王道と邪道   作:ふぁるねる

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本音

 

 ギィ。

 

 バタン。

 

 背後で、扉の閉まる音が聞こえる。

 

「……何者だ?」

 

 ただ、その声のする方を向いて、その人物の姿を認めた次の瞬間、スバルの視界には次第に迫る真っ赤な絨毯だけが映っていた。

 

「…………」

 

 パクパクと、少しだけ口が動いた気がした。だが、何かを言おうとしたわけでも、何かが口から出たわけでもなかった。

 スバルは、近づく床に対して予想される衝撃も危機感も覚えず、そのまま倒れる。

 

 床に思いきり鼻っ柱を叩きつける直前、スバルの目の前が真っ暗になり何度目かの気絶の終末を迎えた。

 

 

 

 ーーーーー

 

 朝から膨大な量の事務作業を終え、この部屋にようやく戻ってきた頃には太陽は高く昇っていた。

 広く開け放たれたカーテンから差し込む陽光を浴びながら、クルシュは目の前でベッドに横たわる少年を見下ろす。

 

 クルシュにとってその男は、路傍の石に過ぎない。

 自らの歩む王道に、不躾に踏み込んできた不恰好な小石だ。

 

 もちろん、大瀑布に投じられたような一石に過ぎないかもしれない。波に揉まれ、飛泉に落ちる、ただの玉砂利に過ぎないのかもしれない。

 だが投じられた一石が、大瀑布の波さえも飲み込むほどの波紋を広げることがあるかもしれない。

 そんな小さな期待を、クルシュはこの少年に抱いていた。

 

「…………ぁ」

 

 向かいに座るフェリスの口から漏れたわずかな声に顔を上げると、眉間にしわを寄せるように、寝ていた少年の表情に変化が生じた。

 眩しさに目をぎゅっと瞑るようにすると、すぐにパチリと両目が開く。

 浮遊する目線は定まらず、部屋の天井を彷徨っている。

 

 徐々に意識がはっきりしてきたのか、首を動かす余裕は出てきた様だ。

 右に、左に動かす内に傍らに立つフェリスとクルシュの姿を認めると、少し驚いた風に少年は目を見開いた。

 

「…………そうか、またか……」

 

 落胆、だろう。

 少年が呟いた言葉は見るまでもなく、沈んでいた。

 

「…………クルシュさん。すまん。迷惑かけた。一人にしてくれ」

 

「しかし」

 

 少年は事態を全て理解した様子のまま、クルシュに弱々しい声で嘆願する。

 クルシュとしては、今にも精神が壊れてしまうのではないかと思うほど弱っている少年を、そのまま放っておくことはできない。

 

「いや、平気だ。頼む」

 

 それでもなお懇願する少年の表情を汲み取ったのか、フェリスが服の裾を軽く引っ張る。

 ここは一人にしてあげましょう、と目線だけで伝えるフェリスにクルシュは頷く。

 

「何かあれば言ってくれ」

「ーーーああ」

 

 行こう、とフェリスに声をかけドアノブに手をかける。

 チラリと少年を横目で見るが、俯いて大人しそうにしている。

 ひび割れ、萎れてはいるが、崩壊はしていないだろう。

 一人の時間が欲しいというのなら、くれてやるのに問題はないが、身元のはっきりしない男だ。使用人に廊下から見張らせよう。

 

 ガチャリとドアを開け、クルシュとフェリスは廊下に出る。

 カルステン本邸よりは小さな邸宅だが、そこらの下級貴族の本邸よりもずっと広いこの屋敷は、廊下もそれなりに長い。

 例えば、ここからクルシュの執務室まで、階段含め三分はかかる計算だ。同じ家の中だというのに煩わしいことこの上ない。

 陰魔法には、扉と扉を繋げる魔法があると聞いたことがある。使える者がいたならば、囲いたいものだ。

 そんなとりとめの無い思考を巡らせながら、第一歩を踏み出す。

 

「………?」

 

