突然だが皆さんは、“絶体絶命でんじゃらすじーさん”という少年漫画を知っているだろうか。アニメやゲームにもなっている少年誌で連載されている子供に大人気の漫画だ。概要は主人公の“じーさん”が“孫”に世の中の様々な危険から生き抜く方法を教えるといった内容なのだが、何故かもっと危険になってしまうという不条理ギャグ漫画だ。最も現在では長期の連載で形骸化してキャラクター達が日常で織りなす下ネタやブラックジョーク、ダジャレが主体となってはいるが。全てウィキペディアから仕入れた情報である。
何故そんな漫画の話をしたのか、理由は単純だ。最近買ったんだよね。一巻だけだけど。しかも“絶体絶命でんじゃらすじーさん邪”っていう第二部的な物の。なんとなくギャグ漫画を読みたくなって昼前に中古本屋さんに行ったらパッと目に入ったから買ってみた。“男子高校生の日常”とか“日常”といったもっと確実に楽しめる存在も知ってはいたが、私は自分の直感を信じた。
カバーもきちんと貰ったので、購入して落ち着ける場所について読み始めたのだが、早速一話目で躓いてしまった。
──行ってらっシャイニングビーム
“行ってらっシャイニングビーム”とは、小学生である孫が学校へ行くのでじーさんに“行ってきます”と言ったところ、じーさんが突如孫へと繰り出した技だ。言ってる意味が分からないと思うが不条理ギャグ漫画なので仕方がない。
攻撃力840の属性は雷。雷属性なので水属性には効果は抜群。しかしこの漫画は水属性なんて無ければバトル物でもないので先の説明は特に必要はないし意味もない。
決して面白いとは言い難いのだが、どうにも私の琴線に触れたらしい。何処か考えさせる物がある。なんとも言えない不思議な魅力がそこにあった。
いかにして作者の思考は“行ってらっしゃい”からの“シャイニングビーム”へと至ったのか。じーさんと孫の本名はなんなのか。ゲベとは本当に猫なのか。そして最強さんは最強なのか。気になって気になって朝しか起きれない。
そんな事を真剣かつ適当に考えながら、私は346カフェでまったりと午後の昼下がりを過ごしていた。
漫画をテーブルの上に置いてコーヒーをズズズと抹茶ラテを飲む。お〜うマイルド〜。
「お待たせしました。サンドイッチです」
「ん、ありがと。菜々ちゃん」
「いえいえ〜、深雪ちゃんもごゆっくり」
菜々ちゃんのにっこりほわほわ笑顔を堪能したところで読むのを再開しよう。
「──やぁ、深雪さん」
「……………………」
反応する事すら憚れた私は
「奇遇だね」
「そうですね」
「嗚呼、今日は憎たらしい程良い天気だ」
「そうですね」
「こういう日はカフェといった落ち着ける場所で長閑に非生産的な時間の過程を味わいたいと思わないかい?」
「今してるだろうが」
「え?」
「そうですね」
「……」
「……」
暫しの沈黙の後、彼女──二宮さんは何事も無かったかのように私の対面の席に着席した。ちっ、精一杯帰ってくれアピールしたんだけどな。伝わらなかったらしい。
私達の様子に苦笑を禁じ得ない菜々ちゃん。そんな菜々ちゃんにコーヒーを注文する彼女。
「実を言うとボクとしては別に此処に来た理由も無ければ故意に此方へ足を運んだ訳でもないんだ」
「じゃあ帰れば? 私は本を読む為に此処にいるんだから」
「いつになく辛辣だな君。……いや、ボクが悪かった。確かにボクも読書に興じたい時、トワイライトに身を委ねたい時は静かな空間で過ごしたいと考えている」
今そうしてたのを邪魔されたんだよ、と視線で訴えかけると彼女はニヒルに笑いながら言葉を続けた。
「…………フッ、ボクは神で無ければさとり妖怪でもない。況してやこの世で最も複雑怪奇であろう人の心なんて分かるよしもないさ。理解したとしても飽くまでそれは理解した気になっているだけ。思い上がり、つまり傲慢になっているんだ。ボクは人間の能力の限界値を過信していなすまない。全てボクが悪かった。だからイヤホンを付けるのはやめてくれ」
二宮さんが懇願してくるのでイヤホンは付けずにテーブルの上に置いた。これはいつでも耳をふさぐ事が出来るぞというアピールだ。
「しかもそれノイズキャンセリング機能付きのイヤホンじゃないか! ボクの声がノイズだとでも言うつもりかい!?」
「否定はしない」
「否定したまえ!」
声を荒げる彼女。そこでようやく周りの煩わしそうな視線に気が付いたのか態とらしく咳き込み、落ち着けるために届いたコーヒーを口に含んだ。しかし途端に分かりやすく顔を顰めていた。その様子に私は思わずクスッと笑ってしまった。
「…………」
「……ん? どうしたの?」
「…………あ、い、いや、何でもないさ。気にせず本を読みたまえ。……ぅ」
急に顔を赤くしたと思ったらコーヒーを飲んでまた顔を顰め始めた。一体なんだというのか。
「……ごほん、ところで深雪さんは今日は休みなのかい? そうだろう」
「う、うん、だから菜々ちゃんを見に来たついでに本を読んでた」
「そちらがついでなのか……」
とはいえ最早読む気も失せてしまったが。そもそもギャグ漫画は公共の場で読むものではなかった。寮でゆっくりと読むとしよう。
