アクセル・ワールド ~黄色い殺意~   作:uosa123

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#00 Introduction;序章

―――――2046年9月22日:世田谷第三エリア。

 

 この《未来都市》ステージに限らず、ブレインバーストの対戦ステージは強烈なインパクトを誇る。

 まずを以って、現実の空間を極限まで精密に模した世界が、VRとして顕現するだけでも2046年現在の技術を超越している。しかもそんな精緻な日常世界が、殺伐としたバトルフィールドへと上書きされるそのインパクトたるや。ゲームを始めたての初心者(ニュービ―)なら、感歎に震えるだけで制限時間の30分を終えてしまいかねない。

 世田谷区南西部の住宅地は、オーバーテクノロジーに支配された機械的な街並みへ変貌を遂げ、遠くに臨める東京スカイツリーなどのランドマークとなるとまるで宇宙と交信するバベルの塔だ。地面は本来のアスファルトやレンガではなく、薄暗い光沢を放つ金属とそれらを網羅する紫色の蛍光チューブに覆われる。妖しく彩られたステージの全景は、ともすればエイリアンの巣のようにさえ見えた。

 この《未来都市》ステージは、多くの高層ビルが恐ろしくも魅力的な摩天楼と化す艶麗(えんれい)なステージだ。

 しかし、ここ世田谷区第三エリアでは余り人気がない。何しろ加速世界の過疎エリアである世田谷は、現実世界に於いても中央都心からはやや疎外感のある立地だ。元々高層建造が非常に少なく、つい数年前に巨大タワーマンションが一軒建てられるまで、たった124メートルしかないキャロットタワーが最高峰だったというのだから、色々と致し方ないことなのだろう。

 東京という《未来都市》は、今なお周辺の街を置いて行くように移り変わり続ける。

 

 今日は、9月22日――――土曜日。

 

 時刻は午後4時を切り、《領土戦》が始まっていた。

 

    ※※※※※※

 

 光の筋にしか見えない弾丸が、《ナッツ》の右頬を掠めた。

 遙か遠方から放たれた狙撃は、恐らく敵チームの《赤》系の攻撃と思われたが、彼我の距離が開きすぎて視認ができない。

 定石通りなら、ナッツの高機動力を生かして敵スナイパーを仕留めに行くべき場面だった。しかしブレインバーストを初めて二週間も経たない初心者(ニュービ―)であるナッツに、数多くのデュエルアバターが入り乱れる戦場を正しく把握する力はない。

 

 近接の《青》に、全体的に耐久型が多いとされる、所謂《緑》系の混ざった《翡翠色(ターコイズ)》のボディカラー。

 愛くるしいリスのような頭部と広い飛膜を持つ外見は人間大のムササビのようだが、その名は《木の実(ナッツ)》とややそぐわない。――しかしそれが、レベル2バーストリンカー《ターコイズ・ナッツ》の基本情報だった。

 

「すっ、スナイパーいるのー!? どうしようどうしようマジどうしよう!」

「ナッツ! このデカブツと《馬乗り》はおれが止めるから、おまえは一度退避しろ! スナイパーは《メイ》に任せる!」

 

 戦場でおろおろするばかりのナッツに、傍ら立っていたM型アバターが、鋭く指示を言い放つ。声色は必死ながらもどこか堅苦しく、生真面目な本人の人格を象徴するようだった。

 

 その、確かな風格を讃えるレベル6デュエルアバター《カッパー・スケアクロウ》は、ナッツのチームリーダーであり、銅製のボディと盾が今も敵二体の攻撃を食い止めている。

 スケアクロウの体は、特筆すべき点がまるでないほど平凡なヒト型だが、頼もしく地面に着き立つ盾はまるで一つの壁だ。ナッツの全身が隠れて余りある巨大さは、眼前にいた《緑》系の巨躯と、馬型エネミーに(またが)る《メタルカラー》の長身を覆い隠してしまうほどで、緊張に支配されていたナッツの頭にわずかな余裕ができる。

 

「先輩! でも、退避って何すれば……ッ」

 

 けれどその僅かな脳の隙間は、瞬く間に膨大な混乱に埋め尽くされてしまった。干上がった土が水気を欲するように、無為だと分かっていても思考を止められない。

 そして、ナッツの動きは遅滞する。――同時に、敵はその隙を見逃すほど甘くはない。

 

「ハァッ!」

 

 敵エースである馬乗りアバターは、発声と共に馬上槍(ランス)による強烈な突き攻撃を繰り出す。スケアクロウの盾がはっきりと貫かれることはないものの、衝撃に押されて槍の穂先だけが防御をすり抜ける。

 

「しまっ……避けろナッツ!」

「……先輩ちょっ――うぎゃっ!」

 

 肩の端をランスが掠めた。僅かに擦れただけとはいえ、馬上槍の威力は想像を絶し、ナッツの左肩の装甲を明確に破壊する。痛覚遮断機能(ペインアブソーバ)が解除されているブレインバーストでは、仮想の攻撃さえ現実的な痛みを伴うのだ。ナッツは地べたに転がり、もんどりを打った。

 敵の攻撃は緩まない。

 

「レオン! そこのモモンガを先にやっちまえ!」

「あいよ大将! まずは一匹狩ってやらぁ!」

 

 今まで隣の建物に張り付いていたらしいトカゲ型のアバターが、保護色から本来の《黄》っぽい色へ戻りながら現れる。軽やかな跳躍は、スケアクロウの頭上を遙か高く飛び越え、ナッツを踏み潰さんと迫った。どこか車輪のように身体を丸めて全身を発光させるトカゲアバターと、ぐいんと一気に減少するヤツの必殺技ゲージを見て、ナッツは咄嗟に悟る。

 

(やばい! こいつ《必殺技》を使う気だ!)

