深海提督が着任しました。   作:蒼樹物書

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【1】

――深く。

深く、深く、沈んでいく。

底が見えない。

当然だ、視界は黒一色。

上も下もわからない筈なのに、ただ沈んでいく感覚だけが鮮明だった。

 

 

「あ……」

 

開口一番、間抜けな声が漏れた。

どうやら横になっているらしい。冷たく、硬い床が不快だ。

 

「目ガ、覚メタ?」

 

カタコトの日本語。鼓膜を震わせる声、聞き取りにくい発音のそれを捕らえ意味を把握、変換する。

 

「答えなさい、人間」

 

人間じゃない。

私は近藤睦美という名だ、と答えようとしたが喉の痛みで声にならない。

塩漬けされたように私の喉は焼き付いてしまっている。

身体も倦怠感に包まれ動くのを拒否、視線を声の主に向けるのが精一杯だった。

 

「ふふっ、よかった……生きているわね」

 

私の生存を喜ぶ言葉。しかし、底冷えするような口調。まるで、死んでいても構わなかったと言外に示すような。

目を向けて、視界に写したのは黒に身を包んだ少女。

視線が噛み合う。赤い、瞳。白い顔。黒い衣服と白い肌のモノトーンの中で、その赤は薄っすらと光を帯びているように見える。

光源の不足からか、その赤い光は私の視線を捉えて離さない。

意識が覚醒の段階を上げていく。

黒と白、そして赤の少女。緩やかな波のかかった黒髪の長髪、ファッションに疎い私でも知っているゴシックロリータに身を包んだ少女。

黒一色の衣服は大きなフリルを頭と腰に飾りながらも、起伏に乏しい少女の身体を強調するように密着している。

同性であるにも関わらず、少女と呼べる外見にも関わらず妙な色気を纏っている。

彼女は腰に片手を添え、私を見下ろしている。

 

「立てるかしら?」

 

足腰に力を入れる。

力が、入らない。訓練学校であんなにも酷使し鍛えたはずの脚は僅かに震えるだけ。

自身の物でないかのように言うことを聞かず、気合が底を尽きた途端床に落ちる。

冷たい。気づけば全身びっしょりと濡れている。

ああ、せっかくの新調が。

場違いの感覚。しかしこんなにもしっかりとした縫製、初めての礼服として扱える軍服を台無しにした事に後悔を覚える。

 

「……ダメそうね。手伝ってあげなさいな」

「ヲ」

 

少女の呼びかけに応え、薄闇の中から現れるもう一体の白い人型。

彼女と同じくモノトーン、しかしその目には翡翠の光。

白の上半身に、黒いボトムス。黒い外套を羽織っている、白髪の少女。

あれ、どこかで。

何かが欠け落ちているがその容姿に見覚えがあった。

一体――。

そこまで考えたところで、現れた少女に抱え上げられる。

痛い。乱雑な扱いに眉を顰め、抗議の声は上げられないから睨みつける。

精一杯の抗議はそよ風を受けたかのように無視され、私は引き摺られながら連行されていく。

 

「ぉ、お……」

「ヲ?」

 

どこに、という声は言葉にならず間抜けな音が漏れるだけだった。

その声に不思議そうに首を傾ける少女。吸い込まれそうな翡翠の瞳。

年頃は同じくらいだろうか。

意思疎通を諦め、先導するゴスロリに目を向ける。

呆れるくらい綺麗な所作。薄暗く狭い通路を歩いているだけというのに目を引く。

そして目的地に着いたのか、足を止め通路脇にぽっかり開いた暗がりを指し示した。

入れ、ということらしい。私を連行する少女はそれに頷くと薄暗い通路よりさらに濃い闇の中へと歩んでいく。

闇の中で距離感が掴みにくいが、十歩程進んだだろうか。

そこで突然、私を抱えていた腕が離され捨てられるように床に落ちる。

まだ力が入らないせいで受身もまともに取れず腰を打ち付ける。

やはり、私の扱いは尊重されていないらしい。

 

「ようこそ。始まりと終わりが集う場所へ」

 

澄んだ声が響く。

先の二人とは別の声。

 

――ぞくり。

 

心臓に、鋭い爪が突き立てられる。

そんな悪寒に全身が硬直する。

この声の主は、不味い。声を聞いた、それだけで理解できる絶対強者と対面しているという確信。

目を逸らしたい、両手で覆って跪きたい。

なのに、私は目を見開きその声の主へと視線を釘づけさせられている。

段々と暗闇に順応してきたのか、前にいるモノの輪郭が浮かび上がってくる。

椅子の上に腰掛けている、白。

白い髪、白い顔、白い肌。

衣服は身に纏っていない……?

しかし、全身の各所が裂けてその隙間から血のような真紅が覗いている。

怪我ではない。そういう生き物なのだ、と同じく真紅の瞳で睨まれて理解する。

真紅の瞳。先の赤や翡翠のそれとは別格を思わせる、鮮やかなのに深い赤。

体調の理由とは別の所で、声が出せない、身じろぎ一つできない。

私は、死に直面している。

何かを間違えば死ぬ。間違わなくたって死ぬかもしれない。

女性の形を持つアレはそういう相手だ。

 

「……声が、出ないのか。喉が渇いているのか?」

 

親しげな言葉。その存在からは考えられない気遣う言葉に困惑していると、彼女の視線が傍らの少女を促すように動く。

 

「ヲ」

「……っ!?」

 

口付けられた。

傍らの、外套を纏った少女が私の両頬を掌で挟み、唇を奪っている。

そんな。

初めて、だったのに。

『彼』の為に大事に大事に守ってきた唇は呆気なく奪われている。

同性だから、とか考える猶予もなく突然。

口内に生暖かい液体が注がれ始めた。

 

