眠っている状態からでなく、不本意に意識を失った状態から覚醒するのは、艦娘になってからこれで三度目になる。パラオ泊地の医務室で目覚めたグラーフが最初に考えたのはそんなことだった。一度目は自分が連れ去られたアーセナルギア内部、二度目はレイと出会ったあの名も無き無人島。
「幸い内臓は逸れていたみたいけど、大事を取って一週間は安静にしておいて。傷が塞がるまで出撃は禁止。無論訓練も控えてね」
「…了解した」
「不満かい?」
「…仕方がないとは思うが、どうにも歯痒い」
「我慢してくれよ。無理をすれば余計にパフォーマンスが悪くなる。無人島にいたっていう時も、熱中症のままメタルギアRAYと戦ったんだろう?」
「それは、そうだが…ルーデルは――」
「彼には地上勤務なんて口が裂けても言えないよ。しばらくは隼鷹に移って貰う。言っておくけど、あの
「むう…」
…三度目に最愛の人から小言を貰うとは思わなかったが。ちなみに、
襲撃を受けてから二日後のパラオ泊地は、各所の修繕作業にスタッフ達が東奔西走させられていた。大浴場は脱衣場が瓦礫で塞がって進入できず、工廠はシャッターが使い物にならなくなり、食堂は半壊、宿舎はスタッフ達の部屋が集まる東側三分の一が焼失している。レイが夕張に新技術を推し、そしてレイ自身が倒した、異世界の二足歩行兵器メタルギアRAYの兵器としての制圧能力の高さが――鎮守府の全機能喪失は避けられたとはいえ――皮肉にも証明された形であった。
「…そうだ、メタルギアはどうなった?」
「キャノピーが壊れただけで、他に目立った損傷はないそうだ。工廠には入れられないから外でブルーシートを被ったままさ」
「ここ一帯の土地を買い上げているとはいえ、鎮守府正門前の道路は車の往来が頻繁にある。少し高いビルからならヘリポートまで丸見えだ。RAYの暴走を目撃している者もいる筈」
「そうらしい、既に地元紙が一面に取り上げているよ。昨日なんて電話が鳴りっぱなしだった」
グラーフの指摘に半蔵が取り出したのは、昨日の朝刊。でかでかとしたパラオ語で『パラオ泊地強襲さる 謎の巨影と少女』と見出しが書かれている。
パラオ泊地の修復を遅らせる原因の一つは、緊急通報等窓口に問い合わせが殺到していることであった。大手SNSに設けられたFWBの公式アカウントにも、インターネット上に流出し様々な憶測飛び交う今回の事件に関して山のようなメッセージが届いているが、影響力の大きさから慎重にならざるを得ず、どんな問い合わせに対しても「状況を把握しきれていない為説明しかねる」と紋切り型の回答しかできていない。
概要だけは各鎮守府に送られているとはいえ、レイのFWB加入から一週間が経った今でも、彼女の口から語られた平行世界の出来事、メタルギアやそれを模した生体兵器たる彼女自身の情報はまだ完全には纏まっていないのだ。それどころか、彼女と共にこちら側に流れ込んできたと思われるアーセナルギアやメタルギアRAYの出現で、殊更に状況は錯綜している。横須賀本部は異世界からの来訪者について、あらゆる国家の国民を納得させられる説明を考える必要に迫られ、四苦八苦していた。
「ファンの期待が大き過ぎるのも考え物だね」
関わる人間全てにその容姿を舞台俳優のようだと評されていることになぞらえて(本人に自慢する意図はまるでない)、半蔵が真っ白な歯を覗かせ苦笑する――彼の本業は歯科医であって、俳優の‘は’の字しか共通点はない。提督としての仕事の傍ら、歯に疾患がある者の治療も一手に引き受けている。
…尚、虫歯になった陽炎型駆逐艦十番艦時津風を診た際、ぎゃんぎゃん泣き喚く彼女をスタッフと協力してオーラルベッドに縛りつけ、鬼気迫る顔で無理矢理治療したことは半ば伝説化しており、駆逐艦達からは密かに恐れられていた。鎮守府に響き渡る絶叫と耳障りなドリルの掘削音の主が今度は己にならぬようにと、朝昼晩の歯磨きを欠かす艦娘はパラオ伯地にはいない。腕こそ立つが、歯科医半蔵・スティルマンの治療にはファンの期待どころか恐怖しかなかったのだった。
「……」
そんな彼に乾いた笑いで応えながら、グラーフは二日前の出来事――意識を失う直前に見たものを思い返していた。いち早く救援に駆けつけたレイが、カリュブディスを倒し、メタルギアRAYを無力化した光景を。
“許すものかアァアアアァァアアアアアァアアァアアアアアアアアアアアァアァアアアアア!!”
“――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――!!”
