「拝啓、宍戸結希に告ぐ。貴様は科学者失格だ。血も涙もないその冷徹な様は常軌を逸している。悪魔だ。現世の諸悪をかき集めても貴様のようになるまい。貴様の実験の影響で人生を絶たれてしまった人間が何人もいるのは、貴様自身が一番分かりきっているはずだ。貴様の研究すべてが悪だ。非合法だ。マッドサイエンスだ。これ以上人の世に悪をはびこらせぬためにも、貴様の行動は慎んで然るべきだ」
手紙はおおまかこんな内容だった。
「こんな……脅迫まがいの手紙を……」
手紙を持つ手がわなわなと震えていた。頭が茹でられているかのような怒りが満ちてくる。安住の地から悪口雑音を喚き散らすその態度に、知った顔で嘘八百を平気で言う相手の底知れぬ卑劣さがなんとも腹正しい。
と同時に、ふとさっきの結希の狼狽しようを思い出す。何故結希はあんな根も葉も無い怪文書にあそこまでうろたえたのだろう? もしかして彼女は、この手紙を読んだ人が本気でこれを鵜呑みにするとでも思っているのか。
生憎ながら宍戸結希の評価、信頼は他の誰よりも磐石。これまで数々の魔導機器の発明や、これまで誰も為し得た試しが無かった魔物の性質、秘密を暴いてきた。その道筋に失敗の欠片も無かったし、誰がどうひいき目に見ようと彼女を責める事の出来る権利は無い。そんな彼女が、この紙切れ一枚ごときで自分の存在を完全否定されると思い込んでいる……
そう思うと、何故だか酷く彼女が恨めしい気持ちになった。私は彼女を、最初は目の敵にしていたけども、今はもう彼女を心の底から尊敬している。悲しいかな、心の底から親しく思う人物への信頼は、地球上の全物質の否定さえもびくともしない。それなのに、そんな私を信用せずに、何もかもを疑心暗鬼に怯える結希が、とても恨めしく、そしてそんな信頼一つさえも勝ち取れない自分に、酷く憤りを覚えた。
私はちらと結希を盗み見る。ちょうど彼女は今から届いた手紙を読む所だった。ささっと慣れた手つきで手紙を読んでいき、それに対し短文ながらも返事を書く。時折クスリと笑ったり、難しい顔をして呻く結希はとても生き生きしていた。積み上げられたはがきの山はみるみる低くなり、あっという間に残り数枚となった。結希はその山を見て少しガッカリした様子だったけど、それでもどこか幸せそうに微笑んでいた。心なしか、研究所の雰囲気が少しだけ明るくなったように思えてきた。
でも、幸福なんてのはどうしても次の出来事を不幸にしたいらしい。次に引き上げた便箋に、結希の笑顔が固まった。
「くっ……」
結希は忌々しげに呟き、手にした便箋を睨み付けた。結希の手にしたその便箋は、机との距離のせいでその便箋の委細を知ることは出来なかった。でも、その封筒の、妙に小綺麗なその様は、はっきり眼前に浮かぶほど覚えていた。
私の口からギリギリと、不協和音染みた不快な音が鳴った。奴ら、一度だけじゃ飽きたらず二度も、あんな忌々しい手紙を送りつけてきていた。いや、もしかしたら二度なんかじゃなくて何度も何度も送りつけてるかもしれない……私は怒りのあまり頭をかきむしりそうになった。
ふと、ドンと大きな音がなった。ぎょっとして音の方を振り向くと、結希が机に拳を押し付けて、今からでも涙が零れるのかと思えるほどにわなわなと体を震わせていた。その反面顔色は朝見た時より青ざめていて、まるで裏切りにあって殺された武将のようだった。
結希はしばらく封筒を眺めて、そして読み終えた手紙の山へとその封筒を放り投げた。そして、再びさっさと次の手紙の返事を書き始めた。さっきよりも疲れて悲痛を孕ませた表情を讃えながら、せせこましく返事を書く結希を見る。私はそんな彼女を見ながら、やっぱり彼女も人間なんだな、とぼんやり思った。
