……吐き気止めの点滴受けた途端、更に大量に吐いて状態悪化とか冷静に考えたら笑えない件。
でも速攻でほぼ完治してしまった分、今度は休みの間外に出れないのが辛く思えるという……我ながら単純というか現金というか。
北米大陸に多数存在する山脈の中でも有数の知名度を誇るロッキー山脈。
行き来の手段がヘリコプターのみしか使えない程深い山中にその豪邸は存在していた。
地球上に存在する大地の半分以上がBETAの手に墜ちた世界情勢にあっても存在している極少数の大金持ち、その中でも極めつけに奇特な人物が多大な金と労力を使って建てたとされる豪邸。
ある意味皮肉なのは、そんな施設を現在利用しているのが本来清貧を貫くべき立場にある存在――――聖職者、しかもキリスト教恭順派と呼ばれる新興勢力の指導者たる人物である事だ。
戦車でもなければ突破困難な強固な門戸と分厚い塀に囲まれた広大な屋敷を多数の重武装に身を固めた屈強な男達を守っている点もまた、宗教家が出入りする施設にしては大いに違和感を覚える光景である。
「クリストファー少佐、アラスカでの準備の方はどうなっている?」
世界を代表する一大宗教の中でも急速に拡大つつある新興勢力の長には全く見えない、鋭利な美貌の青年がナイフを弄びながら問いかけた。
青年の正式な名は誰にも知られていない。末端の教徒だけでなく、彼の側近の部下達からも単に『指導者(マスター)』とだけ呼ばれている。
もはや『無駄に』と表現した方が似合うくらいだだっ広い執務室には、革張りの椅子に悠然と腰を下ろすマスターと豪奢なデスクの前に直立不動しているクリストファー少佐と呼ばれた傷顔の逞しい男性の姿しか存在しない。
「……申し訳ありません。何者かの妨害を受け、予定の半数以下の量しか武器や装備をユーコン基地に持ち込めていない状況です」
「妨害を行っている勢力の情報は掴んでいるのか」
「米軍内部の協力者からも有力な情報は……ですが、私の勘では相手は恐らくクアドループでソ連のモルモットの確保を妨害してきたのと同じ勢力の仕業ではないかと」
自分達の計画が失敗続きにある現状を自勢力の頂点に立つ存在に直接伝えなくてはならなかったクリストファーの口調は強張り、酷く苦々しかった。
そんな部下の内心などどうでもいいと言わんばかりにマスターの思考や口調は冷淡の一言に尽きた。彼の声は氷山の遥か奥深くに眠る数万年前の氷塊の如く変化が無く、冷え冷えとしている。
「……最も可能性が高いのは、この国の大統領の息子が率いている例の部隊か」
「対象
おもむろに、執務室への通信を知らせるアラーム音が鳴った。
このマスター専用の執務室への直通回線の番号を知る者は殆ど存在しない。部屋の主は僅かに眉根を寄せ、やや間を置いてから回線を繋いだ。
「誰だ」
静かに問いかける。小さな画面には通信相手の映像は映し出されず、スピーカーからの空電音のみが通信回線が問題なく繋がっている事を教えてくれた。
すぐさまスピーカーから返事の声が発せられ、執務室の空気を震わせる。
『たった今テメーらが話してた人間さ。どうも初めましてクソッタレ共、ゼロス・シルバーフィールドだ』
TE-17:死神
両者の反応は対照的だった。
「な……!!?」
「――――――、…………」
たった今話題にしていながらまさか通信してくるとは予想だにしていなかった人物の名前が出た瞬間、クリストファーの顔は心からの驚愕に歪み。
マスターの表情筋そのものはまったく微動だにしなかったが、他に目聡い人物がこの場に居合わせていれば僅かにひくついた瞼、そして微かに喉元から漏れた息を呑む音から彼もまた内心動揺しているのを見抜いたであろう。
口調と声色そのものは冷静さを保ちながら、マスターは通信機の向こう側にいる存在に話しかける。
「どうやってこの回線の事を知ったのか教えてもらえるかな?」
『クアドループ。俺達はハナっから全ての通信を掌握してそっちのやり取りを全部見張ってたのさ。
……つっても実際にはリベリオンに任せきりだったんだが、ともかくその時に潜水艦に乗ってたそこに居る筋肉モリモリマッチョマンの変態少佐とのやり取りを傍受してこの直通回線も見つけたって訳だ』
通信相手――――ゼロスは自分達の事を知っている。マスターとクリストファーが同じ建物、同じ室内に居て、たった今まで話していた内容までも把握している――――
右へ、左へ。視線を走らせた限りまったく異常は見られない。
が、眼球の動きだけで室内の観察を行ったにもかかわらず、たったそれだけの動作すらもこの場に居ない相手は把握していた。
『今更探したって遅いしお前らには見つけられねぇよ』
「貴様ぁ……!」
『こっちは忙しい身なんでな、さっさと本題に入らせてもらうぞ』
