愛は世界を救う ~※ただし手の届く範囲に限る ~   作:とり

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長い……


凛から見た衛宮

衛宮嗣郎(シロウ)

 

遠坂凛にとってその少年は学園で関わりあいになりたくない人物ナンバーワンだった。

 

なんといっても穂群原学園一の奇人の称号()を欲しいままにし、また「ミスターフェミニスト」「冬木の蟻地獄」「女堕とし」などと尊敬やら侮蔑やら畏怖やらいろんな感情を込められた多くの二つ名を持つ男。

 

その男は女を見れば口説きはじめ、しかも口説く内容が的確かつ真摯すぎて女ならばときめかずにはいられないという。

さらに少しでもときめいてしまえば蟻地獄の捕食者の如く、その動揺をとっかかりに心の奥底まで喰いつかれ、逃げられなくなってしまう……。

強いて言われる良いところとしては、この蟻地獄が女性の心を引きずり出すとき、身近な者でも気付かなかったり気付いても気にしないような女性的な長所美点をひとつひとつ褒め称えていき、さらに心揺れている女性の外見的な美しさも必ず引き出し、それを周囲の人間の印象に焼き付けるので蟻地獄に口説かれた女性は大なり小なり『モテる』ようになることだろうか。

だが、蟻地獄と親しくなるほど顕著になるというそれを期待して蟻地獄に近付いた女性は、実際に口説かれたとき男の真摯さと甘言に心奪われ蟻地獄本人から逃げられなくなってしまうという……。

 

そんな噂だけでもお近づきにはなりたくない類いの人物だが、実際に対面してみて噂とは別種のおぞましさを感じた。

 

凛が衛宮嗣郎と初めて会話したのは、嗣郎が彼の義父(みすぼらしい三流魔術師だった)の逝去の報告と、新しい衛宮の当主としての挨拶に冬木のセカンドオーナー遠坂家に訪れたときだ。

おおよそ5年程前になり、凛は当時中学に上がったばかり。同齢である衛宮嗣郎も同じくだ。

とはいえ凛はセカンドオーナー遠坂家の当代当主であり、その地位と職務、そして家訓に相応しい立ち居振る舞いをこなしていた。

同い年だからと舐められることは避けるべく優雅かつ苛烈に対応した。

もう何年も当主として渉外にもあたっていたこともあり、見事な対応だったと自分でも思っていたし、今でも失敗はなかったと思える。

 

だが、衛宮嗣郎には一切通じなかった。

 

対面の当初は彼もまた中学生らしからぬ落ち着きと柔和さだったが特に問題のない報告と挨拶だった。

セカンドオーナーに対する礼節もしかりと持ち、魔術師のルールもよく理解しているように思えた。

対面の用件自体は何の問題もなく終えることができたのだ。

しかし、衛宮嗣郎がその本性を見せたのは用件を済ませたその後だった。

挨拶の定型としての握手をしながら、彼はつい堪えきれなくなったように笑い、それまでと違い同級生に話しかけるように呟いた。

 

『しかし、見事な猫だな、遠坂』

 

遠坂家に猫などはいない。一瞬遅れて「猫を被っている」ことの指摘だと理解した凛は不快になった。事実とはいえ面と向かって指摘するようなことでもない。それに遠坂家当主としての振る舞いを笑われて気分がいいはずもない。

 

『ああ、すまない。実際を知っていなければ遠坂を見事に誤解してしまうだろうと思ってな』

 

なぜ遠坂と直接の付き合いもない衛宮が凛の「実際」を知っているのか?

衛宮嗣郎が学園の凛を知っていたとしても、それは優雅な優等生の姿だろう。

わずかに考え凛の妹が衛宮に引き取られていることに思い至る。

つまりは嗣郎は妹から聞いた昔の凛をベースに今の凛をとらえているのだろう。

いくらなんでも参考が古すぎると思うが、昔の自分はやんちゃだったとも思うのでそこを参考にすれば確かに今の振る舞いに笑ってしまうかもしれない。

そういう前提で答えれば。

 

『ん? 昔の話じゃないが?』

 

さも、当然であるかのように。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

相手が時計塔の魔術師や、そうでなくとも大人であれば衝撃などなかっただろう。

一流の魔術師であれば相手の内心を測りもするだろう。遠坂の家訓を知っていることもありえる。

だが、衛宮嗣郎は子供だった。しかも魔術師として育てられはじめて5年程度だという。

そんな衛宮嗣郎が、なぜ当たり前のように凛の内心を理解している?

なぜ当たり前のように遠坂の家訓など知っている?

