす。それと同時にジャッキーはノウテックを放つ。

 黒人は上体を倒してかわしつつヨプチャギでジャッキーの胸を蹴った。

 不安定な姿勢だったので、ジャッキーは吹っ飛ばされて倒れた。が、素早く立ち上がる。

「蹴りは、俺の方が上手いようだな」

 黒人がうそぶく。

 ジャッキーは無言で構えを取った。

 黒人が再度アプチャギを放とうとした。

 ジャッキーはジクダムテック(斧刃脚)で技の出掛かりを止めた。

 黒人は驚きの表情を見せて一度間合いを取った。ステップを整えて、今度は間合いを詰めつつヨプチャギ(横蹴り)を狙う。

 ジャッキーはこれもジー・ジャクテック(横蹴りストッピング)で出掛かりを止めた。また間合いが開くところをジャッキーが詰めて、左斧刃脚を繰り出す。

 黒人はそれを脛でブロックする。

 ジャッキーは再度左斧刃脚を出し、それをフェイントにして、素早い右のノウテック(回し蹴り)を顔面に見舞った。

 ぐらついた黒人は、雄叫びを上げながら突っ込んで来た。

 ジャンプして、空中でトルリョチャギ(回し蹴り)とティフリギ(後ろ回し蹴り)の連続蹴りを放って来る。

 ジャッキーはそれを地面に倒れ込みながらかわしつつ、ジクテックを黒人の股間に喰らわせた。

 黒人は呻きながら倒れ込んだが、それでも立ち上がった。

「どうした?そんなもんか?」

 今度はジャッキーがニヤニヤし返してやる。

 もの凄い形相で黒人が突っ込んで来る。

 前蹴りが来たので、ジャッサオで叩き落とす。

 黒人はそのまま止まらず背を向けると、地面に手を付けつつ縦回転のメイアルーア(後ろ回し蹴り)を放つ。

 それをダッキングでかわすと、今度は後掃腿のようなハスティーラ(足払い)が来た。咄嗟に跳び上がってかわす。黒人は更に回転して背中を向けた。

 ジャッキーは黒人の動きを見切った。一瞬の勘で、体を低くして後掃腿を放った。

 黒人はバク転するような姿勢で蹴りを出そうとしていた。その顔面に、ジャッキーのカカトがめり込んだ。

 黒人は折れた歯を吹き散らしながら倒れた。

「あぶなーっ。カポエィラとは恐れ入ったぜ」

 ジャッキーは顔をぬぐいながら立ち上がった。

 黒人の技をカポエィラだと見破った時点で、最後の技がエスドブラードだとヤマを掛けたのだが、それが的中したのだ。

 立ち上がって首を回しているジャッキーに、背の高い東洋人が近寄って来た。

 その二人の間に晶が割って入る。

「ご苦労さん。こいつは俺が貰っとくよ」

 晶はそう言うと、東洋人に向き直った。

 東洋人はむっつりと黙ったまま晶に近づくと、おもむろに構えを取った。

「なんだ、蟷螂拳か。判りやすい奴だな」

 晶はのんびりと言った。

 東洋人は極端なまでに低い蟷螂捕蝉式を取っている。間合いは六歩半分ぐらいある。

 おもむろに歩いて間合いを詰めようとした晶に、東洋人は箭疾歩で突っ込んで来た。晶は慌てて三才歩でかわすと、さらに一歩下がって仕切り直した。

 東洋人は素早く態勢を立て直すと、烈火の勢いで攻め立てて来た。

 連三捶、八翻錘等ストレート系の連打で突っ込んで来るのを、晶はガードを固めて耐える。と、今度は圏捶穿心捶や流星趕月といったフック系や低い蹴りの入ったコンビネーションに切り替えて来た。

 ガードの隙間をついて蟷螂拳の連打が晶を打つ。

 東洋人の連打は止まる所を知らず、晶は防戦一方となる。

 見ているジャッキーが心配になった時、ようやく晶が東洋人のコンビネーションの隙をついてジャブを放った。が、東洋人はそれを蟷螂勾手で受け掛けてさばくと、ガードの空いた晶の顔面に五打連環劈を叩き込んだ。

