愛は世界を救う ~※ただし手の届く範囲に限る ~   作:とり

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マキリと綺礼と嗣郎

「──── “ 風はその欲する処へ(Spiritus, ubi vult, spirat,) ” 」

 

神父の投擲した黒鍵が間桐の結界に突き刺さり、結界全体が硝子のように砕け散る。

 

続いて隣に立つ少年が呟く。

 

装填する(バ レ ッ ト ・ オ ン)────」

 

短い詠唱と共に右手に現れた短剣を、少年に手渡された神父は躊躇なく地に突き刺し。

 

「──── “ 括り吊る灰鉄(グ ラ ア シ ー ザ) ” 」

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………っグうぅぅぅっっ!!!??」

 

身を引きちぎられる痛みに臓硯が呻く。結界の破壊の直後、襲撃者が手に余る場合に備え端末にして分体ともなる蟲を迅速に屋敷の外に脱出させたが……即座にその全てのラインが引きちぎられた。

それだけではない。元々町の各地に分散させていた蟲とのラインまで全て切れている。

 

「……これは……(くく)られたか」

 

なんらかの結界魔術か、この間桐邸と外部が分断された。

いや……自身の身体、魔力に受けるこの違和感……おそらくは、強大な呪い。

呪法か呪具か、なんらかの間桐臓硯を対象とした呪いを受けている。

 

「だが、それならば……」

 

どうやらこの場所から逃げられない類いの呪い。

それも、逃げる手段を強制的に封じ切断する効果まであるようだ。

解呪するか、立ち向かうかを考えるが、ここは己の本拠たる工房。

どちらにせよ難しいことではない。

特に、呪法を扱うような方面の輩は臓硯からすれば獲物でしかない。

臓硯はその方面において一日(いちじつ)どころではない長があるのだから。

 

「呵々っ、なめられたものよな。さて、一体どんな無作法者か……」

 

だが、邸内の蟲で侵入者の姿を確認すれば。

 

「なっ……!? ッ、チィッ!」

 

即座に目標を解呪・脱出に変更し、とにかく逃げようとするが、

 

「ここか、ご老体」

 

目の前に現れた元代行者に、逃げ道を封じられた。

 

 

 

 

間桐臓硯は不死に近づいた魔術師である。

その身が老いて朽ちることを嘆き、されどそれを受け入れるつもりなどなく。

人の肉の身を捨て、蟲の集合体を以て『間桐臓硯』とする。

 

たとえその身が無残に打ち潰されようが、首と胴が離れようが。

群体の大部分を失おうが数多に引き裂かれようが。

『間桐臓硯』は死にはしない。

あるいはその場の蟲を全て滅ぼされたところで、本体と成り得る蟲がどこかにいればそこにまた『間桐臓硯』が現れるだけのこと。

 

故に臓硯は生き残ることにかけて群を抜いて優れており、例えアインツベルンや遠坂を丸ごと相手にしても生き残るだろう。

 

だが、代行者は話が違う。

 

臓硯はなるほど蟲の集合体だが、蟲を統べているのは臓硯という『魂』である。

強烈な生への執着とマキリの魔術を以て、霊体のみで蟲の集合体を操る術を得たのだ。

 

そしてこと対霊魔術において、聖堂教会を凌ぐものは無い。

彼らが秘蹟・洗礼詠唱と呼ぶそれは、容易に臓硯を消滅させるだろう。

そしてそれを扱う代行者は身体能力においても英霊に近付いてさえいる怪物だ。

 

聖堂教会の代行者は、臓硯にとって死の具現にしか見えない。

 

 

 

 

「……どういうつもりかのう、聖堂教会の代行者よ」

 

邸内中の蟲を活性化させ、呪法の元を探りながら神父と相対する。

 

「曲りなりにも魔術協会に縁あるマキリぞ。理由もなく教会が手を出せばどうなるかはわかっていよう?」

 

探るまでもないほどにあっさりと見つかった強い魔力を纏う灰色の短剣。

間桐の敷地に突き刺さっているこれは間違いなく高位の呪具。

 

「それに仮にも神聖なる秘蹟を代行するお主ともあろうものが、このような邪悪としか言えぬ呪法まで用いるとは。一体どんな乱心か?」

 

これほどのものとなると蟲では破壊は難しいじゃろう。となれば。

 

「さて、老翁のおっしゃることももっともなのだが……今回は聖堂教会の者として伺ったわけではなくてな」

 

恐らくは地面に刺されることが発動条件。

ならば蟲達を使って抜けば…………っ!?