すごく胸が痛かった。
次の日、私は手紙の検閲を始めることにした。あの後手紙の選別を終えた結希は、何事もなさそうな体裁で研究を始めた。しかし顔にはトンネルを丸々一つ掘り終えたかのように酷く疲れきっていた。あれだけ楽しそうに手紙を読んでいたのに、あんな手紙一つであそこまで追い込まれた形相を見せていた。
やはり、あの手紙は結希の心を深く、そして容赦なくえぐり、ストレスを溜め込ませている。ならば私の行うべきことはただ一つ。これ以上結希の内外の健康を脅かす、あの無粋な手紙を葬ることだけだ。
そう私は心に誓い行動を始めた。そして、私の興じた策は、とても単純明快で、なおかつ効果ばつぐんの作戦、検閲だった。さっき言った通り、誰にでも思い付くような至って単純な作戦だが、単純な物ほど成果は上がるもの。俗な言い方をすれば、シンプルイズザベストだ。
思い立ったが吉日、早速私は今日から行動に移る。
「あ、そうだ結希。私ちょっと欲しいものが出来たから、購買まで行ってくるわね」
そう言って私は席を立つ。欲しいものなんて勿論無かったけど、最悪栄養ドリンクでも買って結希の頭にかけてやればいいだろう。
「天、それなら私のも頼まれて。ここに書いてある物を一つ、費用は後で出すわ」
そう言って結希はメモ用紙を丸め、私の手に握らせる。私は少しだけホッとする。というのも、これからの行動をあまり結希には知られたくなかったからだ。自分宛に送られた手紙を、どんな事情があれど勝手に読まれるのは、流石の結希でも不快に違いない。
「じゃ、行ってくるわね」
そんな心持ちは胸の奥へと閉じ込めて、私は気持ちを悟られないように軽めに挨拶すると、研究所を後にする。と同時に、結希の姿が見えなくなったのを確信すると、急いでポストへと向かった。
ポストの中にはどっさりと手紙が入っていた。電子レンジ程の大きさのポストが満タンになっていて、私は改めて宍戸結希という人物の偉大を思い知った。しかし、この縦横無尽に詰め込まれた手紙の中から、十把一絡げの封筒を見つける苦労を思うと、少々気が滅入るのだった。
いそいそと、しかしバレないように大人しく、私はひたすらにポストをかき混ぜて、すくい上げては落とし、すくい上げては落としを繰り返した。そして探し始めてから三十分、私の手に、ほんのり青い、小綺麗な封筒がすくい上げられた。手紙の表面にはただ一言、「宍戸結希へ」のみ書かれている。
間違いない。あの手紙だ。一応中身を開け、文面を確かめる。案の定、今すぐ手紙を破り捨てたくなるような、根拠のない誹謗中傷の羅列だった。私はすぐさまその封筒を白衣の裏ポケットへねじ込んだ。後は購買へと足を運んで、備え付けのゴミ箱へ葬り去るだけだ。通例通りなら手紙は一日一通のみしか来ない。これでもう任務は完遂。悪は消え去るのだ。
私は自然と唇がニヤリと曲がるのを感じた。勝利に酔うとはきっとこのような気持ちなのだと思う。結希の為にと始めた行為だが、私はしばしの間、卑怯な愉悦に身を潜めていた。
鳩が間抜けな声で鳴き、向かい風が目を乾かせる夏の昼の陽気を背に、私は軽い足取りでMOMOYAへと向かう。その最中、ふと結希から買い出しを頼まれていたことを思い出す。私はくしゃくしゃに丸まったメモ用紙を取りだし、皺を伸ばし、その一言一句に目を凝らした。そして、
「プッ、ククク……」
その、本人は至って真面目だが、端から見たら道化に思える中身に、不謹慎ながらも私は吹き出してしまった。いくらかの生徒が突然の笑い声を不審に振り向く。しかし私は気にせず一人呟いた。
「まったく、結希も素直に言えばいいのにね……」
メモ用紙には「シュレッダー」の一言が書かれてあった。結希には後で謝っておくとしよう。