「……どうしたの?」
「……ん? 何がだい?」
「いや、私の所に来た理由だけど」
「ふ、先も言っただろう? 特に理由も目的も──ない」
「帰る」
「すまない全てボクが悪かった。いや、そうだな、強いて言うならば……君と話したかった、じゃダメかい?」
うーん、なんだろうな今の言葉。多分輝子とかが言うと可愛く感じるんだろうけど、二宮さんがやると……申し訳ないが口説かれてるようにしか思えないわ。二宮さんってどっちかというとカッコいい系だし言い方が一々気障ったらしいので余計そう感じるのかもしれない。
「何か話したい事でもあるの?」
「そういう訳ではないよ。雑談……そう、雑談さ。たわいない言葉を酌み交わし、長閑な時間の経過を謳歌する。ボクは、君とならきっとその道程に愉悦を感じる事が出来ると思ったのさ」
チラチラとこちらに目を向けながら語る彼女。一体何を期待しているというのか。
「……別に私は話す事なんてないけど」
「構わないさ。無理に会話を続けたり続けられたりしたところでこれっぽっちも喜楽を感じる事は出来ない。寧ろ苦痛でしか無いだろうさ。君もその容姿だと身に覚えがあるんじゃないかい?」
……まぁ、あるかないかと聞かれたら、あるんだよなぁ。
容姿云々はともかくとして、学校でのグループ決めとかだと私って基本ソロだから余りのグループとか空いたグループに隙間を埋めるように入れられるんだよね。それがまたもう気不味いのなんの。私は全くもって沈黙状態でも問題ないんだけど、向こうがそれに耐えられないから気を利かせて話を振ってくれるのよ。テレビとかドラマの話を。しかし普段からテレビを見ない人種である私は話を振られたところで分からないので逆にこっちが気を使って当たり障りの無い言葉を返すという悪循環が発生するのだ。あれは苦痛だった。
そもそも私は女子と
「……でも二宮さんおしゃべりだから黙らないでしょ?」
「フッ、確かに君の言う通り、ボクの口数が他人より多少は多い事は自覚している。比較という言葉や行動は嫌いだが、紛れもない事実だ。……ところで、動物と人間の違いがなんだか分かるかい? それは我慢を出来るか否かだ。動物という物は本能で生きているが、ボクら人間の本能は理性という防衛障壁により守られている。とどのつまり口を閉じる事くらいは容易だという事さ」
得意げに話す二宮さん。もう今の時点で彼女の口が5000rpm/minを超過している事は言及しないでおいてやろう。そんな事より少し気になった事が。
「……犬も“待て”とか出来るけど、それは理性じゃないの?」
「それは人間に躾けられたからであって──」
「ライオンがご飯食べてる時なんかは他の肉食動物は遠目で見るだけで近付きはしないって聞いたし、人間だけが理性を持ち合わせてるっていうのは少し傲慢に過ぎるというか」
「……」
「あ、別に私がそう思っただけで二宮さんの言葉を否定してる訳じゃないから。気にしないで」
「……ふむ、成る程。そういった考えもあるのか。おっと、気に病まないでくれ。ボクも勉強になったからね」
別に気になど病んでいないのだが。
「いや、今の議題はその事ではない。人間と動物の違い……心惹かれるものを感じているのは否めないが、とはいえ今はボクが沈黙を継続出来るか否かという点だ。早速開始しよう。…………ところで深雪さんはシュタインズ・ゲートって知ってるかい?」
「お前黙る気ないだろ」
参考書を開こうとした途端話しかけてくる彼女にいい加減イラっときた私は少し語尾を強めて会話を遮る。
「待ってくれ深雪さん。開始早々話しかけたのは意地が悪かった。けれどボクは先程こうも言った筈だ。“雑談”“無理に会話を続けない”……そう、ボクは別に無理はしていない。無理に会話を続けようとしていないんだ。……いや、ボクもそろそろ素直になろう。ボクは君と会話をしたい。もっと君の事を知りたいんだ」
いつになく真剣な様子に私は困惑を隠しきれない。中性的な顔付きなので捉え方によっては美人ともイケメンとも言える彼女は私のそんな様子に気付いてないのかじっと見つめてきた。
私の事を知りたいって言われてもなぁ……。なんか前にも言われたような気がするし。
「前もそんな事を聞いたって顔をしているね。確かに似たようなニュアンスの言葉は口にしたが、前回は“好奇心”で、今回は“探究心”だ」
「……私べつにそんな大した人じゃないんだけど」
「本人はそう思っていたとしても他人の見解はまた違ったものになると言う事さ」
「そもそも話す事なんか無いし」
「君が話す必要はない。ボクが君の邪魔にならない程度に会話を続けるよ」
「さっき出来なかったでしょ」
「人間は常に成長し続ける生き物さ。それはボクも例外では無い。次こそは有言実行してみせよう」
「今あんまり口を開きたくない気分なんだけど」
「でも菜々さんに会いにきたんだろう?」
「菜々ちゃんと話すのは吝かでない」
「ああ言えばこう言う」
「おまいう」
ええぃ! このまま問答を続けても拉致があかない!
