ある夜更けの事だった。血揆会会館の入口の扉が忙しない調子で叩かれた。ロビーにいたブレイクは、既に施錠してあった会館の入口に近づくと、来訪者のために覗き窓を開放した。
「僕だってのはわかってるんだろう。面倒な事してないで早く入れておくれよ。」
そこにあったのは一人のバードの、嫌に陰の濃い渋面だった。
「アクセル、こんな時間にどうしたんだ。流天会追い出されたのか?」
ブレイクは軽口を投げかけながら、入口の扉を開く。
「いーや。彼らは最近喧嘩ばっかりでね、ろくに練習もさせてくれないもんだから、こっちから出て来てしまったんだよ。というわけでまた厄介になるよ。アマンダによろしく。」
アクセルはつかつかとロビーに進み入ると、並べられた椅子の一つにどかっと腰を下ろした。
「はぁ落ち着く。ギルドという物はこうでなくてはね。」
上階からは相変わらずの言い合いを交わすソナタとロンドの声が聞こえて来るが、アクセルはそちらは気にならない様子で、ハープを取り出してチューニングを開始する。
「あいつらの喧嘩はいいのか?」
あまりの落ち着きぶりを不思議に感じたブレイクが問いかける。アクセルは
「彼らは2人で勝手にやってるだけだからね。鳥の囀りみたいな物さ。」
と、2本の弦を共鳴させながら平気な顔を見せる。
「流天会の連中は違うのか?」
「ああ、僕が部屋で練習してるだろ。そうすると決まって喧嘩がおっ始まって、すると幹部が飛んで来てこうさ。『アクセル、今大変な所だから、音の出る物はちょっと……。』」
アクセルはオペラの一節を模して流天会幹部の言葉を再現する。内容に芸術性は全く無いにもかかわらず、無駄に美しいレチタティーヴォ。ブレイクは一つ鼻をすすって、なぜか零れかけた涙を引き戻した。
「喧嘩の内容だって酷い物さ。要は、一人の男にどちらの女が相応しいか、それだけなんだけど。」
それ以上の内容は聞くまでも無い。愛は人を美しくするが、恋は人をどこまでも貶める。
「へー、で、その幸せな野郎は一体誰なんだ?」
退屈しのぎにブレイクは詮索を開始する。
「マインゴーシュ知ってるかい?」
その名前には聞き覚えがあった。流天会の若いガーディアンで、目立った戦績はまだ無く行動を共にした事も無いが、バリスタが「あいつは腰抜けだ」と言っていたのだけは覚えていた。尤もバリスタにかかると大概の者は腰抜けか軟弱者なので、ブレイクが覚えていたのは奇跡に近い。
「ジャイアントか。盾職は目立つからモテるのかね。」
ブレイクの言葉には若干の哀愁が込められていた。いくら与えるダメージで他の味方を凌駕しようと、ボスモンスターの注意を引くという点ではガーディアンのタウントスキルには敵わない。
「ブレイクだってガデいない時には壁役だろう? モテてた覚えは無いけれど。」
「うるっさいなー。俺だってハゲる前はな……」
「はいはい。少なくとも美人がいればアプローチはしてたよね。」
「アクセル、そこまで! 武士の情けで!」
寿命の長いエルフにとっては、ヒューマンの一生など夢のように短い間の出来事でしかない。ブレイクが新人アサシンとして血揆会に入った時から既にこのアクセルという風バードは一流の戦士であり、ブレイクの後頭部が薄くなってきた今に至るまで、アクセルはブレイクの行動を見守っているのだった。アクセルが上機嫌で歌い始める。ブレイクは、それまでの血揆会会館がまるで不完全な物であり、今初めてその完璧な姿を取り戻したような感覚を覚えた。
「ブレイク、僕の部屋まだあるかい。あるなら鍵貸しておくれよ。もう寝るから。」
一頻り歌って気の済んだアクセルが唐突に言う。エルフの中でもバードはとりわけマイペースだった。
「ほい。俺もいい加減寝るぜ。また明日な。」
ブレイクは鍵束からアクセルの使う部屋の鍵を取り、それを手渡す。そして入口をもう一度施錠して、自身の部屋へと階段を上って行った。
翌日、流天会は新たな会員を迎えて賑わっていた。新しく加わったのは怪物討伐の任務で会員達と懇意になった、新人ウォーリアーのステファニー・テイラーである。ステファニーはすぐにギルド中と打ち解け、彼女を中心に会館ロビーでは会話の花が咲いた。しばらくするとステファニーは会館1階の大部屋に案内され、同室となる数人とさらに会話を重ねた。
