まだまだ本題へはたどり着きませんが、
英雄王と女主の関係が良くも悪くも変わっていく様子を書きたいと思います。
なかなか戻らない記憶と、このままでいたいという葛藤に悩まされるターンです。
学校で火の手が上がった。とは言っても、火事なんて大袈裟なものではなく、ただのボヤ騒ぎだ。
隣の教室にいたわたしたちですら気付かない程度の炎、しかしギルガメッシュは過剰に反応した。
驚く間もなく避難の騒動に紛れてわたしを校外へ連れ出す。
点呼の際にわたしがいなければ騒ぎになるかもしれないというのに、彼はいつも通り涼しい顔だ。
「問題ない。お前のことは研究所預かりだからな」
「ギルこそ誰かに見られでもしたら面倒なんじゃ」
「我の存在は人間ごときに左右されぬ。口封じなど幾らでも手はある」
恐ろしいことを言いだす口調はいつもと変わらない。
やはり一番過保護なのは彼だ。さすが半身を名乗るだけはある。
感心している場合ではないが、わたしもこうなることはある程度予想がついた。
火の手が大きかろうが小さかろうが、彼はわたしを其処から遠ざける。
問題から一番遠い場所へ、できる限り離れた場所、或いは蚊帳の外へ。
何処へでもその持ち前の身軽さで飛び出していく。必ず、左腕に座らせるように抱えて。
「燈よ…違和感がなかったか?」
「…いわ、かん」
違和感などたくさんあった。
そもそも場所は多目的室。火の上がる場所ではない。
この手の火事は大体理科室、火の不始末が原因だ。
多目的室など、例え不良が煙草を持ち出そうともあんな分かりやすい場所では吸わないだろう。
では他の火遊びか。花火か。
ちなみに、多目的室とは名ばかりで、広さは通所の教室と同じ、つまりただの空き教室だった。
「あり得るとしたら、放火とか、」
「お前は本当に躊躇いがないな」
間桐にも言われたことを思い出す。
わたしは言われるまで、それがどれだけ日常からかけ離れたことか分からなかった。
だからハッとしたのだ。
そんな観念は、自分の意志と関係のないところでとうに捨てられてしまったのだ。
放火など日常的に起こりうることではないし、あったとしたらそれは事件だ。
通り魔といい、この町はいつもこんなに危険に晒されているのだろうか。
そういう感想が、普通かもしれない。
「…原因が襲来すれば、結果は其れについてくるものだからな」
「…なんの因果の話?」
原因と結果と言えば、それは因果関係の話。
なぜ彼がそれを持ち出したのか、なぜかそれが重要なことのように思えて聞き逃せなかった。
だがその言葉のどこに引っ掛かりを覚えたのか、何が気になったのか、そこまでは追い付くことができなかった。
「まあいい。まだ早い。帰るぞ」
「えっ、ちょっと!」
学校にもなんの連絡もせず彼はわたしを抱えて飛ぼうとする。
止めても無駄だ。研究所はいつでもわたしたちを監視している。
学校へ連絡が行くのは必然だ。
「いつも急なんだから…」
拒みはしないし反発もしない。
元々学校に行きたいと言い出したのはわたしではなかった。
彼が外へ出たいと言い出し、研究所の人間たちがそれならば、と学校へ通うことを勧めたのだ。
だから試験も何も受けていない。
学校へ通えなかった期間は研究所で指導を受けている。学力に何ら不安はなかった。
わたしも知らないわたしの経歴は、詐称に詐称を重ね、屹度本来のわたしからはかけ離れた、素敵なプロフィールとして公開されている。
何度か見たが、知らない学校名と生年月日、研究所の住所が保護者連絡先になっていたことは明確に覚えている。
「燈!頭を下げてろ!」
「…え?」
考え事をしている最中、普段は滅多に聞かないギルガメッシュの怒号を聞いた。
何事か確認する間もなく我に返って頭を下げると、間一髪で頭上を黒い何かが掠めていった。
あまりに突然すぎて恐怖で頭を上げられない。振り落とされぬよう、必死に彼にしがみつく。