「分かった! 私もはっきり言うよ。二宮さんの話し方すごくうざいし長ったらしいと思ってるけど、別に二宮さん自体は嫌いではない。でも今日は一人で、ひ・と・り・で! のんびりしたいから日を改めて」
「……本当にはっきり言ってくれるね。ダメージは少なからず受けたが直す気は毛頭無い。さて、君の言い分はよく理解した。だから次で最後にしよう。ボクも学業や職業が忙しくてね。十分な時間の取得が困難なのさ。休みの日に必ずしも君がここにいるとは限らないし、今日はベストタイミングなんだ。……そして素直になる、これがまた言うは易く行うは難しと言うやつでね、柄にもなく羞恥心が芽生えたよ。そんなボクの健気な勇気に免じて、今この時だけ君の時間を……ボクにくれないか?」
「えー」
「渋るなぁ君」
譲れないものというのは誰にでも存在する。故に人は完全に分かり合える事など出来ないのだ。しかしそんな頑なな思想のままでは人間社会で生き抜く事は困難だ。ならば互いに納得出来るところまで折り合いを付け、その妥協に妥協を重ねた不完全な状態のまま満足するしかない。
「じゃあ折衷案。私は本読みながら適当に相槌打ってるから、好きなだけ話してていいよ」
「……いや、それは……ちょっと……」
一瞬それでもいいかもって顔をしたと思えば思案顔になり、その後真顔で言い放った。
「深雪さん、それは会話とは言えない」
「お前も壁に話しかけてるようなもんだろうが」
ソリティアやってろと声を大にして言いたい。というかいい加減本気で出て行くか黙って欲しいのだが。
「──くんくん、飛鳥ちゃんの匂いがするー」
近くで声が聞こえたと思えば何者かが二宮さんに覆いかぶさった。名前で呼んでいたのできっと彼女の知り合いだろう。
「ぐぬ……ボクが過剰なボディタッチは好んでいないのは知っているだろう。そこを退いてくれないか」
「はすはす」
二宮さんは苦い顔を浮かべながらくっついたままの誰かに苦言を呈する。
「今は君に構っていられる暇はない。ボクは今重要な事を話しているんだ」
「とか何とか言いながらそんな本気の匂いはー……ありゃ、これは相当本気だねー。緊張と落胆、それから憧憬?」
「……君の嗅覚はどうなっているんだ」
「もしかして前の子?」
「指を指すんじゃない」
知り合い同士のやり取りだったので我関せずでいると話題が私になった。抹茶ラテを飲んでる最中だったがそのまま前を向くとその人物と目が合った。二宮さんの知り合い(?)とはいえ知らない人なので軽く会釈して視線を携帯へと戻す。……あ、のあさんから通知だ。
「ん〜? もしかして無視された?」
「今の会釈が見えなかったのか。今の彼女はただでさえ虫の居所が悪い。あまり刺激を与えないでくれ」
いったい誰のせいだと思ってるんだ! 黙ってれば怒らねーのにぺちゃくちゃ口を開くからだろ! 神崎さんでももっと静かに出来るぞ! 私だって昨日の“Unknown Invaders”のライブで疲れているんだ。その結果、菜々ちゃんに癒されたいと思うのは必然。それを邪魔するのは到底許されることではない。
「アタシは一ノ瀬志希だよ〜。君は小暮深雪ちゃんでしょ?」
「……なぜ私の名前を?」
「にゃははー。美嘉ちゃんと周子ちゃんと奏ちゃんが君の事を話していたのをこっそり聞いていたのだ」
「……美嘉さん?」
……あ、ああー。一ノ瀬志希ってLiPPSの人かー。確かに美嘉さんは私の事知ってるし、速水奏さんもクラスでチョロっとだけ見たことある。話しかけた事はないし、向こうが此方を認知してるかどうかは知らないけど。というか私も彼女の席が私より後ろだからいつも存在忘れるんだよなー。挨拶しないとなー。しかし、塩見周子さんは全く話した事もないし会った事もないんだけど……一体私の何を話していたのだろうか。
「はすはす」
「うわっ、ちょっと……」
「うーん、なんか不思議な匂い。外観は新本だけどよく見ると中身は年季の入った古本。完結したと思わせて実は二部に続いてるみたいな……もしかしてさぁ、一回死んでる?」
「ファッ!?」
急に回り込まれて匂いを嗅がれたと思いきやとんでもない事を言われてしまった。いや確かにそうだけども。一度は天寿を全うしてますけども。な、何故分かった……?