「なるほど、セシルとマインゴーシュは付き合ってるのね。で、そこにヘレンがちょっかい出してる、と。」
「違う違う。マインゴーシュがヘレンにいい顔するから、ヘレンがその気になっちゃっただけだよ。」
「えー、セシルと付き合う前はマインゴーシュはヘレンに気があったって話だよ。」
説は様々だが、その3人が三角関係になっているのはよくわかる。と、ロビーの方から女の怒号が聞こえて来た。泣き声もする。
「うわ、また始まった。」
「びっくりしたでしょ。最近セシルとヘレンは会うたびにああなの。」
「触らぬ神に祟り無し。寝ちゃお寝ちゃお。」
大部屋の住人達は揃ってベッドに潜り込み、ベッドカーテンを引いた。ステファニーもそれに倣う。
と、見せかけて、ステファニーは窓の外にいた。隣の血揆会会館との間の塀を音も無く飛び越え、彼女は付け睫毛をはずす。ブレイクである。
「今日で大体の事はわかったぜ。ダメだなこれ。マインゴーシュがはっきりしねえから、いつまで経っても解決しそうにねえや。」
「そんな事もう知ってるよ。なんで僕に言うんだい。彼らの喧嘩とはもう関わりたくないんだよ。」
アクセルの部屋だった。アクセルは作曲を続けながら、突如音も無く姿を現したブレイクに軽い憤りをぶつける。
「隣ん家の火事がいつうちに飛び火するとも知れんだろ。ここは一つ、俺の力で解決しちまいたいわけよ。」
「人間って本当、お節介だねぇ。放っとけばいいのに。」
「お前さんも流天会が平和になったら、あっち行くのも気楽になるだろ?」
アクセルにはブレイクの行動原理がよくわからない。
「それはそうだけど、君に何か利はあるの?」
「ん、特に考えてなかった。まぁ、喧嘩は無い方が気分いいからな。」
「……やっぱりわからない。」
アクセルは美しい顔に陰を作って大袈裟にかぶりを振る。
「いいんだ。じゃあ、俺はやる事があるから。」
そう言ってブレイクは姿を消した。
「うん、頑張って。あと僕に報告はいらないからね。」
いるともいないとも知れないブレイクに向かって、アクセルは歌うように言葉を投げかけた。
その翌日、ブレイクは会館の屋上に、流天会会員のアサシンを1人呼び出していた。彼の名はクランド。割合新人の、ライカンアサシンである。
「以上が計画なんだが、お前さんきちっと動けるかい?」
既に協力体制の確約は取り付けられており、ブレイクはクランドにその実行能力を問う。
「難しい事は無いっすよ。ブレイクさん、俺もうこう見えて一人前のアサシンっす。」
一人前を自称する者が実際にそうであった
「これだけでいいんすか?」
「ああ。君のギルド内での信用のためにも、危ない橋を渡る必要は無い。」
ブレイクはもう一度クランドと計画内容を確かめ合うと、詳細を書き記したメモを握り潰して飲み込んだ。
会館からそれほど遠くない礼拝堂の懺悔室には、1人のプリーストが退屈そうに覗き窓の外を眺めていた。彼は何かに気付いて屈み込み、また姿勢を戻した。そこへ1人のライカンが訪れる。それはジャロン・ブラッディウィンド。流天会の比較的新しい会員で、クラスは
「神様、俺の思いは罪なのか?」
形式的な言葉のやり取りをぎこちなく済ませ、その後しばらく沈黙した彼は、ぼそりと話し始めた。ギルド内で起こっている紛争の事、そしてセシルに対する自身の想い。
「こんな大騒ぎの最中だってのに、セシルを思うと心が弾むんだ。セシルは、先輩の恋人なのに。」
プリーストは静かに答える。
「想う事は罪ではありません。あなたはあなたの最善を尽くせば良いのです。」
「最善って何なんだ……。」
ジャロンの顔が苦悩に歪む。
「その時その時、あなたの役割を確実にこなしなさい。道はいずれ開けるでしょう。」
プリーストの言葉は司祭にしては具体的で、人の助言としては漠然としていて、まるで街角の占い師のようである。しかしジャロンは、司祭という物を見慣れていないためその不自然さに気付かない。ジャロンは礼を言ってその場を去る。懺悔室に残されたプリーストは、天井に向けて親指を突き立てる。
「意外な所にいい駒があったな。」
すると天井から囁き声が響いた。