「ぎ、ギル…っ?」
何が起きているのか。
案外に冷静な頭は、状況を整理しようとフル稼働している。
ふと、なんだか懐かしい感覚がした。
風を切り、思考をフル回転させながら恐怖と対峙する。一瞬過ってすぐに消えた。
こんなこと、彼と一緒に経験しただろうか。
デジャヴのような感覚。一緒に飛ぶ人物の心音、わたしの体を巡る血液から、奥底に湧き起こる高揚感。
初めてではない。
「呆けるな!次が来るぞ!」
「…っ!」
それは黒い影。
コウモリにしては大きく、オオカミにしては鋭い。まさに真っ黒の影。
それはわたしたちを狙い飛び交っていた。
これは魔術だ。魔術師が近くにいる。
何故かそれだけははっきりと分かった。
そしてそいつは何処にいるのか。神経を巡らせる。研ぎ澄ます。
やったことも無いのに、体が”覚えていた”。簡単だった。
「斜め上、西の方角だよ!」
「なに…?」
思いもよらないわたしの言葉を彼は信じるだろうか。
はったりだと、或いはただの勘だと一蹴するだろうか。
しかし存外にも彼は一瞬だけ目を合わせてにやりと笑った。
何処からか得物を取り出す。
金・赤・黒。彼を表すカラーリングで象られたそれは、今までにも何度か見た、剣でも槍でもないのに莫大なエネルギーを発する得物だ。
それを、先ほど告げた方角へ向ける。
「天地を裂け…わが乖離剣よ!」
その閃光は一瞬で空間を切り裂いた。
わたしの頭に警笛を鳴らしていた何者かの存在も姿を消したようだ。告げずとも彼も気が付いたのか、得物を収めた。
これが、サーヴァントの力。
心なしかどっと疲れが押し寄せた気がする。
サーヴァントには宝具と呼ばれる必殺技があるらしいが、これがそれだろうか。
研究所の人間の、あれは使わせるわけにはいかないという話を盗み聞きしたことがある。
確かにこれを見てしまうと、あとは想像に難くない。
「疲れたなら眠っておれ。なに、久しぶりの戦闘だからな」
疲れが押し寄せていたことに彼も気付いたのだろう。
初めての出来事だったのに、何故かそうでないような、懐かしい感覚に溺れていた。
薄く開けていた目も瞼の重みには勝てなかった。
その彼の台詞も宝具のことも、何より今襲ってきた相手のことが気になったが、すぐに意識は闇へと沈んでしまった。
*
*
*
目覚めたら見えたのはいつもの天井。
変わり映えのしないわたしの部屋。外はまだ暗かった。
近くには彼の気配がある。こちらには気付いていないようだったが。
いつもわたしが寝てしまった後、一人で何をしているのだろうか。
研究所にいた頃は、酒盛りなどして周囲を困惑させていたこともあった。
迷った末、重たい体を起こすことにした。
「…目覚めたか。まだ朝までは時間がある。それとも腹が減ったか?」
「うん…シャワー浴びてくる」
春もまっさかり、気温も上がり、湿度が高くなりつつある季節。
特に今日は、よく冷や汗をかいた。思い出して不思議と安心する。
良かった。忘れてない。
まだわたしの中に記憶は定着していた。
シャワーを浴びている最中も立ち上る湯気を見ては考える。わたしの存在も、いつかこの湯気のように蒸発していく。
屹度そうだ。
かつて記憶がそうだったように。
いつか、いつか消えてしまうのだろう。
ふと鏡を見ると、覚えのない傷跡を刻み付けた身体が佇んでいた。
「こっちへ来い。其れを巻き直してやろう」
シャワーの後は、彼が包帯を巻き直してくれる。
長袖の服でできる限りの傷跡は隠しているが、彼は更に人目に触れぬよう、隠すように包帯を巻いていく。
身体の其処かしこに刻まれた其れは、わたしが確かに聖杯戦争へ参加していたことの証明であった。
記憶と引き換えの確かな証拠。
消えていったデータとは裏腹に何故か消えずに遺っていた。
これがなければ、周囲は時間の経過と共に真実を歪ませて、無かったことにしていたかもしれない。
