俺の彼女を紹介します 作:久生
俺には一応、彼女がいる。
幼い頃、初めて出会った日から、自由で大胆で危なっかしくて……。
だから目が離せず、自分だけの世界を見ている。
何処かつかみ所の無い女性が、俺の彼女……一応、今のところは。
……彼女が、俺に飽きてしまわなければ。
彼女は俺の彼女だけど……俺は今でも心配だ。
なんせ、つかみ所の無い人だから……ふっと何処かに行って、俺には予想も付かない何処かに隠れてしまいそうで。
そんな風に、彼女は風のように自由で、捕らえ所がない。
だけど……人一倍、人の心に敏感で優しくて。
だから、相手を思って言葉を飲み込む癖がある。
多分だけど、自分の予測できない言動で、周囲を傷つけるのを恐れているんだと思う。
そんな気が……する。
大胆で自由なのに臆病で……言葉を飲み込む時、ぷくっと頬を膨らませて押し黙る。
そんな彼女は、動物に例えるなら……うん、リスに似ている。
猫より警戒心が薄くて、けれど臆病で……何を考えているのか分からない。
うん、やっぱりリスだ。しかも、まだ小さな子リス。
現に今も、狭いアパートの中を、ちょこまかと走り回って……おっと。
どうやら、台所で何か見つけたらしく、頬をぷくっとさせてこっちに来た。
後ろ手に手を組んで、じっと何か言いたげに、こっちを見て……ふぅ、と、大きな溜息。
「もうっ、ハルくん。またコンビニのお弁当だけで生活してたでしょ?」
「たまたまだよ……昨日は、たまたま。夜勤だし、忙しかったから……」
「ふぅん、"昨日は"、ねぇ?」
そう言って、にやりと、いつも他の人に見せる、オドオドとした様子とは違った、勝ち誇った笑み。
俺にだけ、最近見せるようになったその顔で、ふんっ、と胸を反らして突き出して来た手に握られているのは。
「あ……」
「ハルくん? いくらお腹が空いてても、夜勤明けに"六食も"お弁当を食べるのは良くないよ?」
弁当を買う度に貰っては、何となく捨てられなくてストックしていた、おしぼりや箸が、ぴったり六組。
「えっと……それは、ごめん」
「ん……」
それに、どう応えていいのか分からなくて。
とりあえず謝った俺の顔を、彼女はじっと見上げて首を傾げ……あ、まただ。
「ねぇ、何を考えたの?」
「えっ?」
「また……なにか、考えてた……だろ?」
俯いて、何かを考え始めた彼女の額をつついて注意を促すと、困ったように首を傾げて、曖昧に微笑む。
その頬が、ぷくっと膨らんだような気がして、そのほっぺたを軽く抓る。
「っ!?」
「言って、何でも……ちゃんと聞くから」
「本当、に……?」
「あぁ、大丈夫」
「本当にくだらないよ?」
「もっとくだらないメッセージ、いつも送り合ってるだろう?」
「そっ、か」
そう言って、今度は嬉しそうに微笑む彼女の頬を指の背で撫でて、そこに溜まった言葉の続きを促す。
でも……もう大分、俺に本音を見せて、甘えてくれていたと思ったのに……。
「まだ……足りなかったかな?」
「え?」
「ううん、こっちの話」
そう、今は俺の話じゃなくて、彼女の話をしているんだ。
とらえ所がなくて、我慢強くて、自分の心に鈍感な癖に、俺の目と同じかそれ以上に、人の心が見える彼女の話。
「あのね……」
「うん。なぁに?」
「その……、箸とか……ちゃんと、断って欲しいかな?」
「要らないって?」
「うん…人の好意って、中々断り辛いし……ハルくんはそいうの興味ないって分かってるけど……」
「けど?」
彼女と一緒に首を傾げて促すと、視線を泳がせた後、むっと表情を引き締めて。
手に持って、居心地悪そうにいじりまわしていた、おしぼりや箸の束をうちのいくつかを、裏返してみせた。
「こういうの……ちょっと、傷つく……かも?」
そこには、可愛いキャラクターと、手書きの文字の入ったピンクの付箋が貼られていた。
「これは……付箋?」
「うん、そう。……おまけ付きの、ね?」
顔を近づけようとした俺に気づいて突き出されたそれには、良く見ると、黒いボールペンの丸っこい文字と、携帯の物らしい電話番号。
それと……。
「……。『LINEか電話、まってます』?」
「どうするの? 待ってるって……」
「はぁーっ……」
「……っ!」
本気とも冗談とも付かないその言いぐさに、こちらを伺うように見上げる彼女の額にデコピンを一発。
「するわけ、ないだろう? 付箋にだって、今、気づいたのに……」
「だって……」
「だって、じゃない」
