Fate/Jam uncle 作:飯妃旅立
不思議空間です。
「やっと見つけた……半日もかかるなんて思ってなかったな……」
全身真っ黒。
黒髪、眼鏡、真っ黒コート。
だというのに、まるで背景のような……そこにいる事が、『普通』である青年がそこにいた。
随分と長く伸びた前髪が左目を隠しているが、野暮ったい様には見えない。
その青年の存在に、龍之介はどこか……何故か、惹かれる物があった。
決して愛恋の感情ではなく、その存在そのものに、だ。
「いらっしゃーい。 お客様……で、いいんだよな?」
「ええ。 噂で聞いたんですけど、ここ、『ストロベリーアイスクリームの揚げパン包み』っていうの……売ってますか?」
「おお! 誰から聞いたかは知らないけど、久しぶりの注文だ! ……確か9年前だっけな? 革ジャン着物とかいう超COOLな格好した男なのか女なのかよくわかんない奴に注文されたきりだってのに……」
「ハハハ……これを買って来て欲しい、って言ったのもその人なんですけどね……。 それで、おいくらですか?」
「っと、1個160円になりまーす」
「それじゃ、2つ……。 あと、甘いパンをどれか2つと、辛いパンを2つほど頼めるかな」
「まいどありー! んじゃ、チョココロネとあんパンと……カレーパンと麻婆パンかね。 全部で690円になりまーす」
「……驚いた。 そんなに安くていいのかい?」
「ウチは人気店だから大丈夫だぜ!」
「……それじゃ、690円……丁度。 お願いするよ」
「お預かりしまーす。 旦那! チョココロネにあんパン、カレーパンに麻婆パン1つずつ! あと、ストロベリーアイスクリームの揚げパン包み2つ!」
出来上がるまで少しばかりの時間を要すと言う事らしいので、青年――黒桐幹也はその珍妙な形をしたキッチンカーから少し離れた塀に腰を掛け、パンが焼き上がるのを待っていた。
彼の知識で言えば、今からパンを焼くと言うのはあまりにも遅すぎるのではないかと思うのだが……彼とて、学生時代からこれでもかというほどの不思議な体験をしているし、彼の妻がその最たる筆頭だ。
それに……と、幹也は売り子の青年を見る。
正直、その声に驚かされた。
何故なら、幹也の娘が懇意にしている興信所(妻の実家系列)の所長……所謂探偵の男と、全く同一の声をしていたのだ。 驚かない方が無理がある。
もっとも、探偵の男が無気力に塗れた声をしているのに対して……売り子の青年は、好奇心あふれる少年のような声をしているから、聞き分けはつくのだが。
キッチンカーの煙突からもくもくと出ている輪状の煙をぼーっと眺めていると、何やら騒がしい……姦しい声が聞こえてきた。
「ちょっとコトネ……今の夜の冬木は危ないって言ってるでしょ!? そんなずんずん進まないで!!」
「大丈夫大丈夫! ほら、あった! パン屋さーん!」
「何よあの奇抜な車……っていうか、コトネ!」
どうやら少女……高校生くらいであろう2人の少女だ。
髪をツインテールにしている少女が、ずんずんと前を行くショートカットの少女の手をどうにかして引っ張って止めようとしている。
そして、彼女らはもう少しでパン屋に辿り着く……というところで。
こちらを見て、ビクッと肩を震わせて。
大きく回り込むようにして……パン屋へと向かった。
そろそろ19時を周ろうかという夜の時間帯に、全身真っ黒な男がいれば……年頃の少女であれば、不審者に思うのは当たり前という所なのかもしれない。
「ん、いらっしゃーい……。 ……あれ、君……どっかで……」
「ほら、凛! やっぱりあったでしょ? 10年前のパン屋さん!」
「……っ!」
「凛?」
ショートの少女が振り返ってツインテールの少女に言うが、ツインテールの少女はスカートのポケットへと手を突っ込み、どこか臨戦態勢だった。
「……わかってる。 でも、警戒はしておいて……アーチャー」
「凛? どうしたの?」
ツインテールの少女はぼそぼそと虚空に何かを呟いて、構えを解く。
「あー……! 確か、俺と旦那が開いた最初の屋台に来てくれた女の子……か?」
「! 思い出してくれた? そう! あの時のお客様第一号です!」
「覚えてる覚えてる! そうだった……旦那のパンを食べた時の、君の顔が綺麗で……俺はもっと旦那の超COOLなパンを広めたい、って思ったんだ……」
「コトネ、気を付けて……というか下がって」
目をキラッキラと輝かせて、思い出を馳せる青年。
ショートの少女は共に笑っているが、ツインの少女は冷や汗を垂らしていた。
「龍之介! 落とすぞ!」
「あいよ!! 旦那、あの時のお客様第一号の子だぜ!」
「……また、買いに来てくれたのか。 ありがとうよ、お嬢さん」
キッチンカーの天井部分を開いて出てきたのは、コック帽と白髪の目立つ、丸顔のお年寄り。 どこかこの世の者ではない雰囲気を漂わせるその存在と裏腹に、彼の者が持つ紙袋からは……非常にお腹のすく匂いが漂ってきていた。
「旦那、サービスしても……バチはあたらないよな!」
「そうだな……。 お嬢さん方。 なんでも、好きなパンを1つ言ってほしい。 私が至高のパンを贈るよ」
お年寄りは少女たちに優しく笑いかける。