「《カール……》」

 

 敵の技名発声より素早く逃げ出そうとするも、遅い。

 恐らく何度も訓練された動きは、想像以上に素早いものだった。トカゲアバターの回転は既に最高値に達しており、もはやナッツに敵から逃れる術はない。

 

「《――・サイク……》」

「《ランブル・タンジャリン・ショット》――!」

 

 無論、ナッツ以外ならば迎撃は不可能ではない。

 ナッツの背後から超高速の狙撃弾が到来し、眼前のトカゲアバターの胴体を深く貫いた。それは貫通だけに留まらず、音速の弾丸から発生した衝撃波がトカゲのボディを錐揉み回転で吹き飛ばす。

 その後10メートル近く先の建物に衝突したのは幸か不幸か。結果的にトカゲのものと(おぼ)しきHPゲージは実に5割近くも急減少した。

 

 この必殺技は、こちら側のスナイパーによるものだ。

 チームメイトの援護によって辛くも救われたナッツは、余りの衝撃に自分自身も半ば前後不覚になっていた。足元さえおぼつかず、ゆらゆら揺れる硝煙の香りが脳を燻しているかのようにも思える。

 状況把握と認識復帰のため、ナッツは一人呟く。

 

「これ……ゆが――《マノ》がやったのか。後でお礼言っとかないと……」

「ナッツゥ! 邪魔だからいい加減さがれっってんだろうがこのハゲェッ!」

 

 が、そんな余裕も時間もありゃしない。

 いい加減ナッツの先輩ことスケアクロウの沸点も限界らしく、加速世界「では」余り口にしない暴言をかます。罵倒に容赦がないとかそれ以前に、リアルの特徴を口走っている辺り、個人情報やプライバシーの観点から見ても最悪の台詞である。

 

「えぇ! あぁ、はいっ! もう! 分かりましたよ分かりましたッー!」

 

 漫画の三下ばりに、翡翠色のムササビ(相手からはモモンガ扱いされているが)は脱兎の如く逃げ出す。なんだかんだ言っても、たった二週間でレベルアップする高機動力は伊達ではなく、敵の狙撃を掻い潜って物陰に隠れることができた。

 そのまま建物の影を縫って、目的地まで奔走した。

 辿り着いたのは、壮麗な大門。おそらく現実世界であれば学校であったであろう場所は、窓さえない白と紫の砦と化しており、その校庭にあたる部分には高さ十メートルほどの白亜の棒が突き立っていた。棒の周りでは円形の物体が回転し、赤茶けた銅の光を放っている。

 傍らには、やや紫に近いピンク色のアバターが立っていた。

 無味乾燥としたものが多いデュエルアバターの中で、例外的なまでに可憐な外見をしたF型アバターの手には、一本のマイクスタンド。イナズマの造形が施されたそれを口の前にかざし、彼女はナッツに向かって叫ぶ。

 

「あー! ナッツンせんぱい何やってんですかー! また逃げてきたんですか、恥ずかしくないんですか、ダサすぎませんか!」

「大音響で罵倒すんのヤメテ《ヘッ》っちゃん! オレめっちゃ傷ついてるよ! ていうかこれはチームリーダーの判断による戦術的撤退であって、キミと対して変わらないというか……」

「どうせ役に立たなかったから下げられたんでしょー! ていうか最初から防衛役のあたしと一緒にしないでくださいよ図々しー!」

「うぅ……なにも言い返せない……っ!」

 

 ヘッちゃん――《オペラモーヴ・スネークヘッド》の声はかん高くハウリングし、ナッツの縦に伸びた愛くるしい耳がキンキンと痛んだ。

 

 領土戦には、通常の対戦と大きく二つ異なる部分がある。

 一つに、勝っても負けてもバーストポイントが移動することはない。通常の同レベル対戦で負ければ10ポイントも取られるリスクが、領土戦では考慮しなくて済む。ただし、領土戦の申請そのものには必ずバーストポイントを1消費する必要があり、リスクも消耗もなしに対戦し続けられる訳ではない。

 二つに、スネークヘッドが守っている棒状の《拠点(フットホールド)》がある。

 これにはデュエルアバターの必殺技ゲージをチャージする効果があるが、あくまでその恩恵を得られるのはその拠点(フットホールド)を制圧したレギオンに限られる。よって領土戦の多くはこの拠点(フットホールド)をどれだけ取り合えるか、という陣取り合戦の様相を呈する。その為すでに制圧した拠点(フットホールド)には防衛役を置き、敵の制圧を防ぐのが定石だ。

