情けない泣き顔を晒したスバルだったが、情けない状況は未だ脱しない。クルシュの力を借りたとしても状況は芳しくないのだ。
クルシュは、三大魔獣の一体である白鯨を討伐しうる戦力を保持していると豪語した。
先の亜人戦争で幾多の戦果を上げ、剣聖に打ち勝った『剣鬼』、ヴィルヘルム・ヴァン・アストレア。
国内最高の治癒魔法の使い手『青』、フェリス・アーガイル。
その他にも歴戦の戦士や魔法使いを加えた私兵団を抱えており、国内の鉄製武器や魔法器(ミーティアというらしい)を集めることによって、小国程度なら片手間に落とせるほどの戦力が揃っている。
なるほど、それならばどんな化け物が相手だろうと戦える。普通はそう思うはずだ。
かの化け物を間近で見たスバルの所感は違う。
(たったこれだけか)
クルシュに兵力の説明をされて抱いた感想はそれだった。
たしかにこれだけの兵力があれば、小国ならば攻め落とせるだろう。三大魔獣程度なら戦えるだろう。しかし、あの巨獣を倒すには及ばない。
あの化け物は唐突に現れたかと思うと、瞬時に王都を覆い尽くすほどの氷を作り出した。
何処かから攻め入られるのであれば対策もできようものだが、時空移動や瞬間移動の類を使用しているのであれば迎撃は難しい。
懐に入られた上での討伐となると、王都への被害は甚大だ。王候補であるクルシュならば街中での戦闘は控えたいと思うはず。被害を気にして慎重な立ち回りが要求されるのであれば、さらに勝算を低く見積もる必要がある。
氷に対する対策も必要だ。
あの巨獣が現れたのは王都の端、位置としてはスラムである貧民街の辺りだったと記憶している。
その位置から氷を作り出して、この王都のほぼ中心部にたどり着くまでが約10秒ほど。貧民街までが3キロほどだとすると、秒速300メートル。時速1080キロにも及ぶ。
あまりに、速い。
ジャンボジェットと同等かそれ以上のその攻撃速度は、現代よりも科学の発達していないこの世界では敵うものなど無いと思われる。
たとえ王都の外で迎撃できたとしても、その範囲と速度で押し潰され、世界そのものを覆ってしまうだろう。
いくらポケットの中をひっくり返しても、およそ攻略法は見当たらない。
「クルシュさんはさぁ、勝てない敵にはどうする?」
頼ると決めたのだ。
一つの脳で無理なら二つの脳で考えてしまえば良い。
あまり期待はせずにクルシュに聞いてみた。
「勝てない敵……? ふっ。笑わせるな。最初から勝敗の決まった勝負などありえない。勝てるように全てを尽くし、負けたのならば勝つまで鍛錬を積むことだ」
「あー、はいはい。そうですね……ハァ」
あまりに模範的、あまりに優等生的、あまりに馬鹿正直すぎて溜息を呑み込むことさえ控えなかった。
「どこまでも王道で素晴らしいことですよっと……」
公爵家に生まれ、従者に恵まれ、王候補に選ばれるようなクルシュは今までもそんな『王道』を歩んできたのだろう。「このはし、わたるべからず」と言われても堂々と真ん中を歩くような人生を送ってきたに違いない。
その真反対にスバルは、まさに端を歩くような人生を歩んできたのだ。そんな『王道』を聞かされてしまうと辟易してしまう。
「王道が無理なら、邪道……しかないか」
クルシュとスバルが真反対の人間だとすると、スバルが取れる行動は王道とは程遠い邪道的手段しかあるまい。
強大な敵に対して真正面から迎え撃つのではなく、コソコソと後ろから闇討ちを仕掛けるような、クルシュが聞いたならば即座に反対されるような作戦。
手駒を揃え、外敵を定め、目的を遂行する。そのためにどのような汚い手を使おうと、躊躇はしない。それがスバルなりの『邪道』である。
「一つ一つ、解決していくとするか。クルシュさん、ヴィルヘルムさんを呼んでくれるか? 話がしたい」
王都壊滅の防止その一。
その要因を排除するため、スバルはこの首を落とした張本人を呼び付けることにした。
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「お呼びでしょうか?」
厳容という言葉の意味をスバルは初めて理解した。