特に悪い訳でもないが墓まで持っていくつもりだった秘め事を容易く当てられて動揺した私は──流石に冗談だろうけど──何も無かったかのように平静を装い抹茶ラテを一口飲んだ。
「私、ヨミヨミの実の能力者じゃないので」
「ジャパニーズアニメ? 志希ちゃん帰国子女だからよく分からなーい」
「ワンピースはアメリカでも有名な筈だが……そもそも、死者が蘇るなんて非科学的な事がある筈ないだろう」
「にゃはは……それはどうかなー?」
一ノ瀬さんは意味深に笑みを浮かべながら此方へと視線を向けたままだ。冷や汗が流れるのを感じる。
……いやいや! 仮に彼女が本気で言っていたのだとしてもそれを科学的に証明する事は絶対出来ないし、バレて言いふらされても誰もそんな与太話を信じる筈がない!
私は努めて素知らぬ振りをするも探るような目付きは変わらない。そのまま少し経つと彼女の猫のような目付きが柔らかくなった。……どうやら釈放されたみたいだ。
「まぁ、流石に冗談だけどね〜♪ それはそれとして非常に興味深い匂いだからサンプル採取してもいい?」
「深雪さん、確実に、やめておいた方がいい」
いけない。二宮さんの目が据わってる。一ノ瀬さんが何を言ってるのかはさっぱりだが、どうやらマジでダメな奴らしい。
「じゃあダメです」
「ん〜、でもちょっと気に入っちゃったし。じゃあ自分で作るからもう少し嗅がせて〜」
「ち、近くないですか……?」
先程よりも近い距離で髪とか首とか手の匂いを嗅がれる私。首に至っては息までかかるから非常に擽ったく感じる。いくら化粧とか香水に無頓着な私でも、流石にこれはは、恥ずかしい……。
と、というかさ、さっきから匂いって何!? 匂いを作るとかサンプル採取とかよく分かんないけど、私ってもしかして臭いの!? 古本の匂いとか、絶対に良い匂いじゃないよね。
「に、二宮さん、私って臭い……?」
「い、いや、そんな事はない。彼女のはそういった意味の言葉ではない筈だ。そこは安心して欲しい」
それは良かった……。しかし、先程の言葉がとても気になる。一回死んだ云々は冗談だと切り捨てたものの、彼女の言葉は二宮さんの状態を的確に表していた。そして私のもだ。見た目は子供、頭脳はGGIな私なので古本は“精神”で新本は“身体”だと当てはめれば正にその通り。一部二部も前世が終わって完結、と思わせておいてなんか二回目スタートしたから合ってる。……あれ、じゃあもしかしてさっきの本気で言ってたの……?
未だに匂いを嗅いでいる一ノ瀬さんへと視線を向ける。そしたら彼女もこちらを向いていたようで不意に視線が合う。猫のような、だが決して鋭くはない目付きに、口元は諸星さんに似ているだろうか。控えめに言って美人さんである。
「あの、そろそろ止めていただけないでしょうか……?」
「はすはすはすはす……んひゃえ〜」
な、なんか目が血走ってる。こ、怖い……!
「し、志希、止めないか! 深雪さんが怯えている」
「無理無理〜、匂ってる内にクセになっちゃった!」
麻薬ってこんな感じなのかにゃ〜と危ないことを言いながら匂いを嗅ぐ行為を止めない一ノ瀬さん。もしかしてこの人、相当ヤベー奴なのではないだろうか。そもそも人の匂いを自然かつ無許可で嗅いでる時点で最早常人ではない。彼女に慣れていると思われる二宮さんも顔が引き気味だ。
取り敢えず店を出るとしよう。ここまま居座ってるとうるさくて店の迷惑になってしまう。