愛は世界を救う ~※ただし手の届く範囲に限る ~   作:とり

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メディアフィーバーを見たかった方、ごめんなさい。
言峰さん家の団欒です。短めです。
来週は二回は更新……できるといいなぁ


言峰

 

 

 

「……では。壮健で、言峰神父」

「ああ、そちらこそな。これより始まるのは闘争の坩堝だが、君であれば問題なかろう」

「過分な評価ですね。まぁ、敗れるつもりなどありませんが」

「ふ、闘争と勝利こそ君の宿業か。監視役として、君の戦い、存分に見させてもらおう、執行者」

「……貴方に無様を晒すわけにはいきませんね。気を引き締めるとしましょう。楽しみにしておきなさい、代行者」

 

 

......................................................

 

 

 

私は既に引退しているのだがな、と教会を去る執行者を見送りながら呟く。

 

旧知の知人である執行者だが、それが死地に向かっていることに言峰綺礼は何の感慨も抱かない。

信頼や心配ももちろん、期待さえもしていない。

 

 

 

言峰綺礼にとって、バゼット・フラガ・マクレミッツという女は、面白みの無いただの他人だ。

あれは綺礼に好意を持っているようだが、バゼットには綺礼の興味を惹くようなものがない。

 

成る程バゼットは時計塔でも屈指の実力者であり、英雄の域に足を踏み入れているような怪物だ。

だが、それだけだ。

戦闘能力では人の枠を外れつつあるバゼットではあるが、その内面は不釣合いな程に人の枠内にある。

 

 

突き抜けた行動力、独特な思考、非常識な言動、そしてそれを貫き通す実力があるせいで不合理な人格をしているようにも見えるが、それは外面的なもの。

言峰綺礼の目に映るバゼット・フラガ・マクレミッツという女は……『ただ常識を身に着ける機会がなかっただけの子供』、だ。

 

伝承家(フラガ)という閉鎖的な環境で育ったせいで常識からずれており、その癖に英雄譚に憧れて閉鎖的な家から飛び出した。

これは本人の性根が異質なのではなく周囲がそうであっただけであり、そしてだからこそ周囲との不適合が起きただけのこと。

何気ない衝動を貫けてしまう力があったために周囲に抗えたが、その行動は純朴な子供が『やりたい』と思うものと変わらない。

もし力が無ければまさに有象無象として周囲に呑み込まれていたことだろう。

 

また、多くの物事に淡白で冷めた気質を表すが、それは単に執着したものを喪うことを恐れるゆえの自己防衛策。

喪ったときの絶望を恐れるあまりに、そもそも手に入れることを拒絶しているのだ。

そしてこれもまた行動が極端なだけで心象が異常なわけではない。

その恐怖は人が誰しも持つものと質も量も変わりはしない。

そこに歪みはなく、異常性もない。

 

 

言わば、剛毅で冷淡な恐怖の象徴たる最強の執行者の本質は、臆病で夢見がちなただの箱入り娘だ。

 

 

……この不似合いな表現は些か愉快に思わないこともないが、それだけだ。

内面的にそこらの一般人と変わらないこの女に、綺礼は特別な価値を見出せない。

 

 

 

「あれに関わる必要があったのなら切開するのもやぶさかではなかったがな」

 

バゼットを裏切るような機会があれば、ついでの手慰みとばかりに心の傷を開いても良かったが特に必要も無い。

聖杯戦争に関わる心算ならば綺礼の知見の内で最も利用しやすい駒ではあったのだが、綺礼は今回戦争に介入するつもりはないのだ。

衛宮嗣郎との取引に従う約束や衛宮切嗣の画策で結ばされた魔術的な契約で干渉を制限されていることもあるし、ギルガメッシュが己の領域と定めている地に汚泥を降ろすのを許す筈も無い。

そしてなにより、呪いの塊でありこの世全ての悪そのものである汚泥を降ろせば……綺礼の娘は死ぬ。

 

 

