こっそりと、ばれないように隅っこの方に置いておこう……。
もしこの二話が更新される前に一話を読んだ方がいらっしゃれば、先に一話を読んでおいて欲しいです。ところどころ改稿していますので。
「ツモ。2000、4000」
「うーん、また負けた!」
和了宣言と共に広げられた綺麗な手で、和ちゃんはオーラスを締めくくった。
その和了に声を上げながら、穏乃は卓に倒れこむ。
マナーを考えてくださいよと言って穏乃を窘める彼女に、憧はため息を吐きながら羨望の視線を向けた。
「和って本当に上手いよね。玄と竜のいない卓ではほぼ負けなしだし。こうして玄がいる卓でも勝率は五分五分って感じでさ」
確かに、彼女は強い。あの小学生とは思えない精度のデジタル打ち。まるでコンピュータのような打ち筋には、毎回驚かされるばかりである。
あの日から一週間。結局和ちゃんは阿知賀こども麻雀クラブに加入し、それから毎日のように麻雀クラブに来ていた。
といっても俺がいる日しか来てるかどうかも解らないんだけどさ。
「まあ、そこそこ自信はありますよ。それ以前にあの二人の運が良すぎることの方が私は問題だと思いますけど」
彼女は、こちらにジトーっとした視線を向けながらため息まじりにそう言った。
まあ、そんな視線になるのもわからなくもない。
実際自分が和ちゃんの立ち位置にいたらあまりの理不尽さに卓をちゃぶ台返しくらいはしていたであろう。
そんな彼女の言葉に、玄は逆に堂々と胸を張る。
「運だって強さの一つだと思います!」
「確かに。俺も運が大半を占めるゲームにおいて、ツキがあるってのは十分強さの指標になると思うわ」
和ちゃんはその言葉に肯定しつつも、少し不服な様子。
デジタルは運の要素をできるだけ排除してるようなものだろうし、そりゃ納得したくないだろうなと一人思った。
「しかし、あれだけ打ってもまだオカルトを信じないんだな。さすが筋金入りのデジタル派」
「ええ、オカルトなんてありえませんから」
そうきっぱりと言い放つ和ちゃんはすごい。
こんなドラ爆ウーマンと俺みたいなのがいる環境だ。俺だったらすぐにオカルトを認めてしまう気がする。
はてさて彼女のSOAは将来治ったりするものなのだろうか。
和ちゃんは意識を切り替えるように顔を引き締めた。
「もう一局打ちませんか?今度は竜さんも一緒に」
「いいぞ。ずっと見てるのも暇なんだ」
俺はその言葉に軽く了承し、先ほどとっていた牌譜をファイルに纏める。
このファイルもそろそろ埋まる頃だ。
初期の頃から集め続けた阿知賀こども麻雀クラブの牌譜は、もうそれなりの数になって棚に置いてある。
この牌譜も一月に一度行われる反省会で使うのだが、やはりあるとないとだと大違いだ。
「となるとラスのしずが抜ける形になるね」
「うーん……残念だけど仕方ないか」
穏乃が抜けた席に座って、対局を始める。
カチャカチャという牌の音に、周りの談笑が混ざっている雰囲気。
最近では、この瞬間が気楽で楽しい時間になっている。
あの日、推薦のことを家族に話した結果、とても喜ばれた。
母親曰く、受験はこっちまで緊張するからしないに越したことはないと思ってるとか。
父親も、受験を経験しないというのは如何なものかと考えたみたいだが、それにしたって直通パスが貰えるのはいいことだろうと言っていた。
大阪にあるその高校は、奈良からでも電車で1時間と少しで行けるとても近い高校らしく、自宅通学ができるのであれば何も問題はないというのが親の考え。
しかし、その高校に行きたいかどうかは自分で決めなさいと言われてしまったこともあって、本決定は来月にその高校に行ってから決めることにした。
しかし、やはり不安もある。
県を跨ぐほど離れた高校に通うとなると、自分が暮らしている地域と雰囲気が大分変わりそうで怖いし、地元に住んでいる友人とも気軽に遊べなくなる。