「誰にも見られていないな?」
包帯を巻く理由の一つに、令呪の存在があった。
これは見る人が見れば分かる手の甲の痣。
それだけで他の魔術師に狙われる原因になるという。
親しい友人もそこまでいたことがないので、隠すのは容易だった。
「わたし、どんな風だったんだっけ…」
目が覚めたのは、聖杯戦争から一年以上経ってかららしい。
その時にはすでに傷口は塞がっており、包帯さえ取り除かれていた。
魔術で時間を止めつつ治療を施したと聞いたときは素直に感心したものだ。
此処まで回復したのは奇跡に近いと言われた。
彼はちらりとわたしの様子を見た後、淡々と続けた。
「…全身火ぶくれ、と言ったところか。裂傷や擦過傷もあったが、サーヴァントがお前を庇った。だからほとんどの怪我は…聖杯からのものだ」
「…え?」
一度耳を疑った。聖杯から攻撃を受けたというのだろうか。
聖杯戦争の仕組みを知れば知るほど疑問は増えていったが、少なくとも通常通り行われれば、そんなことにはならないはずだ。
何故わたしが攻撃を受けたのか。
そしてサーヴァントと聖杯が対立構造にあるというこの矛盾。
何か大事なことを聞かされていないような気がした。
「勝者となったマスター次第では、”そういうこと”も起こり得るということだ」
「それは、つまり…」
「詳しくは自分で思い出せ。我が教えてやる義理はない」
「待って…!サーヴァントは…わたしを護ってくれたのって」
彼は睨むように冷たい目でわたしを見据えた。
推し量られるような、探られるような。肝心なことばかりはぐらかす。
聞きたいことは何一つ教えてくれない。
わたしと一緒に戦ってくれたのは、誰だったのか。
もしかして、それはあなただったんでしょう?…そのたった一言が言えなかった。
それ以外に考えられないのだ。でも彼は肯定しない。
彼は誰の味方で、そして、敵は誰だったのか…。
「そんな話、初めて聞いたよ、ギル」
「…聞かれなかったからな」
だって、聞いたらもう此処にはいられないような気がしたから。
別段記憶に執着がなかったのは、わたしですら気付かないうちに、真実を知ることを拒んでいたから。
こんなにも彼は急かしているのに。それが、本当は嫌だったなんて、言えるはずがない。
彼は、私の嫌がることなんて一度もしたことがなかったから。
「…知りたい。わたしが、どんな罪を犯して、どんな罰を受けているのか…教えてほしい」
知りたくない。何も現状を変えたくはない。ずっとこのまま此処にいたい。
心の声を押さえつけて、わたしは彼に縋る。
それは、わたしが口にした初めての記憶に関する願いだった。我儘だった。
彼は予想していたのだろう。
いつかはわたしが思い出せないジレンマに駆られて縋ってくるであろうことを。
特別驚いた風もなくいつも以上に厳しい顔して此方をにらみ続けている。
「我がそこまでお前の面倒を見る道理があるか」
「ないけど…、ないけど、でもあなたしか頼りにできない。どうしたら良いか、分からない」
他に知る人がいれば、それを当たることもできたろうに。
しかしあの事件は、戦争は他に関係者がいない。わたしが当事者で、屹度彼は傍観者か何か。
いや、参加者だったかもしれない。
だから研究所の人間たちは躍起になっていたのだ。
そうだろう。
でなければ、わたしなど用済みで、とっくに死んでいたはずだ。
「じゃなきゃわたし、ここにいる理由が、」
「ふん…我かお前だけ…とな。自惚れるな。まるでこの世界には二人しかいないような口ぶりだな。どうすれば良いかだと?もっと自力で足掻いてみたらどうだ。我は今のお前なんぞに何も教えてやる気にはならんな」
それだけ言った後に消えてしまった。そうなってしまえば、人間のわたしには追うことなど出来ない。
マスターといえど一人の人間。