 晶の顔がのけぞった所に、更に三捶を突き込むと、破刀手揪腿を掛けた。

 東洋人も、ジャッキーも、晶が投げられたと思った。

 しかし、晶は微動だにしなかった。まるで岩を投げようとしたかのような重さに、東洋人はうろたえる。

 そこから強引に大展拍で投げようとしたが、やはり動かない。

「ぬるいな」晶は呟いた。「リオンの方がはるかにキレも威力もあったぞ」

 東洋人は何の事だか判らない。

 とにかく一旦仕切り直そうと、身を引こうとした。

 晶はそれを許さず、抽別子で崩すと同時に相手の肩肘の関節を極める。そして低い位置にある顔面に、抱艇提で膝蹴りを入れた。

 東洋人はゆっくりと人形の様に倒れた。鼻血で顔面が真っ赤になっている。

 晶は大の字に倒れた東洋人を見下ろして肩をすくめると、もう一人残っているガタイの良い白人に手招きをした。

「俺に何か用かい?にいちゃん」

 白人が近づいて来る。晶よりもごっつい筋肉ダルマである。

「あんた、東洋武術やってるだろ?」

「何でそう思うんだ?」

「いや、体型がね、そっくりなんだよ、東北系の人達に」

「惜しいな。俺は台湾系だぜ」

「そうか、そりゃ興味深いな」

 晶と白人はそんな遣り取りを交わすと、お互いに身構えた。

 晶は相変わらずやや前重心の小さな構え、白人はやや後ろ重心の大きな、そして低い構えである。

 晶はとりあえず動く。ジャブからの向捶を放つ。

 白人は一歩下がりつつ巻き取って払うと、そこから一歩踏み込んで右冲捶を打ち込んで来た。晶は咄嗟に肘でブロックする。白人は更にそこから伸び切った腕を肩で突き込んだ。

 晶は吹っ飛ばされて尻餅をついた。

「俺の寸捶の威力はどうだ?」

 白人が勝ち誇った顔で言う。

 晶は涼しい顔で立ち上がる。

「確かに良く飛ばされるなぁ。でも、それだけだ」

 晶はごく普通の表情で言う。

 その態度に白人はムッと来る。

「そうか。じゃあ、これでも喰らいな!」

 白人は大きく踏み込んで来た。

 もの凄い震脚の音を響かせての冲捶。

 今度は三才歩でさばく。

 白人はそれを追いかけて欄捶で突く。

 晶はそれを雲手でさばいた。

 白人は更にそこから半歩踏み込んで寸捶を放つ。

 晶はそれを猛虎爬山で払い落とす。

 白人は更に半歩踏み込んで、肘と崩捶を連続して打ち込んで来た。

 晶はそれを受けると、獅子小張口で肘の関節を取りに行った。六肘頭の応用である。

 白人はそれをパワーで無理矢理振りほどいた。その態勢から通天炮、劈掌を連続して放ち、晶がさばくのに合わせて懐に入り込み、鉄山靠をぶちかました。

 晶がよろめく所へ左の寸捶を二発、そして更に一歩上歩して掌捶を打ち込んだ。

 晶は吹っ飛ばされて倒れた。