 

 その最終防衛線の役を担うスネークヘッドは、マイクのスタンドそのものを振り回してナッツへ迫ってくる。

 

「言い訳してる暇があるなら――とっとと飛んで来いやー!」

「おまっ、敬語忘れ……あばぁ――――っ!」

 

 味方同士で体力ゲージが削れるのもおかまいなし。

 スネークヘッドの全力全霊を籠めたフルスイングが、ナッツの全身を上空へ吹っ飛ばした。スピード特化型ゆえの軽量ボディは、情けないことに遙か高く10メートル以上吹っ飛ぶ。姿勢移動だけで飛ぶ方向を転換し、手近な建物の屋上へ着地した。

 叩きつけられる鉄の感触。音を立ててガリガリ削れる体力ゲージ。

 ナッツが今まで敵から受けたダメージより大きな気がしないでもないが、こうなってしまっては開き直るしかない。どうせまだ半分は残っているし、元々弱耐久の《ナッツ》の体力ゲージは気にするだけ無駄だ。代わりに、必殺技ゲージは充分溜まった。

 

「あぁもうっ! やってやるよこんチキショー! オレだってバーストリンカーの端くれなんだぜ。自分の仕事ぐらいこなしてやらぁ!」

 

 ヤケクソ気味に叫んで、両の手を地面につける。ちみっこい五指が、ビルの壁面を流れるエネルギーチューブの脈動を手のひらに感じとる。

 そうして四つん這いの状態で、ナッツはコマンドを発した。

 

「――《シェイプ・チェンジ》」

 

 ナッツの背中が盛り上がり、五指は格納されて爪となる。両足は人ではありえない歪なカーブを描き、顔のパーツこそ変わらないものの、遠目から見たシルエットはすでに四足獣のそれだった。

 四足歩行となったムササビは屋上から屋上へと駆け抜ける。となりの建物へ跳躍し、更に走ってより高い建物を目指して走っていく。

 障害物も多く不安定な足場ということで時速は40キロ程度に落ち着くが、速度感覚や反射神経が本人由来であることから、これ以上速くするとナッツ本人にも制御が効かない速度でもあったりする。

 

 大小様々なビルの屋上からは、戦場のあらゆる景色が見わたせる。

 

 未来化した都市のなかで、ひときわ目立つ間抜けたロゴのパン屋がある。その店前では、スケアクロウと二体の敵アバターの戦いが激化していた。

 緑系のゴーレムが足場を砕き、そこを華麗に駆け抜ける敵エースの馬上槍が的確にスケアクロウの隙を突く。如何に経験豊富なリーダーと言えど、敵エース+1を同時に抑えきるのは厳しいと見えた。しかも先ほどの黄トカゲの姿が確認できない。ひょっとすると不意打ちをも警戒させられて、二重三重のプレッシャーを受けているのかも知れない。

 

 ここより一回り高いビルの上では、何度となく銃声が響いていた。

 そこから放たれた弾丸は全て、また遠くのビルへと注がれている。当然のように撃ち返される敵の銃声が、不意にぴたりと止み、そこから光の柱が上がった。ナッツのレギオンのものではないのは色を見れば分かるので、きっと《マノ》と《メイ》先輩がやってくれたのだろう。

 現況は、膠着状態を脱しつつある。

 

 戦闘が始まって15分経つが、未だに脱落者は敵スナイパー一体のみ。しかしそれは、これからドミノ倒しのように始まる終盤(クライマックス)への序曲でしかない。そしてその流れを決めるのが、今ここ。この分岐点。

 これを手にした陣営が最終的な勝者となる。それが、この場に居る全ての者が共有する真実だった。

 

(だから……オレはオレの仕事を果たさないと……!)

 

 ナッツの視界より約500メートル先。

 元は自然公園の広場だったはずだ。広場を取り囲むように立つ木々は神殿を思わせる銀灰色の柱と化し、無数に地面に広がるチューブが木の根の代わりに地面を覆う。そして中央の噴水があるべき場所で屹立する棒状の物体――もう一つの拠点(フットホールド)があった。

 傍らに、敵のデュエルアバターが立っている。いや、「立っている」というのは適切でない。ほとんど聳えていると言うに相応しい巨大さだった。

 

 そいつの名は、《ヴォルカン・アーチラリー》。レベルは5。

 

 見るからにガチガチの赤系(遠距離特化)であり、名を大砲(アーティラリー)ということからも分かる通り、その強化外装は巨大な“砲”だ。回転式の台の上に、アバタと10メートル余の砲身を備え、その横には機関銃のような“副砲”がついている。しかしそれもあくまで“主砲”と比べての話であり、副砲ですらもろに喰らえば骨も残らない威力を持つ。

 そして《ヴォルカン・アーチラリー》において特筆すべきなのは、確認されている全ての強化外装が設置型という点だろう。実のところ強化外装を発動すれば最後身動きの取れない赤系アバターは珍しくない。が、このアーチラリー、強化外装の設置に一分近くかかるという奇特極まる仕様なのだ。かの赤の王《スカーレット・レイン》の二つ名《不動要塞(イモービル・フォートレス)》とは似て非なる意味での、不動。余りに強力な遠距離攻撃力と引きかえに、このアバターは移動能力の全てを失っている。