 

……壊れた。壊れおった。馬鹿な、ここまで脆いはずがない……この消え方……投影……じゃと?

 

「……ほう、ではどういう立場かの? いかな立場とてこのような無体が許されるとは思えぬが」

 

呪具が壊れても呪いは微塵も揺るがない。

……後は、道理で攻めの手を止めさせるしかないが……

 

 

「簡単なこと。私は今凛の後見をしている。……御三家の不可侵の盟約を破り、アインツベルンの魔術を盗用しようとしているマキリに対し、『()()』として制裁を下しに来ただけのこと」

 

 

「…………っ!」

 

おかしい。なぜすでに聖杯のことが露見している? 少なくとも発動するまではたとえアインツベルンでさえも分かるはずがない。それをいつ、誰が気付いた?

 

そして、この呪い……一度発動すれば条件を満たすまで絶対に解呪できない系統の代物。

……しかも、おそらくは、

 

「……なぜ、お主がこうまでして儂を殺しに来る? ……この呪い。()()()()()()()()()()()()まで解けないものじゃろう」

 

なんじゃ、この理不尽な呪法は。まるでこれはサーヴァントのもつ宝具ではないか。

 

「なに、少しあの少年に頼まれたのと……私の趣味というところか」

「なに…?」

 

趣味じゃと?

いや、これまで気にはしていなかったが、今桜を抱き起こしているあの子供がこの状況の原因か?

 

「あの少年。なかなか面白いぞ? なにせ、この呪いを起こした宝具も奴が出した。

括り吊る灰鉄(グ ラ ア シ ー ザ)』というらしいが、決闘を『起こす』アイスランドの宝具だそうだ。使った人間と指名された相手、どちらかが死ぬまでその場所から逃れられないという」

「宝具を……投影したというのか……?」

 

馬鹿な。あんな子供がそんな魔術の極致に辿り着けるはずがない。

 

……だが、もしそれが事実なら、あるいは。

 

あれを殺せば。

 

 

 

 

「おっと、早くしてくれ言峰、俺が殺されるっぽいぞ」

 

子供に喰らい付きに飛びかかった蟲を、子供は桜を抱えたままかわし。

 

「ふむ、マキリの老翁。奴を殺しても呪いは解けないと思うがね?」

 

即座に臓硯の顔面を掴んだ言峰綺礼が、詠唱を始める。

 

 

「『私が殺す。私が生かす。私が傷つけ私が癒す。

  我が手を逃れうるものは一人もいない。

  我が目の届かぬ者は一人もいない』」

 

 

「ぐうぅっっ!」

逃れようとしても逃れられない。代行者の腕そのものが亡霊たる臓硯を束縛する。

 

 

「『外には剣、内には恐れ、

  若き男も若き女も、幼き子も老いた者も、

  私が正しく滅ぼし尽くす』」

 

 

旧約聖書申命記32章の一節から始まるその洗礼詠唱。如何な効果かまでは知らぬが臓硯に致命的なものであることは間違いなく。

 

 

「『古き日を思え。連ねた年を思え。

  汝の父に問え。汝の長に問え』」

 

 

工房の罠は代行者に牙を剥く。

呪いの雨が降り、鉄の刃が飛び、異形の蟲が喰らい付く。

 

 

「────『耳を傾けよ。私が語る』」

 

 

代行者は蟲の魔術師を片手にぶら下げたまま、その(ことごと)くを蹴散らして───

 

 