権威の衣を着て威張るような者を見てきたことは、スバルの生きてきた世界で何度もあった。
しかし、スバルの目の前に座る偉丈夫はその姿のみで、スバルを竦みあがらせるだけの威圧感を与えてくる。
「あー、はい。話したいことがありまして……」
ただでさえ、スバルは首を斬り落とされている相手なのだ。その威圧感に加えて、恐怖もマシマシである。虚ろとしていた前回でさえ、震え上がるような恐怖を覚えている。
「ふむ……」
言葉通りの刺すような視線。
敵意を見せようものならば、スバルを一瞬で八つ裂きにできることは百も承知である。ゆえに、こちらには何もないことを示すために両手を上げる。
「面倒な駆け引きをするつもりはないんだ。簡単に言うと、時間がないんです。あなたの過去と、今のことを知りたいってだけなんですよ」
「過去と、今、ですか。この歳になってしまっては過去は積み重ねていくばかりですが、現在は見ての通りの衰えていくだけの老体。残っているものなど何もありはしません」
嘘をつけ、とスバルは心の中で悪態をつく。
なるほど、頭髪や皺には歳相応の翳りが見られるが、その鋭い瞳の奥には煌々と燃え続ける意志の炎が見える。
未練。あるいは、執念か。
炎に焚べるその想いはいっそ狂気とも取れるほどに、激しく燃えている。
「白鯨ってのは」
動作としては、ピクリと眉が動いた程度のものだった。
いやしかし、瞳の奥の炎が鞴で空気を送り込まれたように大きく燃え上がった。
『白鯨』
まるでその言葉がスイッチのように、だ。
やはりか、とほくそ笑む。
ヴィルヘルムが白鯨に関する情報を集めていることは、クルシュの口から聞いた。
剣聖に勝るというヴィルヘルムが、先代剣聖を葬った白鯨の情報を集めているという事実は、そこに何かしらの事情があると推測するのが当然だ。
「白鯨ってのは、ヴィルヘルムさんと関係があるのか?」
ヴィルヘルムは少し間が空いてからフゥ、と小さく息を吐く。
「白鯨に敗れた先代『剣聖』テレシア・ヴァン・アストレアは、私の妻です」
「……そう、なのか」
『剣聖』という言葉で勝手に男性を想像していたが、なるほど、女性だったのか。
「『剣聖』の家系は代々、『剣聖の加護』を受け継ぎ、剣を扱う天賦の才を与えられます。望まなくとも、一方的に」
「望まなくとも……?」
「妻は剣を握るよりも、花を愛でることを好む女でした……」
半刻ほどだろうか。ヴィルヘルムは話し続けた。
三日という明確なタイムリミットのあるスバルにとって一時間のロスは無視し難いものであるが、それ以上にヴィルヘルムの話は人を夢中にさせるものであった。
淡々と話し続けるヴィルヘルムだったが、その言葉の節々からは時に柔らかに、時に激しく、一人の女を想う愛情が感じ取れた。
亜人戦争のこと。剣聖のこと。剣鬼のこと。アストレアのこと。そして、白鯨のこと。
大まかな概要ではあったが、この老人の波瀾万丈な人生は今もなお、『愛』という一つの感情で燃え続けている。
「……なるほど」
ヴィルヘルムの口から語られた過去は、息を呑むほどであった。
スバルは小学生の頃、社会科見学で80歳近い老人から戦争の話を聞いたことを思い出した。しかしそれは、激しく燃え盛る戦場を駆け回るものでも、生涯愛すると誓った人を失うものでもなかった。玉音放送を聞いただの、疎開がどうだっただの、小さいスバルのさらにちっぽけな脳みそでは想像しにくいものだった。
数えきれぬほどの亜人を切り捨て、返り血を浴び、戦場を駆け抜け、一人の女を愛したというまるで物語のような事実を当人の口から聞くことは、まるで一つの小説を読み終えたような充足感があったのだ。
「白鯨を討ち取るためにこの十五年、全てを費やしてきました。出現位置の特定や霧の特性。クルシュ様にご協力頂き、こうして戦力を整えることもできました。スバル殿の此度の進言、白鯨と同等と称される相手ならば、この鈍った剣を研ぐための前哨戦に不足はないでしょう」
「やる気は充分ってことか」
老体に宿る、静かに燃え上がる剣気の正体を掴んだ。
その上で、重要なのはこちらだと推測する。
(亜人戦争、か)
スバル自身が戦争を経験したことはない。