「ハッ!でかい口を叩いた割にゃ、大した事ねぇ奴だな」

 白人はニヤつきながら言ったが、その笑みが引きつった。

 晶がのっそりと立ち上がったのだ。

「李書文系の猛虎硬爬山か。とん捶って奴だろ、それ。いや、結構効くんだけどな、その突きって、後ろに押される感じが強くて、あんまり威力が体に残らないんだよ」

 晶はそう言いつつ、無造作にスタスタと白人に近づく。

 白人は慌てて閻王三点手を放って来る。

 晶は間合いを見切ってかわすと、三発目の目突きを外から白人自身の身体に押し付けて上体を封じ込んだ。

 左外から押さえ込んだので、白人の左脇腹がガラ空きになる。

「なあ、白人の八極使いさん。寸勁の発力ってのは、こうやるもんだぜ」

 一瞬、晶の全身が震えた。

 白人の様に肘を伸ばし切らず、体はほとんど接した状態だったが、かなりの衝撃だったのだろう、白人の顔が蒼白になる。

「おお、流石に良いガタイしてるだけあって、打たれ強いな。大したもんだ」

 晶はそう言うと、更に二発寸勁を打ち込んだ。

 白人は呻きながら体を二つに折った。晶はそれを許さず冲天衝で突き上げ、止めに両儀肘を打ち込んだ。

 白人は地面に叩き付けられる様に倒れた。口から泡を吹いている。

 晶はそんな白人を見下ろし、東洋人にした時と同じ様に肩をすくめて見せると、目を上げてエンファスの顔を見る。

「さあ、どうする大将?」

 晶に言われて、エンファスはゆっくりと動き出した。

「全く、役に立たん子分を持つと苦労が絶えねぇな」

 エンファスはそう言うと、ペッと唾を吐いた。

 そんな彼の前にジャッキーが立ちふさがる。

「とうとう真打ちの登場だな」

「あんたもおせっかい焼きな奴だな。これは、俺達とエステファンとの問題だぜ」

「ああ。しかし、ティナには何の関係も無かったはずだ。麻薬密売のルートなんか、おっさん一人を捕まえて聞き出せば済む事だったんだ。俺は、巻き添えを喰ったかわいそうなティナの為に、お前をぶちのめす」

「ほおぉ、そりゃお優しいこって。涙が出る様な話だ」

 エンファスは言いながら、左ジャブを放った。

 ジャッキーの顔が左に弾けた。

 速い。

 少なくとも、今の一撃は見えなかった。

 再度放たれたジャブを、ジャッキーはビルサオで受けた。が、連打をさばき切れず、もう一発貰った。

「甘いな、ニイさん。截拳道では、俺のパンチはさばけんよ。まぁここまでだな」

「ムカツク奴だなお前は!」

 ジャッキーは吐き捨てる様に言うと、右チュンチョイ(縦拳)左ピンチョイ(横拳)右トウチョイ(横打)のコンンビネーションを放った。エンファスは頭を振ってジャッキーの懐に入り込むと、ワンツーアッパーを叩き込んだ。