「──── “ 静穏を願う(p a x v o b i s) ” 」

 

 

間桐臓硯は、その力の一切を喪った。

 

 

 

 

 

 

 

 

『……できそうか? 言峰』

『ふむ、相当に傷んでいるな。霊媒治療のみでは厳しかっただっただろう』

『ってことは…』

『ああ、限定的ではあるが……治癒の加速状態であれば可能だ。衛宮の時間魔術は便利なものだ』

『解けたら修正力(リバウンド)で死ぬけどな。すぐ解けるから早くしてくれ、魔力が尽きそうだ』

『任せたまえ。言峰と衛宮の初めての共同作業だ、良い結果を出してみせるとも』

『嫌すぎる言い方すんな。後別に俺は見たくはないから』

『そうかね? 良いものだと思うぞ……500年の妄執の反動は』

 

 

 

力が入らない。朦朧としている。

 

神聖なナニカに囚われて、オゾマシイ己は動けない。

 

ナニカが神聖すぎて、純粋すぎて、美しすぎて。

 

己の醜さがよく見える。

 

朽ちている。腐っている。欠けている。

 

悪臭を放ちそうなほどに淀んだオノレ。

 

それでも。

 

ソレデモ。

 

生きたい。生きたい。生きたい。生キタイ。

 

死ニタクナイ。死ニタクナイ。死ニタクナイ。死ニタクナイ。

 

死ニタクナイ。死ニタクナイ。死ニタクナイ。死ニタクナイ。

 

他ノ何ヲ喰ラッテデモ、絶対ニ、絶対ニ、死ニタクナイ。

 

絶対ニ──────────

 

 

 

 

──────────ナン、だ?

 

欠けたものガ戻ッテいく。腐ったモノガ治っていク。

 

朽ちていたものが、ああ、ああ、嬉しイ。

 

生きられる、己はもっと、生きられる────

 

 

 

──────────あ

 

あ、ああ、ああああああああああ…………

 

思い出した、嫌だ、違う、ああ、思い出した、己は、己は、

 

人を喰って、ああああ、何を、何で、何でこんな、嫌だ、いやだ、

 

ユスティーツァ、ああ、己は、違う、こんなつもりじゃ、あああ、

 

だめだ、許して思い出した、こんな、なんて、ああ、ああああああ

 

なんで忘れあああ、嫌だ嫌だユスティーツァ ああああ ああああ

 

こんなふざけ助け人喰い悪を世界あああああああああああああああ

 

ああああああああああああああああああああああああああああああ

 

ああああああああああああああああああああああああああああああ

 

ああああああああああああああああああああああああああああああ

 

ああああああああああああああああああああああああああああああ

 

ああああああああああああああああああああああああああああああ

 

ああああああああああああああああああああああああああああああ

 

ああああああああああああああああああああああああああああああ

 

ああああああああああああああああああああああああああああああ

 

ああああああああああああああああああああああああああああああ

 

ああああああああああああああああああああああああああああああ

 

ああああああああああああああああああああああああああああああ

 

あああああああああああああああああああああ──────────!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「かつて世界の悪の根絶を願った正義の魔術師が、いつの間にか志を忘れ自らこそが醜い悪と成っていた…………」

 

秘蹟によって捕縛し、時間魔術の補助を受けた霊媒治療によって魂を繕われた間桐臓硯。

そして朽ちて失っていた記憶、そしてかつて抱いた理想を取り戻した臓硯は。

 

「罪に汚れた魂で清い志を思い出したその絶望──────素晴らしい」

 

言峰綺礼に愉悦を与えるだけの存在となった。

 

 

 

......................................................

