目を覚ましたとき、まず最初に見たのは特徴のない天井だ。
結は次に、自分がベッドに寝かされているのだと気がついた。体を起こそうとするとグン!と何かが突っ張り、それを阻害する。見れば結の体は黒いベルトのようなもので手足と胴をベッドに固定されているようだ。周囲には似たような状態の人が何人か眠っている。
「目が覚めましたか?」
結が首だけを伸ばして周りを確認のしているとドアが開いて看護師が数人、部屋に入ってきた。
「なんですか?これ」
「意識がない間、暴れないようにするのに固定ベルトを巻かさせてもらいました。今、外します」
無愛想な結の言葉にも笑顔を絶やさずに看護師は結の体に巻き付けてある黒いベルトを外していく。その間に結はここで寝かされていた経緯をぼんやりと推測し始めた。街中で突然襲った激しい頭痛。記憶にあるのはそこまでだが、それはつまり、その場で意識を失ったということだ。ここが病院だとして誰かが救急車を呼んで、私を運んでくれたのだろう。
看護師が固定ベルトを外したところで結は体を起こして腕を回したりする。体に異常がある感じは特にしないけれど、一体あの頭痛はなんだったのだろう?
と、その時、新たに部屋に入ってくる人物が。看護師ではない。体を覆う白衣に薄くなった白髪、低めの身長に顔は大きく、左右の目は離れ鼻も低いカエルのような顔立ち。
「目が、覚めたみたいだね?」
「先生!」
結は久しぶりに、
「しばらくぶりだね」
カエル顔の医者は結の前を歩きながら振り返ることも無く言った。
「そう、だね。一年くらい?」
砕けた調子で結はカエル医者に答えた。二人の間には患者と医者と言う関係の空気はない。それは歳の離れた友人のようでもあり、また、親子のようでもあった。
カエル医者と結が行き着いたのは二人にとっても行きなれた、院内のカエル医者に割り当てられた研究室。各種機械の光が電灯をついていない部屋を薄らと照らし出していた。カエルの医者は壁を探り電気をつけると、結は来客用の椅子を勝手に引っ張り出して座る。
「それで、今回のはなんだったの?」
回る椅子を揺らしながらカエル医者に尋ねる結。カエル医者はそれを咎める様子も無く自分のデスクからいくつかの書類を出す。
「レベルアッパーと言う能力を一時的に強化する装置を知っているかい?」
「レベルアッパー・・・少しだけなら。確か、使ったら意識を失うんだっけ?」
白井に連れられて入ったジャッジメントの支部での会話の記憶を引っ張り出して答える結。
「でも、それくらいしか知らない。ねぇ、今回となんか関係あるの?」
「そうだね」
カエル医者は結に何やら波形のグラフを表示させたパソコンの画面を見せた。
「レベルアッパーとは、共感覚性を利用して他人とネットワークを構築するソフトのことだね」
特定の人物の脳波をネットワークのプロトコルに使用することによってレベルアッパー使用者のAiM拡散力場を利用して脳内を繋ぎ、ネットワークを構築。
「ふーん、どっかの研究所の仕業?でも、私、そんなの使ってないよ?」
結の言う通り、結はレベルアッパーを使っていない。これでは結が意識を失った理由が説明出来ない。そこでカエル医者が見せたのは、結のカルテだった。
「君の意識がない間に君のAIM拡散力場の波形を取らせて貰ったよ。そうしたら君の脳波に変化が見られた」
カエル医者が見せた二つの波形を見ても結には変化は分からない、が、おそらく変化しているのだろう。そして、その変化がレベルアッパーの影響を表すものらしい。
「レベルアッパーを使用していないなら、本来このような変化があることはないね。だけど、君ならば」
キィとカエル医者は座る椅子の音を立てて結の目を見た。
「君の、
「能力をコピーした時に一緒にその副作用までついてきたってこと?」
「そうなるね。安心してくれていい。もう既にワクチンソフトを施してあるから影響はもう残っていない」