 よってこのアバターが真価を発揮するのは、まさしく領土戦における拠点防衛と言えるだろう。なぜなら拠点(フットホールド)の防衛には移動を必要としないうえ、そこから供給される無限の必殺技ゲージで以って、強力無比の大砲を発射し続けることができるからだ。

 超攻撃的な、拠点防衛のスペシャリスト。それが領土戦における《ヴォルカン・アーチラリー》の存在だった。

 

「……だからこそのオレなんだけどね……!」

 

 ナッツは独り言ちながら、全力で疾走し――無謀にも80メートル超の高台から飛び降りた。

 

 《未来都市》ステージの暗澹とした空を切り裂くように、くすんだ翡翠色(ターコイズ)が宙をゆく。

 

 初速を無駄にしない為、身体を限界まで丸めて一直線に自然公園の方へ。蹴り出した力が重力に負け始めた時点で、一気に両手足を拡げた。

 途端、ナッツの体の中に格納されていた飛膜が大きく展開される。もともと平たい胴体の、さらに倍は薄い飛膜。それはまるでだぶだぶのコートみたいに、地上を走る際には邪魔にしかならない。だが一たび空へと飛び出したナッツにとって、この飛膜は大いなる翼と化す。

 腹の奥を空気抵抗が襲った。最初の頃は思わず吐きそうになることもあったが、今や滑空を繰り返した数は三ケタに届き、ナッツの肢体は普段通りに浮き始める。高所特有の強風が身を撫でていくものの、それらを強引に押し退けていくのではなく、ある程度身を任せることで速度と高度を維持し続ける。

 

 そう。もちろんこの拠点防衛中のアーチラリーにも『弱点』はある。

 

 それは上空からの攻撃、すなわち対空性能の欠陥である。

 大砲の射角限界が60度以下のため、曲斜弾道などは描けたとしても、頭上から降ってくる相手には対応できない。副砲すら数発も撃たれれば必死なナッツが、アーチラリー攻略に駆り出された理由はここにある。

 ナッツは知らない話だが、一時期、付近のビルから接近してアーチラリーを頭上から奇襲する作戦が流行っていたことがあった。今回占拠する拠点(フットホールド)に開けた自然公園の中央広場を選んだのは、その反省あってのことだろう――と、最古参のバーストリンカーでありナッツたち《カイパーベルツ》レギオンマスターの《カッパー・スケアクロウ》は後に語る。

 

(――いや、だからってレベル5にレベル2ぶつけようなんて考えますかねフッツウ!)

 

 ののしるように絶叫する内心とは裏腹に、ナッツは極限まで神経を集中させて飛膜を操る。アーチラリーに対する角度が一定を超えるまでの間、風切り音の一つでも立てれば、たちまちレベル5の域に留まらない超遠距離必殺技をぶち込まれることだろう。

 既に自然公園の敷地へ入り込みつつあるが、敵の動きに変化はない。

 これが斜陽降り注ぐ《黄昏》ステージ辺りなら一瞬でバレていたところだが、今の所アーチラリーには見つかっていないようだった。やはり新人であるナッツのことはノーマークだったのか、それとも単に集中をかいたのが偶然今この時だったのか。

 

(なんにせよ、これならイケる……ッ!)

 

 長太い尻尾で舵を切り、ナッツはアーチラリーに対してX軸を大雑把に合わせると、飛膜を畳み、攻撃の準備を始める。さすれば当然、空気抵抗の大半を失ったナッツの体は重力に引っ張られて落ちていった。けれど平行速度は落下速度と合わせてより増加し――重ねて、ナッツの装甲が次々と開いた。周囲の空気を吸い込んで、ジェット噴射のように吐き出すことで、ナッツは一条の流星のようにアーチラリーへ降っていく(・・・・・)

 これが半ば無理矢理レベルを上げて手に入れた、ナッツのレベル2必殺技。周囲の空気を操る能力と、飛行可能なアバターの形状が完璧な形で噛み合った捨て身技――――

 

 

『《ブラインダー(・・・・・・)シェイク(・・・・)》』

 

 

 何か、声が。

 

「――《ラプター・フォォ――ル》!!」

 

 女性らしき声と、そして奇妙な笛の音が聞こえた気がしたが、無視してナッツは突撃する。技名発声の時点で気付かれてはいるだろうがもう遅い。密度の濃い水色の大気に包まれたナッツは、既にジェット機並みの速度へ達しているのだ。

 

(このまま一気に……っ――――――――あ、れ…………?)

