愛は世界を救う ~※ただし手の届く範囲に限る ~   作:とり

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戦略話の予定だったのに…今日中に戦略までたどりつきたい


対面

 

 

 

衛宮嗣郎の魂は欠けている。

 

歪んでいるというわけではない。虫喰いの穴が空いたように、ところどころがぼこぼこと欠けているのだ。特に本来ならば生物としてもっとも重要な……『欲』がほとんど欠けている。

衛宮嗣郎の全ては己に返らない。

その生命は己以外のためであり、その肉体は周囲のためであり、その行為は誰かのためである。

食欲も性欲も睡眠欲も欠損しただ肉体に必要であると理性が判断するから食べるし寝るし自慰もする、そんな人間に物欲も情欲も名誉欲もあるわけがなく。

 

とある英雄王に『人形』と称されていることに、嗣郎は納得しかしていない。

 

 

そして欠損以外に異常が(あらわ)れていないかというとそうでもなく。

これは聖杯の影響というよりも、意図しない条件が絡みあった事故の結果といえる。

 

衛宮嗣郎の前身といえる少年を聖杯の汚濁から救おうとして、衛宮切嗣は騎士王の(さや)を少年の中に埋め込んだ。

鞘は少年と同化することによりその治癒の力で少年の命を救った。

だがそれと同時に、そのあまりにも強大で純粋すぎる神秘は少年の存在を変質させた。

少年の存在そのものが『鞘』の性質を帯びたのだ。正確にいえば『鞘をもつもの』の性質だろうか。

 

『原作』において、衛宮士郎はその変質によって魔術特性『剣』、そして存在の起源すらも『剣』となった。

これは衛宮士郎という少年が聖杯の汚濁により自身の記憶全てを失い、ある意味で人格が初期化されていた状態だったゆえに完全に染まってしまった結果といえる。

漂白されていた少年の性質が『鞘』をそのまま受け入れたのだ。

 

では、衛宮嗣郎はどうだったか?

前世の記憶を持ったまま生まれた彼の魂が特別だったのか、それとも運良く他の条件が『士郎』とは違ったからか、理由こそ誰にも分からないが、結果として彼の記憶は失われなかった。

それにより彼の性質は初期化などされておらず、『鞘』の性質がそのまま転写される、というほどにはならなかった。

とはいえ魔術特性は『剣』となり、存在の起源も確かに変質した。

 

『受容』である。

 

少年の本来の起源が何であったかは誰も知らないが、それでも少年はもとより他者(特に女性)に寛容であり、さらに魂の欠損によって己を主張する我欲がなくなっていたことも『他者を受け入れ己で包む』という『鞘』の性質を助長した。

ゆえに少年の起源は『受容』という形に固定化されたのである。

 

 

起源とは存在の性質であり方向性である。

 

例えば『切断』と『結合』を起源とする衛宮切嗣は、何かを断ち切ることと断ち切られたものを結び目を作るように以前とは違う形で結び合わせる性質を持つ。この性質の発現として、彼は『関わった人物のそれまでの生き方や人生を断ち切って、全く異なる生き方や人生にする(大概は死亡する)』ことを意図せずに多く行っていたし、逆にそうせずにはいられなかった。本人の意図する範囲においても、彼は旧来からの流れの切断と結合、つまり改変に思考が行きがちだった。

 

例えば『傷を開く』を起源とする言峰綺礼は、他者の傷や問題を大きくする性質を持つ。この性質の発現として、彼はそういった行為そのものを好み、それにこの上ない愉悦を感じ、そして得手とする。傷に対する感覚の鋭敏さゆえに真逆の行為である治療も得意とするのは己の性質を上手く利用できた結果だろう。

 

このように起源はその人間の嗜好や考え方に強く関わる。

 

 

では『受容』を起源とする存在となった衛宮嗣郎はどうなったか。

 

嗣郎は他者、いや己以外の全てを受容し肯定することを好むようになった。

言い換えてしまえば、嗣郎は己以外の全てを愛した。

空を愛し、自然を愛し、風を愛し、時を愛し、叡智を愛し、人を愛した。

彼はあらゆるものを是と感じ、たとえ人が面白くもないと思うものでも愛したし、果ては一般的に悪い、醜いとされるものでも醜悪とは理解しつつも愛せた。他者を害する類の悪は害される他者も愛するがゆえに拒否するが。

 

こうして嗣郎は魂の欠損とは別に、『過剰なまでの自分以外への愛』という異常性を持った。

 

 

こうして誰の意図もなく、『欲の欠如』と『過剰な愛』という異常を共に備えた衛宮嗣郎だが、自分に対する感性は変質前のままである。つまり常人だ。

『受容』の起源が後天的なものであり、変質の影響元が『鞘』であるせいか、嗣郎の受容は己自身には適用されない。世界の全てを愛するかのような際限無い愛も、自分だけは肯定せず。

嗣郎は己の異常性を『気持ち悪い』と思っている。

欲が無いゆえに変えたいとは思っていないが、確かに嫌悪しているのだ。

 

