完結するのは結構先になりそうです。
「うーん……」
枕元から聞き覚えのある音楽が鳴り響いて、私の意識は何処かからゆっくりと浮上した。
もう朝か。何とか自分が朝を迎えていることを理解すると、そのままゴロンと身体を半回転させてうつ伏せになる。昨日何時に寝ただろうか。そんなことすらあやふやだけれど、『あまり寝てないぞ』と身体は確実に脳に訴えてきている。
あー、眠い。そんな状態では重い瞼を開く気にもなれず、うつ伏せで毛布に包まったままで音の在りかを手探りで掴もうとする。
ここか、いやそこか。手先に全神経を集中させ、どうにかこの忌まわしい旋律を鳴り止まそうと腕を伸ばす。だけども、これがなかなか当たらない。一瞬でも手に触れれば掴みとれるのに、見えてないものを捜すというのはこうも難しいのか。なんてことを思う。
「あー、もう!!」
結論から言うと諦めた。寝起きな上、しかも視覚なしの状態で枕元の携帯を掴み取ろうとするのは流石に無理があったらしい。自分の出した声で若干痛む頭を数回ばかり横に振って、再び眠りに落ちないように何とか意識を保つ。よし、大丈夫。完全に目は覚めた。
そのままの勢いで敷布団から起き上がりカーテンを開けると、朝の陽射しが自然の音と一緒に流れ込んできた。心なしかこれが心地いいと感じられるあたり、完全に目は覚めているのだろう。
スマートフォンのボタンを押して真っ先に表示される時計を確認すると、そこには『07:00』なんて数列が並んでいて。
「……取り敢えず、着替えてから朝ごはん食べよ」
一瞬数字の『7』を『9』に空目して言葉が詰まりかけたが、それが見間違いであることをしった私は急ぐ時間でもないことにあまり立派とも言えない胸を撫で下ろした。やがて襖の上に掛けてあった制服を手に取り、今日の予定を思い描く。記憶が正しければ今日は木曜日で、授業は体育や数学系の科目がてんこ盛り。正直言って面倒臭い。
「はぁ、学校なんてなくなればいいのに」
鏡の前に立って、いつものように肩まで伸びた焦げ茶の髪を側頭部に沿ってサイドテールにする。
……それにしても今日はなんだか疲れが溜まったような、随分と酷い顔をしている。疲労が溜まる様なことをした覚えはないけれど、心なしか身体は怠い。あと二日経たなければ休日にならない事実が、今の私にとっては少しばかり重かった。
やや重い足取りで向かった朝の台所にはトントントン、ジュージューといった調理の音が響いていた。音と臭いからして味噌汁と、あと炒め物でも作っているところだろうか。何となく完成品を想像して口の中が潤う。まずい。朝だというのに随分とお腹が減ってきた。
なんて考えている間に、調理の方はもう仕上げへとかかっていたらしい。少しぐらい手伝わないと、と我に返って私は台所へと足を速めた。
こんな感じで朝ごはんが出来る直前に都合よく起きるのが私の毎朝。もうちょっと早めに起きれないかと提案されている辺り我ながら現金な体内時計だとは思うけど、運が良いと考えればこれも中々悪くはない。日頃の行いがいいのだと、そう思っておくほうが精神衛生上よろしいし。
ちなみに毎朝早くに起きては家事をして、我が宮水家の胃袋をがっしりと掴んでいるのは一番年上の姉でなく、私でもなく。かといって年長のおばあちゃんでもなくて――
「あ、蕾実ちゃんおはよ」
制服姿の私を見て微笑む妹の四葉。小学生で宮水家最年少の彼女が、我が家の調理担当だ。
「おはよ四葉。今日も早いねー」
「もう癖みたいなものだから。というか蕾実ちゃん……はそんなにやけど、お姉ちゃんが遅すぎるんやよ」