サーヴァントに見限られてしまえば何も成せやしない。
一人になったうす暗い部屋で、わたしは再びベッドにもぐった。
*
*
*
「体調不良だって?大丈夫か?」
「ああ、うん。心配ないよ」
保健室で寝ていると、顔を出したのは間桐だった。
本当にわたしには彼くらいしか心配してくれる人間などいないらしい。
しかしまさかの来客に思わず身構える。現れたのはいつも通りの間桐だった。
「風邪?最近ずっと顔色悪いような気がしたから」
「いいや、貧血気味で。ちょっと寝不足もあるかな」
寝不足は事実だった。
ギルガメッシュとぶつかった日から、解決策が見つからないでいた。
彼はと言えば、以前と変わらず世話を焼いたり構ったりと好き放題していた。
あの日のような謎の襲来もない。平穏と言えば平穏だった。
「なんか悩んでる?何でもいいさ、言ってくれよな」
「うーん。」
悩んでるかと問われれば確かにそうなのだが、だからと言って間桐に話せるような内容ではない。
間桐は何も知らないはずだ。
彼が魔術師でなくて、家の人から何も聞いていなければだが。
わたしの生い立ちも、過去も、何も知らない人間に相談できることなど何もなかっただけに、その親切心が逆につらかった。
「なんでそんなに心配してくれるの、」
それは思いがけず口をついて出た言葉だった。
遅れて間桐を見上げれば、それは驚いた顔をしていた。
撤回した方が良いだろうか。しかし気になると言えば気になる。
やはり、単純に一族の教えを守ってのことなのか。
だとしたら、なぜ頑なに守っているのか。
「…一人でいるから。別に友達いないって訳じゃないのに、一人でいようとしてる気がして、興味がわいた。それだけと言えば、それだけなんだけど」
その目は嘘を騙っていなかった。
いつも通りの間桐。
まるで用意していたかのように、すらすらと言葉を吐いた。
否定できなかったのは、わたしもそうだったから。
なんとなく、ただなんとなく気になってしまったのだ。
それは屹度人間の性で、未来永劫やめることのできない無駄な憶測。
そうだと分かれば、彼の言動に対してこれ以上追及するのも考えるのも無駄だった。
「なんだよ、聞いてきたのはお前じゃんか。そんなつまんなそうな顔すんなって」
「えっ、そんな顔してた?」
「してたしてた。期待した応えが出来なかったみたいですまんな」
慌てて表情を確認するように顔を触る。
そんなことをしたって鏡を見たって分かりはしないのだが、間桐の表情は柔らかかった。
むしろ笑われた。こんなに軽口を叩かれるのは初めてだ。
すまん、と言いながらまるで悪びれていない。
その表情に覚えがあった。
「どうした?」
似ている。
その表情に出会ったのは彼が二人目。其れが表す意味は何なのだろうか。
今まで誰もがわたしに向けることがなかった其れを、わたしが受け止めて良いのだろうか。
珍しくギルガメッシュは黙っている。
確かに其処にいるのに、聞こえてないとでも言うかのように口を開かなかった。
「わたしには…勿体ない」
「なにを、」
そうだ。
わたしは其れを見るに値しない。
向けられるに相応しくない人間だからだ。
何度だって見たことはあったのだ。
クラスメイトや街行く人々。研究所の人間。
たくさん見てきた。
それでもわたしのものにはならなかった。
其れが今、わたしを見ているなんて、誰が予想しただろう。
「やっぱり、君はいつもそうだ、九蘭さんは、誰の振りをしているの」
「だれの、」
何もかも見透かされそうな深い青色の瞳が苦手だった。
一族の業を背負っているのに、どうしてそんな真っ直ぐな目をしていられるのか。
わたしとは違う。
目を合わせられない。わたしは、簡単に誰かを隠れ蓑にすることを選ぶのに。
「そこまでにしておけよ雑種」
「!?」
「此奴は我のものだ。貴様に誑かされることは許さぬ」
何処から現れたのか。