怒髪天を衝くばかりの形相で吼えたレイの声に重なって、グラーフは確かに、メタルギアRAYの‘声’を聞いたのだ。それは間違いなくレイの方角からのもので、カリュブディスが乗っていたRAYからではない。そして、怒れるレイの背後に、はっきりと、そこにいなかった筈の――
果たして夢か幻か――命の恩人がまたしても助けに来てくれたことへの嬉しさが、朦朧とした意識と相まって産み出した幻覚だったのだと、そう片付けるのは容易い。初めて目にしたレイの激しい一面に対して覚えた不可解な恐れがそう錯覚させたのだと言うのも簡単だ。しかしグラーフには、
「…Admiral」
「何だい?」
「レイが助けに来た時…彼女の後ろに何か視えなかったか?」
「…そうか、僕だけじゃなかったんだね。視えたよ…もう一機のメタルギアRAYが」
半蔵に問えば、彼も見たと答える。思えば最後に見たカリュブディスも、レイを前に“デウスの加護”がどうのと言って怖気づく様子があった気がしないでもない。人間にも艦娘にも、そして恐らくは深海棲艦にも知覚できる形で、やはりあの‘メタルギアRAY’はそこに在ったのだ。
…結局、カリュブディスの言っていた『ブリアレオス』、そして最後に残した『デウス』とやらが指すものはわからず終いだったが。
「あれは、何だったのだろうか…」
「ニュースには出ていなかったよ。写真に写らなかったのか、単にこれだけしか撮っていないのか…」
「この件もミカサに報告するか? ここのスタッフの話に上がっていない以上、今のところ目撃者は私達だけだが」
「そうするべきだろうね。レイ君に関連した情報を纏めている所で申し訳ないけど、これ以上変な噂が出てくるのは本部だって避けたい筈さ」
その時ふと、グラーフの頭に一つの疑問が浮かんだ。半蔵の口から出た「情報」という言葉で。
二本の足で歩くといっても、メタルギアは兵器であり、生き物ではない。だというのに、自分はメタルギアRAYが‘声’を出すところを幾度も見てきた。吼えたり、唸ったり、嘶いたり喉を鳴らしたり囀ったりと、エンジン音の静寂な割になんと騒がしいことだろう。
ところがその‘声’は――レイと一緒にコックピットに乗ってわかったことだが――、外部スピーカーから出力されてはいない、つまり実際に‘声を出して’はいないようなのだ。ならば、あの‘声’はどこから出ているのか。或いは、それこそ単なる錯覚なのか。
「…ん、いいぞ。入ってくれ」
その疑問を解消できる人物は、ノックの後に医務室に入ってきた。
「グラーフさん!」
カリュブディスを倒したレイは、グラーフの無事を確認した後で、今度こそトラック泊地への帰途に就き、巌羅の答礼と鎮守府一同の割れんばかりの歓声と拍手に迎えられた。パラオ泊地襲撃のいきさつは、機内からの無線で既にパラオ泊地の全ての艦娘とスタッフの耳に届いていたのだ。彼らはここ一週間で獅子奮迅の活躍を見せたレイを労うべく、彼女の参加初日同様宴会を催した。どうやら
そして今、トラック泊地からパラオ泊地への支援物資を運ぶティルトローター機に便乗し、レイはグラーフの見舞いに訪れていた。勿論巌羅の許可も取り付けてある。
「よかった、思ったより元気そうで」
「出撃こそついさっき禁止されてしまったがな。見ての通り元気だぞ、レイ」
「改めて、礼を言わせてくれ。グラーフを助けてくれて、本当に恩に着る。ありがとうレイ君」
「…どういたしまして!」
誰か一人を純粋に助けたいと思い助けたことも、元の世界線では経験していなかった。死地の真っ只中ではデリケートな果実が地面に落ちるのと同じように簡単に命が散り、助かる命も助からず、そもそも実戦では、基本的に助けることを許されていなかった。レイを含め、対深海棲艦用生体兵器というのは、特にセイレーン小隊は鉄砲玉そのものだった。
だからレイは、グラーフを助けられたことが、彼女の元気な姿を見られることが、とても嬉しかったのだ。
「君が来てくれてよかった。君がグラーフに止血剤を投与してくれたお陰だ」
「…止血剤?」
重ねて礼を述べる半蔵の言葉に、グラーフがスッと目を細めるまでは。
「ど、どうしたんだいグラーフ?」
「止血剤と言ったな?」
「うん」
「私はレイが止血剤を持っているのは知っているぞ。どこにあるのかも、な。私を
「えっ…」
カリュブディスを倒した直後のレイの行動は早かった。
歯医者ではあっても外科医ではない半蔵は、口以外からの出血には慣れていない。故に手を出すことを躊躇っていたのだが、レイはそうとも知らず彼を叱咤し、グラーフから鉄骨を引き抜くのに協力させた。そしてあろうことか、彼女はセミドライスーツのフロントファスナーを全開にし、上半身をはだけさせたのだ。気温も水温も高い熱帯の海――レイはインナーを着ていなかった。
“なっ…レイ君何を――”
“止血剤を搾り出すんです!!”
