「…う、あ…」
波が静かだ。
何故木があるのだろう。
この世界線で三度目の目覚め――レイの思考はこの上なく朦朧としていた。
「…ん…」
時間と共に意識がはっきりしてくるにつれて、レイは自分が浜辺に打ち上げられていることを少しずつ認識していった。明石の話が確かなら、転生初日もこんな感じだったのだろう。唯少し、自分が起きるのが遅いか早いかの違いだ。
「……」
上体を起こし、顔に付いた砂を払いながら、記憶を辿る。深海棲艦に奪われたRAYを追って沈没するアーセナルから飛び出し、荒れ狂う嵐を水中深く潜ってやり過ごしながら追跡し続け――そこからの記憶は曖昧だった。
「…行かなきゃ」
何にせよ、まだ撃破できていない可能性の方が高い。悪辣な深海棲艦に鹵獲されたRAYを野放しにはできない。何としても、確実に破壊せねばならない。そしてその戦いに艦娘を巻き込む訳にはいかない。
「沈むのは…私一人で十分だ」
JTIDSを起動し、GPSでここがどこなのかを確認しようとしたレイだったが、
ぐう。
「……」
まず最初にすべきことは、
グラーフ・ツェッペリンが深海棲艦に捕らえられたこと自体は、本当に唯の偶然だった。日時にして七月四日、パラオ泊地の担当海域を哨戒する途中、あちこちに散らばる哨戒部隊の艦娘の中から
彼女の艦載機の一機に宿った
小さな島故河川や湖沼から真水を得ることもできず、島を覆う森の中央部でグラーフは横たわっていた。少しでも状況がよくならないものかと、木陰でじっと動かずにいるうちに意識を失っていたのだが、
「…む?」
「…あ、気が付きましたか?」
次に目を覚ますのはあの世だろうと踏んでいた彼女の予想は外れた。視線だけ声の方向に遣ると、セミドライスーツを着た常盤色の髪の少女が、真っ二つになったココヤシの実を両手で持ち、白い固形胚乳にむしゃぶりついているところだった。少女は口の端を左の手の甲で拭うと、右手でグラーフの身体を少し持ち上げ、その背後で斜めに伸びるココヤシの幹に寄りかからせる。
「熱中症みたいだったので、一応ココナッツジュースの経口摂取とか、応急処置をしたんですが…」
ココナッツジュース――
「…失念していた。私としたことが…」
「失念?」
「いや、気にしなくていい。こちらの話だ」
暑さに判断力も奪われていたらしい。熱帯の真水は多くの場合危険だ。下手に摂取したり浸かるだけでも、寄生虫や水生生物を媒介とする風土病にかかる恐れがある。ココヤシの液状胚乳はそれだけに重宝されるのである。
「貴女は艦娘、ですよね?」
「…ああ。グラーフ・ツェッペリン級航空母艦一番艦グラーフ・ツェッペリン。パラオ泊地の所属だ。…貴女が、私を助けてくれたのか?」
「あっ、はい! 申し遅れました。レイです。先日FWBに参加しました」
グラーフはそのままの姿勢で、レイと名乗る少女を観察した。
艦娘の中には、染めていたりカツラをしていたりする訳でもなく、常人にはありえない色の髪を持つ者がごまんといる。青々とした松葉のようなレイの髪は、かつて何度か作戦を共にし、今はトラック泊地に配属されている翔鶴型航空母艦二番艦瑞鶴のそれにそっくりだ。贋物には絶対に出すことのできない生気を振り撒くその髪からして、艦娘かと思いもしたが、しかしレイなどという艦はこれまで調べたどの資料にもなかった。
セミドライスーツの左肩には「
そしてレイの装備した艤装、のようなもの。主砲もなければ対空機銃もなく、飛行甲板もクレーンもない。あるのは潜水艦のような流線型の装甲、足や膝関節を覆う軟質な樹脂のような‘何か’、そして時折彼女の背後で揺れ動く鋼鉄の‘尾’。一見すると実用性に欠けるように見える艦娘の艤装には似つかわしくない、実戦への徹底的な適応がグラーフには感じられた。
いよいよもって、彼女の正体はわからなくなってきた。
尤も、グラーフが深海棲艦の虜になったのはレイがFWBに参加する直前だったので、理解できないのも無理はないのだが。
「……」
「…あの、私の顔に何か…?」
「…え、ああいや、済まない、何でもないんだ」
それよりも先に、言うべきことがあった。グラーフは身体の許す限りレイに向き直り、
「ありがとう、レイ。貴女は命の恩人だ」
…尚、数秒後のグラーフの脳内に「これが日本の駄洒落というものか」という思考が過り、慌てて消し去ったことをここに記しておく。
レイの失踪から二日が経とうとしている。
「……」
寮舎の廊下を行く翔鶴の気分は沈んでいた。“沈む”などと艦娘には縁起が悪いが、とにかく沈んでいた。