 

 視界が、揺らいだ。

 三半規管を通じて、急激に、毒々しい寒気が体の奥深くまで浸透してくる。歯の根が合わないような震えは、次第に全身に達し、結果それは致命的なほどナッツの視界を蝕む。――そう。例えば、アーチラリーの姿が二つにも三つにも見える、などだ。

 体感覚と視覚情報の遊離。あまりに理解不能な状況が、皮肉にもナッツの知覚を加速させていた。

 錐揉みに旋転しながら落下しているせいか、周囲の景色がメリーゴーランドのように回って映る。頭上の艶めかしい紫色のチューブはもはや無数と呼ぶことさえ叶わぬ数であり、周囲の木々は二度と出られぬ牢獄のよう。様々な場所から放たれる照明に至っては、世界から現実感を根こそぎ奪い去ってくる。

 まるで幼子が見る悪夢のような場景の中、ナッツは木の上に立つ一体のアバターを、ごくうっすらと視認した。

 色は、やや青みがかった緑。くすんだ翡翠色のナッツより少し青く、彩度が高い。

 珍奇な装いだった。ボディラインを隠すふくよかな装甲は、どこか民族衣装めいた印象を受ける。先のとがったブーツに、頭にはスカーフのようなものを被っている。

 そしてデュエルアバターには珍しい細やかな指の先には、一メートルくらいの棒状の強化外装が握られている。よく見ると、棒にはいくつもの穴が空いており、このF型アバターはそれを口に加えて音色を奏でているようだった。

 

(あれは…………笛……?)

 

 けれど、ここらが限界だった。

 

 バギャァアン!! と。接地と共に、途轍もない大音響がナッツの身を引き裂いたからだ。

 

「……ァ……ア………っ!?」

 

 余りのダメージに、いっそ痛みを感じない。ただただ衝撃が〝在〟る筈のない臓腑を突き抜け、呼吸ができなくなる。よって身動き一つ取れないし、思考もまともに働かなかった。

 ナッツのレベル2必殺技《ラプター・フォール》は敵の真上から急降下(ダイブ)する強力な技だが、超大する落下ダメージに対するセーフティが何もない。直撃させれば、多少は敵のボディがクッション代わりになってダメージも減衰されるが、《未来都市》ステージの硬い床面に打ち付けられればそのダメージはそっくりそのまま自分に却ってくる。

 現状、体力ゲージが一ミリでも残っていること自体、奇蹟みたいなものだった。

 

(な……ナニが…………っ?)

 

 ナッツはそう思案するものの、本当は答えなんてとっくに判っていた。

 恐ろしく無警戒な《ヴォルカン・アーチラリー》に、体力ゲージ以外存在を隠匿していた《最後の一人》がここで姿を現したこと。そして最後に聞こえた笛の音……その全てが物語る真実を。

 

「――オイオイ!? マジで空から降ってきたぜどうなってんだフルート(ねえ)!」

「……アンタ。ジブンとこの兄貴から話くらい聞いてないの? このアタシに手伝わせる前に限界までガンバレっての全く……何考えてんだかあの馬面(ウマヅラ)

「フル姐フル姐。兄ちゃん乗ってる方だから。下の方じゃないぜ」

 

 いまだ低音の弱い、声変わり前の少年の声へ、既に女性としての艶めきを持つ声音が諭すように告げる。会話の内容からして、領土戦開始時からあった見知らぬアバターネームは彼女のものだろう。元々領土戦初参加のナッツは敵チームの情報をほとんど伝聞でしか知らないのだが、その中にも無かった《六人目》だ。

 つまり、つまり……

 

(読まれてた……ってことか……!?)

 

 全て彼らの掌の上で、こちらの狙いはとっくに看破されていたということか。いや、素人に毛が生えたくらいのナッツ相手にレベル4のフルートを温存していたというのだから、かなり深く『用心していた』と見る方が適当かも知れない。

 どちらにせよ、結果はこの通り。

 早期にスナイパーを落とし、レギオンマスター一人で敵三人を引きつけたのも、結局はナッツがアーチラリーを撃滅するためのお膳立てだった。つまりナッツの失敗は、この領土戦の趨勢を既に決してしまっていると言って過言ではない。

 隠し玉の正体が敵に露見しないよう、わざわざ遠くのエリアまで行ってレベルを上げた苦労はどこへやら。

 もはや『奇襲』とも呼べぬ間抜けな特攻を仕掛けたナッツは、ぐったりと白亜の地面に全体重を投げ出す。起き上がろうとする意思さえ放り捨ていた。

 

(……仕方ないじゃないか)

 

 ナッツはまだレベル2に上がったばかりの新人だ。しかも領土戦はこれが初めて。そのうえ作戦は敵からお見通しで、眼前の相手はレベル4と5の強敵二人なのだ。勝てる気がしないし、だから抗おうとも思えない。

 そもそもこんな重要な役目、新人の自分に担わせること自体失敗だった。なんでやたらと重い責任を背負わされて、その上こんな痛い目に合わなければならないのか。

 

(なんで、オレはこんなことやってるんだっけ…………)

 

 そう考えて。思考を止めて。

 ただひたすらに、ナッツはこれまでの経緯を頭の中で紡ぎ直していく。

 

「…………へっ」

 

 そしてナッツは立ち上がる。

 上半身から墜落したせいか、ナッツの愛くるしい頭部はひしゃげているが、ひるがえって下半身は無傷に近く、立ち上がるのに支障はない。

 無論、残った命の灯火を尽くして闘うにも、だ。

 

「そうだよなァ……そういう言い訳だらけのオレを変える為に……もっと強くなる為に、オレは今ここに居るんだよなぁ、タカ(・・)……っ!」

 