 

己を変えてしまった災厄すらもどこか愛しながら、変えられてしまった己の全てを嫌悪している。

それが衛宮嗣郎という男だ。

 

 

 

 

その、衛宮嗣郎にとって。

その女性は美しすぎた。

 

 

 

 

常に愛を感じ、愛を抱き、愛と共に生きてきたせいだろう、

衛宮嗣郎は人の愛が、人の『心』が目に見えた。

言峰綺礼が傷に連なる人の心を容易に理解できるのと同じように、魔術や魔眼などといった超常的な力ではなく、相手の顔や言動でその心をある程度掴むことができるのだ。特に視覚的に心を理解できるその目はあるいは魔眼とも呼べるかもしれない。

言峰綺礼が妻に対して独特の愛を持っているのを確信をもって理解できていたのもこの特性による。

 

とにかく、嗣郎は人の心が見える。

そして、イリヤに召喚されたメディアが素顔をさらしたとき、メディアの心も見えた。

 

 

メディアの心を目にして、嗣郎は、震えた。

 

 

神の呪い。……神からすれば祝福だろうが、受けた側からすれば呪いでしかない。

とにかく、『イアソンを愛するように』と神がメディアに植えつけた呪い。

それは、人の観点から見て、…………あまりに、禍々しかった。

 

本来の、最初にかけられた状態ではこれほどではなかったのだろう。

単に、神という絶対的上位存在からの、逆らえない命令。

だが、本来本人が持つ心を強引に押さえつけ、自身の命令を上書きで刻み付けるその呪いは、メディアの心との反発だろう、長い年月を掛けて醜悪に肥大化していた。

さらにイアソンに裏切られ絶望したことで、その肥大化した愛は、人が抱くには多すぎるほどの絶大な憎悪へと変質してしまっている。

これまでの人生で超常者の力など見たことがなかった嗣郎だが、その力の一端ですらこれほどの理不尽さを知らしめるのだと(おそ)れた。

 

だが、嗣郎が震えたのは恐怖ゆえにではない。

 

 

 

 

そんな醜悪で絶対的な呪いを抱いてなお、メディアは毅然と笑うのだ。

 

 

 

 

その憎悪に支配されぬことにどれほどの強さが必要だっただろう。

その憎悪を内心にまで潜めるまでどれほどの時間が必要だっただろう。

その憎悪を抱いてなお笑えるまでに、どれだけの意思が必要だっただろう。

 

確かにメディアはヒステリックな面もあるのだろう。

だが、あんな狂気を心のど真ん中に受けて、ヒステリック程度で済むのは断じて普通ではない。

嗣郎はあんなものを受ければ自分は白目を剥いて死ぬだろうと思ったし、人間ならばほとんどは実際にそうなるだろう。

それを普段は完全に抑えられているのは、メディアの強さ以外の何物でもない。

 

ここで嗣郎の目に見えたのはそこまでだ。

メディアの強さを、そしてそこまで至ったメディアの軌跡を感じた。

 

だが嗣郎はメディアの原作……ここではない別の場所での姿を知っている。

 

あれほどの呪いに縛られながら、呪いに抗ってでも愛を尽くす。

あれほどの憎悪を無視しながら、可愛い少女を愛でてはしゃぐ。

あれほどの絶望を抱きながら、ささやかなありふれた幸福を夢見る。

 

その姿は。そこから見えるメディアの心は。

あまりにも健気な。あまりにも純朴な。汚れ無き少女の気配は。

 

 

嗣郎の心を震わせた。

 

 

 

嗣郎は己も欲もほぼなくしているといえど、実際は皆無ではない。

 

自分の幸福は求めなくとも、他者の幸福を求める程度には、わずかな欲求はある。

 

虫喰いで全て喰い尽くされたかのような我欲だが、(チリ)程度にはあるのだ。

 

それまでは、せいぜい他者の幸福を求める程度だった。それほど欲しいと思うものなど嗣郎にはなかった。

現代では間違いなくかなり強い心を持つ姉も、純朴で綺麗な心と身体を持つ妹も、塵ほどの嗣郎の私心から欲を引きずり出すまではいかなかった。

 

だが、メディアへの感動は。メディアへの情動は。

 

──────嗣郎の心に熱を持たせた。

 

 

 

 

......................................................