レイの着るセミドライスーツには、比較的小規模な出血であれば自動で止血を行なってくれる仕組みがあった。スーツの内側に遍在するナノチューブの中には、メタルギアRAYの修復用ナノペーストを参考に開発された止血剤ペーストがぎっしりと詰まっている。スーツの損傷による圧力の変化、即ちレイの負傷に応じて対象部位からペーストが分泌され、速やかに血液を凝固させ止血する。ペーストに含まれる成分で海水中でも拡散しにくいこのペーストは、後に開発された対深海棲艦用生体兵器の標準装備となったという(尤も、防備の薄いレイはアンブロケタス作戦まで一度たりとも被弾したことはないのだが)。
ペーストを手動で分泌する、つまり文字通り搾り出す為に、レイはスーツを脱いだ。唯一心に裏返したスーツの袖を絞り、止血剤をグラーフの傷口に垂らした。その間、半蔵は目を逸らしていた。滴り落ちる赤いペースト――RAYの修復用ナノペーストも同じ色――が血液にしか見えなかったのと、
「――見たのだな?」
「…はい…」
レイの
じろり、グラーフの視線がレイに向き、レイは思わず立ち竦んだ。
「…Admiralには後で言っておくとして…レイ」
「は、はいっ!!」
「私を助ける為とはいえ、…人前でいきなり肌を晒すのはどうかと思うぞ?」
「も申し訳ありません!」
「次からはスーツの下に何か着てくることだ」
レイ本人には特に羞恥はなかった――彼女にとって調整槽などで裸を見られることなど当たり前だったのだが、またしてもグラーフに
「――そうだ、貴女に聞きたいことがあるんだ」
剣呑な空気を霧消させ、グラーフが僅かに身を捩ってレイに向き直る。レイも彼女に今一度注意を向けた。
「メタルギアというのは、声を出すのか?」
だがレイが思っていた程、グラーフの質問はレイにとって重大なことではなかった。レイは別段気も入れずにすらすらと答える。
「確かに、メタルギアの大部分は動く時に大きな声に聞こえる音を出します。でもそれは意図した機能ではないんです。メタルギアの関節部分、特に股関節や胴はかかる負担が大きいので、かなり頑丈に作られていますが、その周辺の装甲等の金属が擦れ合うことで発生するものだと考えられています」
「考えられている?」
「ええ、正確にどこから出ているのか、そういったことを調べた記録はありませんから。ただ、私のいた海兵隊を含め、一部ではその現象に名前が付けられていました」
「どんな?」
レイは数瞬、思い出すように視線を上げてから、続けた。
「『
「――そうか、カリュブディスがやられたか」
「はい。遺憾ながら、私怨に走ったものと思われます」
海上にぽつんと突き出た岩の上。カリュブディスが話していた声の主が、別の低くしわがれた男の声と対話していた。誘導灯のように赤く発光するラインの走った、短い円錐形の二本の角を側頭部に備えたその深海棲艦は、FWBには『飛行場姫』と呼称されるタイプのものであった。
「私怨、か。どこのどいつも同じようなものだな」
「ええ。その私怨に――奴らの手によって、ブリアレオスは奪われたのです」
「彼は優秀な戦力だ。痒い所に手が届く…あれは惜しい損失だった」
彼女は水平線の彼方――西北西を見やり、小さくため息を吐いた。
「カリュブディスによる陽動は失敗しました。予定を早めますか?」
「いや、このままでいい。ただし慎重に頼むぞ。ナウクラテー」
「はっ。全てはデウスの為に」
「そうとも。…デウスの加護が我らにあらんことを」
それきり声は聞こえなくなり、風と波の音だけが辺りを支配した。
ナウクラテーと呼ばれた彼女は、視線を外さないまま、恍惚の表情を浮かべた。
「ようやく、ようやく貴方に逢えるわ…それまで、もう少しだけ待っていてね」
ぺろりと一周、舌なめずりをして。
「ガイ――」
歪んだ愛欲を、溢れさせた。
思った以上に早期の更新ができて自分でも驚いています。
一番書きたかったタイトル回収。書けた時狂喜乱舞しましたねw
歯車の咆哮第一章、怒りの海鷂魚編はこれで完結となります。
最初にエイを漢字で「海鷂魚」と書くと知って、なんだこれ読めるわけねえだろ殺す気かてめえってなりました。多分もう章タイトルにこんな難しい漢字は使いません。
この小説は三章構成を予定しており、第一章は序破急でいうところの序にあたります。つまりこの章で描かれたアーセナルギアの出現やメタルギアRAYによるパラオ泊地強襲はほんの始まりに過ぎない訳です。これからが本番と言っていいでしょう(ビツケンヌ本人としても…)。
カリュブディスの行動の理由、ナウクラテーの目的、そして『ブリアレオス』と『デウス』の謎…伏線張りまくりです。頑張って回収します。w
ビツケンヌの予備校も新学期に入っております。
可能な限り執筆は続行しますが、最高で来年の三月末から四月まで次回の更新が遅れると予想されます。ご了承ください。