「っ、ぶっ、んうぅうぅぅぅッ」

 

どこから湧き出ているのか、生温い液体。

塩漬けにされ渇いた喉が潤される……のだが、量が多すぎる。

必死に力の入らない身体を暴れさせるが私を拘束する両手はびくともせず、液体を注がれ続ける。

小柄な体躯に見合って小さな胃はすぐに限界を向かえ、注がれた液体を逆流させ始める。

苦しい。こんな、死に方……。

 

「ストップ」

「ヲ」

 

真紅と白の女性の宣言で拘束が解かれる。

即座に上体を折って過剰な液体を吐き出す。

内臓が暴れ回り、痛みに身体が痙攣する。ばしゃばしゃと床を汚し、水溜りを作る。

幸い、胃の中に固形物は残っていなかったようだ。ようやく呼吸ができる。

 

「ッぜ、はッ、ぐ、ぇ……はっ……」

 

必死に肺へ空気を送る。まだ液体が胃に残っているのか、腹が重い。

ゆっくりと、じれったく感じる程に遅く身体へ酸素が行き渡ると先ほど感じた唇の柔らかさ、そして冷たさに嫌悪感が湧き上がり袖で唇を強く、何度も擦って感覚を霧散させる。

未だ倦怠感に包まれているがようやく少しは身体が動くようになったようだ。喉の渇きは十二分に癒された。ありがとうクソが。

 

「落ち着いたかしら。まずは、自己紹介といきましょうか。名乗りなさい」

 

なんて傲慢な。

名乗りを求める時は自分から、でしょうが。そう思いながらも真紅と白の女性からの重圧は未だ健在だ。口答えは死に直結する。

呼吸を急いで整え、声の発し方を思い出して口を開く。

 

「っ、ぉ……こんどう、むつみ……です」

「長いな」

「睦美、で、いい、です……」

「よろしい、ムツミ。私は……オアフとでも名乗ろうか」

 

オアフ。その名は。

奴らは、過去に私の生まれた国が戦争していたいくつかの国の物に由来する特徴を持つ。

それは艦船だったり、陸地に建造された基地であったり。

何故、気づかなかったのか。

訓練学校であれ程叩き込まれた『敵』。

白い肌、理を超え輝く瞳。私を連行した奴に特徴的な頭の部位が欠損していた為?

私を傲岸不遜に見下す奴が教本に記載されていなかったから?

否。

認めたくなかったのだろう。

ここが『敵』、深海棲艦の支配圏であることを。

 

 

『敵』との会合の後、連れられた一室。

窓一つない狭い空間には押し込められたようにベッドや机が置かれている。

いくつかの僅かな光源……部屋の隅にへばり付く苔のような塊が発する、朧な光源で照らされている。

一人ベッドに腰掛けて溜息をつく。当然ながら、唯一の出入り口は施錠された。

ここに至るまでを回想する。

ついに自身の努力が認められ訓練学校の卒業、そして新たに設立される鹿屋基地への着任。

その僅かな間、認められた休暇。それを持て余して海岸で一人、私は海を見ていた。

寂れた港、そのコンクリート製の壁へ定期的に叩きつける波の音。

 

ようやく、『彼』に並び立てる。

 

艦娘を指揮する提督の座。

主席で疾うに卒業し、その座に在る彼。

彼と並んで、ようやく彼と共に在れる。

そんな期待と不安で綯交ぜになった気持ちのまま、制海によって安全であるはずの神戸港、その縁際に立っていたはずなのに。

呑まれた。

何の脈絡もなく海と陸の瀬戸際に立つ私を呑み込む駆逐イ級。

それからは、沈んでいく感覚しか覚えていない。

奴、あの白と真紅の女……オアフと名乗った深海棲艦が私に求めたのは一つだけだ。

観察させろ。

人類同士の大戦中、その終結が見えた直前に現れた深海棲艦。

奴らは圧倒的な性能と物量で全人類を極限まで追い詰めてみせた。

しかし、三年前。

人の理を超えた奴らは、同じく理を越えた妖精、そして艦娘によって駆逐され始めた。

艦娘の性能は奴らと比べ強力とは言えない。

鬼級や姫級と呼ばれる連中に比べればむしろ劣る。

だが、その性能と物量に物を言わせる愚直な攻勢、艦娘を配下に入れた人類はそれを覆せる程度には賢かった。

これまで幾度も血と共に積み重ねられた戦術・戦略は対深海棲艦にも威力を発したのだ。

それを認識して、奴らも漸く焦りを覚えた。

自身らの領域である海から駆逐すべき害虫。

叩いて潰せる筈の相手に学ぶべき所があるということを。

だから、私はここにいる。

観察して、理解して、効果的に潰すべき害虫。

その、サンプルであると。

 

「……ふざけないでよ」

 

私は、海軍士官だ。

『敵』、深海棲艦に対する最前線、それを守る提督となるはずの者だ。

その敵に利されるくらいなら。

ここには銃どころか刃物一つない、首を括る紐代わりになるものも見当たらない。

自身の舌に歯を押し当てる。

――でも。

私が出会った奴ら。ゴスロリ、そして白と真紅の奴、オアフ。

教本にも載っていなかった連中の情報を本土へ持ち帰られれば。

その打算、そして何より。

 

――『彼』に、逢いたい。

 

何て浅ましい。

打算の外にあるその劣情。

私は自身の顎に力を入れる勇気を持てなかった。

もう少し。

もう少しだけ、今を続けよう。

自身が深く海の底へ沈んでいくことから目を背けながら、そう考えてしまった。

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