 ワンツーでのけ反ったお蔭で、最後のアッパーは辛うじてかわす事が出来たが、そのパンチの速さには内心舌を巻いた。

「なるほど。それだけのボクシングのテクニックがあれば、手下を操る事も可能だって訳だ。恐怖で統制を取ってるんだな」

「まあ、そういう事だ。結局、最後に勝つのは俺なのさ」

 エンファスはそううそぶくと、一歩踏み込んでワンツーを放った。

 ジャッキーは、ジャブは頬をかすめたものの、右ストレートはワンパクサオで受けた。

「小僧、あんまり俺を甘く見るなよ」

 ジャッキーは低い声で言うと、リードジャブのチュンチョイを連打で放った。

 エンファスは二発までまともに喰らい、三発目は辛うじてスウェーで避けた。

 スウェーは上半身は逃げるが、下半身は残る。

 ジャッキーは、渾身の力を込めたローキックをエンファスの足に叩き込んだ。

 あまりの威力に、エンファスの身体は半回転して地面に叩き付けられた。

 慌てて立ち上がるが、ローを喰らった左足には力が入らない。

「ちょっとくらいボクシングが上手いからって、自惚れるなよ、このガキ。刑務所に入って今までして来た悪行を悔い改めるんだな」

 ジャッキーはそう引導を渡すと、チュンチョイ(縦拳)ピンチョイ(横拳)ジャンダ(肘)ジュンソーテック(後ろ回し蹴り)のコンビネーションを叩き込んだ。

 エンファスは白目をむいて倒れた。

「お山の大将が偉そうに吠えるから、こういう目に遭うんだ。いいザマだ。

―――さて、ティナ、エステファン、大丈夫…」

 ジャッキーがティナの方を向いてそう言いかけた時、ティナがもの凄い勢いで飛びついて来た。

「ジャッキー、ジャッキー、良かった無事で!」

 ティナが泣きながらしがみついて来る。

「んー、あんまり無事でも無いんだけどね」

 ジャッキーが冗談めかして言った。確かに、左眉のあたりや左頬が青くなっている。

「アキラも大丈夫だった?」

 ジャッキーにしがみついたまま、首だけ晶に向けて、ティナが尋ねた。

「ありがとう。まあ、俺は見ての通り頑丈に出来てるから、心配はいらないよ」

 晶の方は本当に心配なさそうである。

 そんな二人を見て、ティナもようやく落ち着いて来た。

「でも、ジャッキーもアキラも、あんなに大勢を相手にしたのに、凄く強かったね」

「ちょっと殴られすぎだけどね」

 ジャッキーはそう言って、人懐っこい笑顔を見せた。ティナもつられて笑顔を見せた。

 晶はまだ元気が残っているのか、倒れているギャング達の間を歩いて回っている。

 そこへタイミングを見計らったかのように、パトカー二台とS(シアトル).P(ポリス).D(デパートメント).と大きく白抜きされたバンが二台やって来た。

 警官達はパトカーから降りて来ると、倒れているギャング共を引きずり起こし、バンの中へ押し込んで行く。その警官の中の一人がジャッキーに近づいて来た。

「やあ、ジャッキー。見事なお手並みだったな。そこの日本人も凄かったよ」

「やあ、巡査部長。わざわざありがとう」

 ジャッキーはティナの頭をなでながら言った。

「何とか上手い事片付いたよ。ところで例の人は、連れて来てくれただろうね?」

「ああ。ポートランド美術館の学芸員をしているって言うんで、わざわざヘリでご同行頂いたよ」

「すまない。手間を掛けた」

「なに、君には世話になってるしな。今回はK.A.R.Tのホームストレッチ席の券で十分さ」

「判った」

「ワイフの分もだぜ」

 ジャッキーと警官のそんな遣り取りの間に、ティナ、そしてマイクは、パトカーの脇にひっそりと立っている人物に気が付いた。

「マ……ママ?ママなの?」

 ティナはジャッキーから手を離して、数歩、彼女に歩み寄った。が、やがてそれは小走りになり、最後には全力で走ると、ティナは母親の腕の中に飛び込んだ。

 ミス・エステファンとティナそしてマイクが久し振りの再会に涙している時、それを見て思わず貰い泣きしそうなジャッキーの傍らへ、バツの悪い顔をした晶がやって来た。

「ジャッキー、すまない。借り物なのに……」

 晶の手には、踏みにじられて泥まみれになったスタジャンがボロきれの様にぶら下げられていた。

 

       [6]

 

 それから一週間、晶はジャッキーの別荘に滞在した。

 ジャッキーが今でもたまに顔を出している、截拳道の道場に顔を出して、そこの学生をK.O.したり、ジャッキーに無理矢理、オリジナル・リーバイス・ストアに連れて行かれてショッピングにつき合わされたり、夜は夜で毎日毎日日替わりで、パブやバーでボトルを空ける日が続いた。

 そんな毎日でも、晶は毎朝六時半に起きると、馬歩タントウを練り、基本功を繰り返し、套路を何本も打った。

 最初は面白半分に一緒に練習をしていたジャッキーだったが、やがてシャドートレーニングとウェイトトレーニングしかする事の無いジャッキーは飽きてしまい、朝食までベッドから出て来なくなった。

