私の働きの成果は、その日の夕暮れには目に見える物となった。
手紙を葬った後に手紙を一通残らず読みきった結希は、はじめのほんの一瞬限り不思議そうな顔をしたが、その後に安心のあまりか泣き笑いのような不思議な表情で宙を見上げ、ため息を吐くかのように笑っていた。その表情には思い詰めた苛立ちものしかかる憂いも感じられず、正に表情は幸福一色だった。
それから一週間たって、結希の調子はみるみる良くなっていった。頬には赤みが戻ってきていて、ふと悲しい顔を浮かべなくなった。時たまボンヤリすることはあったけど、きっと脅迫が無くなったことへの安心なんだろうなと一人頷いた。
そして、行動を起こし始めて二週間が経ったその日、
「あれ?」
いつも通り手紙の排除を行っていた私は、ポストを覗きこみながらふと首をかしげた。いつもなら十分程度で見つかる手紙が、いつまで経っても出てこないのだ。
もしかして便箋を変えてきたかと思い、宛先の書かれていない手紙を探してみたものの、いよいよその手紙が見つかる事は無かった。これはもう明白、手紙は完全に途絶えたのだ。犯人へ制裁が下せないのは少し心苦しいが、もう結希に危害が加わらないならば万々歳だ。私は研究所へと回れ右をした。
研究所へ戻ると、珍しく結希は窓の外に目をやり、ぼんやりとしていた。研究の小休止をしているらしいが、成果主義の彼女にしてはいたく珍しい行為だった。
「あんたも疲れてるのね、結希」
後ろから声をかけると、結希は肩をびくっと震わせ、こっちの方へ振り向いた。
「あら、戻ってたのね天。無駄口叩いてないで作業に戻りなさい」
「さっきまで憩いのひと時を過ごしてた人が言うセリフ?」
「生憎、私は研究合間の小休止なのよ。あなたはさっきまで休んでたでしょう?」
「都合のいい……」
さっきまであんたの為に働いてたのよ、という噛みつきより先に、私は思わず苦笑した。と同時に、ここまで精神的な安寧を保てている彼女を一層微笑ましく思った。
と、その時だった、ふと私の耳元で、まるでバットを振ったかのような重い風の切る音がした。そして一瞬、瞬きさえも許さない音の主が、ちょうど結希の顔あるすぐ横へと刺さった。それは、一本の矢だった。しかも、これは直で見たことは無かったがその形状は知っている。これは矢文だ。
「ゆ、結希! 取っちゃダメ!」
嫌な予感に急かされて、私は思い切り叫んだ。でも、彼女自身もきっとまた嫌な予感がしていたのだろう。それを否定するためにかどうだか、彼女は矢文を手に取った。
か細い、結希の息をのむ声が辺りに響き渡る。震える彼女の手には、これまで何度も見た、何度も憎んだあの小綺麗な青い便箋を掴んでいた。悪い予感は見事に的中した。手紙の主は手段を変え、直接彼女を傷つける手立てを使って来た。
私は自らの迂闊を呪った。そうだ、手段なんていくらでもある。それなのにどうしてたった一つの手段を潰しただけで鬼の首を取ったかのように驕る事が出来たのだろうか。後悔なんかじゃ言い尽くせない、騒々しく地団太を踏み抜くのも呆れるような感情が胸の中にひしめき、まるで吐き気のように頭と体を巡っていく。
果たして結希も同じように思っていたのだろうか、ふと隣で甲高い音が響く。隣に目をやると、結希が荒々しく手紙を破り捨てていた。顔にはまた以前のような苛立ちを、破る手には憎しみを込め、気付いたら封筒は、もう紙吹雪もおののくほどの小ささとなってしまっていた。結希はその封筒だったものを床へ投げ打つ。すると、途端に結希ははっとした面持ちになり、私の方へ向き直る。果たして結希は取り乱した姿が恥ずかしいのか、手紙にムキになったのをいぶかしんだかと恐れたのか、はたまた別の心持ちか……結希の激情に圧倒された私は、呑気にそんな事を考えるしか出来なかった。
そうして何も言えない私を、結希はただじっと見つめていた。が、何も言わないと気づくと、結希は私から目をそらし、そして寂しそうに踵を返した。果たして結希が何を思ったのかは愚鈍な私には分からなかったけれど、それでもその背中は私の心の素直な所に、小さく影を落とすのだった。