 大事なことを忘れていた。どれだけ賢く立ち回ったって、どれだけ多くの人から嫌われないで済んだって、我が身可愛さの為に手に入れたものはきっとどこまでも空疎だ。いざという時踏み出す一歩にこそ、本物の力が宿る。

 自分は、そんな道を行く一人の少年(・・・・・)を見て、強くなろうと誓ったのではないのか。それなのに、こんな所で冷静ぶって闘うことを簡単に諦めていいのか。

 

 ――いいワケがないだろう。

 

 ターコイズ・ナッツ/大内耕太郎(おおうちこうたろう)は強敵に向かって一歩踏み出した。

 

「へぇ……なんだか分からないけど、まだ諦めないか。思ったより骨があんのね、モモンガくん」

 

 今ここに居ない親友(・・)のリアルネームをうっかり口走ってしまったナッツだったが、ギリギリあちらには聞こえなかったようだ。長細い笛を持つ青緑のF型アバターは、冷えた剣のような声にどこか感歎を滲ませてすらいる。

 眼前の対し、ナッツは指を二本立てた。

 

「……アンタらには、言いたいことが二つあるんだ」

 

 すると《アーチラリー》は大砲の中で様子も何も見えなかったが、《フルート》はスカーフをかぶった首を小さく傾げた。

 

「言いたいこと……?」

「まず一つに――――オレは、モモンガじゃなくてムササビなっ!! 見よこの頬の白帯! モモンガはこれがない!」

「……いやアンタの顔面ぐっちゃぐちゃでほっぺたとか分かんないんだけど」

「そして二つ目にっ!」

 

 ガシャ、ガシャ! と破損した装甲も気にせず、再び四足歩行に変形する。ヒト型とは似ても似つかないが、これがナッツのファイティングポーズだ。

 

「オレの名は《ターコイズ・ナッツ》! いずれこの加速世界中に名を轟かすバーストリンカーだ! しっかり覚えて、リアルに戻ったらメモアプリ起動してにきっちり書き留めとけよこのヤローッ!!」

 

 体力ゲージはミリ単位で、装甲も見るに堪えないほどボロッボロなナッツの口から出てきたのは、そんな宣言だった。所詮弱者のたわ言で、負け犬の遠吠え以上の意味はない。けれど、最期の最期まで諦めたりはしない。

 人間、そう簡単には変われないけど、この一歩が、確かに明日の自分を少しずつ強くしていくのだと。そう信じて。

 

「どーするフル姐? 俺の必殺技でブッ飛ばす?」

「アンタはアンタでじれてるだけでしょソレ。……いいわ。アンタは手出ししないで、アタシがやる」

 

 馬鹿々々しいと思うのが普通だろう。けれど彼女には何か響くものがあったのか、固定砲台アーチリーを収めながら前へ出る。

 そして臨戦態勢のナッツに向かって、笛の先端を突きつけ、告げた。

 

「《マルガ・フルート》。それほど価値ある名前とは思わないけど、覚えておくといいわ」

「そいつはどーも。まー色んなイミで忘れられる気はしないっすけど」

 

 謙虚に振舞いながらも、堂々とした佇まいだった。レベル4とは言っても、ひしひしと感じる圧力はナッツのレギオンマスター(レベル6)とも大差ない。まず間違いなく相当な実力者。

 しかしフルートは、その粛然とした顔をほんの少しだけ陰らせた。

 

「……悪いことしちゃったわね。ホントは、あんな不意打ちみたいなので決着つけたくなかったんだけど」

「イヤイヤ不意打ちはお互いサマでしょ。――そもそもこの状況で手加減される方がよっぽどカッチョワルイっすね!」

「……そう、ね。じゃあ『次こそは』尋常な対戦をしましょう」

 

 一通り話し終えると、フルートは一メートル前後の笛を右手で構える。左手は先端に添え、攻撃の軌道を読ませてはくれない。

 だからどうした。元々ナッツ自身ベテランに読み合いで勝てるなどとは思っていない。最速で突撃して、相手の体勢を崩してからが勝負だ。

 空気に冷ややかな闘志が充満する。無風のはずの《未来都市》ステージで、二人の気迫に当てられた木々が微かに揺れた。そして訪れる、チューブを流れるエネルギーの音が聞こえて来るくらい、静かな凪。

 打ち壊すように、ナッツが地面を踏みしめて駆けだした。

 

 一瞬だった。

 最速最短で、笛の先端がナッツの顎を砕いた。

 

 雀の涙ほどだった体力ゲージが完全に消え、今度こそナッツは《死亡》した。翡翠色の柱が立ち昇り、アバターからは肉体が失われて他人からは視認できない、いわゆる《幽霊状態》になりながら、ナッツは自分を打ち倒した相手を見てぽつりと思う。

 

(……やっぱ、強ぇ……)

 

 ナッツが《死亡》してから五分後、世田谷第三エリアの領土戦は《カイパーベルツ》の敗北に終わった。

 

          ※※※※

 

「ダーっ、ちっくしょ――っ!」

 