 別荘の芝生が基本功の往復と套路の震脚でだいぶ痛んで来た頃、晶は不意にある事を思い出した。

「ああ、そういやぁ、あんな約束、したっけな」

 ダウンタウンのジャズ・バー「ニュー・オーリンズ」で、R(リズム)&(アンド)B(ブルース)の生演奏を聴きながら、晶が呟いた。

  バーボンのショットを干すと、すかさず次のショットグラスがカウンターを滑って来る。

「ん?どうした、アキラ」

 オン・ザ・ロックをちびちびやりながら演奏に耳を傾けていたジャッキーは、晶の言葉を聞き逃して、尋ね返した。

「俺、そろそろ出発しようと思ってな」

「何だよ、もう何処かへ行こうってのか?何か予定でもあるのか?」

「ああ。友人と約束したんだ」

「友人?誰だいそれは?」

「メモを見ないと名前も判らないけどな。タクシーの運転手なんだが、その彼にウルフのサインをもらって来るように頼まれてな」

「アキラ、そんな口約束、律義に果たす気なのか?」

 ジャッキーが呆れ顔で言った。

「まあ、約束しちまったからな」

「やれやれ」ジャッキーは肩をすくめた。「まあ、アキラらしいって言やあアキラらしいけどな。で、何時出発するつもりなんだ?」

「明日」

「えっ?」

 あまりに唐突な日程に、思わずジャッキーは眼をむく。

「おい、いくら何でも、それは急じゃないか」

「思い立ったが吉日、という諺もある」

「何だよ、そんな冷たい事言うなよ。もう少し遊んで行けよ」

 ジャッキーは晶の肩に腕を掛けて、彼の体を引き寄せた。

「まだまだシアトルには見所が沢山あるぞ。それに、ウルフはカナダだろ?ここなら国境もすぐだし、電話で連絡を入れればすぐに来てくれるぜ、きっと」

「俺が自分でカナダに行きたいんだよ」

 晶は困り顔で言う。ジャッキーのアメリカ式スキンシップは、晶には性に合わないところがあるのだ。

「よお、お二人さん、やってるかい?」

 そんな二人に声を掛けてきたのは、レイク・ビュー墓地でギャング逮捕の指揮をしていた、あの警官であった。今は私服である。

「どうも、巡査部長。この間はご苦労さん」

 ジャッキーがにこやかに挨拶をする。晶はその隙にジャッキーの腕から脱出する。

「巡査部長はやめてくれ。今はオフなんだから、パットでいいよ」

「じゃあパット。まあ、とりあえず座れよ」

 ジャッキーは多少残念そうな表情で晶を見つつ、言う。

「マスター、こちらにロック」

「ツーフィンガーで」

「それをひとつ。―――で、パット、エステファンの件、どうなった?」

「ああ、あれな。お連れさん―――えーっと」

「晶だ」

「アキラ。このジャッキーときたら、まあ本当にマメな奴でな。この前もいきなり警察に来たかと思ったら、ストリート・ギャングの資料を片っ端から洗って、エステファンと取り引きしてた連中を調べ出して、しかもミス・エステファンの所在地まで探し出したんだ。警察には付きっ切りで調べるヒマが無いだろうってんで、自分で全部の作業をやったんだ。そういやあ、あん時は一日がかりだったな」

「結局、家に帰った後の事は覚えて無いよ」

 ジャッキーは合いの手を入れた。

「あの日は一日居ないと思ってたら、そんな事をしてたのか」

 一週間も後になって、晶はそんな呑気な事を言っている。

「で、エステファンの事なんだが」パットはロックを飲み干すと、お代わりを注文した「彼の証言のお陰で、ヤクの密売をしていたエンファスのチームと、カートランド、それにこいつらとまた取引をしていた二~三のチームも一遍に引っ張る事が出来たんだ。更に、サン・フランシスコのニュー・チャイナタウンのルートも判明したんで、こっちはF.B.I.が入って、かなり大掛かりな捕り物になりそうだ」

「で、エステファンの処分は?」

「彼は、ギャング・チームへの密売をしていただけだし、今回の密売ルートの証言もある。陪審員にはかなり良い印象を与えているはずだ。それに、奥さんと娘の、彼に対する献身的な態度も、好印象を与える材料になるだろう。まあ、俺の予想だと、懲役七年、執行猶予三年ってとこかな」

