時間は少女が眠る真夜中から昼に戻る。
男は真昼間にも関わらず真夜中同様木に遮られて殆ど光が差し込まぬ森の中を歩いていた。
男の進む方向には規則性はなく、右へ行ったと思ったら、いきなり踵を返しあらぬ方向に歩みを進めていく。
あっちに行ってはこっちに行って、こっちに行ってはあっちに行く。
そんな事を繰り返すうち、どっちの方から歩いたのかわからなくなってくる。
前には薄暗く、終わりがないように思える深い森、後ろにはきた道も分からず目印も何もない、コレもまた同じに薄暗く、深い森。
そう彼は、
「参ったな、迷ってしまった。」
彼の言った言葉どうりに、進むべき道を失っていた。
何度も言うが辺は深い森、そして彼は右へ行ったり、左へ行ったり、全く規則性はない。
そう、誰から見ても、彼は方向音痴であった。
まっすぐ同じ道を進めば森から出られるものを彼はこの様にあっちこっちに行って、この森から出られないままなのである。
そうして彼が森で迷っている途中、太陽の挿し込む、少しだけ開けた所に出た。
男は疲れたのか、その少し開けた場所の中心、最も太陽の光が届くところまで行って、懐から取り出した、道具袋を枕に、その場に寝、この森に殆ど無い、木々の隙間から見える空を仰いだ。
「ふう、今日もこの森から出られなかった。何時になったら出られるんだろうか。嗚呼全く雲一つない空が恨めしい。……まあ雨が降ったら降ったらで、まためんどくさいんだが。……はぁ。」
そう行って彼は恨めしそうに空を見る。
実際に彼はこの森に入ってからずいぶんと経っている。
彼がこの森から抜け出せないのは確実に彼の所為なのだが、ずっと抜け出せない分、こう愚痴でも言っていないと、やってられないのかもしれない。
ちなみに食料は勿論のこと尽きている。
彼が死なずにいるのは森の中で見つけた果物や木の実、最悪そこらのよく分からない雑草さえも口に入れ喰い繋いでいるからだ。
ここで、森の中に住んでいる動物を出さなかったのは、よっぽど警戒心が強いのか、彼が彷徨った間一回もその姿を見せなかったからだ。
鳴き声も、彼のいるずっと奥から微かに鳥の囁くさえずりや、飛び立つ羽ばたきの音ぐらいである。
大型の動物の鳴き声など全く聞こえなかったのだ。
そんな中、勿論、大の男がそんなもので満足できる筈もなく、今現在、彼はとてつもない空腹に苛まれている。
それでも森の中で彷徨えるほどに動けるのはもはやほとんどが気力で動いているといっても過言ではない。
重度の方向音痴といい、気力で動く体といい、化物じみた体である。
実際彼は、彼自身、自分を化物のように扱っているがこの話の真相を話すのはもう少し先の事だろう。
空を仰ぎ、その空に八つ当たりのごとく愚痴を言い続ける彼の言葉は不意に止まった。
さっきまでの愚痴を言っていた恨めしげな顔とは打って変わって真剣
な表情で。
彼は寝ている体を起こし、辺を探る。
彼が何故そんな事をするのか、それは彼の耳に、通常では聞かない音が入ってきたからだ。
ここでの、通常とはこの深い森の中での話である。
彼の耳に入った通常でなは聞かない音とは声だ。
そう、人間の発する声。
更に男はかなりの間彷徨っていて、最初森に入った時より更に深く
入り組んだ所までさまよってきたのだ。
最初の頃、まだ入る直後の事なら彼はキにしなかっただろう。
森の近くに行商人やらが通っていたりなどの可能性が高いからだ。
しかし、ここは森の奥、誰も来ないようなところである。
故に、彼は気怠い体を起こし辺を探ろうとしているのだ。
付け加えておくと、彼が人気のないこの森を通ろうとしたのは、先も言ったとおり、彼が彼自身、化物と想っているところから来ている。
そんなこんなで彼は音のする方向を見付け出した。
それは彼がこの開けた場所に出た所から更に奥、より深いところから聞こえる。