というより、出てきてしまって良いのだろうか。
焦る気持ちとは裏腹に、渦巻いていた黒い感情は退いていく。
突然の来訪者に顔を強張らせ、その圧倒的なオーラに声も出せないでいる間桐を憐れに思った。
ギルガメッシュに敵意を向けられて生きていける人間などいるものか。
「だ、誰だ!どこから入った!?」
いつもの黄金ではない、何処から調達したのか私服を纏っているギルガメッシュ。
それが出来るなら、買い物とかいろいろ付き合ってほしい場所があったのに、と場違いなことを考える。
そうしていないと呑まれてしまう。無理だ。
この英雄王に抗うこと等、できはしない。
「我が誰かなど貴様には関係ないであろう。ずっと聞いておったが、不毛な会話にもう我慢ならん。此奴は連れて帰るぞ」
いつものように抱えられるが、抵抗する気など起きなかった。
久々に訪れた安心感。
早くこの場から離脱したいと思っていたのが、ギルガメッシュに気付かれたのだろうか。
それとも何か危機が迫っているのか。
なんてことはない。ただ、自分のおもちゃが他人に弄繰り回されるのが見ていられなかったのだろう。
唖然としていた間桐はしばらくしてその圧から解放されて、何か言おうとしている。
「九蘭さん…!」
またね、毎回そうしているように、別れの挨拶を口の形で示した。
わたしにとってはありふれた間桐との挨拶だった。
変哲のない、また明日、の合図。
*
*
*
今日は少しだけ気分がいい。
単純だなどと思う。
昨日は少しだけギルガメッシュが優しかったとか、少しだけ甘やかしてくれただとか、その少しだけが積み重なって、結局わたしの気分がすこしだけ良くなる。
考え込みがちなわたしの心配事を軽くしてくれる。
忘れさせてくれる。
そもそもの元凶はギルガメッシュだったとしても。
間桐になんて言い訳しよう。その程度には気持ちは軽くなっていた。
「昨日は…!大丈夫、だった?」
まっすぐ家に帰ったか?
ちゃんと寝たか?
心配なのは得体のしれない男、ギルガメッシュに何か危険な目に遭わされていないか、ということだろう。
逆の心配をする間桐に面白くなって、つい笑みがこぼれてしまった。
「急にあんな風に帰ってしまって、ごめんね。あの人は保護者みたいなもので。学校からの連絡で迎えに来たらしい」
何も心配いらないよ、という風に言ってみせると、間桐は不思議な顔をした。
何かおかしなことを言っただろうか。それとも、わたしの顔に何かついていただろうか。
「ああいや、そんな風に笑うのを、俺は初めて見たよ」
笑っている。
確かにあっただろうか。この学校でこんな風に吹き出してしまうことが。
研究所の、わたしに優しかった人間たちには談笑したこともある。
だがいつも、わたしが笑っていることで不快になる人間がいるんじゃないかと心の片隅で思っていたものだ。
今はいない。此処にはいない。わたしのことを屹度知らない。
笑っていても、誰かが不快になること等、そうそうないのかもしれない。
そう考えただけでわたしの世界は少し変わった気がした。
「…あっと、ところで昨日は、失礼なことを言ってしまったから謝ろうと思って」
一瞬分からなかったが、すぐに思い当った。
”誰の振りをしているのか”。
それを深く追求しようとして、ギルガメッシュの怒りを買ってしまったのだ。
その答えはわたしからは言えなかった。
それは自分でも分からないから。
記憶がないのだから、わたしはわたしの振りをして生きるしかなかったのだ。
間桐は何も悪くない。真実をただ、突き止めただけだ。
「いや。あなたには伝えておきたいことがあるんだ。わたしのことを見抜いたのはあなただけだから。わたしはね、」
一瞬言葉を切った。
本当はギルガメッシュが止めてくれるのを待っていたのかもしれない。
だが気配はあれど止めに来る様子はなかった。
