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それはいつのことだっただろうか。
「なぁ、嗣郎……」
「なんだ、おやじ」
最近急激に老け込み始めた義父。
子供の身とはいえ精神年齢ではそこまで離れていない父を『父さん』と呼ぶのが気恥ずかしくて、これまでずっとふざけ半分の『おやじ』で通してきたけど。
最近はつい『じいさん』と言いたくなるような雰囲気だ。
たぶんそう呼んだら地味に傷付くだろうから呼ばないけどさ。
「たとえば、そうだな……空の色、何色だ?」
「はぁ?」
屋敷の縁側から見える空。いつだって青い。
いや、天気が変われば変わるけど。
でもこうして二人、縁側で語るときはだいたい晴れた青か夜の月だろう。
「ふつーに青いぞ。おやじ、赤い空でもみえるのか?」
「ふっ……大丈夫さ。僕にもまだ空は青い」
じゃあなんだというのだろうか。
俺を救ってくれたおやじには感謝しているし、尊敬している。
けどたまにどこを見ているのかわからなくなるときがある。
それはきっと、経験の深さが、実感してきた世界が違うからなのだろうけど。
「それじゃあ……世界の色は何色だい?」
「………………」
……ああ……なるほど。
「僕の世界はどうしても、ところどころ灰色でね。赤黒いところも多い。
やっぱりちょっと、いろいろ見すぎたし、いろいろやりすぎた」
「……おう」
視界がおかしい、なんて話ではない。
「これでもだいぶ明るくなった。嗣郎のおかげでね。
イリヤに未来が見えて、桜も将来が楽しみだ。
嗣郎を拾った頃には全てが灰色と赤色だったけど、
あの子たちを救えて、みんなを救う嗣郎を育てられて。
僕の手でも未来をつくれるんだと、そう思えてから明るくなった」
「そりゃあ、よかった」
かつて正義の味方を夢見て、世界の現実を嘆いて。
それでもみんなを救おうとして、己の幸福を全て捨ててまで求め。
その果てに理想も夢も幸福も日常も、未来も過去も全てを失った男。
一度砕けた理想はもう持てないだろうに、その欠片が横顔に見えた。
「ああ……ほんとうによかった。
僕は、嗣郎と出会えてよかった。
僕は嗣郎に救われたし、桜も嗣郎に救われた。
イリヤやアイリも、救えるかもしれない」
「かもしれないじゃねーよ。
救うんだよ、ばかおやじ」
家族の未来を語る男は、どこにでもいる父親のようにも見えた。
この男も、悲劇にさえ見舞われなければ、ただの父親になれたのかもしれない。
「はは、そうだね。
なにせ嗣郎がいるんだ……
それに、イリヤもやる気だ。桜もがんばるんだろうし……
……僕らはみんな、救われる…………嗣郎も、さ」
「…………おれは今でも、幸せだぞ」
義父は何も言わず、苦笑する。
家族には嘘が通じたことがない。きっとまたばれたのだろう。
「……もとの話にもどるけど。
嗣郎には、世界は、どう見えてる?
もうすぐ僕は死ぬからね。
今のうちに、嗣郎が見てる世界を、知っておきたい」
「…………輝いて見える。
きっと、みんなが見ている以上に」
青い空を、眺めながら思う。
「空は青い、海も青い、山は緑で、季節でかわる。
風は銀にきらめいて、土はふんわりとした茶色に見える」
義父を、姉を、妹を、あらゆる人々の姿を思う。
「人は、つよくて、きれいだ。
女の子なんて、すごく可愛くて、やっぱりきれいだ」
そして、空に手をかざして────
「 ────おれだけが、なんか、薄暗い」
生まれてはじめて、口にする。
「なんていうのかな。
別に、何もないってわけでも、ぐちゃぐちゃに汚いわけでもないんだ。
ただ、ところどころで、欠けててさ。
好きだと思っても、ほしいとは思わない。
すごいと思っても、なりたいとは思わない。
愛しいと思っても、手放したくないとは思わない──── 」
世界に満ちている光が、自分の中では少し陰る。
人の持つ輝きが、自分の中には見当たらない。
「みんなきれいだ。大事にしたい。幸せにしたい。
きっと、愛は、あるんだよ。
世界を、愛してる。
みんなを、愛してる。
イリ姉ぇを、愛してる。
桜を、愛してる。
変な言い方すれば、おやじだって、愛してる」
愛はきれいなもののはずだ。
だけど、俺のなかにあるものは……なんでこうも、奇形で、気持ち悪いのか。
「でも、愛してるだけで……愛してほしいとは、思わない。
足りない。足りないんだ。
欠けてるんだ。
俺には……『欲』が、欠けている。
あるいは、『自分』が、欠けている」
無償の愛。言葉にすればきれいなはずだ。
だけど、それは人のもつものだろうか?
きれいなものに対して無条件で垂れ流す愛。
人間らしい『自我』も希薄に、一方的に垂れ流すだけのもの。
こんなものは、気持ち悪いとしか感じない。
「なぁ……おやじ」
聖杯から零れたあの呪いで、この魂は確実に欠けた。
呪われて狂わされて、汚されて犯された。
かつて言峰綺礼には同類といったが、残念なことに嘘じゃない。
あれと同じように、あるいは別の方向性で、この魂は────壊れている。
「これ、救われる、のかね」
救われたいとも、思っていないが。
「……隠さずにいれば、イリヤはそのうち、感付くだろう。
言峰は気付いているはずだ、放っておけば、桜に伝わるかもしれない」
義父は悲しげに頭を撫でてくる。
「ははっ、知られたら、絶対治そうとするな、ふたりとも。
治せないだろうに、……悲しむな。
わかった。できるだけ隠すことにする」
「嗣郎は嘘が苦手だからな、嘘はやめておいたほうがいいだろうね。
聖杯を手に入れるまででいいだろうけど」
「ああ、悲しませるのは、良くないからな。
聖杯で願うことに、追加しておくことにする」
俺の頭にふれたまま、空を見上げて、義父は言葉をこぼす。
「…………どうか。
どうか、子供達の行く道に、救いがあらんことを……」
「……神父に毒されてるな、おやじ」
「なに、言うだけはタダだ。効果があったら儲けものだろう?」
「そりゃそうだがな。
ていうか、言うこと違うだろうが。自分を除外してると逆に不吉だ」
「はは、たしかに。それじゃあ、こうかな……。
どうか、僕たちの行く道に────── 」
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衛宮嗣郎は、怪しまれつつも、聖杯戦争開始までそれを隠し通した。
ゆえに彼のこぼした情動の価値を姉妹が知るのは、少し後のことになる。