 かしゃん、と小さな音が聞こえた。

 

 続けざまに、より大きな音が出てきたばかりの部屋の中で響く。

 振り向き、すぐにフェリスと顔を見合わせたところで、

 

「あああああああ!!!!!」

 

 広大なカルステン別邸全体に響き渡るのではないかというほどの、雄叫びが上がった。

 

「どうした!」

 

 クルシュは二秒前に閉めたばかりの扉を開く。

 

 床には花瓶の破片が散らばっていた。

 ベッドに座っている少年は頭を抱えている。

 

「なんでだ! どうしてこうなる!?」

「おい! どうした!?」

 

 突然発狂したかのように叫ぶ少年に駆け寄る。

 すると、近付くなとばかりに少年が腕を振り上げてきた。クルシュからすれば赤子も同然のような力だが、凄まじい拒絶の意が込められており踏み止まってしまう。

 

「おれが何かしたか? おれは何をすればいい? おれは何を間違えた?」

 

 先程までの静かな様子とは打って変わって、ぶつぶつと呟きながら自らの両腕を見下ろし、少年は苦悶の表情を浮かべる。

 まるで今この場で、精神だけが削られていくように見えた。

 

「どこに行ってもどうせこうなる! 何回やり直しても同じだ! どうせ死ぬ! いったいおれにどうしろってんだよ!!」

 

 再び叫びだす。

 少年の目に映るのは、いくつもの感情だ。

 その中でも一番強いのは怒りの色。

 激しい憤怒が瞳の中で燃え上がっていた。

 

「もう嫌なんだよ!!」

 

 最高級品の枕を壁に思い切り投げつける。

 凹んだ形はそのままに床に落ちた。

 

「何もしてねえのに牢にぶち込まれるのも! 信用しようとした相手に裏切られんのも! 策を練っても信用されねえのも! どれもこれもクソみてえなことばっかだ!!」

 

 少年にどんな過去があったのか、クルシュとフェリスには計り知れない。

 だが、苦い記憶を思い出すかのように頭をかきむしりながら叫ぶ少年を見ていると、それがどれだけの惨劇だったのか、その一端を知ることができた。

 

「土石流に流されたことがあるか? 剣で首をはねられたことは? 通りすがりの女に腹を裂かれたことは? 怪物に凍らされたことは?」

 

 まるでそれらを経験してきたかのような言い方。いや迫力に、クルシュ達は気圧される。

 しかしそんな目に遭っていたならば、少年は五体満足で目の前にいるはずがない。突然、気が触れたのだろうか。

 

「所詮妄想は妄想だ。みんなが考えてるようなもんは何にもなかった。持て余すような量の魔力も、溢れるような魔法のセンスも、唯一無二のチートスキルも、何にもねえ!」

 

 俯く少年は、両腕で自身の身を包んだ。

 まるで、掴むことを約束されていた才能を取りこぼしたように、持ち得るはずの無い理想を離さないかのように。

 その様子は、クルシュの瞳にひどく醜く映る。

 

「楽しいことなんざ、なにっ一つもねえよ!」

 

 少年は唾液を撒き散らしながら喚く。

 いつか夢想した世界はどこにも無く、非情な現実に打ちのめされたスバルにとって、この世界そのものが裏切りだった。

 

「お前に分かるか!?」

 

 クルシュと少年の目がぶつかる。

 クルシュを見ているようでその実、何も見えていない少年の瞳は未だ怒りを湛えていた。

 

「クソみてえな毎日を坦々と繰り返してっ! やっと転機がきたと思えば! 今度は延々と続く下り坂だ!」

 

 朝起きると、布団の中で蹲る。

 何を為すでもなく、ひたすらに生産性の無い毎日を繰り返す。

 宿題をやらずに夏休み最終日の夜に頭を抱えてる気分が、ずっと続く。

 何もしなくなると、何か特異なことが起きるようにと願うようになる。

 今の状況じゃおれは何もできないけど、状況が変わればおれはやれる。上手くできる。やろうと思えば何でもやれる。根拠の無い自信だけが肥大していった。

 そういった自身に見せる虚勢だけが唯一縋れるものだったが、それも時間が経つと、スバルを覆う暗雲の一つになるだけだった。

 

