01
俺はやはり、今日もいつも通り目を覚ます。
「おはよう…。」
碧海の、今にも地面に叩き付けられそうな重量のある声と共に。
いつに無く暗い雰囲気の声に、些かの不安を覚えた俺は、俯いている碧海の顔を覗き込む。
目には黒い影が掛かっており、普段の碧海より幾分かやつれているような気がする。
どうしたんだ――。
心底心配に思った俺は、咄嗟にそう問おうとした。
「酷いよ…。」
口をゆったりと開け、力無くそう喋った。
顔を上げる碧海と目が合う。
瞳孔まで見開かれた眼球。
それは小刻みにプルプルと震え、まるで焦点が合っていない。
「ちょっ…!」
「お前大丈夫か!?」
俺は体を起こし、跳ぶように碧海に近づいた。
「酷いよ…。」
まるで碧海は、俺の言葉なんて聞こえていないかのように、ひたすらにその台詞を繰り返す。
「私だけ…。」
ぬっ……と。
だらりんとしていた両手を、全く力を入れないまま突き出してくる。
そして――。
「かッ……!?」
息ができない。
突然生命が宿ったかのように延びてきた両手に、首を絞められる。
そのまま力任せに押し倒され、俺はベットに叩き付けられた。
力では俺が勝っている筈なのに、いくら力をいれても一向に剥がれる気配が無い。
苦し紛れに引っ掻いたり、足をばたつかせてみるも、碧海は微動だにせず、相変わらずその虚ろな双眸で、俺の眼球を見つめるばかりだった。
顎下辺りが唾液でベタベタになっている。
が、そんなことに構ってる暇はない。
遠くなる。
意識も。
呼吸も。
碧海も。
「私だけを…見てよ…。」
俺の頬に数滴の、暖かい雨が降った。
02
「うわぁぁぁぁぁ!!」
「きゃあぁぁぁぁ!!」
俺はベッドから跳ねおき、絶叫した。
身体は汗をべっちょり掻いて、冬だというのに寝間着が身体に張り付く上に炙られたように熱く、とても気分が悪い。
そんな、「傍から見れば異常人物」のすぐ側に俺に釣られて、可愛く、女の子らしい声で叫ぶ人影があった。
「あ、碧海!?」
「なんでここに…。」
そこは、紛れもなく俺の部屋。
毎日そこで生活しているだけあって、確実にそうであると断言できる。
「いや、何でって…。」
「起こしに来たんだけど…。」
訝しげな表情を浮かべる碧海。
そこに居る碧海は、さっきの碧海とは全くもって鮮度が違った。
顔は、相変わらず過剰な程に白いが、曇天のように曇っていた
目の焦点は合っているし、何より会話が出来ている。
俺は、自然と入っていた力を抜き、深い溜め息をつく。
身体を緊張させていたせいか、それとも力を抜いたからか、身体が少しだるい気がする。
「どうしたの?」
「さっきからずっと
「!!」
気付けば俺は、いつの間にかある筈の無い痣をさすっていた。
俺は慌てて手を引っ込める。
心配そうな表情を見せる碧海に、俺は口八丁の弁明を試みる。
どうすれば碧海の心配を取り払えるのか、と考える傍ら、俺の思考は自然と、先程の
しかしあれは…夢…なのだろうか……。
もしくは妄想…。
夢とか、妄想にしては些か景色が鮮やか過ぎた…気がするのだが。
しかし、別の何かなのか…と、問われても何だかピンと来ない。
現実ではないことは、誰の目にも明らかであろう。
いつも通りの碧海はここにいる。
いつも通りに、赤い痣はここにない。
いつも通りの日常は、ここにある。
それに。
現実と言うには、俺の身体は不自由過ぎた。
そうだ。
その景色はまるで…。
「そんなに不安なら一緒に寝てあげよう!」
「二重の意味で!」
「要らん。」
「例え一つだったとしてもな。」
碧海はいつも通り、そんな軽口を叩く。
そんな碧海に、俺は相変わらず、素っ気なく返事を返すのだった。
03
ずっと――。
ずっと、後悔していた。
あの時。
そう、あの場所で。
俺が少しでも、そこで踏みとどまって向き合っていれば、きっと今と何かが違う毎日を過ごしていただろう。
あの時。
そう、あの場所で。
俺が少しでも、歯を食いしばって彼女の顔を見据えてさえいれば、きっと昔と変わらない毎日を過ごしていただろう。
でも。
でも俺は――。
そのことを思うと、無性に目頭が熱くなって。
掌からは、爪がくい込んで血が滲み出て。
歯茎からも、血が滴り落ちていく。
湧き出る身体の脈動が、頭の先から足の裏まで躍動しているのを感じる。