娘は周囲に悪魔憑きがいれば悪魔が引き起こしている霊障を自身の身で再現してしまう体質を持つ。

今は嗣郎がアインツベルンと綺礼に用意させた複数の霊装により抑制されてはいるが、体質そのものは変わっていない。

汚泥は『悪魔』ではないが、悪魔と呪詛は本質的にかなり近いものだ。汚泥自体に反応するかは不明だが汚泥に侵された者の霊障には確実に反応する。……それは綺礼と嗣郎が初めてカレンと接触した際に判明していることだ。

霊障としては比較的軽度な嗣郎や性質的に問題の少ない綺礼に対する反応は命に関わりはしなかったし、命を蝕む切嗣の霊障も霊装により害にはならなかった。

だが、汚泥を降ろして数百人、数千人もの霊障者が生まれれば。あるいは娘自体が汚泥に汚されれば。

人間の作った霊装など何の守りにもなりはしないだろう。

 

自身と妻の血を継いだ娘は非常に良い素養をしている。

清廉で無垢なようでわずかに歪であり、見ているだけでも愉しい。いずれ英雄王や嗣郎のような美しい破綻者になれるだろう。

狂信者のごとき父への依存も遠くない父の死により良い破綻を産むであろうし、妻への愛や娘への愛を抱きながら様々な面で愉しみに育ててきた。

そんな将来が愉しみな愛しく麗しい歪さを、その辺りの有象無象と一緒くたに汚泥で単一に塗りつぶしてしまうなどという無粋なことを、綺礼はしたくなかった。

娘を一時的にこの地から離して干渉することも考えたが、それをやると確実に嗣郎が勘付きギルガメッシュを動かすだろう。さらに娘の直感も馬鹿にはできない。実現性は極めて低い。やるとすれば娘を手元に置いたまま嗣郎の不意を突くしかないが、そうすれば娘は死ぬことになり……結局綺礼は干渉を諦めた。

聖杯への興味やこの世全ての悪(ア ン リ マ ユ)誕生への執心よりも、手近な愉悦と愛情が勝ったのだ。

 

 

とにかく、綺礼は今回戦争に必要以上の関与はしないつもりだった。

切嗣の遺した魔術的束縛を掻い潜った上で嗣郎やギルガメッシュを敵に回す、それだけの労力を払うに値するものが見当たらない。

逆に嗣郎が聖杯を浄化することで起こるであろうとある事態は期待ができる。浄化が必須ではないものなのでどちらでもいいのだが。

最後の協力として嗣郎に要請され魔術協会の代表にバゼットを指名しはしたが、これ以降は中立の監視役として戦争の推移を見守るつもりだ。

そしてふと数日前の約束を思い出す。

 

「ああ、そういえば凛と嗣郎(やつ)への補填の約束があったな。連絡するとしよう」

 

借りに相当するものを戦争まで残しておくのも良くないだろう。

時計塔最強の執行者が冬木入りした、その情報を提供することで相殺しておくことにする。

バゼットからすれば冬木土着の遠坂と衛宮という魔術家門について調べることは難しくないし、実際調べているだろう。

それに対し凛はバゼットという別格の使い手の参戦を知らないという不利が生じている。

中立者としてそれを是正する意味でもセカンドオーナーに管理地への名のある魔術師の来訪を伝える意味でも、ちょうどいい。

嗣郎はもともと綺礼の便宜などさほど必要としていない。()()の到着を伝えるだけでも十分と受け取るはずだ。

 

……まあ、それも、手近な問題を解決した後になるが。

 

 

 

 

「さすがはお父様ですね。あんな強そうな女性(ひと)まで手篭めにしているなんて、見事な甲斐性です。ああ、それともただ見境が無いだけでしょうか?」

 

 

 

 

「……事実は正確に認識したまえ。手篭めにした覚えはない」

 

聖女の笑顔のままで機嫌を損ねている娘に、綺礼はため息を吐く。

バゼットの綺礼への好意を娘も気付いたのだ。

 

「そうなのですか。ですが教会の代行者と協会の執行者、立場上許されない関係ですね。どことなくロマンスの香りがしてきます。ああ、それともただの性欲の結果でしょうか?」