いつもとんでもない無茶をやらかす彼が止めないのなら、言ってもいいのだろう。
止めて欲しかったのに。
だが、それでは進まない。ギルガメッシュのために、私はこの事実を口にすることを選んだのだ。
間桐は待っている。口を挟まずに、次に出る言葉を待っていた。
「わたしには、小さい頃の記憶がないんだ」
自分が何者かも分かっちゃいない。
人格形成がされる幼少期までをどう生きてきたのかはもちろん、性格は、親は。
九蘭燈という存在を演じながら生きていくしかないという現実を、あなたはどう受け止めるだろうか。
わたしは分からない。
生まれた頃からの記憶を有している人間がどうやって生きているのか。
自身をどう表現していくのか。わたしには何もない。
空っぽの器に、ただわたしを上書きしていくだけ。
「そんな顔しなくたっていい。あなたはわたしに、自身に向き合うチャンスをくれたのだから」
硬直した間桐は何も言わない。
初めこそ失敗した、という表情をしていたものの今は違った。
それは憐れみでも後悔でもなかった。
ああよかった。
間桐はこういう人間だった。
ただ正義を振りかざしているだけの、人助けが好きなお人好しではなかった。
わたしは図り違えていなかった。
彼は、自分の無力さを嘆くようなことにはならない。
「見つかると、いいね」
間桐はいつもと変わらない笑顔を見せてくれた。
心配でも提案でもなくただ一言、希望を告げてくれた。
そんな人間がいることをわたしは今まで知らなかった。
引け目を感じて避けてくか、やたらと世話を焼こうとする人間しか。
「ありがとう」
この日初めて、人との出会いに感謝した。
「ところで、今日はお時間ある?」
「…うん?」
放課後の誘いだろうか。
何せ初めてのことなのでわたしは戸惑いながらも肯定を示す。
早く帰らないとギルガメッシュは怒るだろう。
「前に友人に寺の息子がいる話したの、覚えてる?」
「ああ、もしかして、柳洞寺のこと?」
この区域でお寺といえば柳洞寺のことだろう。
それなりに大きな寺で、都会でも田舎でもないこの町のシンボルの一つになっている。
「紹介したいんだけど、一緒に行かない?」
「…わたしは構わないけど、なんで?」
「友人に友人を紹介したいってだけだよ」
ああ、成程。
友人とはそういうものだと言われれば、それはしっくりくる。
友人、という響きに以前ほど違和感はなかった。
あの日感じたむず痒さと気恥ずかしさは何処へ行ったのやら。
わたしはいつの間に彼とそこまで打ち解けていたのか。
友人の作り方さえ知らなかった。面倒だとさえ感じていたのに。
「不思議な顔してるな。友人関係なんていつもそうだ。気付いてらなってるもんだよ」
表情から読みとられたのか、わたしの考えを肯定してくれた。
彼は知っている。わたしに碌な友人がいないことくらい。
希薄で薄っぺらい人間関係すら見透かしている。
悪い気はしないが、決まってこちらが申し訳なくなる。
彼はわたしなんかに構っているより有益なことがあるはずだ、と。
「あいつは寺の息子だけあって信用に足る。うちも一家で柳洞寺を信頼してる。年上だけど緊張しなくていいよ」
年上の男性。友人の友人。研究所の人間とはまた違った人種。
初めて出会う関係の人間。
緊張しないはずがなかったが、何しろギルガメッシュが黙っている。
何かあれば連れ出してくれる。
関係もすべて断ち切るだけの強さと強引さがある。
黙っているということは、危険性が見られないということ。
依存し過ぎだとは思う。だが、彼はそれを許すだろう。
「この前の親戚は…連絡しなくて大丈夫かな?また心配するんじゃ」
「連絡入れておくね。ちょっと待ってて」
間桐に背を向けて、与えられているスマートフォンに連絡を入れるふりをしながら其処にいるギルガメッシュに問う。
パス、というものを意識する。繋がっている。