「そう、ならいいわ」
結はカエル医者にカルテを返した。彼女にとって重要なのは影響が残るかどうか、その一点だけなのだ。
「・・・相変わらず、アルバイトをしているようだね?」
カエル医者は結からカルテを受け取りながら聞いた。顔には先程にはなかった表情が現れているが結にはそれがなんの表情なのか分からなかった。
「してるよ?だってお金が欲しいもん」
「普通の仕事じゃダメなのかい?スーパーのレジ打ちなんかもあるだろう?」
「それじゃあ儲けが少ないじゃない。それに、学園都市の研究の手伝いをすることは寧ろ社会のためになることでしょう?」
「だけど、それは危険を伴うことだね。僕は医者だ。運びこまれた患者を助けるのが僕の仕事だが、そもそもそんな患者が現れないことが望ましい」
「なに?仕事さぼりたいの?」
結の軽い冗談にカエル医者はむっと顔を顰めた。
「そういう事じゃない・・・と言っても君に僕の気持ちを伝えるのは到底無理なことなんだろうね」
カエル医者はあきらめたように深く、長くため息を付き、肩を落とした。
「それは先生が一番知ってる事でしょ?」
一方の結はケロリとしてカエル医者の様子を全く気にしていない様子だった。回転いすを左右に回しキィキィと楽しそうに音を立てるばかりだ。
「そうだね。それじゃあこれは一人の医者の忠告と受け取ってくれてかまわない。学園都市の実験は危険だ。手を引きなさい」
ジッと結の目を見て話すカエル医者は厳しい顔のまま真剣な様子だった。並々ならぬ、想いがそこには含まれていたのだが、やはり結にはそれを感じとることは出来なかった。
「危険だとかそんなの関係ない。私は私のやりたいようにやる」
「それが命を失うことになってもかい?」
「私が自分の命をどう使っても私の勝手でしょ」
「警告は、したからね」
カエル医者は結の返答を初めから知っていたかのように表情を変えることはなかった。そんなカエル医者への返答に、結は軽く肩をすくめた。
カエル医者の部屋を出てから結は一度自分の寝ていた部屋に戻って荷物をまとめた、(と言っても荷物はほとんどなく、ポケットに入れていたハンカチ程度ぐらいだったが)カエル医者の話しではすでに退院手続きは済ませてあるようなのであとは帰るだけだ。部屋を出て廊下を歩く。窓の外は既に日がほとんど落ちていて、薄明るい夕闇が空を覆っていた。と、正面から見知った顔の四人組が姿を現し結の顔が曇る。
「あれ?櫻井さん?」
いっそどこかに隠れてしまおうかと考えた結だったが、それを実行する前にその四人組の内の一人、頭に花飾りのカチューシャを付けた初春飾利に気づかれてしまい、あいまいな笑みを作るしかなくなる。初春に続いて四人組、白井、御坂、そしてもう一人、いつの日か高架下で不良に絡まれていた黒髪ロングヘアーの少女、佐天涙子も結に気が付いた。4人の中で佐天だけが入院患者用の服を着ていた。
「こんなところで合うなんて、櫻井さんどこか悪いんですか?」
近づいてきた初春に結はあいまいにいやぁ、などと言ってごまかす、が、温厚な初春はともかくそばにいた彼女の同僚はそんな誤魔化しが通用する相手だはなかった。
「このフロアは今レベルアッパー使用者のために貸し切り状態なんですの、櫻井さんあなたもやはりレベルアッパーの使用を?」
白井が導きだしたその推測は状況を考えると最も妥当なものだ、むしろ結の身に起こったことなどレア中のレアケース。説明しても面倒なことになるだけだ。結は白井の話に合わせることにした。
「まぁ、ね。ごめんなさい。この前は嘘ついちゃって」
「全く、これに懲りたらもう怪しいシロモノには手を出さないことですわ」
白井は呆れた風を装いながらも優しい目をしていた。
「はーい。気をつけます」
結は素直にその忠告を受け取るふりをした。
「ところで櫻井さんの能力ってなんの能力だったの?