 

「あれとは戦場で幾度か顔を合わせただけだ。お前が妄想しているようなことはない」

 

「あら、その割にはあの方は女の顔をしていましたけれど。戦場でどのように触れ合えばあのようになるのでしょう、不思議です。戦場の神秘ですね」

 

「情の移ろいやすさはあれの気質だ。衛宮嗣郎や衛宮切嗣にも似たようになり得る」

 

「あらあら、お手軽な方なのですね。ところでそのお手軽な美人をわざわざ指名して呼び出して、どうなさるおつもりだったのでしょうお父様?」

 

「衛宮嗣郎の要請だ」

 

はぁ、とまた疲れたため息が出る。

他人が嫉妬で道を踏み外すのは見ていて愉しいが、それを自分に向けられるのは面倒極まりない。

それが完全な見当はずれであり、さらに娘本人も実のところそれを理解してそれでも微妙な不快感を解消するためにわざと勘違いを続けて八つ当たりしているので尚更だ。

 

「カレン」

 

「なんでしょう不貞のお父さ、きゃっ」

 

娘の小柄な身体のバランスを崩させ、抱きかかえるように礼拝堂の長椅子に座る。

妻に似て運動神経は良くない娘だ。容易に行えた。

 

 

「…………実の娘までも手篭めにする気ですか?」

 

腕の中で軽蔑するように冷たい目を向けてくる娘だが、それが内心と異なるパフォーマンスだと父はとうに知っている。

 

「私が愛した女は、お前の母だけだ」

 

当然のこととして告げる。

 

 

 

「…………惚気ですか」

 

呆れたような憮然とした表情で不満そうにつぶやく娘。今度の表情は本心だろう。

 

「愛した女が母だけなんて、私は愛してもらえないのでしょうか。哀しいですね」

 

続いて嘆くように呟かれたのは娘なりの甘えを含んだ冗談。すでに八つ当たりは終わったようだ。

 

「お前は娘だからな。女という括りには入るまい」

 

抱きかかえたままに髪を撫でる。この娘が幼少の頃から幾度もやってきて、自然と手が動く。

 

「ん……。……失礼な男です。これでももう子供も産める女ですよ。女心が分かっていませんね」

 

口では軽く悪態をつきながらも、娘は気持ち良さそうに表情を緩める。

 

「ほう。だが私がお前を女と見たらお前は罵るのだろう?」

 

「当たり前でしょう。娘に情欲を抱くなんて、度し難い変態でしかありません」

 

悩みどころですね、と笑う娘に、面倒なやつだ、と綺礼も笑う。

 

 

その笑いは演技でも嘲笑でもなく。

確かに己の内から涌く、娘に対する慈しみに溢れたもの。

 

 

「……ああ、お父様が笑っています」

 

「……私が笑うと問題があるのか?」

 

「嗣郎が言っていました。お父様が心から素直に笑うと、不吉な未来が待っていると。私も不吉な予感がしています」

 

「否定はできんな」

 

「できないのですか……不安です」

 

私にとってはそうでもないのだがな、と呟きつつ、娘の頬を撫でる。

 

 

 

 

言峰綺礼は本心から娘を愛し慈しみ、大切にして。

そしてずっと愉しみに待っている。

 

 

聖杯の呪いが消え、呪いに生かされている自身が唐突に死して。

最愛の父をいきなり喪った娘が破綻するであろうその日を……心からの愛で。

 

 

 

 

「カレン……私はお前を愛している」

 

破綻者として、そして純粋に父として、優しく抱きしめながら、言峰綺礼は心から微笑む。

 

 

「……私も、愛しています。お父様」

 

女として、そして純粋に娘として、穏やかに身を任せながら、言峰カレンも心から微笑んだ。

 

 

 

 




娘を『成長』させようという綺礼なりの本気の愛情なので、嗣郎もどうしようか迷っている。
通常の感性に合わせれば、父が息子に対し「俺の屍を越えていけ」と言うのに近い。

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