そしてそうなると、勿論ここに来る回数も減ってくるだろう。
「ロンです。12000」
「うげっ、なんでこんなところ切ってんだ」
和ちゃんの和了宣言でハッと意識が戻る。
ついつい深く考え込んでしまっていたようで、普段なら切らないであろうドラ筋をポロっと出してしまっていた。
これじゃ麻雀初心者となんら変わりない。
点棒を和ちゃんに渡して一息つく。目の前にはドアップになった憧の顔が、ってびっくりした。
少し仰け反りそうになった俺の顔を、彼女は心配そうに覗いてきた。
「竜、大丈夫?最近意識が上の空になること多くない?」
「ああ……ちょっとこの頃寝不足で」
今は対局中、こんなこと考えてる暇はなかったな。
しかし跳直はかなり厳しい。面倒くさいことになったなあと思いながら、周囲の状況を観察する。
カラカラと鳴るサイコロの音。平然とした和ちゃんの表情に、少し余裕そうな憧の顔。玄は少し焦燥を浮かべた顔をしていた。
点数を見ると、持ち点は既に五千を切っている。
俺の頭はもう一度凍結したかのように固まり、再起動したのは一二分後のことだった。
「……いつの間にこんな振り込みを?」
「珍しく玄が不調だったから、和と私でツモあがり繰り返してただけだよ」
ドヤ顔でこちらを見る彼女に凄まじい苛立ちを感じながらも、気持ちを入れ替えようと息を大きく吸い込んだ。
目の前に見えるのは、既に二段目ができている河と、憧のもとに副露されている中。
「……ちなみに今何局目?」
「南三局。さっきの局が竜の親番」
「そしてリーチです。竜さん、どうしますか?」
そして横に曲げられた牌。
これはまずい。
全力で追いかけてはみたが、結果的に追いつくことなく。和ちゃんのアガりで俺と玄は無残に飛ばされ、スコアには大量のマイナスが付いた。
憧がドヤ顔でこっちを見てるのが非常に腹立たしい。
見学に徹した次の卓では、玄が初っ端倍満ツモしていたが…まあそんなこともあるさ。
「開幕即リー親倍ぶっぱ……そして数えで纏めてぶっ飛び……」
「こ、こんなオカルト……」
「こりゃもう続けられそうにないな」
玄はあたふたとしているが、これお前が作った状況なのを理解しろよ。
面子は移り変わって、俺、玄、和、穏乃の四人で卓を囲む。
もう集中を欠くことはしないと心に決めたのはいいものの、やはり和ちゃんや玄は一切油断できない相手な上、たまに穏乃もわけのわからない思考回路や捨て牌をしたりすることがある。
そんな卓で自分の好きなようにやるのは面倒くさいだろう。
「そういえば、竜って結局あのプロの人とは連絡とってるの?」
あのプロって誰だよ。
憧にそう言いそうになるのを抑えて、話題に上がりそうな人を考えてみる。
パッと出てくるのは前イベントに出た時戦ったあの人だし、多分そのことだろう。
「あー、あの人とはちょくちょく会って打ってるぞ。奈良じゃないところに住んでるから、誘われても俺行くの大変だって断ることも多いんだけどな」
「いいじゃんあんたどうせ暇なんだし」
なんか嫌味ったらしいなおい。
俺だってそんな暇じゃないんだぞ。主に家でのんびりするとか牌を触るとか。……思ったより暇だな俺。
「プロ……?竜さんって、まさか」
牌を切り出しつつ憧の相手をしていると、和ちゃんが恐る恐るといった感じで聞いてくる。
俺はそれに一つ頷いて、穏乃がよくぞ聞いてくれましたと言わんばかりに立ち上がる。
「そう!竜さんは実はプロの人とサシで打てるレベルの打ち手なのだ!」
……あれ、それ俺の台詞じゃね?あとロンな。
満貫を伝えてやると、彼女はオーバーリアクションを取って座り込む。
なんか魂抜けてるみたいだけど平気かあいつ。
そんな光景を瞳に移しつつ、和ちゃんは感心したように呟く。
「竜さん、やっぱり強いんですね……」
「まあ、手加減されてようやく相手になるレベルだけど。なんというか、たまに会う麻雀が強い親戚の人みたいな関係だし」