魔術の使い方も分からないわたしにでも実感できる、確かな繋がり。
彼はずっと近くにいる。
『勝手にしろ』
何か言いたいことが色々あったようだが、それだけで察した。
何かあれば助けてくれることを約束したということを。
嬉しくなってしまうわたしは単純だ。
此処まで依存するように育てたのは他でもないギルガメッシュだ。
彼がいつかいらないと言うまで、それに甘えさせてほしいと思う。
「勝手にしろ、だって。良かった」
「勝手にって、ずいぶん雑だけど…まあいいか」
雑という言葉に首を傾げたわたしを見て、間桐は追及をやめたようだ。
もしかしたら彼の知る保護者という関係となにか祖語があったのかもしれない。
それは教えてくれなかったが、納得したのだろう。
「昨日は、ずいぶん大事にしてるように見えたからさ」
「…いつもあんなかんじだよ?」
ギルガメッシュの愛情表現は簡単だ。
愛情表現、なんて言葉を使うのは正しいか不明だが、好き嫌いははっきりしている。
顕著だったのが、研究所の人間に対する態度だった。
なぜわたしには親切にするのか聞いたことはないが、本来のマスターとサーヴァントの関係であればそれは簡単だ。
もしギルガメッシュがこの世に執着する理由を持っているなら、わたしを蔑にすることはできない。
彼はわたしがいて初めて、存在している。
だがそれはあくまでも彼が従来通りのサーヴァントだったならの話。
「そういえば名前はなんて言うの?外国人っぽかったけど」
「……エア。そう、ヨーロッパ人」
「エアさんか…親戚に外国人がいるなんて」
「ううん。記憶のないわたしを育ててくれた人の一人だよ」
咄嗟に思いついたのは、研究所の記録で見た彼の宝具の名称。
何故か本名を名乗るのは良くない気がして、つい勝手に名付けてしまった。
怒るだろうか。
ギルガメッシュの気配がするだけで反応を示さない。
偽名を使わざるを得ないことを理解してくれたのだろうか。
「…そっか。家族みたいなものか」
「…家族」
「そうでしょ。若い感じだったから、お兄さんとか」
「…」
それを想像したら思わず吹き出してしまった。
ギルガメッシュが、最古の王が、あの英雄王がわたしのお兄ちゃん。
不釣り合いにもほどがある。
そのギャップは、わたしを笑わせるに充分だった。
今度こそ彼は怒りだすかもしれないが、その時はその時だ。
今は存分に笑わせてもらおう。
「えっえっそんなに笑うとこ???」
「はーっ久しぶりに笑わせてもらったよ。面白いこと言うね、間桐くん」
「べ、別に笑わせるつもりじゃなかったんだけど…まあいいか、もう着くよ!」
気付けばもう学校から近い柳洞寺の階段下だった。
何度か来たことのあるその街並みに懐かしさを覚えながら一歩踏み出した。
*
*
*
「来てくれてありがとう。あいつも楽しみにしていたみたいだから。だけど、気を付けろよ。寺の息子なのに女にだらしないところがあるから。全く、正道なんて名前のくせに」
「はは、かっこいい名前も考え物だね」
正しい道、なんて仰々しい名前の割には軽いノリの何処にでもいそうな若いお兄さんだった。
寺の息子というくらいだから場違いなんじゃないかと心配していたが、失礼ながら彼の方がよっぽど場違いな雰囲気を醸し出していて肩の力が抜けた。
もしかしたら、気を遣ってくれたのかもしれない。
…そう思っていた時期がわたしにもありました。
「また遊びに来ようぜ」
柳洞正道。
彼は間桐の背負っているものを知っているのだろうか。
もとい、柳洞自身もなにか隠している風はあった。不真面目に見えて、寺のことを一番に考えている。
昔から仲が良いらしいから、両家の間に隠し事などないような気がした。
そして、あの不思議な空気。
「…柳洞くんって、お寺の息子だから、供養とかするんだよね?」
「ああ。あいつ本人は分からないけど動物から人間までやるらしいぞ」