そしてそんな奇妙な理解をしている己をごく「当たり前」とばかりに平然と晒している。

 

凛のこのとき抱いた感覚は、「不気味」と表現するのが最も近いだろう。

 

このときに凛が嗣郎の心情を、中身を全く理解できなかったのもその感覚を助長した。

自分は理解できないモノが自分を理解している。

それは凛に「おぞましさ」を抱かせた。

いや、まだこれだけであれば時間さえあれば凛は落ち着けただろう。

遠坂凛は客観的に自身の心情を分析できるし、成長すれば嗣郎が早熟だったのだなどと自分を納得させることもできただろうから。

だが、嗣郎は自身の言葉に怯えを抱いた少女に回復の余裕を与えることもなく追い討ちをかけた。

 

『ああ、やっぱまだ不意を突かれたりすると素の表情が出たりもするんだな』

 

 

 

『そういう完璧すぎないとこ────── ()()()() 』

 

 

 

不気味と感じている相手に、

おぞましいと感じている相手に、

笑顔で、

握手をするような距離、いや、いつのまにかそれより近付いた至近距離で、

こちらの表情を楽しむように見つめられながら、

()()()』などとささやかれて。

 

まだ幼い凛は心底の恐怖を刻みつけられた。

 

 

その日、凛は必死におぞましいモノを追い出した後、ひとり部屋で震えた。

 

 

 

 

 

 

 

5年も経ち、心身共に成長し、嗣郎の普段の行いを見聞きしてきた凛はさすがに当時のような恐怖を持ってはいないが、それでも今なお凛にとって衛宮嗣郎は理解し難い存在だ。

あのときのことがただの嗣郎の早熟ゆえだったと考えても、どこか常識が、人間の感覚が壊れている気がする。それは普段の嗣郎の言動からでもどこか感じることだ。また、疎遠になっている兄弟子に感じるようなものでもあった。

だから凛は衛宮嗣郎に関わりたくない。

 

だが、そんな凛の心情をあざ笑うかのように、衛宮嗣郎という存在は凛が関わらざるを得ない位置にいた。

 

 

凛には妹が居た。

遠坂家の次女として生まれるも、魔道から離れるのが難しいほどの才を持ち、そして御三家の盟約によって間桐の家に養子として譲られた妹。

御三家の盟約ゆえに容易に近付くことすらできなくなったのだ。幼くとも魔道の過酷さを理解していたとはいえ、やはり幼いゆえに愛する妹と離れ離れになるのは悲しかった。

本来であればそのまま不可侵の御三家の後継同士として何十年も家同士の盟約のみの付き合いとなるはずだった。

 

事態が動いたのは先代当主時臣の死、つまり第4次聖杯戦争から2年後。

間桐が潰れた。

当時当主として未熟すぎた凛はその詳細を掴みきれなかったが、

初代から間桐を支えてきた間桐の老翁が逝去。

数百年生きていたというが、死因などは凛には掴めなかった。

とにかく、間桐はその初代こそが柱だったらしく、当代の間桐当主はまともな魔術回路すらない枯れた血、間桐の後継あるいはその伴侶として預けられた桜もたかだか数年で間桐の魔術を継承できているはずもなく。

数百年続いた間桐の魔術はここに潰えた。

 

聖杯戦争を支えてきた御三家の一角が突然(凛から見れば当然の流れだが)消滅したとなって、遠坂もアインツベルンも大騒ぎになった。

具体的な内容は凛には把握できなかったとはいえ、後見人の兄弟子が出張ってアインツベルンと一触即発の交渉を続け、教会や協会からも干渉があったあの騒動が大事件だったことは分かる。

 

そして最終的に間桐が担っていた役割の代替をアインツベルンが用意するということでまとまった。技術や人員をどこから調達するのかは知らないが。

聖杯戦争儀式の消滅はなんとか避けられたのだ。

 

そしてその騒動で問題となったことのひとつに、存命の間桐の扱いがあった。

魔術とは門外不出の研究成果だ。

たとえ魔術刻印や口伝が失われたとしても、多少なりとも魔術を継いでいる後継者というのは他家からすればタダで数十年、数百年分の研究成果を頂ける美味しい餌だというのが魔術師の常識だ。

本来ならそれを交渉や等価交換で得ようとするのなら自家も相当の出血を覚悟しなければならない技術の塊が、なんの後ろ盾もなく無防備に転がっている。

間桐に縁のある家門がハゲタカのごとく間桐の後継争奪にたかったのは当然の流れだっただろう。

幸か不幸か当代間桐当主やその息子は争う価値がないほど魔術の能力も心得もなく争奪対象から除外され、残ったのは才に溢れ間桐の魔術も多少は得たであろう桜。

そう、桜を物のごとく奪い合う骨肉の争いが、そうして始まる──────

 