 スバルを覆う暗雲は、決して雷雲や分厚い雨雲では無かった。

 雨は降らないがどこか不安定で、得体の知れない何かを隠しているように気味の悪い雲だ。

 今にも崩れてしまいそうなそんな空模様は、大きなキッカケさえあればすぐに晴天に変わると思っていた。

 

 違った。

 

 異世界転移というキッカケは、スバルの空模様を悪化させる一方だった。

 それもそうだ。

 何もしてこなかった人間に、そう都合良く好機など巡ってくるものか。

 

「ここはドン底だ。どこまで行っても暗闇だ。わかるか? 逃げ道が無いんだよ。どこに逃げても終わるんだよ」

 

 絶望の袋小路だ。

 ようやく見つけた諦めという逃げ道も、王都の全ての民が死ぬ最悪の結末を迎えただけだった。

 ここには何もない。

 どれだけ足掻こうが、どうせ死ぬ。

 全部諦めても、みんな死ぬ。

 

 スバル以外の誰かが巻き込まれて死ぬようなら、どうにかしてその結末を回避しようとしたかもしれない。

 しかし、全員だ。

 王都という都市全てを一瞬で破壊する脅威だ。

 なす術がない。

 

 もしもスバルが土石流に巻き込まれたり、ヴィルヘルムに首を刎ねられたり、桃髪のメイドに腹を裂かれた後に世界が続いていたとしても、あの獣は王都を氷漬けにしていたのだろう。

 クルシュでさえも我を忘れてしまうほどの破壊の権化。

 あれは、世界でさえも壊してしまうものなのではないだろうか。

 

「どうせみんな、死ぬ運命なんだよ」

 

 あの脅威の前には、何人も抗えない。

 等しく皆、死を受け入れるしかない。

 クルシュといえど、ヴィルヘルムといえど、圧倒的なスケールの違いにはその剣の腕など役に立つまい。

 

 この異世界召喚は、今まで何もしてこなかったスバルに対する罰なのだ。

 三日後に滅亡する世界に飛ばされ、死に戻りという一度では終わらない死の刑罰。

 自身の死だけでは物足りないとばかりに、目の前で大量の人間も道連れにされる。

 スバルだけならまだしも、これまでの人生で積み上げてきたものがあるだろうクルシュやヴィルヘルムといった人物まで巻き込まれてしまうのは、あまりに残酷だ。

 

 何よりスバルを苦しめるのは、クルシュ達は自身の死を知らないことだ。

 それを覚えているのは、死に戻りをしているスバルのみ。

 誰も覚えていないのならば、それを背負うのは必然的にスバルになってしまう。

 王都に住む何万人という死まで背負うのは、あまりに重すぎた。

 

 暴れ、叫び、跳ね除け、呼吸が乱れる。

 

 もううんざりだ。

 嫌なんだ。

 死を受け入れることなど、無理だ。

 強がってもダメだった。

 今まで何もしてこなかった自分が、すんなり受け入れることなどできなかった。

 もう嫌だ。

 

 

「死にたく、ねえよ……!」

 

 

 漏れた言葉。

 取り繕うとした本音は、あっさりと出てきた。

 そうだ、死にたくない。

 四度目の死は、スバルの本音を引き出した。

 

「事情は全くわからないが」

 

 一通り暴れ回ってぐったりとした様子のスバルを見下ろし、クルシュが口を開いた。

 スバルは頭を持ち上げ、こちらを力強い瞳で見るクルシュと目を合わせる。

 

「困っているのならば、私が貴様を救ってやろう」

 

 素性も分からない。

 特別な能力も持ち得ない。

 何もない少年に、そうすることが至極当然かのように、クルシュは手を伸ばした。

 

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