まあ実際、ちょっと見所がありそうな若人だから育ててみようくらいの気分なんだろうなあの人からしたら。
あ、ツモられた。親っかぶりかあ。
少しだけ、会話が無くなって静かになる。
捨て牌に二段目ができたその頃、対面から少しトーンが落ちた声が聞こえた。
「ということは、もしかして力抑えてませんか?」
その声に思わず和ちゃんの方を見た。彼女もこちらをじっと見つめている。
彼女の言う通り、確かに俺は手加減をしている。たまに全力で打つこともあるけど。
でもそれは、他の人が楽しんでくれるようにと思ってのものだ。
本気を出せば、それこそ卓がオカルトそのものになってしまう。それじゃあつまらない。毎回毎回わけのわからない打ち方されても困るだろう。
「和、それはあくまで竜も良かれと思ってやってるわけで…」
「一度だけでいいです」
そう言った彼女の顔は、これ以上無いくらいに闘志に満ち溢れていた。
「一度だけ、本気で来てください」
勢いよく切り出した七筒は、いくら安手とはいえデジタルからしたら絶対に切り出さないはずの危険牌である。
俺はその牌と彼女を、じっくりと見つめた。
「────ポン」
自分の中に感じるのは、全てを喰らい尽くすかのような引力。
彼女は自分から本気の俺をお望みとのことだし、俺自体本気を出すことはやぶさかではない。だから、この場だけでも付き合ってもらうことにした。
和ちゃんからしたら雰囲気が変わったくらいにしか思わないだろう。
この歳にしてはデジタル打ちの選手として完成度が高い彼女のことだ。あまりこちら側の感度は良くないはず。
手牌から二萬を切り出す。穏乃はツモ牌を一瞥すると、その牌を組み込み、俺の顔を見ながら四萬を切った。
残念だが、それは
「ポン」
ノータイムで牌を切り出すと共に、穏乃を引き寄せる。
彼女はゆっくりと牌を山から取ると、祈るようにそのままツモを切り返した。
「ロン。断么九対々三色同刻で12000」
やはりドラが来ない分、火力を取りづらい。
下家で冷や汗を垂らしている彼女を横目に、これからのビジョンを考える。
とりあえず不安要素は潰しておきたいところだ。
二位の玄はこの力で封じ込めることができるから、コレを使って玄と点差を広げていこう。
南2局。親は対面の和ちゃんだ。さて、少しは食らいついてこれるだろうか。
「ロン。イッツー清一で18000」
「…うん」
いま現在二位にいる和ちゃんを大きく突き放して、オーラスでの二位との差は30000点近くほどになった。
最後のオーラスは、一番俺が自信を持って打てる場所。
配牌を見て一つ頷くと、対面にいる彼女の顔がよく見えた。あれは決して二位がする顔では無いと思う。
俺としては、本気を出せと言われたからこうしただけだ。
九巡目。俺は牌を曲げた。
「リーチ」
「…来た」
穏乃は一言ポツリと漏らすと、俺の前の河を凝視する。
そのまま、睨みつけるかのようにして10秒くらいその体勢を維持していた。
俺が声をかけようかとしたその時、彼女は一息ついて、牌を打つ。
「ロン。メンピン一発、純チャン二盃口で倍満だな」
「っ、だあああぁぁ!染めじゃなくてチャンタの方だったかー!」
まあ確かに俺の河は染め手のような感じになっているけど。端っこ近くの牌も切ってるから分かりにくかったか。
穏乃はまたもや卓に倒れこんでうなりだした。おいおい、また和ちゃんに怒られるぞ。
チラリと和ちゃんの方を見ると、彼女は握り拳を作りながら俯いていた。
「……悔しいです」
確かにこれは悔しいだろう。なんて言ったって、彼女からは一度も直撃を取っていないのだ。
「あー、なんだ。ちょっと大人気なかったな。……まあ、和ちゃんからは一度も上がれてないわけだし、ここは一つ引き分けってことで」
「いえ、わかってるんです」
ん?なにが?