 

 

 

 

 

…………目を覚まして、嗣郎は思う。

 

(…… あ゛ー ……………)

 

現状は把握している。誰よりも愛を知っている嗣郎だ。

自分の恋慕がわからないはずもない。

 

(………………う゛あ゛ー……)

 

気絶直前はメディアだけを見ていて気絶に至った理由は目にしてはいないが、姉妹の怒りに触れたのだろう。

妹が動揺を持て余してやった可能性が高い。もしかしたら姉も桜を思ってキレたかもしれない。家族の愛情関係がいろいろ複雑なのも誰よりわかっている。

 

(…………………………………どうしよ)

 

自分の予想外な感情も問題だが、それのせいでメディアと姉妹……特に桜の関係がこじれるかもしれないと思うと、本気で気が重い。

痴情のもつれでこの10年の努力と苦労が水の泡になるなど、全く笑えない。

それもそんな問題が自分が原因で起こるなどとは考えたこともなかった。

 

(なんて迷惑なアクシデントだ……でも親父は苦笑しながら祝福してくれそうだ。いやそんなことを考えてる場合じゃないか。あー……)

 

今自分がいるのは自室の布団だ。おそらく土蔵でぶん殴られて怒りのままに放置される流れだったのを、桜がむしゃくしゃしながらも風邪を引かないよう気を遣ってくれた、というあたりか。背中の感覚を見るに魔力強化まかせで乱暴に引きずるのが怒りと優しさの妥協点だったとみえる。その可愛さを褒めて可愛がってやりたいが今は何を言っても怒らせる気しかしない。

 

とはいえこのまま部屋に引きこもるわけにもいかない。時間が解決してくれるのを待っていられるような状況ではないし、そもそも解決するかどうかも不明なのだ。

 

「…………行くか」

 

事態がどう転ぶかはまったく見当がつかないが、どうなるにしても転ばせなければ話が進まない。

意を決して立ち上がり、(ふすま)を開け、

 

「あっ…」

「うおっ」

 

ちょうど廊下側から襖に手をかけようとしたらしい桜とかち合った。

 

 

 

 

 

「…………………」

「…………………」

 

……にらみ合い、ではないが。

ただ見つめ合う形になり、

 

「……~~ぅ~~~っ」

 

おはよう、とふざける前に桜が涙目になりうなりはじめた。

 

 

 

 

......................................................

 

 

 

 

「おはよーシロー、説明は?」

「なんかごめん」

 

場所は移り居間である。ちなみにまだ夜である。

イリ姉ぇがメディアの膝にのってじゃれていた。

桜は俺に抱き上げられて俺の首にすりついている。ここに来るまで言葉にならない声しかあげていない。俺の良心に継続ダメージを与え続けている。

 

「……先にちゃんと挨拶しとくか。イリヤスフィールの弟で、この桜の兄の衛宮嗣郎だ。えーっと、メディア……でいいか?」

 

メディアの対面に座り、軽く自己紹介する。桜はそのまんまである。

 

「ええ。イリヤの話を聞く限り、貴方達3人で一組なんでしょう? 実質的に3人共私のマスターになるのだから、呼び捨てでいいわ。キャスターと呼んだ方がいいと思うけれど。ああ、イリヤに言われてしていないけれど、敬語の方がいいかしら?」

「いや、そのままでいいよ。貴女、に敬語を使われるのも妙な感じだ」

 

イリ姉ぇがわずかに目を細めた。わかってるよ、『貴女』なんて時計塔での社交辞令以外で初めて使ったよ。でも勝手に口から出てきたんだよ。

 

「そう? イリヤもだけれど、貴方達いまいち魔術師らしくないのね。現代の魔術師は皆そんな感じなのかしら」

「うちは親が典型的な魔術師とは程遠くてね。一般的な魔術師はもっと偉そうなのが多いかな……メ、キャスターから風格みたいなものを抜いて虚栄心を足したような感じ」

「あら、お褒め頂いて恐縮ね。ま、貴方達が変わり者なのはわかったけれど……」

 

メディアが言葉を止めた。だいたい言いたいことはわかるけど。

 

「うん、まぁ気になってることもだいたいはわか「シロウ?」……何、イリ姉ぇ」

「さっきから一度もメディアの顔見てないわよね? 失礼じゃない?」

「ぐ……」

 

その通りだ。それは分かってはいる。いるんだが……

 

「……イリヤ?」

「気にしないでメディア。礼儀がなってない弟でごめんね。ちょっと気分悪かったでしょ?」

「それは…そうね。気になりはしたけれど」

「正直にイラッときたって言ってもいいのに。でもいつもはこんなことないのよ? むしろ直視しすぎるくらいなんだけど。どうしたのかしらね、シロウ?」

 

イリ姉ぇが『さっさと素直に状況確認させなさい』と圧力をかけてくる。やはりまだお怒りだ。

……見ない方がいいと思うのだが、怒りのイリ姉ぇに逆らうのも益が無い。

諦めよう。

 

「……そうだな。挨拶するのに顔も見ないのは失礼だな」

 

意を決し。

 

「失礼した、メディア……──────」

 

視線を向けた。

 

 

手触りの良さそうな紫の髪、髪の間から覗くどこか可愛らしい耳、細く整った顔立ち、鋭い光を宿すのに実は垂れ気味な透き通った蒼い瞳、その奥に視える強く美しい────

 

「俺と添い遂げてくれ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

呆気にとられたメディアの可愛さに感動しながら、首に添えられた腕が絞まり意識が遠のいていくのを感じていた……─────

 

 

 

 


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