Youth romantic comedy by teacher. 作:騎士の剣の鞘
戻ってきた。
今日、そう思えたのもこれまでの積み重ねだと思うと感慨深い。
この三年間は此処に立つためだけに生きてきたようなものだった。
千葉市立総武高等学校、我が母校の校門に水無瀬 夕はいた。
遡ること二ヶ月前。大学三年目にて教育実習生として派遣される事が決定し、僕以外の実習希望生の多くが自身の母校に決定する中、僕の実習先は中々決まらなかった。
当然、僕は知り合いの教諭が多い総武高校を希望したが、許可が中々下りなかった。
派遣手続き担当の事務によれば、総武高校側の教員二人が同時に妊休を申請するという事態があったらしく、そちらの処理に手間取っていたらしい。更に僕の実習派遣が重なったことにより、高校側の事務局で複雑なトラブルが発生したのだという。
何処にぶつければいいか分からない申し訳なさに胃を痛める中、一ヶ月程経った僕の元に実習生としてではなく、非常勤講師として半年の間、妊休教師の副担任として担任を代理で持ってはくれないか、という打診を受けることになった。
僕が既に教員免許を取っていること、母校生であり融通が利きやすいということ、総務高校の学校内推薦もあってのことだった。
当然、いきなり非常勤といえど担任を務めるなんてプレッシャーが凄いし、調べてみるとそもそも非常勤講師が担任を持つことが有り得ないことだ。扱いとしては、
臨時契約の常勤講師と同じ扱いになるらしいけど、段階ふっ飛ばして担任をもつということが僕の胃の痛みを更に悪化させた。
周りの友人たちは「良かったな水無瀬、羨ましいよ」とか「総武高校で確実に卒業後は雇ってもらえるじゃん、いいなぁ」「進学校の教員かぁ、給料いいだろうなぁ」なんて先走ったコメントを頂いたけど、胃が更に痛くなるだけだった。
そんな胃の痛みと戦いながら様々な手続きをふまえ迎えた今日。
つい一週間前には事前の挨拶などで来てはいたが、母校に今度は生徒ではなく教師として足を踏み入れた。
「久しぶりだな、水無瀬」
声をかけて出迎えてくれたのは理化学教員が着ているような白衣を、スーツの上から身を包んだ女教師だった。
「は、はい。お久しぶりです平塚先生」
「元気そうだな。なんだ柄にもなく緊張しているな?」
「そ、そりゃあしますよ……」
ははは、と軽く笑った彼女は平塚静。僕がここに在校していた時から国文を担当に受け持ち、高校2年と3年の時の担任だった人だ。
長い黒髪に顔も整っている美人で、当時も今も、彼女には心臓が揺さぶられる。
「ネクタイが曲がっているな。直してやろう」
「えっ、いいっすよ自分で」
「いいから来なさい」
僕は数分かかったネクタイの装着を平塚先生は僅か数秒で終わらせて、これでよし、というかのようにギュッと力を込めて締めた。
ぐぇ、と蛙が潰れるかのような声が出た。
「ありがとうございます」
「構わんよ。それでは、ようこそ総武高校に……いや違うな。おかえり、だな。水無瀬」
女性とは思えないかっこいい笑顔にまたドキリとしながらも、
僕は
「た、ただいまっす」
彼女のまっすぐな瞳に見つめられながらでは、そんな返答しかできなかった。
「ここではなんだ、職員室に行くぞ。君のこれから半年間の職場だ。そして私と水無瀬はこれから同じ教師という立場だ、上下関係はあれど三年前のような生徒と教師という難しい関係ではないからな。何かあれば私に遠慮なく頼るんだぞ」
果たして、20代後半の女性がこんなにもカッコイイ台詞を言うだろうか。否、それが平塚静という女性の美点であり、僕が彼女に
僕が教師を目指した理由、それは彼女と同じ職場で働きたい。彼女と同じ場所で生きていきたい。そんな教育実習志望理由書に書いた「高校で教師という職業の素晴らしさに感動し、教師を目指したい」なんて綺麗な理由ではない。
もっと爛れた何か。ただそれだけだった。
「そうですね、昔とは違って生徒と教師ではないっすもんね。色んな問題が消えましたよ」
「ん? なんか言ったか?」
「いえ、なんでもないです」
職員室へと向かう平塚先生を追いかけながら、僕はまた決心する。
