菜々ちゃんの店で買ったコーヒーを飲み終えると、丁度寮の私の部屋に着いた。空になったカップをゴミ箱へ捨て、ついでに持っていた荷物を椅子へポイッと投げ捨てる。
そして外用の服をスルスルと脱いで家用のラフな格好へと変身してそのまま私はベッドに横になり目を瞑った。
「夕飯まで寝てよう」
寮の夕飯は六時半から始まる。朝食、夕飯の申請は一階の食堂の入り口付近に置いてある表へその意を書かなければならない。書き忘れた日は朝食夕飯無しだ。この前杏ちゃんとうどん屋に行った時は最初から外で食べてくる予定だったので丁度申請していなかった。もし申請していれば、寮に連絡を取れば夕飯はキャンセル扱いになり、幾分かのお金が返ってくる。当たり前だが朝食も夕飯もタダではない。ましてや仕送りで生きている私はこういう事には殊更気をつけなければならないのだ。
今日は結構歩いたので少々疲れていた。特に契約云々の難しい話も聞いて頭も疲れていたので余計眠気が襲ってくる。うつらうつらとしてきた頭の中に、ふと一つの情報が入り込む。
(あれ、そういえば何が理由で帰ってきたんだっけ……ッ!?)
──瞬間眠気は尻尾を巻いて逃げ去り、ぼやけていた私の頭も活性化を始める。ガバリと勢い良く起き上がるとドクンドクンと激しい鼓動を響かせる心臓を押さえ込みながら私は寮に帰ってきた目的を口に出す。
「……しょ、輝子に会うんだった」
あ、あぶなー。私が気付いたのは夢の中へ行くギリギリの手前であった。このまま寝ていたとしたら輝子に申し訳が立たない。本当に気づいてよかった。私ってば本当にお茶目さん☆ ……取り敢えず輝子の部屋に行こう。もしかしたらずっと待っているのかもしれない。
鍵を閉めた事をしっかり確認した後に無くさないようにポケットの中へ入れる。そして隣の輝子の部屋へと赴き、チャイムを鳴らした。
「輝k──」
『み、深雪さんだな……? 鍵は開いてるから勝手に入ってくれ』
間髪入れずに返事が返ってきたので思わずビックリしてしまった。
「う、うん……」
未だに動揺していた私は少し口籠りながらも返事を返し、輝子の部屋の扉を開ける。ドアノブを回すとガチャリという音が聞こえ、ギギィという音と共に扉を開いていく。輝子が言っていたように、鍵は開いていた。しかし、開いても部屋の光は見えてこず、暗い空間が続いている。
「お邪魔しまーす……」
恐る恐る足を踏み入れ、玄関の明かりのスイッチを探す。部屋の作りは恐らく私の部屋と同じだと思うのでその辺りを確認すると、案の定スイッチが存在していた。明るくなった事を確認すると、私は靴を脱ぎ奥の部屋へと足を運ぶ。
扉の近くにあるスイッチを押して玄関の明かりを消した後、ガチャリと扉を開けると其処には再び暗い空間が広がっていた。
「……輝子?」
一体何故暗くしているのかとは思いながらも私は輝子の名前を呼ぶ。その瞬間、何ともおぞましいイントロが流れ始め、無風である筈のこの部屋から風がなびくような音も聞こえる。何も見えないという恐怖と相まって、そのイントロは更に得体の知れないものに思えた。
……嘘です。というかこの曲を私は知ってる。恐らく伝説とも言われている、かのバンドで最も高い知名度を誇るあの曲だろうと思われる。何を隠そうこの曲の名はハードメタルバンド “デーモン一族” の『蝋人形の館』である。この曲は1986年に
私はその曲の台詞を口にするべく、口を開け空気を吸い込む。
──輝子よ……これを、期待していたんだろ? だったらその期待に……全力で答えてやるぜ!!