今にも殴り壊しかねない形相で通信機を睨みつけるクリストファー。
いかにも歴戦の猛者といった風情の戦士の憤怒などお構いなしにゼロスは一方的に言い放ってから、一瞬声を途切れさせた。
『――――テメーら、俺の仲間に手ぇ出したな』
マスターとクリストファーは最初、自らの背筋を貫いた極冷の電流の正体を理解する事が出来なかった。
強烈な悪寒の正体、それは殺気に対する恐怖心だった。たった一言発せられたゼロスの声を聞いた瞬間、2人は死神の大鎌が己の首筋に突きつけられる姿を幻視したのだ。
通信回線越しからでも死の錯覚を覚えてしまうほど濃密な殺意が2人を捕らえて縛り付ける。
『これは予告でも宣言でもない。宣告だ。お前らは、
一言一句に壮絶なまでの殺気と決意を乗せたゼロスの発言の意味は、クリストファーとマスターに対する死刑宣告だ。
一方的な決意表明を告げられても、鼻で笑い飛ばす真似など今の2人には到底出来なかった。現在地どころか会話内容までも絶対的な殺意を抱いた敵対者にリアルタイムで把握されている状況で能天気に構えていられる訳が無いのだ。
クリストファーが自前の無線機を取り出して屋敷を守る護衛達へ通信を送る。
「警備応答しろ!今すぐ厳戒態勢に移るんだ!」
『………』
聞こえてくるのは空電音のみ。人の声はまったく返ってこない。握り潰しかねないぐらいの力でトランシーバーを掴んでも意味は皆無だ。
「誰か応答しろ!おい、何故誰も応えん!?」
『無駄だ。お前らを守ってくれる護衛連中は全員とっくに片付けてある』
不意に何かの軋む音が2人の耳に届いた。クリストファーは護身用の拳銃を抜き放って音の聞こえた先へ銃口を向け、彼を更に上回る素早い動作でマスターが先程弄んでいたナイフを投擲した。
音の出所は執務室の唯一の入り口の扉。分厚い木壇で出来た扉に刃が突き立つが、軽いナイフが与えた衝撃だけでは重い扉に加えられた力を押し返す事は出来ず、そのままゆっくりと室内に向かって開いていった。
扉が開け放たれた事で廊下の様子が露になった。マスターが居る間は四六時中執務室の入り口前に張り付いている筈の護衛、クリストファーが入室した際にはしっかりとその存在感を示していた重武装の男の姿が、自らの肉体から流れ出た血の池の中で倒れ伏しているのが目に入った。
屋敷の内外に配置した、実戦経験のある元軍人ばかりで構成された重武装の護衛部隊が全滅?警告を発する暇どころか、1発の発砲すら許さずに?
戦場での経験を積む内に習得した血と火薬の臭いを敏感に嗅ぎ取る兵士としての第6感がまったく発揮されぬまま、気がつけば扉のすぐ向こう側まで忍び寄られてしまっていたのだとようやく理解させられたクリストファーは酷く動揺した。
信奉する指導者の目前に立っている事も忘れて絶叫する。
「何なのだ……貴様らは一体何者だというのだ!?」
『お前らみたいな宗教狂いと違って俺は神なんぞ信じちゃいないが、敢えてこう言わせて貰おう』
そして。
彼は言い放つ。
『――――――俺は、お前達にとっての死神だ』
ブツンと雑音を立てて通信が切断された。
今すぐこの場から移動すべきであった。間違いなく通信相手が送り込んできた刺客、あるいは当人はとっくにこの建物に侵入を果たし終えている上、そもそも執務室内の様子すら向こうにリアルタイムで把握されている状況である。
施設の運用、また護衛部隊の人員と装備を揃えるのに使った費用と労力を無駄にする事になるが、もはや選択肢は残されていない。
施設には大量の武器弾薬以外にも
「行くぞクリストファー。この拠点は放棄する」
デスクの中から自爆装置の操作スイッチを取り出しながらマスターは側近へと指示を飛ばした。
「……クリストファー?」
だが、忠誠篤い部下からの返事が聞こえない。
クリストファーは開けっ放しの入口へと身体を向けて仁王立ちになったまま動かない――――と思った矢先、いきなり糸を切断されたマリオネット宜しく、クリストファーの肉体が真下へと崩れ落ちた。
――――両膝を勢いよく床にぶつかった衝撃でクリストファーの身体が震えると同時、厳めしい顔立ちを備えた彼の頭部が首の上から転げ落ちる瞬間を。マスターはハッキリとその目で目撃した。
「なっ――――!?」
冷徹な美貌を保っていた青年の表情が今度こそハッキリと愕然の念に歪む。
頭部を失ったクリストファーの首の断面からは、今になってようやく頭を切り落とされた事を肉体が知覚したかのように大量の血が流れ出している。
一定のタイミングで鮮血が断面から大量に噴き出る様子から、首から下の胴体に在る心臓は未だ脈打ち続けているのだと把握する。肉体そのものが死を知覚できない程の速度でクリストファーの命は奪われたのだ。
誰が、どうやって、何時の間に?