むっ、と目を眇めてみせると、付箋と箸やおしぼりを両手で持ったまま、何度か瞬きをして俺を見る。
と思えば、くしゃっと顔を歪ませて笑って、手の中のそれらをバラバラと床に落として、俺の頬をつついて来る。
「ハルくん、むくれてる」
「むくれて……ないっ」
「そっ、か」
「あっ……」
ツンツンと頬をつついた指が、不意に頭の上に伸びて、俺の髪をぐしゃぐしゃと撫でる。
急なことに避け損ねて、仕方なく撫でられたままになっていると、不意に、彼女の頭が、ぼすっと、俺の胸に当たった。
何となく、彼女の真似をして髪を撫でると、頭の上の小さな手の動きが、少しだけ鈍くなった。
「……ハルくん」
「……なぁに?」
「ごめんね」
「何が?」
「ちゃんと、信じてあげられなくて……」
「はぁーっ……」
「!?」
わざと大げさに溜息を吐けば、首の下にある頭がびくんと大きく震える。
「ふふっ……」
それに笑って、頭の上の手を首に回して……もう一方の手を背中に乗せて抱きしめると、一瞬強ばった後に、ふと力が抜ける。
首に添えた手からは、熱と、少しだけ早い鼓動。
「君の心臓……びっくりしてる」
「そりゃあ……するよ」
「まだ……こういうのは苦手?」
「……まだ、慣れないだけ」
「そうか……。じゃあ、俺と同じだね」
「……っ」
そうしてくっついていると、段々穏やかになって行く彼女の鼓動が、触れ合った身体や手から伝わって来て、その音も温かさも心地よくて――。
「ちょっとハルくん!?」
「ん……。へっ……?」
耳元で、少し大きな声で呼ばれて目を開けると。
いつの間にか、少し抱き込むようにくっついてしまっていた彼女が、じと目でこっちを見上げていた。
「今……少し寝てたでしょ?」
「……寝てないよ。……多分」
「多分?」
「うーんと……きっと? それとも……恐らく、かな?」
「ハルくん……」
その澄んだ目に映る、少し眠たげに目を細めた自分が気まずくて、首の後ろを掻きながら目を逸らす。
すると、視線の端で、彼女が困ったように眉を下げたのが見えた。
「きっと……疲れてるんだね。時間が不規則な仕事だから……」
「そんなことないよ、大丈夫」
「それ、いつも私が言ってる台詞だよね?」
「そう、だっけ?」
「そうだよ。それでハルくんは、『俺の前では強がらないで』って言うんだよ」
「つよがってなんか……ない」
「それは、私の台詞」
「だってそれは……君が無理ばかりするから」
「今のハルくんもでしょ?」
「フッ……」
「フフッ……」
そうやって見つめ合って、どちらとも無く笑いだして。
それを切っ掛けに互いに離れた。
彼女は床に落とした割り箸やおしぼりを拾って、例の付箋に指を掛けて俺を見るから。
俺はそれを彼女の手から奪って、剥がした何枚かのソレを丸めてゴミ箱に放り込んだ。
「……よしっ」
「あ……。私、晩ご飯作るね……」
「うん。……あ」
「え?」
「――、いつも、ありがとう」
「!?」
「あ……。顔、真っ赤」
「もうっ!」
それに目に見えて安堵したと思ったら。
今度は真っ赤になって、見えない尻尾を逆立てて頬を膨らませて。
またパタパタと、元気な小リスのように走り出した背中を見送って。
……少し考えてから、彼女の料理を手伝うことにして、その背中を追って、台所に入る。
「ハルくん、座ってていいんだよ?」
「ううん、手伝うよ。……いや、手伝いたい気分なんだ」
「じゃあ……お願いしようかな?」
「うん……」
そうして、エプロンを付け始めた背中を何となく眺めていたら、ふと彼女が振り返って、小首を傾げ、急にクスクスと笑い出した。
「何? 俺、何処か……おかしかった?」
「うぅん、違うよ。ハルくんは全然おかしくないんだけどさ……」
言葉を切って、それでも、未だ喉の奥にかみ殺し損ねた笑いが残ったまま。
こちらを振り返った彼女は、まるでとっておきの秘密でも教えるようにして言った。
「ハルくんってさ、何だかハムスターみたいだなって思って」
「ハム……スター……?」
「ほら、お箸の袋とか、おしぼりとか、まるでハムスターの巣材みたいな物ばかり集めるし、あったかくなると直ぐ眠くなっちゃうし」
「そう……かな……?」
「そうだよ」
「はぁー……」
俺には、彼女が居る。
素直じゃなくて、優しくて。
臆病な小リスに似ている彼女が言うことには。
「……そうなんだろうな。君が、そう言うなら」
俺は、ハムスターに似ているらしい。
つまりは……。
俺と彼女は小さなげっ歯類同士で。
一応、釣り合ってはいるってこと、なのか……?