なんて雰囲気ぶち壊しそうなことは心のうちにしまっておいて、彼女の話に耳を傾ける。
「南二局。私が中と白を二枚抱えていることを読み切ったかのような七対子。あれを見た瞬間、私はこの後の展開を予測できました。……予測してしまいました。」
ああ、なるほど。
まあ確かに、中と白が場に見えてなかったこともあって、俺はそいつらを切らなかった。
でもあれが重なったのは完全に運が良かったから。ということは、彼女が言いたかったのはそこではない。
麻雀は、当たり前だが対戦ゲームだ。
自分の敗北を悟ってしまった時点で、行動に迷いと焦りが出て、どんどん裏目裏目に動いてしまうのは他の対戦ゲームとなんら変わりない。
彼女はほんの少し、脳裏に敗北の二文字がよぎってしまったのだろう。
和ちゃんは、少し歪な笑顔でこちらを見る。
「あんな読みをされたら引き分けだなんて烏滸がましくて言えませんよ。それに、最後の局に関しては……正直、穏乃が振り込まなくても、私が振り込んでいたと思います」
「あれは仕方ないよ。私だって、ずっと染め手だとばかり思ってたし」
玄も言っているが、あの河は出来すぎていた。
配牌の時点で一向聴。手替りもする必要がないくらい整っていた手故に、河も歪になっていた。
しかし、それでも彼女は再び俯いて悔しそうに手を握りしめていた。
俺がつい声をかけてしまいそうになったその時、後ろから、優しい声が聞こえた。
「和」
一斉に皆が振り返る。そこには、これまでずっと傍観していた晴絵がいた。
「麻雀で負けるのは悔しい。なんてったって、自分がこれ以上ないほど好きで、これまでずっと費やしてきたことだからね」
彼女は、何かを思い出すようにどこかを見つめながら話を続ける。
「そして後悔も残る。自分の考えが間違っていたのかもしれないとか、ちょっとした偶然も考慮しておくべきだったか、とかね。……でも、そんなのを気にしていても仕方がないんだ」
一呼吸置いて、勇気付けるように笑い、そしてどこか自嘲気に語った。
「人は、やっぱり、なにがあっても前に進んでいかなきゃいけないんだよ」
その言葉に一人、顔を上げる。
晴絵は彼女のその様子を見て、笑みを更に強くした。
「失敗したなら反省して次に活かせばいい。踏み切れなかった部分があったなら次は信じてみるといい。悔しいならばバネにして強くなればいい。結局のところ、負けはすごく嫌なことだけど、それだけに自分の価値を高めてくれるんだ」
彼女は和ちゃんの頭をくしゃっと撫でると、屈みこんで目線を合わせる。
「だから、その悔しさはきっと和を強くするよ」
そう言うと、晴絵はすくっと立ち上がって手を打ち鳴らした。
周りを見渡して、元の卓に戻れ、と一言。
他の子達は素直に卓に戻っていき、いつも通りの雰囲気の中対局がまた始まった。
先ほどまで下を向いていた和ちゃんは、握っていた手を開閉しながら、思案している。その瞳の奥に映る熱を見るに、彼女も心に火がついたようだ。
流石は年長者。
年季が違うな、と一言揶揄おうと晴絵の元へ向かう。
そんなことをしようとしたからだろうか。
俺は晴絵が漏らしたその言葉を聞いてしまった。
「……私も、前に進まないといけないんだけどな」
◆◆◆
時間も丁度帰る時間になったので、麻雀クラブ年長組で帰ることに。
穏乃と憧と和ちゃんが並んで歩いているのを、俺と玄は後ろから眺めながら帰る。
そんな時、唐突に穏乃がこちらを振り向いた。
「あ、そうだ!みんなでピクニックでも行こうよ!」
満面の笑みでこちらを見る彼女。
全く脈絡の無い話に戸惑いを隠せないぞ俺は。
「ピクニック?そりゃまた唐突な」
そう疑問を投げかけると、待っていたかのような食い気味の返答が返ってくる。
「新入生歓迎会だよ!歓迎会!」
「あ、楽しそうですね」
和ちゃんがそう言葉を零すと、穏乃はでしょでしょと手を掴んで振り回した。
ピクニックなんて何年振りだろうか。中学生にもなるとそんなことをする機会もなかったな。
いやまあでも、中学生にもなってピクニックだなんて行きやしないよな。よかった、俺は正常。
自分で自分に突っ込みを入れつつ、何処かキラキラと輝いている目をした穏乃を見る。
「うん、良いんじゃないか?」
「よーし、決まり!」
彼女はそう言って笑うと、特に意味もなく駆け出した。
またいつもの癖が始まったよ。楽しそうで何よりなんだけどさ。