私は発起した。こうなったらある程度の罰は覚悟で、手紙の差出人を見つけ出し、そいつを二度と行動出来ないようにするのだ。行動というのはそのままの意味、二度とどこもかしこも動けなくさせるのだ。
民間人への魔法使いの攻撃がご法度なのは百も承知。もちろん、何かしらの言い訳で罪が逃れられるなんて少しも思ってない。だけど、このまま何もせずにのうのうとしていたら、じわじわ結希が蝕まれ、殺されるだけだ。これは比喩でも何でもない。舗装された道を歩んできた結希は、誰よりも傷つきやすいんだ。私が、結希よりも畦道を潜り抜け、泥沼に溺れた私が守らなければいけないのだ。
相手の居場所のあぶり出しなら簡単にできる。魔力を使った逆探知機を矢にかけるのだ。通常逆探知はデジタル系の物からデータを見つけ、そこから解析を行うものだが、魔力を用いると、物質に込められたわずかの記憶や願いから所有者の特定を行えるのだ。
しかし、ここでの問題は、この探知機は非常に燃費が悪く、魔法使い十人分以上の魔力が必要だという事だ。しかも丸々十人分という訳でもあるから、魔力の枯渇を避ければ倍以上はかかる。私的な事でそんなに人を招集なんて出来ない。それに、そもそも私にそんな人徳は無い。
どうした物かと悩むこと数分、ふと脳裏にある人物の顔が浮かんだ。
「悪いわね、転校生」
「いやいや、もう慣れっこだからさ」
草木も頭垂れ始める午後九時、帰路についていた転校生を無理言って呼びだした。一分も経たずに息を切らせてやって来た転校生は、嫌な顔一つせずに私のあいさつに笑って応じた。
「で、僕は一体どの機械に魔力を注げばいいの?」
「これよ、逆探知機」
「中々物騒な物だねぇ……もしかして落とし物?」
「んー……まぁそんな所よ」
曖昧に笑って答えていると、「終わったよ」と転校生が私へ機械を渡した。と同時に、
「そういえば……」
と思い出したかのように言葉を紡ぐ。
「結希の事なんだけど、近頃具合大丈夫?」
その言葉に私は思わずおののく。が、それを意にも介さずに転校生は言葉をつづけた。
「いやさ、この前助っ人として研究所に行ったんだけど、物凄い疲れてる雰囲気だったからさ、だから少し心配で……」
言葉を聞いて私は少し安心した。てっきり逆探知の使い道がバレて、それを直接言わずに仄めかした物かと思ったからだ。
「えぇ、あれは一時的な奴だったから、今はもう平気よ」
「そっか、それなら安心したよ」
そういうと、彼は穏やかにほほ笑んだ。私はこんな綺麗に人を思いやる彼の姿が少し羨ましかった。ふと私は、今から自分の行う行為が、とてつもなく歪な物に思えた。
「……あのさ、転校生」
思わず転校生を呼ぶ。
「ん、どうしたの?」
「一つアンタに聞きたい事があるんだけどさ、その……アンタがもし誰かを守るときに、それが皆から眉をひそめられる事であったとしても……あんたはやる?」
ほぼ罪の自白と同様だった。思えば私は引き留めてほしかったのかもしれない。まだ私の心で非合法の枷が、粘り強く絡んでいたのだろうか。
転校生は少し困ったような表情をしながらも、
「うん、するね」
と事もなげに答えた。
「だってさ、人を助ける事は、どんな事であろうと「正しい事」でしょ?」
そして、言葉を終えて屈託なく笑った。
「……そっか」
きっと転校生は全部気づいていたのだ。自分の一言が現実になるのを全部承知の上で話したのだ。私も思わず微笑んでいた。きっと、転校生にこれ以上心配させないために。
「じゃあ、僕はそろそろ帰るよ」
そう言うと、転校生は背伸びをしながら私に背中を向けた。そして、
「それじゃあ、どうか元気でね」
と言い残し、そのまま立ち去って行った。
「元気でね……かぁ」
一人残された私は、なんとなく漂う虚無感に急かされそう呟いた。胸に突っかかった何でもないような言葉を一つ、ぼんやり眺めながら私は空を見上げた。空は、ちょうど月を雲の中へと隠していく最中だった。