ショートの少女は「いいの!?」と嬉しそうに考え始めるが、ツインの少女はそのお年寄りを見て……戦慄しているようだった。
一瞬、彼女の隣に赤い外套を纏った偉丈夫が現れたような錯覚を覚える。
「あ、その前に……お客さん! 待たせてごめんな! これ……袋さえあけなければ、中のパンは冷めないしアイスも溶けないけど……早めに食べてくれると嬉しいぜ。 旦那のパンは、超COOLだからよ!」
「ああ。 楽しみにさせてもらうよ……」
渡された紙袋は、まるで生命が1つ入っているのではないかと錯覚するほど、熱くて重い。 ずっしりとした重みではなく……とても、心地のいい重みだ。
「宝具クラスの礼装……!? 一般人に渡すなんて、神秘の秘匿とか考えないわけ……!?」
ツインテールの少女はこちらを……正確に言うなら、紙袋を凝視してギリギリと歯を鳴らしている。
もしかして食べたいのだろうか。
しかし、幹也にも……幹也の帰りをいまかいまかと待っている妻や娘や妹や後輩がいるのだ。 残念だが、分けてやることは出来なかった。
顛末も気になるが、お腹を空かせた彼女達を待たせるのも嫌だ。
幹也は、売り子に会釈を1つして、その場を後にしたのだった。
「凛! 私はアンパンに決めたけど……凛は何にする?」
「……なんでも、え? アンパンが良い? ……あんたが指定してくるなんて、珍しいわね。 昔食べた事がある気がする? 何よ、アンタ記憶飛んでるんじゃ……気がするだけ? というか、英霊がアンパン食べた事がある気がするって……いつの時代の英雄なんだか」
「さっきからぶつぶつ言ってるけど、どうしたの凛?」
「え? あ、ああ……私もアンパン……2つで」
「凛ったら食いしん坊なんだから……私は1つで。 パン屋さん! アンパン3つお願いします!」
「はいよ! これはサービスだからお代はいらないぜ。 旦那! アンパン3つ!」
ツインテールの少女――遠坂凛は困惑していた。
事の始まりは親友の少女、コトネが放課後に言い出した一言。
「パンが食べたい」
コトネ曰く、10年前……ふらりと寄った路地裏で、生まれて初めて本当においしいと思えるパンを焼くパン屋に出会ったらしいのだ。
10年前と言えば、凛の父親……遠坂時臣も参加した第四次聖杯戦争の開催された年。
当然、若くして冬木の地のセカンドオーナー及び遠坂家の家督を父から譲り受けた凛としては、明らかに怪しい……というか、ほぼ確定でサーヴァントであろうパン屋などに関わって欲しくないのだが、コトネは一切こちらの意見を聞いてくれなかった。
移動するらしいパン屋を探すのには一苦労があったのだが、裏ワザ……彼女のサーヴァントの保有しているスキル、『千里眼C』を用いて探索、良い感じにコトネを誘導してここまで導いた次第である。
導いて、失敗したと感じた。
記憶の無いサーヴァントとはいえ、屈強な体を持つアーチャーがいれば……なんとかなる。 そう思っていた。
だが、辿り着いたそこは……彼女の特別な才覚がありありと警鐘を鳴らす、とても危険な場所だったのだ。
今はいないが、先程まで背景の如く佇んでいた青年。 普通過ぎて、恐ろしいとすら感じ得ない……善性の塊のような存在。 まぁ、これは置いておこう。 害はない。
ただ、それを自らの獲物だとばかりに守っていた存在はいただけない。
着物を着た幽界の姫のような、美しい女性。
アーチャーがいなければ自分も気付けなかったであろうその女性は、明らかな血の臭いを纏っていた。
一瞬でも臨戦態勢に入った自分がどれほど愚かだったのか。
アーチャーの言では、負ける事は無い。 らしい。
だが、マスターを狙われれば……恐らく、瞬きをする前に殺されるだろうとの事だ。
なぜそんな存在がいるのか。 セカンドオーナーとして色々と問いただしたい所なのだが、それはもう叶わない。
概念礼装のような神秘性をもった紙袋が青年の手に渡る所も遠目に歯噛みする程度しかできずに見逃してしまったし、彼と女が去っていくのも黙って見ているしかなかった。
『マスター。 そう気張るな。 アレは、こちらから手を出さなければ危ないものではない。 このパン屋もだな』
「……はぁ。 ほんとに記憶が飛んでるのか怪しくなるわね……。 わかったわ。 気にしない事にする」
霊体化しているアーチャーに諭され、ようやく彼女は一息ついた。
「龍之介! 落とすぞ!」
「あいよぉ!」
キッチンカーの天井が開き、丸顔コック帽の男が出てくる。
男は紙袋を売り子の青年へと落とし、一瞬だけ……一瞬だけアーチャーの居る場所を睨んで、キッチンカーの中へと戻って行った。
「アンパン2つな! ウチに帰ってから、ゆっくり食べてくれよ!」
「ありがと、パン屋さん!」
『……性能としてはEにも満たないが……中の熱を一切漏らさない紙袋だな。 マスター、この紙にルーン文字でも彫れば、一級品の魔術素材になるぞ?』
「そんなのを簡単に渡すなんて……」
「あぁ、また来てくれよ!」
「はーい! じゃ、凛! いこっか!」
コトネが手を引いてくる。
パン屋の事は非常に気になるが、既に聖杯戦争が開始されている冬木の夜道にコトネ1人を置いていくのはもってのほかだ。
凛は渋々と、コトネの帰路の護衛に着くのだった。