更に言うと、こんな森の雑音の多い中、声の方向を突き止める辺かれの聴覚も人並み以上だということが伺える。
男は方向を突き止めた後、より神経を研ぎ澄まし、声を聞きとろうとする。
多少、ぐぐもって、聞こえにくかったが、男が二人、そして女が一人、
女と思える声が幼く聞こえることから女はまだ少女だということが解かる。
そして三名共に走っている音が聞こえる。
彼は直ぐに地面にある道具袋ほ拾い上げ懐にしまうと、声と音のする方へと、走りだす。
その速度は空腹や疲れなど感じさせないほどに早いものだった。
走っていき、声と音がより聞き取りやすくなる。
そして、はっきりと声が聞こえる様になると、男は声を聞き取るために神経を澄ましつつより一層に走る速さを上げた。
『おい!止まれ!』
『くそ!逃げるんじゃねえよこの化物が!』
『っはっはっは……。ひぃっ!?たっ、助けて、誰か助けて』
彼が走る速度を早めたのはこの声を聞いたからだ。
この声を聞く限り追っているのは男二人、追われているのは少女の方であると推測できる。
だが気になるのは、男たちが少女のことを化物と言ったこと。
彼は走る速度を緩めず走り続ける。
『よし!追い詰めたぞ。』
『後ろは崖だ。もうお前に逃げ場はないぞ。おとなしく死んでもらうか、化物が!』
『い、嫌!来ないで!』
まずい!男はまずそう思った。
今の状況は声からして簡単に推測できる。
男二人が少女を崖まで追い詰める。
逃げ場がないということはとても高い崖ということと今少女がいる所が特に出っ張っている所に追い込まれたからだろう。
簡単に言うと少女はいま絶体絶命だということだ。
瞬間、木の隙間から大きな崖、そりてそこから少女の姿が見えた
彼のところからは少女の前にいるであろう男二人が死角になっていて見えなかったが、少女の姿、そして声から、男二人が居ることは確実で、
少女の立ち位置確認できた
だが予想以上に少女が崖の淵まで追い詰められていた。
それと同時に彼と少女の居る崖との距離はまだだいぶ離れていた。
そんな中、いくら少女で体が軽くでも崖の淵にまでとなると、脆く崩れやすい所に居るとうことになる。
一歩でもまた後ろに下がれば崩れるかもしれない。
下手をしたら落ちるな。
そんな考えが男の頭をよぎった。
それともう一つ思ったのはまだ遠いということだ。
そんな事を考えつつ、男はその体に鞭打って走り続ける。
その時、やはり想像した通りガラ!っと崖が崩れる音がした。
『はっ!自分で落ちたか化け物め。』
『ふん、いい気味だ。』
そんな声が崖が崩れると同時に聞こえた。
それとは別の小さな消えそうな声がひとつ、だがしっかりと聞こえた声があった。
『誰か、助けて。』
少女の声だ。
“ちっ!”彼が口の中で舌打ちをした次の瞬間、男は消えた。
実際は消えたのではない。
男は今までよりもずっと早く走っているのだ。
それは風よりも早く、音の速度に近いくら位の速さだった。
その足は地面を抉り、一歩ごとに土塊を飛ばす。
その速さに巻き込まれた風が落ち葉を高く舞い上がらせる。
その一歩一歩が轟音となって響き、男たちのもとにも届く。
『な、な、なんだぁ!?』
『お、おい!なんだよこの音!』
『知らねぇよ!って、おい、あれ見ろなんか近づいてくるぞ!?』
『くそ!なんだって言うんだよ!おい!逃げるぞ、化物は死んだんだ、
ここに居る必要もねぇ、ほら、さっさと逃げるぞ。』
『お、おう!』
そういった男達の走る足音を聞き、彼は都合がいいと思った。
それは自分の存在が知られないことを意味すると同時に少女を助けた後、無駄に逃げる必要がなくなったからだ。
彼の音速に近い走りのお陰で、彼と少女の距離はかなり離れていたが、もうすぐそこまでに迫っていた。
間に合った!