「「悪魔の森の奥深く……あっ」」
被った。
☆☆☆
「な、なあ、深雪さんって音感はある方か?」
突然輝子が疑問を投げかけてくる。私はどうしたのかとは聞かずに取り敢えず返事を返す。
「……それなりにはあると思うけど……」
「じゃ、じゃあ、この音の三度上の音をとってくれ」
輝子はジャーンとギターを弾き、
「次は五度下を」
再び輝子はギターを弾き、
「〜〜♩〜〜♬」
「さ、流石……正確に五度下を取った上に序章にまで繋げるとは……」
それほどでもある。
ちなみに今私たちが話している組曲だの序章だのというのはどちらとも【悪魔組曲作品666番ニ短調】という曲名のことだ。この曲は “デーモン一族” の
【悪魔組曲】はその名から分かる通り、様々な曲が含まれている。
【序章】 悪魔の叫び
【第一楽章】 STORMY NIGHT
【第二楽章】 悪魔の穴
【第三楽章】 KILL THE KING GHIDRAH
【第四楽章】 DEAD SYMPHONY
【終曲】 BATTLER
合計で約13分以上もあり、内容は正に悪魔の名にふさわしい出来上がりとなっている。あまり深く掘り下げるつもりは無いが、ノリが良く、私の昔からのお気に入りだ。特に第四楽章への移り変わりは鳥肌モノである。組曲にするという発想には脱帽せざるを得ないだろう。
「悪魔組曲!」
「い、いや、そこまではいいぞ……」
序章の台詞を言おうとすると、輝子が抑えるように言う。
「ここからが盛り上がるのに……」
「何処からでも盛り上がれる、だろ。……あ、ま、まずい! い、今のを聞いたらのの脳内再生されて、き、気分が……気分が、高揚してきたぜェェェ!!! ヒャッハァァァアアアアアアアアアア!!!!!」
「!?」
突然、輝子の目からハイライトが消失した。一瞬びっくりしたけど……これで謎が解けた。輝子のCDを聞いた時、その凄まじいシャウトに私は本当に輝子が歌っているのかと勘繰ってしまったことがあるのだ。因みについ昨日のことである。思わずCDの表紙を見直してしまうくらいには驚いた。
『メタルを聞くとテンションが上がってしまう病』には私も患ってはいるが、ここまでの重病人は初めて見た。こいつは近年稀に見るメタラーだ。こりゃあ、私も負けてられないぜ……!
「悪魔組曲! 作品666番……ニ短調」
私と輝子はギターを手に取り、思い思いにヘヴィメタった。尚、音漏れしていたらしく、この後隣人にしこたま怒られる事をこの時の私たちはまだ知らない。
☆☆☆
「フヒヒ、し、仕切り直して、実は今度結構大きなライブがあって私も出る事になってるんだ」
約十分程怒られた私たちはしっかりと反省し、スパッと切り替えTAKE3。ようやく話を進める事が出来た。
「本当はハモりを頼みたかったんだが、深雪さんの腕を見込んでベースを頼みたい」
どうかな、といった風に輝子は上目遣いで此方をチラチラと見る。少しおどおどしているのが尚更私の保護欲を掻き立たせる。
「うぁ……ま、前もそうだったが、な、なんで撫でるんだ……?」
気付けば私の手は輝子のサラサラな髪の毛へと伸びていた。アホ毛を撫でつけてみるが、やはりピョコンと跳ねてしまう。
ベッドで隣に座っている輝子をおもむろに膝の間に座らせる。その後私は片方の手を輝子の細い腰に腕を絡ませ、もう片方で再び頭を撫でる。私の身長は165程あるので、142cmしかない輝子の頭を撫でる事くらいは造作もないことであった。
「……お、おい……深雪さん……?」
輝子は疑問を投げかけてくるが私は意に返さずそのまま撫で続ける。
しかし、私がライブのステージに立つなんて全く想像出来ない。そしてあまり自信もない。私のギターの技量は精々趣味レベルだ。先程の組曲でも輝子との技量の差は先程のミニライブで顕著に表れていた。特に最近練習していなかった分尚更だ。
「私、あんまり自信ないよ?」
「……深雪さんレベルだったら、練習次第でどうにかなるさ、ふひひ」
そ、そうかな? いやぁ、実は私もそう思っていたところなのだよ。
冗談はさて置き、正直非常に悩みどころだ。誘い自体はとても嬉しい。だが、このライブに参加するという事は私のこれからのアイドルとしての
