その日は、ひどく暑い日の事だったように思う。
夏だった。入道雲が病的なまでに青々しい空に目が痛いくらいに映えて、アスファルトすら溶けようかというほど太陽がその身を焼いていた。
そんな道路のど真ん中で、少女が一人、立ち尽くしていた。
道行く人々は突然立ち止まった少女に視線を少しやりつつも、関心を寄せることはついぞなかった。気に留めるほどでもない。少女は美少女というわけでもなければ気が狂った頭のおかしくなったような様子でもなかったのだ。
年は12、3歳ほどだろうか。地味目の黒を基調にしたTシャツにジーパン、髪の毛は適当に二つにまとめていて、うつむいて影の差し込む小さな童顔に黒縁の眼鏡を乗っけていた。
全体的な雰囲気としては、根暗。それ以前に地味。影の薄い少女だった。
「…あ」
ふと、立ち尽くしていた少女の唇が、小さく開かれた。
目をぱちくりさせ、さっきとは打って変わって動揺を、意外と整ったかわいらしい顔に表した。辺りに視線を滑らせ、そしてずれた眼鏡をくいっと整える。
近くには小さな公園。その周りを包むのは一般的な住宅街の連なりだ。最後に公園では暑っ苦しい中だというのに遊びまわる小さな子供達の元気な姿に視線を固定させた少女は、手に持っていた本をばさばさと地面に落とした。
「----ここ、どこ?」
セミの鳴き声の奔流に、そんな言葉が入り交じった。
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男子高校生、身長平均、体重平均、見た目に特筆するべきところもないただの一般人。
名前は全部で五文字。上の名前が地元性だったので結構珍しい性だったが、それ以外は本当に何の特徴もない、地味な少年だった。
性格にもとがった部分がなかったため、ソレが幸いしたのかは定かではないが友達は結構いた。あだ名が『白ご飯』に決定されるくらいにはいた。なんでも、『なんにでも合う白米のような男』であるからだとかはその友達たちの言葉である。
さて、そんな少年はある日、自分の部屋でお布団に包まれて眠っていた。
明日は中間テスト。秀でた才能はないが何かを続けることだけは得意だった少年はその日の分の宿題もとっとと終わらせて、いつも通りの時間に床に就いたばかりだった。
次第に遠のく意識と、浮遊してくる夢の世界のはざまで、少年は枕に顔をうずめながら、こんな言葉を確かに聞いた。
『ヒー…ロー…』
(…ん?なんだ、誰かいるのか…?)
『ヒーロー…』
(ヒーロー…?ヒーローが、どうかしたのか?)
『ヒーロー、コンパで疲労困憊…ぶふっ』
(…!?)
『ヒーローショーを、披露しよう…ぶひゅっww…ニューヒーローが乳披露…ぶはっwww』
(おい…おい誰だ!やめろ、やめろお!俺の頭の中で極寒のダジャレをつぶやくなぁ…っ)
『とwwいうわけでw行ってwwらっしゃいwwwぶふひゅっww』
(行ってらっしゃい?行ってらっしゃいってどこに?というかあんた誰だよ!くっそ…意識が…!)
『プルスw…ウルトラっ(キリッ』
(…。キリッ…じゃ、ねええええええええーーーーーー!?)
そして、少年の意識はゆっくりとブラックアウトしたのだった。
「…それで、今、この状況か…」
少年はーーー否、少女はそうつぶやいて、思案にふけっていた顔を持ち上げた。
目の前には細くて柔らかそうな少女の手が。男だった時のそれとは全く違う。少女は顔を小さくゆがめた。
「…どういう事だよ、マジで」
眼鏡を取って空を仰いだ。雲の境界線がいやに滲んでよく見えない。
「…俺の視力、めっちゃよかったはずだったんだけどな…」
つまり、つまりこういうことだろう。
少年は今、見知らぬ少女の身体の中にいた。
「…ッ…頭いてぇ…さっきから記憶がどっと流れ込んできやがる…」
それは、少年のものとは全く違った、もう一人の記憶だった。
少女のーー逢坂幸子の記憶は、それはもう悲惨なものだった。
否、悲惨、という言葉すら似つかわしくないだろう。だって、彼女のこれまでの生はそれほどまでに空っぽだったからだ。
女として生を受け、愚直に成長し、母親の言う通りに生きてきた生涯。感情のない彼女の顔を評して、周りの人間は『のろわれた日本人形の様だ』と口々に陰口をたたいた。
一応小学校は卒業し、今は中学生になってから初の夏休み。小学校の記憶といえば、窓際の席で一人本を読んでいるという記憶が希薄に思い浮かぶのみであるし、それは中学生となった今も続いている。
そこまでの記憶をのぞき込んで彼はーーーいや、幸子はようやっと苛んでいた頭痛が薄まっていくことに気が付いた。
「はぁぁ…どうなってんだよ」
大きくため息を吐き出すと、まるでソレがトリガーだったかのようにあの謎の声が脳裏をよぎった。
今までの流れから察するに、この状況の原因は確実にあの謎の声なのだろう。行ってらっしゃいとか言ってたし。
「…あの謎の声、いつかぶっ飛ばしてやる」
小さく決意を固めると、幸子はゆっくりとその身体をベンチから引きはがした。
「とりあえず家に戻って、自分の部屋で考えよう…」
子供達の遊ぶ公園のベンチを一つ占領して根暗な女が一人自殺しそうな顔で物思いにふけっている図を頭の中で思い浮かべての事であった。