「やっぱりバレちゃってました?流石は
「バレるも何も石を持ち上げる能力が電気系統の能力なんてありえないわ」
御坂は腰に手を当てて聞き出すまでこの場から結を逃がしてくれそうにない。それに、白井を始めとした他の面子も御坂を止めるどころか、自分達も興味があるような空気だ。下手な誤魔化しでは逆に怪しまれてしまう。さて、
「白状すると、この前御坂さんが言ってた推測が当たりです」
「それって、レベルアッパーのせいで複数の能力が開花したってやつ?」
4人は結の嘘を信じたようだ。更に、結は畳み掛けるように説明を加えた。
本来、結の能力はレベル1以下の
「ってお医者さんは言ってた」
と、締めくくった結の説明を聞いて一同はまさに四者四様の反応だったが、最後に「まぁ、専門家がそう言ったんならそうなのだろう」と何とか納得した様子だった。結の締めの言葉は予想通り効いたようだった。
四人にバイトがあると誤魔化してボロがでないうちに結は病院を後にする。燃えるような夕焼けにめまいを感じながら帰路に立つと不意にブルッと携帯が鳴った。見れば着信元はテレスティーナだった。
「もしもし」
「さっそくで悪いわね、ちょうど向いた仕事があったわ」
結はテレスティーナからの仕事を了解すると自宅とは逆方向に足を向けた。
日の暮れた裏路地で数人の男たちが一人の男子学生を取り囲んでいた。
「なんだお前ら。やろうってのか?」
しかし、男子学生の方はおびえた様子もなく取り囲む男たちを人睨みした。おそらく、能力者なのだろう。男子学生が来ている制服は学園都市でも進学校、特に超能力に力を入れた学校の物だった。無能力のチンピラなんか、手を触れなくても倒せる。そう考えていた。
「おまえらなんか・・・っ!?」
突如、男子学生が頭を押さえて苦しみ出す。あたりにはキィィンという音がいつの間にか響きはじめていた。鋭い頭痛が男子学生を襲い、能力を使用するどころではなくなる。そのすきを突くように取り囲んでいた男の一人が男子学生のみぞおちに拳を叩きつけた。
ドム!という鈍い音とともに男子学生の体はくの字に折れ曲がる。頭痛は続いている。だが、この頭痛は男子学生のみに起きているようで、取り囲む男たちはへらへらとバカにしたような笑いをしている。
「おまえらなんか・・・どうするんだぁ?お坊ちゃん!」
取り囲んだ男のリーダー格のような男がうずくまった男子学生に蹴りを入れる。男子学生は地面に倒れそのあとは取り囲んだ男たちにリンチにされた。リーダー格の男はそれには参加せず裏路地を見渡す。すると、こちらを見ている女がいた!
「あー、見ちゃったか、まぁ、しょうがねぇなぁ。おにぃさんたちと・・・」
目撃した少女はなかなかに整った顔立ちをしていた。リーダー格の男はその少女を脅して好きにしようとゆっくりと近づく。手が届きそうな距離まで近づいて男が少女の肩を掴もうとしたその時だった。
ドム!と、ついさっき聞いたのと同じ音がする。リンチにしていた男たちが音のした方を見るとリーダー格の男が少女の傍らでうずくまっている。少女の右足は不自然に上がっていた。ちょうど、リーダー格の男の腹の高さに少女の膝がある。
「アンタら三下に、用、ないのよ」
少女は吐き捨てるように言った。
「選ばせたげる。今、私をおとなしくあんたらのボスのところに案内するか、私に凹された後で案内するか。どっちがいい?」
その少女は首を傾げた。かわいらしく、そしてとても不気味に。
「ふっ、ふざけんじゃねぇ!!」
激昂した男たちが少女に向かう。彼らは10分も経たないうちに少女の前にうめき声をあげて転がることになった。
「さぁて、いい加減ゲロってくれないと加減効かなくなるんだけど?」
呻いている男の一人の鳩尾に容赦のない少女の蹴りが刺さる。カエルのつぶれるような声をあげた男に一瞥も蹴れることなく少女はもう一度足を振りかぶって、
「く、黒妻綿流!黒妻綿流が俺たち『ビッグスパイダー』のボスの名前だ!」
見るに耐えかねた男の一人が自らのボスを売ってでも仲間に手を差し伸べようとした。これで少女の標的は移るだろう、と。
だが、少女は足を止めなかった。
男の鳩尾に再び蹴りが入る。さっきから数えてもう何発だろう。蹴られ続けた男は涙を流していたし、もう呻く声も聞き取れない。しかし、少女は止まらない。まるで狂ったゼンマイ仕掛けの人形のように一発、一発と男を蹴り続ける。
「おい!もういいだろ!俺たちは、黒妻さんを売ったんだ。これで十分だろ!」
「・・・ああ?」
少女は顔を上げた。
「十分なわけあるか。全部言え。私が満足するまで言え。満足させられなかったらこいつは一生車いす生活にするし。それが終わったらお前ら全員の脚を折る」
男たちは震え上がった。少女は笑っていた。
もう一つの実験が始まろうとしていた。