そう考えた私が輝子に考える時間を要求しようとすると、携帯から電話の通知がくる。相手は武内さんからであった。
「ちょっと待ってて……。はい、小暮です。お疲れ様です」
私は輝子に声をかけ、その場を離れる。
『小暮さん、お疲れ様です。武内です。今、お時間よろしいでしょうか?』
「はい、大丈夫ですよ」
『ありがとうございます。では、早速ですが小暮さん。同じ事務所のアイドルからではありますが、貴女に仕事の依頼がありました』
「……それって星さんの件でしょうか?」
『……既に本人から聞いていましたか。その通りです。その件についてこれからお話しさせていただきます。それでは──』
それから私は輝子から聞いていない今度のライブについての詳しい説明を受けた。私の役割がどういったものなのかを知った上で私に決めて貰いたいという訳らしい。ちなみに武内さんは私がどういう風に売り出していきたいかというのは既にご存知だ。
少々語弊があれど、私はメタル、ロック好きである。しかしだからと言って決して他のジャンルが嫌いという訳ではない。バラードなんかも同じくらい好きだ。メタルはテンションが上がるからよく聞いているが、気が向いた時にはよくバラード系を聞いている。
私の今後のアイドル構想は、激しい系は表に出さず、まずはバラードや他のジャンルで勝負していきたいと考えている。流石にメタルとバラード二つを歌っていくのというのは二つのギャップが激しすぎるし、最初からそんな感じだとこれからファンになってくれるかもしれない観衆達が私のアイドル像を掴みにくくなる。それにイメージの仕方の違いもあるかもしれないが、ロックやメタルのガンガン行こうぜ系って私の外見とは全く噛み合ってないし、自分でも思わず失笑してしまうくらい似合わない。私って擬音で表すと「ファサァッ」「スッ」「フッ」って感じだからね。(自分でも何言ってるか分からない)
取り敢えず、そういう事でメタル系は一先ず封印しておこうとした矢先にこんな仕事が迷い込んでしまい、少し戸惑っている。けれど武内さんは
『プロジェクト自体は、未だ始動していません。しかし、貴女が誘いを受けたライブは非常に規模が大きく、貴重な経験となるでしょう。貴女のアイドル構想は理解しているつもりではありますが、星さんとのライブは小暮さんにとって、確実に大きな一歩となります』
月並みな言葉ではあるがその言葉で私はライブに出る事を決意した。しかしだからといって先程の構想をあまり崩したくはない。なので武内さんと考えた結果、ライブでは名前を明かさず、声を出さず、顔をメイクで隠しながら演奏する、という事で決定した。
「ありがとうございました。それでは、失礼します」
『……いえ、これから大変だとは思いますが、プロデューサーとして、しっかりサポートさせてもらいますので、頑張ってください』
「はい。……待たせてごめん、輝子」
武内さんとの通話を終えると私は輝子の元へと戻る。すると其処には輝子と同じくらいの背丈で、補って余りある程の袖の長さを誇る服を着ている金髪の少女が増えていた。輝子ちゃんの楽しそうな様子からきっと仲の良いアイドルなのだろう。
「……あ、深雪さん。電話、終わったんだね」
「うん。それでその子は?」
そう私が問うと、その子は少し慌てたようにあわあわしながらこちらを向き、言葉を紡いでいく。この子も輝子と同じで人と話すことはあまり得意な方ではないようだ。
「あの、わ、私は輝子ちゃんの、お友達の……白坂……小梅……です」
白坂小梅ちゃんを私は知っている。以前輝子からのMINEで書かれていた名前だ。寮にいるならばアイドルだろうということで少し調べてみると曲の欄でお試し曲というものを発見した。気になったものを聞いてみるとどれも儚げな声でホラーな曲を歌っているというなんともギャップを感じさせる曲ばかりであった。しかし何処か癖になる曲で私はついそのアルバムをダウンロードした記臆がある。
私の見た目が近づけ難いオーラを発している事くらいとっくの昔に理解している。一人の時は無表情に近いし、意図して出している時もあるのだが、それは置いておく。ここで私がそれを意図させるような事を言ってしまえば、この子と仲良くなる機会は失われてしまうかもしれない。それにこの子に怖がられると、なんだか罪悪感が生まれそうだから私としてもそれは避けたい。なんだか無性に構いたくなってしまう子だ。