「ジャロンは故郷から一緒に出て来た大親友っす。あいつのためにも、作戦は成功させないと。」
天井から毛玉が降って来た。毛玉は1人のライカンアサシン、クランドの姿になって、狭い懺悔室の隅に立つ。プリーストは司祭服を脱ぐと懺悔室を出て、階段下の物入れから、眠りこけている1人の男を取り出した。そして男に司祭服を着せて懺悔室に置き付けると、礼拝堂の天井の梁に向かって飛び上がった。クランドもそれに続く。2つの影は揃って秘かに礼拝堂を後にした。
「遺跡護衛者掃討任務、行く人ー?」
クランドの明るい声が流天会会館のロビーに響いた。すぐに3名の新人が手を上げた。新人の1人がステファニーも誘うが、ステファニーはトイレに飛び込んで
「わたしお腹痛い! 今日はいいから、みんなで行ってきちゃって!」
と切実な声を張り上げた。
「プリと盾引き続き募集ー! セシル、ジャロン、頼むよぉ。」
クランドは適当を装って2人に声をかける。
「盾ならマインゴーシュがいるんじゃないの?」
セシルは少々不安そうに彼氏の名を出す。クランドはマインゴーシュの部屋を覗き込み、しっかり寝入っている事を確認すると
「ダメだ、寝ちゃってる。起こすの悪いし、いる人で行こうよ。」
と、内心ガッツポーズをしながら言った。ジャイアントは石でできているので薬は効かないのだが、マナフロウを少しいじってやると即座に眠りに就いてしまうのだった。
「しょうがないなぁ。ちゃんと動けるんでしょうね?」
「大丈夫。遺跡なら慣れてるし。」
そうして6人は先祖の墓に向けて出立した。トイレから出て来たステファニーは、ヘレンの部屋へと向かう。ヘレンは席をはずしており、いつも食べている菓子が食べかけで残されていた。次いでマインゴーシュの部屋に向かう。クランドが用いたトラップのせいでぐっすり寝入っている彼を、マナフロウ変換器を用いて起こす。
「あれ、俺寝てた?」
マインゴーシュは未だとろんとした表情を見せている。ステファニーはマインゴーシュの耳元へ
「セシル、出かけたよ。」
とだけ囁く。マインゴーシュはどうやらようやくはっきりと目を覚ましたようで、
「マジ? ありがと!」
と勢い良く体を起こした。そして浮かれたようにヘレンの部屋へと向かう。
「よーし、こっちはオッケー。後は任せたぞ、クランド。」
ステファニーは通信珠に囁きかけた。
先祖の墓遺跡では、ジャロンとクランドとセシルが地面に座り込んでのんびりと茶を飲んでいた。すぐ向こうに最終ボスの石の巨人が見える。新人達は、クランドの誘いに乗って巨人の居所の手前の小川を飛び越そうと試み、3人とも失敗して小川に落下していた。川とボスの居場所との間にはかなりの落差があるため、そのまま登って来る事はできず、3人は先刻骨の怪物と戦った坂道まで泳いで戻らねばならなかった。
「クランドがバカな事言うせいよ。」
セシルが眉根を寄せてクランドを責める。当のクランドは小川を飛び越したように見せかけて、ロープを使ってそれを渡っていた。
「毎度単純にボス処理するだけじゃつまらないかと思ってさ。ゴメンゴメン。」
「まったくもう。」
セシルとジャロンはその小川が飛び越すには少々幅があり過ぎる事を既に知っており、クランドの誘いには乗らず、崖と崖の間に木を渡してそこを渡っていた。クランドはセシルの機嫌を取るようにその器に茶を注ぐ。緊張で喋れないジャロンにも、半ば強引に茶を勧める。ジャロンは間を持たすためかそれを一気に呷った。ジャロンの赤らんだ顔がより一層赤くなったように見えた頃、新人3人は今度は慎重に渡してあった木を渡ってクランド達と合流を果たした。
「よし、休憩終わり! 最終ボス頑張ろう!」
クランドが立ち上がって号令をかける。ジャロンはぎこちなく鎌を構え、セシルはエンジェルソングを詠唱する。
「い、行きます!」
ジャロンは勢い良く石の巨人に向かって駆け出す。クランドとセシルと新人達もそれに続く。巨人はジャロンに向けて攻撃を繰り出す。セシルのセイントシールドでそのダメージは大幅に軽減され、ジャロンは鎌に魔力を込めて次から次へと攻撃を繰り出す。巨人が咆哮を上げる。足元に毒の沼が発生し、クランドと新人達は沼を避けて巨人から遠ざかる。ジャロンは別の方向に沼を避けた。