少女はまだ生きている。
それはまた予想以上に高かった崖のおかげでもある。
少女は崖の中腹の所まで落ちていて、彼の速さなら少女の落ちてくる真下まで行って少女を受け止めることが出来る。
だがまた此処でも問題が起きた。
少女が落ちたときに誘発されて崩れたのか、少女の目前には大きな岩が迫っていた。
これでは彼が真下で待っていても、空中で少女は岩にあたり重症を追ってしまう、さらには此処は深い森、だれも助けは呼べない、そし
て彼に医療の知識はない。
止血などの簡単な知識なら旅をしている彼ならば知ってるかもしれないが、重症とまでなるとさすがに手に負えなくなる。
それに、此処で少女がそんな事になってしまったら此処まで来た意味が無意味になってしまう、それでは本末転倒だ。
そう考えた彼の判断は迅速だった。
即座に真下へ向かうことをやめ、崖へと走る。
此処までならば何も打開策は打ってないように見える、が、彼は先程の行動から解るように、常人ではできないことを行いそれを実行に移している。
簡単に言えば彼は普通じゃないということだ。
彼が崖の前まで来て行った行動はこうだ。
崖を駆け上がる。
此処で崖を登ると言わないのには訳がある。
それにこんな所で手で崖を登っていったのでは絶対に間に合わない。
そこで彼はその異常な脚力で高くジャンプし、崖から出ている、出っ張っている岩の所まで来たら、またその足で岩を蹴りジャンプして行くという、離れ業をやってのけているのだ。
だから、崖を登るのではなく、崖を駆け上がるという形になる。
無論、そんな異常な脚力で蹴られた岩は、彼がジャンプした後、その力に耐えられず、崩れて下に落ちてゆく。
落下した岩は地面に散らばり足の踏み場がなくなっていた。
だがそんな事はお構いなしに彼は崖を駆け上がっていく。
そして少女が落ちる真横まで来るよ今度は少女に向けて岩の壁を蹴り少女のもとまで跳ぶ。
少女までの距離は一瞬で縮まり、彼は抱え込むように少女を抱き、跳んだ時の勢いで少女の目前まで迫っていた岩から離す。
そして彼は何を思ったのか空中での姿勢を少女を抱え込んだまま、仰向けにし、少女を自らのマントの内に入れより深く抱え込んだ。
それは彼が作った、先程の岩の散らばった地面と関係する。
そのまま彼は少女を抱えたまま下へ落ちてもいいのだが、そうすると岩の散乱した地面に落ちるということである。
それは着地した時、とてもバランスを崩しやすく足を挫く可能性もある。
さらにその場にとどまっていれば上から落ちてくる岩にもあたって
しまう。
そうすると少女は助けられても、自らに多大な傷を負ってしまう。
彼の人間離れした体ならば大丈夫かもしれないが、彼自身、そんな傷を負う心算なんて全くない。
だから彼は岩を蹴るとき崖を駆け上がるとき同様に、かなりの力で蹴り、岩のない、木々で密集した場所まで跳んだのだ。
それは少女を森の木々より高い位置で助けることが出来るという、ちょっとした幸運により出来たことだ。
木々の真上にまで来た後、彼は枝による切り傷などから少女を防ぐために、空中で仰向けになり自らのマントの内に入れ、もし枝にあたっても怪我をしないように抱え込んだのだ。
勿論のこと、落下途中の枝は少女には当たらず怪我も作らなかった。
ただその代わりに、男の体には、幾つかの切り傷と、地面に打ち付けられるという二重苦にあったが、先程脳裏に浮かんだ、足を挫き、
降ってくる数多の岩に打ち付けられて、重症を負うよりかは、断然マシなので、彼はその痛みを我慢した。