私はなるべく威圧感を与えないような言葉を選りすぐりながら話し始める。まずは相手を褒めてみよう。褒められて嫌な人なんていないだろう。
「貴女が白坂さん? 私は小暮深雪です。新作の『Bloody Festa』格好良かったよ」
「あ、ありがとうございます……えへへ」
恥ずかしそうにそのダボダボな袖で赤くなった顔を隠す。しかし完全には隠し切れておらず、チラチラとその隙間から私を一瞥する視線を感じる。すごく可愛らしい。どうやら私の試みは成功したようだ。
「こ、小梅ちゃんはホラー映画が大好きなんだ」
「み、深雪さんも、今度一緒に……見よ?」
「何時でも誘って」
あまりホラー映画は得意でないにも関わらず思わず即答してしまう私。
可愛らしく小首を傾げながら言う小梅ちゃんマジで天使であった。いや、小梅ちゃんの趣味から考えると小悪魔の方が相応しいのか。どっちだろうか。
「と、ところで深雪さん……ギターの件はどうする?」
輝子が少し遠慮がちに聞いてくる。そんな輝子を安心させるように私は事の顛末を伝えた。
「うん、さっきの電話でプロデューサーと話したんだけど、声と名前と顔を隠す事を許可してくれるならギターやっていいよ」
「ほ、本当か……! し、親友に聞いてみる!」
「輝子ちゃん嬉しそうだね……♪」
小梅ちゃんがその様子を見て嬉しそうに呟く。私は二人が嬉しそうにしている様子が嬉しい。これが幸せ空間というものなのだろうか。ところで何故そこでプロデューサーではなく親友が出てくるのだろうか。
「親友が、それでも大丈夫だって……!」
「そう、これから頑張るね」
輝子は少し興奮した様子で嬉しそうに言う。なんとなく子犬っぽかったのでわしゃわしゃと撫でてみる。あまり気にしていない様だ。
それにしても私のギターの腕、だいぶ鈍っているからね。相当気合を入れて叩き直さないといけないだろう。というか親友というのはプロデューサーの事だったのか。輝子に親友と言わせるプロデューサーってどんな人なのだろう。
「ところで小梅ちゃん……白坂さんはどうして輝子ちゃんの部屋に?」
「こ、小梅で……いいよ?」
「ありがとう。じゃあ、小梅ちゃんはどうして輝子ちゃんの部屋に?」
「……え、っとね、輝子ちゃんをおゆはんの誘いに、来たんだぁ。えへへ」
そうして再び小梅たんは嬉しそうに花が咲いたような笑顔を浮かべる。
あざとい……あざとすぎるぞこの娘。しかし可愛い。まさかこの私を数分足らずで攻略してしまうとは……。凄まじい程の攻城レベルだ。私の籠城レベルも中々のものだと自負していたのだが……恐ろしすぎる。
「私も一緒にいい?」
「うん、いいよぉ♪」
「フヒヒ、じゃあ行こう、か」
輝子がそういうと小梅ちゃんはギュッと私の左手を掴みながらにっこりと笑う。布越しからでも分かる彼女の手の暖かさが、私の手に染みる。
うわー! うわー! 私この子のお姉ちゃんになりたくなってきた! でも、なんで初対面でこんなに好意的なんだろう……?
内心悶えているのを隠しながら、私は小梅ちゃんに聞いてみた。
「ねぇ、どうしてこんなに好意的なの?」
すると小梅ちゃんの可愛らしい口から、なんとも意味深な言葉が出てきた。
「えっとね、『あの子』が……深雪さんは良い人だから大丈夫……って」
「……『あの子』って?」
「……えへへ、私の友達」
彼女の言う『あの子』が輝子の事だと思った私は、これ以上追及はしなかった。ただ、気のせいだろうか。小梅ちゃんが『私の友達』と言った瞬間、身体の中を何かが
「あっ、今
小梅ちゃんは邪気のない顔で悪びれもなく言う。彼女には今私の中を通り抜けた物が見えるのか。そうかそうか、なら『あの子』というのは、恐らく輝子ではなく幽霊なのだろう。それに対して小梅ちゃんはなんとも思っていない様子だ。……嘘でしょ? 幽霊って実在したの? 後になって輝子にも聞いてみたが、決して嘘ではないらしい。小梅ちゃんは、マジに幽霊というものが見えるらしいのだ。
私は顔を青くしながら人知れず戦慄した。