「ジャロン、もっと近くに来て! 回復が届かない!」
慌てるセシルの足元にも毒沼が発生した。セシルは逃げる方向を見失い、その体力が毒によって削られ始めた。と、ジャロンが半獣人に姿を変えた。彼は毒沼を突っ切ってセシルに突進する。そしてその体を抱えて、毒沼の反対側へと走り抜けた。石の巨人がジャロンを追って毒沼を渡って来る。どうやら沼の毒は、それを発生させている巨人には効果を発揮しないらしい。
「うおおおおお!」
ジャロンはセシルを安全な地面に下ろすと一声叫び声を上げて、再び巨人への攻撃を開始した。クランドと新人達も力を振り絞る。次の毒沼が発生する前に、石の巨人はその場に崩れ落ちた。
「ジャロン、ナイス!」
クランドが声をかける。皆の注目がジャロンに向く。未だ肩で息をしているジャロンは、いつに間にか通常の姿に戻っていた。そして彼に注目するチームメイトと順に目を合わせてゆく。ジャロンとセシルの視線がぶつかり、ジャロンは動きを止めた。セシルもジャロンを見つめたまま動かない。
「セシルさん……。」
ジャロンの顔が再び赤らむ。
「ジャロン、あなたって強いのね……。」
互いの鼓動が聞こえんばかりである。
「せ、セシルさん! ……好きです!!」
ジャロンが吠えた。セシルは一瞬の間の後で軽くジャロンに向かって走り、目を潤ませてジャロンの手を取った。
「やったあああああ!」
クランドと新人達が歓声を上げる。ジャロンはセシルを抱きかかえ、そのまま流天会会館への帰途に就いた。
流天会会館と血揆会会館の隣り合う屋上に、男達は立っていた。クランド、ブレイク、そしてアクセル。3人は揃って、セシルとマインゴーシュに仕掛けた盗聴器からの音声に聞き入っていた。黄昏時の赤い光の中、甘い囁きが交錯する。
「クランドの薬がよく効いたな。まさかのセシルも、あのときめきが薬のせいだなんて思わないだろ。」
「ブレイクさんの方もばっちりっしたね! ジャイアントの心理操作なんて、一体どうやったんすか?」
「血揆会にはヴァネッサっつう偉大なる機械オタクがいるからな。彼女の技術をちょいと拝借したのさ。」
アサシン2人が互いの仕事を褒め合う一方、アクセルは眉根に皺を寄せている。
「愛情は自然に育まれるからこそ美しくて尊いんだよ。それを薬や機械で操作するなんて、ナンセンスもいい所じゃないか。」
「まぁまぁ。俺らは4人の心の内にあった思いを、ちょいと後押ししたってだけだぜ。」
「何も無い所に恋を発生させられるとしたら、そりゃもう工作じゃなくて神の御業っすよ。」
神、というクランドの言葉に、ブレイクがぴくっと反応する。
「あーすません。信じてもないのに神様なんて、軽率っした。」
ライカンはヒューマンを信心深い存在であると思っているため、クランドはすぐに失言を取り消す。が、ブレイクは
「いや、いいんだよ……俺だってお空の上に誰かがいるなんて思っちゃいねえ。俺が信じるのはただ一つ、いつか、いつかはこの髪があああああ」
風が吹き抜け、ブレイクの髪がそよぐ。長い前髪をオールバックにしてそれとなく隠している後頭部の寂しさが露呈する。
「うあああああ」
ブレイクは頭を押さえて、いや抱えて、取り返しの付かない事でもしたかのように悲嘆に暮れる。
「いい音楽を聴くと毛根が活性化するとか、何かで聞いたよ……。」
アクセルがハープをつま弾く。それはそのまま即興音楽となり、いつしかアクセルは朗々と歌っていた。無論アクセルは、自身の歌でブレイクの髪がどうにかなるなどと思ってはいない。様々なヒューマンの一生を見送ってきたが、自然に薄くなった髪を再び取り戻した者は見た事が無い。だがブレイクは縋るような思いでアクセルの歌に耳を傾ける。ともすれば間奏のカデンツァの激しい音型が、本当に自身の髪に働きかけはしないかなどとまで思っていた。歌が終結を迎えるのが、ひどく惜しく感じられた。
「さて、方法はともかく2人のお陰で流天会も平和になったし、気が向いたらまた遊びに行こうかな。」
「大歓迎っす、アクセルさん!」
ばら色の空を眺めながら、アクセルはハープを奏で続けた。現れる星の一つ一つを表してゆくかのような音楽に、ブレイクはいつまでも聞き入っていた。