灰色に曇った空から雪が降る。白一色に染まった草原。肌を刺す冷たい風。獣の群れが、餌となる人間の男女を四方から襲っていた。鋭い牙を尖らせた、げっ歯類型の魔物。毎年、市民が食い殺される危険な獣である。素早く駆けるその魔物の胴体が、真っ二つに両断される。傷口から漆黒の瘴気が散逸し、分かたれた肉塊がボトリと地に落ちた。
「やはり、ペアだと殲滅も早いね」
足元に積もる雪が移動を制限し、かじかむ指先は剣の精度を下げる。そんな王都ローグレスとは全く異なる過酷な環境下で、オスカーは剣を振るっていた。雪原に煌めく剣閃。しかし環境のハンデなど無関係に、近寄る獣が一刀の元に切り裂かれる。そしてもう一方は――
【炎月輪】
純白のワンピースの上に、青の上着を纏った同僚が槍を全方位に回転させる。回転半径内に燃え上がる火炎が発生。周囲の獣達を切り裂き、焼き尽くす。独楽に弾かれるように、業魔は吹き飛び、燃え上がった。
「ふぅ……あらかた片付きましたね」
「お疲れ様」
周りを見渡し、敵影が消えたのを確認したのち、彼らは軽く息を吐いた。十数体の業魔の群れを滅殺して、いまだ無傷。殺害した業魔の亡骸が、闇に溶けて消える。オスカーは手にしたダークボトルの蓋を閉めた。周辺の業魔をおびき寄せる効果を持つアイテムである。
「さて、先へ進もうか」
「そうですね」
エレノアは頷き、雪原を人里から離れるように歩き出した。
ノースガンド領、ヘラヴィーサ。
聖寮の対魔師の治める港町。アイフリード海賊団捜索のため、彼らは船旅を経てこの街を訪れた。街を統べる一等対魔師の面会を求める彼らだったが、残念ながら不在。統治者の心証を良くするという意味も込めて、二人は周囲の業魔狩りを行うことにした。狙うは【甲種指定業魔】。ハドロウ沼窟を住処とする蝙蝠型の業魔。多数の対魔師の犠牲が見込まれるがゆえに、聖寮が討伐を禁じるほど。危険度は並の業魔とは比較にならない。
通称【奇声を発する鬼面蝙蝠】――バットバロン。
氷に覆われた洞窟の奥深く。高さのある地下空洞を縄張りとする。宙に浮かぶ数メートルほどの巨大な有翼獣。赤黒い異形の面が全身の大半を占め、両翼がゆったりと大気を揺らめかせる。中空を陣取る業魔の押し潰すような威圧感。
「……これが、甲種指定業魔。なるほど。聖寮が討伐を禁止するのも分かりますね」
薄暗い洞穴の奥地で、エレノアは表情を引き締める。上空を浮遊する不気味な異形を見上げ、手にした槍に力を込めた。隣で刀を握るオスカーと視線を交わす。
「僕が突っ込む。援護を頼むよ」
「わかりました」
縄張りに侵入した外敵に気付いたらしい。巨大な鬼面の口から、真っ赤な炎が放射される。螺旋状に渦を巻き、直進する熱線。それを左右に散開して避ける。右にステップを踏んだエレノアは、握った槍に意識を集中させた。槍の周囲の大気が陽炎のごとく揺れる。照準は十数メートル上方。
【霊槍・風旋】
切っ先から渦巻くつむじ風。竜巻が空に浮かぶ業魔に直撃する。強烈な風圧に揺らぐが、すぐに両翼で態勢を整える。並の業魔ならばまとめて滅する一撃だが、損傷は軽微。有翼種特攻の技を受けて、このダメージ量。エレノアの表情がわずかに固くなる。とはいえ、あくまで敵の注意を引き付けるための囮。本命は、すでにバットバロンよりも上空へと跳び上がっている――
「セイッ!」
――落下しながら空中で放つ斬り下ろし
壁伝いに駆け上がり、三角跳びの要領で天井を蹴ったのだ。勢いをつけて下方へ撃ち出される弾丸。意識外から狙う、オスカー一刀両断。絶命には至らなかったが、右翼の付け根に差し込まれた刀に体重を全て乗せ、地表へ共に墜落させた。
「エレノア!ラッシュをかける!」
「了解です」
地に落ちたバットバロンは、残った片翼で飛ぼうとするがその隙を逃す二人ではない。絶好の機会を得て仕掛ける猛攻。無数の刃が鋭く傷跡を刻み付ける。そして、息の根を止める乾坤一擲の決め技――
【タイガーファング】
【裂駆槍】
オスカーの上下二連斬りとエレノアの突進突き。断末魔の悲鳴のみを残して、その亡骸が闇に溶けて消える。これが、聖寮の誇る一等対魔師のコンビネーション。業魔との生存競争における、人類側の最高戦力である。
「これでようやく、ヘラヴィーサの人々のために、安全を確保できますね」
「はは、それもそうだね」
純粋な瞳で見つめるエレノアに、他人のことを考えていなかったオスカーは乾いた笑いを返した。彼の一番の目的は、対業魔特攻を有する『変体刀』の試し斬り。監獄島で切り裂けなかった、あの女性業魔のことが頭に残っていたのだ。
雪の降りしきるヘラヴィーサの街区。オレンジの灯りで暖かく照らされた屋敷の一室。日も暮れて灰色に染まった世界を窓の外に眺めていると、ようやく待ち人が現れた。応接間の扉が開き、駆け込むように入室したのは白いドレスを纏った女性。緩く波打つ滑らかな金色の髪。透き通るような白い肌。ヘラヴィーサでは、『氷の聖女』と謳われる美女が、切なげな表情を浮かべて、オスカーを抱きしめた。
「オスカー!」
体重を預けてくる美女を抱き留め、彼は落ち着かせるように背中を擦る。久しぶりの再会とはいえ、オーバーだなと内心で苦笑しつつ、この街の支配者たる一等対魔師に声をかけた。