「そっか……なんか有名な人とか、いた?」
「えーと…、たしか佐々木小次郎…?あの、剣豪の」
思わず息を呑んだ。
何故かは分からない。その響きに覚えがあった。
否、日本人なら誰でも知っている名前なのだがそういうことではない。
わたしは霊感などないし、魔力があったとしても幽霊関係とはまた別モノのはずだ。
それがなぜ、佐々木小次郎という名に反応してしまうのか。
「…っ」
「九蘭さん?」
頭痛がした。
ずっとだ。あの柳洞寺の門をくぐった時から、誰かに見られているような。
外に出てからマシになったものの、まだ尾を引いている。
気付かないふりをしていたかったが、これはどうやら気のせいではないらしい。
正体の分からない靄のかかった何かが頭の中にどんどん侵略してくる。
追い出そうにも追い出せない。
紅、青、紫、黒。色が交錯し吐き気を催す。
「九蘭さん、大丈夫?」
ふいに肩に置かれた手を合図に、靄は一気に晴れた。
わたしは苦しかったそのままの表情で間桐を見上げた。
いま、一体何をしたのだろうか。
「顔色悪いけど、疲れちゃった?」
徐々に視界も思考も晴れて気分が良くなっていく。
彼は何をした様子もなく、ただわたしの背中をさすっていた。
こんなことしていればまたギルガメッシュが怒って姿を現すかもしれない。
しかしまだわたしはこの心地よい時間を止めたくない。
結果的にギルガメッシュは何も口を出さなかった。
「ごめんね。時々こういうことがあって」
「そっか、よく保健室で休むし、体育もあまり出てないもんなー」
研究所の人間たちは自律神経系の問題だという。
そんな難しいことわたしには自覚がないしあまり気にせずに過ごしていた。
だが間桐にあまり心配を掛けたくない。
対したことないのだと言葉で伝えるのは簡単だが、信じてもらうことがこんなにも難しいことだと初めて知った。
「また…佐々木小次郎の話、詳しく聞かせてくれる?」
無理やりに話を逸らすことで間桐の意識を遠ざける。
なにより気になったことがあった。
なぜ、佐々木小次郎という剣豪の墓が、此処にあるのか。
「もちろん!あと…確かも一つ。稀代の魔女だかが置いてったらしい遺物も、あの寺にはあるんだ」
「…魔女の遺物」
魔女との関わりはない。
それなのに。
其れなのにどうして、こんなに引っ掛かりを覚えるのだろう。
剣豪といい、魔女といい。
関係の無さそうな両者の間に、何があるというのだろうか。
考えても分からないことは、ギルガメッシュに聞いてみよう。
一人で考え込むよりよほど有益かもしれない。
「九蘭さん、そういうのに興味あるんだね。実は俺も、魔法とか魔術とか興味あってさ。いろいろ勉強してる」
どきりとした。
その言葉が、他でもない間桐の口から出た言葉だからだ。
間桐は魔術師の家系。それも、大きめの。
研究所の人間の言葉が蘇る。
”間桐や遠坂の人間と関わるときは気を付けろ”。
間桐本人は、今までそれに触れてこなかった。
それは言う必要がなかったからだ。
わたしが魔術に関係ない人間だと思っているからかもしれない。
それが今はっきりと、間桐は魔術を勉強中だと言った。
それが何を意味するのかわたしはそこまで思慮深くない。
研究所の人間たちはこういうことに関しては正直だ。
これだけは間違いなく言える。警戒しておくに越したことはない。
「そう…なんだ。なんか不思議だね」
「あんまり信じてなかったんだけどさ。これ内緒な」
間桐が口元に人差し指を充てるのを、ただ曖昧に眺めていた。
第一章 完
長くなってしまいましたが、第一章はここで切りたいと思います。
そこまで長編にする予定はなかったのですが、書いているうちに長くなる…
あるあるですね()
まだ間桐のことも魔術のことも明らかにされていません。
第二章からどんどん動いていく予定なので、よろしくお願いします。