 ネットワーク設定をいちいち弄るのももどかしく、直接引っこ抜いたニューロリンカーをテーブルに投げ出した。ほとんどバンザイの姿勢で背もたれに全体重を預け、全身で悔しさを表現する坊主頭の少年こそ、加速世界において《ターコイズ・ナッツ》の名を持つバス―トリンカー、大内耕太郎である。

 今、彼が腰を落ち着けているのはハンバーガーショップのテーブル席だった。二階の角っちょの席は窓からの斜陽がよく射し込み、大内の紺地の制服を朱に染めている。

 そこへ、横から低い叱責の声が飛んだ。

 

「……お前がどうやられたのかは知らねえが、いくら結果がアレだったからって公共の面前で大声出すんじゃねえクソ坊主」

「すっ、すんません……池澤先輩」

 

 けっこう酷い毒舌で大内を責める彼は、池澤秀真(いけざわしゅうま)。またの名を《カッパー・スケアクロウ》と言う。黒ぶちのメガネに覆われた鋭い目付きが特徴で、大内の所属する明神(・・)中学(・・)生徒会(・・・)の副会長でもある。中学生の彼らが、土曜日にも関わらず全員ブレザー着用なのは主にそういう理由だ。

 

「その結果については私も見ていましたのでご報告を。地面に叩きつけられたのち打撃で体力ゲージを削られたようです。明らかに視覚介入で攻撃(ラプター・フォール)が逸らされていた様子なので、おそらく最初から作戦を予想されていたのでは、と」

 

 わざわざ挙手してから発言したのは、池澤の正面、同時に大内の隣に座っている湯上(ゆがみ)佳乃(かの)であった。ショートカットの黒髪に白いカチューシャをつけた彼女は、感情の起伏に乏しいものの、校内でも類を見ないくらい端麗な顔立ちをしている。

 アバターネームは《タンジャリン・マノーバ》、《カイパーべルツ》唯一の狙撃手である。

 

「そうそう。オレもあん時ほんと焦ってさァ……ってあれ? なんで湯上ちゃんがそんな事分かるの?」

 

 傍から見たらオレの自爆じゃねアレ、と大内は呑気な声で訊く。

 特徴的な丸顔の上に、緩そうな口角と剽軽な瞳が二つ付いている。そしてリアルにおける大内の頭部の様子を表すには、この一言で充分だった。

 ハゲ――と言うより、丸坊主なのである。

 

「ああ、なるほど。《口惑の民族女(オーラル・ジプシー)》が居るなら、最初から出てこないのはおかしいと思ったが……通りでな」

「…………なんか話つながってないんすけど、あっちは《マラガ・フルート》って名乗ってたっすよ?」

 

 納得したように顎に手を添える池澤/カッパー・スケアクロウだったが、大内/ターコイズ・ナッツには胡乱にしか聞こえない。

 今ここに居る3人どころか生徒会メンバー4人+1人の中ですら最も《加速歴》の短い大内は、従って最もブレインバーストというゲームに対して無知だ。物の覚えもそれほどよくないので、あまり自分の発言に自信を持てずやや遠慮がちに聞いた。

 答えたのは、佳乃/タンジャリン・マノーバだ。

 

「《マラガ・フルート》は元々中野区近郊を中心に活動していた女性バーストリンカーで、副会長が口になさったのはあくまで異名であり二つ名です。言い換えれば、それだけ実力と経歴のあるバーストリンカーだということですが」

「そういやお前(ナッツ)の場合、遠出した時はレベル上げばっかでろくに観戦とかさせてやれなかったっけ」

「そーっすよ。対策打たれたらボロ負け必至だってんで《対戦》終わったら即グローバルネットから隔離安定でしたーぶーぶー」

「シェイクくわえながら女みてえに拗ねんなキメエ」

「いくらなんでも酷くない!? 今のはべつに悪くないっすよねオレ!」

 

 そんな風に敗北の悔しさを紛らわせる彼らだったが、誰ともつかず吐かれたため息を始点に、少しだけ雰囲気が落ち着く。

 池澤は、体感的には20分ぶりのアイスティーで喉を潤しながら、大内と佳乃を交互に見て言う。

 

「……さて。あの笛女のことは後で他の二人にもメッセージを送っておくが、敗因は何だと思う?」

「理由は多々あると思われますが、最大の問題は数でしょう。ただでさえ私たちとは平均レベルに差がありますから」

「……だよな」

 

 物腰柔らかな割に、キッパリと手痛い意見を述べる佳乃。さしもの池澤も少々項垂れる。

 弱小レギオンは『これ』が辛い。

 ただでさえ『生後数週間以内にニューロリンカーを接続していた上、一定以上の神経反応速度を持つ加速適性者』なんてものは希少中の希少だ。更にここ世田谷のバーストリンカーの少なさと来たら、放課後マッチングリストを開いても二ケタ届くことが珍しいほどである。

 その癖、今はやたらと実力派ばかり集まった敵対レギオンが突如隆盛してきたというのだから堪らない。過疎エリアとはいえ、常にグローバルネットに繋いでいてはリスクは無視できないため、学校(ホーム)のある地域を領土として確保できないのはかなり手痛いのである。