あの演習に旗艦として参加した長門は、「あれ程の強さを持った人が簡単にやられはしない」と全面的にレイを信頼し、そのお陰で鎮守府全体の空気はそれ程悪くならずに済んではいるが、それでもレイと“親睦を深めた”駆逐艦や潜水艦はひたすらにレイの身を案じていた。
翔鶴も、天龍からの報告は聞いていた。レイの生きた世界に存在した兵器メタルギアが、何故かこの世界に現れ、深海棲艦の傘下にあったこと。電と曙が、深海棲艦の巣窟と化した巨大メタルギア『アーセナルギア』の内部に連れ去られ、残る五人で二人を救出したこと。そこにあった格納庫で、レイの雛形である『メタルギアRAY』を発見したが、それにレイが触れてから彼女の様子がおかしくなったこと。奥へと進んだ先で深海棲艦の駆るメタルギアRAYと遭遇・交戦するも、その最中に起こったトラブルでアーセナルギアが沈み始め、逃げ出したメタルギアRAYを追ってレイが艦隊を離れ、それ以降行方知れずであること。
――島風の言っていたことが本当だとしたら…。
翔鶴の不振は、宴会で自己紹介をした程度しかレイと関われなかったことも遠因ではあるが、天龍の報告の後に聞いた島風の言葉によるものだった。
曰く、「レイは隠し事をしている」と。
その隠し事とやらの詳細についてはわからないが、少なくとも後ろめたさ故に隠していたのではないこと、それがレイとメタルギアRAYとの関係に密接に関わっているであろうことを、昨夜遅く、島風は教えてくれた。そしてもう一つ、もっと重要なことが。
“これは憶測でしかないけど…メタルギア自体より、
巻き込みたくないという思いやりか、己の領分であるという矜持か、或いはもっと別の何かか。様々な‘可能性’が、翔鶴の頭脳を飛び交う。コンピューター上でデジタル的に再現された仮想空間での訓練――『VR訓練』なるものを受けてきたレイならば、どんな理由があろうとも、自分達よりも対メタルギア戦に精通していることは確かだ。
つまり翔鶴は、この問題に迂闊に首を突っ込めないことで悩んでいたのだ。彼女はこれから仲良くなっていく筈のレイという少女に、言外に突っ撥ねられたような気がしていた。それが、何より寂しい。
「…あら?」
そんな折、彼女は妹の瑞鶴を見つけた。背丈と髪の長さ以外では外見上レイと似ているところが多いので、昨日の朝などは――寝起きだったこともあって――レイが帰ってきたのだと勘違いし、酷く臍を曲げられたものである。瑞鶴は翔鶴と二人で使っている部屋のドアの向かい、小さな窓の枠に頬杖を突きながら、じっと夜空を見上げていた。
妙なのはそこからだ。午後十二時の消灯にはまだ三時間あり、見つめる先に何がある訳でもないのに、彼女は無言のまま
一応、声をかけてみることにした。
「瑞鶴――」
「ぴゃあーっ?!」
すると瑞鶴は珍妙なポーズと叫び声と共に横っ飛びに飛び退き、盛大に尻餅を搗いた。――拙かったのだろうか。こんな風に声をかけても普段の瑞鶴なら快く応答してくれるので、翔鶴としてはいつもの通りだったのだが、何か今回は勝手が違うらしい。
「しょしょ、翔鶴姉ぇ?」
「…どうしたの?」
「え?! あ、えーっと、その、…空をね、見てたのよ!」
「睨めっこみたいだったけど…」
「いや、その…む、無線よ!! と、友達とね、流星バースト通信を、ね!?」
「そうなの? 邪魔したならごめんなさいね」
「い、いいのよ! 大丈夫だから…ははは…」
艦娘の無線は、‘設定’を変えて周波数を合わせさえすれば通常の無線機でも受信できる。大方FWB外で作った友人とでも話していたのだろう。翔鶴は妹のプライベートには首を突っ込まないでおくことにした。…彼女もまた、気を紛らわすのに必死だろうから。
瑞鶴の見ていた夜空を翔鶴も見て、ふとあることを思い出した。
「…そういえば、今日は七月七日だったわね」
七月七日、日本では五節句の一つ七夕の祭りが行なわれる日だ。生憎チューク諸島では笹は手に入らないし、日本人のスタッフも多いとはいえないので、この鎮守府では横須賀や大湊程大々的にイベントが企画されないが、短冊に願い事を書く位のことはしていた。気の毒なことに、それぞれの願い事があった筈の駆逐艦や潜水艦の短冊は、レイの無事を祈るものばかりになっていた。
翔鶴も、空虚な闇にレイの武運を、…否、無事を祈るしかない。
「どうか、どうか無事でいて…そして、帰ってきて」
投稿話数遂に2ケタ。
前回が7000文字超えだったので今回は短くしました。
というより、場面(とビツケンヌの語彙力)の関係で短くせざるを得なかったというべきか…
今回の話は長さの割にちょっと重要だったりします。
どこがとは言いませんがね…フフフ(謎)