「あはは、多分今も部屋でぐっすりだろうしね」
毎朝あまり早くには起きてこない姉への不満を漏らす四葉を見て、最近の我が家の寝起き事情を振り返る。
四葉と今年で82になったお祖母ちゃんは相変わらずの寝起きの良さで六時半には必ず起きている。今は姿が見えないけれど、おそらく部屋で何かやっているのだろう。私は今までと何ら変わらず、朝ごはんの出来る直前に都合よく起きている。
問題は長女だ。一、二年前までは四葉には及ばないもののそこそこ早起きだったとは思うし、朝ごはんの用意も普通にしていた筈だ。それが段々と分刻みで遅くなり始め、とうとう近頃は四葉が起こしに行くようになってきている。
姉の身に色々と悩みや面倒事が重なっているのは私も知っていることで、そう考えると最近の寝起きの悪さはやっぱり疲れやストレスからだろうか。事情が事情なので、私からは強く言えないのだけれど。
ふと、脳裏に我が家の長女が布団で蓑虫になっている姿が浮かんだ。うん、全然違和感がない。寧ろ今起こしに行ったらこの状況なんじゃないだろうか、とまで思うほどだ。毎日とまではいかないけど、これを起こすのも骨が折れそうだ。同年代の子に比べたら数倍は我慢強いだろう四葉がブーたれるのにも頷ける。
「それで、朝ごはん何か手伝うことある?」
「おかずはもう出来てるし、ご飯も味噌汁もよそうだけだから大丈夫やよ」
「うーん……じゃあ私は三葉ちゃんを起こしにでも行こうかなー」
やることも無いし。そうと決まれば善は急げだ。取り敢えず声をかけて起きなければ揺り動かして、それでも起きなければのしかかることにしよう。じゃあちょっと行ってくるね、と四葉に声をかけて台所から視線を外したちょうどその時だった。
「おはよー……」
「……三葉ちゃん大丈夫?」
噂をすればなんとやら。重い足取りの後で居間の入口で気怠そうに立っているのは、たった今話題に上がっていた姉の三葉だった。既に制服を身に纏って髪などの身だしなみもちゃんと整えてはいるようだけど、表情と雰囲気から察するに相当に眠たそうだ。肩と目尻は下がって、心なしかこちらを見る視線も虚ろげ。なんだか睡眠不足より前に何かの病気なのではないかと勘ぐってしまう。
「あー……うん、大丈夫。本当に眠いだけ」
そういって三葉ちゃんはあはは、と眠そうにしながらも少し顔を綻ばせて笑う。
「お姉ちゃん、友達の家に夜遅くまで行ってたでしょ。自業自得やよ」
「え、そうだっけ?」
コトン、とご飯茶碗やらが載ったお盆を置いた四葉の言葉に、私は首を傾げた。
三葉ちゃんは昨日は学校以外何処へも行っていなかった筈だ。仮に行くとしたらてっしー先輩……は無いから、サヤちん先輩のところだろう。
でも、だって昨日は一緒に帰ったし、普通に家で晩御飯を食べていた。ましてや私たちが住んでるこの宮水神社はかなりの高台にある。
私でさえ友達の家に遊びに行く、って言ってもかなり苦労はするし。
「え、本当に三葉ちゃん友達の家行ったの?」
「なんやの、そのまるで私に友達がいないみたいな言い方。サヤちんの家行ってたんよ、勉強会も兼ねて」
あ、やっぱりサヤちん先輩の家に行ってたんだ。私の推理力も捨てたもんじゃ―――じゃなくて。この分だと、本当に三葉ちゃんは夜遅くに帰ってきたみたいだ。私にその記憶は無いけれど。
「嘘……じゃなさそうだし。私の記憶力の方がおかしいのかなー……」
「やっぱり覚えてないか、昨日の蕾実ちゃんおかしかったもんね」
「それ、どういう意味?」
なんだか、聞き捨てならないことが四葉の口から発されたような。
「私が変ってどういうことよ」
