ヴァンパイアは血を飲む。それはアークやシグマにも例外なく言える事であり、とりわけシグマは戦闘中に相手の血を飲んで体力を回復する術をウィリアムから習う等、血を飲む事に執着する傾向があった。アークはシグマ程吸血に執着するわけではないが、己の血液を媒介に回復魔法を用いるのが常であり、また緊急時にはやはり吸血で体力を、それもシグマ達より効率よく回復する等、血の扱いに長けたヴァンパイアとなっていた。ある日シグマはアークの部屋に一本の瓶を持ち込んだ。
「《ローズデュー》買えたぞ。一緒に飲もうぜ!」
それはヴァンパイア達のために作られた、動物の血液や酒や香料を混ぜ合わせた血酒と呼ばれる飲料の一種であり、吸血欲求を満たすために重宝されている製品だった。シグマは時折低価格な血酒を買っては、こうしてアークの部屋に持って来るのだった。
「また粗悪品買いやがって。ネズミの血じゃねえのそれ。」
アークがうんざりした表情を見せる。
「
「出来に大差はねえよ。血なんかろくに入ってねえんだし。」
シグマは構わず勝手にアークの部屋のグラスを二つ取り出し、瓶の栓を抜いて中身を注ぐ。他種族の者達が嫌がる、きつい香料と微かな血の匂いが立ち上る。アークはその匂いに、ようやく食欲に似た感覚を覚えはじめる。
「乾杯しようぜ。」
「ああ。」
グラスを合わせた後、シグマは一杯目を勢いよく飲み干す。アークはうっすらと感じ取られる血の味を確かめるように少しずつ飲み進める。やがて瓶は空になり、アークは満足そうに唇を舐めた。
「うまかった。ありがとうな。」
「たまには混じりっ気なしの鮮血も飲みたいけど、飲んでいいのは怪物の血がいいとこだしなぁ。」
シグマの方は未だ少し不満げである。
「なら、こんなのはどうだ?」
アークはふと思い付いて手元の工具で自身の指に傷を付け、こぼれた血をシグマのグラスに落とす。そして魔力を言葉に込めて
「今鮮血の宴は開かれる……我が血、研ぎ澄ませ輩の刃。ゴアライト、エナジーブラッド!!」
と呟いた。するとグラスの中の血滴から鮮血が湧き上がり、グラスを満たし溢れ返った。
「おっと、やりすぎた。」
シグマは目の前の出来事に目を丸くする。
「増幅できるのは体内の血だけとは限らないと思ったのさ。うまく行ったろ。」
それは戦闘時にアークが用いる造血魔法の応用だった。
「飲んでも平気?」
「ああ。ただの血だ。100パーセント混じりっ気なしだぜ。」
シグマが恐る恐るグラスに手を伸ばす。溢れた血液でその指が濡れる。シグマは一端グラスから手を離して、指に付いた血を舐める。
「あ、うまい……!」
再びグラスを取り、中の血液を飲み下すシグマ。
「すげえ……こんな事できるなら、鮮血タレント取ればよかった。」
若干恍惚とした表情を浮かべてシグマは言う。
「造血と身体修復が専門の回復タレントだからお前には向かねえよ。吸血ならお前のダークタレントの方が上手だしな。」
各職の能力はそれぞれが大きく3種類に分かれており、それらは系統ごとにタレントと呼ばれている。ヴァンパイアのタレントにはアークの言った2種に加え、敵に渇きを与える
「こんなんで良けりゃいくらでも作るぜ。」
専門知識が役に立ったのが嬉しいアークは、再びシグマのグラスを血で満たす。
「やべえ、ハマる……。」
シグマが舌なめずりをする横で、こそっとアークはマナポーションを飲み下した。装備品を身に着けていない状態では、蓄積できるマナにも限界があるからだった。
「少し甘く感じる。鮮血タレントだと血の質も違うのかな。ところでアーク、お前は飲まないの?」
「自分の血なんか戦闘で飲み飽きてるよ。」
「じゃあ俺の増やしてみてよ。」
今度はシグマが指先を切り、アークのグラスに血を滴らせる。アークはそこに魔力を加え、グラスを適度な量の血で満たす。そしてグラスを手に取り、唇に当てて傾ける。
「普通の血だな。自分のと変わらん。うまい事はうまいがね。」
「え、全然味違うと思うぞ。貸してみ。」
シグマがアークのグラスを奪い、一口含んで味を確かめる。
「やっぱりお前のの方がうまい。」
「気のせいだろ。」
「違うって。」
「まぁ、気に入ったんなら次からも俺のでやってやるよ。」
アークは指先に残る血を利用して身体修復魔法ライフシードを発動し、二人の傷を塞ぐ。そしてグラスを取り返して中身を飲み干した。
「同族を噛むなって教えられたのはこれのせいか。」
「皆がこれを覚えたらアルカスが儲からなくなるしな。あいつは人間のくせに、ヴァンパイア社会にもやたら影響力を持っていやがる。」