たとえその身体が尋常ではないとしても痛いものは痛いのだ。
彼は少女を抱いたまま近くの木まで行き、軽く足で回りの小石な
どを払いのけ、少女を寝かせる。
「まぁ、少し汚いが、我慢してくれ。」
そう言って彼は自分が羽織っていたマントを眠っている少女にかけてやり、自分も近くの木にもたれて、疲れきったその体から、意識を手放した。
彼の、この森での彷徨っている間の疲れと、空腹、更に加えて少女を助けるために酷使し負荷を与えすぎたその身体はすでに限界を超えていたのだ。
そんな彼が、木にもたれ、目を瞑った後、意識を手放すには十秒もかからなかった。
そして次に彼が起きたのは、少女を助けた数時間が立った後で、辺は真夜中、かろうじて光が入っていた昼間とは違い殆ど光の入らない時間帯、そんな中、彼が起きたのは自らの身体の上で何かが動いたからだ。
彼が意識を取り戻し、その目を自らの腹の上に向けるとそこには少女が男にしがみつくようにして眠っていたのだ。
──どうしてこうなった。
そんな状況に完全に目が覚めた彼は悩むより先に少女を引き離す
ことを優先し、引き離された少女はつかむ物がいきなりなくなった故に、また何かに捕まろうと手を空に向けるが、その手は虚空を掴み少女は諦めるように今度は自らを抱え込むようにして眠った。
彼は少女にかけていたマントを手探りで探し、また羽織り、近くに落ちていた木の枝や落ち葉などを、これまた手探りでかき集めて少女の近くの一箇所に集めた。
そして懐の道具袋から松脂を取り出し、木の枝にこすりつけていった。
この時、何故木の枝に松脂をコこすりつけていったかというと、こんな光の届かぬ、森の中、木の枝は湿っていて火をつけようにも、火が付きにくくなっているためである。
こんな時、松脂はいい可燃剤の代わりになるのだ。
彼はひと通り枝に松脂をこすり終わると、残った松脂をまた袋に入れ、今度はマッチを取り出す。
そして火をつけたら簡素な焚き火の出来上がりである。
ここでやっと光が殆ど無い森の中に光が灯る。
男がひと通り焚き火にくべる木の枝などを集め、焚き火の近くに胡坐をかいていると、暗い中に灯った光とパチパチと爆ぜる焚き火の音
に気づいたのか、少女が眠り眼をこすりながらこちらを向いた。
それに気づいた彼は
「今日はずっと逃げて疲れただろう。何故君が追われているのかはまだ聞きはしない。君の身体がどんなので在っても、私も同じようなものだからな……。まだ疲れていて眠いだろう。とにかく今はまだ眠っていなさい。」
と自分を卑下しながらも、少女をまた眠るように促す。
少女は
「……うん…。」
少しの沈黙の後そう言い、頷き彼のもとへ歩いていった。
「な、なんだ?」
男が少女がこちらに向かって歩いてくるこのにほんの少しだけたじろぎ、そして疑問に思ってると、少女は
「寝る。」
とだけ言い、彼の前まで来たら、ポスンと胡坐をかいている彼の所に座り、焚き火の光が眩しのか、彼のマントの中に入り、彼の胸に寄りかかるように眠った。
彼が少女に何か言う前に、少女は寝てしまったので、彼は何も言う
ことが出来ず、「寝なさい。」とさっき言った後、また動かして起こしてしまうというのは彼には出来ず、地面に落ちないように、彼は少女に腕を回した。
──懐かれたしまった。…何故だ…?
どうしてこうなったと彼は悩みの迷路にはまっていくのだった。
こうして彼らは出会い、この森の中で一夜を過ごしたのだ。