このチャンスは無駄にしない。あの時とは違うんだ、あの時とは。僕はもうガキじゃないんだ。
◆ ◇
朝、運動部員の生徒たちが一足先に登校し、朝練を行っている時間帯で職員会議が開かれ、僕の紹介などが終わると、平塚先生とは別の年配の男性教諭に僕のこれから受け持つクラスへと案内される。
彼は進藤先生といって、僕が配員されるまで変わりに担任を受け持っていた先生だ。
僕が在学していた時は担当学年が違っていたために、あまり関係はなかった。
1-C。
標識にはそう書かれていた。僕が担任を受け持つのは1年C組だ。
進藤先生が慣れた手つきでスライド式の扉を開き、中に入る。ざわざわとする生徒達に落ち着いた声で「静かに」と告げると数秒程で室内は静寂に包まれた。
「今日からこのクラスの担任となる先生を紹介します」
そう言うと進藤先生はくいくいと廊下で棒立ちしていた僕を手招きした。はっ、と緊張で身体が固まっていた僕はコケるんじゃないかと思うぐらい足の感覚が無いまま教室の中に入る。
生徒の方はまだ見ない。正面の教卓にいる進藤先生の白髪頭を見据えて進むと、教卓から進藤先生が離れ教卓に登れ、というかのように自分は後ろに下がった。
いや、紹介してくれないのかよ。
ついそんな文句を言いたくなったが、頼ってばっかじゃ生徒と変わらない。
僕は教師だ。そう自分に言い聞かせて生徒達の方をゆっくりと向いた。
大丈夫だ、髪のセットも5分前に職員用トイレでみた。ネクタイだって平塚先生にさっきしっかり締めてもらった。
見えるのは顔、顔、顔、顔。
30人以上の生徒達の顔が、目線が僕の顔をじっと見つめていた。
すげえよ、教師って。こんなプレッシャーの中で教鞭をとっていたのかと思うと、何よりも最初に驚きが僕を支配した。
練習はしてきた。最初の一言は簡単だ。
「おはようございます。僕の名前は水無瀬夕、これから一年の終了までの半年間。妊休の前任の先生に代わって担任を努めます。よろしくおねがいします」
「「「「よろしくおねがいしま~す」」」」
ハードワックスで固めた髪が前に下がるほどに礼をすると、軽い返事が返ってきた。
落ち着いて彼らを見てみると、表情から彼らの考えていることが不思議なくらいよく分かる。ほとんどが初めての僕という存在に対する興味。目が輝いているとはこのことだろう。
例えるならば、新しいおもちゃを見つけた子供のような顔、という感じだろうか。
いや、それじゃだめじゃん。オモチャじゃだめじゃん。
「水瀬先生は何歳なんですかぁ~????」
女の子が身を乗り出しながら言った。
「えっと、21です」
わかっ! 大学生!? 俺らと変わんねえ笑
みたいな返答が返ってくることは予期していました。
「あれ、それじゃあ三年前までここの生徒だったってことですかぁ?」
また同じ女の子から質問。
栗色の髪にストパーをかけてアイロンを巻いているかなり可愛らしい女の子だ。えっと、座席表には……一色いろはさんと書かれている。
「そうですね。僕も一年の頃はこの教室を使っていたよ」
これは話題作りの嘘とかではなく、本当だ。
彼女の質問のおかげで取り乱さず落ち着けて、周りをみると記憶にある教室だった。自分が一年生だった時のクラスそのままだった。
わー! っとそれで盛り上がったのか、三年前の総武高校の事で彼女以外の生徒からも質問攻めにあう。
やれあの先生は三年前もはげていたのか、部活は何をしていたのか(ちなみに僕はテニス部だった)、どこ住みなのか、当時の担任は誰だったか、そこから派生して平塚先生は本当にアラサー近いのか、など10個ぐらいの質問を応えた所で、チャイムが鳴った。
「それでは、これから担任として職務は水無瀬先生が行うことになります。皆さん、なれない水無瀬先生に協力してくださいね」
進藤先生のゆっくりとした口調で行われた指示に、はぁーい。とクラス一同の間の抜けた返事が帰ってきて、朝の紹介は終わった。
次の時間はLHR(ロングホームルーム)だった。当然担任の僕は続けて教室に残り、進藤先生から渡された書類などに目を通す。
「それでは、LHRを始めます」
僕の教師生活が、幕を開けた。