そのことを思うと、私は無性に戻りたくなってくる。
無くなる筈のない…無くなる筈のなかった、親友と思い出に。
「チキショウ…。」
意味が無いと分かっていながら、そんな力無い言葉を呟き続ける。
どれだけ悔やんでいようと、過去は変わらない。
忘れてしまえればどれだけ楽だろうと、俺は何度も自らの両手を身体にかざした。
しかし、忘れられる筈もない。
私は何処かで期待している。
アイツといつか、きっと何処かでまた会えると。
どこぞのアニメや漫画のように、きっと運命とやらが導いてくれると。
だから私は帰れない。
夢の中へは、戻れない。
04
そこには、酷く苛立った様子の引杜と。
その鬼の形相にたじろく俺と和真と。
そして、引杜を馬鹿にするように澄まし顔をしている碧海が、静かに目を合わせあっていた。
「あ、えっと…。」
こういうとき、どうやって、どんな風に声を掛ければいいのだろうか。
何故だか知らないが、引杜はイライラしているようで、声の掛け方次第では酷い噛み付き方をされそうで怖い。
「家に帰ったら…。」
と、引杜は呟く。
すると、真っ赤に腫れあげさせていた顔を俯かせ、変わりに目尻が赤く染まっていく。
「母ちゃんに怒られた…。」
「は、はぁ……。」
「『学校に行きなさい』…って…。」
「いや、普通だろ。」
こればかりは完全に、サボっていた引杜が悪い訳で、俺達に非は無い。
完全なる八つ当たりではないか。
そんなどうでもいい理由で、あんな凶悪な表情を向けられていたのかと思うと、なんだかやるせない気分になってしまう。
「全然ちげーし…。」
「そーじゃねーし…。」
涙ながらにいじけたように、引杜は言う。
「何でお母さんが、それを知っていたか…ってことだよね?」
そんな引杜を見兼ねたのか何だか知らないが、碧海が親切にも合いの手を差し伸べる。
すると引杜は、素直にこくんと頷いた。
「ふむふむ、そうかそうか、やはりそうか。」
碧海は引杜の反応を見て、得意げに頷く。
「私の仕業さ!」
「「やっぱりお前か!!」」
俺と引杜の声がシンクロする。
碧海の自信満々というか、ドヤ顔のような顔を見て、薄々「ああ、こいつなんかやったな」と、感じていたが、的中しているとは思わなかった。
「な、何をおまっ!」
「何しやがった!」
引杜は碧海の胸ぐらを掴み、興奮しながらグラグラと揺らす。
ちょ…それ気分悪くなるやつだからやめたげて!
「もっとやれ!」
「逆です先輩…。」
「ちょっと直人!?」
「あ、ちょっと待って。」
「これダメ。」
「本当気持ち悪い。」
段々と顔が青ざめていく碧海。
ところてんのように力無く揺すられる碧海は、ひどく滑稽に思えた。
「違う引杜!」
「角度が浅い!」
「なんで手伝うの!?」
数日前の意趣返しだと、碧海の肩を掴み、引杜に合わせて振る。
俺の気持ちを思い知ったか。
日々の怒りをありったけ込めて、俺は碧海の肩を揺さぶった。
首が取れそうな具合に揺れている碧海は、やじろべいのようになってきているので、流石にこれ以上はやめておこう。
そう思ったのだが、碧海なら大丈夫だろうと、謎の信頼が湧き出てくる。
のでまた更に振る。
「直人!やめて!」
「もう主犯が直人になっちゃったからやめて!」
「引杜ちゃん手ぇ離してるし!」
「知ったことか!」
「俺の苦労はこんなもんじゃねぇ!」
「の、脳が震える…。」
「先輩!」
「天医先輩そろそろ天に召されちゃうんでやめてあげてください!」
「召されるなら直人にがいい!」
「蛙にでも召されろ!」
まだ碧海節が出てきているということはまだ大丈夫だ。
俺は安心して、腕を前後させる。
なんだこれ結構楽しい。
「本当に直人…!」
「やめてっ…!」
「戻しちゃうから…!」
碧海が珍しく弱音を吐いている。
「諦めんなよ!」
「お前なら行ける筈だ!」
「後もうちょっとだろ!」
「最後までやって――」
そこまで言って、俺はようやく気付いた。
俺の視線を遮るように迫った、酷く真っ白で華奢な握り拳に――。
05
「ご、ごめんなさい…。」
「調子乗りました…。」
「許さん。」
そう言う碧海は、腕を組み仁王立ちで、正座の俺を睨みながら見下している。
「あれは完全に先輩が悪いですね。」
「和真まで…。」