「そうか。そりゃあ良かった」

 ジャッキーと晶はグラスをカチンと合わせると、一気に飲み干した。

 すぐにお代わりが出て来る。

「ああ、ジャッキー、あの娘から手紙を預かってるんだ」

 パットはそう言って、持っていたカバンから封筒を取り出してジャッキーに手渡した。

 ジャッキーはグラスについた水滴で封ののりを溶かして開けると、薄暗い中でその手紙を読んだ。

「『愛しのジャッキー=ブライアントへ。

この間は、どうもありがとう。助けてくれたばかりか、ママにまで逢わせてくれて。

お陰で、パパも今までの悪い行いを反省して、また一からやり直すって言ってます。ママもパパを嫌いになって出て行った訳じゃないから、また三人で一緒に暮らそうって言ってくれました。

私は、今はまだ小さいけれど、今度逢える時が来ればきっと素敵なレディになっているでしょう。もし、』その時には―――。

さようなら、そしてありがとう。また逢える日を楽しみにしています。

私のヒーローへ。ティナ=エステファンより愛を込めて』 か。そうか、家族全員仲直りが出来たか。良かったなぁ」

「光源氏計画か」

 晶は低く呟いた。

「違うって、アキラ。判ってるだろ?お前と俺の仲じゃないか」

 ジャッキーのその答えを、晶はあえて右から左に聞き流した。

「まあ、何にせよ、『めでたしめでたし』だ」

 晶はそう言うと、グラスを高々と掲げた。

 ジャッキー、そしてパットもそれにならった。

 

 翌日、ジャッキーは二日酔いの頭を抱えながら晶をSEAまで送りに来ていた。

 晶はジャッキーよりも呑んだ量は多いはずなのに、ケロリとした顔をして、今朝もトレーニングをしていた。

「送ってくれてありがとう。ジャッキー。サラも心配してたぞ。早いとこ家に帰ってやれよ」

晶は笑いながら言うと、ジャッキーの手を握った。

「君こそありがとう、アキラ。わざわざ見舞いに来てくれたのに、何かとんでもない事に巻き込んでしまったな」

「なあに、お前が病院でミイラ男みたいになってるよりも、遥かに楽しかったよ。

 じゃあな。達者でな」

 晶はそう言うと、さっさと背を向けると搭乗受付へと向かって行った。

 ジャッキーはその背に向かって小声で呟いた。

「じゃあな、格闘馬鹿」

「聞こえてるぜ、ボンボンレーサー」

 間を置かず、晶が応えた。

 

 晶が乗っているであろうユナイテッド機をバイパーの運転席から見上げながら、ジャッキーは煙草をくゆらせた。

 ―――そろそろ、本格的に截拳道のトレーニングも再開しないとな。

 ぼんやりとそんな事を考えていると、携帯電話が鳴った。

 ―――ああ、そう言えば、電源入れたままだったな。

 そう思いながら、電話を取った。

「もしもし、こちらブライアント」

「あ―――っ、よーやく捕まえた!お前、今どこにいるんだ?」

「やべっ、もしかして、チーフ・エンジニア……」

「そーだよっ!チーフ・エンジニアだよ!マシンはもう修理が終わったってのに、パイロットのお前が居なけりゃ始まらないだろっ!次のレースはもう三週間後だぞ!」

「あーはいはい、判りました、判りましたよ。で、次は何処だっけ?」

「な―――に―――!次の場所が、わ・か・ら・ん・だとぉ?」

「ごめんなさい、モントレーでした」

「バーカーヤーロ―――っ!それは欠場した分だろがっ!今度はヒューストンだよヒューストン!」

「わー、ごめんなさい、ごめんなさい」

 ジャッキーはケータイに向かってひたすら小さくなって謝った。

 シアトルの空は、今日も清々しい秋晴れであった。

 

劇終

 

1998・11・01(日)了

2012・11・08(土)改




タイトルは、ブルース・リーの映画から頂きました。
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