だがスバルがいた地球では過去に、大きな戦争があった。世界大戦とまで称されるその戦争に、スバルの住んでいた日本も参戦していた。多くの死者を出し、世界情勢が大きく変わったことを歴史の教師が淡々と述べていたのを上の空で聞いていた。
過去に戦争があっても、戦争をした相手国と今になっても険悪ということはない。街を歩いていても外国人をよく見かけたし、インバウンド需要も高まっていて、何かとグローバル化が進んでいた。
ゆえに、この世界でも『亜人戦争』が起きても、街中にはトカゲ人間がいたり、ブルドッグの看守長もいたりする。
(そう。亜人が普通に暮らしてるんだ)
亜人戦争。『剣鬼』ヴィルヘルム・ヴァン・アストレアの功績。
『私の兄と弟を殺したあの鬼だけは、許せないのですよ!!』
看守長の言葉がリフレインする。
あっさりと繋がる点と点。
まっすぐに引かれる線。
因果と結果はすぐに結びついた。
あの看守長は、亜人戦争で殺戮の限りを尽くした剣鬼を憎んでいた。
戦争が終わって、亜人側が負けた。表面上は和解し、看守長にもこうして国に欠かせない職が与えられ、不満なく何十年も従事してきた。しかしその内には、剣鬼に対する激情のみを募らせ続けていたのだろう。
結果、その憎しみが魔女教の福音をキッカケに、看守長を魔女教徒へと変貌させた。
「ヴィルヘルムさんに、会ってほしい人がいます」
果たしてその選択が正しいのか、誤っているのか、それすらもスバルにはわからない。
しかし一抹の不安が、スバルの中にはあるのだ。
それは、この死のループの障壁は一つではないということ。
最大の障壁はあの氷の巨獣であることは間違いないが、死因は他にもいくつかある。
監獄の崩落に巻き込まれたり、ヴィルヘルムに斬られたり、桃色の髪のメイド少女に通り魔的に殺されたこともある。
それらの死因は、元を辿ればあの看守長が魔女教徒に変容してしまうことにあるとスバルは考えた。
看守長は元々、善良なルグニカ王国民であったはずだ。そうでなければ何十年もの間、この王都のど真ん中で献身的に働くことなどできはしない。
魔女教徒の素養はあったのだと思う。
そういう奴が、そういう経験を経て、なるべき存在になるべくしてなることは、英雄だって魔王だって平民だって同じことである。
つまり看守長が魔女教徒になることは時間の問題であり、たまたまスバルが異世界召喚されたこのタイミングだったのだ。
(ならタイミングをずらす。いや、そもそもタイミングなんてもんを無くしちまえばいい)
一方的に押し付けられた『死に戻り』などという忌々しい能力は、まさにこのような事態のために用意されているのだと言えるほど適している。
未来においてどこで何が起きるのかを知り、『死』をもって時を巻き戻し、帳尻を合わせる。
ようやく『死に戻り』の正しい使い方をはっきりと理解した。
(にしても、チュートリアルにしてはハードモードすぎる節があると思うんだが)
すでに四度の死を迎えている。
これ以上の死を受け入れるつもりは毛頭無い。
さらにスバルの胸中には、もう一つの不安が芽吹いていた。
それは、
三大魔獣の存在。クルシュが白鯨と事を構えようとしていること。魔女教のこと。
身の危険を案ずるなと言われたら、即座に首を横に振るラインナップである。
おそらくこの死のループは、延々と続いて行く。
一つの死を越えたとて、また次の死がスバルを歓待する。
同じ時間をループする以上に、その事実の方がよりスバルに言い得ぬ恐怖を植え付けた。
「とか言っても、先に進まなきゃ八方塞がりなことには変わりない」
いつまでも続くであろう死のループに嘆息しながら、クルシュの許可を得てからヴィルヘルムを連れて王都地下の牢獄へと向かう。
何度も下った薄暗い階段だが、この老人と共にというのは初めてだ。
この選択が吉と出るか凶と出るかは、誰にもわからない。
ただ、魔女教徒になるキッカケであろう看守長の積年の思いを解消するには、当事者同士をぶつけてみる他にスバルには思いつかない。
結果の如何によっては次のループも視野に入れつつ、スバルとヴィルヘルムは牢獄へとたどり着いた。