「これは…落としまえをつけてもらわないとねぇ…。」
「どこのチンピラだお前!」
怖いくらいの笑顔を浮かべながら、碧海はまるで獲物を見るような目で見つめてくる。
まさに蛇睨み。
たじろぐ俺は、当然の如く身動きが取れない。
「今日は一緒にベッドだな!」
「冗談キツくないっすか!?」
冗談であって欲しい。
本当に。
今度は本気で襲いかねないと、そう思うと、背筋が凍って余計に冷や汗が流れる。
冗談であって欲しい。
だか、碧海の表情を見る限り、どうやら単なる冗談ではないことは明白だった。
「正装…用意しときますね…。」
「不吉なこと言うな!」
披露宴の想定までしている和真は、俺達から目を逸らし、同情を悟られまいとしているようであった。
そんな和真の横では、「何やってんだ」と言わんばかりの表情で、俺達を睨みつけている引杜の姿があった。
「引杜…そんなに睨まないでくれないか…。」
「はぁ?」
「睨んでねーよ。」
「え?」
「いやでもさ…」
「あ?」
「ただ目つきが悪いだけだっつの。」
「察しろ。」
気分を悪くしたのか、引杜はそう言うと、より一層視線を鋭くして俺を睨む。
「兎に角!」
「おわぁ…ビックリした…。」
しびれを切らした碧海が、凄い剣幕と声量で割り込んでくる。
自然と肩がビクリと飛び跳ねる。
「今晩も直人ん家行くからね!」
いい!?
と、足早にそう言うと、ずいと顔を寄せてくる。
理由が無くても来るくせに、と心の中では悪態をつくものの、口ではそんなこと言えるはずも無く、俺は黙って、碧海に頷くだけだった。
「宜しい。」
満足気に頷く碧海。
気が済んだなら、いい加減正座を止めさせて欲しいと思ったが、当然口には出さない。
どんなペナルティが来るか、分かったもんじゃないからな。
「なぁ。」
「終わったか?」
と、俺達の寸劇――俺にとっては、ほとんど命懸け、未来を掛けたものだったが――が終わると、間髪を入れず呆れ声を上げたのは。
面倒くさそうに、乾いた目をこちらに向け、腕を組んであからさまに不機嫌にしている引杜陽、その人だった。
「本題に戻ろーぜ。」
引杜陽はそう言うと、敵意剥き出しの眼光を、碧海向ける。
そんな視線に晒された碧海は、涼しい顔でふてぶてしく佇む。
俺には、どうしてそんなにお互いがお互いを嫌いあっているのかが全く分からなかった。
自分を真っ向から否定された引杜ならともかく、碧海には、引杜と争う理由は皆目無いはずなのだが。
それに思い返せば、この醜い争いの口火を切ったのは、碧海の方だったではないか。
お互い初対面(碧海の話では、すれ違ったことはあるらしいが。)にも関わらず、一体どうして碧海はあんなに引杜を邪険にするのだろう。
分からない。
碧海は確かに傍若無人で台風のようなやつだが、それは俺に対してだけだし、何よりコイツが、理由もなく人を嫌うようなヤツだとは思えない。
分からない。
俺には分からない。
どうして二人が敵対するのか。
ただ分かるのは、コイツら二人をぶつけてしまったら、とてもマズイことになるということだけ。
能力者同士で争うなんて、普通の人間の喧嘩とはスケールが段違いだ。
俺は、背筋に流れる冷たい汗を感じながら、向かい合う二人を正座で見ていた。
完全にほうけている俺を他所に、二人の火花は大きくなるばかりであろう。
何事もなく終わってくれ…。
俺は心の中で、そう願ってやまなかった。
す、すいません!
遅れました…。
どうも、お久しぶりです。
私です。
前回の番外編投稿から約三週間。
盛大に時間を掛けた第十四話ですが、密度は他と変わりません。
時間を掛けた価値は全くなかったと言う訳です。
本当にすみません。
さ、さて、本編の解説へ。
文章の後半で、「引杜陽」「引杜陽」と、ヒッキーのフルネームが度々出てきますが、特に意味はありません。
ただその方が、語感が良かったのです。
本編と言えば、今回はもうシリアスパートを抜けましたが、どうしても会話を面白くすることができません。
泣きそうです。
センスを寄越せ。
だから、こんな小説をここまで読んで下さる画面の前の貴方に対して、嬉しく思います。
本当に、ありがとうございます。
不定期で、その上拙い文ですが、今後とも宜しくお願いします。
ではでは、また次回で。