「そのままの意味。昨日の蕾実ちゃん、何て言うか……」
「人が変わったみたいやったよ、昨日の蕾実」
「そうそれ!………もしかして全然覚えてないの?」
言われて、私は頬に手をあてて考え込んだ。
といっても、これ以上私の頭から期待に沿えるようなものが出てくるわけも無い。なんせ覚えてないのだから。
「うーん…じゃあ蕾実、昨日の朝に髪を括らずに起きてきたのは?」
「覚えてない」
「何でか知らないけど四葉には狼狽えて、私とお祖母ちゃんに対しては敬語だったのは?」
「覚えてない……ってそれホントのこと?」
「本当だよ。それじゃあ、昨日一日人が変わったように外を駆け回ってたのは?」
「覚えて――――って何それ!?本当に私そんなことしてたの?!」
うん、と三葉ちゃんと四葉が同時に頷く。
「う~……」
三葉ちゃんの質問に全敗した私は頭を抱えた。
本気で頭が痛くなりそうだ。というより現在進行形で痛いけれど。
このままじゃ頭痛は悪化の一途を辿りそうなので、私は発想を変えることにした。
つまりだ。昨日一日の記憶が私には無くて、それなのに私――の皮を被った私2号は元気にお外で駆け回っていた。しかも、律儀に学校まで行ったりして。ということは今日は一日ずれて、
「じゃあ、今日は金曜日?」
「そうやよ、曜日感覚までおかしくならんようにな」
すっかり復活していつの間にか朝ごはんの準備を手伝っていた三葉ちゃんの首肯に、私は内心でガッツポーズをした。
金曜日の時間割は美術だったり文学だとかの授業が多い。体育が非常に苦手なインドア系女子からしてみれば、一つ授業が潰れてくれることはやっぱり嬉しかった。
まぁ実際のところは覚えていないだけで、しっかり授業は受けたんだろうけど。やっぱり、何で昨日の記憶がサッパリ抜け落ちているのかっていうことには疑問が残る。
「それより、蕾実」
「ん?どうしたの三葉ちゃん」
炊飯器からご飯をよそっていた手をはたと止めて、三葉ちゃんがこっちを向く。
「後でちゃんと友達とかに昨日の弁解とか、しといたほうがいいよ」
「……何でいうんよ、考えんようにしてたのに」
「うーん、老婆心?」
「絶対嘘!からかい一色でしょ!!」
ああ、もう最悪だ。折角、前向きなことを考えて忘れようとしてたのに。
昨日の私が何をしたか知らないけど、身内にすら変に思われてるんだったらクラスメイトからだってそう思われてるだろう。
尚も笑う三葉ちゃんに「同じ目に遭ってしまえ」、なんて呪詛をかけながら私は思う。
"早く、ここから出たいなあ。"
別に、これは今思いついたことじゃない。
青く広がる空に、緑に包まれた大地。
一歩歩けば何らかの生物に出くわして、周りの人はみんな私を見ると声をかけてくれる。
リタイア寸前の人とか、都会の暮らしに疲れた人からしてみればなんて豊かな場所なんだろう。そう思うかもしれないけど、実際は本当に何もないところだ。生活に必要最低限のものはあるけど、何をするにも遠くにある地方都市に行かなくちゃいけない。
兎に角、不便。何より娯楽が無い。本を買いに行くのですらかなりの重労働だ。
もう高校一年生だって言うのに、未来の一つも見えてこない。願うことならいっそ―――
「どっかの都会の家にでも生まれたかったなー……」
今だ三葉ちゃんや四葉がドタドタと朝ごはんを準備する音の中、お祖母ちゃんがやってきて何やら言ってからテレビをつける。
それから私も手伝いを始めて、五分後にはみんなが食卓について朝ごはんを食べ始める。
そんないつもの日常の音に、何回目かの私の願いは掻き消されていった。