見えざる存在の手がマスターへも牙を剥く。
突如としてマスターの肉体が浮き上がった。喉元に極度の圧迫感を感じたと思うや否や、後ろへ引っ張られるのではなく
胸元に加わる力は一層強さを増し、デスクから移動するどころか身体を起こす事も出来ない。
マスターの視界が歪み始めた。衝撃と窒息の影響かと思ったが実際には違った。風景に生じた局地的な歪みはやがて人の輪郭を取り、炙り絵のように急速に詳細な姿が浮かび上がる。
彼の肉体を押さえつけている存在の正体は――――まさに死神と形容する他ない。
装甲が施された漆黒の装束に、頭部を覆うヘルメットを唯一彩る髑髏のフェイスペイント。
「貴様は……何だ!?」
氷の仮面を脱ぎ捨てたマスターは混乱と疑問を露に目の前の存在へと言葉を吐く。
「
数十秒前に聞いたのとまったく同じ声、同じ台詞。
通信回線越しに耳にした死刑宣告に篭められたそれを、更に万倍に凝縮してから溶岩に溶かし込んだような憤怒混じりの殺意。
死神の正体を理解する。死神の正体に心底驚愕する。
死神の正体が一体どういった存在なのかまったく理解できなくなって、喉の圧迫によって今や完全に呼吸困難に陥りながらも、それでもマスターの喉から掠れた絶叫が迸った。
「この――――怪物が!!」
「知ってるし、
にべもなくマスターの発言を言葉の刃で切り捨てたゼロスは、マスターの存在そのものを切り裂くべく手にした黒い刀を持ち上げた。
逆手に握り、床に対し垂直に向けられた刃の切っ先がマスターの胸元へと突きつけられる。
無造作に言って良い程自然な動作で腕が落ちる。合わせて杭打ち機よろしく垂直落下した刃はマスターの皮膚をあっけなく切り裂き、心臓のど真ん中を貫いた。分厚い筋肉に包まれた臓器の感触は幾重にも重ねた薄いゴム板に似ていた。
挙句胴体を貫通して背中から突き出た刀身は、デスクの天板すらも貫いて飛び出す。切っ先から鮮血が滴り落ちて床を汚す。
マスターは1度だけ全身を痙攣させた後、微動だにしなくなった。これまた宗教家に似つかわしくない、高級な仕立てのスーツに生じた赤黒い染みが見る見る広がっていく。
するりと苦も無く刀身を引き抜いたゼロスは、刀身に纏わりついた鮮血を振り飛ばしながらデスクから離れた。屋敷の別の場所で別行動中のユーノに念話を繋ぐ。
「俺だ、こっちは片付いた――――」
フラッシュバック。足を止める。今となっては遥か昔の、たった今殺した者達と似たような手合いと敵対した時の苦い記憶が蘇える。
「――――ちょっと待ってくれ」
刀を握る方とは反対側の手の中に、巨大なクロスボウと銃剣を組み合わせたような武器が瞬時に構築される。振り返ると同時に、巨大な武器の発射口をマスターの死体に対し照準。
光弾が飛び出し、マスターの肉体の大部分がデスク諸共粉砕される。
『――――昨日未明、キリスト教恭順派が所有する施設が炎上しているのが発見され、焼け跡から多数の死体が発見――――』
『焼け跡からは死体のみならず大量の武器も――――』
『――――また焼け残った建物の一部からは恭順派の指導者とテロ組織との関わりを示す書類が押収された事から……』
ネタバレ:TE4巻以降~AL編開始まではオリジナル展開予定。