「お久しぶりです、姉上」
それが、ヘラヴィーサを訪れた理由だった。
「安心しました。監獄島で反乱が起きたと聞いて、貴方にもしものことがあったのではと……」
「ご心配をお掛けしました。この通り、問題ありません」
自分の胸を大袈裟に叩いて見せる。オスカーの姉、テレサ・リナレスはホッと肩をなで下ろした。
「ゆっくりと話をしたいところなのだけれど。ごめんなさい。あまり時間を取れそうにないの」
「いえ、こちらこそ急に訪ねてしまいましたから。お気遣いなく」
申し訳なさそうに謝る姉に、オスカーは横に首を振って答える。昼に彼らが屋敷を訪れた際も、仕事のために不在であった。緊急事態でもあったのかと問うと、彼女は端正な顔を悔しげに歪めた。
「業魔の襲撃があって、港が焼かれてしまったの……」
ヘラヴィーサの街の生命線が、貿易港である。都市として栄えている最大の理由が害されたということ。市民にとっては大打撃であろう。それを知っているオスカーは、損害の大きさに頭を押さえた。
「相手は監獄島から脱獄したらしいわ。黒髪の女性と大柄な男性の業魔です」
「奴らですか。この街を狙いましたか」
「知っているのですか?……ええ。それと、もう一人。マギルゥという奇妙な格好の女性も、一味のようです」
だとすると、姉には荷が重い。情報通り、聖隷シアリーズは消滅したようだが、それでも敵の戦力が勝る。黒衣の女性、ベルベットだけでも並の対魔師では大綱は困難。さらに、もうひとりの男。監獄島から強奪した刀――あの『完成系変体刀』を使えるようであれば。一等対魔師であるテレサといえど、状況は不利。オスカーは残念そうに数秒目を閉じた。
「命があって何よりです。ちなみに、男の方は何か剣を使っていましたか?」
「男の方ですか?たしか、両手に小太刀を持っていましたが」
違う、とオスカーは断じた。『あの刀』は使っていない。それが姉の命を救ったのだと理解した。特性上、『あの刀』は手加減の効く代物ではないからだ。使わなかったのか、使えなかったのか。そこまでは分からないが。
「まったく……相変わらず、剣のことに夢中なのね」
顎に手を当てて思案する弟に、優しげな顔を見せるテレサ。続いて、悲しげに俯かせる。
「ごめんなさい。今回の件で、王都に出頭する必要があって……。明日には街を出なければならないの」
彼はヘラヴィーサを拠点に、「賊刀『鎧』」を所有するアイフリード海賊団を捜索する予定だった。貿易港であるこの街ならば、その全権を有する姉の助力があれば、情報収集は容易だと考えたのだ。しかし、その計画は瓦解した。
ソファに深く腰を落とし、オスカーは体の力を抜いた。気落ちしている姉に負担を掛けないよう、意識して平常通りに口を開く。
「今、アルトリウス様から別の任務を受けていまして。情報があれば教えて頂きたいのですが」
『完成系変体刀』の所有者について。
アイフリード海賊団の情報は、どうやら姉でも現在地まで掴めてはいなかった。世界三大海賊などと世間では噂されているが、実際のところ『完成系変体刀』を所有したことで、かの海賊団の戦力は段違いとなっている。いまや聖寮ですら手を出せないほど。その上、彼らは用心深く、テレサの情報網でも具体的な居場所までは特定できていなかった。
「でも、もう片方の行き先ならば、マギルゥという女性、あの業魔の仲間から訊き出してあります」
脱走こそされたものの、一度は黒衣の業魔ベルベット一行の仲間を捕らえたのだ。人質として用いたテレサは、罠を正面から喰い破られてしまったが、その前に敵の目的は尋問してある。
「行き先は王都ローグレス。目的は、我らが聖寮の筆頭対魔師にして救世主――アルトリウス様の殺害」
「アルトリウス様の、殺害」
オスカーは静かに、その言葉を反復する。危機感や使命感ではない。感情は苛立ちに近い。業魔の集団を追うことに決めた。ワールドマップを思い浮かべ、彼女達の行動を予想する。王都ローグレスへ向かうために、経路はおよそ二つ。
「姉上。翌朝、この街を発ちたいと思います。移動手段を用意して頂けないでしょうか?」
「もちろんです。最高のものを準備するわ。目的地はどこへ?」
姉の質問に、オスカーは確信をもって答える。
「海門要塞ボーディガン」
快速船に乗り、付近の港に降り立ったオスカーとエレノア。そこから海門要塞ボーディガンまでは陸路でさらに半日。王都へ向かう最短航路を塞ぐ、鋼鉄の門。海峡を完全にせき止める巨大建造物の迫力は、まるで金属製の山のよう。鉄壁の要塞は間近で見上げると、規模の違いに圧倒されるほどである。しかし、不審な点がひとつ――
「見張りがいませんね。どうしたのでしょう?」
エレノアが首をかしげる。隣のオスカーに視線を向けた。
「遅かったか?いや、海門は開いてない。まだ間に合うか……?」
正式にアポイントを取る時間はない。顎に手を当て、わずかに思案したのち、彼は突入を決断。緊急事態を察したエレノアも武器である槍を手に、走り出す。常時は対魔師や兵士で強固に守られている、海門要塞ボーディガン。鉄壁を誇るその内部は――
――死屍累々の地獄と化していた。