 

 

 

 

「桜の容態は?」

 

間桐臓硯を潰し、アインツベルンに報告を送った後、再び教会に戻ってきた嗣郎はすぐさま少女の状態を確認してきた。

 

「何年も間桐の特性の押し付けを受けているとはいえ、まだ染まりきってはいない。流石は凛の妹だな、未だに生来の魔術特性が生きている」

 

並の子供なら、とっくに後戻りのできない身体になっているはずだ。

だがその答えに嗣郎は不快げに怒る。

 

「魔術特性の話じゃねえ。心の話だ」

 

何年も怪物に弄ばれ、蟲に犯され続けた少女。

 

「ほぼ壊れているな」

「──────っ」

「落ち着け。ほぼ壊れているが、まだ回復の余地はある。そうだな……日常生活と霊媒治療を併せて、2年といったところか」

「……2年あれば、ちゃんと話せるようになるのか?」

「いや、1年あれば普通の会話はできるだろう」

 

綺礼の言葉に、「は?」と嗣郎は混乱する。

 

「…………2年あれば?」

「蟲の記憶がほとんど気にならない程度に回復させられる。心療治療は私の得手だからな」

 

嗣郎はしばらく呆然として、

 

「…………お前、ちゃんと治そうとすればちゃんと治せるのかよ」

「…………どういう意味かね?」

「いや…………ありがとな言峰。正直さっきまで『俺こんな不愉快な奴に良い思いさせて良かったのか』って思ってたけど役に立つから良かったことにするわ」

「礼は受け取ろう。何、確かに良いものを見せてもらったからな、可能な限りの尽力はするさ」

「やっぱ対価出して『俺の嫌がることするな』って言っとかなきゃ桜か俺になんかしたよなお前」

「何のことかね?」

「したよな」

「まあ、おそらくはな」

 

嗣郎は寝台で眠る少女の髪を撫でている。

綺礼はつい先ほど手に入れた希少な虫の呻き声を愛でながら、ふと思い出したことを聞いた。

 

「そういえば、残りの『質問』は聞かせてもらえるのかね」

「あー、そうだな。万が一お前の気に触っても殺されはしないだろうし聞いとくか」

 

衛宮嗣郎は微妙に言いづらそうに言葉を続ける。

 

「お前確か結婚生活周辺は記憶障害だったんだよな」

「それも知っているのか? その通りだ」

 

妻の死による私の精神的な葛藤と錯乱のせいで、当時の記憶は穴だらけだ。むしろ覚えていることの方が少ないほどに。

それも妻への愛が明確になった今、恐らく思い出そうとすれば思いだせるとは思うが……

…………何か、大事なことが、よぎったような?

 

「で、お前が知ってるか、覚えてるかすらも知らないから聞くんだが」

 

確か、そう、私は、妻と、

 

「お前、奥さんとの間に──────────

 

 

 

 

 

 

 

......................................................

 

 

 

 

 

「何を呆けているの、この無駄飯喰らい」

 

昔のことを思い出していた綺礼の後ろから、辛辣な声がかかる。

まだ幼さの残る少女の声だ。

 

「……無駄飯喰らいとはお前に返る言葉だと思うがね?」

「あら、晩御飯はいらないのかしら? いいのよ? レトルトや惣菜や出前にしてもらっても」

「……む」

「私は無駄飯喰らいかしら?」

「…………なるほど、撤回しよう」

 

ウェーブのかかった銀髪をかきあげて妖艶に(わら)う少女に、綺礼は反撃の言葉を模索する。

 

8年前、思い出した拍子に虫を握り潰したことも気にせず、即座に聖堂教会に問い合わせ聞き出した教会に全速力で迎えにいった娘。

それまでの対価の余剰分も合わせ、『衛宮嗣郎及びその周囲の知見の範囲で本気で趣味に走ってはならない』という対価こそ約束させられたが、それだけの価値はあった。………はずだ。

しかし当時はあんなに無力だったというのに、という情けない父の感傷がよぎる。

『お前に任せるのも怖い』と言う嗣郎の教育を受けて家事万能な強い女になった。最近嗣郎は『結局血は争えないのか……』と膝をついていたが。

 

「それよりも、わざわざ家族のために材料から買ってきてる娘に、何か言葉はないのかしら、お父様?」

 

「ああ、すまないな。いつも感謝しているとも、カレン」

 

 


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