 少々うなだれる池澤に、大内はやたらと気合の入った面持ちで宣言した。

 

「フッ、次こそはオレが二人分の働きをして見せますよ」

「はぁ……こうなったら、もう校外のバーストリンカーをスカウトしなきゃキツイか……?」

「せ、センパイ? スルーはいけないと思うの。オレそろそろ本気で泣いちゃうよ…………?」

「副会長。一応、以前作成した『ニューロリンカーの接続に関するアンケート調査』のデータもまだ残っていますが」

「ヘイッ、湯上(ガミ)っちゃん! 今日も最高にクールだね!」

 

 ぷるぷる震える坊主頭から露骨に目を逸らす池澤も池澤だが、それ以上にそもそも視界に入っていないかのように振舞う佳乃が一番ひどい。大内はヤケクソ気味に涙目で手を振ってみるが、ニューロリンカー経由でアンケートデータを送るまで、彼女の柳眉は一ミリもぶれることが無かった。

 なおアンケートデータはきちんと大内にも送信されているので、まったく他意はないご様子。

 

 テーブルに置いてあった青のニューロリンカーを装着し直して、佳乃から受け取ったデータに目を通す大内。けれど、アンケート結果に若干の修正を加えた候補者リストのある一点で、大内の視線はぴたりと静止した。

 

「え、えーっと、つかぬことをお聞きしますが……こん中に入ってるのはみんな加速適性者ってことで……?」

「まぁ自己申告だから、記憶違いとか、適当書いてるヤツとかいるが、おおよそな」

「…………なんか思いっ切りトモダチいるんすけど」

「……はあ?」

 

 大内は、ツルツルの頭皮からヘンな汗を流しながら、アヒルのようにすぼめた口でぶっちゃけた。

 だからといって何だと言うのか。というかまずは普段にも増したアホ面をぶっ叩くのが先か。良くも悪くも直球バカの大内にしては珍しく迂遠な口ぶりだったので、池澤は自前のメガネの位置を正しながら返す。

 

「一応言っとくが、最初からそいつも誘ってれば――ってのは間違いだからな。こっちはお前の育成だけで結構いっぱいいっぱいだし、これ以上新人増やしても寧ろ勝率下げるだけだ」

「いや……その、たぶん即戦力としてならソイツの方が期待できるんじゃないかなーって……」

 

 いまいち要領を得ない。池澤ははっきり問い質そうと考えたが、それより先に《16:05》のタイマーがニューロリンカーからポーンと鳴る。この仮想アラームは接続者一人にしか聞こえない仕様だが、全員が全員同じ時刻に設定しているので、ここの三人――そして他の場所から参加している二人も同じ音を聴いていることだろう。

 

「――時間です副会長。領土戦二戦目の申請をお願いします」

「ったく、もうこんな時間か。……大内。どうせコピーインストール権はお前のもんだから好きにして良い。ただアレは一回こっきりだ。失敗しても取り返しはつかねえから、くれぐれも慎重に、な」

「うぃっす!」

 

 こういう時だけ小気味よい返事の大内。慎重の意味分かってんのかと思わなくもないが、これ以上拘泥していても時間の無駄だ。何せあの全てが加速した世界では、この数十秒が一日近くもの時間に為るのだから。

 池澤はため息半分に、しかし確実に闘争本能を高めながら確認する。

 

「以降は予定通り情報収集に徹して、何戦かしたら尻尾巻いてズラかるぞ。まだ学園祭の後始末もちゃんと終わってないし、やることは山積みだからな」

「「了解」」

 

 加速世界。

 ブレイン・バースト・プログラムにより通常の一千倍(・・・)の速度で知覚、思考することを可能とした加速能力者たち。超常の力を手にした〝選ばれし〟子どもたちは、その力を維持するため《決闘(デュエル)》と呼ばれる果てしない戦闘へと追い立てられる。

 闘いの舞台は、一千倍の速度から置き去りにされた現実の街並みそのもの。数々の邂逅と衝突を経て、次第に彼らは協力し合い徒党を組むようになる。そういった《軍団(レギオン)》が、加速世界に新たな秩序を求め、互いの手にした土地(エリア)を奪い合う――これを領土戦と呼んだ。

 そして、ここは東京都世田谷区の南西部にある世田谷第三エリア。

 およそ1000人ほどのバーストリンカーの2%以下しか所在しない過疎エリアであり、そこでは現在二つの中規模レギオンが覇を競っている。

 かたや《メシエカタログ》。

 《馬乗り》をレギオンマスターに据えた総勢六人の軍団(レギオン)であり、構成員のほとんどが大規模レギオンからの離脱者という実力派集団。

 かたや。

 加速黎明期からの古参でありながら、レギオンに入らず権力抗争とは無縁の位置に居た《カッパー・スケアクロウ》が、僅か数ヶ月前に立ち上げた、総勢五人の新興レギオン――

 

「「「――バーストリンク」」」

 

 《円盤状領域(カイパーべルツ)》の戦いは、まだ始まったばかりだ。

 

 

 




……実は本作の主人公、大内/ナッツじゃないです

※2018/03/23/05:42 本文修正
※2018/08/17/18:54 あとがき修正
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