「誰でも世話になるように仕向けて稼いでるんだな。悪い奴だ。」
「悪い奴と言えば、こんな話を聞いたぞ。」
アークが思い出して話題を変える。
「《恋の憂鬱》あるだろ、血酒の高級品。」
「ああ、いつも買いたいと思ってたけど買えたためしがねえや。」
アークの方は買って買えないわけではないのだが、中身は値段で変わらないと思っているため買った事はない。
「あれに使われる血は人間の血だという噂があるんだ。」
「人間なんて一番そういうの嫌いそうだけどな。」
確かにヒューマン達は、ヴァンパイアが戦闘中に自身や相手の血を飲むのを見てよく嫌そうな顔をする。自分が食われる予感が頭をよぎるのだと、ブレイクは言っていた。
「献血でもやってんの?」
首都でも非戦闘員はあまり回復魔法に頼らず医学を用いて身体修復を行うため、献血自体はそう特別な事ではない。体の脆いヒューマン達の中には、危機に備えるべく健康な時にはまめに献血に行く者すらある。だが集められる血液は医療機関が薬剤として厳密に管理し、私的な献血も認められてはいないため、酒場などにそれが分配される訳がなかった。
「いや違うんだ。使われているのは死んだはずの人間。例えば死刑囚。」
「最後に搾り取って再利用?」
「以前はそうしていたなんて説もあるんだが、死刑なんてそうそう回数出ないだろ。」
最近治安が悪くなったとは言うが、それでも死刑などここ2年で3回執行されたのみである。さらに対象がヒューマンだった物のみを数えると、その回数は大幅に減る。
「有力なのは"牧場"説だ。」
「まさか人間を飼って血を集めてるのか……?」
「ああ。囚人を死んだように見せかけて移送して、生きたまま恒常的に血を抜き取るんだと。」
確かにその手法であれば、長期的には大量の血液が手に入る。しかし囚人が払い下げられるなど、普通に考えればあり得ない事態である。それが本当なら、アルカスの社会への影響力は想像の何倍も大きい事になる。
「放牧派と純情派ってあるだろ、ヴァンパイアの派閥。やってるのは放牧派で、文字通り人間牧場を経営している。」
一般に放牧派は、社会を "牧場" に例え、ヴァンパイアにはそこから一定量の血液を得る権利があると主張する派閥とされる。放牧派を名乗るのはヴァンパイアに限らず、ヴァンパイアの吸血を容認する他種族の者も含まれる。ヴァンパイアの吸血をビジネスにしているアルカスなどがその例である。一方の純情派は、ヴァンパイアの吸血は単なる嗜好であり本来不要であると主張し、放牧派を攻撃する。純情派には少ないながらヴァンパイアがおり、彼ら自身の経験に基づいた吸血不要論は純情派の主張に確信を与えている。
「単に血を飲むか飲まないかの派閥だと思ってた。」
アークとシグマはその戦法から放牧派に数えられるが、己の主張としてそれを表に出す事は無く、両者の在り方についても割合無頓着だった。
「表向きはそれで通してるさ。でなきゃ他種族が黙っていない。」
放牧派の主張を厳密に突き詰めると、そこにはヴァンパイアとそれ以外の種族との間に搾取関係が成り立つという事になり、社会に広く流布する平等論と相容れない事になる。
「牧場なんてでも、どこに?」
あるのなら見てみたいと思うのがヴァンパイアの人情である。
「場所は絶対の秘密だが、咲き誇る薔薇の花園だとさ。楽園のような生活をさせて、逃げ出さないようにしているそうだ。」
噂話は常に、肝心な所には触れようとしない。シグマは少し不満げに言う。
「人間の大悪人がバラなんかに執着するのかね。」
「花粉に中毒性があるとか、別な意味の花もちゃんとあるとか、その辺はもう憶測だらけだが。」
「うまく行っちゃってるってわけか。」
「話によればな。」
「今度アルカスに突っ込んでみようかなそれ。」
「また豚だって言われて終わりだろ。」
「何を信じるかは結局お好み次第って事か。」
「そういう事だ。」
《ローズデュー》の血液はネズミか豚か。《恋の憂鬱》の血液は豚か人間か。ヴァンパイア達は不確かな事実を都合よく解釈し、それを信じるのみである。
「とりあえずこれだけは言える。俺達はもうアルカスの怪しい仕事の世話にはならない。」
アークは少し得意げに言う。
「
シグマも嬉しそうである。アークは換気のために窓を開き、何気なく通りを見下ろす。ウィリアムが帰って来た所だった。手には品のない装飾を加えられた瓶が一本。《恋の憂鬱》だった。アークは一人微かに笑い、自分の椅子に戻って行った。