はずだった。

が、実際はマキリの類縁どころか桜の血縁である遠坂の出番すらなかった。

アインツベルンが令呪関係の代替の条件として桜の後見に立ったのだ。

 

当然各方面から抵抗もあったし凛も(兄弟子を押しのけて)抗議したが、『この後継を使い令呪関係の代替を用意する』と言われれば元が間桐の魔術の話であるだけに強く抵抗しきれなかった。具体的な方法は『秘奥である』として説明を拒まれたが。

 

そして桜はアインツベルンに引き取られる……と思いきや。

なぜか冬木に滞在する魔道の一門、『衛宮』に預けられた。

『衛宮』はさして名も知れぬ弱小の家門だったが、アインツベルンに連なり第4次聖杯戦争にもアインツベルンの代表として参加していたという。

アインツベルンの用意する『秘奥』は桜を拘束せずとも良いらしく、一度本拠に連れて行っただけであとは世話するのも面倒だったのか冬木に放置している。

そんなずさんな扱いではあったが、大家アインツベルンの後見があるので桜を擁する衛宮に手を出す者はほとんどいなかった。皆無ではなかったようだが。

 

そうして、遠坂に生まれた桜は、間桐の魔術を学び、アインツベルンの庇護のもと、衛宮の家で育ったのだ。

そう、衛宮嗣郎の妹として。

 

 

当時は、桜が無事に生きていられることを喜んだ。

庇護下とはいえ厳密に御三家の盟約から外れた桜と数年後には障害なく会えるようになったのは嬉しかったし、桜を特別束縛もしない衛宮に感謝すらした。

だが今となっては桜が衛宮の家に預けられたことを恨まずにはいられない。

 

 

 

衛宮嗣郎は不気味な男である。

過去のトラウマのようなものもあって関わりたくない男である。

ぶっちゃけ嫌いと言っていい。

 

そんな男を話にあげて、女らしく成長したもうすぐ高校生の妹が相談してくるのだ。

 

 

『最近兄さんが一緒にお風呂に入ってくれないんです』

 

 

どこからつっこめばいいのか。

遠坂の家訓をしばらく実行できず無様にも何も言えなかった自分を責められない。

とにかく妹が危険な『ズレ』方をしていることとあの男が案外まともかもしれない可能性に悩みながら、妹と大論争になった記憶は新しい。

 

 

 

 

妹があの男に執心していることだけでも頭が痛いが、あの男と無関係でいられない理由が他にも出てきた。

 

前回の聖杯戦争で何か想定外のことがあったらしく、まだ10年しか経っていないのに次の聖杯戦争が始まるようなのだ。

そして聖杯戦争が起こるのならば、冬木にいる魔術師は全てがマスター候補。

当然、あの不気味な『衛宮』もだ。

前回衛宮がアインツベルンの代表として参加したことを考えると、今回も衛宮はアインツベルンの優先令呪(御三家は外来のマスターより優先して聖杯戦争の参加資格である令呪を得る特権を持つ)を得る可能性も低くない。

凛が遠坂の当主であり、嗣郎が衛宮の当主である以上、聖杯戦争で敵対する可能性は非常に高い。さらに桜もまた参加資格を得る可能性が高い。

 

自身の管理する地の魔術師であり、敵対最大候補であり、同級生であり、

そして妹が懐いている男。

そんな縁ばかりがある男を聖杯戦争開始まで放置しておくのが良策とは思えない。

 

敵対するにしろ協調(できる気がしないが)するにしろ、一度はしっかりと話し合う必要があるだろう。

なにせ、まともに話したのは5年も前だ。自分が未熟だった自覚もある。

 

……話さなくてはならない。

 

…………妹のためにもそうしなくてはならないのは分かっている。

 

………………分かって、いる……のだが……

 

 

 

 

……もしかしたら令呪出ないかもしれないし、出てからでいいんじゃないかな……

 

 

 

 

 

 

そんなふうにどこかで希望にすがっていた遠坂凛は、同級生をいつものように口説いている男の右手が包帯で覆われているのを見てちょっと絶望した。

 

 

 




変質者にトラウマを植えつけられた幼女的な。

ちなみにシロウが凛に遠慮なく「『実際』を知っている」ように話したのは別に悪意があったわけでも頭がおかしいわけでもなく、ちょっとしたすれ違い。次々回くらいで理由は出てきそう

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